「この漬物もらった!」
野風はそう言うと、隣に座っていた遊女の皿から漬物を奪う。
「ちょっと……! コラ! 野風」
遊女が慌てて野風を見ると、見せつけるように漬物を口に入れるところだった。
「あんたは! なんでいつもそうなのよ!」
「盗られる方が悪いんだよ~」
野風はおどけた調子で笑った。
「野風! あんたねぇ……」
遊女が怒りで顔を赤くするのとほぼ同時に、野風の頭にこぶしが落ちた。
「いったぁ!! 何するんだよ!」
野風が涙目で後ろを向くと、そこには夕里が呆れた顔で立っていた。
「あんたこそ、何してんのよ」
夕里はそのまま野風の頭をわしづかみにする。
「ごめんね。私の漬物あげるから許してやって」
夕里はそのまま野風の頭を机に打ち付けた。
「痛っ! 痛いって姐さん!!」
野風が頭を打ち付けられるのを呆然と見つめていた遊女は、夕里に見つめられてハッと我に返る。
「あ、まぁ……夕里姐さんがそう言うなら……」
「ありがとう。本当にごめんね!」
夕里は遊女に微笑んだ。
野風の向かい側に座って見ていた遊女はフッと笑う。
「あんたたち、ホントに毎朝よくやるねぇ。飽きないの?」
ほかの遊女たちも呆れたように笑った。
いずみ屋では毎朝、細長い机を囲んで遊女たちが一緒に遅めの朝食をとるのが習慣だった。
「姐さんが言ったからだろ! その貧相な体なんとかしろって!」
野風は打ち付けた額をなでながら夕里を見た。
「言ったけど、人の食べ物を盗ってまで肉つけろなんて言ってないでしょう?」
夕里は呆れた目で野風を見る。
「それにあんた、どこに肉つける気なの。腹に肉つけろなんて言ってないからね」
「は、腹に肉なんてついてねぇよ!」
野風は顔を赤くする。
「本当に~?」
夕里が意地の悪い顔で野風の着物に手を伸ばす。
野風が慌てて襟元を寄せる。
「や、やめろよ! 変態! 近づくな!」
「姐さんに変態はないでしょう。ふふふ、お仕置きが必要ね」
「や、やめろって……」
野風は立ち上がると、ゆっくりと後ずさりする。
「ふふふ」
じりじりと距離を詰める夕里に野風の顔が青くなる。
「いいぞ! やれやれ!」
「夕里姐さん、懲らしめちゃって!」
ほかの遊女たちからも次々と声が上がる。
「おい! 見せ物じゃねぇぞ!」
野風が遊女たちに向かって叫ぶ。
「隙あり!」
夕里はその瞬間に野風に抱きついた。
「おい! コラ、離せ! 離せって!!」
「腹の肉はここか? ここだなぁ!」
「やめろ! 触んな!!」
野風の叫びに、遊女たちの笑い声が重なる。
「あら、朝から賑やかねぇ」
二階からひとりの遊女が下りてくる。
「露草太夫! 今日は早いんですね」
遊女たちは一斉に階段を見た。
「そうね……。なんだか目が覚めちゃって……」
少し垂れた目を縁取る長いまつげ、口元のほくろ、襟元がはだけた着物から見える豊満な胸、気だるげな口調、そのすべてから色気が溢れ出ていた。
「野風、あんたが目指すべきはああいう体だよ」
野風の向かいに座っていた遊女は、視線だけで露草を指しながら言った。
「あれは……無理だろ……」
野風は遠い目をして言う。
「うちの太夫をあれとか言わないの!」
夕里は野風の頭を軽く叩く。
「どうしたのぉ?」
露草が夕里を見て口を開く。
「うちの太夫を見習えって話してたんです」
夕里は微笑んで露草を見る。
野風は夕里をちらっと見てから黙って頷いた。
「そんな、私なんて全然ダメよぉ」
露草が慌てて言った。
「私なんかより、そうね……そう! 玉屋の咲耶って子、あの子を見習うべきよ!」
