伝えたい想いは歌声と共に

 場所は変わって、ここは軽音部室。
 体育館での片づけを終えた後、私たちは全員でここに移って、それぞれもう一度自己紹介をする。

「それでは改めまして、今日から軽音部顧問になった、大沢泉です。さっきも言ったけど、この学校の卒業生で、元軽音部。当時はドラムをやっていました」

 改めて見ても、大沢先生はとてもきれいな顔立ちをしてて、十分に美人って言っていい。

 今になって思い出したけど、昔文化祭のステージでユウくんの隣にいるのを見た時も、綺麗な人だなって思った気がする。

 今までユウくん以外のメンバーの顔なんて忘れていたのに、こうして本人を目の前にすることで、埋もれていた記憶が嘘のように掘り起こされていた。

「当時はって、今はやってないんですか?」 
「高校を卒業してからは、あんまりやらなくなったのよね。たまに練習することはあったけど、本格的にドラムを叩いたのは、ずいぶん前になるわね。今だってできないことは無いと思うけど、きっともう、当時の私の演奏とは違ってきているわ。それに、二人のやっているギターやベースも専門じゃないから、教えてほしいって言われても難しいわね」

 そうなんだ。
 できたら、演奏してるところを見てみたかった。
 けど、大沢先生の話はまだ終わらない。

「でも、練習メニューの管理とか、打ち込み作業。あと必要ならライブハウスの手配とか、そういうサポートならできると思う」
「本当ですか?」

 私も三島も全然初心者で、何をやるにしてもほとんど手探り。
 そんな私たちにとって、それはとてもありがたいことだった。

「でも、いいんですか? 顧問の先生はたまに見に来るだけだって聞いてたんですけど?」
「私がいた頃はそんな感じだったけど、今もそうなのね。だけど、何も手を貸しちゃいけないって決まりは無いわ。もちろん、あなた達が全部自分でやりたいって言うなら、余計な口出しはしないわ」
「いえ、そういうのはわからないことだらけなので、手伝ってもらえるなら助かります」

 力になってもらえるなら、もちろんその方が嬉しかった。

「私も、今年先生になったばかりだし、もちろん顧問になるのも初めてだけど、できる限りのことはするわ」
「ありがとうございます!」

 こうして、大沢先生の顧問就任の挨拶は一段落ついたんだけど、私にはまだまだ聞きたいことが残っていた。
 もちろん、ユウくんについてだ。

「あの、先生がまだここの生徒だった頃、ユウくん……有馬優斗くんもいたんですよね」

 実はと言うと、さっきからずっとこれを聞きたくて仕方なかった。
 すると、大沢先生は嬉しそうに言う。

「そうよ。驚いたわ。まさか、こんな形で有馬君の知り合いに会えるなんて」

 まさかと言うなら、そのユウくんが今幽霊になっているなんて、まさか夢にも思ってないだろうな。

 大沢先生には見えないけど、実はユウくんはさっきからずっと私たちのそばにいて、今までの話を全部聞いていた。

「そう言えば、前に先生になりたいって言ってたっけ。夢、叶ったんだな」

 懐かしそうに、そんなことを言う。
 ステージ発表の直前、ユウくんが急にいなくなったけど、その理由がようやくわかった。

 あの時ユウくんは、大沢先生の姿を見かけたんだ。
 同級生が、それも同じ部活の仲間が先生になってるんだから、驚いて確かめたくなるのも納得だ。

 その大沢先生はというと、私を見てニコリと笑う。

「藍ちゃん。あなたのこと、有馬くんからよく聞いてたの。近所に妹みたいな子がいるって、何度も何度も話していたわ」
「何度も何度もってそんなにですか?」
「そうよ。もう何年も前のことなのに、すぐに思い出すくらいにね」

 ユウくん、いったいどれだけ私のこと話してたの?
 知らない所でそんなに話題に上がっていたんだって思うと、何だか恥ずかしい。

「そんなにたくさん話してたかな? 別に普通だったと思うけど」

 ユウくんを見ると、その自覚がないのか首を傾げている。
 けどなんとなく、大沢先生の言ってる通り、何度も何度も私の話してたんだろうなって気がする。

「あんまり話すものだから、一度会ってみたいなって思ってたのよね。だけど、まさかこんな形で会えるなんてね」

 大沢先生も言ってて楽しくなってきたみたいで、顔を綻ばせながら、なおも当時の話を語ろうとする。
 もちろん私も、もっと色々話を聞きたくて、ワクワクしながら耳を傾ける。

「そうそう、こんな事もあったわね。文化祭の前に、有馬くん、私にこんなことを言ってきたのよ──」

 けどそこまで話したところで、それまで黙って聞いていたユウくんが、急に三島に向かって言った。

「三島。何でもいいから、話題を変えてくれ」
「えっ?」

 驚く三島。
 そもそも、話題の中心がユウくんのことに移ってからは、三島はあまり会話に入れていなかった。
 なのにいきなり話題を変えろって言われても、何を言えばいいのかわからないのかも。
 けど、ユウくんは急かす。

「早く!」
「わ、わかったよ」

 ユウくん、いったいどうしたの?

 戸惑ってるのは、三島も同じ。だけど、それでも言われた通り、何かしなきゃって思ったみたい。

 そうして、話題を変えるため、咄嗟に言ったのがこれだった。

「あのっ、もしかして二人って、付き合ってたりしてたんですか?」

 その瞬間、大沢先生は、喋るのを忘れてポカンとする。

 話をしている最中に、いきなりこんなことを聞かれたんじゃ無理ないよね。

 そのせいで話も途切れちゃったから、一応ユウくんがお願いした通り、話題を変えるって意味では成功したのかも。

 けどその結果、なんだか変な空気になっちゃった。

「……そりゃ、何でもいいとは言ったけどさ」

 そう言ったユウくんを、三島は睨むように見る。
 三島も、自分の言ったことを後悔してるのかも。

 だけど、だけどね。
 そんな中私だけが、大沢先生がなんて答えるか、すっごく気になってた。

(どうなんだろう? ユウくん、彼女がいるなんて一度も言ったこと無かったよね。でも同じ軽音部でバンドメンバーだし、仲は良かったのは間違いなさそう。そう言えば、他のメンバーの話をする時、いつも凄く楽しそうだった。それに先生、美人だしスタイルだっていいし、男子からの人気もあったんじゃないかな?)

