宿は前払いで途中で出て行っても料金は返ってこない。
卒業はしたのはリュードたちが宿泊を更新したばかりだった。
話し合いの結果、お金ももったいないし残りの期間で準備を整えて出発しようということになった。
エミナの期限は残り1日だったのでエミナの部屋は引き払い、リュードたちの部屋に一緒に泊まることになった。
ということでまずは旅の準備をし始めた。
それに情報収集も同時並行で行う。
情報を集めることは大事である。
陸路で向かうと決めはしたのだが目的地まで一本道ではない。
いろいろなルートの取り方があるし、何を優先するかによってもルートが変わる。
魔物が出たから通れない、盗賊なんかがいる、そうした情報を事前に知っておけばスムーズに旅をできる。
さらには行き方にも様々ある。
単に商人に帯同させてもらうこともあれば商人の護衛として仕事がてら行くこと、馬を買ったり借りたり、お金を払って馬車に乗り継いで行くことだって出来る。
もちろん他に頼らずのんびりと徒歩で行くこともあり得る。
他の国に向かう商団がいるかとか、そうした依頼があるかなどを調べることも必要なのだ。
こうして情報を集めて自分で全部考えなければいけない。
その大変さを改めて思い知る。
持ち物なんかは冒険者学校でも習ったのでそれに従って購入すれば良く、ツミノブでは卒業生用に冒険者ギルドの息がかかった商会が授業で教えたものを特別に安く売っていた。
そうした物を買いに行きながら商人と話して情報を聞いたりする。
お安く買えたのでリュードとルフォンをついでに色々と買った。
これで旅をする上での荷物に心配はほとんどなくなった。
商会の次に冒険者ギルドに向かう。
依頼を受けるのではなく目的は情報収集。
ついでに地図を買いに来たのである。
冒険者ギルドは冒険者向けに地図を販売していて魔物なんかの情報も書き込んであるそれなりに品質の良い地図を売っている。
お金がないなら閲覧だけもできるが明確な目的なくのんびり旅をするつもりなので適宜ルートを修正できるように購入してしまう。
お高めな買い物ではあるが必要なものには出し惜しみしない。
「待っていたぞ!」
冒険者ギルドには依頼をしたり受けたりするための場でありながら、同時に交流や共に行動するパーティーの募集といったこともできるように酒場や食事ができる場所が併設されているところが多い。
ツミノブのギルドは国の中でも規模が大きいので酒も飲める飲食店がギルドの中にあった。
冒険者ギルドに入るとそんな飲食店の隅に座っていたサンセール一行に声をかけられた。
「んっ? 何だ、お前らか……」
「何だとは何だね? まあいい、僕が用があるのは君ではなく、貴方だ!」
「……私?」
やたらと声のデカいサンセールの視線の先にはルフォンがいた。
「そうです。……ルフォンさん! も、もしよかったら僕と一緒に冒険者をしませんか!」
サンセールが膝をついた。
そして後ろ手に隠していたが、大きさのせいで隠し切れていなかった大きな花束をルフォンに差し出した。
昼間なのでギルドにいる人は少ない。
むしろ少ないから明らかに目立ちまくりのサンセールの行動にギルドの中の視線が集まる。
いや人が多くてもこれだけのことをやれば注目の的になる。
「僕はあなたに一目惚れしてしまいました!」
待ち伏せまでしていたサンセールの目的は何とルフォンへの告白だった。
そう言えばダンジョンでも何かを言っていたことを思い出した。
ルフォンの可愛さやなんかとリュードに嫉妬していたとか言っていた。
リュードに嫉妬していたのは顔の良さが原因のように言っていたけれど、本当はサンセールはルフォンに一目惚れしていて嫉妬していたのである。
もちろんリュードとルフォンがただならぬ関係にあることは見ていて分かっている。
それでも諦めきれず告白しようとルフォンを待っていた。
泊まっている場所も知らなかったので、冒険者になったのなら冒険者ギルドに来るだろうと連日花束を持って冒険者ギルドの隅で入ってくる人を見てルフォンを待っていた。
恐ろしい執念である。
何はともあれ告白は告白。
妙な緊張感のある空気がギルドに漂う。
「ごめんなさい」
ルフォンが頭を下げて断る。
「やはり、その、リュードさんと?」
「うん、私はリューちゃんのものだから」
ニッコリと微笑んでとんでもないことを口にするルフォン。
なぜなのかエミナが顔を赤くしている。
ルフォンの歯に衣着せない言い方にエミナが照れてしまっているのである。
「そ、そうですか……くっ、分かりました。敗者は去るのみです」
サンセールはチラッとリュードを見てむなしく花束を抱えたまま項垂れてギルドを後にした。
残念なことにサンセールの人生における初恋は淡くもあっけない終わりを迎えたのであった。
「リューちゃん、ちゃんと断ってきたよ」
褒めて!と頭を差し出すルフォン。
サンセールがいなくなった今視線はリュードたちに向けられている。
そんな状況では少し恥ずかしいけれど、断ってくれたことは嬉しかったので頭を撫でてやる。
「ルフォン」
「何か、ダメだった?」
いつもより低いトーンで名前を呼ばれたことにルフォンが不安げにリュードを見上げる。
「ダメなことはないさ。でもルフォンはものじゃないから、たとえ自分からでもそういった言い方はやめてほしいんだ」
真面目な目をして言うリュード。
「うん……ありがとう」
怒ってるわけじゃないけど怒られてる。
ルフォンは自分を対等に考えてくれるリュードの優しさが嬉しかった。
「あの〜、そろそろいいですか?」
ずっと蚊帳の外で待ちぼうけだったエミナ。
放っておかれながらリュード一行として視線を浴びていることに耐えられなくなった。
「はは、すまない」
「笑い事じゃないですよ……よく平然としていられますね!」
人前でルフォンを撫でることはよくあることだから恥ずかしさはありつつも人の視線もそんなに気にしないことにした。
「もう、人前なんて私だったら恥ずかしくて……」
私だったら。
どうしてなのか自分が撫でられているところをフワッと想像してしまった。
カァッとエミナの顔が熱くなる。
なんでそうな想像をしたのか分からない。
「大丈夫か?」
「何でもないです!」
ブンブンと頭を振って妄想を吹き飛ばすエミナを心配してリュードが覗き込む。
ちょっと前から自分がおかしいとエミナは思う。
実戦訓練の前にチームワークの練習だといって一緒にいた時には何も思わなかったのに、実戦訓練を終えた頃ぐらいから変にリュードを意識してしまっている。
その上だ、今も頭を撫でる想像の中の姿は理由もわからないけど竜人化したリュードの姿であった。
「はあっ……どうしちゃったんでしょう、私」
盛大にため息をつくエミナにはエミナの事情があるのだろうとリュードは深く追求することはしないで冒険者ギルドで地図を買った。
ギルドに売っていたのはこの国の地図と隣の国の地図までだった。
もうちょっと遠くまで地図があれば手間も省けるのだけどあまり遠い国の地図までは需要もないのでしょうがない。
