弥吉は布団で眠る信の枕元に腰を下ろした。
どこか苦しげな顔で眠る信を見つめながら、弥吉は小さく息を吐いた。
(一体、信さんに何があったんだ……?)
屋敷を訪れた日から二日が経った。
あの日、良庵の長屋で信を診てもらったが、信の体に異常は見つからなかった。
弥吉は目を伏せる。
良庵の言葉が、弥吉の頭から離れなかった。
『まぁ、精神的なものだろうな……。こいつもいろいろあったみたいだから、昔のことでも思い出したんだろう』
良庵はそれだけ言うと、静かに口を噤んだ。
弥吉は信の顔を見つめる。
(俺は、信さんのこと……何も知らないからな……)
弥吉は唇を噛んだ。
信を監視しろと言われた理由も、以前信が死にかけたと言っていた出来事も、咲耶が信を助けたという状況も、弥吉は何ひとつ知らなかった。
(聞いたら話してくれるのかな……?)
弥吉は静かに目を閉じ、首を横に振った。
(いや、きっと話してもらえない……。でも、それでいいんだ。信さんが話したくないことを、無理に知りたいとは思わないし……)
弥吉はゆっくりと目を開ける。
信は相変わらず、苦しそうな顔で眠り続けていた。
良庵からもらった薬が効いているのか、信は長屋に戻ってからほとんどの時間を眠って過ごしていた。
「信さん、俺は……」
弥吉がそう口にしたとき、長屋の戸を叩く音が聞こえた。
「あ、はい……!」
弥吉が慌てて返事をして戸を見ると、障子に人影が映っていた。
障子に映った影は大人にしては背が低かった。
(子ども……?)
弥吉は立ち上がると、ゆっくりと戸に近づく。
「あの……どなたですか……?」
弥吉は戸の障子越しに聞いた。
「突然申し訳ありません……。人を探しておりまして……」
まだ幼さが残る声で、少年が答えた。
弥吉はゆっくりと戸を開ける。
そこには弥吉と同じくらいの年の少年が立っていた。
少年は弥吉を見ると、静かに頭を下げる。
品のある所作と質の良さそうな着物。明らかに武家の子どもだった。
(どうして武家の子どもが……こんなところに……)
弥吉は静かに少年を見た。
「すみません……」
少年は頭を上げると、弥吉を真っすぐに見つめた。
「人を探しております。この辺りに、薄茶色の髪をした男が住んでいると聞いたのですが、どこの長屋かご存じありませんか?」
弥吉の胸がドクッと嫌な音を立てた。
口の中が急激に渇いていく。
弥吉には、少年の目の奥に隠しきれない憎悪があるのが見えた。
弥吉は不自然にならないように外を見るフリをして、長屋の外に出るとゆっくりと戸を閉めた。
「薄茶色の髪……ですか? ああ、あの人かな……。そうですね……。見かけたことはありますけど、どこに住んでいるのかまでは……」
弥吉は考えているような素振りをしながら少年を見た。
「お力になれず申し訳ありません……」
弥吉は自分の速くなる鼓動が、少年に聞こえていないか心配だった。
信がここにいることを知られてはいけないと、弥吉の本能が言っていた。
「そうですか……。この辺りだと聞いたのですが……」
少年の目が明らかに冷たくなった。
「この辺りといってもたくさんの人が住んでいますから。私が知らないだけで、この近くに住んでいるのかもしれないですね」
弥吉は怪しまれないように、微笑みながら言った。
「そうですか……」
少年の口調は丁寧だったが、その声はひどく冷たかった。
「ところで、あなたはここにひとりで住んでいるのですか?」
「まさか。母と一緒に住んでいます」
「では、お母様にも話しを聞きたいのですが、呼んできていただけないでしょうか?」
少年は淡々とした口調で言った。
弥吉は少年を見つめる。
(疑われてるな……。信さんがここにいるって確信でもあるのか……?)
弥吉は考えを読まれないように注意しながら、申し訳なさそうな顔を作った。
「すみません。母は仕事に出ていて今いないんです。帰ってきたら、母にも聞いてみますね」
「いえ、ぜひ直接お話しが聞きたいです。中で待たせてもらえませんか?」
少年はそう言うと、真っすぐに弥吉を見た。
(引き下がらない気か……)
弥吉は眉をひそめる。
「あの……、それは……!」
弥吉が口を開きかけたとき、長屋の戸が開く音がした。
「もういい、弥吉」
静かな声が響く。
少年の目が見開かれ、怒りでその顔が歪む。
弥吉は、顔から血の気が引いていくのを感じた。
恐る恐る振り返ると、そこには信が立っていた。
「信さん……、どうして……」
弥吉は絞り出すように言った。
「もういい」
信はもう一度そう言うと、弥吉の肩に手を置き、どこか悲しげな眼差しを少年に向けた。
弥吉は少年に視線を戻す。
怒りに満ちた少年の目に、もう弥吉は映っていなかった。
どこか苦しげな顔で眠る信を見つめながら、弥吉は小さく息を吐いた。
(一体、信さんに何があったんだ……?)
