「ぐうっ」
槍を横にして柄の真ん中で押し出すようにリュードの腹に当てる。
柄がグリっと当たり意外と痛い。
そのまま反動を活かしてテユノは距離をとる。
また距離が空いて仕切り直しになる。
変則的で柔軟、とてもやりにくい。
努力と才能、両方が見える。
リュードとてやられっぱなしとはいかない。
テユノの突きをかいくぐり再び間合いを詰める。
テユノも負けじと再び距離を詰め、リュードの距離にはさせないようにする。
左利きのテユノは右手が前になるように槍を構えている。
リュードは両手で持っていた剣から左手を放し、近づいてきたテユノの右手を槍ごと包み込むようにつかんだ。
リュードが左手を持ち上げるようにしてテユノを引き寄せると2人がほとんど密着する形になる。
テユノはルフォンよりも身長が高くてルフォンならリュードの胸に飛び込むことになるけれど、テユノ相手に密着するほど距離が近くなると互いの顔に息がかかるようになる。
「はなっ……ちかっ、きゃあああっ!」
掴まれた右手からリュードに視線を移すと真正面の近いところにリュードの顔があった。
ブワッと頭に血が上り顔が真っ赤に染まる。
けれどリュードは一瞬早く動き出し、それに気づくことなかった。
腰に手を回して抱きかかえるようにしてテユノの体を巻き込みながら足を払う。
体が硬直していたテユノは面白いほど簡単にリュードに投げられた。
多少力任せだったけれど別のことに気がいっていたテユノは何の抵抗もできなかった。
「俺の勝ち……でいいか?」
世界が回って、気づいたらリュードの剣が目の前に突きつけられていた。
「…………そうね」
「……テユノ、お前、泣いて……」
「泣いてなんかない、バカ!」
「あぶな! おい、おい!」
テユノは槍をリュードに投げつけ走り去っていってしまった。
槍投げのようにしっかりと投げられて槍先は真っ直ぐリュードに飛んでいって危うく刺さりかけた。
チラッと見えたテユノは泣いているようだった。
急に勝負を仕掛けてきたと思ったら怪我をさせたいのかさせたくないのかよく分からない攻撃、しまいに負けて泣き出すとは全くリュードは理解が追いつかない。
「あーあ、泣かせ、うげっ」
ウォーケックが冷やかしルーミオラに足を踏まれる。
「リューちゃんの変態……」
ルフォンはルフォンで何故か機嫌が悪い。
「とりあえずテユノを追いかけるか……」
いつの間にか物見客までいる状況。
原因がなんであれ自分が関わっていることは確実なのでテユノを追いかけようとした時、何者かがリュードの肩を掴んだ。
「モテるのは仕方ないわ。でも女の子泣かせちゃダメよ?」
危険なオーラを感じたリュードは逃げたい気持ちに駆られるがガッシリと肩を掴まれていて動くことができない。
「そ、そうだね……だから追いかけ……」
「テユノちゃんなら今はそっとしておいてあげなさい。それにちょっとあなたにお灸を据えてあげなきゃいけないわね」
仕掛けられたのは自分だし、それに応じただけなのに。
そんな理不尽な思いを抱え、この日リュードはボロボロになるまで魔人化したメーリエッヒにしごかれた。
「鈍いのも行き過ぎると罪なのよ」
「何が……悪いのか……」
「それが悪いのよ」
村から真人族の町に行商が出発する日がやってきた。
つまりはリュードたちの旅立ちの日。
出発の時間は朝早いこともあって人は少ないが見送りにはリュードとルフォンの両親、村長となぜかテユノとフテノも来ていた。
「シューナリュード、ルフォン、これを持っていきなさい」
村長がリュードとルフォンそれぞれにペンダントのようなものを渡した。
「これは何ですか?」
チェーンの先に模様と文字が刻まれた小さい金属板が付いている。
特に魔力などは感じられることはなく魔道具ではなさそうだ。
「同族の証だ」
村長がもう1つ同じ物を取り出した。
