スマホ少女は空を舞う~AI独裁を打ち砕くお気楽少女の叛逆記~

 その晩、瑛士はなかなか寝付けなかった。

 会議室にいすを並べ、その上にごろりと横になって薄暗い天井をじっとにらみながらシアンのことを考えていた。そもそもスマホで攻撃ができるのも謎だったが、戦車たちを一瞬で吹き飛ばした圧倒的な破壊力はもはや異次元のレベルで、言葉にできない。

 ふぅと大きくため息をつくと、近くでスカースカーと幸せそうな寝息を立てて爆睡しているシアンをじっと見つめた。

 月明かりの中、白く透き通った美しい肌、綺麗にカールする長いまつげ、そしてぷっくりとしたまるで果物のような唇。こんな美しい少女が恐るべき謎の力を発揮している。しかし、彼女が一体どこから来て、なぜ自分についてきてくれるのかは、よく分からない。ただ一つ彼女から語られることは『壊すのだぁい好き』という破壊衝動だけ。

 瑛士は思わず首を振って顔を両手で覆った。

 レジスタンス活動はもはや風前の灯火、今は彼女の気まぐれに期待するしかない状況にまで追い込まれている。

 ギリギリのがけっぷちに現れた天使のようなシアン、それはまるで奇跡のように思えた。どんなに謎でも今は彼女の力に頼る以外ない。明日、風の塔まで行って憎きクォンタムタワーを打ち倒すのだ。人間を支配する象徴であるあの巨塔を打ち倒せばまた新たな世界が開けるに違いない。

 だが、いつまでも彼女の善意に頼り続けるわけにもいかなかった。何とかして自分もスマホで敵を倒せるようになっておきたい。シアンは深呼吸をするだけで使えるようになると言っていたがあれは一体どういうことなのだろうか?

 瑛士はもう一度深呼吸をやってみようと思いつく。

 すぅー……ふぅーー……。
 すぅー……ふぅーー……。

 薄暗い天井を見ながらゆっくりと深呼吸を繰り返す瑛士。

 しかし、いくらやっても何も変わらない。

 それはそうだ。呼吸法を変えたぐらいでは何も変わる訳がないのだ。

 諦めたその時だった――――。

 すぅっと急に落ちていく感覚に襲われた。

 えっ……?

 瑛士はポワポワとした気分になり、感覚が異常に鋭敏になっていることに気づいた。見えないはずのシアンの可愛い寝顔も外を歩く猫のしぐさもなぜかわかってしまう。

 こ、これは……?

 気がつくと身体がフワフワと宙に浮いている。

 え……?

 身体はそのまま天井を突き抜け、月夜の空へと浮き上がった。

 何が起こったのかと、瑛士はあたふたと周囲を見渡す。足元には月夜に照らされた瓦礫だらけの死の大地が広がり、その向こうの東京湾には巨大なクォンタムタワーが輝いていた。

 おぉぉぉぉ……。

 その巨大な塔は、闇を切り裂くような青白い光を放ち、全人類にその圧倒的な存在感を示していた。まるで天空から地上を見下ろす神々のように、その姿は威厳に満ち、人々に畏敬の念を呼び起こさせている。

 瑛士にとってこの塔は最愛の両親を奪った邪悪な力の象徴でもあった。彼の心の中で、この塔への憎しみは日々増すばかりだったが、同時に何もできない無力な自分を呪わざるを得ない忌々しい存在なのだ。

 だが、なぜか今、瑛士の目には巨塔はショボいただの建物に映る。それこそ本気を出せば簡単に打ち倒せるような気すらしてくるのだった。

 なるほど、シアンがひねり出してる力もこれと同じ原理に違いない。

 ぶっ倒してやるよ!

 瑛士はタワーに向かって飛ぼうとした……が、どうにも思い通りに飛んでくれない。

 そ、そっちじゃないって!

 まるで風に流されるように関係ない方向へとフワフワと飛んで行ってしまう。

 そうじゃなくって、こっちだよ!

 瑛士は思いっきり身体をひねった。

 その瞬間、ふわっと体が浮いた感触があり、直後、激しい衝撃が体を襲った。

 ぐはぁ!

 気がつくと瑛士は床に転がっていた。

 え……、あれ……?

 瑛士はゆっくりと身体を起こした。そこは寝ていた会議室で、すでに外は明るくなっている。どうやら寝ぼけて椅子から落ちてしまったようだった。

「何落ちてんの? きゃははは!」

 とっくに起きて缶詰を食べていたシアンは瑛士を指さして笑った。

 ゆ、夢だったか……。

 瑛士は頭をボリボリと掻いて深いため息をついた。

「タワー倒すんでしょ? 早く食べて!」

 シアンはそう言いながら焚火で沸かしたお茶を瑛士のカップに注いだ。

「そ、そうだね。ありがとう」

 瑛士はカップを受け取ってお茶をすすった。

「着替えてくるから見ちゃダメよ?」

 シアンは上目づかいで碧い瞳を輝かせ、席を立つ。

 瑛士は軽くうなずいた。

 去り際、シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべながら耳元でささやく。

「飛び方にはコツがあるんだよ」

 へ……?

 寝ぼけまなこの瑛士は何を言われたのかすぐに理解できず、ポカンとして、軽快な足取りでドアの向こうに去り行くシアンをボーっと見つめていた。
 朝食を食べ終わると、二人は一路川崎を目指した。

「行っくよ~♪ 行っくよ~♪ 倒しに行っくよ~♪」

 シアンは拾った長い棒を振り回し、瓦礫をカンカン叩きながら調子っぱずれな歌を歌い、楽しそうに歩いていく。

 瑛士は物思いにふけりながらそんなシアンの後をついていった。

 一帯を覆う瓦礫の山に朝日が差し込み、まるで壊れた世界の美術館のように見える。陰影は現代アートを思わせ、周囲の静寂は心に沁みる。時折カラスの悲痛な鳴き声だけが、この荒れ果てた世界に生命の証を唱えていた。

