約束の日曜日、当日。俺は朝早く起きると、押し入れの中を漁っていた。
航太と一緒にランチするぐらいなら構わんが、母親の綾さんがいる。
いつものように、ボロボロの半纏を羽織るわけにはいかないだろう。
学生時代に買ったジャケットが、まだ残っているはずだ。
「お、あった」
少し埃っぽいが、まあ良いだろう。
これで親子デートが出来る……って、別に綾さんと仲良くなるためじゃない。
航太に恥を欠かせないため。
~数時間後~
玄関の扉を開けると、アパートの廊下に航太が立っていた。
俺のファッションを見るや否や、「うげぇ」と顔を歪める。
「おっさん、なんでいつもの半纏じゃないんだよ?」
「そ、そりゃ……あれだと、綾さんに悪いだろ」
「別に母ちゃんは気にしないって。あ、まさか変な期待してんのか!?」
そう言って、俺へ詰め寄る航太。
低身長だから、どうしても上目遣いになる。
俺だってそんな意味で、おしゃれをしたわけじゃないのに……。
なんだか、腹が立ってきた。
「するわけないだろ! だったら、高熱のお前にあそこまでするか!」
「え……?」
唇を大きく開いて、驚きを隠せない航太。
きっと、この前の解熱剤を思い出したのだろう……。
仕方なかったことだが、彼のお尻の中へ指を入れてしまった。
紅潮する彼の頬を見て、俺も当時の記憶を思い出す。
「そ、その……悪い」
「いいよ。オレが頼んだことだし……」
しばらく沈黙が続いたあと、お互い視線を逸らす。
俺も顔が熱くなってきた。
気まずい空気が漂っているなか、ひとりの女性が現れる。
「ごめんなさぁ~い。髪のセットに時間が掛かって……あら? 二人ともどうしたの?」
母親の綾さんが勢いよく、家の扉を開く。
しかし、自宅の目の前で固まっている俺たちを見て、首を傾げる。
「航太、ほっぺ赤い? また熱が出てるのかしら? それに黒崎さんも顔が真っ赤ですよ」
これに大人の俺が、答えないのもおかしいので。
その場しのぎの嘘をついてみる。
「あ、綾さん。こんにちは! その……さっきまで航太くんと、”あっちむいてほい”して遊んでたんすよ!」
「え? あっちむいてほい……?」
「そうそう! 航太くんが負けて怒ったから、大変でしたよ。はははっ!」
「へぇ~」
本当に、綾さんが天然で良かった。
※
美咲親子を連れて、喫茶店、”ライム”へ向かう。
二人ともこの店は初めてらしいので、俺が説明してあげることに。
「ここ、俺が学生時代からやっていて。未だに地元の人から愛されている、隠れた名店なんすよ」
「そうなんだぁ~ なんか楽しみになったきた。ねぇ、航太?」
綾さんに話を振られた航太だが、どこか不満そうだ。
腕を組んで、視線は道路へ向けられている。
「別に……おっさんの学生時代とか、興味ないね」
ひょっとして彼は、俺の若い頃……学生時代に、元カノの未来と来ていたことを想像しているのか?
まあ、間違ってはいないけど。
彼にはあまり、未来のことを考えて欲しくないな。
店の扉を開くと、いつも通りマスターがカウンターの奥で、グラスを磨いていた。
「あ、いらっしゃい。翔ちゃん」
「ちっす。テーブル席使っていいですか?」
「もちろんだよ。あら? 今日はいつものボロ半纏じゃないね。ひょっとして、デートかい?」
といやらしく笑うマスター。
しかし、俺の後ろに立っている女性を見て、そんな余裕は消え失せる。
誤解のないように、俺から紹介しておく。
「マスター、こちらアパートのお隣りさん、美咲さんね」
俺がそう言うと、綾さんが頭を深々と下げてみせる。
「こんにちはぁ~ 今日はよろしくお願いいたします」
いつものことだが、彼女は胸元がザックリ開いたニットのワンピースを着ている。
つまりマスターに向けて、頭を下げるということは、胸の谷間が露わになっているのだろう。
その姿を見て、頬を赤くするマスター。
「い、いや。こちらこそ、よろしくお願いいたします……」
まったく、狙ってやっているとは思えないが、誤解を生む女性だ。
あとは、息子の航太だ。
「マスター、それからこの子が、美咲さんのお子さんで。航太だよ」
俺が彼の名前を発しても、反応がない。
後ろを振り返ると、少し頬を赤らめて立っていた。
なるほど、緊張しているのか。
見かねた綾さんが、航太を押し出して、無理やり頭を下げさせる。
「ほぉら、挨拶は?」
「痛いよ! 母ちゃん……、オレは航太です」
恥ずかしがる航太を見て、マスターは優しく微笑んだ。
「航太くんだね。随分と可愛らしい顔をしてるから、女の子かと思ったよ。よろしくね」
「は、はい……」
おかしいな。俺がこんな扱いをしたら、いつもは怒り出すのに……。
元々、マスターは子供好きなこともあって、航太を見てかなり気に入ったようだ。
テーブル席に通されたあとも、お子様ランチのおもちゃを持って来て。
「好きなのをどうぞ」
とサービスしてくれたが……。
幼児向けだったので、航太は遠慮がちにおもちゃを選んでいた。
懐かしい紙風船。
使い道がないだろうに。
「じゃあ、翔ちゃんは”いつもの”で、いいんだよね?」
とウインクをする、マスター。
いつものとは、ナポリタン大盛りと、食後にコーヒーということだ。
「私は、どうしようかなぁ……」
綾さんはメニュー表を開いて、迷っている。
それに対して、隣りで座っている航太は腕を組んで、まぶたを閉じていた。
不機嫌そうだな……。一体、どうしたんだ?