 ドキドキしながらあれこれ想像するけど、ユウくんの恋愛事情なんて、さっぱりわからない。
 そういうこと、本当に全然、これっぽっちも聞いたことなかった。

(も、もしも、実は付き合ってたなんて言ったらどうしよう)

 もう昔の話。なんて言っても、昨日幽霊になったユウくんにとって、生きてた頃ってのはついこの前みたいなものだよね。

 おまけの、大沢先生は私とは全然タイプが違うし、もしもユウくんの好みがこういう人なら、私じゃどう頑張ってもむりかも。

 すっごく不安になるけど、そこで大沢先生は、笑って首を横にふった。

「期待に沿えなくて申し訳ないけど、私と有馬君は、そういう関係じゃなかったわ。仲は良かったと思うけど、あくまで友達としてよ」

 よ、よかった……

 心の底からホッとした。
 これでもし付き合っていましたなんて言われたら、どうなってたかわからない。

 心底安心した私とは違って、元々の質問をした三島の反応は、実にあっさりしていた。

「あっ、そうなんですか。失礼しました」

 三島にしてみれば、ユウくんに言われて話題を変えるのが目的だったんだから、そう興味もなかったみたい。

 だけどそれから、大沢先生はさらに言う。

「そもそも有馬君、誰かと付き合う気は無かったみたい。女の子から告白されたことは何度かあったけど、どれも断ってたわ」

 …………えっ?

 先生、今なんと?
 こ、こ、告白された!?

「ゆ、ユウくん、女の子から告白された事ってあるんですか! 断ったって、どうして⁉」

 ようやく大人しくなった心臓が、またドキドキ音を立てる。

 どの告白も断ったってのは、私にとってはよかったこと。
 それでも、何度も告白されたことがあるというのは、かなりの衝撃だった。

(一人くらい、付き合おうって思える人はいなかったのかな?)

 すっごく気になるけど、大沢先生から聞けた話はそこまでだった。

「ごめんなさい。私も、何でかまでは知らないの」
「そ、そうですか……」

 知らないのなら、どうしようもない。

 そもそもよく考えたら、こんなの根掘り葉掘り聞くような話じゃないよね。
 今さらそれに気づいて、恥ずかしくなる。

(ごめん、ユウくん。こんなこと聞こうとして、嫌じゃなかった?)

 そう思ってチラリとユウくんを見るけど、ユウくんは何も言うことなく、微妙な表情を浮かべるだけだった。

 その日の夜。私は自分の部屋で、学校で出された宿題をやっていた。
 ううん。やろうとして机に向かってはいるんだけど、全然集中できなくて、さっきからちっとも進んでない。

 頭の中は、問題でなく別のことでいっぱいだった。

(ユウくん、告白されたことあるんだ。カッコいいし、好きになる人がいてもおかしくないよね。しかも何度かって言ってたから、相手は一人じゃないんだ。全部断ったって言ってたけど、どうしてだろう? 一人くらい、付き合ってみようって人いなかったのかな? ……まあ、いても困るけど。もしかして、誰か他に好きな人がいて、だからみんな断ったんじゃ……)

 学校で大沢先生からこの話を聞いて以来ずっと気になっていたけど、今のところ、それをユウくんに聞いてはいない。
 聞くのが怖い気もするし、そもそも聞いていい話かどうかもわからない。

(けどこんなに気になるなら、思い切って聞いてみた方がいいのかも)

 ずっとこんなこと考えてるんだから、宿題になんて集中できるわけないよね。
 なんて思ってたら……

「どこかわからない所でもあるのか?」
「ひゃあ!」

 突然、今まで考えていたユウくん本人に声をかけられて、素っ頓狂な声をあげる。

 ユウくんは、私が宿題をする邪魔にならないように押入れの中に引っ込んでいたから、全くの不意打ちだった。

「ごめん、脅かした? ずいぶん唸ってたから、よほど苦手な問題があったのかなって思って」
「私、そんなに唸ってた?」
「けっこう。押し入れの中でも聞こえるくらい」
「~~~~っ!」

 そうなの!?
 恥ずかしくなって、思わず顔を覆う。
 そんなことになってたなんて、全然自覚が無かった。

「わからない所があるのは悪い事じゃないよ。これからゆっくり解き方を覚えていけばいいんだから」

 本当は、ずっとユウくんのことを考えてたんだけど、それを知らないユウくんは、私がちゃんと宿題をして悩んでるんだと思ってる。

 ごめん。宿題のとこは、二の次みたいになってました。

 それでも、なんとか話を合わせるため、適当な問題を指さす。

「これ。これがどうしてもわからないの」
「ああこれか。教えてやろうか?」
「いいの?」
「どうせやること無いし、構わないよ」

 適当に言ったことなのに、これで手伝わせるなんてなんだか申し訳ないけど、ここで断ったら変に思われるかも。

 ここは、素直に頼ることにする。

「お願いします」
「わかった。じゃあまずはここだけど……」

 わからないって言った問題は適当に指しただけだったけど、今やってるのは私が一番苦手な数学で、真面目にやろうとしても苦戦しそう。

 ユウくんは、そんな問題を覗き込みながら、一つ一つ解説していく。

 ユウくんが生きていた頃も、こんな風に宿題を見てもらうことは何度もあった。
 ユウくんはただ答えをそのまま言うんじゃなくて、どうやったら解き方がわかるのかを考え、丁寧に教えてくれていた。
 そしてユウくんが教えてくれるなら、私も、学校の授業よりもずっとずっと張り切って勉強できた。

「よく頑張ったな」

 全ての問題が終わってシャープペンを置くと、ユウくんはニッコリ笑って、私の頭を撫でる仕草をする。
 勉強を教えてもらった後、いつも最後はこうして褒めてくれた。

「もう。またすぐに頭撫でて。私ももう子供じゃないんだから」
「あっ、ごめん。つい癖になってるみたいだ」

 ユウくんの感覚からすれば、私が小学生だったのも、こうして頭を撫でていたのも、つい先日のこと。染みついた癖は、なかなか消えてくれないみたい。

「ううん。ありがとう。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しいから」

 私だって、小学生の頃と同じ対応ってのは色々思うところがあるけど、褒められることや頭を撫でてもらえることは、決して嫌じゃなかった。

「それにしても、藍の解く問題も難しくなったな。もう少ししたら、俺が教えるのも無理になるかも」

 ふと、ユウくんがポツリと言う。
 それを聞いて、私は少し切ない気持ちになった。

 昔は、高校生のユウくんが、小学生の私に勉強を教えていた。
 それが今は、高校2年生のユウくんが、一年生の私に教えてる。
 学年で言えば、わずかひとつ差だ。

 もしもこのまま一年も経てば、私はユウくんの年齢に追いつく。
 生きている人間と幽霊とでは、時の流れが違うのだと、改めて思い知らされた気がした。

 っていっても、ユウくんがそんなに長い間この世にいられるかなんてわからない。
 どうやったら成仏するのかなんて知らないけど、もしかしたら、明日になったら消えてしまうことだってあるのかもしれない。

