結局、掃除好きな航太は、俺の部屋を全て片づけると言い始め。
もうかれこれ、数時間も大掃除している。
畳に散らばっていたマンガ雑誌も、しっかりと本棚に並べてくれた。
洗濯はしたのに、たたむのが面倒くさくてほったらかしの服も、ひとつ一つ畳んでタンスへ直す。
まるでお母さんだな……。
しかし、ずっと気になっていることがある。
それは俺が原作を担当した、エロマンガが連載されている雑誌のこと。
彼も男だから興味はあると思うが……まだ未成年の中学生。
自分も思春期に経験があるから、読むなとは言えないが。
母親の綾さんを考えると、気を使ってしまう。
「ねぇ、おっさん」
「ん? どうした?」
「あのさ……おっさんて、マンガが好きなの?」
本棚に入りきらなかった古いエロマンガ雑誌を、束ねて紐で縛る航太。
この雑誌が、18歳以上を対象としていることに気がついてないようだ。
「いや……好きというか。仕事上、必要でな」
「え、ていうことは、おっさんて漫画家なの!?」
「漫画家というか、その原作を書いているんだ」
エロマンガだけど。
「すげぇ~ じゃあ作家なんだ……あっ、じゃあニートじゃないの?」
「違うよ」
まだニートだと、思いこんでいたのか。
確かに貧乏な暮らしだから、そう思われても仕方ないけど。
「そうだったんだ。じゃあ作家だけで食べてる、プロってやつ?」
「まあ、カツカツだけどね……」
「へぇ~ 良いなぁ。ねぇ、オレもおっさんのマンガを読んでみたい」
ブラウンの瞳を輝かせる航太。
断りづらいな。
「いいけど、綾さんには内緒にしてくれる?」
「うん! 約束な!」
そう言うと、小指を差し出す航太。
仕方なく、俺も小指を出して契りを交わす。
「じゃあ読んでみるね……んと、何ページがおっさんの?」
「えっと……150ページあたりかな」
しばらく沈黙が続いたあと、航太の顔は真っ赤に染まってしまう。
目を泳がせて、唇をパクパクとさせている。
「な、なにこれ……」
「その、航太も年頃だから、興味あるだろ? 俺の仕事はエロマンガの原作なんだ」
「聞いてないよ! バカッ!」
喜ぶかと思ったら、めちゃくちゃ怒られてしまった。
普通、この年頃なら喜んで読むだろうに……。
※
「で、でもさ……おっさんのエロマンガだっけ? ストーリーとか、キャラは全部おっさんが考えているんでしょ?」
「ああ、本当はネームが良いんだけど。俺は文字でしか表現できないからな……」
「やっぱりな! しょ、正直読んで見て思ったもん」
何故か勝ち誇ったかのように、胸を張る航太。
一体、何を言いたいんだろう。
「なにがだ?」
「ヘヘ……あんなコスプレイヤーがいるわけないよ。む、胸もアホみたいにデカいし……」
「はぁ、だから?」
「童貞くさいんだよ、いかにも童貞の考えたストーリーって感じ」
そういうことか……。
未だに俺をそんな風に見ているのか。
「あのさ、航太。別に自慢したいわけじゃないが……」
「なんだよ? おっさん、怒ったの?」
「全然、怒ってないよ。前にも童貞って言われたけど、俺。もう童貞じゃないぞ?」
俺がそう答えると、航太は大きな瞳を丸くさせる。
口を大きく開いて驚いていた。
「ウソだっ! 格好つけんなよ!」
「いや本当だって。大学に入ってすぐ、先輩に誘われて『そういう店』で経験させてもらったのさ」
「……」
俺が童貞じゃなかったことが、よっぽどショックだようだ。
肩を落として俯いてしまう航太。
「別に普通のことだろ?」
「……じゃない」
「え?」
「普通じゃないよっ! おっさんのバカっ!」
急に顔を上げたと思ったら、涙目で叫び声をあげる。
「どういうことだ?」
「そんなお店を使うなよ! ”そういう”のはちゃんと取っておけ、バカ!」
「は?」
童貞を取っておく?
一体、なんのために。
「もう今日は帰る! あとの片づけは、おっさんがしろよな!」
「お、おい……」
止めようとしたが、彼は急いで家から飛び出てしまった。
泣きながら……。
童貞なんてすぐに捨てるものじゃないのか。
最近の子供は、わからないな。
あれから数日経った。
俺が童貞じゃなかったのが、よっぽど悔しかったのか。
航太は怒って、俺の家に近寄るどころか、アパートの廊下にさえ現れない。
一体なにが悪かったのだろうか?
