目をつぶっていても眩しい、激しい閃光を通り抜けた瑛士は、重力が戻ってきたことにホッとしてそっと目を開いた。しかし、そこは見渡す限り真っ白の何もない空間である。
あ、あれ……?
瑛士は何もないところに一人放り出されていることに気がつき、困惑して辺りを見回した。
そこは床も真っ白、天井はあるのかないのかすら分からない、ただボウっと光る白い空間だけがどこまでも続いている。
「お、おーい! シアーン!」
瑛士は心細げな叫び声をあげて辺りを見回すが、ただ声は白い空間に吸い込まれていくだけだった。
「くぅ……、困ったなぁ……」
その時だった、ヴゥンという電子音がかすかに響き、一人の少女がすうっと現れた。
え……?
白いサイバースーツにシルバーのジャケットを羽織る少女は、ブラウンの長髪を揺らしながらじっと瑛士の顔をのぞきこむ。
「なんでシアンちゃんはこんな弱っちいのを……」
「あ、あなたは……?」
眉をひそめる少女に気おされながら瑛士は聞いてみる。
「ここはイミグレーション。神殿に入る資格があるかどうかチェックするところよ。でも……、キミに資格があるようには……見えないなぁ」
「し、資格……? 自分はシアンに連れられてきただけなので、資格と言われても……」
瑛士は冷汗を浮かべながら返す。
「人のせいにしない! 神殿に入るにはそれなりの能力と品格が求められるわ。あなたみたいのを入れたら私もシアンちゃんも責任も問われるんだから!」
少女は人差し指で瑛士の鼻先を押し、頬を膨らましながら怒りをぶつけてくる。
「そ、そりゃ、自分は見習いなので……。能力は低いかもしれませんが、人として恥ずかしくない生き方はしてきてるつもりです!」
シアンも責任が問われるとなると、自分だけの問題ではない。瑛士は頑張って言い返した。
「ふぅん……」
少女は斜に構え、瑛士をなめるように全身を見回し……、ニヤッと笑うとバッと腕を高く掲げた。
「じゃあ、試させてもらうわ!」
刹那、急に景色が変わった。ガラスの巨大なシャンデリアのような円柱状の構造物がずらりと並ぶ通路に転送されたのだ。
へっ!?
瑛士は驚いて辺りを見回し、その息を呑むような美しい光景に圧倒された。ガラスの巨大構造物はまるで生き物のようにキラキラと微細な輝きを放ち、その不思議な煌めきにはどこか心に迫るリズムを感じる。
そんな、小屋サイズのガラス構造体がずらりと見渡す限り並び、それだけでなく通路の金網の下にも上にも幾重にもそれが重なっているのだ。
「ここはどこかわかるかしら?」
少女はいたずらっ子の笑みを浮かべながらドヤ顔で聞いてくる。
「ど、どこって……」
瑛士は困惑した。こんな初めて見る壮大な構造物など答えようがない。
ただ……。
思い当たるとしたらさっきシアンが言っていた『キミの故郷だぞ?』という言葉だった。海王星にあるのは神殿と故郷。であれば、ここは故郷、つまり、地球を創造しているコンピューターのデータセンター……ではないだろうか?
「も、もしかして……僕の故郷……?」
「へぇ……、思ったより賢いじゃん」
少女は意外そうな顔をしてうなずいた。
「マ、マジか……」
と、なると、このガラスの構造体は地球を創っているコンピューターということになる。
瑛士はガラス構造体に駆け寄るとじっと眺めてみた。それはキラキラと微細な光を放つ畳サイズのガラス板が、中心に向かってたくさん挿さって作られた円筒だった。その円筒がいくつも重ねられて一つのシャンデリアのように見えている。これが本当にコンピューターだとするならば、ガラスでできた光コンピューターで、この溢れ出す煌めきは今この瞬間の地球の誰かの営みそのものということになる。そして、自分もまた、この煌めきの中に生まれ、暮らしてきたに違いない。
ほわぁ……。
瑛士は上下左右を見回し、その壮大な光コンピューターの群れに圧倒され、思わず首を振った。
「では、試験開始だよ! どこかに時限爆弾を隠したんだ。見つけられたら合格。見つけられなければ……ドッカーン! きゃははは!」
少女は嬉しそうに笑った。
「じ、時限爆弾!?」
「そう、キミが本当にシアンちゃんが思うような人なら見つけられるはず。失敗したら八十億人の人達と共にドカーン! くふふふ……」
「な、なんだよそれ……」
パパを生き返らせるどころか、地球が木端微塵になってしまうかもしれない事態に瑛士は頭を抱えた。
なぜ、自分の資質を見るだけに八十億人の人たちの命を危険にさらすのか? 神殿にはぶっ飛んだ少女しかいないのか? 瑛士はあまりにも無配慮な試験に頭が痛くなってきた。
「ほらほら、時間ないよ! 早く見つけないとドカーンだぞ! ぐふふ」
少女は嬉しそうにけしかける。
瑛士は楽し気な少女の方をキッとにらむと、大きく息をついて辺りを見回した。
通路はどこまでも向こうまでサーバーが並び、それが奥にも上下の階にも延々と続いている。走り回って探せるような広さじゃない。
はぁ……。
瑛士はその意地悪な試験にウンザリしてガックリとうなだれた。
と、なると……。
瑛士は床の金網に座り、気持ちを落ち着けながら大きく深呼吸を繰り返した。
『深呼吸が全てを解決してくれる』というシアンの言葉を思い出し、瑛士はゆっくりと精神を落ち着けていった。
「ふふーん、そんなことして見つかるのかなぁ……。くふふふ……」
少女は楽しそうに瑛士を見下ろし、笑う。
瑛士は少女の意地悪な言葉はそのまま横に流し、ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら深層心理の奥底へと降りていく。
スゥーーーー、……、フゥーーーー。
スゥーーーー、……、フゥーーーー。
やがて、スッと落ちていく感覚に襲われた――――。
五感が研ぎ澄まされ、周りのことが手に取るようにわかり始める。サーバー群が鮮やかな黄金色の光をもうもうと巻き上げ、少女が鮮やかな青いオーラを放っているのが感じられる。
さらに深呼吸を繰り返し、感じられる範囲を徐々に広げていく……。
無数のサーバー群が輝きを放ちながら果てしなく並んでいる姿が感じられるが、肝心の時限爆弾とやらは見つからない。
「ほらほら、急がないと爆発しちゃうぞー! くふふふ……」
少女はいたずらっ子の笑みを浮かべ瑛士を煽る。
瑛士は大きく息をつくとすっと立ち上がり、少女のブラウンの瞳をじっと見つめた。瞑想状態の瑛士には計算や打算などなく、ただ素直に本能に従って動いている。
「な、何よ? やろうって言うの? 言っとくけどあんたのヘナチョコ攻撃なんか通用しないんだからねっ!」
少女は瑛士の無言の圧力に気おされ、後ずさりながら喚いた。
瑛士はポケットからスマホを取り出すと、おもむろに少女に向けてシャッターを切った。
パシャー!