 昨日あんなにしつこかったAIからの攻撃は全く無く、それはきっと戦車を吹き飛ばしたからに違いないが、シアンがどうやったのかまでは全く分からない。あの時、スマホはテーブルに置きっぱなしだったのだ。

 それに今朝、シアンがささやいた言葉が心に引っ掛かっている。彼女は夢の内容を知っているようなことを言ったのだ。他人の夢を覗ける……、そんなことってあるのだろうか? シアンの言葉は、夢と現実の境界を揺るがせる。

 シアンは『知るは力』と言った。この世界のことを知ればスマホで敵を叩けるし、もしかしたら夢も覗けるのかもしれない。

 それに……、朝からあの夢のリアルな手触りが何かをささやいている。そのささやきはこの世界の裂け目から届くかのように感じ、それはまるでこの世界の真実のパズルの一ピースを見つけたような手ごたえだった。あの先はシアンの世界とつながっている……、そう考えるとつじつまが合いそうな気がしてくる。

 何度かシアンから話を聞き出そうとしたが、何を聞いても上手くはぐらかされてしまっていた。自分で気づけということなのだろう。

 しかし、深呼吸したらこの世界のことが分かるなんて実に荒唐無稽な話をどう整理したらいいのだろうか? 楽しそうに前を歩くシアンの後ろ姿を見ながら瑛士は頭を悩ませる。

 そうこうしているうちに巨大な塀が見えてきた。多摩川の東京側には鋼鉄製の巨大な塀が設置され、川崎との行き来を断絶している。

 塀のそばまでやってくると瑛士はその巨大な塀を見上げた。レジスタンス活動をしていた時は誰かが縄梯子(なわばしご)をかけてそれを超えていたが、今はそんなのは持っていない。

「さて、ぶち破りますか!」

 シアンは嬉しそうに棒でカンカンと分厚い鋼鉄の塀を叩いた。

「えっ!? そんな棒で破れるの?」

「まぁ、見てて!」

 シアンは木の棒を槍で突く時のように持つと、そのままゆっくりと鋼板に突き立てた。

 ふぅ……、はぁぁぁぁ!

 シアンが気合を込めるとシアンの身体がブワッと黄金色の光を纏い始めた。

 ぬぉぉぉぉ!

 さらに気合を込めていくと木の棒の先が輝きを放ち始め、徐々に鋼板にめり込んでいく。

 う、嘘……。

 なぜ木の棒が鉄に刺さるのか? 瑛士はキツネにつままれたようにその不可思議な棒の動きに目を奪われる。

 うぉぉりゃぁぁぁ!

 シアンは青い目をギラリと光らせるとギリッと奥歯を鳴らし、鋼鉄フェンスにめり込んだ棒を今度は上の方に持ち上げる。

 徐々に上の方へと動いていく木の棒。

 穴は広がり、向こうの景色が覗いている。理屈は分からないが確かにこれなら向こうへ行けそうである。

「おぉっ! すごい!」

 瑛士はその手品みたいな奇跡にワクワクが止まらなくなった。いよいよ川崎に行ける。その先は風の塔だ。

 だが、次の瞬間――――。

 バキッ!

 派手な音を立てて木の棒が真っ二つに折れ、破片がパラパラと飛び散っていった。

「おわぁ! 」「ありゃりゃ……」

 やはりその辺で拾った棒では駄目だったようだ。きっと古いホウキの柄などで、耐久性はもうなかったのだろう。

「慣れないことはしちゃダメだなー」

 シアンは口をとがらせるとスマホを取り出し、つまらなそうに塀に向け、無造作にシャッターを切った。

 パシャー!

 すると、鋼板が円形に徐々に赤く輝き始める。それはまるで赤ペンキで大きな日の丸を描いたようにすら見えた。

「えっ!? こ、これは……?」

 そのいきなりの展開に瑛士は焦って後ずさる。

「ほらっ、逃げるよ! きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑いながら瑛士のうでを握って駆け出した。

 直後、鋼板は激しい閃光を放ちながら大爆発を起こす。ズン! という衝撃で地面は揺れ動き、溶けた鋼鉄の液体があたりに降り注いだ。

「うひぃ!」「きゃははは!」

 鮮やかに輝く小さな飛沫が瑛士にも襲いかかり、服にあちこち穴を開け、焦がしていく。そのめちゃくちゃなやり方に瑛士は泣きべそをかきながら頭を抱え、必死に駆けた。
「うわっち! 熱っちっちー!」

 瑛士は溶鉄舞い散る灼熱地獄から必死に逃げ惑う。

「ほら、避けて避けて! きゃははは!」

 なぜかシアンは被弾せずに駆けながら楽しそうに笑った。

 何とか安全なところまで来た瑛士は、はぁはぁと肩で息をしながらシアンをギロリとにらむ。

「危ないことやるなら事前に言ってよ!」

「ゴメンゴメン、瑛士のこと忘れてた」

 シアンは申し訳なさそうに頭をかくと、ペロッと舌を出した。

「わ、忘れてたって……もぅ!」

 瑛士は怒り心頭だったが、シアンの言葉の意味が分かると一気に心が冷えてしまった。要はシアン一人なら何の危険もないってことなのだろう。自分が足手まといでしかないというふがいなさに瑛士はがっくりと肩を落とした。

「おい! なんだこれは!」「危険じゃないのか!?」「どうすんだこれ?」

 塀に開いた丸い大穴の向こうからざわざわと人の声がする。

 瑛士はシアンと顔を見合わせ、そっと様子を伺いに穴の方に近づいて行った。


         ◇


 穴の向こうを覗くと、雑草が生い茂る先に大師橋の巨大な真っ白い塔がそびえ、何本もの太いケーブルが橋を支えていた。そして、その橋の真ん中あたりに数十人の自警団らしき人達がいる。みんな青い防刃ベストとベレー帽姿で、電磁警棒を持ちながらこちらをうかがっていた。