やはり、あれか。中学生ぐらいだと劣等感から、非童貞の俺がムカつくのかな。
何度かコンビニで肉まんを購入し、アプリで当たったという噓で、彼の機嫌を取ろうとしたが。
家から全然出て来ない。
仕方ないので、自ら肉まんを頬張っていると、スマホが鳴り響く。
誰かと思ったら、編集部の高砂 美羽さんだ。
たぶん、この前の原稿の件だろう。
「もしもし?」
『あ、今よろしいでしょうか? SYO先生』
SYOという名前は、俺のペンネームだ。
本名の翔を、ローマ字に変えただけだが。
「いいですよ」
『前回の原稿について、ちょっとお話したいのですが、1時間後にいつもの“ライム”でいかがですか?』
「大丈夫です」
電話を切った瞬間、腹がぐぅっと音を鳴らす。
ライムという名前を聞いただけで、例のメニューが頭に浮かんできた。
学生時代から利用している喫茶店。
あそこはナポリタンが美味いんだよな……。
※
約束した時間より早く、現地に着いてしまった。
喫茶店、ライム。オープンしてかれこれ30年以上経つと聞く。
学生時代から通っているが、昔ながらの喫茶店というスタイルが好きだ。
今のご時世、喫煙者はどこも嫌われる。
自分が住んでいるアパートでさえ、ベランダでタバコを吸っていたら、一斉に窓を閉められるし……。
喫煙所も少ない。コンビニの駐車場か、このライムぐらいでしか落ち着けない。
店のドアを開けると、鈴の音が鳴り響く。
カウンターに立っていた初老の男性が、俺の顔を見てニコリと笑う。
「あ、翔ちゃん。久しぶりだね」
「ういっす。マスター」
「全く、まだそんな格好をして……”未来”ちゃんが見たら怒るよぉ~」
「この半纏が一番、暖かいんすよ。あと、“あいつ”とは別れたって言ってるじゃないっすか」
「そうだった。ごめんごめん……好きな席いいよ」
「ちっす……」
あいつの名前を出されて、つい動揺してしまった。
もう別れて、3年近く経つのに……。
店の中は俺以外、客が3人ほど。
平日だし、午前だものな。
マスターが持ってきた灰皿を受け取ると、一服させてもらう。
天井に浮かぶ白い煙を眺めながら、ふとこの街に引っ越してきた頃を思い出す。
俺の住んでいる区域、藤の丸町は、主に単身者向けのアパートやマンションが多い。
それは、近くに大きなキャンパスがあるから。
大勢の学生が、大学近くの寮やアパートを探す。
俺は県外から引っ越して下宿する学生たちとは違う。実家は同じ福岡市内だし、頑張れば通える範囲だ。
しかし、偏差値の高い国立大学への受験に失敗し、適当に受けた私立大学に入学すると両親に報告したら、猛反対された……。
面倒くさくて逃げるように、この街で一人暮らしを始めた。
それが約10年前のこと。
卒業したら、さっさと出て行くつもりが、ダラダラとこの街に住み着いてしまった。
まあ住み始めると、居心地が良いし。
タバコを一本、吸い終える頃。
店内の入口から、鈴の音が鳴る。
「あ、SYO先生。お待たせしました!」
息を切らして店に入ってきた若い女性。
この人が俺の担当編集、高砂 美羽さんだ。
まだ出版社に入社して間もない、新人。
多分、就職活動からそのまま使っているのだろう。
黒い無地のジャケットに、スカートを履いている。
「お疲れ様です」
「いえいえ! こちらこそ、呼んでおいて遅刻してしまうなんて……」
眼鏡をかけ直して、大きなトートバッグの中を漁り始める。
落ち着きの無い人だ。
「俺が早めに来たんすよ。気にしないで下さい」
「そうでしたか……なら、打ち合わせを始めてもいいですか?」
「ええ」
ここまでは、愛いらしい新人の女性なのだが。
創作の話になると、性格が激変する。
「実はですね……SYO先生が書いている『ムチムチ、コスプレイヤー』なんですが。今回の連載で、一度休載にしたいのです」
「え、どうしてですか?」
「ちょっと表現し辛いのですが……もっと背徳感を感じられる若い……。いや幼い女の子をめちゃくちゃにするエロマンガが、私的には好ましいのですっ!」
「……」
高砂さんはゴリゴリのロリコンだった。
「ですから、SYO先生。たまには趣味を変えて、ムチムチ女子大生からロリ体型に変えたら、どうでしょうか!?」
そう言って、喫茶店のテーブルを平手で叩く地味な女性。
普段は大人しい女の子なのに、創作の話になると興奮しがち。
元々、俺が所属している編集部は男性が多かった。
そりゃ成人男性向けのマンガ雑誌だからな……。
若い女性は、働きづらいだろう。
だが、この目の前にいる高砂 美羽さんは違う。
元々ロリ好きで、なおかつ百合が大好物。
母体である博多社の採用担当は彼女を見て、女性向け雑誌を扱う”BL編集部”へ配置したが、問題が生じた。
彼女の性癖が強すぎて、女性作家たちからクレームが殺到。
仕方なく、男性向けの編集部へ異動された……。
しかし本人は、この左遷を喜んでいる。
むしろ転職だと叫ぶほど。
「あの……高砂さん。いきなり『ムチムチシリーズ』を、休載はまずくないですか?」
「いいえ! 前々から思っていたんですよ! SYO先生ならロリっ娘を無理やり襲うような、鬼畜ものを書けそうだって!」
「……」
酷い偏見だ。
