引手茶屋の座敷で頼一に酌をしていた咲耶は、先ほどまでとは少し異なる騒がしさを感じて、耳を澄ませた。
(茶屋の入口あたりで何か問題でもあったのか……)
頼一も咲耶と同じように異変に気づいたらしく、辺りを見渡して何かに目配せをしていた。
「何かあったのでしょうか?」
咲耶は頼一を見る。
「ああ、そのようだな……。だが、心配はない」
頼一は咲耶を見て微笑んだ。
咲耶も微笑み返す。
「そうですね。頼一様がいてくださるので私も安心しております。ただ……」
咲耶は言いかけていた言葉を飲み込む。
ざわめきは明らかにこちらに近づいてきていた。
(こういうときの勘はあまり外れないからな……)
バンという大きな音を立てて、座敷の襖が開け放たれた。
止めようと腕にしがみついている男たちを引きずるようにして、屈強な男が座敷に入ってくる。
芸者たちから悲鳴が上がった。
「も、申し訳ございません! すぐにつまみ出しますので!」
引きずられている男のひとりが頼一に向かって叫んだ。
(どう見てもつまみ出せるようには見えないが……)
入ってきた男は、止めようとしている男たちよりも少なくとも頭ひとつ分は背が高く、腕だけ見てもほかの男たちの二倍以上の太さだった。
半纏こそ着ていなかったが特徴的な黒の腹当、背中から肩、手首にかけて入った刺青。
火消しであることは誰の目にも明らかだった。
「いい、離してやれ」
頼一がよく響く声で言った。
「し、しかし……!」
「いいと言っている」
反論しようとした男に、頼一は鋭い視線を向ける。
「は、はい……」
腕にしがみついていた男たちは一斉に手を離す。
「おまえも、下がれ」
頼一は誰もいない方向に視線を送った。
頼一はしばらくそちらを見つめた後、小さくため息をつく。
「それで、や組の組頭が私に何の用だ?」
頼一の言葉に屈強な男は目を見開く。
「俺のこと、知って……くださってたんですか……?」
「これでも町奉行だからな。特におまえは有名だろう? 『双頭の龍』は私でなくても知っている」
「……それなら話しが早い……」
屈強な男は小さな声で呟くと、頼一の前まで進むと座敷に膝をついた。
「組を代表して、お願いがございます!」
屈強な男は正座すると、膝の上でこぶしを握りしめて真っすぐに頼一を見た。
「ひと月前の火事の調べ直しをお願いしたい!」
頼一はゆっくりと息を吐いた。
「ひと月前の火事というのは、や組の恭一郎に容疑がかかったあの火事か?」
「はい! 恭一郎が火付けなどするはずがありません! どうかもう一度調べていただきたい!」
頼一は目を伏せた。
「あの火事の件は、恭一郎自身が否定しなかったと聞いているが……」
「何も言わなかったのには!……何か……理由があったはずです! どうか、どうかお願いします!!」
屈強な男は深く頭を下げた。
頼一は額に手をあてた。
「調べ直してやりたいところだが……。火付けは火付盗賊改方の管轄だ。私が手出しできるところではない……」
「そんな……! 奴らじゃ、あてにならねぇ! 拷問まがいのことをして、やってもないことで罪に問われたやつが何人いたか……! お願いです! どうか!!」
屈強な男は頭を座敷にこすりつけるように、再び頭を下げた。
頼一は頭を下げたままの男を困ったように見つめる。
「……恭一郎は数日前に亡くなったと聞いた。今さら遅いのではないのか……?」
男は頼一の言葉にゆっくりと頭を上げた。
「死んだからこそです……。あいつは誰よりも火事から人を救うことを考えてきた男です。最期の最後まで……人を助けて……。そんな男が、英雄になるために自分で火をつけて回ってたなんて言われてるんです……。あいつがやってきたすべてが否定されてる! そんなことあっていいはずがねぇ!!」
男の握りしめていたこぶしが震えていた。
「どうか! どうかお願いします!!」