よく見ると模様はリュードと村長の物が同じで、ルフォンの物は若干異なっている。
「魔人化も出来る種族では普段は真人族と変わらない見た目で生活しているものも多い。同族であることを示すのにわざわざ魔人化するのは面倒であるし、そうできない状況や場所であることもある。
そこで考えられたのが同族の証だ。シューナリュードに渡したのが竜人族の証で、ルフォンに渡したのが人狼族の証だ」
竜人族の証は竜を抽象的にかたどったもので、人狼族は狼を抽象的にかたどったいた。
刻まれている文字は古代の文字であるらしくそれぞれの種族名を表している。
「我々は数が少ないから出会うことも稀だろう。だからこそ出会った時にお互い争うことのないようにするために考え出された知恵だ」
「ありがとうございます」
「なに、渡すのが当然で感謝されるものではない。私からの餞別はこれだ」
手のひらサイズの小さな箱。村長の手にあると余計に小さく見えるぐらいの箱を受け取る。
「くさい!」
箱を開けると一緒に中を覗き込んだルフォンが顔をしかめて離れていった。
独特な臭いがしてリュードも顔をしかめる。
臭いは箱の中から漂ってきていた。
丸い形をした茶色い塊がいくつか入っていて、それが猛烈に臭っている。
「なんですかこれ……」
もらいものに悪いが嫌な顔をしてしまっているのは許容してもらうしかない。
我慢できないほどに臭いのだ
腕を伸ばしてできるだけ体から遠ざける。
というか村長もやや離れている。
「これは燃やすと魔物が嫌がる臭いを放つ煙を発生させる薬丸だ。これを燃やすとこの臭いが好きな魔物以外はたいてい逃げていく。いざというときに使うと良い。我々にとってもキツイ臭いはするけれどな」
にやりと村長が笑う。
貴重なものなのかもしれないけれどなんせ臭いがキツイ。
箱のふたを閉めてマジックボックスのカバンに入れる。
しないのは分かっているけれど臭い移りしないか心配になる。
「いつ何時も切り札や逃走の手段は持っておきなさい。これは魔物だけでなく鼻が利く種族にも効くから何か助けになることがあることも考えられる。頭の隅にでも置いておきなさい」
「ありがとうございます……」
せっかくの金言だがリュードの鼻も悪くはないので少し具合が悪くなってしまった。
「事前に言わず悪かったな」
ポンとリュードの肩に手を置いた村長の目はとても優しかった。
村長なりに旅立ちの緊張をほぐしてくれようとしたのかもしれない。
「2人も見送りに来てくれたんだな」
次はテユノとフテノに向き直る。
「父さんが見送りに行くっていうからついてきたんだ」
「…………」
フテノはいつものように柔らかく笑顔を浮かべているがテユノは無言でリュードと顔を合わせない。
元々あまり会わなかったのに決闘以来姿を見かけることすらなくなった。
初めて子供部門でチャンピオンになったときに嫌ってはいないと分かったのだが妙によそよそしくなったりいきなり優しくなったりとリュードも距離感を測りかねていた。
「……ルフォン」
無言だったテユノが声をかけたのはルフォンの方だった。
2人は同い年で数の少ない子供部門では何回も戦った仲である。
メーリエッヒとルーミオラのようにルフォンとテユノは互いにライバルであると思っていた。
また力比べ以外のところでも別の意味でライバル。
お互いに譲れない思いがあった。
リュードだけが気づいていない。
「この間の力比べでは私の負けだったけど、私、もっと強くなるから。強くなって、あなたを倒して…………私が隣に立つから」
テユノの宣戦布告。これが何を意味するところであるのか、2人には分かっている。
「私も負けないよ」
ルフォンが一歩リュードに近づく。
少しだけ悪い顔で笑うルフォン。
言葉にしなくても通じる思いもある。