「だって、文字でしか表現できないのに。あの妙にリアルな女子大生! まるで実体験を基に書いているとしか思えません!」
「それはその……」
返答に困っていると、喫茶店のマスターがメニューを持って来た。
「いらっしゃい。あれ? ひょっとして、翔ちゃんの新しい彼女さん?」
天然なマスターらしい誤解だ。
でも話が逸れて、好都合かもしれない。
「えぇ!? 私がSYO先生の彼女だなんて、おこがましいですっ!」
先ほどの勢いは消え失せ、両手を左右にブンブンと振る高砂さん。
創作に関しては暴走しがちな女性だが、恋愛や私生活になると大人しくなってしまう。
ここは、俺が助け舟を出そう。
「マスター、この人は編集部の高砂さんだよ。前にも何回か来たろ?」
「ああ~ そう言えば、そうだったね、ごめんごめん」
年上のマスターが頭を下げると、高砂さんは慌てだす。
「いえいえ! あ、それより注文ですよね? えっと私は……」
一生懸命、メニューを眺めているが、今のままでは注文できない。
逆さまだからだ。
「高砂さん。カレードリアとかどう? ここのは美味しいらしいよ」
「え、そうなんですか? じゃあ私はカレードリアを一つお願いします!」
「カレードリアね。翔ちゃんは、いつもの大盛りでいいかな?」
いつものとは、ナポリタンのことだ。
「うん。それでお願いします」
マスターが「あいよ」と注文を取ると、カウンターの奥へと去っていく。
「はぁ、ビックリした。私、こういう喫茶店って慣れてなくて……」
「そうですよね、俺はこの店長いんで。ていうか、毎回天神からここまで来てもらってすみません」
「全然構いませんよ。私も編集部にずっといると、気を使うので」
本来なら出版社のある繫華街、天神まで俺が行くはずなのだが。
年がら年中、金が無くてヒーヒー言ってるので、編集部から藤の丸まで来てもらっている。
さすがに汚いアパートで打ち合わせは、気まずいので。この喫茶店を利用しているが。
まあ、俺の狙いはこの店の会計が、編集部の経費になることだ。
ナポリタンを大盛りで食べて、食後に飲むコーヒーとタバコが最高。
でも、カレードリアか……。
相手が若い女性だし、勝手に好きだろうと勧めてしまった。
本当は違う。
学生時代。
あいつといつも、バイト帰りにこの店へ寄っていたから、癖になっているだけ。
『マスター、ナポリタン大盛りとカレードリアね!』
『ちょっと! 翔ちゃん、私はまだ決めてないよ?』
『でも、お前。毎回悩んだうえでドリアじゃん』
『そうだけどさ……酷くない!?』
別れて3年も経つのに。
まだ忘れられないのか、だせぇな。俺って……。
人通りの少ない道をひとり歩く。タバコをくわえて。
口から煙を吐きだしても、誰も文句を言わない。
すれ違うのは、旧国道線を走る車だけ。
この時間、歩道にはほとんど人がいない。
さびれた街と言えば、終わりになるが……。
しかしこの静けさ。俺は嫌いじゃない。
近くの店は居酒屋や喫茶店、コンビニぐらいしかないけど。
それでも、この藤の丸という街は落ち着く。
ちょっと通りを曲がれば、灯りが少なく暗いため、おっかないところもあるけど。
俺みたいな作家崩れは静けさこそ、リラックスできる。
ネタに困った時は、この近所を歩き回るのが一番だ。
歩きタバコは良くないけど、まあ人と会ったらすぐに消すさ。
『SYO先生、どうか一回で良いので、ロリものに挑戦しませんか!?』
喫茶店で、担当編集の高砂さんの放った言葉が頭をよぎる。
「参ったな……」
高砂さんはまだ新人で、打ち合わせをしたのは3回目だ。
それほど、コミュニケーションが取れていない。
以前の編集は何も文句を言わない、おっさんだったし……。
ロリものねぇ。
書けないこと無いかもしれないけど、俺はそんな趣味ないし。
それに……今人気のあるムチムチシリーズは、“あいつ”をモデルにしているもんなぁ。
口が裂けても言えないよ。
元カノのことをエロマンガのキャラに使っているなんて。
気がつくと住んでいるアパートが目に入った。
俺の住んでいるアパートも、灯りが少なくてどこかおっかない。
所々、錆びているし二階へ昇る階段も何個か穴がある。
金に困ってなけりゃ、こんなところへ住まないよ。
「あ、おっさん!」
「え?」
見上げると、二階の柵から細い二本の脚をバタバタとさせる少年の姿が。
黄色のトレーナーワンピースを着ていて、下から見るとどうしても股間に目が行ってしまう。
まあ、中身はショートパンツなんだけど。
「おっさん! この前の話、オレちゃんと調べてきたぞ!」
「は? なにを言っているんだ?」
航太の話を聞きながら、階段を登る。
「ま、前に言ってたじゃん! おっさんはそういう店で童貞を使ったって!」
「……」
童貞は使うじゃなくて、捨てるものだと思うが。
なんか良く分からんが相手は、まだ中学生だ。
思春期だし、色々と考えているかもな。
話だけは聞いてやろう。
「オレさ、スマホで調べたんだぜ! そういう店で童貞は捧げられないんだって」
「一体どういう……」
「だからおっさんは、素人童貞だっ! 本当の童貞は捧げられてないってことなんだよ!」
自分の家にたどり着き、ドアの鍵を開けようとするが……。
頭が真っ白になり、固まってしまう。
この子は一体、なにが言いたいのだろう?