 そう思うとなんだか焦りが出てくる。今のうちに、もっとたくさん話をしておきたくなる。
 聞きたいことは、全部聞いてみたくなる。

「ねえユウくん、聞いても良い?」
「なに? 他にもわからないところがあるのか?」
「違うの。学校で大沢先生が言ってたことなんだけど……」

 話したいことなんて沢山あるし、きっと一日中話をしても無くならない。
 だけど、今一番聞きたいのは、やっぱりこれだった。

「告白されたのに、どうして誰とも付き合わなかったの?」

 その瞬間、ユウくんは少しだけ困ったような顔をした。

(やっぱり、聞かない方がよかったかな?)

 勢いにまかせて聞いてしまったのを、早くも後悔する。
 だけど一度言ってしまった以上、なかったことにするのは無理だった。

「その話、気になる?」
「えっと……どうしてかなって、少し気になったんだけど、話したくないなら別にいいから」
「いや、別にそういうわけじゃないんだ。聞いてもつまらないって思っただけ。それでも聞きたいなら話すけど、どうする?」
「えっと……」

 どうしよう。
 もちろん、ユウくんが話したくないなら、無理言って聞こうなんて思わない。
 けど、聞きたいと言ったら、意外とすんなり話してくれる?

 それに、知りたいか知りたくないかと問われると、やっぱり知りたかった。

 ちょっとの間に、迷って迷って、それでも結局こう言った。

「……うん。聞いてもいい?」

 それを聞いて、ユウくんは一息ついてから話し始めた。

「わかった。って言っても、大した話じゃないんだけどな。特別、その子達とは付き合いたいって思えなかった。それだけなんだ」
「でも、告白されたのって一度じゃないんだよね。付き合いたいって思った人、一人もいなかったの?」
「ああ。相手がどんな人かじゃなくて、俺自身の問題かな。そういう風に思ってくれたのは嬉しかったけど、俺には誰かと恋愛する気なんてなかったんだ」

 ユウくんは、特に感情を見せること無く、淡々と話してる。
 だけどそれを聞いて、私はなぜか不安になった。

 誰かと恋愛する気はない。その言葉に、酷く胸がザワザワする。

 これ以上聞いちゃいけない。頭の中でそんな警鐘が鳴る。
 だけどその一方で、もっと知りたいという思いも、より一層膨れ上がっていた。

「じゃ、じゃあ……どんな子なら付き合いたいって思うの?」
「相手が誰でも、そんな風には思えないかもしれないな。もし付き合ったとしても、いつまで続くかわからない。いつかは別れるかもしれない。そんな風に、つい考えるんだ。というわけで、恋愛として誰かを好きになるってのが、よくわからない」

 その瞬間、今までほとんど無表情だったのが、僅かに揺らいだ気がした。

 ユウくんの言ってることは、ただ恋愛に無関心なだけのようにも思える。

 でも、本当にそれだけ?

 もし付き合ったとしても、いつかは別れるかもしれない。

 多分だけど、ユウくんがどうしてそんな風に考えるようになったか、その理由に心当たりがあった。

 それに気づいて、後悔する。

(これ、聞いちゃダメなやつだった)

 どうして迂闊に、聞きたいなんて言ったんだろう。途中で話を終わりにしなかったんだろう。

 ユウくんは、私が聞けばきちんと答えてくれる。そんなの、わかってることだ。
 だからこそ、軽い気持ちで聞くべきことじゃなかった。

「何だか、藍相手にこんな話をするのは、変な感じだな……藍?」

 気がつけば、私は小さく俯いていた。
 それを見て、ユウくんは不思議そうに声をかける。

「……ごめんなさい」
「なにが?」

 ユウくんは、どうして私が謝るのかわかっていない。
 けど私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。

「だって、急に変なこと聞いちゃって……」
「何だ、そんなこと? 別にいいよ、これくらい」

 本当にいいの?
 私は、そうは思わない。

 だってユウくん、今は気にしないでって言って笑ってるけど、話している途中、時々悲しそうな表情を浮かべてた。
 もしかすると、ユウくん自身は、それに気づいてないのかもしれない。

「俺こそ、つまらない話でごめんな。そういうわけだから、俺が誰かを好きになるのなんて、イメージできない。もしかしたら、俺は人より冷めたいのかもしれない」

 ユウくんは相変わらず笑いながら、冗談っぽく言う。
 けれど、その瞳は微かに揺れていた。笑っているはずのその顔が、ちっとも楽しそうには見えなかった。

 そんなユウくんを見て、胸の奥がズキリと傷む。そして、気が付くと叫んでいた。

「そんなこと無い! ユウくんは、冷たくなんかない」

 突然叫んだ私を見て、ユウくんは目を丸くする。

 私だって、こんなこと言うなんて自分でも思っていなかった。
 それでも、言わずにはいられなかった。
 自分のことを冷たいと言ったユウくんの言葉を、否定したかった。

「ねえ、私でもだめ?」

 どうしてだろう。気が付くと、さらにそんなことを言っていた。

 どうして今これを言ったのか。それは私にもわからない。
 けど今のユウくんを見ていると、ユウくんの抱えていたものを思うと、いても立ってもいられなくなって、勝手に言葉が出てきてた。

「私がユウくんのことを好きって言っても、ダメ?」
(わ、私、何言ってるんだろう)

 思わず言ってしまった言葉。
 けどそれからすぐに、自分が大変なことをしたって気づく。

 こんなの、どう考えても告白になっちゃう!

 そりゃ、ユウくんのことはずっと好きだったし、いつかはこの気持ちを伝えたいなんて思ってた。
 けど、今それを言う気なんてなかったのに!

 どうしよう。どうしよう!