「航太、お前はどうするんだ?」
俺がそう問いかけると、片方のまぶただけを開く。
「おっさんこそ、”いつもの”って何を頼んだの?」
「え? ああ、俺はナポリタンの大盛りさ」
「そ、そう……あの、じゃあオレも同じやつをお願いします」
なんだ? 俺と同じものを頼みたかったけど、分からなくて怒っていたのか。
マスターが航太の注文を聞いて、目を丸くする。
「坊や、大丈夫かい? うちの大盛りは大学生向けにしてあるよ?」
「だ、大丈夫だよ! オレだって男だし、中学生だぜ!」
「はははっ! そうかそうか、じゃあたくさん入れてあげようね」
「え……」
航太の虚勢が裏目に出たな。
まあ、頑張ってもらうしかないだろう。
しかし、母親の綾さんは、未だにメニュー表を見て迷っている。
「う~ん。ドリアも良いけど、グラタンも捨てがたいわぁ~ 黒崎さん、どれがおすすめですか?」
「ああ……カレードリアでいいんじゃないですか?」
正直、綾さんのメニューを考えるのは面倒だった。
「じゃあ、私はそれを一つお願いします。あとは……デザートね」
「……」
このあと、デザートが決まるまで20分ぐらいかかった。
※
「おいしぃ~!」
「あ、本当だ」
どうやら、美咲親子もこの店が気に入ったようだ。
腹が減っていた俺は、既に食べ終わって、タバコを楽しんでいる。
吸いながら、目の前にいる綾さんと航太を眺めていると、変な錯覚を覚えてしまう。
傍から見れば……俺たち三人は親子に見えるかもしれないなと。
そんなことをひとりで考えていると、ジーパンのポケットに入れていたスマホのベルが鳴り始める。
ひょっとして編集部の高砂さんかな? と思って、画面を確かめると……。
かけてきた相手は、元カノの未来だった。
焦った俺は、思わず指からタバコを落としてしまう。
それに気がついた航太が、フォークの動きを止める。
「どうしたの? おっさん」
「あ、いや……ちょっと、仕事先の相手がな」
「ふ~ん、それより落としたタバコ。ちゃんと拾いなよ、火事になるぜ?」
「悪い」
地面に落としたタバコを拾って、灰皿にこすりつける。
綾さんに「仕事の電話」だと嘘を言って、店の外へ出る。
店の駐車場に出たところで、一旦深呼吸をしておく。
「もしもし?」
『あ、翔ちゃん……この前はごめんね』
久しぶりに聞いた未来の声は、弱々しく聞こえた。
「おお……俺こそ、悪かったな。色々と」
『ううん。翔ちゃんは何も悪くないよ……ところで、また会えないかな?』
「え!?」
『ダメなら、やめるけど……』
正直、今はあまり会いたくない。
ついこの前、未来といるところを航太に見られて、あんなことになってしまった。
でも……彼に見られないところなら良いかな。
例えば、ここからかなり遠い場所。
繁華街の博多駅とか、天神ぐらい。
「わかった。いいよ、いつ会う?」
『ありがと……。翔ちゃん、悪いんだけど。近所のコンビニまで来てくれる?』
「は?」
『実は、もう”藤の丸”に来てるんだよね』
未来の言う近所のコンビニとは、俺がいつも酒やつまみを買う時に利用するお店だ。
しかし、彼女が待ち合わせ場所にしているコンビニは、今いる喫茶店”ライム”の目の前にある。
お互いに気がついてないだけで、目と鼻の先で通話していた。
※
コンビニの駐車場に立って、スマホを持っている彼女を見つけた俺は、電話でこちらへ来るように促す。
喫茶店の窓から店内を確認したが、今綾さんと航太は食後のデザートを楽しんでいる。
ちょうど店からは壁で死角になっているから、ここで話す方が良いと思った。
「ごめん……また急に来て、翔ちゃん」
「まあ、いいさ。ところで今日の用はなんだ?」
今日の彼女は前回と違い、ひと回り小さく感じる。
化粧もしてないし、着ている服も色々とコーディネートを間違えているような……。
なんだか、学生時代の未来を見ているようだ。
「あ、あのね……この前の人。綾さんだっけ? 本当なの?」
目に涙を浮かべて、必死にこちらを見つめる。
「おい、綾さんは違うって言ったろ? あの人はただのお隣りさんだ」
「じゃあ……なんでさっき、あの人と一緒に仲良く話していたの?」
「な、何を言って……」
まだ話している途中で、未来が大声を叫んで遮る。
「私、見てたもん! マスターと、あの人と翔ちゃんが楽しそうに話しているところを!」
そう言って、窓から店内を指差す。その方向には、嬉しそうに笑う綾さんと航太が座っていた。
「未来、お前……見ていたのか?」
参ったな……、どうしよう。
喫茶店の駐車場で、元カノの未来と黙って見つめ合う。
もう10分は経ったんじゃないだろうか。
未来は、綾さんのことを誤解している。
とにかく、それだけはしっかりと否定しておかなければ……。
「なあ、未来。俺さ、ちゃんとお前のことを見ていたかって、言われたら……自信はないけど」
「……うん」
「それでも、付き合っていた頃。他の子と浮気なんて、しなかっただろ?」
「知ってる」
「じゃあ、信じてくれてもいいだろ? 綾さんは本当に隣りの人で、何もないんだ」
「……」
必死に説得しているつもりだけど、最後の言葉には同調してくれない。
一体、なぜだ?