「ああ、天女って言われてる子ですよね!」
「そう! その子! まだ出てきて一年くらいだけど、すっごい綺麗なのぉ! それにすごい貫禄! 私より年下なんて全然思えないわぁ」
露草はうっとりした顔で言った。
「きっとすごく頭もいいのよ。あんな冷めた目、あの年でできるもんじゃないわぁ。ああ……あの目で見つめられながら蔑まれたい!」
露草は頬を赤く染めた。
「……」
遊女たちは何も言えなかった。
「……うちの見世、大丈夫か?」
野風が夕里の耳元で小さく呟く。
再び夕里のこぶしが野風の頭に落ちた。
「痛い……」
「うちはこれでいいのよ。明るくのびのびと! あんたがこんな調子でやってられるのもいずみ屋だからよ! まったく……。ほら、あんたはそろそろ三味線の稽古でもしなさい! もうちょっとで客をとることになるんだから、言葉づかいもいい加減なおしなさいよ!」
野風は頭をなでながら、しぶしぶ頷く。
「……今に見てろよ! すぐ姐さんなんて追い抜かしてやるからな……」
野風が悔しそうに呟く。
それを聞いていた向かい側の遊女がフッと笑う。
「いや、無理だよ。夕里は売れっ妓の部屋持ちだ。本来なら朝飯も部屋で食べててもいい身分なんだから。いつまでもここで一緒に食べてなくてもいいんだよ、夕里」
遊女は夕里を見て言った。
「前にも言ったじゃないですか。私はみんなで食べるのが好きなんです」
夕里は微笑んでから、野風に視線を移した。
「ほら、私を追い抜く気なら、さっさと行く!」
「わ、わかったよ」
野風は急いで二階に向かう。
「優しいねぇ」
遊女は微笑むと目を伏せた。
「ふふふ、これからじっくり教育していきますよ」
夕里はそう言うと、去っていく野風の後ろ姿をずっと優しい眼差しで見つめていた。
野風はそう言うと、隣に座っていた遊女の皿から漬物を奪う。
「ちょっと……! コラ! 野風」
遊女が慌てて野風を見ると、見せつけるように漬物を口に入れるところだった。
「あんたは! なんでいつもそうなのよ!」
「盗られる方が悪いんだよ~」
野風はおどけた調子で笑った。
「野風! あんたねぇ……」
遊女が怒りで顔を赤くするのとほぼ同時に、野風の頭にこぶしが落ちた。
「いったぁ!! 何するんだよ!」
野風が涙目で後ろを向くと、そこには夕里が呆れた顔で立っていた。
「あんたこそ、何してんのよ」
夕里はそのまま野風の頭をわしづかみにする。
「ごめんね。私の漬物あげるから許してやって」
夕里はそのまま野風の頭を机に打ち付けた。
「痛っ! 痛いって姐さん!!」
野風が頭を打ち付けられるのを呆然と見つめていた遊女は、夕里に見つめられてハッと我に返る。
「あ、まぁ……夕里姐さんがそう言うなら……」
「ありがとう。本当にごめんね!」
夕里は遊女に微笑んだ。
野風の向かい側に座って見ていた遊女はフッと笑う。
「あんたたち、ホントに毎朝よくやるねぇ。飽きないの?」
ほかの遊女たちも呆れたように笑った。
いずみ屋では毎朝、細長い机を囲んで遊女たちが一緒に遅めの朝食をとるのが習慣だった。
「姐さんが言ったからだろ! その貧相な体なんとかしろって!」
野風は打ち付けた額をなでながら夕里を見た。
「言ったけど、人の食べ物を盗ってまで肉つけろなんて言ってないでしょう?」
夕里は呆れた目で野風を見る。
「それにあんた、どこに肉つける気なの。腹に肉つけろなんて言ってないからね」
「は、腹に肉なんてついてねぇよ!」
野風は顔を赤くする。
「本当に~?」
夕里が意地の悪い顔で野風の着物に手を伸ばす。