ギルドに保管されているものはあるけれど記憶しておくのも面倒なので仕方なく売っている分を買っておく。
安くない買い物だが閲覧だけでルートを決めるのは難しそうだとパッと見た地図で思った。
やはり旅をしようと思ったら確かめられるように地図は必要である。
後も必要なものを買って回り丸一日を消費してしまった。
ーーーーー
次の日、リュードはベッドの上に地図を広げてうなっていた。
思っていたよりも道が多く、情報が少ない。
広い道は広く書いてはあるのだが狭い道は同じように線が引いてあり、どのような道になっているのか分からない。
一応村や町も書いてあるのだが地図上では小さい村なのか大きい町なのか、これもまた不明である。
紙の地図上だけでは正確な情報を得ることが難しいのである。
旅をする上でルフォンとエミナの希望は出来るだけ野宿の少ないルート。
エミナは早く行けるルートも希望なのだがギルドに買い取ってもらった魔石はそこそこいい値段になっていた。
何もしていないからとエミナは当然魔石の買取金はいらないと言ったのだが3等分して無理矢理渡した。
口止め料代わりに高めに買い取ってもらったのだからエミナにも貰う権利はある。
そういうわけでお金に余裕が出来たので優先は早めよりも野宿少なめになった。
リュードは地図と睨めっこして考えた。
出来るだけ町を通りつつ短いルートを検討して何時間も悩んだ。
あまり細い道はちゃんと整備されていなかったり魔物や盗賊の危険も大きい。
けれど大きな道ばかり選んでいくと間が長かったりもする。
この際観光名所でも途中途中であったなら楽だったのにと現実逃避したりもした。
「よし!」
悩みに悩んだ末、リュードは2本のルートに絞った。
森を囲う山脈に近いルートと国の真ん中近辺を通っていくルートである。
ルフォンとエミナに聞いてみたところ、1ヶ所泊まれそうな所が多いという理由で国の真ん中近辺を通っていくルートに決定した。
ルート決めもまた結局1日がかりでの作業となった。
色々体だけではなく頭も使いながら旅の準備を整えた。
そうして宿に泊まるのも最後の日となった。
準備はちゃんしてあるので、フリーな日となった。
エミナはお金も入ったのでお土産を買いに行きたいということになり、ルフォンを誘った。
少しルフォンは迷ったようだがリュードが行ってこいと背中を押してやると女の子2人でお買い物に出かけることになった。
2人がいないということはリュードは1人になるということである。
色々頭を使ったので休みたいところではあるけれどやることがあるのを思い出した。
リュードは1人外出して、町にある神殿を訪れた。
非常に大きな神殿で真っ白な壁が神聖さを表しているようである。
この世界で崇められている神様は何も一神だけではないし、神殿も一神だけを祀っていないで多神が寄り集まっていることもある。
神を信奉する宗教にもいろいろあって、互いに反目しているものも少なくはない。
逆にまとめて信仰の対象だったりして、仲が悪くなければ1つの神殿に集まっていることもある。
創造神など特定の分野での加護を持たないのだが信者も多く、他の神様と一緒になっていることもある。
みんな一緒がいいじゃない、そんなケーフィスの声が聞こえてきそうである。
リュードが訪れた神殿も複数神が集まった大神殿となっている。
こうした神様は人に良い影響を与える神様ということで善神教なんて言われていることあるのだ。
「祈りの間は空いていますか?」
利用料を払い、神様に祈りを捧げたり懺悔をしたりをすることができるのが祈りの間である。
空いていれば誰でも利用することができる。
祈りの間は利用されている間は誰も入ってはいけないので密談に使われることもあるとかないとか。
「はい、空いておりますよ」
「じゃあ利用お願いします」
神官にお金を払って個室に案内される。
小さめのやや縦長の部屋でこちらも真っ白な壁をしている。
横はリュードが両手を広げると届くぐらいで、入って正面には小さな祭壇がある。
特定宗教の神殿ならその神様の宗教的象徴が置いてあったりするものだが、ここは複数神が祀られているので簡易的な祭壇しかない。
「さて、どうしたらいいのかな?」
村に宗教はないし前世でも特別に宗教に傾倒したこともない。
当然にお祈りなんてこともしたことがない。
ではなぜリュードが神殿に来たのか。
それは子供の頃にあった夢なのか、お告げなのかのためである。
『寝てるところごめんね〜。言い忘れてたけどもしどっか神殿があるところに行ったらお祈りを捧げてほしいんだ。そしたら僕たちと話すことができるからさ。ちょっとお願いしたいことがあるんだ。信者でも何でもない人に神託とか天啓を下ろすのは大変で……後は…………しんでん……まっ………………』
そんな声が聞こえてきて夜中に叩き起こされた。
すっかり忘れていたのだが暇になって何をしようかと考えていたら神様のお告げをふと思い出した。
すごく面倒だけど思い出してしまった以上は無視するわけにいかない。
なのでわざわざ神殿に訪れて、お金まで払って祈りの間に来たのであった。
それっぽければいいかと思った。
両膝を床について座り、手を組んで目を閉じた。
ーーーーー
「おお、やっと来てくれたね」
久々に聞いた軽い話し方に目を開けると祈りの間でなかった。
リュードは祈った時の体勢のままだったが、周りはいつの間にか日本家屋風の部屋なっている。
そして目の前には座布団を枕に横になっている神様ケーフィスがいた。
転生する前、この世界に来てから会った創造神である。
「君の感覚だと久しぶりというのかな? 確かに待ち遠しくて僕も長いこと待ったような感じがするね」
まあそこに座ってと言ってケーフィスが指を鳴らすと上から座布団とちゃぶ台が降ってきた。
上を見上げてみてもそこにあるのは木の天井。
どこかでみたような光景である。
とりあえずケーフィスの正面の座布団に座る。
「君のために用意したんだ、ささっ、どうぞ」
ちゃぶ台の上には湯呑みに入ったお茶と木の器に入ったお茶請けのお菓子がある。
ケーフィスがちゃぶ台の上に身を乗り出して木の器の中の物をリュードの前に置いた。
「これって……」
茶色くて丸い小さいそれはまんじゅうであった。
「そう! 君が来てからあちらの世界と繋がっている時間が思っていたよりも長くてね、いろいろ教えてもらったのさ。これは君が好きだって聞いたから僕の信者に神託を出して作らせたのさ!」
信託を出すという行為や信者の努力は知らないが、この神様とんでもないことをするなとリュードは思った。
「結構試行錯誤したみたいだけど上手く出来たんじゃないかな?」
せっかくケーフィス(の信者)が作ってくれたまんじゅう食べてみる。
「ん! 美味い!」
正直あまり期待していなかった。
手に持った感じは相当クオリティは高い。
思い切って丸々口に入れて一口で食べてみた。