屈強な男が肩を震わせながら頭を下げる姿に、もはや誰も何も言うことはできなかった。
(茶屋の入口あたりで何か問題でもあったのか……)
頼一も咲耶と同じように異変に気づいたらしく、辺りを見渡して何かに目配せをしていた。
「何かあったのでしょうか?」
咲耶は頼一を見る。
「ああ、そのようだな……。だが、心配はない」
頼一は咲耶を見て微笑んだ。
咲耶も微笑み返す。
「そうですね。頼一様がいてくださるので私も安心しております。ただ……」
咲耶は言いかけていた言葉を飲み込む。
ざわめきは明らかにこちらに近づいてきていた。
(こういうときの勘はあまり外れないからな……)
バンという大きな音を立てて、座敷の襖が開け放たれた。
止めようと腕にしがみついている男たちを引きずるようにして、屈強な男が座敷に入ってくる。
芸者たちから悲鳴が上がった。
「も、申し訳ございません! すぐにつまみ出しますので!」
引きずられている男のひとりが頼一に向かって叫んだ。
(どう見てもつまみ出せるようには見えないが……)
入ってきた男は、止めようとしている男たちよりも少なくとも頭ひとつ分は背が高く、腕だけ見てもほかの男たちの二倍以上の太さだった。
半纏こそ着ていなかったが特徴的な黒の腹当、背中から肩、手首にかけて入った刺青。
火消しであることは誰の目にも明らかだった。
「いい、離してやれ」
頼一がよく響く声で言った。
「し、しかし……!」
「いいと言っている」
反論しようとした男に、頼一は鋭い視線を向ける。
「は、はい……」
腕にしがみついていた男たちは一斉に手を離す。
「おまえも、下がれ」
頼一は誰もいない方向に視線を送った。
頼一はしばらくそちらを見つめた後、小さくため息をつく。
「それで、や組の組頭が私に何の用だ?」
頼一の言葉に屈強な男は目を見開く。
「俺のこと、知って……くださってたんですか……?」
「これでも町奉行だからな。特におまえは有名だろう? 『双頭の龍』は私でなくても知っている」
「……それなら話しが早い……」
屈強な男は小さな声で呟くと、頼一の前まで進むと座敷に膝をついた。
「組を代表して、お願いがございます!」
屈強な男は正座すると、膝の上でこぶしを握りしめて真っすぐに頼一を見た。
「ひと月前の火事の調べ直しをお願いしたい!」
頼一はゆっくりと息を吐いた。
「ひと月前の火事というのは、や組の恭一郎に容疑がかかったあの火事か?」
「はい! 恭一郎が火付けなどするはずがありません! どうかもう一度調べていただきたい!」
頼一は目を伏せた。
「あの火事の件は、恭一郎自身が否定しなかったと聞いているが……」
「何も言わなかったのには!……何か……理由があったはずです! どうか、どうかお願いします!!」
屈強な男は深く頭を下げた。
頼一は額に手をあてた。
「調べ直してやりたいところだが……。火付けは火付盗賊改方の管轄だ。私が手出しできるところではない……」
「そんな……! 奴らじゃ、あてにならねぇ! 拷問まがいのことをして、やってもないことで罪に問われたやつが何人いたか……! お願いです! どうか!!」
屈強な男は頭を座敷にこすりつけるように、再び頭を下げた。
頼一は頭を下げたままの男を困ったように見つめる。
「……恭一郎は数日前に亡くなったと聞いた。今さら遅いのではないのか……?」
男は頼一の言葉にゆっくりと頭を上げた。
「死んだからこそです……。あいつは誰よりも火事から人を救うことを考えてきた男です。最期の最後まで……人を助けて……。そんな男が、英雄になるために自分で火をつけて回ってたなんて言われてるんです……。あいつがやってきたすべてが否定されてる! そんなことあっていいはずがねぇ!!」
男の握りしめていたこぶしが震えていた。
「どうか! どうかお願いします!!」
屈強な男が肩を震わせながら頭を下げる姿に、もはや誰も何も言うことはできなかった。