「お、おっさんはやっぱりモテないんだろ! 変に格好つけんなって。だからエッチな話しか書けないんだ!」
そう言うと、俺の顔目掛けて、ビシッと人差し指を指す。
「……」
なんて返したら良いんだ?
この子、どうしても俺をこけ下ろしたいんだよな。
きっと自分が童貞だから、俺も童貞であってほしいとか。
参ったな。変にプライドを傷つけたくないし、どうやって伝えるべきか。
「あのな、航太。確かに俺はピンク系の店で、童貞を捨てた。だけど、そのあと彼女が出来たから。もう世間一般で言う童貞じゃないと思うぞ?」
「はぁっ!? おっさんに彼女がっ!?」
大きな瞳を丸くして、驚いている。
俺ってそんなにモテないように見えるのか?
ちょっとショックだな。
「ああ、もう別れてだいぶ経つけどな……」
これで満足してくれただろうと、ドアノブを回そうとしたその時だった。
「ウソだっ!」
航太が顔を真っ赤にして叫ぶ。
アパート中に響き渡ったんじゃないだろうか。
その大声に俺もビクッと震える。
「航太……?」
「ウソに決まってる! そんな毎日ダセェ半纏を着ているような、おっさんを好きになる女なんて、この世にいるかっ!」
「それは……」
「本当にいたって言うなら、証拠を出せっ!」
なぜここまでこだわるんだ、この子。
「いいから早く出せよっ! 証拠をさ!」
と涙目で叫ぶ、航太。
一体、なにをここまで必死になっているんだ?
わからん……。
「証拠って例えば?」
「そ、そうだ……彼女っていうんなら、連絡先。L●NEとか」
「ああ。それならあるさ」
別れたからと言って、絶縁したわけじゃない。
相手はどう思っているか知らないが……。
俺は“あいつ”を嫌いになって、別れたんじゃない。自分が釣り合わない男だって思ったから。
仕方なく、俺から別れを切り出したに過ぎない。
だから今でも思い出は、大事に残している……。
電話番号にメールアドレス、L●NEや各SNSもお互いにフォローし合う仲だ。
ジーパンのポケットからスマホを取り出すと、アドレス帳を開く。
開いてすぐに、あいつの名前が出るように設定してある。
未来と書いて、みくる。
それが俺の付き合っていた彼女の名前だ。
「これでいいか?」
航太にスマホを突き出したは良いが、頬が少し熱くなるのを感じた。
なんか元カノと、イチャイチャしているところを、見せつけているような気がして。
「見せて」
俺の手からスマホを奪い取ると、じーっと眺める航太。
しばらく黙って見つめていたが。スマホを掴んでいる指が震え始める。
そして何を思ったのか、鉄骨製の廊下にスマホを叩きつけた。
「なっ!?」
「こんなの、ウソだっ! おっさん。男友達のアドレスを、女の名前に変えたんだろ?」
「……なんでそんな回りくどい嘘をつくんだよ。本当に俺が付き合っていた女の子だって」
スマホが壊れていないか、急いで拾い上げる。
どうやら、正常に機能しているようだ。
しかし、画面に亀裂が入っている……。
ひどいな。
「じゃ、じゃあそこまで言うなら、写真とか無いわけ?」
割れたスマホの画面を見て、罪悪感を感じているのか、航太は視線を逸らしている。
そんなに人の元カノが、知りたいかね?