中にはちゃんとあんこが入っていて、甘さは控えめで何個でも食べられそうな味わい。
最後にも食べた、前の世界でのお気に入りのお店のものとは少し味は違っているが、お店クオリティの美味しさがある。
リュードの言葉を受けて鼻高々のケーフィスをよそにお茶をすするとこちらも普通に緑茶で美味しい。
「君たちの世界と同じとはいかないけど似たようなものとか同じようなものはあるからね。頑張れば再現できないこともないのさ」
砂糖やなんかはあるのであずきのようなものがあればあんこの再現は出来る。
まんじゅうに必要な他の材料は確かに存在しているし紅茶も存在しているのだから緑茶も作れる。
日本風の文化がなかったとしても食べ物やなんかピンポイントで見ると近いものが存在しているのかもしれない。
「今日はわざわざありがとね。これまでずっと君のこと見てきたよ。その……謝らなくちゃいけないと思ってね」
ニコニコと笑うのをやめて、真面目な顔になるケーフィス。
「君の希望はあくまでも人だった。ちょっと顔が良かったり望めば努力できる環境を希望したけれどね。それでさ、君が望んでいたのは人でも…………真人族だったんでしょ? こっちの手違い、というか、僕が単に人とだけ書いたからペルフェが人とつく種族なら何でもいいって解釈しちゃって……」
気まずそうにするケーフィスは目が泳ぎまくって視線が定まっていない。
怒られている子供みたいだ。
リュードは人を望んだ。
それは転生前と同じ普通の人、この世界における真人族という種族を望んでいた。
それでも竜人族だったのはてっきりこの大きな魔力を受け入れるのに真人族ではダメだったのだろうとか昔は理由を考えていたりした。
最初は人じゃないじゃんなんて思ったものだけれど、真人族との戦争中ならともかくとして平和な今の時代では竜人族も真人族と大きく変わることはない。
竜人化した姿もあるのだけれど、今では竜人族の切り札ぐらいの感覚である。
環境もちょっと同年代の友達が少なかった以外に満足している。
ただ頭にツノはあるしエミナの反応を見ると竜人化した姿も初見ではかなり驚かれてしまうことがある。
けれどもリュードは今や竜人族だし、竜人族が好き。
竜人化した姿もひっそりとカッコいいななんて自分自身では思っていたりもした。
「つきましてはご迷惑をおかけしましたことに対して寛大なお心でお許しいただければと思いまして……こちらの方に呼ばせていただきました」
「まあいいよ。怒ってないし、なってみると竜人族は悪くない」
冗談めかして返す。
怒っていないことが分かったのかケーフィスの顔が明るくなる。
「竜人族は他の種族と比べても強い種族だよ。同族の結びつきもあって仲間は見捨てないし魔人族の中では尊敬される種族でもあるからね!」
身体能力も高く魔法を扱うのも得意、しかも竜人化という特殊能力もある。
身長も高く美形が多く、寿命も長いし同族思い。
考えれば考えるほど恵まれた種族である。
リュードが努力をしたということもあるけど周りが強くなることが大好き環境だったので自然と強くもなれた。
「謝ってもくれたし可愛い幼馴染もいるし良い人生だよ。後1つ聞きたいけど、戻ったら100年経ってた、なんてことないよね?」
「いやいや、怒ってなくて良かった! それは大丈夫だから心配しないで。100年経っちゃったのはまあこっちでいろいろあってね。あはは〜」
面倒になったのか笑って誤魔化すケーフィス。
「このことについてミスが発覚して色んなところからすっごい怒られてね。ちゃんと謝ってこいってケブスにも言われたんだ」
ケーフィスは遠い目をしてお茶を飲む。
「じゃ、じゃあこの話は終わりで、本題……本題っていうとまた怒られるけど、君にお願いしたいことがあってね」
謝罪するのは本題ではなかったと本音がポロリ。
話が堂々巡りするのも面倒なので聞かなかったことにしてあげる。
「お願いってなんだ?」
「お願いっていうのは、僕の神物を探し出して欲しいんだ」
「神物?」
「そう、神物だよ。神の力がこもった道具のことをそう言うんだ。神様は神物を介して中世界、つまりは君たちの世界に影響を与えたり、自分の信者に魔力や神聖力をあげたり、奇跡を起こしたりなんてことをするんだ。僕の神物は500年前の戦争の時に奪われてしまって長いこと紛失状態だったんだ。そのせいでいろいろ問題が発生しているんだ。特に僕の信徒である聖者も影響を受けていて、ちょっと看過できなくてね」
「……話は分かったけど500年もの間無くなってたものをどうやって見つけろって言うんだ?」
神物がどんなものなのか、どこにあるのか全く分からない。
世界は広いのに探して回れと言うのかとリュードは怪訝そうな顔をした。
「もち、そこは心配なし! ケブスに調べてもらったから。北の方にあるグルーウィンという国にあるダンジョンの中にあるみたい。というのもそのダンジョンが出来たのは僕の神物が影響しているみたいなんだ」
物探しと言っていたのに雲行きが怪しくなってきた。
ダンジョンなんて場所どう考えても戦闘を避けられるところではない。
ダンジョンになっているということなら戦って魔物を倒して取り戻さねばいけない。
「本来なら何の関係もない君にこんなお願いをしちゃいけないんだけど聖者の1人が死んじゃいそうで、ちょっと事情もあってね」
「ふぅ、ここで人の命を持ち出すのは卑怯だぞ」
「ごめんね、でもウソじゃないし余裕がないんだ。後10年ぐらいしか持たなそうだから旅の途中でどうにか寄ってもらえないかなと思ってね」
10年もあるなら十分な期限があるじゃないかとリュードは思うのだがケーフィスは違う。
神様感覚では10年はもう目の前に差し迫った期限でいますぐにでもその聖者が死んでしまうぐらいの感覚なのである。
神様との時間の感覚の違いを感じる。
「……分かったよ。場所、どこだって?」
もっとやらなきゃいけない目的のようなものに縛られずのんびりと旅するつもりだったのに。
神様のお願いとあっては断れないし、人の命がかかっているなら尚更だ。
どうせ目的はないのだから一つぐらいはあってもいい。
「ありがとう! 北にあるグルーウィンって国にあるダンジョンの中だよ」
笑顔になるケーフィスがまんじゅうをリュードの前に一つ置く。
そんなんじゃよしとならないぞと思いながらもまんじゅうは食べる。
とりあえず目標や目的があることは悪くはないので前向きに考える。
「僕の神聖力を持っているとは言っても後10年しか持たないからね、なるはやで頼むよ」
流石に人の命がかかっていて10年も遊ぶほどリュードも薄情じゃない。
旅をしながら近くに寄ることがあれば目指してみようと思う。
「グルーウィンだな。何があるのか知らないから任せておけとは言わないけどやるだけやってみるよ」
「あぁ、良かった! これで安心だ! 感謝するよ、リュー君」
「はいはい」
非常に軽いのだけどそれがなぜか許せてしまうのだから不思議な神様であるとリュードは思う。
ダァン!