「わ、私だって……学生時代から、翔ちゃんのことはよく知っているつもり……」
細い肩を震わせて、未来が何かを訴えかけている。
ここは黙って聞くことにしよう。
「でも! 最近の翔ちゃんは、本当に違うもん! 別れる時、”優しい噓”をついてくれた翔ちゃんじゃない!」
そこまで言い切られると、俺も言い返さないと気が済まない。
「ど、どうしてだよ? ていうか、一体なにがそんなに違うって言うんだ?」
「そんなの見れば、すぐに分かるよ……その顔」
「は……顔?」
思わず、自身の頬を両手で触ってみるが、特に変わったところはない。
※
「さっき喫茶店の外から、翔ちゃんとあの女の人が一緒に食べているところを見ていたけど……。私が見たことのない優しい顔をしていた!」
「……」
ちょっと待て、いきなり指摘されたから、頭の中で処理できない。
俺が綾さんと一緒にいて、楽しそうにしていた? いや、優しい顔をしていたと言うのか……。
あ、その中にもう一人いたな……。
航太の存在だ。
「待ってくれ……未来。それは本当に綾さんじゃない」
未成年の男子中学生、航太と一緒にいたから「お前より優しい顔をしていたんだ」とは言えない。
「じゃあ、なんで?」
「そ、その……恋愛とかじゃなくてだな。友情というか……」
と苦しまぎれの言い訳をしていたら、未来が俺の目を見て叫び声を上げる。
「ああっ! まさか……翔ちゃん!?」
口を大きく開いて、必死に両手で隠そうとするが。
あまりの衝撃に、驚きを隠せずにいるようだ。
「ま、待ってくれ! さっきも言った通り、恋愛感情じゃなくて……」
そう説得しようとするが、彼女は聞く耳を持たない。
「ウソでしょ!? 相手は未成年の男の子だよ!?」
「……」
さすが、元カノだ。
全てバレてしまった。
※
俺がずっと気になっているのは、同い年のシングルマザー。
美咲 綾さん……ではなく、その息子。航太だ。
自分でもこの気持ちは、好きとかそんな簡単な感情じゃない。
ただ、俺は……あの子とこれからも、仲良くやっていけたらと思っている。
俺が好意を寄せている相手が、男の子だと知って。
元カノの未来は、黙り込んでしまう。
「その、俺はあの子を、航太のことをそんな目で見ていないんだ」
「……じゃあ、どんな関係なの?」
「決してやましい関係じゃない。ただの友達、たまに二人で遊ぶ仲だよ」
そう説明したが、未来は納得していなようで、また黙りこんでしまう。
視線を地面に落として……。
しばらく沈黙が続いたが、何かを思い出したようだ。
ハンドバッグの中から、スマホを取り出す。
「私、実はずっと応援していたんだよね……」
視線はスマホに向けたまま、喋り始める。
ずっと、人差し指で画面を触っている。
「なにがだ?」
「翔ちゃんと別れても、エロマンガの原作者、SYO先生を……」
「!?」
まさか、未来が俺の書いているエロマンガを読んでいたとは。
正直、読んで欲しくなかったし、応援もして欲しくない……。
だってあれは、元カノをそのままネタにしたものだ。
特に、ムチムチコスプレイヤーシリーズは。
「最近さ、作風変わったの?」
「あ、ちょっと担当さんに言われてな……新しいものに挑戦しているんだ」
「ふぅん……」
なんだろう、この無言のプレッシャーは?
元々、未来という彼女は温厚で優しい人間だったのに、ものすごく冷たい声で話す。
「俺の作品が一体、何だって言うんだ?」
「あのね……お仕事だし、私は振られた身だから強くは言えないけど。こういう作品を実体験を基に書いてない?」
そう言って、自身のスマホを俺に向ける。
「は?」
彼女が突き出したスマホを覗き込むと、画面の中にはとあるマンガが映し出されていた。
俺が原作を担当した、ロリものだ。
高熱を出した女子中学生の家に上がり込んだ主人公が、看病と言いつつ。
座薬と一緒に、自身の欲望を幼い少女で満たす……。
この前、航太を看病した体験を基に書いたエロマンガだ。
「み、未来……これは、あくまでフィクションで……」
「前作と比べて、そう言える?」
「……」
なんて、返せばいいんだ。
「別にね……作品を描く上で、実体験をもとに作ることは、悪いことだとは思わないよ。でも、相手が未成年なら話は別でしょ?」
「いや、それはその……」
ヤバい、航太との関係を完全に疑われている。
いや、エロ漫画を読んだ彼女には、もう一線を越えた関係だと思われているに違いない。
そこだけは、ちゃんと否定しておかないと。
今の暮らしという以前に、刑務所にぶち込まれそう。
「翔ちゃん、この前はあんな悲しい別れになったけど……。私は本気だよ?」
「え? なにがだ?」
「あの時は気が動転して、言えなかったけど。私、実は来年に東京へ行くことになったの」
「お前が東京に……」
「そう、だから一緒に来ない? 新しい家でまたやり直そうよ。ふたりで……」
未来は俺の目を見て、優しく微笑む。手のひらを差し出して。
これはつまり、そういうことなのだろうか?
復縁して東京へ行き、一緒に暮らし始める。
そのまま、結婚して……俺は今、逆プロポーズされているのか。
「ま、待ってくれ……いきなりすぎて、そんなすぐには……」
やんわりと断ろうとしたが、未来が怒鳴り声をあげる。
「ダメだよ、このままじゃ!」
「へ?」
「今なら戻れるよ、翔ちゃん! 私とここから、”藤の丸”から出て。昔みたいに暮らそう」
「そ、それは……」
「別に私のことは、気にしなくていいから。東京に行くことは、前々から編集部の人たちから勧められていたし……。それにもう、後悔したくない!」
「……未来」
彼女の決意は、固いようだ。
普段は温厚な女だが、今の未来は恐怖さえ感じる。
きっと未成年の航太から、引き離したいという思いからだろう。
でも、俺からすると、彼とはまだなにもしてないんだよな……。
これからも。
※
返答に困っていると、しびれを切らした未来が俺の右手を強く掴む。
両手で一生懸命、俺の手を引っ張る。目に涙を浮かべて。
「翔ちゃん、私じゃダメ?」
「あのな、未来……」
きっと、こいつにまた航太とのことを説明しても、混乱するだけだろう。
ふと、喫茶店の窓から店内を眺めてみる。
綾さんと並んで嬉しそうに、アイスクリームを食べる少年の姿が目に映る。
もし俺が、航太のそばから離れたら、どうなるだろう?