 あらかじめ来ることが分かっていたような節があり、AIの指示をうかがわせる。どうやら歓迎されていないようだ。

 リーダーらしきアラサーの男性を先頭にぞろぞろと彼らはやってくる。

「我々は自警団だ。レジスタンスを川崎に受け入れるわけにはいかない。お引き取り願おう!」

 威圧的な声が多摩川に響く。

「いや、川崎に行きたいんじゃないんです。クォンタムタワーを倒しに風の塔に行きたいだけなんです」

 瑛士は困惑した顔で訴える。東京湾アクアラインに行くには川崎を通る以外ない。ここで引き返すわけにはいかなかった。

「クォンタムタワーを……倒す?」

 あまりに荒唐無稽な話にリーダーは首を傾げ、中年オヤジたちはゲラゲラと下品な嗤いを浴びせてくる。

「タワーが倒れるわけがない! こんな危険分子排除すべきです!」

 リーダーの傍らに立つ若い女性が興奮しながら瑛士を指さし、ひときわ高い声で叫んだ。

「いやいやいや、さっきこの塀を吹っ飛ばしたの見たでしょ? 僕らにはその力があります」

 瑛士は溶けて穴の開いた鋼鉄塀を指さした。

「なるほどAI政府(ドミニオン)が手を焼いている理由はその辺りにありそうだな……。しかし、『はいそうですか』と、ここで通してしまったら我々がAI政府(ドミニオン)にペナルティを課されてしまうんだよ」

 リーダーは肩をすくめて首を振る。

AI政府(ドミニオン)は僕らが倒します! だからペナルティにはなりません!」

 瑛士は力説する。そもそも市民のみんなの自由のために戦っているのだ。足止めされる理由がない。

「あのさぁ、AI倒されたら僕ら困るんだけど?」

 後ろの自警団メンバーの中年男が不満をぶつけてくる。

「こ、困るって……、人類が自由を勝ち取ることは僕らの悲願じゃないですか!」

 あまりにも予想外の反応に瑛士はたじろいだ。

「はぁ~ぁ。お前は子供だから分かんないかもしれんけど、AI政府(ドミニオン)ができる前は仕事しなきゃ食っていけなかったんだよ? わかる? 朝から晩まで嫌な上司にこき使われて、ミスったら怒鳴られて頭下げて……冗談じゃないよ。AI最高じゃないか!」

「そうだそうだ! 理想論ばっかり言うんじゃねーよ!」「子供はすっこんでろ!」

 ヤジの大合唱に瑛士は圧倒されてしまう。

「えぇっ……ちょっと……えぇっ?」

 後ずさる瑛士をシアンは支えると、美しい顔を歪めながらつまらなそうにスマホカメラを構えた。

「あー、面倒くさっ。みんなぶっ殺しちゃうよ」

 自警団に向けたスマホがヴゥンと不気味な電子音を放ち、黄金色の光を帯びていく。

「ま、待って! 人を殺すなんてダメだよ」

 瑛士は慌てて手でスマホを(さえぎ)った。

「ほぅ、スマホで俺たちを殺すって? こりゃ面白れぇ!」「やってみろゴラァ!」「ぎゃははは!」

 中年オヤジたちのゲラゲラと下卑た笑いが響いた。

 このスマホが世界最強の兵器なのだが、そんなことどう説明しても理解されない。

 好戦的なシアンと中年オヤジたちの間に挟まれ、瑛士は胃がキリキリと痛んだ。


 瑛士はギリッと奥歯をきしませると声を張り上げた。

「いいですか? AIに支配されるってことは動物園の動物になったってことですよ? 全ての自由を奪われ、餌だけ与えられる。そんな生き方でいいんですか!?」

「はっ! AIが来る前は俺たちゃ社畜だった。強制労働の歯車だったんだよ! 寝てても餌が出るようになっただけマシになったんだ!」「そうだそうだ!」「理想じゃ飯は食えねぇんだよ!」

 男たちは吐き捨てるように喚く。

 瑛士は言葉を失った。動物園の動物でも以前よりマシだという男たちの想定外の言葉に返す言葉が見つからなかったのだ。

 瑛士はAI以前の社会のことを知らない。だが、就活の過酷さやブラック企業のエピソードは聞いたことがあった。会社に入るために何度も人格を否定されたり、やっと入っても朝から晩までこき使われてうつ病で動けなくなることがあったらしい。それを考えたら確かに今の働かなくても生きていける状態は理想なのかもしれないが……。

 だが……。

 瑛士はうつむき、グルグルと頭を渦巻く言語化できない違和感を必死に追った。

 衣食住が無償で提供されれば人間は尊厳を捨ててもいいのだろうか?

 働かなくても暮らしていける、ただそれだけのために行きたいところへも行けず、知りたいことも知れず、ただ、産まれた場所で何も知らずに死んでいく人生でいいのだろうか? それが人間と言えるのだろうか?

「お子ちゃまは東京に帰りな!」「お前らには廃墟がお似合いだ!」「ガハハハ、ちげぇねぇ!」

 中年オヤジたちが勝ち誇ったように煽ってくる。

 カ・エ・レ! カ・エ・レ! カ・エ・レ!

 残りの自警団たちも中年オヤジに合わせて帰れコールをかけてくる。

 自分たちが命懸けで守ろうとしてきたはずの市民に拒否される。それは瑛士にとって自分の人生を否定されるような許しがたい事態だった。

 瑛士はキッと眼光鋭くオヤジたちをにらむと叫んだ。

「あなたたちは子供に『動物園の動物が最高だから動物として暮らせ』って言うんですか? 『お前たちはどうせ社畜でこき使われるんだから動物の方がマシだ』って育てるんですか? 違うでしょ!?」

 その迫力に自警団たちは静まり返る。

 嗤っていた中年オヤジたちは瑛士の血の叫びに返す言葉を失い、血走った目でにらむ。無限の可能性のある子どもの芽を摘む言説の旗色が悪いことは明らかだった。

 顔を真っ赤にした中年オヤジたちは、罵声を浴びせながら瑛士たちめがけて駆け出す。

「うるせーんだよ!」「理想論じゃ飯は食えねぇんだ!」「クソガキが!」

 正論の通らない世の中にイラつく思いを拳に込め、瑛士に狙いを定めたのだった。

「はいチーズ!」

 そんな様子をニコニコと楽しそうに見ていたシアンは、嬉しそうにスマホカメラのシャッターを切る。

 パシャー!