ため息をついて、数年前の写真を探してみる。
学生時代にデート帰り、プリクラを二人で撮ったやつがある。
これならあいつが、俺の腕に手を回しているし、良いだろう。
「ほら、この写真ならもう納得か?」
再度、航太にスマホを差し出す。
今度は投げるなよ。
「んん……」
眉間に皺を寄せ、スマホを覗き込む。
まだ疑っているようだ、唸り声を上げて首を傾げる。
「合成写真じゃないぞ? ほら、二人とも仲良さそうだろ?」
自分で言っていて、超恥ずかしい。
過去とはいえ、のろけだからな。
「なんかさ……地味じゃね? おっさんの元カノって」
「そ、それはこいつがファッションとか、あんまり興味なくてだな……」
彼の言う通り、元カノの未来は地味な女子だ。
通っていた大学には、芸術学部があって、ある時偶然知り合った仲。
普段は趣味であるマンガのことしか、考えていないから地味と表現されても仕方ない。
だが、写真まで差し出したのに、それではあまりにも未来がかわいそうだ。
「ねぇ、おっさん。付き合っただけで、何もしてないんじゃないの?」
「はぁ!?」
「こんな地味女のどこに惚れたの? オレだったら、罰ゲームでも嫌かな」
「……」
別れたとはいえ、未来は俺が初めて付き合った彼女だ。
ここまで言われる筋合いは無い。
というより、彼氏である俺が許せない。
あいつの素晴らしいところは、全部知っているつもり。
なら、それを証明してやりたい!
「わかった……そこまで言うなら、航太。俺の家に来いよ」
気がつけば、俺の方がムキになっていた。
どうしても元カノの名誉を、挽回させておきたいから。
「え? な、なんで……」
「俺の元カノにそこまで言っておいて、逃げるのか? ちゃんと見ていけ。あいつの凄さを教えてやる」
「は、はぁ? なんだよ、ただ地味女だって言っただけじゃん!」
「それが嫌なんだ。部屋にプリントしたあいつのアルバム集があるから、見ていけよ」
「アルバム集? キモい! おっさん、別れてもまだ引きずってんの?」
航太に指摘されるまで、気がつかなかった。
元カノを収めた写真集を、長年大事にしている自分に……。
自分でもなぜここまで元カノのことで、怒っているのか分からなかった。
ひょっとして、まだ引きずっているから……。
好きだから怒りを覚えているのか?
いきなり自宅に誘われた航太は動揺していた。
しかし俺はそんな彼を無視して、航太の腕を掴む。
掴んで気がついたことだが、かなり細い。手のひらに収まりそうだ……。
「ちょっ、おっさん……悪かったって」
「いいや! とりあえず、あいつの写真集を見ていけ。そしたら俺の言っていることも分かる」
自宅の扉を開くと、ゴミだらけの汚い部屋が見える。
この前、航太に掃除してもらったというのに、3日で元に戻ってしまった。
「うわっ……なんでこんなに汚くしてんの?」
ドン引きする航太を無視して、早く家に上がるよう促す。
「いいから、さっさと入れ。写真集を出してくるから……」
俺がいつも作業したり、食事するちゃぶ台の前に航太を座らせると。
押し入れの戸を開き、ダンボール箱を漁り始める。
もう何年も見てないから、どこにあるか分からない。
しびれを切らした航太がため息をつく。
「はぁ……もういいよ、おっさん」
「待て待て! この辺にあったから……お! これだ」
ちょっと埃をかぶっているが、間違いない。
昔、付き合っている時。未来からもらったコスプレ写真集。
航太の言う通り、あいつは普段、地味な女の子だったけど。
変わった趣味があって、一つはマンガを描くこと。
もう一つは、好きなアニメやマンガのキャラクターになりきること。
つまり、コスプレイヤーだ。
コミケが開催された時、かなり際どいコスをするのが好きだった。
その趣味のおかげで、よく写真集を自作しては俺にプレゼントしてくれた。
「ほぉれ、これでも地味だって言えるか?」
ちゃぶ台の上にぶ厚い写真集を、何冊も載せてやる。
自分のことのように、自慢気に。
「な、なにこれ……」
「俺の元カノ、未来のコスプレ写真集だ」
「こんなの別れても、ずっと持ってるとかキモい」
「……」
確かにそう言われたら、そうか……。
~10分後~
航太はあれから黙々と、未来の写真集を眺めている。
一冊、読み終えるとすぐ次の写真集に手を出す。
だが終始無言。
「……」
眉間に皺を寄せて、未来のコスプレ写真を眺める航太。
特に反応はない。
それはそれで、寂しい。
ここまで攻めたコスプレ写真を見せてやっているのに……。
同じ男なら、興奮してもいいだろ。
「なあ、どうだ? こいつ、脱ぐとすごいだろ? 着やせするタイプでさ、胸もGカップあるらしいぜ」