この前みたいに高熱を出したら、誰が助けてくれる。
想像しただけでも、心配から身体がうずうずしてきた……。
「未来、悪い」
冷たいと思ったが、俺は彼女の細い手を強く振り払う。
今まで暴力なんて振るったことないから、力の加減が難しい。
驚いた未来が「あっ!」と大きな声で叫ぶほど。
しかし、ここは敢えて優しくしないと決めた。
「翔ちゃん……?」
「お前からの申し出は嬉しい。だけど……俺はここに残る。まだやることがあるんだ」
「そんなに、本気なの……」
彼女の問いかけには、何も答えないことにした。
※
店から出て、数十分は経ったと思う。
いくら仕事だと嘘をついても、航太のことだから、心配して俺を探しにくるかも……。
そう考えていたら、喫茶店の扉が開き、チャリンと鈴の音が聞こえてきた。
「おっさん~? どこ~?」
ヤバい! また未来と会っているところを見たら、航太が誤解する。
焦り始める俺とは対照的に、未来は呆然としていた。
俺への心配からとはいえ、彼女を拒絶したからな。
かなりショックを受けているようだ。
しかし、このままでは”あの時”と同じ悲劇が起きてしまう。
航太の声と足音がこちらへ近づいてくると共に、俺の心臓がバクバクとうるさい。
どうしよう?
もう、彼をあんな風に傷つけたくない。
「くっ……」
俺は恐怖から瞼を閉じてしまう。
すると、誰かが俺の肩をツンツンと突く。
「おっさん? こんなことろで、なにやってんの?」
恐る恐る、瞼を開くと。
そこには褐色の少年が立っていた。
「航太か!?」
「は? オレに決まってんじゃん? ずっと待ってたのに、戻ってこないんだもん……」
と唇を尖がらせる。
その愛らしい姿を見て、胸をなでおろす。
いや、それよりも俺の元カノは?
未来は一体どこへ行ったんだ……。
まさか幽霊と話していたんじゃないよな。
そんなアホなことを考えていると。
ジーパンのポケットに入れいていた、スマホのベルが聞こえてきた。
一件のメールが届いている。
『ひとりで東京へいきます。色々とごめんね』
未来からだ。
そうか……航太の声が聞こえてきたから、気を使ってくれたのか。
喫茶店の反対側にあるコンビニから、一台のタクシーが出ていく。
後部座席に誰かが座っていたが、彼女か分からない。
本当に悪いことをしたな……。
そう思っていたら、もう一件メールが届く。
『追伸、あのマンガみたいなことはしないでよね』
今後の創作活動に、支障をきたしそうだ。
元カノの未来に、今書いているエロマンガのモデルの正体がバレてしまった……。
しかし、もう彼女を気にする必要はないだろう。
悲しい別れ方だったけど、あれぐらい強く突き放した方が、あいつのためにもなる。
俺みたいな貧乏作家を、東京へ一緒に連れて行くぐらいなら……。
まあ、それは言い訳であって。本当は航太との時間が大切だからだと思う。
今、この胸に抱いている気持ちが、恋愛感情かは分からない。
それでも、あの子が俺にとって、大事な存在になっていることは確かだ。
「……」
無我夢中でキーボードを打つこと、数時間。
真っ白な原稿は、どんどん黒い文字で埋まっていく。
あくまで作品の中だが、未成年の少女がアラサーのおっさんと激しく愛し合う。
部屋に飾っていた、クリスマスツリーが倒れるほど……。
「う~ん」
年の瀬だからと、ヒロインにミニスカサンタのコスプレを着せてみたが。
なんか、現実感が薄いような……。
ここはシンプルに塾帰りという設定にして、セーラー服を着せてみるか。
と顎に手をやり、考え込む。
すると、玄関からチャイムの音が鳴った。
部屋にかけている時計を確認すると、夕方の5時。
航太が学校から帰ってきたのか。
急いで玄関へ向かい、扉を勢いよく開いて見る。
「あ、翔くん! 久しぶりだね」
そこに立っていたのは、本物のセーラー服を着た女子高生。
「なんだ……葵か」
深いため息をつくと、葵が顔を真っ赤にさせる。
「ねぇ! なんか毎回、私に対して酷くない!?」
「別に……」
最近、航太以外だとダメだな。
※
葵がここへ来た理由は、両手に持っていたスーパーのビニール袋にあった。
中には、クリスマス向けのオードブルやローストチキン、それにケーキまでたくさん入っている。
「今夜はクリスマス・イヴじゃん? だけど翔くん、ぼっちでさびしいかと思って」
「大きなお世話だよ」
「だって、未来さんはもう東京でしょ?」
「お前、なぜその話を……」
俺が戸惑っていると、意地の悪い顔をして舌を出す。
「女同士はその辺、ネットワークがあるんですぅ~」
「くっ……」
こいつが弟だったら、ゲンコツの一発ぐらい食らわしてやりたいところだが。
「まあ、終わったことは置いといて……。翔くん、どうせ一人ならパーティーしようよ」
「え?」
「そうそう。色々と揃えてきたんだよ? 三角帽子と小さなツリーでしょ。あとね、家から……」
葵のやつが勝手に話を進めるので、俺は慌てて止めに入る。
「お、おい! なんでそんなことを俺が、お前とやるんだよ?」
しかし、その問いかけに葵は、首をかしげる。
「へ? 何を言ってんの? 私はこれを渡したらすぐに帰るよ。お友達とイルミネーションを見る約束があるし」
「じゃあ、誰とパーティーするんだ?」
「決まってるじゃん。お隣りの男の子」
「なっ!?」
用意したパーティーグッズを玄関におくと、葵は背を向けてしまう。
「それじゃ、お二人で楽しんでねぇ~」
そう言うと、足早にアパートの階段を降りていく。
こちらが拒む隙を与えず、用事が済んだらさっさと消えてしまった。
マジで航太と聖夜を過ごすのか……。
※
よく考えると、中学生の航太はもう冬休みに入っていた。
そのせいか、彼が最近アパートの廊下に座っていることも少ない。
でも、母親の綾さんが、お水系の仕事に向かっている姿は何回も目撃している。