屋敷を訪れた日から二日が経った。
あの日、良庵の長屋で信を診てもらったが、信の体に異常は見つからなかった。
弥吉は目を伏せる。
良庵の言葉が、弥吉の頭から離れなかった。
『まぁ、精神的なものだろうな……。こいつもいろいろあったみたいだから、昔のことでも思い出したんだろう』
良庵はそれだけ言うと、静かに口を噤んだ。
弥吉は信の顔を見つめる。
(俺は、信さんのこと……何も知らないからな……)
弥吉は唇を噛んだ。
信を監視しろと言われた理由も、以前信が死にかけたと言っていた出来事も、咲耶が信を助けたという状況も、弥吉は何ひとつ知らなかった。
(聞いたら話してくれるのかな……?)
弥吉は静かに目を閉じ、首を横に振った。
(いや、きっと話してもらえない……。でも、それでいいんだ。信さんが話したくないことを、無理に知りたいとは思わないし……)
弥吉はゆっくりと目を開ける。
信は相変わらず、苦しそうな顔で眠り続けていた。
良庵からもらった薬が効いているのか、信は長屋に戻ってからほとんどの時間を眠って過ごしていた。
「信さん、俺は……」
弥吉がそう口にしたとき、長屋の戸を叩く音が聞こえた。
「あ、はい……!」
弥吉が慌てて返事をして戸を見ると、障子に人影が映っていた。
障子に映った影は大人にしては背が低かった。
(子ども……?)
弥吉は立ち上がると、ゆっくりと戸に近づく。
「あの……どなたですか……?」
弥吉は戸の障子越しに聞いた。
「突然申し訳ありません……。人を探しておりまして……」
まだ幼さが残る声で、少年が答えた。
弥吉はゆっくりと戸を開ける。
そこには弥吉と同じくらいの年の少年が立っていた。
少年は弥吉を見ると、静かに頭を下げる。
品のある所作と質の良さそうな着物。明らかに武家の子どもだった。
(どうして武家の子どもが……こんなところに……)
弥吉は静かに少年を見た。
「すみません……」
少年は頭を上げると、弥吉を真っすぐに見つめた。
「人を探しております。この辺りに、薄茶色の髪をした男が住んでいると聞いたのですが、どこの長屋かご存じありませんか?」
弥吉の胸がドクッと嫌な音を立てた。
口の中が急激に渇いていく。
弥吉には、少年の目の奥に隠しきれない憎悪があるのが見えた。
弥吉は不自然にならないように外を見るフリをして、長屋の外に出るとゆっくりと戸を閉めた。
「薄茶色の髪……ですか? ああ、あの人かな……。そうですね……。見かけたことはありますけど、どこに住んでいるのかまでは……」
弥吉は考えているような素振りをしながら少年を見た。
「お力になれず申し訳ありません……」
弥吉は自分の速くなる鼓動が、少年に聞こえていないか心配だった。
信がここにいることを知られてはいけないと、弥吉の本能が言っていた。
「そうですか……。この辺りだと聞いたのですが……」
少年の目が明らかに冷たくなった。
「この辺りといってもたくさんの人が住んでいますから。私が知らないだけで、この近くに住んでいるのかもしれないですね」
弥吉は怪しまれないように、微笑みながら言った。
「そうですか……」
少年の口調は丁寧だったが、その声はひどく冷たかった。
「ところで、あなたはここにひとりで住んでいるのですか?」
「まさか。母と一緒に住んでいます」
「では、お母様にも話しを聞きたいのですが、呼んできていただけないでしょうか?」
少年は淡々とした口調で言った。
弥吉は少年を見つめる。
(疑われてるな……。信さんがここにいるって確信でもあるのか……?)
弥吉は考えを読まれないように注意しながら、申し訳なさそうな顔を作った。
「すみません。母は仕事に出ていて今いないんです。帰ってきたら、母にも聞いてみますね」
「いえ、ぜひ直接お話しが聞きたいです。中で待たせてもらえませんか?」
少年はそう言うと、真っすぐに弥吉を見た。
(引き下がらない気か……)
弥吉は眉をひそめる。
「あの……、それは……!」
弥吉が口を開きかけたとき、長屋の戸が開く音がした。
「もういい、弥吉」
静かな声が響く。
少年の目が見開かれ、怒りでその顔が歪む。
弥吉は、顔から血の気が引いていくのを感じた。
恐る恐る振り返ると、そこには信が立っていた。
「信さん……、どうして……」
弥吉は絞り出すように言った。
「もういい」
信はもう一度そう言うと、弥吉の肩に手を置き、どこか悲しげな眼差しを少年に向けた。
弥吉は少年に視線を戻す。
怒りに満ちた少年の目に、もう弥吉は映っていなかった。