と写真の中の、胸を指差す。
すると、航太は舌打ちをして苛立つ。
「ちっ、うるせぇな! おっさんが巨乳好きってだけじゃん! だいたい、うちの母ちゃんの方がデカいし……」
なんか変な自慢大会になってしまった。
※
「それでどうだった? 俺の元カノ、全然地味じゃないだろ。趣味でコスプレする、エロいおねえちゃんじゃないか?」
「……」
不満そうに胸の前で、腕を組む航太。
「お前も男だから、思うだろ? こんなエロいお姉さんを彼女にしたい、とか?」
「全然! むしろだらしない身体って思った! 見ていてイライラする!」
「え……」
「ていうかさ、思ったんだけど。この豚女って、あのエロマンガに出てくるモデル?」
そう言って航太が指差すのは、部屋にある本棚だ。
ずらっと横に並ぶエロマンガ雑誌。
俺が原作を担当しているムチムチシリーズ。毎度、作品の中で集団に襲われている女子大生……。
航太はそのヒロインが、元カノ。未来じゃないかと聞いているのだ。
今まで指摘されたことは無かったので、心臓を掴まれるような思いに駆られた。
「その……うん。あいつをモデルに描いているよ」
「ふ~ん」
汚物を見るかのような、冷たい目で俺を睨みつける。
「正直さ。このコスっていうの? オレが、着た方が似合うと思う」
「え?」
一体、どうしたらそうなるんだ。
「今、なんて言った?」
「だ~から! オレの方が、この衣装。絶っ対似合うと思うって言ったの!」
胸の前で腕を組み、自信たっぷりと言った顔で、俺を睨む航太。
どうして、男の彼が女キャラのコスをしたがるんだ?
~それから数日後~
航太は一体、どうしてあんなことを言ったのだろう……。
そんなに俺の元カノ、未来がエロくて羨ましかったのか?
だからと言って、悔しくて自ら女のコスプレをしたいと思うかな。
最近の若者はよく分からん。
担当編集の高砂さんに言われた通り、初のロリものに挑戦しているが。
思うように原稿が進まない。
今まで書いていたムチムチシリーズは、元カノをモデルにしているから、書きやすい。
航太に見せた未来のコスプレ写真集を、今でも大事に持っているのは、資料としても利用しているからだ。
まあ、他にも使用用途が無いわけじゃない……。
それに対して、今回のロリものはモデルがいない。
インターネットでマンガや合法グラドルなどを参考に描いてみるが……難しい。
キーボードを叩いてはいるが、ずっとエンターキーばかり。
白紙のまま。
今日は原稿を書くのを諦めて、コンビニへ酒でも買いに行くかと立ち上がった瞬間。
『ピンポーン』と玄関のチャイムが鳴った。
ひょっとして、お隣りの美咲 綾さんか?
いや、航太だったりして?
相手が誰か確認もせずに、玄関のドアを勢い良く開いた。
「ちわっす、宅急便です。ここにサイン良いっすか?」
「……」
一気に萎えてしまった。
チャイムを鳴らしたのは、屈強な身体の宅配業者だったから。
とりあえず、言われた通りにサインを書いて、荷物を受け取る。
「あざーす!」
「ど、どうもおつかれさま……」
受け取った荷物は、大きなビニール袋だった。
手に持つと随分、軽い。
なんだろ? こんなの注文した覚えはないけど。
玄関のドアを閉めて、送り主を確認する。
『博多社 “出ちゃった”編集部、高砂 美羽』
「なんだ、高砂さんか……」
でも、一体なにを送ってきたんだ?
書類にしては軽いし……。
とりあえず、ビニール袋を開けて中を確認してみる。
すると中には、薄い透明のビニール袋が三つ入っていた。
なんだろうと取り出してみたら……大人の俺が、持っていちゃいけないモノが混入している。
「セーラー服と体操服、それにスク水……」
三つともビニール袋で梱包されているから、新品だと思うが。
このご時世、こんなものを俺が所持していたら、変な人だと誤解されそう。
なにかの間違いだと、スマホを取り出して高砂さんに電話をかけようと思ったら。
一枚の用紙がひらりと、床に落ちた。
便せんだ……高砂さんからのメッセージらしい。
『SYO先生、進捗いかがですか? これ資料として使ってください』
彼女のメッセージを読んで、思わず吹き出してしまう。
「ブフッ!?」
『ムチムチシリーズより、リアルに描いて欲しいので。ロリっ子が着る制服を用意しました。たくさん妄想してください!』
そういうことか……。
しかしこの人、よく出版社に採用されたな。
ん? まだメッセージには続きがあるみたいだ。
『追伸。その制服は全部、私のお古ですので。使用後は好きにしてください。捨てても売っても』
「……」
捨てても逮捕、売っても逮捕になるんじゃないか。
というか……この古着で一体、どう物語を想像すればいいんだ?