辺りにシャッター音が響き渡り、少女の瞳から光が消えた――――。
「な、何よこれ―!?」
少女のアバターが画面の中で暴れている。
瑛士はニコッと笑うとやさしく少女のアバターをなでた。
「シアンに教えてもらった術式だよ。時限爆弾なんて最初からないんだろ?」
「な、何言ってんのよ! 爆発しちゃうぞ! 多くの人が死ぬのよ?」
「爆発したらあなたも困りますよね? そんなことするはずないんだ」
瑛士はアバターに優しく笑いかける。
少女のアバターはキュッと唇を噛むと悔しそうに言った。
「ふぅん、思ったより優秀じゃない。いいわ。合格にしておくわ」
「ありがとうございます」
瑛士は瞑想状態のまま嬉しそうにゆっくりと頭を下げた。
少女はその紳士的な瑛士の所作に思わず微笑むと、
「あなたいい子ね。後でお詫びの品を送るわ。期待しててちょうだい」
そう言いながら、画面の中で指をパチンと鳴らした。
◇
「着いたぞー! 起きろー!」
気がつくとシアンが頬をペシペシと叩いている。
「つ、着いた……の? ……。うぅん……」
瑛士はまぶしい光に目を細めながらそっと辺りを見回した。
「え……? うわぁ!」
目が慣れてきて見えてきたのはなんと鬱蒼とした大森林だった。
大宇宙を飛んで、液体金属球の中に入ったらイミグレーションで揉めて、気がつくと大森林。それはもはや何かの冗談みたいな話である。
「ここが女神ヴィーナのおわす神殿だゾ? いい感じでしょ?」
シアンは茶目っ気のある笑顔で瑛士の顔をのぞきこむ。
「な、なんで……、森なの? えっ!? こ、これって……」
瑛士は森がずっと上の方にまで続いてるのを追って見上げていく。すると、なんと真上も森林だった。まるで飛行機から見下ろしたように、多くの木々がこちらに向かって生えている。
要は、十キロに及ぶ巨大な液体金属球の内側は全部森だったのだ。そよ風に乗って香ってくるさわやかな森の香り、そして聞こえてくる鳥たちのさえずり。上さえ見上げなければそれは気持ちの良い高原の森そのものだった。
「やっぱり、森が落ち着くからねぇ」
シアンは両手を伸ばし、大きく森の匂いを吸い込んで幸せそうに伸びをする。
と、その時、パカラッパカラッという馬の駆ける音が響いてきた。
え……?
森を貫き緩やかにカーブする石畳の道の向こうを見ると、白馬に乗った少女がやってくる。
「シアンちゃーーん!」
大きく手を振っている少女をよく見ればさっきのイミグレーションの娘だった。
そっとスマホの画面を確かめてみるが、そこに彼女のアバターはもう居なかった。アバター化を解除する間もなく森に飛ばされてきたのに復活しているということは、あのシアンの術式を自力で突破したのだろう。相当に上位の使い手に違いない。
「おーぅ、タニア! 大きくなったねぇ」
シアンも手を振り返す。
タニアは近くまで来ると身体を起こして手綱を引き、馬を止めようとした。しかし、馬はレヴィアの巨大な真紅の瞳と目が合ってやや興奮気味である。苦笑しながらタニアはドウドウ! と声かけ、落ち着かせた。
ブルルルル!