「話は……済んだかな?」
ちゃぶ台に叩きつけるように湯呑みが置かれた。
実はこの空間にはもう1人、席についている者がいた。
ケーフィスが紹介も何もしないし、話し続けているので聞きそびれてしまってリュードもスルーしていた。
結果ずっと座ってお茶を啜り、まんじゅうを食べ続けていた。
よく話の最後まで我慢したものである。
「あっ、こちらシュバルリュイード。君たちの間では有名かな?」
「何事もなかったかのように紹介しているのではない!」
この名前が若干リュードに似ているこの人は姿もリュードと似ているのである。
ただし竜人化したリュードの姿と。
名前には聞き覚えがある。
竜人族なら誰しも、魔人族でも多くの人が聞いたことがある名前。
500年前の戦争の時に魔人族側の幹部として戦い、真人族を恐怖のどん底に叩き落とした竜人族の英雄の名前と同じ。
「まさしく、リュー君が考えてる通り、君たちの英雄が彼なのさ!」
許してもらい、お願いも聞いてもらったので距離が近づいたのか勝手にリュー君呼ばわりしていることはとりあえず置いておく。
それにしてもまさか英雄と同席しているとは思わなかった。
「へ、へぇ〜、そりゃすごい……」
「ほら見ろ、貴様がさっさと紹介しないから感動が薄れているではないか!」
英雄様には悪いけれどその通り。
ずっと視界の端でひたすらお茶を飲みまんじゅうを食べ続ける姿を見ていてしまったリュードに起こった感動はものすごく小さかった。
「もう仕方ない。シュバルリュイードだ。お前たちの祖先に当たる」
「初めまして、よろしくお願いします、ご先祖様。お会いできて光栄です」
感動は薄いけれど尊敬がないわけじゃない。
竜人化した姿であるし間違いなく竜人族のご先祖であると思えた。
ご機嫌も斜めであるし、しっかりと頭を下げて持ち上げておく。
「うむ」
「なぜご先祖様がここに?」
なんだか自然と受け入れていたが神の世界にいるのも実はちょっと疑問であった。
そこにどうして竜人族のご先祖様がケーフィスとここにいるのか。
「彼がね、是非とも自分の子孫になった世界の救世主に会いたいって言うから連れてきたんだ」
「まあ、そうなのだが。どこから話せば良いか……俺は戦争やその後の活動、人望なんかを認められて神になったのだ。竜人族の神にな」
「竜人族の神、ですか?」
「そうだ。だから俺は竜人族に関することは知っておく必要があるし、権利がある。お前に会ってみたかったのもそうした理由もある。
しかし、時代は変わったものだな。俺たちの頃はこの姿が普通で真人族の姿にもなれるぐらいだったのにな。いつのまにか逆になってるんだからな」
感慨深そうにリュードの姿を眺めるシュバルリュイード。
時代が変われば生き方も変わる。
はるか昔では真人族の姿になることはあまり好まれなかった。
しかし今では普段の姿から真人族の姿をしている。
文句を言うつもりはなく、そうした変化があることをおもしろいとシュバルリュイードは思っていた。
「今回は別に小言を言いにきたのではないからこれぐらいにしよう。会いにきたのは一つ頼みがあってな」
「頼みですか?」
「そう嫌な顔をするな。難しいことでも期限があることでもない」
もうケーフィスのお願いを聞いたばかりだったので考えが顔に出てしまった。
なんせケーフィスのお願いとやらはめんどくさそうだったのでシュバルリュイードのお願いも面倒なのではないかと思ったのだ。
「俺も今は神である以上信者の信仰というやつが必要なんだ。今は英雄ということで信仰を得ているけれど戦争ももう500年も前のこと。
世界に魔力が戻ってきてこれから新たな時代を迎える。そうなると私は忘れられてしまうだろうし信仰を失ってしまうかもしれない。そこで君に俺のことを布教してもらいたのだ」
思いっきり面倒ではないか。
宗教活動なんて興味のないリュードにとってはあまり関わり合いたくないものである。
ケーフィスのお願いだって若干宗教絡みで面倒だと思うのに。
「いやいや、信者を集めて教会を建てろとか信徒になって善行を積めとかそんなことじゃない。単に俺が神となったことを竜人族に伝えて欲しいのだ。それで私の存在を信じてくれた人の中から適当に信徒となりそうな者を選んで何とかするから難しことではない」
「確かに、伝えるだけなら……」
しかしご先祖様が神になったなんてヤバい奴ではないのかという思いに駆られる。
「望むなら俺の信徒として聖者……俺の力が弱いからそこまで強くはできないが、そうした扱いにすることもできるぞ」
「神になったことは伝えますんでそういうのはやめてください」
「あ、そう……」
シュバルリュイードはガックリと肩を落とす。
そんなハッキリ断らなくてもいいじゃないと思った。
リュードはため息をついた。
よくもまあどうしてこう面倒事が舞い込んでくるものだと。
「礼に一つ情報をやろう。私が生前に使っていた剣があってだな、竜の骨を使って作られた特別な剣なのだが誰の手にも渡っていない。私が隠遁生活を送っていた最後の地にそのまま安置されているんだ。
ユウゼンという国にある大きな湖のほとりにある岩山の中の洞窟にその剣がある。使われないのもかわいそうだし機会があれば探してやってほしい」
今のところはラッツの親父特製の黒い剣がある。
せっかく聞いたので覚えていて近くに行くことがあったら取りに行ってみようぐらいに心に留めておくことにした。
「簡単に扱える武器ではないがお前なら心配いらないだろう」
「それじゃあ話も済んだし、君をここに留めおくのも大変だしこれぐらいでお別れといこうか」
「それでは頼んだぞ、子孫よ」
「僕に会いたくなったらこうしてお祈りしてくれればまたこうして会えるから。またねー」
「えっ! ちょっ……」
ケーフィスが手を振り始めたら急に意識が遠のく感覚に襲われた。
視界が真っ白になって体が一瞬だけ軽くなって、すぐにズンと重くなる。