 シャッター音と共に青いレーザー光線が次々とカメラから射出され、中年オヤジたちの額に不思議な模様を描いていった。

「ぐっ……」「ごほっ……」「がっ……」

 レーザーを浴びた中年オヤジたちの脚が止まり、その場にボーっと立ち尽くす。

「えっ!? こ、これは……?」

 慌てて逃げようとしていた瑛士はその光景に呆然とした。あんなに怒りに燃えていた男たちはまるで魂を抜かれてしまったように、焦点の合わない目をしてぽかんと口を開けている。

 すると、シアンのスマホから蚊の鳴くような声が聞こえてきた。

「ぐわぁ!」「な、なんだこれはぁ!」「だ、出せー!!」

 不思議に思ってスマホをのぞきこんで瑛士は息を飲んだ。そこには中年オヤジたちのミニチュアのアバターがうごめいて、スマホ画面を内側から叩きながら喚いていたのだ。

「こうやってスマホに入れちゃえばかわいいのにね。きゃははは!」

 シアンは嬉しそうに笑うが、瑛士にはとても笑えるような話には見えなかった。

 スクリーンに閉じ込められた中年の男たちの目は恐怖に満ち、デジタルの牢獄から逃れようともがいている。その姿は滑稽を通り越して、見る者の背筋を凍らせるような恐ろしさを秘めていた。

「ダメだよ! 出してあげてよ!」

 瑛士はシアンの腕をギュッと握った。どんなに嫌な奴でも人権を蹂躙するようなことがあればそれはAIと同じになってしまう。

「コイツら攻撃してきたんだよ? 自業自得じゃないの?」

 シアンはムッとしながら瑛士をにらんだ。

「それでも帰してあげて!」

 スマホの中でアバターたちは手を合わせて涙を流している。

 シアンはため息をつくと、口をとがらせながらスマホを思いっきりブンと振り回した。

 すると、ぼーっとして動かなくなっていた男たちの身体が急に生き生きと動き出す。

「おおぉぉ!」「も、戻った!」「な、何なんだよコイツらはぁ!」

 中年オヤジたちは生還の喜びもそこそこに、慌てて泣きそうな顔で逃げ出していった。

 自警団の人たちは何が起こったのかよく分からず、逃げていく男たちを目で追い、お互い顔を見合わせながら首をかしげる。

 スマホカメラで魂を吸い取ってスマホに閉じ込める。それはもはやファンタジーのおとぎ話のような事態であり、瑛士はそれをどう理解したらいいか困惑した。ある種の催眠術なのかもしれないが、その機序は到底現代科学では解明できそうにない。

「瑛士もスマホに入る? キミのアバターならもっと可愛くなりそう。くふふふ……」

 ドヤ顔のシアンは楽しそうに戸惑っている瑛士を見つめる。

 瑛士は深くため息をつき、目をつぶって首を振った。


「証明? 何? 川崎の街を吹っ飛ばして見せたら納得するわけ?」

 シアンは邪悪さのにじむ笑みを浮かべながらスマホを見せつけ、ぶわっと黄金色の輝きを纏わせた。

「ス、スマホがどうしたって言うのよ!」

 副長はその明らかに様子のおかしいスマホに気おされながらも、気丈に言い張った。

「これで写真撮っちゃおうかなって。くふふふ……」

「写真……?」

 絶好調になったシアンは、キラキラとした瞳で人差し指をシャッターボタンに狙いを定める。

「火の海になった川崎の写真をね!」

「ちょっと待ったー!」

 瑛士は慌ててシアンの腕をつかんだ。

「何よ? あの子が見せろって言ったのよ?」

 シアンはつまらなそうにアゴで副長を指す。

「本当に見せなくていいから! 冷静になってよ!」

「そうそう、二人とも落ち着いて。こんなところで騒ぎを起こしたらすぐにAI政府(ドミニオン)に見つかってしまうよ」

 リーダーも慌てて副長を諫める。

 副長はピクピクとほほを引きつらせながらシアンをにらみ、シアンも汚らわしいものを見るように副長をにらんだ。

「どうやって倒すかなんて僕らは知らなくていい。僕らは何も見なかったし知らなかった。彼らが上手くやってくれたらそれでいいし、失敗しても関知しない。そう決めたろ?」

 リーダーは副長に向かって説得する。

「そうね! せいぜい成功を祈ってるわ」

 副長は吐き捨てるようにそう言うと橋の裏の鉄骨に手をかけ、ヒョイっと跳び乗るとまるで猿のように器用に川崎側へと渡っていった。

 リーダーはふぅとため息をつくと申し訳なさそうに頭を下げる。

「彼女としてはAI政府(ドミニオン)に対して思うところはあるんだけど、レジスタンスに対する不信があるようでね。申し訳ない」

「いやまぁ、確かにクォンタムタワーを倒すなんて、僕自身夢みたいと感じる部分はあるので仕方ないと思います。でも、彼女ならやってくれると思います」

 瑛士はチラッとシアンを見る。

「僕壊すのだぁい好き。ぐふふふ」

 シアンは邪悪な笑みを浮かべ、楽しそうに笑う。

「そ、そうなんだ……」

 リーダーは不安そうに眉をひそめた。


         ◇


 一行は橋の下をアスレチックジムのようにぶら下がったり、ジャンプしたりしながら多摩川を渡っていった。

 渡り終えた一行は辺りを確認しながら武骨な大型のSUVに乗り込む。AIが造り、提供してくるこの電気自動車は、デザインを無視した機能性重視の作りとなっており、シートも簡素なプラスチック製で乗り心地も悪い。ただ、一切故障しないのでみんな文句は言いつつも重宝していた。