まだ息の荒い馬をなで、タニアはピョンと身軽に飛び降りる。
「ふぅん、その人が例の新人さん? 初めまして、ヨロシク!」
タニアはニッコリと笑いながらパチッとウィンクをした。
「よ、よろしくお願いします……」
瑛士は軽く会釈をしたが、これまた癖の強そうな少女の登場にふぅとため息をついた。
「そうそう、女神様がなんかカンカンなんだけど、シアンちゃん何かやった?」
タニアは眉をひそめてシアンの顔をのぞきこむ。
「え? な、なんだろう?」
「思い当たることが多すぎてわからんのじゃな」
金髪おかっぱに戻ったレヴィアが肩をすくめる。
「まぁ……、とりあえず神殿に行きますか!」
タニアは苦笑しながら指先でツーっと空間を裂く。すると、中から白馬が次々と現れた。
「はい、ドウドウ! いい子ね」
タニアは優しい目で馬を落ち着かせると、手綱を引いて瑛士に手渡した。
「はい、キミにはこの子【アイアンホーフ】よ」
「えっ!? 馬なんか乗ったことないよ!」
瑛士は焦って両手を挙げる。
「何言ってんの! さっきみたいな覚悟を見せなさい!」
タニアはブラウンの瞳でギョロリとにらむと、煽ってくる。
「いや、覚悟で乗れるようなもんじゃないんだけど……」
アイアンホーフはそんな瑛士の腰の引けた様子を見ると、ブロロロロ! と、小ばかにしたように鼻先で瑛士を押した。
「ははっ! アイアンホーフが『いいから乗れ』って言ってるわ」
「えっ? の、乗るだけでいいの?」
「瑛士、早く乗るんだゾ!」
とっくに馬に乗っているシアンは、瑛士の方に腕を伸ばし、フワリと宙に浮かせるとそのまま鞍の上に落とした。
「う、うわぁ!?」
「ほら、手綱持って!」
「わ、わかったよぉ……」
瑛士は半べそ状態で何とか鞍に座ると恐る恐る手綱を持った。
「じゃぁ、シュッパーツ!」
タニアは楽しそうに馬を歩かせ、他の馬もそれに続く。
「えっ……? ど、どうしたらいいの?」
瑛士がうろたえていると、レヴィアが後ろを振り向いて楽しそうに笑う。
「手綱を少し緩めるだけでええんじゃ」
「こ、こう?」
瑛士は思わず力を込めて引いてしまっていた手綱をそっと緩めた。
ブロロロロ!
アイアンホーフは『これだから素人は!』と、言わんばかりにため息をつくとポッカポッカと歩き始める。
「お、おぉ、ありがとうな……」
瑛士は半べそをかきながらアイアンホーフの首をなでた。
◇
澄み切った水がせせらぎを奏でながら流れる小川のそばを、一行はカッポカッポと進んでいく。高く広がる空には、太陽の役割を果たす輝く雲がいくつか浮かび、その光が森の葉々を照らし出す。木々の間を透過する柔らかな日差しは、まるで魔法のような温もりを感じさせた。
シアンとタニアは前の方で何やら楽しそうにゴシップネタで盛り上がり、たまに甲高い笑いを振りまいている。
最初は緊張していた瑛士だったが、馬に揺られながら森の空気を吸っていると徐々に落ち着いてきた。
「いやぁ、乗馬っていいもんですね……」
「人類の歴史は馬の歴史じゃったからな。これを機会に乗馬を始めてみたらどうじゃ?」
レヴィアは背筋をピンと伸ばした姿勢で馬の歩調に合わせながら、優雅に乗りこなしている。
「そうですね……。神殿ではいつも馬なんですか?」
「んなわけあるかい。以前来たときはリムジンじゃったわ」
「じゃあ……、何で?」
「知らん。タニアがシアン様と馬に乗りたかったんじゃろ?」
「はぁ……。飛んで行ってどこかで話すればいいのに」
「おいおい、ここで飛ぶのは重罪じゃぞ。宇宙で一番神聖なところを飛ぶなんて死刑になってもおかしくないわ」
「えっ!? そ、そうなんですね。聞いててよかった……」
瑛士は、この聖域の厳しい掟に顔を引きつらせる。一つの過ちが死を意味するという重圧の下、彼の身体は思わずブルっと震えた
やがて、木々の隙間から、丘の上にパルテノン神殿を彷彿とさせる白亜の神殿が見えてくる。一列に並んだ力強い白い柱は青白い光の微粒子に覆われており、風が吹くたびにふわりと青白い輝きがまるで炎の様に舞い上がっている。
「おぉ……。あそこが神殿……ですね?」
瑛士はこの荘厳な神殿の美しさに息をのんだ。屋根に彫られた浮彫はまるで今にも動き出しそうなほど精緻で躍動感を放っている。
ここにパパを生き返らせられる女神様がいるのだ。そう思うだけで不安と期待で心臓が早鐘を打ってしまう。
「もう何万年もあの姿らしいから見事なもんじゃよ」
「何万年!?」
瑛士はそのスケールの大きさに圧倒される。シアンが以前、地球を創るのに六十万年かかったと言っていたのだから不思議ではない数字ではあるが、桁が大きすぎて想像がつかない。
そんな超越した存在相手に、無理筋のお願いなんて本当にできるものだろうか……?
くぅ……。
瑛士は首を強く振るとパンパンと自分の頬を張り、つい気弱になってしまう自分に喝を入れなおした。
「ヨーシ! 神殿まで競走だゾ!」
何を思ったかノリノリのシアンは、いきなりそう叫ぶと馬のお腹を蹴る。
ブロロロ!
シアンのノリに当てられて、鼻息荒く馬は駆け出した。
「あっ! シアンちゃんズルーい!」「あー、もうっ!」
タニアも駆け出し、レヴィアもそれに続いた。
ヒャッハー!
シアンは青い髪を盛大に揺らしながら楽しそうに坂道を一直線に登っていく。
瑛士はどうしたらいいのか分からなかったが、アイアンホーフは一人置いて行かれるのが悔しいらしく、負けじと駆け出した。
「えっ!? ちょ、ちょっと! 止まって! ひぃぃぃ!」
瑛士は慌てて鞍にしがみつきながら叫ぶが、アイアンホーフはむしろさらに加速していった。
パカラッパカラッ!
馬たちは風を切るように走り抜け、その蹄の響きは雷のように地を揺らした。その勢いは止まることを知らず、四頭が競うように丘の上の神殿を目指す。
ハイヤー!
タニアが鞭を入れ、シアンに肉薄していく。しかし、抜くまでには至らない。
「くふふふ……。もうすぐゴールだゾ!」
シアンはまるで競馬のジョッキーの様に腰を浮かし、完璧なフォームを維持しながらタニアを振り返った。
「くぅ……、気合い入れなさいよっ!」
タニアはさらにビシッと鞭を入れた。
そんなトップ争いなんて見る余裕もない瑛士は、必死に落とされないように丸くなりながらアイアンホーフに言い聞かせる。
「あー、もう! 勝負付いたから速度落とそうよ、ねっ?」
その時だった、いきなりアイアンホーフがヒヒーンと甲高くいななくと、青白い光に包まれていく。
へっ!?