肉体に帰ってきて重さを感じ、続いて忘れかけていた呼吸を思い出す。
「と待て……」
祈りの間に帰ってきていた。
あまりの出来事に呆然としてしまう。
目の前にある祭壇にいつの間にか1個だけまんじゅうが置かれていた。
「あいつら……」
言うだけ言ってお願い事を押し付けるだけ押しつけて返すとはケーフィスもひどいやつである。
引き受けてしまった以上はやってやるが、次に会うことがあったら文句を言ってやる。
ご先祖様はとりあえず剣の情報をくれたからギリギリ許すけどケーフィスに至っては無償。
なんか手違いで竜人族になりましたの謝罪だけされて終わりだった。
とりあえずこの世界でも美味いまんじゅうが食べられることはリュードにも分かったがなんとなく納得がいかない気分であった。
「元気でやんだよ!」
おばちゃんに出発することを伝えるとおばちゃんは一人一人と痛くなるほど強い抱擁を交わしてお別れの挨拶をした。
メーリエッヒとはまた違う肝っ玉母ちゃん感があっておばちゃんはとても良い人でみんな好きになってしまった。
3人ともツミノブに来ることがあればまたここに泊まろうと思うほどにはいい宿である。
なんと出発の日の朝、おばちゃんはサービスでお弁当まで用意してくれたのでさらに好感度は高かまった。
こうした出会いもまた旅の醍醐味であり、ああした良い人に今後も会えるといいなと思えるスタートになった。
おばちゃんに見送られて出発し、まずはエミナの故郷のトキュネスを目指す。
「ベッドで寝たいですね……」
出発した時の元気はどこに行った。
エミナはゲンナリとした顔でベッドへの思いを口にしている。
おばあちゃんの優しさと宿のベッドが恋しいと思った。
大きめの町はともかく村に泊まれる場所があるかどうかは行ってみないと分からないところが多い。
実際に行ってみると規模が小さい村で宿が無いことも度々あったし、すでに宿を畳んでいたなんてこともあった。
近い距離に村があったので2日連続で泊まれると思ったらどちらの村にも泊まれるところがなかったということも起きた。
結果村の横の場所を使わせてもらって野宿することになった。
村の近くだから魔物の心配は少ないが、泊まれると思っていて泊まれなかった時のダメージは意外と大きいものがある。
どう行くかのルートを設定したのはリュードなので何だか申し訳ない気持ちになった。
ちなみにエミナにどうやってツミノブまで来たのか聞いてみたところ知り合いの商人に同行させてもらって近くまで来たらしい。
それなりに規模の大きい商団だったので苦労が少なくツミノブまで来ることができてしまった。
ルフォンもそうだけど顔見知りの中で若い女の子となればみんなやさしくしてくれるものだからこうなってみて初めて旅の大変さに気がついたのだろう。
「うーん、まだちょっと日は高いけど、着く頃にはちょうどいいかな?」
今いるところを確認するために片手サイズに折り畳んだ地図を眺めてリュードがつぶやく。
だいぶ地図を読むことにも慣れてきた。
「まあ、どうせ今日中に次の町には着かないし、いいか」
「どうしたの、リューちゃん?」
一人で何かをつぶやくリュードの顔をルフォンが覗き込む。
「ルフォン、風呂に入らないか?」
ーーーーー
「地図で見るより立派だな」
道沿いに進んでそこから道を逸れて入っていくと小さな滝があり、滝下は大きな湖になっていた。
地図に載っていた通りで安心した。
滝の周りはグッと気温が下がっていて涼しい。
想像よりも良さげな場所にリュードはニヤリと笑う。
「おっふろ、おっふろ!」
ルフォンのテンションは高い。
旅に出てからというものお風呂とは疎遠になっていた。
久々にお風呂に入れると聞いてルフォンは喜びを抑えられなくなっている。
「あのー、お風呂って、あのお風呂ですか?」
「あの、がどのかは知らないけど多分エミナが想像しているのとはちょっと違うよ」
エミナの考えるお風呂とはぼんやりしたイメージのものだった。
見たこともないから伝え聞いた話でのイメージしかないのである。
どちらかというと温泉のようなものがエミナの中でのお風呂のイメージだ。
しかしリュードたちにとってお風呂はもっと手軽で個人用サイズのものでエミナがイメージするものよりもはるかに小さい。
「よい、しょっと」
リュードはカバンの中に手を突っ込み、中から袋を1つ取り出した。
その袋の中に手を突っ込み中のものを引っ張り出すと袋よりも明らかに大きな木の浴槽が出てきた。
驚きのあまり言葉を失うエミナ。
どこをどう見ても袋に入る大きさのものではない。
袋の口だって浴槽が通るわけがない。
リュードが取り出したのは浴槽専用のマジックボックス袋。
容量の関係で浴槽しか入らなかったので専用になってしまった。
村の外の世界で風呂に入れることはあまりないだろうとリュードは浴槽をまるっと持ってくるという荒技に出た。
案の定お風呂なんてものほとんどのところになく、お湯に浸かることが恋しくなってきていた。
しかし宿の部屋に浴槽を置いて風呂に入るわけにもいかない。
お風呂となればそれなりの水量にもなるので部屋が水浸しになることは確実。
それで宿から文句を言われてはたまらないのでこれまでルフォンにも秘密にして出してこなかった。
その上お風呂のお湯やシャワーのシステムはヴェルデガーが研究に研究を重ねて作り出したものだ。
魔石に魔法を刻み込み、魔力を込めることで魔法が発動するというもので魔法が衰退した現代においては希少技術。
簡単に人に見せられるものではないのだ。
水辺を選んだのは水が流れても平気で、道から外れた見つかりにくい場所だからという理由だった。
「ストーンウォール浴室バージョン!」
リュードはこの時のために練習した魔法を発動させる。
浴槽を中に入れるように4方向を壁で囲む。
全方向を完全な壁で囲むのではなく1方向はちゃんと出入り口を作る。
出入り口の反対側の壁の下側には半円状の穴が開いており、水が逃がせるようにもなっている。