「ち……違うの。これは、その……」

 慌てて誤魔化そうとするけど、こうまでハッキリ言っちゃったんだから、どうしていいのかわからない。

 いきなりこんなこと言われて、ユウはどう思ってる?
 引いてない? 迷惑じゃない?

 気になるけど、知るのが怖い。
 もしも面と向かって断られたりしたら、二度と立ち直れないような気がした。

「……藍」
「は、はい!」

 名前を呼ばれただけで、びくりと肩が震える。
 その続きを聞くのが怖くて、耳を塞ぎたくなる。
 だけどそうする間もなく、ユウくんはさらに続けた。

「ありがとな」
「…………えっ?」

 その瞬間、時が止まったような気がした。俯いていた顔を上げると、ユウくんはにこやかに微笑んでいた。

「藍にそう言ってもらえて、すごく嬉しいよ」

 優しい声でそう告げるユウくん。だけど、それを見て思う。

(……違う)

 きっと、嬉しいって言葉に嘘はない。ユウくんは、喜んでくれている。
 多分、それは間違いない。

 けど、それだけ。
 嬉しいだけで、私が感じているような緊張もドキドキも、ユウくんには無い。
 それに気づいた時、急に心の奥が冷たくなっていくのを感じた。

「俺も、藍のこと好きだよ」

 ユウはそう言いながら、私の頭を撫でる仕草をする。
 この好きって言葉にも、一切の嘘はないんだろうな。
 けど、わかってしまう。
 ユウくんの言ってる好きは、私が言った恋としての好きとは、同じじゃないってことを。

「それって、私が妹だから?」

 これを聞くのは、自分から傷つきに行くようなもの。
 それでも尋ねると、ユウくんは一切の悪意無く、笑顔でこう告げる。

「もちろんだよ。藍のこと、本当の妹みたいに思ってる」

 違うって言いたかった。
 私の言う好きは、そういう意味じゃないって伝えたかった。
 妹でなく、一人の女の子として見てもらいたかった。

 だけど、それはとても怖いことでもあった。
 この気持ちを伝えてしまったら、今まで通りの関係じゃいられなくなる。
 口にすることはできなかった。

 恋愛として誰かを好きになるってのが、よくわからない。
 なんて聞いた後なら、なおさらだ。

 だから、この話はこれで終わりにする。
 このまま話を続けていたら、今度こそ気持ちが抑えられなくなりそうだったから。

 動揺しているのを悟られないように笑顔を作って、今までとは全く関係の無い話題を出す。
 わざと明るい声を出して、強引に話の流れを変える。

「それにしても今日は疲れた。人前で演奏するってあんなに体力いるんだね」
「あ……ああ」
 
 もちろん、こんなことしてユウくんが不思議に思わないはずがない。
 怪訝な顔をするけど、何か言れるより先に、さらに言葉を続けた。

「疲れたから、今日はもう寝るね」

 それだけ言うと、返事も聞かずに、テキパキと布団の用意をすませる。

「……なあ、藍?」
「お休み、ユウくん」

 ユウくんの言葉を遮るようにお休みの挨拶をし、いそいそと電気を消して、ベッドに潜りこむ。

 こうなると、ユウくんもこれ以上話を続けるわけにはいかない。
 仕方なく、押入れの中へと引っ込んでいく。

「お休み、藍」

 最後に掛けられた言葉は、どこか心配そうだった。

 急に、変な態度になってごめん。
 だけど、こうするしかなかった。

 平気な顔をしておくのも、もう限界だったから。

 ユウくんが押入れの中に入ったのを確認すると、改めて布団をかぶりなおす。
 そのとたん、顔がクシャリと歪んだ。

『もし付き合ったとしても、いつまで続くかわからない。いつかは別れるかもしれない。そんな風に、つい考えるんだ』

 そう言ったユウくんの声が、耳に残って離れない。

 軽い感じで言ったその言葉に、本当はどれほどの思いが込められているか、私は知っている。
 そう思ってしまうだけの理由を、ユウくんは持っていた。

(きっと、あんなことがあったからだよね)

 ユウくんの抱えていたものが、頭を過る。
 あんなことがあったら、ユウくんがそんな風に考えるのも、納得がいってしまった。

 だけど私は、それを否定したかった。誰かを好きになって、それがずっと続くことだってあるんだよって、伝えたかった。

 だから、つい告白みたいなことをしてしまった。

 結局その想いは伝わらなかったけど、ユウくんが勘違いしてくれてよかったのかもしれない。

(妹みたいなもの。それなら、ずっと好きでいてくれるよね)

 もしユウくんが、本当に誰とも恋愛できないって言うのなら、私のこの気持ちは、決して実らない。
 ユウくんだって、きっと困る。

 けど勘違いしてくれたおかげで、これからも仲の良い兄と妹でいられる。
 妹なら、変わることなくずっとそばにいられる。
 そう、自分自身に言い聞かせる。

 これまでは、いつか変えたいって思っていた、妹みたいなポジション。
 だけど今は、仲の良い関係を守ってくれるものへと変わっていた。

「ユウくんの妹で良かった。勘違いしてくれて良かった」

 布団の中。決してユウくんには聞こえないくらいの小さな声で、何度もそう繰り返し呟いた。
【三島side】

 藤崎の様子がおかしい。
 北野がそう言って俺に詰め寄ってきたのは、部活動紹介のあった次の日の昼休みのことだった。

「ねえ、藍に何があったのよ。どう見ても朝から様子がおかしいじゃない」

 北野はそう言って、教室の隅で一人席についている藤崎を見る。
 その藤崎はというと、どこか暗い表情をしていて、何か良くないことがあったんだろうと一目でわかった。

「何聞いても上の空だし、何かあったの? 昨日の部活紹介で、思うように演奏できてなかったとか?」
「そんなの俺だって分かんねえよ。そりゃ、演奏は上手くなかったけど、楽しかったって言ってたし、他にあったことといえば、顧問の先生が決まったくらいだ。後は知らねえ」

 藤崎の様子がおかしいことくらい、わざわざ北野に言われなくても、俺だって気づいてた。
 けどどうしたんだって聞いても、返って来たのは、何でもないの一言。
 しかもその声だって、元気がなかった。