瑛士は驚愕した。なんと、ふわっと浮かび上がったのだ。
見れば青白く光る雄大な翼が肩あたりから生え、それを巧みに使って高度を上げていく。
「はぁっ!? ぺ、ペガサス!?」「な、なんじゃ!?」「あちゃー……」
最終コーナーを回って神殿の門が見えてきた辺りを走っていた一行は、いきなり空に舞い上がる白馬に唖然として言葉を失った。
「いや、マズいって。降りて! 降りて!」
瑛士は死刑がちらついて必死にアイアンホーフの首を叩くが、アイアンホーフは気持ちよさそうに旋回しながら神殿の門を目指した。
ヴィーン! ヴィーン!
警報が響き渡り、大理石造りの荘重なゲートが赤い輝きを放つ。
「何やっとる! 降りろー!」
レヴィアは叫ぶが、瑛士は神殿では力など使えない。こんな高さから落ちたら下手したら死んでしまうのだ。
「む、無理ですよぉ!」
直後、ゲートに浮き彫りされていた幻獣たちの目が赤く輝き、その口から次々と金色に輝く鎖が射出される。
うわぁぁぁぁ!
その魔法の鎖はあっという間に、アイアンホーフごと瑛士をグルグル巻きに縛り上げていく。
「ありゃりゃ……」「あぁぁぁ……」
シアンたちは手綱を引いて速度を落としながら、目の前に展開する想定外の事態に啞然として言葉を失った。
まるで蜘蛛の巣にかかった蝶のように、アイアンホーフは必死にもがくが、もがけばもがくほど鎖はしっかりと締め付けていく。
ピー! ピピーー!!
「曲者だー!」「お前ら動くなー!」
神殿から警備の天使たちが警笛を吹き、杖をもって飛び出してくる。
あわわわわ……。
瑛士はきつく縛られて身動きが取れないまま絶望に堕ちていく。こんなざまではパパを生き返らせることなど不可能だ。もはや死刑にならないことを目標にせざるを得ない現実に、瑛士は白目をむいて意識が遠くなっていった。
◇
「シ、シアン様……? こ、これは一体……」
警備の天使は渋い顔をしているシアンを見つけ、困惑しながら金の鎖に捕らわれた瑛士たちを見上げた。
「いや、これはだねぇ……」
シアンが弁解しようとしたその時だった。いきなり雲の輝きがピカピカと明滅し、暗闇が訪れる――――。
刹那、ピシャーン! という激しい衝撃音と共に雷が近くの樹に落ちて燃え上がった。
「シーアーン!! またお前か!」
野太い女性の声があたりに響き渡り、次々と雷がシアンを襲い始める。
「ち、違うって! おわぁ!!」
シアンが慌てふためく中、天から神の怒りそのものの電撃が次々と降り注ぐ。その閃光はあまりにも激しく、まるで太陽が地上に落ちたかのよう。その衝撃で地面は地震の鼓動のように揺れ動く。
「違うって言ってるでしょ!」
シールドを張って直撃を逃れていたシアンだったが、止まらない雷のラッシュに頭にきて雷をはじき返し始める。
ゲートに、神殿の柱に、屋根に次々と電撃が命中し、まるで空襲を受けたかのように破片をまき散らしながら爆発を起こす。神殿はまるで戦場みたいになってしまった。
「あぁぁぁぁぁ! あんた何すんのよ!!」
女神の甲高い声が辺りに響き渡った。何万年も大切にしてきた重い歴史を持つ重厚な幻獣の像が吹っ飛んでいく様に、思わず女神の声も裏返ってしまう。
「だから、話を聞いてって言ってるでしょ?」
シアンは額に青筋たてて、神殿をビシッと指さしながら叫んだ。しかし、女神の怒りは止まらない。
「あんた、ぶった切った富士山をうちの子に直させたでしょ?」
怒りのこもった女神の声に、シアンは固まってしまう。
「え? そ、そんなこと……あったかなぁ……?」
シアンは目を泳がせながら冷や汗を浮かべる。
「スッとぼけやがって! お仕置きよっ!」
ひときわ激しい雷がシールドを貫いてシアンに直撃した。目を開けていられないほどの激しい閃光と衝撃が辺りを襲い、地震のように地面が揺れる。
グホォ……!
シアンは髪の毛をチリチリに焼かれ、口から煙を吐きながらばったりと倒れた。
「あぁっ! シアンちゃーん!」
タニアは慌てて駆け寄り、シアンを抱き起こすが、シアンは白目をむいてピクピクと痙攣をおこしている。
「まぁ、自業自得じゃな」
レヴィアは首を振り、ふぅと大きくため息をついた。
◇
「あ、あれ……?」
瑛士が目を覚ますとそこは薄暗く広い空間だった。
「お、気がついたか。良かった良かった」
シアンの柔らかい腕に抱き起こされながら見回すと、壁にはランプがぽつぽつと光り、揺れる炎が幻獣の彫刻に心地よい陰影を浮かべている。その荘厳な雰囲気、どうやら神殿の中らしかった。
「あれ……、なんか焦げ臭いよ?」
どうもシアンの方から肉が焦げたような不穏な匂いが漂ってくる。見ればシアンの髪の毛はあちこちチリチリと焦げていた。
「いや、なんかもう、美味しくこんがり焼かれちゃってね。きゃははは!」
楽しそうに笑うシアンの頬には稲妻模様の焦げ目が走っている。
「だ、大丈夫なの!?」
「こんなのなめときゃ治るって! きゃははは!」
「ちゃんと反省してよね?」
その時、奥の方から威圧的な女性の声が響いた。
えっ……?