そして壁の一方の上側にはちょっとした出っぱりがある。
出っぱりの先端は器状になっていて下側にはポツポツと細かい穴が開いている。
これがシャワーになるのだ。
自由に動かせるものではなく固定式のシャワーになるが仕方ない。
いつかシャワーヘッドを作るのはリュードのささやかな野望である。
「よいしょ!」
最後に地面が濡れても大丈夫なように魔法でさらに地面を固めて簡易浴室の完成である。
天井はつけるか迷ったけれど湿気がこもりすぎてしまうし真っ暗になるので開けてある。
翼でもなければお風呂を覗くことはできないだろう。
一発で完璧にこの形を作れるように何回も練習した。
おかげで多少魔力のコントロールは良くなったし無駄ではなかった。
「おお〜!」
ルフォンが興奮して拍手する。
一方エミナは魔法的にはすごいけど、これの何がすごいのかが分かっていなかった。
浴槽の底には魔石が2つ転がっている。
1つをシャワーにセットして、もう1つを浴槽にセットする。
浴槽にセットした魔石に魔力を込めると魔石から水が溢れ出して浴槽に溜まっていく。
そしてお風呂にお湯が溜まるまでの間に焚き火やテントなど野営の準備をする。
お風呂にご機嫌のルフォンはちょっとばかり豪華な晩御飯を作り、お湯が溢れたりなんかしてたりして日が落ちてきた。
「俺が見てるから2人は入ってくるといいよ」
「み、見てるって何をですか!?」
「魔物とかが来ないように見張ってるって意味だ!」
何を勘違いしているのか顔を真っ赤にして体を隠すエミナ。
こっそり覗くならともかく堂々と見るぞなんて言うはずがない。
お風呂に入るところ見てるから入ればいいなんてど変態ではないか。
「リュ、リューちゃんが見たいっていうなら……」
エミナの勘違いに触発されたルフォンがまたとんでもないことを言う。
「えっ……あの、いや、リュードさんがどうしてもというなら…………私も……」
これではリュードが裸を見せろと2人に迫っているよう。
健全な男子としての胸の内は見たいっていう気持ちもあるのだけれどそんな欲望丸出しな竜人ではない。
というかエミナまでどうしてしまったのだとリュードは少し呆れる。
「いいから、入ってこい……」
ただ一度意識してしまうとダメだった。
リュードの体は無駄に耳も良い。
ルフォンほどではないにしても結構良く聞こえるのだ。
滝の音に紛れるように聞こえる服を脱ぐ衣擦れの音。
周りを警戒しなきゃいけないから離れるわけにもいかない。
それなりに近くにいるので聞こえてしまう。
音による警戒も当然しなければいけないのにお耳が勝手に一方向に集中する。
「クッ……しっかりしろ、しっかりするんだリュード!」
胸がちょっとだけドキドキしてしまう自分が恨めしい。
「わぁ〜、ルフォンさんのって綺麗な形してますね〜」
なんと定番な会話!
どこかで見たようなありがちな女の子同士の会話。
ちなみにルフォンの胸は大きめ寄りの普通サイズ。
直接見たわけではないからなんとも言えないけれど鍛えたりするので比較的ぴっちりとした格好もするので多少は分かる。
ルーミオラから産まれたにしては頑張った方だと思う。
「エミナちゃんは……うん」
実はリュードやルフォンよりも1つ年上だったエミナは普段はゆったりとしたローブを着込んでいるために分かりにくいが幼児体型。
結構食事の量は食べているのにどこへ行っているのだろうかと疑問に思う。
そんなこともあってリュードはエミナのことを年下だと思っていたので年齢を聞いて驚いた。
それでもエミナはリュードとルフォンをさん付けで呼び、リュードは呼び捨て、ルフォンはちゃん付けで呼んでいる。
今更呼び方を変えるのもおかしいのでそのまま呼ぶことになったのである。
「……エミナちゃんはもうちょっとだね」
「うっ!」
グサリとルフォンの言葉が刺さる。
ルフォンなりの優しさで言葉を濁したけれどかえって厳しい言葉になってしまった。
ルフォンから見てもエミナは起伏に乏しい体に見えていた。
「うぅ……もう諦めているので大丈夫ですよぅ」
とは口で言っても落ち込むエミナ。
エミナはルフォンをチラリと見て自分の胸に視線を落とす。
ルフォンは身長も高くプロポーションがいい。
体のバランスが良くてとても綺麗に見える。
それに引き換え自分はなんとお子ちゃま体型なのかとしみじみと思う。
年は1つしか違わないのに何の差だろうかとしょんぼりする。
濡れないように浴槽を入れていた袋に脱いだ服を入れて壁にかけておく。
「えいっ」
ルフォンがシャワーに設置された魔石に魔力を込める。
魔力コントロールが苦手なルフォンでもこれぐらい朝飯前である。
「ひゃあっ! 冷たいですよ!」
シャワーの下にいたエミナが思いっきり冷水を浴びて悲鳴を上げる。
「へへっ、もうちょっと待ってね」
分かったルフォンのちょっとしたイタズラ。
魔力を込めてすぐお湯というわけにはいかない。
1つの魔石でどうにかしようとしたヴェルデガーだがお湯を出すという魔法を新しく生み出すことはできなかった。
まずは水を発生させる魔法、そして次にそれを温める魔法と二段回踏む必要があったのだ。
同時に発動させてすぐに温かいお湯を出そうとも試行錯誤したのだけど上手くいかなかった。
1つの魔石で2つの魔法を同時に発動させ始めるのは難しすぎた。
なので時間差で魔法が発動するようにして問題を解決したのである。
そのために最初は水で出てきてしまうのは仕方のないことなのである。
「あっ、あったかくなってきました!」
そっと手を入れるとシャワーもちょっとずつ温かいお湯になってきた。
簡易的なので角度は変えられないし手に取ることもできない。
シャワーのお湯が出る穴のサイズも大きめで、前の世界のシャワーを知るリュードからするとまだ細かさが足りていない。
不十分な出来なのでもっと完璧に作りたいものであるとリュードは思っているのだがエミナは感動していた。