 それで、何でもないわけないだろ。

 俺の答えにガッカリする北野だけど、話はまだ終わらない。

「心当たりとかも無いの?」
「だから、知らねえって言ってるだろ」

 知ってたら、こんなにモヤモヤしたりしない。
 俺だってずっと気になってるんだ。

「俺にどうこう言うより、お前が藤崎に直接聞いたらいいんじゃないか?」
「聞いたよ。だけど何も無いって言われて、それで終わり。そんな訳ないのに」

 北野も、こうしてわざわざ俺に声をかけるくらいだから、その前に藤崎に聞いていたのも当然か。

 北野は、藤崎の一番仲のいい友達だ。
 そんな北野が聞いてもダメだったなら、いよいよ、俺が何か聞いても話してくれるとは思えなかった。

「それじゃお手上げだな。お前で無理なら、俺にどうにかできるわけないだろ」

 それだけ言うと、席を立って教室から出て行く。
 後ろから北野の呼ぶ声が聞こえてきたが、振り返ることは無かった。














 ……けれど、俺がさっき北野に話したことには、少しだけ嘘があった。

 藤崎に何があったのかは知らないが、その心当たりなら、全く無いわけじゃない。

 何か具体的な根拠なんてあるわけじゃないが、あれだけ藤崎がの様子を変えてしまうものなんて、ひとつしか考えられない。
 有馬優斗先輩だ。

「先輩と、何かあったんだろうな」

 そこまで考えたところで、何だか胸の奥がザワザワとして、落ち着かなくなる。

 面白くないんだ。藤崎が、先輩のことで喜ぶのも、悲しむのも。

 まだ俺や藤崎が小学生だった頃、誰よりも藤崎を笑顔にさせることができたのは、有馬先輩だった。

 俺が藤崎にあれこれちょっかいをかけて泣かせた時だって、そこに先輩がやってくれば、藤崎は決まって笑顔になった。
 それを見て、何度腹を立てたかわからない。

 けどな、俺の知る限り、一番藤崎を泣かせたのも、先輩なんだ。
 先輩が亡くなった時、藤崎がどんなに泣いていたかは、今でも昨日のことのように思い出せる。
 俺がどんな意地悪をした時だって、あんなに大泣きしたことなんてなかった。

 藤崎にとって、先輩はそれだけ大事な存在だった。
 藤崎の一番は、間違いなくあいつだった。

 まあ、例えどんなに大切に思っていても、今となっては過去の人。
 生きてる俺たちにとっては、二度と直接関わることのない相手だ。
 ほんの少し前までは、そんな風に思っていた。
 なのに────

 そんなことを考えながら、俺は本校舎をでて部室棟に、そして、軽音部部室の前に来ていた。
【三島side】

 部室の扉を開くと、思った通り、そこには有馬先輩の姿があった。
 他は誰もいないし、これなら堂々と話をしても、変に思われる心配はないだろう。

「どうした、三島。何か用事でもあるのか?」
「有馬先輩こそ、今朝からずっとここにいたのか?」

 有馬先輩は学校では俺や藤崎とは別行動をとっていて何をしているのかは知らない。
 けどこの様子だと、ここでずっと何もせずにいたっぽい。

「ああ。幽霊じゃ特にできることなんて無いし、藍や三島以外には、俺の姿は見えないからな。だったら、一人でいた方がいい」

 サラッと言うけど、それって凄く寂しいことなんじゃねえのか?

 近くにいるのに、普通の人間のは見えないばかりか声だって聞こえないから、誰にも気づかれることはない。
 物にも触れられないから、何かやろうと思っても、できることなんてほとんどない。
 そういえば、前に見かけた幽霊が、退屈で死にそうだと愚痴っていたことがあったな。

(やっぱり、幽霊なんて深く関わるもんじゃねえな。力になんてなれないのに、こんな話を聞くと、つい構いそうになる)

 それは、長年幽霊を見てきた中で何度も思ったことだった。
 だから、普段は必要以上に関わることのないように、見えても無視することがほとんどだ。

 けど時々、そういうわけにもいかないやつが出てくるんだ。

 もちろん有馬先輩も、その中の一人だ。
 しかもこの人の場合、俺じゃなくて藤崎としっかり絡んでいるから、よけいにタチが悪い。

「なあ、藤崎のことだけどさ……」
「藍がどうかしたのか!」

 それまで落ち着いた雰囲気で話してたのに、藤崎の名前が出てきたとたん、すごい勢いで食いついてきた。
 この人、どれだけ藤崎のことを気にかけてるんだよ!

 けどまあ、その気持ちは俺だってわかる。
 わかるからこそ、わざわざこうしてここまでやって来たんだ。

「どうしたかわからねえから、それを聞きにここに来たんだよ。あいつ、どう見ても朝から元気がねえし、何か悩んでるみたいだった。先輩なら何か知ってるんじゃねえの?」

 藤崎があんなに変になる原因なんて、この人以外考えられない。

 思えば、今朝藤崎は有馬先輩と一緒に登校してきたけど、その時から違和感はあった。

 藤崎のやつ、小さい頃も、先輩が幽霊になってからも、先輩と一緒にいる時は、それしか目に入らないのかって思うくらい、ずっと先輩のことを見てた。

 なのに今朝は、不自然なくらい視線を逸らしていて、会話も極端に少なかった。

 いつもは腹が立つくらい先輩が好きだって態度が出てるのに、明らかにおかしかった。

「やっぱりそう思うか。避けられてるよな、俺」

 やっぱり、有馬先輩も気づいてたのかよ。

 先輩は、沈んだような声で呟いた後、ガックリと肩を落とす。

 昔の俺にとってこの人は、だいぶ年上の大人なやつで、常に余裕があるって感じの人だった。
 けど、今目の前にいるこの人は、見るからに落ち込んでいて、余裕なんてどこにもない。

「先輩こそ大丈夫かよ。藤崎もそうだけど、アンタも相当辛そうだぞ」
「そうか? 自分じゃわからないな」

 先輩はそう言うけど、俺には痩せ我慢してるようにしか見えない。
 そして、そんな先輩の様子を見て、今まで見てきた何人かの幽霊の姿を思い出さずにはいられなかった。

「気を付けた方がいいぞ。今まで幽霊を見てきてわかったことだけど、幽霊って奴は肉体が無い分、精神の影響が直に出るみたいなんだ。心が痛いとより苦しいし、怒りや悪意が強いとそれに呑みこまれやすくなる。もしかしたら、そんなのを拗らせたのが悪霊ってやつなのかもしれない」
「そうなのか……」