ならば、男を自宅に招き入れるので。
息子の航太は嫌がって、アパートの廊下に逃げるはずだが……。
とりあえず、お隣りの美咲家に向かってみる。
このアパートは壁も薄いが、扉も隙間があるため、家の中から生活音が漏れてくる。
綾さんはいないようだ。
あの人がいたら、いつも男との笑い声が聞こえてくるから。
美咲家のチャイムを鳴らしてみると、すぐに扉が開いた。
「はぁ~い。あ、おっさん……」
白いタートルネックのセーターを着た航太が、ひとりで玄関に出てきた。
下半身は相変わらず、デニムのショートパンツか。
中に黒のタイツを履いてはいるが、寒そうだ。
「お、おう。航太、今ひとりか?」
「え? うん、母ちゃんは仕事だから店に行ってるよ。どうして?」
ブラウンの大きな瞳で、こちらを見つめる。
久しぶりに見たが、その目力は健在だ。
今にも吸い込まれそう……。
「さっき、妹の葵が来てさ。クリスマスだから、俺ん家でパーティーしないかって」
俺がそう言うと、航太は瞳を輝かせる。
「本当に!? 葵さんも一緒にお祝いすんの!?」
「いやぁ……あいつは、友達とイルミネーションを楽しむそうだ。だから俺と二人だけ、それでも良いか?」
「おっさんと?」
目を丸くする航太。
やっぱり、男ふたりでクリスマス・パーティーなんて嫌だよな。
「ああ、別に嫌なら断っていいぞ」
「ち、違うって! いきなりだからビックリしたの……ていうか、パーティーするならちょっと待っててよ!」
そう言うと慌てて、自宅に戻っていった航太。
何か準備でもしたいのかな?
美咲家の前で、しばらく航太を待っていたが全然出て来ない。
仕方ないからチャイムを鳴らしたら、扉越しに彼の声だけが返ってきた。
『おっさん……悪いけど、家で待っていて!』
なにやら、慌てているようだ。
クリスマス・パーティーをするから、料理でも用意しているのだろうか?
しかし、料理が上手な航太でもそんな素早くできるわけないよな。
とりあえず、彼に言われた通り、俺は自宅へ戻ることにした。
※
航太が来る前に、万年床の布団を畳んで押し入れへなおす。
今からパーティーをするんだ。掃除機でもかけておくか……。
久しぶりに掃除機の電源をつけると、何やら音が変だ。壊れたのかな。
と、柄にもないことをしていたら、玄関からチャイムが鳴る。
慌てて玄関に向かい、扉を開けると。そこにはひとりの少年が立っていた。
仮装した姿で……。クリスマス・パーティーを始めるからか?
いや、この格好は聖夜にふさわしくない。
「お、おっさん……。この前、見られなかったでしょ? だから今日着てみたんだ」
と俯いたまま、ぼそぼそと呟く航太。
彼が恥じらうのも仕方がない。
ずいぶん前に担当編集の高砂さんが、資料用にと俺へ送ってくれたコスプレの一つ。
女子中学生の体操服とブルマだ。
前回、航太が着てくれたけど、元カノの未来と出くわして、ちゃんと見られなかった。
気を使ってくれたのか?
「航太……お前、その格好」
「あ、あれだよ! せっかく編集部の人が送ってくれたのに、着ないのはもったいないじゃん!?」
「でも、俺の家でパーティーするとはいえ、寒くないのか?」
そう言って、彼の太ももを指差す。
彼が履いているのは、古いタイプのブルマだ。
ハイカットで下着に近い。
自ずと、小麦色に焼けた太ももが露わになってしまう。
トップスの体操服も半袖だし……。
「だ、大丈夫だよ! ちゃんと考えてハイソックスを履いてるし!」
彼に言われるまで、気がつかなかった。
そうだ。編集の高砂さんが送ってきた時、体操服に靴下はついてなかった。
航太が自分で用意したのか。
確かに白いソックスで、膝まで肌を隠せてはいるが。
12月も終わりに近づいている。
やせ我慢だろう。その証拠に、彼の二の腕から鳥肌が浮かび上がる。
「わかったよ。とりあえず、家に入れ。パーティーを始めよう」
「うん……」
なんか今日はやけに素直だな。
※
航太を自宅に招き入れたところで、パーティーを開始しようと思ったが。
きれい好きな彼は、俺の部屋を見た瞬間、顔を歪めて「汚い」とダメ出しを始める。
部屋に、ほったらかしにしていた掃除機を手に取ると、そのままお掃除タイムに入ってしまう。
「おっさんは、ちょっとこの部屋から出ててよ!」
「は? なんでだよ?」
「邪魔なの! それにクリスマス用に部屋を飾りつけした方がいいじゃん!」
「……」
正直、そんなものはどうでもいいだろ、と言いたかった。
しかしここは黙って彼に、従うことにした。
部屋から離れてキッチンの奥へ向かい、タバコを取り出す。
換気扇を回すと、咥えたタバコに火を点ける。
「ふぅ……」
口から煙を吐き出しながら、一生懸命、掃除機をかける航太の姿を眺める。
おかしな気分だ。
男とは言え、体操服にブルマ姿の中学生が、俺みたいなアラサーの家でクリスマス・イヴを過ごすことになるとは。
~20分後~
掃除が終わったと思ったら、お次は飾りつけを始めた。
妹の葵が買ってきた物もあるが、航太が亡くなったおばあちゃんと、二人で作った飾りが残っていたらしい。
それらを交互に部屋の壁に飾りたいと言うので、俺は押し入れからパイプイスを取り出す。
背の低い彼では、手が届かないからだ。
まあ、このパイプイスも元々は、こんな脚立代わりに買ったわけではない。
元カノの未来が、たまに俺の髪を切ってくれる時に使っていたものだ。
今では使うことがなくなったけど……。
「う~ん、いまいちかな……」
とパイプイスの上に立って、首をひねる航太。
飾りつけの位置が気に入らないようだ。
俺は下から彼の後ろ姿を眺めている。
当然、紺色のブルマ……彼のヒップがどうしても、目線に入ってしまう。
クリスマスだってのに、俺たちは一体なにをしているんだ?