慌てて立ち上がって奥の方を見ると、奥の玉座に若い女性が座っている。すらりとした長い脚を組み、淡いクリーム色の法衣を纏って不機嫌そうにほおに指を当てていた。
神殿の奥には時間の概念を超越した幻想的な液体のクリスタルの滝が流れている。滝は重力に逆らい、静かに底のプールから天井へとゆったりと流れ上がる。滝の中で舞う無数の光の粒子は、幽玄な光を放ち、その煌めきの中に、サファイアのように青く輝く玉座が浮かんでいる。優美な流線型を描きながら美しい女性の肢体を支えている玉座は、まるで生きているかのように、その女性を優雅に包み込んでいる。
女性は目を丸くしている瑛士を見て、チェストナットブラウンの髪を揺らしながらクスッと笑う。その美しさと威厳で周囲を圧倒する彼女の姿は、まさに伝説の中の女神そのものだった。
「め、女神……さま?」
瑛士はあわてて居住まいを正しながら聞く。
「蒼海瑛士くん? 災難だったわね。コイツと付き合うと命がいくらあっても足りないわよ」
女神はシアンをにらみ、肩をすくめる。
「そ、そうですね。それでも感謝はしています」
瑛士は口をとがらせているシアンをチラッと見ながら答えた。
「ふぅん、これからも苦労しそうね」
女神は鼻で笑うと肩をすくめる。
「それで……、管理者やりたいんだって?」
女神はすらりとした脚を組み変えながら小首をかしげ、聞いてくる。
「は、はい。うちの地球を何とか再生させ、活気ある世界にしたいんです」
「管理者というのはある意味【神】なのよ? 人間をやめることでもある。それでもやりたい?」
女神は琥珀色の瞳をキラリと輝かせながら鋭く瑛士を見つめる。
「はい。ぜひやらせてください!」
瑛士は握ったこぶしをブンと揺らし、力強く答えた。
女神はしばらく瑛士の瞳を見つめ……、ニコッと相好を崩した。
「よし、これよりキミはプロダクション3723の見習い管理者よ。担当教官は……レヴィア! ちょっと教えてやって」
「わ、我ですか!? み、御心のままに……」
横でボーっと見ていたレヴィアはいきなりの指名に驚き、慌てて胸に手を当てながら答えた。
「あ、ありがとうございます。そ、それでですね……」
瑛士はパパの件を切り出そうとする。
「ダメよ!」
女神は聞く前から断った。その琥珀色の瞳は冷徹に瑛士を貫き、瑛士は言葉を失って立ち尽くしてしまった。
「え……?」
「どうせ、パパを生き返らせて欲しいとか言うんでしょ? そういうお願い聞いていたら際限ないの。管理者だけだって一万人以上いるのよ? 特別扱いはできないわ」
女神はウンザリした様子で肩をすくめ首を振る。
「えっ……いや……しかし……」
瑛士は機先を制され、言葉が出てこない。いつも力強く優しかったパパ。自分のために命をなげうったパパ。何とかしてもう一度一緒に暮らしたいと必死に頑張ってきたのに何の成果も得られない現実に、胸がキューッと締め付けられる。
「一万人の管理者が納得できる成果でも出せたら……、褒美としてしてあげられるくらいかなぁ?」
女神は眉をひそめ、申し訳なさそうに言う。
瑛士はギュッと唇を噛み、うつむいた。もちろん、そう簡単に生き返らせてもらえるとは思っていなかったが、一万人もの管理者に認められる成果を出すというハードルは思った以上に厳しく、その道のりの険しさに思わずため息をついた。
「そんなに落ち込まないで。チャンスはすぐにやってくるかもしれないし」
女神は優しい声をかけてくれるが、瑛士はただ無言でうなずくことしかできなかった。こんな時、きっと交渉上手な人なら手練手管でもっといい条件を引き出せるのだろうが、社会経験の乏しいまだ少年の瑛士にはどういう交渉をしたらいいかすら分からない。
女神はうつむく瑛士を元気づけるように声をかけた。
「今晩、研修終わったら歓迎会やりましょ! レヴィア! いつものところ予約しておいて」
「み、御心のままに……」
レヴィアは胸に手を当てて頭を下げると、慌ててポケットからiPhoneを取り出し、どこかへ電話をかける。
瑛士は焦ることは無いと思いなおし、静かにうなずいた。
「ウッヒョー! 飲むぞーー!」
シアンはパンパンと瑛士の肩を叩くと、チリチリになった青い髪を揺らしながら、楽しそうにピョンと跳び上がった。
◇
瑛士はレヴィアに連れられて神殿の奥の扉の向こうへと進んでいく。そこには意外にもマホガニーやウォールナットで作られたオシャレな会議テーブルやキャビネットが並んだ明るい空間だった。心地よく観葉植物が配され、間接照明が美しい陰影を浮かべており、まるで高級ホテルの趣があった。
デスクではスタッフの人たちがそれぞれスクリーンを空中に浮かべながら何か真剣に作業を進めている。どうやら地球群を管理するオフィスらしかった。バースタンドにはいぶし銀のエスプレッソマシンが置かれ、コーヒーのかぐわしい香りが漂ってくる。
「うわぁ……。オシャレなオフィスですね……」
「気持ちのいい作業環境を突き詰めるとこうなるみたいじゃな。この先の会議テーブルを使わせてもらおう」
レヴィアについてバースタンドの角を曲がった時だった。巨大な窓から辺りの景色が目に飛び込んでくる。それは活気あふれる大都会、無数のビルの群れだった。海王星の森に居たはずなのに扉を通ったらなぜか大都会の高層ビルの中にいる。その予想外の展開に瑛士は足が止まった。
街を見回すと、奥の方には巨大な赤いタワーが見える。