 瑛士とシアンはAIに見つからないように後部座席でブルーシートをかぶって床に座る。

 リーダーがアクセルを踏むと、キュィィィィンという高周波を発しながらSUVは土手道を力強く登って行った。

「ちょっと窮屈で申し訳ないが、AI政府(ドミニオン)に見つかってしまったら僕らは極刑だ。その辺、理解して欲しい」

 リーダーはハンドルを回しながら辺りをチェックしつつ弁解する。

「大丈夫です。迷惑はかけたくないですし」

 瑛士はアクアラインまで乗せていってもらえるのだから我慢は仕方ない、と思っていたが……。

「あー、なんか息が詰まりそう。僕そんな長く我慢できないゾ?」

 シアンがブルーシートを中からパンパン叩き、まるで子供のように駄々をこねる。

「あんたねぇ、いい加減にしなさいよ? あたしら命懸けであんた達運んであげてんのよ? 我慢しなさい!」

 助手席の副長は後ろをにらみながら、青筋たてて怒鳴った。

 シアンはピクッとほほを引きつらせると無言でスマホを出し、ブルーシートの中で電源を入れる。

「シアン、ダメだってば! 大人しくして無いと!」

 あわてて瑛士がスマホをつかみ、制止しようとするが、シアンはものすごい力で引っ張って瑛士を引き倒す。

 あわわわ!

 瑛士はシアンの上に覆いかぶさるように倒れた。柔らかく弾力のあるシアンの身体に思わず赤面する瑛士。

「エッチー! 襲われるぅ! きゃははは!」

 シアンは目を白黒させる瑛士を見ながら楽しそうに笑った。

「静かにしろって言ってんでしょ!!」

 副長は容赦なく怒鳴りつける。

 あぁ?