でも見惚れてしまうのも事実なんだよな。
「おっさん」
「え?」
「オレが持って来た袋の中にさ、星の飾りがあるんだ。取ってくれない?」
「ああ……」
航太が持って来たトートバッグを手に取る。
どうやら、これも手作りの物みたいだ。
バッグを開いて中を確認すると、フェルトで作られた星がたくさん入っている。
「おい、航太」
「え? なに?」
「この中、星だらけだ。どの色を使うんだ?」
「もう! クリスマスなんだから黄色に決まってんじゃん!」
そう言うと航太は、強引に俺からトートバッグを掴もうとする……が。
思ったより彼の手は短く、バッグまで届かず。
態勢を崩してしまう。
「「あ!」」
お互いに叫んだときには、もう遅かった。
航太は椅子から足をすべらせて、宙を舞っている。
咄嗟に俺は両手を差し出す。
すると、俺の腕の中にひとりの少年が抱えられていた。
偶然とはいえ、お姫様抱っこをしてしまった。
「ご、ごめん……おっさん」
「いや、いいさ」
ちょっとしたハプニングもあったが、どうにか準備は完了した。
いつも使っている、ちゃぶ台の上にはオードブルとローストチキンを置いて。
俺と航太はクラッカーを手に持ち、お互いの顔を見て頷く。
「「せーのっ! メリークリスマス!」」
パン! という破裂音と共に、色とりどりのテープが部屋の畳に散らばる。
あとで掃除するのが面倒だが……航太の横顔を見れば、どうでも良いか。
「うわぁ……すごい。オレ、こういうの久しぶりに見たかもしれない」
と大きなブラウンの瞳を輝かせる。
「そうなのか? 綾さんとは祝ったりしないのか?」
「うん、ないよ」
「でも……クリスマスが無くても、誕生日とか祝うだろ?」
「え? ばーちゃんが死んでからは無いかな?」
「……」
俺が思ってた以上に興味がないんだな、綾さんは。
実の息子なのに……。
あまりにかわいそうだったので、俺は航太の頭を撫でながら、こう言った。
「じゃあ、今日はとことん俺の家で遊んでいけ! なんなら、航太の誕生日も今度パーティーしよう!」
すると彼は大きな瞳を丸くする。
「本当!? じゃ、じゃあ今夜は泊まってもいいかな? 母ちゃん、家にいないんだ」
「綾さんに許可を取れたら、全然いいぞ」
「やったぁ!」
~30分後~
航太が温め直してくれた、ローストチキンを二人して仲良く食べる。
福岡のローカルテレビ番組を観ながら、クリスマス気分を味わう。
博多や天神のイルミネーションを中継しているからだ。
「おっさん、こういうところ。行ったことある?」
「ん? ああ……最近は行ってないな。昔、学生時代ならあるけど」
学生時代という言葉で、ローストチキンを持つ航太の右手がピクッと震えた。
また元カノの未来を、想像したのだろう。
しかし、あいつはもう東京だ。
「そ、そっか……いいな。オレ、行ったことないから」
と寂しそうな顔をして、テレビの中の夜景を眺める。
ひとりだけ、仲間外れをされた子供のようだ。
「じゃあ、来年行くか?」
「え?」
「俺でいいなら、連れて行ってもいいぞ」
「ほ、本当に? でも……来年、オレと母ちゃん。まだこのアパートにいられるかな?」
「あぁ……」
そう言えば、忘れていたな。
航太たちがここ、”藤の丸”に引っ越してきた理由を。
母親の綾さんの男癖が悪いから、トラブルが多くて、何度も引っ越していたんだっけ。
「ま、まあ、航太が引っ越したとしても、俺が迎えにいくさ」
彼を元気づけるために、気休めの嘘でもついておく。
「おっさんが? でも、母ちゃんてさ。今までに一年間で3回以上、引っ越したことあるんだぜ?」
「関係ないさ、必ず俺が迎えにいくよ。どうせ引っ越すと言っても福岡市内だろ?」
「う、うん!」
「じゃあ、大丈夫さ」
※
ローストチキンとオードブルを平らげたところで、冷蔵庫で冷やしておいたケーキとシャンメリーをちゃぶ台の上に置く。
俺は包丁なんて扱えないから、ケーキのカットは航太に任せる。
その間、グラスにシャンメリーを注いで待つことにした。
「はい、おっさんの分」
「悪いな」
航太からカットしたケーキを受け取ると、俺も彼にグラスを渡す。
「なにこれ?」
「あ、それはな。妹の葵が実家から持って来たシャンメリーだ」
「お酒じゃないの?」
「大丈夫だ。子供でも飲めるジュースみたいなもんさ、炭酸は入ってるけどな」
俺がそう説明すると、航太は嬉しそうにグラスを受け取る。
「ヘヘ、じゃあ。オレでもシャンパンぽく飲めるね」
「まあな……でも、飲み過ぎたらトイレが近くなるぞ?」
「いいじゃん! そんなの!」
顔を真っ赤にして怒っているが、どこか嬉しそうだ。
俺はそんな彼を見て、苦笑しながらグラスを掲げる。
「乾杯するか?」
「うん!」
航太もグラスを掲げると、互いのグラスを打ち付けて、音を鳴らす。
何も考えず、口元にグラスを運ぼうとしたその瞬間だった。
中に入っている液体から、独特な香りに気がつく。
この香り……アルコールじゃないか?