「へっ!? あ、あれは……、まさか……」
「ん? 東京タワーじゃよ? あぁ、お主の地球ではもう無かったんじゃったか」
「えっ!? えっ!? どういうことですかそれ!」
瑛士は混乱した。核攻撃で吹き飛んだはずの東京の景色が目の前に生き生きとして広がっているのだ。道には人や車があふれ、首都高速では多くの車が行きかい、空にはジェット旅客機が着陸態勢に入っている。それは記録映像でしか見たことの無い、生きている東京の姿そのものだった。
「お主の地球は元はこの地球と同じだったんじゃが、数十年前に複製され、分岐したんじゃ」
「えっ!? じゃあ、僕の地球だけがAIに破壊されたって……こと?」
みじめにも瓦礫の山と化した東京は、自分たちの世界でしか起こっていなかったとするならばとてもやりきれない。なぜ彼らは楽しそうに東京を満喫できているのだろうか? 瑛士は唇をキュッと噛んだ。
「こっちの地球はシステムトラブルなどが続いて時間の流れが遅くなっていたんじゃな。だからAIの開発はまだまだこれからってタイミングなんじゃ」
「それじゃ、このままだとうちの地球みたいにここも核攻撃されるって……こと?」
「いや、そうとも限らん。世界は確率で動いておる。確率の結果は地球ごとに異なるから、スタート地点が同じでも歴史の流れはどんどん変わっていく。数十年前は全く一緒だった地球も今じゃ全然違う道を歩んでおるよ。例えばお主の両親もこの地球に暮らしてはおるが、出会うことなく、すでに別の人と結婚しておる」
「えっ……、パパとママが出会ってない……? じゃあ、僕も生まれて……ない……」
「そう。今じゃ別の星になっとるってことじゃ」
瑛士は窓に駆け寄ると、目の前に広がるエネルギッシュな大都会に思わずため息をついた。
「東京ってこんなところだったんですね……。瓦礫しか見たことなかったんで……」
瑛士は街ゆくカラフルな服を着た人たちの群れを眺めながら、ついパパやママを思い出してしまう。一瞬会いに行きたいとも思ったが、この世界のパパとママは遺伝子こそ同じでも自分とは縁のない人となってしまっている。他の人と結婚して幸せそうに暮らしている姿など逆に見たくもなかった。
「後で恵比寿ってところの焼き肉屋に行くからな。街を少し案内してやろう」
瑛士は東京タワーの上空をゆっくりと流れてゆく白い雲を目で追いながら、静かにうなずいた。
◇
管理システムの使い方や規則、マナー、各種手続き方法などのレクチャーを受けているうちに日は傾き、空は赤く染まり始める。
「と、いうことじゃ。分かったな? これ、ミスると完全消去処分じゃから注意しておけよ」
レヴィアは空中に映し出した映像をクルクルと指で回しながら、険しい目つきで瑛士を見た。
「か、完全消去……?」
瑛士はその聞きなれない処分にピンとこず、首をかしげた。
「死亡しても魂は消えず、再生されるわけじゃが、完全消去はその名の通り再生されずに消される。要は死刑よりも重いんじゃな」
「死刑より重い……」
瑛士はその冷徹なルールに思わず冷汗を浮かべる。
「お主はこれから担当の地球の中では神になる。それは麻薬のような甘美な誘惑に満ち溢れた生活になるんじゃ。一度その誘惑に負けるととことん堕ちていってしまう。そうなったらもう神殿としては切り捨てるよりほかないんじゃ。要は管理者になることは、誘惑との戦いになるってことじゃ」
「な、なるほど……」
「お主だって男なんじゃから、可愛い女の子をはべらせてハーレムでウハウハしたいじゃろ?」
レヴィアはいたずらっ子の笑みで瑛士を見る。
「いや、まぁ、それは、可愛い子には弱い……ですよ? で、でも……。力を使って女の子に言うことを聞かせても、それはなんか違うというか……」
瑛士は眉をひそめて首をかしげる。
「ほう。お主中々まともじゃな。いつまでもその気持ちを大切にしろよ? 変態ハーレム作って消された男は数知れず……。気を付けるんじゃぞ?」
レヴィアは鋭い視線でビシッと瑛士を指さした。
「は、はい……。気を付けます」
『大いなる力には、大いなる責任が伴う』瑛士は紀元前から語り継がれているという格言が頭をよぎった。
その時、ガチャっとドアが開き、シアン達が入ってきた。
「おいーっす! それじゃ焼肉食いに行くゾ!」
シアンは元気そうに腕を突き上げご機嫌である。
「あ、あれ……? なんだか……綺麗になってる?」
瑛士は風呂上りみたいにつやつやになっているシアンを見て首をかしげた。先ほどまでは髪も頬も焦げてボロボロで心配していたのだ。
「僕が綺麗だって? ふふっ、何それ口説いてんの? きゃははは!」
シアンは楽しそうに笑いながら瑛士の背をバシッとはたいた。
「痛てっ! いや、そうじゃなくって、さっき焦げてたから……」
「なーんだ。新しい身体に変えただけだよ。ほらっモチモチでしょ? くふふふ……」
シアンは瑛士にハグをするとほほをスリスリと瑛士の頬に滑らせた。
「えっ! ちょ、ちょっと!」
真っ赤になってじたばたする瑛士。
「シアン様! 瑛士が嫌がってますよ!」
一緒に入ってきた絵梨が口をとがらせて叫んだ。
「嫌よ嫌よも好きのうちってね。だって一緒のベッドで寝てた仲だもん、僕たち。ねっ?」
シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべながら瑛士にウインクする。