※
ビニール袋から制服を取り出し、畳の上に広げてみる。
確かに高砂さんが学生時代、使用していたもので間違いないようだ。
だって、どの服にも彼女の名前が書いてあるから……。
『2-A 高砂 美羽』
つまり彼女としては、中学2年生ぐらいのヒロインを書いて欲しいってことか?
でもな、身近なところにそんな子供はいない……いや、いる。
お隣りの美咲さん家。航太は確か中学2年生。
って、俺は何を考えているんだ。あの子は男だ。
こんな制服を着るわけないだろう。
「高砂さんも一体、何を考えているんだか……」
近所のコンビニから出ると、駐車場にある喫煙所へ向かいタバコに火を点ける。
「はぁ~」
夕陽でオレンジ色に染まった空へ、白い煙が漂う。
煙が目に染みるから、自然と目を細めてしまう。
半纏を着ているとはいえ、12月だ。
外でタバコを吸うのもしんどい。
この辺で喫煙できる場所も少ない。
公園なんて無いし、居酒屋も店内での喫煙はダメ。
唯一許されているのは、昔から利用している喫茶店のライムだけ。
あとは、コンビニの駐車場ぐらい。
価格だけ上げるくせに、喫煙者には厳しいんだもの……やってられないぜ。
と心の中で、ぼやいていると。
聞き覚えのある甲高い声が聞こえてきた。
「あんまり近づくなって! オレはお前のこと、何とも思ってないんだよっ!」
視線を空から地上におろすと、コンビニの前を通る一人の中学生が目に入った。
低身長で華奢な体型だから、学ラン姿が似合わない。
かなりサイズが大きいようで、ぶかぶか。
制服を着ているというよりも、制服に着られているという感じ。
「いいじゃん、航太くん。引っ越してきたばかりだから、この辺詳しくないでしょ?」
一人の女子中学生が、少年の左腕に絡みつく。
かなり積極的な女の子だ。
嫌がる彼を無視して、自身の胸を肘に当てつけている。
「そんなの頼んでないって! オレ、女とは仲良くなりたくないから、早く帰れよ!」
「えぇ~ 航太くんさ、クラスの子と馴染めてないじゃん。だから私が一番目になりたいの」
「頼んでない!」
なんだ、青春している中学生カップルか……と思ったが。
不機嫌そうに歩いている少年の横顔を見て、ドキッとした。
航太が……女の子と歩いている。
別におかしなことではない。
彼も中学生だし、14歳だ。ルックスも良い方だし、女の子にモテるだろう。
それなのに……なぜ俺の胸は痛みを訴えているんだ?
ショックを受けているのか。
子供だと思っていた彼が、急に大人の階段を上っているようで。
※
気になった俺は、さっさとタバコを灰皿に投げ捨て、二人のあとをつけることにした。
「よう、航太!」と手を振ればいいのに、なぜかこの二人がどうなるか。とても気になる。
堂々と背後に回るのは、気が引けるので。時々、電柱に隠れて監視している。
どうやら、帰る方向が女の子と一緒のようだ。
「ねぇ、航太くんさ。料理とかする?」
「するけど」
「え!? すごい! 私とか全然作れなくてさぁ、ママにシチューを教えてもらったけど。焦がしちゃった」
「……まあ、いいんじゃない? 最初が肝心なんだし」
「嬉しい~ じゃあ今度、航太くん。レシピ教えてくれる?」
「別にいいよ……」
遠目から見れば、中学生同士の愛らしい会話なのに。
あの女の子が航太と仲良くなると思うと……胸が苦しい。
別に悪いことじゃない。
彼だって、友達がいないと嘆いていた。喜ぶべきだろう。
俺みたいなアラサーといるより、ずっと。
※
女子中学生は今度、航太からレシピを教えてもらえると聞いて、喜んでいた。
俺の家でもあるアパートの前で、手を振る女の子。
「またね、航太くん!」
「うん……」
ぎこちない顔で、一応手を振る航太。
俺はと言えば、アパート近くの電柱から彼を監視中。
このまま航太が階段をのぼって、自宅の扉を開けるのを待った方が良い……。
そう考えていたのに、俺の脚は自然とアパートへ向かう。
学ラン姿の航太へ声をかける。
「よう、航太! 見たぞ~ お前、モテるんだなぁ」
動揺を隠すため、わざと年上の男を気取り、からかう。
すると航太は顔を真っ赤にして、怒り始める。
「なっ! おっさん、見てたのかよ!?」
「ああ、コンビニで買い物してたら、二人が仲良く歩いてたからさ。可愛い子じゃないか?」
と肩をすくめてみる。
俺にからかわれて、航太はかなり苛立っているようだ。
小さな肩を震わせて、俺を睨みつける。
「お、おっさんて……」
「へ?」