ちゃぶ台の上に置いてある、シャンメリーの瓶を手に持ち、ラベルを確認する。
『スパークリングワイン アルコール12%』
それに気がついた俺は、思わず大量の唾を吹き出してしまう。
「ぶふーーーっ!」
葵のやつ。間違えて実家から、親父のシャンパンを持って来たな。
恐る恐る航太の方へ視線を向けると……。
「あははは! おっさん、汚いよっ!」
顔を真っ赤にして、大笑いしている。
ヤバい……未成年にお酒を飲ませちゃったよ。
母親の綾さんに、なんて言おう?
あ、でも、今晩は家に泊るんだったな。
一晩あれば、お酒は抜けるだろう。
ここは様子見でいいかな?
「おっさんも、一緒に飲もうよ! まだまだこのジュースあるんだからさ、ひっく!」
気がつくとボトルの半分以上を飲み干していた。
これはもう、完全に出来上がっているな。
酒癖の悪さは母親似か。
「あぁ~ なんかこの部屋って暑くない?」
「え?」
「もう、脱いじゃう!」
「なっ!?」
今晩、この家に彼を泊めても大丈夫だろうか?
「やっぱり、暑いから脱いじゃおうっと!」
どうやら航太はアルコールを飲んだせいで、身体の血流が良くなったようだ。
顔を真っ赤にして、ヘラヘラと笑っている。
今、俺の部屋は暖房など、一切つけていない。
年末に入ったし、寒いに決まっている……。
だが、目の前に立つ少年は、体操服を勢いよく脱ぎ捨てる。
「あ~ すっきりした。おっさんも脱いだらぁ~?」
そう言って、胸を張る航太。
畳で座っている俺からすると、どうしても二つの蕾が目に入ってしまう。
小麦色に焼けた肌とは違い、ピンク色の小さな蕾だ。
ダメだ!
見惚れている場合じゃない。
早く彼の体内から、アルコールを出してあげないと。
このままでは、危険だ。
「こ、航太……あのな、お水でも飲まないか?」
下から彼の小さな顔を眺めていると、なんとも変な気分だ。
まあブルマ姿で、上半身は裸だものな。
今、誰かにこの場を見られてしまったら、言い訳できない状況だ。
「えぇ~? いらなぁ~い! それより、もっと楽しいことをしようよ!」
「へ?」
「待ってて……今、持ってくるからぁ……」
恐らく、生まれて初めて飲んだお酒だったのだろう。
千鳥足で部屋の中を歩いている。
しばらく待っていると、先ほど壁に飾りつけをする際に使った、トートバッグを持って来た。
「あのね……この中にいいもんが入ってるんだ」
トートバッグの中を見るために、しゃがみ込む。
「ごくん……」
それを見た俺は、思わず生唾を飲み込む。
両脚を左右に大きく広げているため、ブルマがよりフィットしているからだ。
もちろん、小さな”彼のシンボル”もだ……。
おまけに酔っぱらっているから、ブラウンの大きな目はとろんとしている。
まるで……俺を誘惑しているような。
「じゃ~ん! これだよ!」
彼の声を聞くまで、我を忘れていた。
「ど、どうした? 航太?」
「見て見て~ この前の喫茶店のマスターからもらった、”紙風船”だよ!」
「……」
そうだよな、中身はまだ子供だから。
いくら酔っぱらっても、大人の俺みたいな考えには至らないよな。
だって、クリスマス・パーティーだし……。
※
「おい、航太! そんなに走り回ったら危ないぞ!」
泥酔した航太は、俺の声が聞こえていないようだ。
「ははは! この紙風船ってけっこう頑丈だぜ!」
自身の唇で膨らませた紙風船を、手の平で叩いて遊ぶ。
もう、かれこれ10分ぐらい遊んでいると思う。
航太も中学2年生だというのに……脳内はまだまだ子供だな。
しかし、着ている格好が良くない。
体操服は脱いだままだし、下半身は紺色のブルマだ。
最近、見かけないが……。あのクラスメイトに、この場を見られたら通報されるだろう。
そろそろ、彼に体操服を着させるか。
畳に落ちていた上着を拾うと、ゆっくり立ち上がる。
その時だった。
パンッ! という破裂音が部屋に響き渡る。
「あっ……割れちゃった」
どうやら、彼が気に入っていた紙風船が割れてしまったようだ。
驚いた航太はその場で、呆然としている。
「割れたなら仕方ないさ。また買えばいいだろ?」
そう言って、彼の頭に体操服をかけようとした瞬間。
いきなり航太が振り返る。
じーっと俺の目を見つめて、何か考えているようだ。
「どうした?」
「あのさ……おっさんの口にも息を吹きこんだら、紙風船みたいに膨らむと思う?」
「なっ!? 何を言って……」
彼は酔っぱらっている。
だから急に変なことを言いだしたんだ……だって、おかしいだろ。
唇を使って、息を吹きこむなんて。
戸惑う俺を無視して、航太はゆっくりと近づいてくる。
頬を赤くして、微笑みながら……。
気がつけば、俺の首には褐色の細い腕が回されていた。
「こ、航太……?」
「いいじゃん、試そうよ」
身長も低いし、華奢な体型だ。
嫌だったら突き飛ばせいい……のに、出来ない。
彼に言われるがまま、俺は身を任せてしまう。
「んん……」
第一印象は、酒臭かった。
でも、それよりも彼の唇が柔らかくて……。
小さくて愛らしい。
元カノの未来よりも、甘いキスだと思った。
ここまでやったら、止めることが出来ない。
今まで、抑えていた感情が湧き出る。
小麦色に焼けた背中へ手を回して、優しく抱きしめる。
それだけじゃ我慢できなった俺は、手を腰へ下してしまう。
「っさん……」