「ホ、ホント……なの……?」
絵梨は眉をひそめ、首を振りながら後ずさる。
「いや、あ、あれはベッドが一つしかなかった……から……」
「『ママ……』って泣きながら僕の胸に包まれて泣いてたんだよね? くふふふ……」
「い、いやちょっと! な、何言いだすんだよ! 胸になんて触れてないですーー!!」
瑛士は真っ赤になってシアンの背中をパシパシはたいた。
「そうだったっけ? きゃははは!」
「な、なに……それ……」
絵梨はドン引きして汚いものを見るような目で瑛士を見つめた。
「はい、ジャレるのはそこまでにして! もう時間よ」
タニアはジト目で瑛士たちを見ながらツーっと指先で空間を裂いた。
空間の裂け目を通ると薄暗いところに出た。小ぢんまりとした社殿があり、鳥居には提灯が揺れている。どうやら神社らしい。
「あれ……? じ、神社……?」
「こっちじゃ、早う来い!」
レヴィアは眉をひそめながら、ポカンとしている瑛士の手を引っ張った。
「出てくるところを見られると処理が面倒くさいんじゃ。平然としとけ!」
「へ、平然……了解……」
瑛士はコホンと咳ばらいをすると、背筋を伸ばして大きく息をつき、レヴィアについていった。
「この辺は春と秋に祭りがあってかなり盛り上がるんじゃ」
レヴィアは楽しそうに両手を広げながら商店街を案内する。
「なるほど、そういう文化がうちの東京にもあった……ということですね?」
「そうじゃな。この東京を参考に復興してもいいぞ」
「なるほど……」
瑛士は鳥居を振り返り、スマホでパシャっと写真を撮った。まるでタイムスリップしたみたいに、昔の東京を直接体験できるというのはとても不思議な体験だった。
◇
一行は裏路地を進み、やがて繁華街の奥にひっそりとたたずむ木造の古びた建物にやってくる。入り口にはチョークで書かれたボードがあり、今日のおすすめを独特の丸みを帯びた字体で書いてある。
『米沢牛 シャトーブリアン入荷しました!』
「よ、米沢牛……シャトーブリアン……」
肉なんてほとんど食べられない計画経済で生きてきた瑛士には、その食文化の圧倒的な豊かさに脳髄が揺さぶられる思いがする。
「脂が甘くてなぁ、最高じゃぞ!」
レヴィアは思わず湧いてきたつばをゴクンと飲み込み、真紅の瞳をキラキラと光らせた。
「くふふふ……、米沢牛……。喰うゾーー!」
シアンもノリノリで木製の扉をガラガラッと勢いよく開ける。
「いらっしゃいませーー!! お連れ様がもうお待ちですよ!」
店員の元気な声が響く。
それは計画経済である瑛士の地球では失われた接客だった。瑛士は東京の全てが眩しく見えた。
◇
「おっそいのよ! あんたたちは!」
個室に案内されると、すでに若い女性がビールジョッキを片手に頬を膨らませていた。
肩を出しただぶっとしたグレーのニットにアイボリーのベレー帽を可愛く決めている彼女はどう見ても女神様だったが、先ほどまでのヒリつく威厳は感じられず、むしろかわいいお姉さんに見える。
「ゴメンゴメン。今日は美奈ちゃんなのね。レヴィア、ピッチャー五杯くらい頼んどいて」
シアンはそう言うと不機嫌そうな【美奈ちゃん】の隣に座った。
「あ、あれ? 女神様では……ないんですか?」
瑛士は不思議そうに小首をかしげながら聞く。
「ふふっ、女神と言えば女神だし、女子大生とも言えるわ」
美奈は嬉しそうに琥珀色の瞳を光らせ、グッとジョッキを傾けた。
瑛士はその禅問答みたいな説明に混乱し、言葉を失う。
「女神様のこの地球用の分身……だね」
シアンは小鉢のナムルをつまみながら言った。
「分身……?」
「長く生きてるとイロイロあんのよ! いいから食べなさい!」
美奈は面倒くさそうにそう言うと、皿に盛られた米沢牛をドカッと全部ロースターにぶち込んだ。
「おーぅ! 肉、肉!」
シアンはまだ焼けてもいない生肉をそのまま口に運び、恍惚の表情を浮かべる。
「米沢牛……、最高……」
「我も失礼して……」
レヴィアも生のままパクパクと肉を丸呑みしていった。
「レヴィア取りすぎ!」
負けじと肉を奪うシアン。あっという間にまるで戦場のような肉の奪い合いになってしまった。
「あーっ! あんた達! みんなの分も残しなさいよ!」
美奈は次々と奪われていく肉を守ろうと両手でロースターを覆った。しかし、シアンは目に見えない箸さばきでそれでも肉を持っていってしまう。
「あ、あんたねぇ……」
「くふふふ……。いっただきまー……」
その瞬間、美奈の箸がシアンの口に入ろうとする米沢牛をガシッと捉えた。
「残せって聞こえなかった?」
美奈は琥珀色の瞳をギラリと光らせてシアンをにらむ。
「肉は早い者勝ちって決まってるんデース!」
シアンは箸にオーラを込め、青白い輝きが肉片を包んでいく。
「私が待てって言ったら待つのよ?」
美奈も箸にオーラを込め、黄金の輝きがシアンの輝きを上書きしていった。
「嫌だと……言ったら?」
シアンはさらに気合を込め、青い髪を逆立てながら全身が青白い輝きで覆われていく。
「あんたのオムツ、誰が替えてあげたと思ってるの?」
美奈も負けじと全身を黄金の輝きで包んでいく。すでに肉片はまるで溶接スポットのように激烈な閃光を放っており、見ることもできない。
「替えてくれなんて頼みましたっけ?」
「貴様ぁ……、じゃあさっきの稲妻をもう一発……」
「ふふっ、当ててみる? 同じ手は食わないよ?」