野風が慌てて襟元を寄せる。
「や、やめろよ! 変態! 近づくな!」
「姐さんに変態はないでしょう。ふふふ、お仕置きが必要ね」
「や、やめろって……」
野風は立ち上がると、ゆっくりと後ずさりする。
「ふふふ」
じりじりと距離を詰める夕里に野風の顔が青くなる。
「いいぞ! やれやれ!」
「夕里姐さん、懲らしめちゃって!」
ほかの遊女たちからも次々と声が上がる。
「おい! 見せ物じゃねぇぞ!」
野風が遊女たちに向かって叫ぶ。
「隙あり!」
夕里はその瞬間に野風に抱きついた。
「おい! コラ、離せ! 離せって!!」
「腹の肉はここか? ここだなぁ!」
「やめろ! 触んな!!」
野風の叫びに、遊女たちの笑い声が重なる。
「あら、朝から賑やかねぇ」
二階からひとりの遊女が下りてくる。
「露草太夫! 今日は早いんですね」
遊女たちは一斉に階段を見た。
「そうね……。なんだか目が覚めちゃって……」
少し垂れた目を縁取る長いまつげ、口元のほくろ、襟元がはだけた着物から見える豊満な胸、気だるげな口調、そのすべてから色気が溢れ出ていた。
「野風、あんたが目指すべきはああいう体だよ」
野風の向かいに座っていた遊女は、視線だけで露草を指しながら言った。
「あれは……無理だろ……」
野風は遠い目をして言う。
「うちの太夫をあれとか言わないの!」
夕里は野風の頭を軽く叩く。
「どうしたのぉ?」
露草が夕里を見て口を開く。
「うちの太夫を見習えって話してたんです」
夕里は微笑んで露草を見る。
野風は夕里をちらっと見てから黙って頷いた。
「そんな、私なんて全然ダメよぉ」
露草が慌てて言った。
「私なんかより、そうね……そう! 玉屋の咲耶って子、あの子を見習うべきよ!」
「ああ、天女って言われてる子ですよね!」
「そう! その子! まだ出てきて一年くらいだけど、すっごい綺麗なのぉ! それにすごい貫禄! 私より年下なんて全然思えないわぁ」
露草はうっとりした顔で言った。
「きっとすごく頭もいいのよ。あんな冷めた目、あの年でできるもんじゃないわぁ。ああ……あの目で見つめられながら蔑まれたい!」
露草は頬を赤く染めた。
「……」
遊女たちは何も言えなかった。
「……うちの見世、大丈夫か?」
野風が夕里の耳元で小さく呟く。
再び夕里のこぶしが野風の頭に落ちた。
「痛い……」
「うちはこれでいいのよ。明るくのびのびと! あんたがこんな調子でやってられるのもいずみ屋だからよ! まったく……。ほら、あんたはそろそろ三味線の稽古でもしなさい! もうちょっとで客をとることになるんだから、言葉づかいもいい加減なおしなさいよ!」
野風は頭をなでながら、しぶしぶ頷く。
「……今に見てろよ! すぐ姐さんなんて追い抜かしてやるからな……」
野風が悔しそうに呟く。
それを聞いていた向かい側の遊女がフッと笑う。
「いや、無理だよ。夕里は売れっ妓の部屋持ちだ。本来なら朝飯も部屋で食べててもいい身分なんだから。いつまでもここで一緒に食べてなくてもいいんだよ、夕里」
遊女は夕里を見て言った。
「前にも言ったじゃないですか。私はみんなで食べるのが好きなんです」
夕里は微笑んでから、野風に視線を移した。
「ほら、私を追い抜く気なら、さっさと行く!」
「わ、わかったよ」
野風は急いで二階に向かう。
「優しいねぇ」
遊女は微笑むと目を伏せた。
「ふふふ、これからじっくり教育していきますよ」
夕里はそう言うと、去っていく野風の後ろ姿をずっと優しい眼差しで見つめていた。