唇を重ねて、初めて航太の声を聞いた。
あまりの気持ち良さに、彼を無視していたことに気がつく。
「悪い、航太……これは、その……」
「あのね……なんか、頭がフワフワして……」
「え?」
「もう無理かも……」
そのまま、立って眠ってしまった。
胸の中で眠る航太を見て、ようやく理性を取り戻す。
「なにやってんだ、俺は!」
とりあえず、自身の頬をビンタしておいた。
事故とはいえ、未成年の少年とキスしてしまった。
酔っぱらっている航太と……。
彼としては、紙風船のように俺の頬が膨らむか、遊ぼうとしていただけ。
本当に純粋な気持ちで、唇に触れたはず……なのに。
俺はそれを利用して、自らの欲望を満たしてしまった。
罪悪感で胸が押し潰れそうだ。
しかし、後悔するのは後にしよう。
半裸状態の彼を立ったまま寝かせては、風邪を引いてしまう。
航太を抱き上げて、一旦畳の上に寝かせる。
押し入れになおしていた、布団を取り出すためだ。
敷き布団を畳に敷くと、彼を寝かせてあげる。
着ていた体操服では、どちらにしろ寒そうなので、俺がいつも使っているトレーナーを着せておいた。
掛け布団をしっかり首元まで、掛けてあげる。
彼の寝顔を眺めながら、ため息をつく。
「はぁ、酷いクリスマス・パーティーだったな……」
どちらにしろ、母親の綾さんには、このことを内緒にしておかないと……。
※
あれから、一晩が経った。
航太は初めての飲酒を経験したせいか、なかなか起きてくれない。
時おり、いびきをかいている……。
俺はと言えば、キッチンの換気扇の前で立ち尽くしていた。
タバコをくわえながら……。
もう、何本目だろう。
航太とのキスを思い出しては、頬が熱くなり、心臓の音がバクバクとうるさい。
興奮を抑えるために、タバコに火をつけて煙を吐き出す。
静まり返った部屋の中は、掛け時計の針の音……それから、航太の寝息だけが聞こえてくる。
ダメだ、眠れない。
「でも、俺は……」
あの時、もし航太がその場で倒れ込むことなく、続けていたら?
果たして、理性を保てていたのだろうか。
朝になっても、航太が目を覚ますことは無かった。
そろそろ起こさないと、いい加減、あの綾さんでもチャイムを鳴らしてきそう。
キッチンに置いていた灰皿で、タバコの火を消すと。
ゆっくり航太が眠る布団へ近づく。
膝を曲げて、彼の小さな手に触れようした瞬間だった。
パチンと音を立てて、瞼が開く。
俺に気がつくと、ブラウンの大きな瞳がこちらをじっと見つめる。
「お、おう……大丈夫か?」
平静を装うつもりだったが、まだ頭の中は昨晩のキスでいっぱいだった。
「あれ、パーティーはどうなったの?」
人差し指で瞼をこすりながら、身体を起こす。
起きて間もないから、まだボーっとしているようだ。
というか、昨晩のことを覚えていないのか?
俺は恐る恐る、彼に聞いてみることにした。
「昨日のこと……覚えていないのか?」
「なにが?」
と首をかしげる航太。
本当に覚えていない……?
もし、そうなら俺にとっては、好都合なことかもしれない。
だってキスの相手が、アラサーのおっさんだからな。
たぶん初めての経験だっただろうし、彼が酒で記憶を消してしまったのなら。
その方がお互いに良い……今後のためにも。
「ところで、おっさん。オレ、寝ちゃったみたいだけど、パーティーは終わったんだよね?」
「ああ……昨晩はかなり興奮していた見たいだからな。疲れていたんじゃないか」
「そっか。ならさ、またしない?」
ゆっくりと俺に身を寄せ、上目遣いで頼み込む。
彼が何を考えているかは分からない。
自然と、昨晩のキスを思い出してしまう。
また……して欲しいということか?
生唾を飲み込んだあと、その質問の意味を聞く。
「な、なにをするんだ?」
すると、彼は満面の笑みでこう答えた。
「もちろん、クリスマス・パーティーだよ! あんなに楽しい夜は初めてだったからさ」
変な期待した俺がバカだった……。
「そうだな。じゃあ来年も二人でするか?」
「うん、約束!」
そう言うと、お互いの小指で契りを交わすのだった。
~一週間後~
色々とハプニングだらけの年末だっただが、無事に年を越せた。
まあ、お正月だからと言って、特にやることもなく……。
いつも通り、近所のコンビニで酒とつまみを買って、アパートへ歩いて帰ろうとしていると。
どこからか怒鳴り声が聞こえてきた。
俺が住んでいる、アパートの方からか?
気になったので近くにあった電柱の裏に隠れて、様子を見ることにした。
「だからさ! なんでそうなるんだよ、母ちゃん!?」
この甲高い声、航太か。
元旦から一体なにを怒っているんだ。
「仕方ないでしょ? もう決まったことなんだから……」
電柱から少し顔を出してみると、アパートの廊下で航太と綾さんが話していた。
「母ちゃんはいつもそうだ! 勝手に選んで、決めて……オレの気持ちは考えてくれないじゃん!」
航太のやつ……泣きながら、怒鳴っているのか?
なんか、いつもの親子ゲンカとは、雰囲気が違うような。
「航太、お願い。一緒に来てよ、あなたがいないと……」
綾さんは、まだ航太と話したかったようだが、彼がそれを遮る。
「ふざけんな!」
そう叫ぶと綾さんに背を向けて、アパートの階段を駆け下り。
泣きながら、どこかへ走り去ってしまった。
一体、あの親子に何があったんだ?