「おっさんは、あんなペチャパイの女子中学生が可愛いのかよっ!?」
俺は耳を疑った。
「は?」
「見損なったぜ! このクソロリコン!」
「……」
なんか色々と誤解されてしまった。
航太と同じ中学に通っている、女子中学生のことだが。
彼が言うには転校して以来、付きまとわれてうっとうしいと言っていた。
それを聞いた俺は、なぜか安心する自分に気がつく。
どうしてだろう……。
しかし、俺が彼女を「可愛い子」だと表現したことで、航太の怒りを買ってしまった。
どうやらあの女子中学生に気がある……と大きな誤解をしているらしい。
参ったな。
※
それから数日経ったが、彼の誤解は解けず。
アパートの廊下で出会っても、無視されてしまう。
嫌われたかと思ったころ。玄関のチャイムが鳴った。
宅配便か? と思い、壁にかけている時計に目をやったが、もう夜の8時だ。
一体誰だろう、とのぞき窓を確認したら、明るい緑のトレーナーワンピースを着た少年が立っている。
航太だ。
勢い良く扉を開くと、航太が少し驚いた顔をしていた。
「わっ! もうちょっとゆっくり開けろよ……」
「あ、すまん」
最近話せなくて、寂しかったから……とは言えないしな。
「ところで、おっさん。おでんとか嫌い?」
「え、おでん? 好きだけど……」
俺がそう答えると、航太はブラウンの瞳を輝かせる。
「ちょっと作りすぎたから、持って来たんだ!」
と大きな圧力鍋を差し出す。
鍋いっぱいになるまで、具が入っているようだ。
蓋から、はみ出ている。
作りすぎた……というより、最初から俺用に仕込んだのでは?
「あ、ありがとう」
鍋を受けとろうとしたが、なぜか彼は拒む。
「おっさん、家に入れてよ。鍋を温めてあげるからさ」
「え? それは悪いよ……お母さんの綾さんにも、怒られそうだし」
俺がそう指摘しても、航太は首を横に振る。
黙って顎をクイっと横に向ける。隣りの家を見ろ、と言いたいようだ。
玄関から顔を出して、右側を見ると。
『あははは! 嫌だ~』
『いいじゃん、綾さん綺麗だもん』
「……」
また男を連れ込んでいるのか。
そりゃ家に居たくないよな。
年頃だし。
相手は同性の子供だから、別に悪いことじゃないだろ。
「よし、入っていいよ。汚い部屋だけどな」
「やった! おっさんてさ、料理とかしないタイプでしょ?」
「まあ……昔はやっていたんだけどな。面倒くさくてな」
「そんなんだから、あの豚女に振られたんだよ」
と笑いながら、玄関で靴を脱ぐ航太。
ていうか、俺の元カノ。豚女って名前にされたのか。
※
温め直したおでんを、ちゃぶ台の上に置く航太。
「ほら、おっさん。熱いからちゃんと、ふぅ~ ふぅ~ しろよな」
首からひよこ柄のエプロンをかけて、胸を張る。
でも彼の言うように、おでんが入った皿から、湯気が立っている。
美味そうだけど、熱そうだ。
「いただきます」
ぶ厚い大根を箸で掴み、かじってみる。
たったひと口だというのに、口の中が温かくなった。
そして作ってくれた航太の優しさが、身体に伝わってくる。
何年ぶりだろう……こんな手作りの料理は。
気がつくと目頭が熱くなっていた。
「どう? おっさん?」
「ああ……すごくうまいよ」
それ以外の表現方法を俺は知らない。
だが航太には、俺の気持ちが伝わったようだ。
手を叩いて喜んでいる。
「やった! オレの方が料理うまいだろ! あの豚女よりさ!」
「……」
まだ元カノと張り合っているのか。
確かに未来は、そこまで料理が上手じゃなかったな。
お互い忙しかったし、喫茶店やコンビニ飯が多かった。
※
おでんを全て食べ終えると、航太がちゃぶ台から皿を持ち上げる。
そしてシンクの中で洗い始めた。
もう同棲しているカップルのような関係だな……。
「ところで、おっさんさ」
「なんだ?」
「さっきから気になってんだけど……あのカーテンレールにかけている服ってなに?」
「いいっ!?」
思わずアホな声が漏れてしまう。
彼に言われるまで忘れていた。
担当編集の高砂さんから、送られてきた資料……。
セーラー服、ブルマにスク水。
とりあえず服にしわが出来ないように、部屋のカーテンレールにかけていたんだ。
「まさか、元カノが置いていったの?」
皿を洗っている航太の背中から、無言の圧力を感じる。
「いや……あれは編集部から送られてきた資料だ」
「ふぅん。そう言われたらサイズが小さいもんね。中学生ぐらい? おっさんは誰に着せたいの?」
「あ、あの……それは」
どうする、俺。