 これこそが、俺が幽霊を良く思っていない最大の理由だ。
 少し前まで穏やかだった者が、ふとした拍子に怒りや悪意に飲まれて、急に凶暴になることだってある。

 そんなの、本人にとっても周りの奴らにとっても、いいことなんて何もない。

「なあ。今の話、藍には内緒にしといてくれないか? 心配かけたくない」
「……ああ。言わねえよ」

 言われなくても、何も問題が起こらないうちは、藤崎に伝える気はなかった。
 もし藤崎がこれを知ったら、すぐに真っ青になるのが想像できた。そんなのは見たくない。

 けど、もしこのまま二人を放っておいて、有馬先輩の心労が溜まっていったら、そんなことにならないとも限らない。
 すぐにはそんな心配はないだろうと思っていたけど、今の先輩を見ると、不安にならずにはいられない。

 だからこそ、なんとかしねえと。

「それで、藤崎と何かあったのかよ?」

 どこまで聞いていいのかなんてわからない。
 だけど、藤崎が落ち込んでいて、有馬先輩もこんな調子なら、何かできるとしたら俺だけだ。
 そんなの、首を突っ込まずにはいられない。

「ゆうべ、藍と話をして、多分俺がその時言った事にショックを受けたんだ」
「ショックって何言ったんだよ。そもそも、話って何なんだ?」

 具体的なことを言ってくれなきゃ、何が何だかよくわからない。
 すると有馬先輩は、なんと言えばいいか考えるように、少しの間黙る。
 そうして言ったのがこれだった。

「そうだな。なんて言うか、恋バナみたいなものか?」
「こいっ!?」

 なんだよそれ!?
 元々何があったかなんて見当つかなかったけど、さすがにその言葉は予想外すぎるだろ!

「あんたら、いったい何話してたんだよ。いや、詳しくは喋らなくていいからな。って言うか、絶対喋るな!」

 何が悲しくて、藤崎とこの人との間であった恋バナなんて聞かなくてはならないんだ。

 実を言うと、全く興味がないって言ったら嘘になるが、しっかり聞いてしまったら、本題を忘れてしまいそうな気がした。

 二人がどんな話をして、その結果藤崎がどうして落ち込んでるのか。気にはなったが、それを聞くためにここに来たかというと、微妙に違う。

 俺がここにきたのは、理由を聞くためじゃない。
 落ち込んでいる藤崎を、なんとかするためだ。
【三島side】

「ひとつ聞くぞ。藤崎の様子がおかしいのは、先輩が原因っぽいんだな」
「ああ、多分な」

 やっぱりそうだよな。
 それだけわかれば、もうこれ以上詳しい話は聞かなくてもいい。

 最初は、有馬先輩の態度次第では、しつこく問い詰め怒りをぶつけようかとも思っていた。
 けど先輩も、本気で藍のことを心配しているのがわかって、いつの間にかそんな気も失せていた。

「なあ。大沢先生って、今日は教職員会議で遅くなるって言ってたよな?」
「ああ、言ってたけど?」
「俺も、今日は部活に来るのが遅れる。だから放課後になってしばらくは、ここには先輩と藤崎しかいなくなる。その時に、二人で話せ」

 できればこんなこと言いたくなかった。
 お膳立てだけしておいて、後は全部任せるなんて、自分には何もできないって言ってるようなもんだ。

 けどその通りだ。俺が藤崎に何か言っても、解決できるとは思えない。
 だが、有馬先輩は違う。

 先輩が原因だからってのももちろんあるけど、例え藤崎が全く別のことで落ち込んでいたとしても、こいつならきっと力になってくれるって思った。

 そんなの認めたくないし、できることなら俺がこの手で何とかしてやりたい。
 けど、そんな気持ちを押さえながら言う。

「何があったか知らねえけど、あんたが原因だって言うなら、何とかしてくれ」
「三島……」

 俺にとってこの人は、恋敵みたいなもの。
 そんなやつと藤崎とを仲直りさせようなんて、本当なら絶対にしたくない。
 それでも、落ち込んでいる藤崎の姿を見ていると、こうするしかなかった。

 先輩は、俺の言葉に驚いていたようだったけど、それからしっかりと頷いた。

「ああ。ありがとな」

 感謝なんてされても、ちっとも嬉しくない。なのに先輩は、俺を真っ直ぐに見つめながら、きちんと礼を言う。

(まったく、幽霊のくせに、色々人を振り回しすぎなんだよ)

 この人は幽霊で、本来ならとっくに過去の人になっているべき存在だ。
 なのに、未だにその言動で藤崎を一喜一憂させ続けている。
 俺には、それがすごく悔しかった。

 きっと先輩は、俺がこんなこと考えてるなんて知らないだろう。

「悪いな。色々気を使わせて」

 ほらこれだ。
 人がこんなに悔しがっているのに、当の本人はこの調子だ。こんな態度をとられたら、腹は立っても、嫌いだとは思えなくやってしまう。
 だからこそ、心がザワつくんだ。

「そんなのいいから、藤崎のことを頼むぞ」

 精一杯の強がりを言いながら、いっそこいつが、もっと嫌な奴ならよかったのにと思う。
 もっとも、そんな奴ならそもそも藤崎に好かれることは無かっただろうけど。

 そこまで話したところで、入ってきた扉を開いて、部室を後にする。

 バタンと扉を閉めた途端、一気に汗が吹き出て、全身に疲れを感じた。
 今のやりとりの最中、自分でも気づかないうちに緊張していたようだ。
 疲れを吐き出すように、深く長いため息をつく。

(何やってるんだろうな、俺)

 これで、俺にできることは終わり。後は有馬先輩に期待する他無い。
 そう思うと、どんどん気持ちが沈んでいく。

 それでも、こうするしかなかった。落ち込んでいる藤崎を見てると、なりふりなんて構ってられなかった。

「……ったく、しっかりしろよ」

 誰に言い聞かせるでも無く呟いたその言葉。
 それは、藤崎がこうなった原因を作った有馬先輩と、何もできない自分、その両方に向けられていた。
【優斗side】

 三島が部室を去った後、俺は一人、今のやり取りを振り返っていた。
 そして、昨夜の藍との会話を思い出す。

 藍の様子がおかしくなった原因については、心当たりはあった。
 けど、藍に直接それを聞くのが怖くて、何もできないでいた。

 啓太が背中を押してくれてよかった。
 でなければ、このままずっと、何もできないままだったかもしれない。

(もっと、ちゃんと向き合わないといけないな)