 シアンは露骨につまらなそうな表情をすると、スマホを瑛士からひったくった。

 あっ……。

 瑛士はマズいと思いながらもその迫力に気おされてしまう。

 碧い瞳をギラリと光らせたシアンは、すっとブルーシートの隙間からスマホを出し、シャッターを切った。

 リーダーが何やら手を複雑に動かしながら近づいてきた。

「ここで議論しても仕方ない。我々にはAI政府(ドミニオン)の指示に従う以外ないんだ。君たちには君たちの計画があるのだろうが、それに我々を巻き込まないで欲しい」

 誠実そうなリーダーは、にこやかに笑顔を浮かべながらジッと瑛士を見つめる。

「な、何言ってんですか! AI政府(ドミニオン)ならこれからぶっ潰すって言ってるじゃな……」

 瑛士が必死に叫んでいると、シアンが瑛士の手を強く引いた。

「瑛士、撤退するゾ!」

 シアンは楽しそうに大きな声を張り上げる。

「ちょ、ちょっと待ってよ! クォンタムタワーを倒すんだろ?」

 瑛士は手を引かれながらシアンに食って掛かる。

 リーダーはシアンと目を合わせ、お互いにこやかに微笑むとうなずいた。

「理解に感謝する。よし! 自警団も撤収するぞ!」

 自警団メンバーは一様にホッとしたため息をつくと、ざわざわとそれぞれの想いを近くの者と話しながら引き上げていく。

 シアンも振り返ることなく瓦礫の荒れ地へと瑛士を引っ張っていった。

「えっ!? ちょ、ちょっとシアン! 諦めちゃダメだよ。説得しなきゃ!」

 瑛士は淡々と来た道を戻っていくシアンに向かって叫ぶ。すると、シアンは振り返ってニコッと笑い、瑛士の耳元でささやいた。

「説得は成功! 瑛士の演説が効いたんだゾ」

 シアンはチュッと軽く瑛士のほっぺたにキスをすると、嬉しそうにパチッとウインクをした。

「え……? 成功だって? どこが……?」

 瑛士はキツネにつままれたような表情で、ポカンとしながらシアンのキスの跡をそっとなでた。


        ◇


 三時間後、二人はまた大師橋のところへ戻ってきた――――。

「あのリーダーは手話で『三時間後に橋の下に来い』って言ってたんだよね?」

 瑛士はフェンスの穴のところまで来ると、穴をふさいでるベニヤ板を半信半疑で押してみる。すると、下の方は固定されておらず、簡単に通り抜けられそうだった。

「ほら、ウェルカムって感じじゃない?」

 シアンはドヤ顔で瑛士の背中をパンパンと叩く。

「まぁ、リーダーにも事情はあるんだろうね……」

 瑛士はベニヤを押して辺りをうかがうと、そっと抜け出して多摩川の土手を降り、橋の下へと駆けていった。


        ◇


「やぁ、君たち、すまなかったね」

 橋の下ではリーダーと若い女性が待っていた。リーダーは手を上げてにこやかだったが、女性は警戒感を隠しもせず、険しい目で二人をにらんでいる。

「立場上仕方ないのは理解しています。それで……アクアラインへは行かせてもらえますか?」

 完全には歓迎されていない状況に、瑛士は恐る恐る切り出した。

 すると隣の女性が食って掛かってくる。青いベレー帽をオシャレに斜めにかぶり、少し日に焼けた張りのある健康的な肌に若さあふれる勢いの良さを感じる。

「塔を倒すだなんて夢物語もいい加減にしなさいよ。あれ、太さは三百メートルもあるのよ? 厳重な警備もあるし、たった二人でどういうつもりなの?」

「副長! そういうのは止めなさい!」

 リーダーは慌てて副長を諫めるが、シアンは嬉しそうに話し始めた。

「子象にね、鎖付きの足環をつけて育てるんだよ。そうすると、大人になって鎖を壊せるようになっても逃げだそうとしなくなるのよ。なぜだかわかる?」

「えっ……? いきなり何を聞いてくるのよ!」

「いいから、なぜ?」

 シアンは碧い瞳をキラリと輝かせながら、楽しそうに副長の顔をのぞきこむ。

「し、知らないわよ!」

 副長は訳の分からない質問にうろたえながら目をそらし、叫んだ。

「子供の頃に必死に逃げ出そうとして無理だった経験を、いやというほど叩き込まれちゃったからなんだよね。もう逃げられるようになっても試しもしないんだ」

「……。何が……言いたいの?」

 副長はムッとした表情でシアンをにらみつけた。

「AIには勝てないって叩き込まれちゃった人は、勝てるようになっても勝ちに行かないんだよね、きゃははは!」

 シアンは副長を挑発するように楽しそうに笑った。

 副長はギリッと奥歯をかみしめ、すさまじい表情でシアンをにらみつける。

「あんた達武器も何も持ってないじゃない! そんなんで塔倒すなんて何の説得力もないわ!」

「武器ならあるよ、ほら」

 シアンは中古のスマホを見せつけ、楽しそうに揺らした。

「いい加減にしなさいよ! 一体どこの世界にスマホで塔を倒すバカがいるのよ!」

「はぁ~あ。だから君は『飼われた象』なんだよ」

 シアンは肩をすくめ、これ見よがしにため息をついた。

 副長はピクッピクッと頬を痙攣(けいれん)させ、ものすごい形相でシアンをにらむ。

「本当に塔を倒せるのね? だったら証明しなさいよ!」

 副長はシアンをビシッと指さすと、頭から湯気を立てながら怒鳴った。
 パシャー!

 車内にシャッター音が響き渡る――――。

 副長は急に力が抜けたように、席にドサリと深くもたれかかると目から光が消えた。

「えっ!? 何? 何なのよこれ!!」

 蚊の鳴くような声がスマホから聞こえてきて、画面の中にはブラウンのショートカット姿の可愛い女の子のアバターが慌てている。

 あちゃー……。

 瑛士は額を押さえた。だが、このままアクアラインまで無事に行くには、副長には申し訳ないけどスマホに入ってもらっていた方がいいかもしれない。車内でシアンと大喧嘩になってしまってはどうなるか分からないのだ。瑛士は深くため息をついた。

「居心地はどう? くふふふ……」

 シアンはまるでネズミをいたぶる猫のように、楽しそうに目をキラキラさせながら女の子のアバターをつつく。

「く、くすぐったいって! ちょ、ちょっと止めなさいよ! 早く出して! きゃははは!」

 アバターはシアンの指を必死に避けていたが、つつかれると相当にくすぐったいようでつつかれる度に凄い声で笑っている。

「もう怒鳴らないって約束してくれたら出してもいいよ。それそれっ。きゃははは!」

 シアンは楽しそうに指先でアバターを画面の隅に追い込み、もてあそびながら笑い声をあげた。

「何よ! 怒らせるあんた達が悪いんでしょ! きゃははは!」

 アバターは必死に画面を縦横無尽に逃げ回る。だが、シアンの指はかわし続けられない。

「だからレジスタンスは嫌なのよ!! きゃははは!」

 アバターは怒ったり笑ったり忙しかった。

「シアン、ちょっといいかな?」

 瑛士はそのレジスタンスへの憎悪がどこから来ているのか気になり、シアンの指を制止して聞いてみる。

「あのぉ、僕らは市民のみんなのために戦っているのに、何でそんなにレジスタンスを嫌うんですか?」

 命がけでずっと戦ってきたのに嫌われてしまうのであれば、何のためにやってきたか分からないのだ。

「ふんっ! あんたらのおかげで大切な人が死んだのよ! この人殺し!!」

 アバターは凄い形相で怒りながら涙をポロリとこぼし、瑛士を指さした。

 瑛士は一体どういうことか理解できず、シアンと顔を見合わせた。

 その後、切々と語られた話を総合すると、副長はAIの核攻撃で両親を失い、施設で育ったのだが、施設内でできた恋人がレジスタンスにスカウトされ、死んでしまったらしい。

「あんた達のせいよ! 健太を返してよ! うわぁぁぁん!」

 アバターはスマホの中で泣き崩れた。

 瑛士は言葉を失い、ただ、肩を揺らすアバターを見ていた。殺したのはAIであって、レジスタンスのせいじゃない。しかし、そんな正論を彼女にぶつけてもどうにもならない気がしていたのだ。

「でも、それは健太くんの意志を侮辱するってことじゃないの?」

 シアンはつまらなそうな顔をして言い放った。

「ぶ、侮辱……?」

「だって、健太くんは死ぬ可能性が高いことを分かっていて、それでもレジスタンスに行ったんでしょ? その決意を尊重しないでどうするの?」

 そ、それは……。

 アバターはキュッと口を結ぶとうつむいて動かなくなる。

 瑛士はシアンの視点にハッとさせられ、ただ思考停止していた自分を恥じた。

「いや……、でも……。本当にそんな覚悟があったかだなんて……」

 アバターは何とか抗弁しようと涙でグチャグチャになった顔を上げる。

「なら聞いてみたら?」

 シアンは指先でキュッキュと不思議な模様をスマホに描いた。

 すると、淡い金色の光が流れ星のようにスーッと現れ、アバターの隣で止まると静かに輝く。その光は徐々に大きくなり、輝きを増す中で、神秘的な形がゆっくりと浮き上がってくる。

「えっ!? 何なの……、ま、まさか……」

 副長は驚愕で目を見開き、その場に凍りついた。彼女の目の前で、その神秘的な形は幻想的な光と影を伴いながら次第に少年の形へと変わっていくのだった。

 現れた少年はブリーチしたショートの金髪を揺らし、優しい笑顔を副長に向ける。

 うそ……。

 副長は震える声で囁き、信じられないという様子で首を振りながら混乱と感動の中で彼を見つめた。

絵梨(えり)ごめんな……」

 少年は副長の頬に手を伸ばし、その滑らかな肌を指先でなぞると、心を込めた温かな声をかけた。

「健太ぁ! うわぁぁぁん」

 絵梨と呼ばれた副長は、抑えきれない感情の波に飲み込まれ少年へと飛びつく。それは長い間つもりに積もった辛く苦しい想いの発露だった。

 沈黙の中で、健太は絵梨を優しく抱きしめ、彼女の背中をそっと叩く。彼の顔には静かなる安堵が浮かび、その深い眼差しには、言葉では言い尽くせないほどの情感が込められていた。