ルフォンを見るとこくりとうなずいたので思い切ってシャワーの中に身を投じる。
「ほわぁあ〜」
熱すぎず冷たすぎず良い温度。
魔石で温度はできないのでヴェルデガーはみんなの協力の下で最適な温度を探した。
個別な希望もあったけれどみんながおおよそ満足する、そんな温度に仕上がっている。
頭の先から心地よいお湯と共に埃っぽい汚れと疲れが流れ落ちていく。
体を流したら今度はヴェルデガー特製石けんの登場。
超がつくこだわり症のヴェルデガーに抜かりはなかったのである。
2人で洗いっこなんかをしたりして、ようやく入浴タイムである。
「はあぁぁぁぁ〜」
先に浸かったルフォンが気の抜けた声を出す。
「ほわぁぁぁぁ〜」
お湯に浸かったことのないエミナもルフォンにならってそっとお湯に浸かると思わず声が出てしまう。
お風呂はシャワーよりもちょっと熱め。
こちらは水を入れるなど調整が出来るので高めの設定になっている。
リュードが材料をもらって自分で作ったゆったりサイズの浴槽は2人で入るには少々狭いけど全然入ることはできる。
「お風呂、どう?」
「すっごく気持ちがいいです!」
「ふふ、エミナちゃんがお風呂好きになってくれてよかった」
「それにしてもすごいですね、これ。どうやって作ったんですか?」
エミナが浴槽の縁を触る。
見た目は大きな木をくり抜いたボートにも似ている形ををしている。
触ってみてもささくれだったところはなく表面は何か塗ってあるのか滑らかで水は染みていない。
それに魔法が刻まれた魔石。
一体どうやって作ったものなのか、魔法使いのエミナにも分からない。
持ち帰って研究したいぐらいである。
よくよく見てみると簡単に使っている割に全く知らない凄い技術で作られている。
のんびり使っている場合ではないのではないかと思うほどに凄いものであった。
「これはねぇ〜、リューちゃんのお父さんが作ったんだ。リューちゃんも作るの手伝ってたし、凄いでしょ?」
肩までお湯に浸かってトロけるような表情のルフォン。
「…………確かに、凄いですね」
今はそんなこと聞いているタイミングではない。
まあいっかとエミナも浴槽に沈み込むように浸かって、難しいことを考えるのをやめた。
ピクリとルフォンの耳が動く。
静かな闇夜に相応しくない音をルフォンは感じ取っていた。
「リューちゃん」
物音を立てないようにリュードに近づいて起こす。
「どうした?」
目を開けると辺りはまだ真っ暗。
太陽が昇るよりも前の日の方が近いぐらいの時間帯だった。
「何か近づいてきてるよ」
ルフォンの耳が森の方を向いている。
何かしらの音がルフォンには聞こえているのだ。
「魔物か?」
「うーん、多分違うかな。足音、気配を殺してこっちに来てる。んと……2人、かな?」
「分かった。俺がエミナを起こすからルフォンは闇に紛れて隠れるんだ。襲いかかってくるようなら1人拘束してくれ」
ルフォンがうなずいて闇に消えていく。
人狼族は闇を得意とする種族。
ルフォンを闇に紛れさせたらリュードでも対応するのは難しくなる。
「エミナ、起きろ」
リュードはテントの外からエミナに声をかける。
反応はない。
すっかり熟睡してしまっているようである。
「入るぞ」
相手にバレてしまうかもしれないので大声を出して呼んで起こすわけにはいかない。
仕方なくテントの中に入る。
「エミナ!」
声を抑えつつも呼びかけて肩を揺すり起こす。
エミナの神経は意外と図太く、外でも何なく熟睡してみせた。
冒険者学校で雑魚寝をしていても問題なかったのではないかとリュードは思う。
「へえっ?! リュリュ、リュードさん? ど、どうしましたか。まさか夜這いでふか……」
「声が大きい。寝ぼけてないでさっさと目を覚ませ!」
起きがけのエミナの声が大きくリュードは手でエミナの口を塞いだ。
最近ちょくちょく変なことを口走り出すのでリュードも気が気でない。
寝起きに元気なことはよろしいが今は静かに起きてほしい。
「何か怪しい奴が近づいてきてるようだ」
分かったかと聞くとコクコクとうなずくので口から手を離してやる。
「ルフォンさんは?」
「大丈夫、奇襲に備えてる」
と言っても奇襲されるのに備えているのではなく、奇襲することを備えているとでも言った方が正しい。
「私はどうしたらいいですか?」
「テントの中にいろ」
「ええっ!? 私も何か……」
「寝てろってわけじゃない。ちゃんと様子を見ていてもらうぞ。いざとなれば飛び出してきて魔法使ってもらうからな」
こんな状況で起こしておいて寝ておけなんて言うわけもない。
エミナはいざという時のバックアップ要員である。
「分かりました」
リュードはいつも通りを装って焚き火のところまで戻ると何事もなかったかのように座り、枝を焚き火にくべる。
見つめていると明るく見える焚き火でも少し離れただけであっという間に光は届かなくなる。
当然近くにある森の中まで光は届かず闇の中は見通せない。
「あんたたち、何者だ」
しかし何も目だけで物事を捉える必要はない。
ルフォンのように耳で聞き取ることもできるし、鼻がきけば臭いでも分かることがある。
「なぜ分かった……」
近くで殺気を放っている人がいればリュードでも気配を感じることが出来る。
人の気配を感じ取ったリュードが闇に目を向けると2人の男が闇の中から現れた。
焚き火の弱い光では顔までは分からないが友好的な目つきをしていないことは薄暗くても分かる。
「そんなことより何の用だ?」
「用か……申し訳ないがお前たちには消えてもらう。俺はあの角付きの男をやるからテントの中にいる女はお前に任せ……」
「グエッ!」
男たちが剣を抜いた瞬間、ルフォンが木から降ってきて男の1人を制圧する。
たとえ女性の体重でも上から落ちてきたら衝撃は大きい。
落ちてきたルフォンは男の頭を地面に打ち付ける。
「な、なんだ!」
「こっちだ、バカ」
ルフォンに気を取られた男は完全にリュードを視界から外した。