 三島のおかげで、そう心に決めることができた。
 あとはアイツの言う通り、藍としっかり話をするだけだ。
 例えそれで、藍との関係が、二度と戻らないくらいに壊れたとしても。
 最後の授業の終わりを告げるチャイムを、私は複雑な気持ちで聞いていた。
 放課後になったら、部活に行かなきゃならない。
 つまり、ユウくんとも、顔を合わせることになる。

「はぁーっ」

 席を立つ前に、一度ため息をつく。
 ユウくんと会うのがこんなにも憂鬱になるなんて、考えもしなかった。

 今朝起きた時から、ユウくんとはギクシャクしっぱなし。というより、私が一方的に彼を避けていた。

 その理由はもちろん、昨夜の出来事のせい。
 ユウくんが言った、恋愛として誰かを好きになるってのが、よくわからないって言葉。
 それに、私のした告白未遂。
 それらが全然頭から離れずに、今日一日モヤモヤしっぱなしだった。

 私の様子がおかしいのは、他の人から見てもバレバレだったみたい。
 ユウくんは、朝起きてから学校で別れるまでの間、何度も気にしているようなそぶりを見せていたし、真由子や三島だって、どうかしたのかって心配してくれた。

 だけど何があったかなんて言えない。
 特にユウくんには、絶対に言えない。

 いつまでもこんなんじゃダメ。
 軽音部に行くまでに、しっかり気持ちを切り替えなきゃ。

 そう思っても、やろうと思ってすぐにできるもんじゃない。

(今日は、部活に行くの辞めようかな)

 とうとうそんなことまで考えてみる。
 けどそんなことしたら余計心配かけるだろうし、例え部活に出なくても、その後ユウくんは私のうちにくるよね。

 もうどうすればいいのかわかんなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。

 そんな時、急に声をかけられる。

「藤崎……おい藤崎!」
「えっ、何?……三島?」

 声をかけてきたのは、三島。
 三島は既に帰り支度をすませていて、今から教室を出るところみたい。

「何してんだ。部活行かねえのかよ」
「う……うん。今行こうと思ってたとこ」

 まさか、休もうかと思っていたなんて言えない。

「そうか。じゃあ俺、先に行ってるから」
「うん、私もすぐ行くね」

 ああ、行くって言っちゃった。
 まあ、休んでもどうにもならないってのはわかってるから、踏み出すきっかけとしてはちょうどいいのかもしれない。

 よし、行こう!

 覚悟を決めた私は、教科書を鞄に詰めると、教室の外へと出ていった。







 そうしてたどり着いた、軽音部部室。
 けどここまで来たってのに、中に入るのを躊躇する。

 さっき覚悟を決めたばっかりだってのに、またすぐに逆戻りだ。

 ユウくんと会って、どんな顔をすればいいのかな? 自然な感じでいられるかな?

 不安になるけど、ずっとこのまま扉の前でウロウロしているわけにもいかない。
 恐る恐る扉を開けて、中に入る。

「やあ、藍。授業お疲れ様」
「ユ、ユウくん」

 一歩足を踏み入れるのと同時に、ユウくんの声が飛んできた。
 緊張しているのを悟られないよう挨拶を返しながら、先に来ているはずの三島を探す。
 二人きりより三人の方が、気が紛れるはず。

 けどいくら部室を見渡しても、三島の姿はどこにもなかった。

「あれ、三島は?」
「今日はまだ来てないな」
「えっ? 私より早く教室出たのに?」

 もうとっくに来てると思ってたんだけど、いったいどうしたんだろう。

 けど、三島のことばっかり気にしてはいられない。
 何しろ今この部室には、私とユウくんの二人きり。
 向かい合ってると、どうしても昨夜のことを思い出す。

 せめて、何か全く別の話でもしようかな。
 だけど、どんな話題がいいか考える間もなく、ユウくんが話しかけてくる。

「なあ、藍」
「な、なに?」
「今朝から……いや、昨夜から、俺のこと避けてるよな?」
「──っ!」

 突然の言葉に、声を失う。
 私だって、バレてるだろうなとは思ってた、
 けどこんな風に直接聞かれると、なんて答えればいいかわからない。

 黙ってしまった私を見て、ユウくんは少しずつ近づいてくる。

「ねえ、なんで?」

 ユウくんは、決して怒ってるわけでも、強引に聞き出そうとしてるわけでもない。
 むしろ、不安や寂しさでいっぱいになってるように見えた。

 ユウくんにしてみれば、私が何も言わずにいきなり避けられるようになったんだから、無理もない。
 けどそうとわかっていても、なんでかなんて言えないし、こうして正面から向き合うと、どうしていいのかわからなくなる。

 だから、これ以上聞かれるのを避けるように、声を張り上げて言う。

「ちょっ……ちょっと待って! 私、教室に忘れものしたみたいなの。今から取りに行ってくるね!」

 そうして、返事も聞かずに部室から飛び出した。
 早い話が、逃げた。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)

 私だって、これでいいとは思っちゃいない。
 もちろん忘れ物なんて嘘だし、こんなのどう見ても不自然。
 こんなことしたら、次に会う時余計に気まずくなりそうだ。

 それでも、避けてる理由なんてどう話せばいいかわからないから、今はとにかく逃げるしかなかった。
 だけど、すぐ後ろからユウくんの声がする。

「待って!」

 ちらりと振り返ると、ユウくんが追いかけてくるのが見えた。
 急に逃げ出したんだから、そうするのも当然だ。

 自然と駆け足になって、傍にある階段を降りようとする。
 だけど、後ろにばかり気を回していたのがいけなかった。

 もう一度、ユウくんの様子を見ようと振り返ったその瞬間、階段を踏む足がズルッと滑った。

「わっ!」

 階段を踏み外したんだ。
 そうわかった時には、大きく視界が揺れていた。

「藍!」

 ユウくんが、血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。
 けど幽霊であるユウくんじゃ、私に触ることはできない。
 駆け寄ってきたとしても、倒れる私の体を支えるなんて無理だ。

 それでもユウくんは、階段から転げ落ちそうな私に向かって、必死に手を伸ばしていた。
 ユウくんから逃げ出して、その途中、階段から落ちそうになった私。
 だけど結果から言うと、なんとか無事だった。

 もうダメだって思ったその時、咄嗟に壁に手をついて、転げ落ちないように自分の体を支えていた。

(た、助かった……)

 あのまま階段から落ちていたかと思うと、ヒヤリとする。
 もうダメだって思ったし、こうして無傷で済んだのが嘘みたい。

 壁に手をついた瞬間のことは覚えているけど、あんなに急に動けたなんて、自分でも驚いている。
 体が勝手に動いたなんて表現があるけど、さっきの動きは、まさにそれがピッタリだ。

 実は、そんなおかしな感覚はまだ続いていて、なぜか体の自由がきかない。
 指一本だってまともに動かせなくなっていて、まるで自分の体じゃないみたいだ。

(私、どうしたんだろう?)