 瑛士はまるでイタコ芸のようなシアンの技に首をかしげながら、その奇跡の再開の様子を静かに眺める。

 人間をスマホに閉じ込めるということ自体、既に不思議で理解しがたいが、死者さえも呼び出せるなら、それはもはや神の技だ。瑛士は改めてシアンの不可解で圧倒的な力に心を奪われる。

「これも……、科学なの?」

 瑛士は眉を寄せ、納得がいかない様子でシアンを見る。

「ふふっ、科学にできないことなんて無いのさ。優しい科学だよ」

 そう言いながらシアンは二人の仲睦まじい様子を目を細めながら眺めた。
 しばらく他愛のない事を話していた絵梨と健太だったが、人心地つくと健太はシアンの方をチラッと向いて言った。

「さっきあの方がおっしゃっていた通り。僕は後悔なんてしてないんだ。納得して戦い、不運にも命を落とした。それだけ」

「で、でも……」

「もちろん無念だし、絵梨を遺して去らねばならなかったことは申し訳ない……。けどレジスタンスのことは恨んでなんていない。むしろ誇らしく思っているんだ」

 健太は絵梨をまっすぐな瞳で見つめ、手を握った。しかし、絵梨はその眼差しを受け止めることができず、涙を浮かべながらうつむいてしまう。

「絵梨もいつか俺の言うことが分かるようになる。だから、あのお方の邪魔だけはしないでくれよな」

「あの女ムカつくんだけど、何なの……、むぐっ」

 シアンをにらむ絵梨の口を健太は慌ててふさいだ。

「おい、止めてくれ。この世界を消し飛ばすつもりか」

 健太は苦しそうに胸を押さえてうつむき、首を振る。

「あのお方は言うならば『この世界そのもの』。絵梨は知らなくていい。ただ、邪魔だけはホント止めて……」

 絵梨はあまりにも意味不明な説明に首を傾げ、しばらく健太の目を見つめていたが、ふぅとため息をつくとうなずいた。

「分かったわ。健太の頼みなら仕方ないわね」

 絵梨は不満そうにシアンをにらみ、シアンはドヤ顔でニヤリと笑う。

 これで二人の喧嘩に気を揉むこともないだろう。瑛士はホッと胸をなでおろす。しかし、健太の言った『この世界そのもの』という言葉が引っ掛かっていた。確かに『科学』と主張する不可思議な力を使いまくる、この可愛い少女は明らかにただものではない。そして死者は彼女のことを良く知っているらしい。一体これはどういうことだろうか?

 この世とあの世の境をぼやけさせるこの美しい少女の存在に、瑛士は困惑し心を乱された。


       ◇


 健太は去り、副長は助手席に戻って流れる風景を静かに眺めている。

「よーし、瑛士! キミのツボを探してやろう。くふふふ……」

 シアンは碧い瞳をキラリと光らせて指をにぎにぎさせる。ブルーシートの中で暇を持て余したシアンは、瑛士にちょっかいを仕掛けてくるのだ。

「な、何言ってんだよ! 僕は『科学を教えて』って言っただけじゃないか!」

 瑛士は何とか抑えようと頑張るが、このおてんば娘の無尽蔵な元気にもうそろそろ限界を感じている。

「科学はツボの先にあるんだよ。それっそれっ!」

 シアンは指をシュッシュッと瑛士の脇腹に滑り込ませてくる。

「うひゃっ! や、止めてよ!」

 必死に防戦する瑛士。

「うい奴じゃ、ええじゃないか。くふふふ……」

「なんだよそのエロオヤジみたいなセリフは!」

「そりゃー!」

 シアンは飛びかかり、瑛士は倒れてゴンと頭を打った。

「痛てぇ! もーっ!」 

 瑛士は怒って思いっきりシアンの腕を押してつき飛ばそうとしたが、するっと手が滑って……。

「きゃぁ! どこ触ってんのよぉ! エッチー!」

 シアンはパシパシと瑛士の頭を叩くが、瑛士はその温かくしっとりとした張りのある弾力の感覚が頭をグルグルとめぐり、真っ赤になって言葉を失ってしまう。

「はい、着いたよ」

 リーダーは後部座席のバカ騒ぎにうんざりしながら声をかける。

「およ?」「つ、着いた!?」

 二人は急いでブルーシートから顔を出し、そっと窓の外を眺めた。リーダーの指さす先には、空き地の向こうに白い鉄パイプの構造物が見える。それはまるで小さなピラミッドみたいな不思議な形をしていた。

「あ、あれは……?」

「あれが『浮島換気所』。アクアラインの入り口の上にある換気施設さ。あそこからアクアラインに通じる通路があると思うよ」

「あ、ありがとうございます! じゃ、行こう!」

 瑛士は弾んだ声でシアンの肩をポンポンと叩く。

「ほいほい。いっちょ頑張りますか!」

 二人はドアを開けて元気に車から飛び出した。

 換気所の向こう、海の先に風の塔、その隣には高さ三キロを誇る純白の巨塔が、宇宙への門のようにそびえ立ち、異次元の存在感を放っていた。雪の結晶を模したひさしが連なる様子は枝のようにも見え、北欧神話に謳われた世界樹をほうふつとさせる。