「なんですってぇ!?」
刹那、にらみ合う二人の全身のオーラがブワッと大きく広がって、室内はまるで太陽になってしまったように激しい輝きに埋もれてしまう。
「あわわわわ」「くはぁ!」「きゃぁ!」
瑛士たちは神々の戦いの凄まじさに圧倒され、慌てて逃げようと席を立つ。
その時だった。
ゴロゴロゴロ……。
廊下を押されるワゴンの音が響いた――――。
「ハーイ、ピッチャーお持ちしました……。あれ?」
ガラガラっと扉を開けた店員は、逃げ出そうとしている四人と目が合って首をかしげた。
「あんたたち、何やってんの? 早く座りなさい! 乾杯よ!」
「ピッチャーはここ置いて! きゃははは!」
一触即発だった美奈とシアンは何食わぬ顔でにこやかに対応する。
「え……?」「あれ……?」
四人は渋い顔でお互い目を合わせながら、そーっともう一度席に座りなおした。
◇
「それでは、瑛士君と、サポートの絵梨ちゃんのジョインを祝って……カンパーイ!」
「カンパーイ!」「ヤフーー!」「イェーイ!」「飲むぞーー!」
無事仕切り直して、にぎやかに乾杯で歓迎会がスタートした。
「ハイ! こちら、本日オススメ! 米沢牛のシャトーブリアンになります!」
店員もノリノリで厚切りのシャトーブリアンの皿をドンとテーブルに置く。
「キターー!」「ウヒョー!」
瑛士は初めて見るシャトーブリアンに目を丸くした。まるでエアーズロックのような分厚い、美しいさしの入った肉隗はまさに魅惑の食の頂点。
ほわぁ……。
瑛士はぽかんと口を開け、神々しく輝いて見えるシャトーブリアンに目が釘付けとなった。
「あんたたち、待ちなさい! 一人一切れよ?」
我先に箸を伸ばすシアンとレヴィアに美奈は眉をひそめ、にらんだ。
「嫌だと……言ったら?」
シアンは碧眼を光らせながら楽しそうに美奈を見る。第二ラウンドの不穏な雰囲気が部屋を包んだ。
「よろしい……。ならば戦……」
美奈が琥珀色の瞳をギラリと光らせた時だった。タニアが間に入り、叫ぶ。
「今日は歓迎会ですので、そのへんで……ね?」
美奈とシアンはしばらくにらみあっていたが、大きく息をつき、うなずくとビールをグッとあおった。
ふぅと大きく息をついたタニアは、ロースターにシャトーブリアンを丁寧に並べていく。
「あ、あのぅ……」
瑛士は話題を変えるべく美奈に話しかける。
「何よ?」
美奈はシャトーブリアンを丁寧に並べながらぶっきらぼうに応えた。
「さっき、オムツを替えていたって話をされていましたけど……」
「あぁ、コイツこないだ産まれたばっかなのよ」
美奈はシャトーブリアンをひっくり返しながらシアンを指さした。
「え……。こ、こないだって……?」
「コイツまだ四歳なのよ」
「僕よっちゅ! きゃははは!」
シアンは楽しそうに笑うと、待ちきれなくなって生焼けのシャトーブリアンを拾い上げ、かぶりついた。
「……。は?」
瑛士はどういうことか分かりかね、言葉を失う。年上に見える立派な若い女性の肢体を誇りながら四歳だという。本当なら保育園に入っていておかしくない年齢だと言われても納得がいかない。
「よ、四歳……? ほ、本当に……?」
瑛士は動揺を隠せず、震える声でシアンに聞いた。
「四歳だよ? シャトーブリアン食べないの? もらっていい?」
シアンは口いっぱいに肉を頬張りながら、瑛士のシャトーブリアンに手を伸ばす。
「ダメです!」
絵梨が厳しい表情でシアンの箸をブロックした。
瑛士はこの瞬間全てを理解した。なぜこの女の子は無邪気に無謀なことを繰り返し、子供っぽいのかを。だってまだ四歳なのだ。
それと同時に、いままでたくさんドキドキして、あまつさえ腕で泣いてしまっていたことが恥ずかしくなり、瑛士は真っ赤になってうつむいた。
「お? 瑛士、キミは何か勘違いしてるゾ! ほら、あーん!」
シアンはニヤッと笑うと、シャトーブリアンを瑛士の口に持っていく。
「え? 何? なんなの? うわっ!」
口にねじ込まれるシャトーブリアン。刹那、天にも昇るかの如く華やかで豊かな肉汁が口内に溢れ出る。瑛士はその極上の滋味に、時間すら止まるかのような恍惚とした表情で身を委ねた。
う、美味い……。
「僕は生まれてまだ四年だけど、たくさんの僕が今この瞬間も宇宙のあちこちで活動して、その膨大な経験がものすごい速度で蓄積してるんだゾ?」
「た、たくさん……って?」
「今は十六並列だゾ。くふふふ……」
「じゅっ、十六人のシアン……? はぁ……」
瑛士はその意味不明な並列処理に何と答えていいか分からなくなる。もはや一人の人間として考えてはいけないということかもしれない。
「その『膨大な経験』で富士山ぶった切っちゃうのよねぇ……。はぁ……」
美奈は肩をすくめ、宙を仰ぐ。
「ゴメンってばぁ……」
珍しくシアンが謝っている。シャトーブリアンの旨味がシアンを素直にさせたのだろう。
「じゃあ、お詫びの一気行きマース!」
シアンはガタっと立ち上がると、嬉しそうにピッチャーを傾けてビールをゴクゴクと飲み始めた。
「えっ! そんなに飲んだら……」
瑛士は慌てたが、レヴィアは真紅の瞳をキラっと輝かせ、自らもピッチャーを持った。
「我もお詫びじゃぁ!」
二人はゴクゴクと幸せそうにビールののど越しを楽しんでいく。
こんな大量のビールがいったい細い身体のどこに入っていくのだろうか? 瑛士はけげんそうな顔で小首をかしげ、ウーロン茶を一口含んだ。