 そう思ったその時、ユウくんの声がした。

「藍、大丈夫? 怪我は無い?」
(う……うん)

 心配そうな声を聞いて、さっきまで逃げていたのも忘れて返事をする。
 だけどそこで、すぐにおかしなことに気付いた。

 声を出そうとしても、口はちっとも動いてくれない。
 なのに、言おうとしていた言葉が、耳じゃなく直接頭の中に響いている。

 ユウくんの声も、同じように耳でなく頭の中に直接流れ込んできている。
 まるで、テレパシーで会話をしているみたいだ。

 自由のきかない体に、頭の中に響く声。それに、おかしなことはまだあった。

 ユウくんの姿が、どこにも見えない。
 辺りを見回して探したいところだけど、今もまだ、体の自由はきかないまま。
 仕方なく、もう一度呼びかけてみる。

(ユウくん、どこにいるの?)

 相変わらず口は動かせず、代わりに頭の中に声が響く。
 それでも、その声はユウくんに届いているようで、また頭の中に声が響いた。

「えっと……俺もよく分からないけど、たぶん藍の中」
(へっ?)

 言ってる意味が分からなくて、間の抜けた声を上げる。
 だけどその時、私の体をすり抜けて、弾かれたようにユウくんが飛び出してきた。

「きゃっ!」

 すると今度は、ちゃんと口が動いて、しっかりしたした声があがった。
 同時に、今まで失われていた体の自由が戻ってくる。

「な、何が起きたの?」

 ペタリとその場に座り込んで、私の中から出てきたユウくんを見る。

 どこにいるかって聞いて、藍の中っていってたけど、それってそのままの意味だったの?

 幽霊は物をすり抜けられるから、人間の中に入るのだって、決して不可能じゃない。
 けどそれだけじゃ、さっきまでの不思議な出来事は説明がつかない。

 すると、そこでユウくんが言う。

「もしかして、俺が藍に取り憑いていたのか?」
「取り憑く!?」

 それって、私の体の中に入って、自由に動かしてたってこと?
 幽霊の出てくる話だと、そういうのは定番だけど、まさか自分がそんな体験をすることになるなんて。

 思いがけないことにびっくりするけど、そんな私に向かって、ユウくんが詰め寄ってくる。

「まあ、そんなことはどうでもいいや。それより、本当にどこもケガしてないか? どこかにぶつけたりとかもない?」

 本当に取り憑いてたなら、どうでもよくはない気がするけど、それを言う気にはなれなかった。
 ケガがないか何度も聞いてくるユウくんが、あまりに不安そうにしていたから。
 ユウくんにとっては、私が無事かどうかに比べたら、取り憑いたことなんて、本当にどうでもいいことなのかもしれない。

「大袈裟だよ。階段から落ちそうになっただけじゃない」












 そう言って、だけどすぐにハッとする。
 階段から落ちた。それが原因で、ユウくんは亡くなったんだ。
 しかもその現場は、まさにこの場所。
 当時の事を思い出さないわけがない。

「……ごめんなさい」

 無神経なことを言ったことと、心配をかけたこと、その両方に謝る。
 けどユウくんは、もう一度私にケガが無いか確認すると、途端にホッとする。

「いいんだ。ケガが無くて良かった」

 心から安心しているのを見て、改めて、すごく心配をかけていたんだとわかる。

 けど、それをごめんねって思いながらも、今もまだユウくんの前だと、ソワソワして落ち着かない。

 そもそも私は、さっきまでユウくんから逃げようとしていたし、今だってどう向き合ったらいいのかわからない。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ユウくんは再び話しかけてくる。

「なあ。俺と、話をしてくれないか?」

 気まずい。
 だけど、さすがにまた逃げようとは思わなかった。
 そんなことしたら、ユウくんをまた不安にさせてしまう。
 そう思うと、足に力が入らなかった。

 何も答えられず、だけど逃げることもない私を見て、ユウくんは言う。

「もしかして、俺の家の事情って、知ってる?」
「──っ!」

 それは、私にとって一番触れたくない話題だった。
 だからこそ、不自然にユウくんを避けていた。
 ユウくんと、面と向かってこの話をするのが怖かった。

 そして怖がっているのは、多分私だけじゃない。
 いつの間にか、ユウくんの表情にも不安と緊張が戻っていて、手は微かに震えていた。

 それを見て、なんて答えようか迷う。
 本当のことを言うのが怖い。
 だけど、こうも真っ直ぐに尋ねられて、嘘をつくなんてできなかった。

「……知ってる」

 その瞬間、まるで時が止まったような気がした。

 たったそれだけを言うのが、とても怖かった。
 もしかしたら、この一言がユウくんを傷つけてしまうかもしれない。そう思うと、体が震えた。

 けど、それを聞いたユウくんの反応は、想像していた以上だった。
 顏には明らかに悲しみの色が広がっていて、がっくりと肩を落とす。

「そっか……知ってたのか……」

 小さく悲しげな声が、辺りに響く。
 その落ち込み方は、見てるこっちが痛々しくなるくらいだった。

「藍には知られたくなかったな」

 沈んだ声を聞きながら、揺れる瞳を見つめながら、私は正直に答えたことを後悔する。

 ユウくんの抱えていた、家の事情。
 私がそれを聞いて真っ先に思い浮かべたのは、ユウくんが亡くなるより少し前に起こっていた出来事だった。

 それはユウくんからすると、決して人には知ってほしくないものだったと思う。

 そして多分、ユウくんが、誰かを好きになるというのがよくわからないと言っていた理由も、それらの出来事と無関係ではないんだろう。