ルフォンが動き出すのと同時に動いていたリュードは鞘に収めたままの剣を思いっきり横振りした。
襲いかかってきた理由を聞き出したいので殺さないように頭は狙わない。
胴体にクリーンヒットして鈍い音がして男がぶっ飛んでいく。
男は起き上がってはこない。
一切の回避動作も防御もできずにモロに食らったのだから当然である。
リュードが近づいて確認すると男はしっかりと気を失っていた。
死んだ方がマシなぐらいの痛みがあるはずなので気絶して助かったぐらいだろう。
「くそっ! 放しやがれ!」
ルフォンが捕まえた方の男もいる。
こちらも打ちどころが良かったのか気絶をしなかった。
けれど抵抗らしい抵抗もできずに捕まったので元気いっぱいである。
ルフォンが女なので振り解けるだろうと暴れようとするが、ルフォンの力が強く口先だけ一丁前になってしまっている。
「クソ獣人が汚ねえ手を放しやがれ!」
汚いのはお前の言葉使いだ。
リュードが気絶したやつを縄で縛ってルフォンの下で暴れる男に灸をすえようと思ったら動いたのはルフォンの方だった。
脅しで当てていただけのナイフに力を込める。
「黙らないと、痛いことするよ?」
ナイフの先が男に食い込み、血が滲んでくる。
実力もないのに口先だけ大きな者に慈悲はない。
「うっ……覚えてろよ」
「殺される前にその口閉じておくんだな」
「な、何! まさか……アニキが」
自分は奇襲されたから負けただけであって通常であればこんな若い女に負けるはずがないと男は思っていた。
アニキと言われていた方が男の方を倒して助けに来てくれる、そう思って偉そうにしていたのに来たのはリュードだった。
男の顔がサッと青くなる。
男がルフォンに組み伏せられてからそれほど時間は経っていない。
激しい戦闘の音も聞こえなかったのに余裕綽々でリュードが現れたことにその実力の高さを理解する。
見た目に騙されて実力を見誤っていた。
上に乗っかっているルフォンの実力も男には計り知れないほど。
脅しのナイフを本当に刺す胆力だけでなく、木の上に隠れる能力も高くて全く気付かなかった。
それどころか接近してくる前に気づいていて隠れていたという事実に男は完全に負けを悟った。
先ほどまでの態度はどこへやら、男は口を閉じて黙り込んでしまった。
「自分が置かれている状況が分かったようだな」
リュードは縄を取り出して男の手足を縛る。
「よし、俺たちを襲った目的を聞かせてもらおうか?」
「それは……」
男が背中合わせに縛られたアニキの方を見る。
アニキと呼ばれているだけあって力関係はアニキの方が上みたいである。
「言え。言えばお前は逃してやる」
「……言わなかったらどうするつもりだ?」
「何もしないさ」
「はぁ?」
「何もしない。俺たちはこのまま立ち去るだけだ。ここだっていつ魔物が出るのか分からないからな」
所詮はガキ。何もしないなんて手を汚すのが怖いだけ。
そう思ったのだがすぐに思い直した。
「まさかこのまま放っておくつもりじゃないだろうな」
「言ったろ? 何もしないって」
リュードの目は冷たい。
男は背中がぞわりとする感覚に襲われる。
本気だ。
本気でこの暗い森の中に置いていくつもりなのだと男は悟った。
仮にこのまま放っておかれたらどうなるか。
長いことこのままになれば餓死などするかもしれない。
しかしその前に男たちは死ぬことになるだろう。
人が多い場所を除けば大体のところに魔物がいる。
ほとんどの魔物は人を襲って攻撃してくる。
縛られて無抵抗の人がいたらどうなるか。
魔物が助けてくれるはずもなく襲われて食い荒らされてしまうことだろう。
リュードが直接手を下して殺すこともなくこのままにしておくだけで男たちは魔物に殺されてしまうのだ。
もちろんリュードはそんなことするつもりはない。
よほど男たちが強情なら分からないけれど、こんなところで人殺しをしたくはない。
もう平穏無事に話し合いで済ませる段階ではないが、命を奪わずに済ませられるならその方が良いに決まっている。
だから出来るだけ冷徹に見えるように感情を殺し、話したなら本当に解放してやるつもりだった。
「……本当に逃してくれるんだな」
「ああ、逃げた後は好きにするといい」
「…………俺たちの目的はお前たちで……かっ……アニ、キ……」
「おい、どうした!」
いきなり苦しみ出した男。
みるみる間に顔が紫色になっていき泡を拭いて死んでしまった。
「ククク、何も言うわけがない、何も言わせるわけがない」
「起きていたのか!」
気絶していたと思っていたアニキはいつの間にか目を覚ましていた。
手にはどこから出したのか小さいキリのような武器を持っている。
キリの先には毒が塗ってあってこれで男を刺して殺したのである。
「もちろん俺も何も話はしない!」
「やめろ!」
アニキはキリで自分の足を刺した。
咄嗟のことに止められずキリを取り上げた時にはもう遅かった。
アニキも瞬く間に顔色が悪くなっていき、男と同じように泡を吹いて死んでしまった。
謎の襲撃者。
誰にも怪我がなかったのはよかったけれど何の情報も得ることができなかった。
対応が甘かったと反省せざるを得ない。
こんなこと初めてだったしまさか捕まった人間が即座に自殺するなんてこと一切頭になかった。
一緒に縛るのではなく1人ずつ離しておくとか身体検査をするとかしておくべきだった。
多少武器を持っていても勝てそうな相手とリュードは完全に舐めてかかってしまっていた。
後味の悪い気味の悪さだけを残して男たちは永遠に口を閉ざした。
1人は救えたかもしれない。
こうした暗いことでも平気する人たちが世の中にはいるのだという厳しさをリュードたちは学んだのであった。
「一体何だったんだ……」
「こんな人もいるんだね……」
「そうだな。今日のこれは学びだった」
リュードの中には自ら命を絶つだなんて選択肢はない。
しかしそんな選択すらしてみせる人がいるがいるということを思い知ったのであった。