「気持ちは理解できます」
 露草の話を聞き終えると、咲耶は目を伏せて静かに言った。
「ただ、結果として夕里という遊女の名を汚してしまった……。やはり今回の件はするべきではなかったと思います」
 咲耶の言葉を受けて露草も頷く。
「野風ももうわかっていると思うわ。まぁ、これからどうすればいいのかがわからないのでしょうけど……」
 露草は悲し気に微笑んだ。
「今日は本当にありがとうございました。このお礼はいずれ必ず」
 咲耶は露草に頭を下げた。
「いいのよ! そもそもこちらが迷惑をかけたんだから! それに咲耶ちゃんと会えたことが、私にとって一番のご褒美よ!」
 露草は咲耶をうっとりと見つめる。
 咲耶は微笑んだ。
「露草太夫は本当に素敵ですね。情が深くて、器が大きくて、それでいて可愛らしさがあって……。私はこの通り、可愛げがないので本当に見習わなくては……」
 咲耶は自嘲した。
 露草はポカンとした表情で咲耶を見る。
「露草太夫?」
「あ、いえ、なんでもないの!」
 露草は慌てて首を振る。
「それでは、私はこのあたりで。いずみ屋の楼主様も心配されているでしょうし」
「そうね。見世の入り口まで送るわ」
 二人は立ち上がると、露草の部屋を出た。
 廊下に出ると、遊女たちが一斉にそそくさと動き出す気配を感じた。
(聞き耳でも立ててたのかしら……。まったく……)
 露草は遊女たちを横目で見ながら微笑んだ。

 二人で一階へ降りると、いずみ屋の楼主と玉屋の楼主は二人並んで入り口に立っていた。
 玉屋の楼主が咲耶と露草に気づき微笑む。
「咲耶、勉強になったかい?」
「はい。いろいろとお教えいただきました」
 咲耶も微笑む。
「そうか。それでは、我々はこれで」
 玉屋の楼主は露草に向かって頭を下げた。
「いずみ屋さん、それではまた」
 玉屋の楼主は意味深な笑みを浮かべる。
「え、ええ、また」
 いずみ屋の楼主は青ざめたまま、引きつった笑みで応えた。
 玉屋の二人は笑顔で一礼するといずみ屋を後にした。

 
 二人の姿が見えなくなると、いずみ屋の楼主はその場にしゃがみ込んだ。
「あらあら、大丈夫?」
 露草は苦笑する。
「大丈夫に見えるのか……?」
 いずみ屋の楼主は青い顔のまま露草を見上げる。
「ふふふ、大丈夫じゃなさそうね」
 露草はおかしそうに笑った。
「まぁ、でも玉屋さんだもの。悪いようにはしないわよ、きっと」
 露草はそう言うと、いずみ屋の楼主に手を差し出す。
「どうだか……」
 いずみ屋の楼主はうなだれながら、露草の手を取って立ち上がった。

「まぁ、そんなことより……」
 露草はいずみ屋の楼主の目をじっと見つめる。
「な、なんだ……?」
「咲耶ちゃんの姿絵買ってきて」
「はぁ!? このあいだ買ってきたばかりだろ!? それに何より今、本物に会っただろうが!」
「また一段と綺麗になってたの……。きっと新しい姿絵も出ているに違いないわ」
 露草の目は真剣だった。
「おいおい……。玉屋の太夫の姿絵なんて集めてどうするんだよ……。おまえのだって出てるんだから、自分のでも買って飾れよ……」
「あんな卑猥なものいるか!」
 露草はいずみ屋の楼主に詰め寄る。
「ひ、卑猥って自分の絵を……」
「あんなのと一緒にするんじゃない! 咲耶ちゃんは汚れなき天上人なのよ! 咲耶ちゃんの姿絵は宗教画と同じ領域なんだから! 神や仏のように壁に飾って崇めるものなの!」
「同じ太夫なのに……」
 いずみ屋の楼主は露草の勢いに押されてのけぞる。
「今日は咲耶ちゃんとお話しできた記念すべき日なの! この記念に一枚買って!」
「わ、わかったから! もうそれ以上近づくな!」
「買ってきてくれるのね!」
 露草は満足げに微笑むと、後ろに一歩下がった。
「まったく何がそんなにいいんだが……」
 いずみ屋の楼主は息を吐き小さく呟いたが、その声は露草には届いていなかった。
「咲耶ちゃんがねぇ、私のこと素敵だって……。それに、自分のこと可愛げがないって言ったのよ! 信じられる!?」
 露草は遠くを見つめて頬を赤くする。
「可愛い!! 可愛いしかない!! なんて尊いの!? 思わずひざまずきそうになっちゃったぁ!」
 露草は口元を両手で覆い、身をよじる。
「お、おい! そんなことしてないだろうな!?」
 いずみ屋の楼主が慌てる。
「するわけないじゃない! 咲耶ちゃんに変な目で見られちゃう! まぁ、そんな目で見られるのもまたいいけど……。ふふふ」
 露草はうっとりとした表情でまた遠くを見つめる。
 いずみ屋の楼主はそんな露草の様子をしばらく呆然と見つめ続けた後、再び力なくしゃがみ込んだ。
「うちの太夫は変態だ……」
 いずみ屋の楼主は頭を抱えた。