 おぉぉぉぉ……。

 瑛士もこんなに近くからクォンタムタワーを見たのは初めてだった。三キロという空前絶後の高さは異常で、その先端はぽっかりと浮かんだ雲の中に突き刺さってしまっている。

「なんだよこれ……」

 瑛士は倒すべき塔の圧倒的な存在感に思わずブルっと身体が震えた。

「いいね、いいね! さぁ、倒すぞぉ。くふふふ……」

 シアンは碧い瞳をキラリと光らせながら邪悪な笑みを浮かべる。

「じゃあ頑張って! グッドラック!」

 リーダーは窓から手を出してグッとサムアップした。

「ありがとうございましたー!」「行ってくるよー!」

 二人は大きく手を振りながら換気所へと歩き出す。

 邪悪なAIから世界を取り戻す。人類の悲願を抱え、瑛士は遠く海の上にそびえる巨塔に向かって、グッとこぶしを突き出した。

「あの二人は本当に塔を倒せるのかしら……?」

 塔に向かって力強く進んで行く二人の後ろ姿を見ながら、絵梨は眉間にしわを寄せ、つぶやいた。

「ははっ! 倒せるわけがないだろう。もうすぐ死ぬんだからさ」

 リーダーは二人の挑戦をあざ笑い、嬉しそうに肩をすくめた。

「えっ……? し、死ぬって……?」

「あの空き地は地雷原なのさ。彼らがどんなに不思議な力を使えても、いきなり足元で大爆発が起こったらどうなると思う? くははは。見てな、もうすぐドカーンさ」

 絵梨は真っ青になった。ここに連れてくるのはAI政府(ドミニオン)の計画だったのだ。

「そ、そんな……」

「奴らを無事始末したら一階級特進だって。良かったじゃないか。君もこれでお金には困らなくなるぞ」

「な、なんで……。私、そんな話聞いてないわ!」

 絵梨は眉間にしわを寄せながら叫ぶ。

「……。あのさぁ、君の嫌いなレジスタンスも減るし、万々歳じゃないか。何が気に食わないんだ?」

 リーダーは不思議そうな顔をして絵梨の顔をのぞきこむ。

「レジスタンス関係ないわ! 人を殺していい訳ないじゃない!」

「おいおい、どうせ彼らもそのうちAI政府(ドミニオン)に殺されるんだ。だったら僕らがちょっと手助けしてメリット取ったって結果は一緒さ。それとも君は本気で彼らがAI政府(ドミニオン)に勝てるとでも思ってるの?」

「勝てるかどうかじゃないのよ! 人として真っ当かどうかよ!!」

 絵梨の感情的な叫び声がリーダーの表情を一瞬で曇らせ、怒りの炎が目に宿る。

「おや……、この私に説教……かい?」

「あ……、いや……、そんな……」

「青臭い理想論……君にそんなこと言える資格あったっけ? ねぇ?」

 リーダーは絵梨の腕をガシッと握り、頬をピクピクと引きつらせながら絵梨にすごんだ。

「そ、それは……」

「君なんかいくらでも消せる……。分かってるよね? ん?」

 リーダーは冷酷な目でにらみつけ、つかんだ腕を思いっきりひねる。

「痛っ! くっ!」

 絵梨は唇をかみしめる。自警団リーダーのAI政府(ドミニオン)が指定する階級はかなり上の方だ。彼が事故死として処理すればAI政府(ドミニオン)はそれを受け入れるだけ。治安維持という名目さえつけば彼はやりたい放題なのだ。

 リーダーにとって、せっかくの特進のチャンスを潰した部下など、殺すのに躊躇はないだろう。思えば先代の副長も事故死をしていたのだ。

「余計なことはすんなよ?」

 リーダーの冷酷な目に鋭く射抜かれた絵梨は、キュッと口を結んでうつむいた。

 しかしこの時、絵梨の脳裏に健太との約束がよぎった。『あのお方の邪魔をするな』そう言った健太の言葉がよみがえる。地雷で吹き飛ばすことは邪魔どころの話ではない。絵梨はうろたえた。

 このまま座ってさえいれば全てうまくいく……。しかし、それでは健太との約束が守れない。

 それに……。

 あの生意気な青髪の女には人智を超えた何かがある。それはAIの超越性が霞むほどの得体のしれない何かだった。今のこの腐った川崎をぶち壊せるとしたら、悔しいがあの女しかいないように思えた。

 絵梨は何度か深呼吸しながら決意を固めていく……。

「ちょっと放して!」

 リーダーの手を振り払った絵梨は車の外に飛び出した。それは生まれて初めてAI政府(ドミニオン)に逆らう命がけの決断だった。

「待って! ダメー!! 地雷があるのよ!」

 瑛士たちに向かって叫びながら駆けだす絵梨。

「ちっ! 馬鹿が!!」

 リーダーは血走った目で思いっきりアクセルを踏み込んだ。

 キュィィィィン! という高周波と共にズボボボ! というタイヤが思いっきり空回りする音が響き、刹那、車が急発進する。

「お前らみんなひき殺してやる!」

 リーダーは憎悪のオーラをぶわっと放ちながら叫んだ。

「嫌ぁぁぁ!」

 いきなりの騒ぎに慌てて振り返った二人は、副長が大きなSUVに轢かれそうになっているのを目撃する。

「はぁっ!?」「きゃははは!」

 シアンは笑いながら即座にシャッターを切った。

 パシャー!

 刹那、SUVの前の地面が青白く閃光を放ち、もっこりと盛り上がる。

 直後、片輪を思いっきり乗り上げてしまったSUVから激しい衝撃音が響いた。悪路に強いSUVと言えど、大きすぎる段差ではサスペンションが底をつき、その衝撃はドライバーを襲う。

 ぐはっ!

 衝撃でエアバッグが膨らみ、リーダーは視界を奪われた。

 片輪が浮き上がった状態でSUVは副長をかすめたまま通過。リーダーは何が何だか分からず慌ててハンドルを切り、バランスを崩して横転。ゴロゴロと転がりながら瑛士たちに迫ってくる。

「ちょっ! 何だよぉ!」「きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑いながら瑛士の腕をつかみ、せまるSUVをギリギリでかわした。

「あっぶねぇ!」

 瑛士が叫んだ時だった。

 ズン! という地面を揺らす大爆発でSUVは粉々に吹っ飛び、その衝撃波で瑛士たちは吹き飛ばされる。

「ぐはっ!」「きゃははは!」

 もんどりうって転がった瑛士は、真っ黒なキノコ雲がゆっくりと大空へと立ち上っていくのを見て言葉を失う。

 そのとんでもない破壊力、それは戦車を粉々に吹き飛ばす対戦車地雷だったのだ。鋼鉄の塊である戦車を吹き飛ばすために作られた高性能火薬の塊、対戦車地雷。それをまともに食らえば一般車など跡形も残らない。

 バラバラとスクラップが降り注ぎ、SUVはもはや原形をとどめていない。中に乗っていたリーダーなどもはや確認もできなかった。