じっと見つめあった2人はニッと笑いあって会話が終わった。
「あんたも怪我なんかしないように気をつけなさいよ。それと時々村に帰ってきなさいよ、みんなさみしがるから」
「ああ、わかった」
憎まれ口でも言うようにしながら相手を思いやるような言葉を言う。
不器用な優しさ。リュードも笑顔で答える。
「行っちゃうのね……」
流石のメーリエッヒでも息子がいなくなると寂しい。
いつかこんな日が来るかもしれないと思っていたけれど覚悟していても分かっていても感情は抑えられない。
魔人族である竜人族や人狼族は寿命が長いのでまた会う機会は真人族よりも多いと思う。
しかし寿命が長いからこそ子供と過ごした時間も短く感じられる。
まだまだ子供という思いもある。
だからこそ旅に出る息子はどんな経験をしてそのように大きくなっていくのか。
これからの成長も楽しみな側面もあった。
リュードもルフォンも両親と抱擁を交わしてお別れの挨拶をする。
ギュッと抱きしめたメーリエッヒはリュードの額にキスをする。
ルーミオラもルフォンを痛いほどに抱きしめていた。
ウォーケックは泣き崩れているがリュードはそんな師匠の姿を見ていられなかった。
ヴェルデガーは優しく微笑んで優しくリュードを抱きしめた。
そして出発の時間を迎えた。
「それじゃ、行ってくる」
「行ってきまーす!」
ちょっとそこらにでも行ってくる。
そんな風にリュードたちは村を旅立った。
「よかったのか?」
「何が?」
「リュー……痛い」
「何が言いたいのよ」
「いやさ、リュードとルフォン、2人、もしくは1人と一緒に行かなくてよかったのかなーなんて」
「なんで私が」
「分かってるくせに、って痛い痛い!」
テユノは無言で兄を殴る。
「父さんだってあの2人とならいいって言いそうだし、後れを取っちゃうかもよ?」
「……後れなんて取らない。次あったときには私の方が強くなってるから」
「……ふう、そうかい」
わが妹ながら難儀な性格をしているとフテノはため息をつく。
ほんの少し素直になるだけでよかったのに。
けれどお前も悪いんだぞ、とフテノはリュードに対して思わざるを得なかった。
どうにも強すぎるし父親が村長なので貰い手もいない。
どうせならもっと強くなってもっと稼いで戻ってきてくれてリュードがもらってくれればいいのにと思う兄と、その後ろで会話に入るには入れず気配を消してただ立っている村長なのであった。
リュードが8歳の時、顔を真っ白にしてルフォンを抱っこしたウォーケックがヴェルデガーを訪ねてきた。
ルフォンは不穏な気配を感じているのか泣きこそはしていないもののその一歩手前で、非常に不安そうな顔をして父親にしがみついていたのをリュードは覚えている。
ウォーケックは医者を連れ立っていて物々しい雰囲気をまとっていた。
メーリエッヒがウォーケックを招き入れると重たい足取りで中に入ってきてルフォンを降ろし、リュードと遊んでくるように言った。
この頃はまだリュードとルフォンは仲が良くなかった。
お隣さんとしての付き合いはあってもその程度であった。
先祖返りの影響を受けたリュードとルフォンは見た目に魔人化している状態のような特徴が残ったままだった。
リュードはさして気に留めていなかったのだがルフォンは内向的な性格でからかわれることが嫌で自分の容姿が好きではなかった。
お隣さん同士両親の仲はそこそこ良かったのだけれど2人揃うと余計に冷やかされることもあってか、ルフォンはむしろ少しリュードを嫌っているまであった。
だから遊んでこいと言われてもルフォンはリュードのところにはいかない。
ドアの影に隠れて大人たちの話を聞いていた。
そんなルフォンの心情も理解していたが仲良くもなりたく様子をうかがっていたリュードにも話は聞こえていた。
魔力漏洩症。
原因不明の病。
発症に関わる一切の原因が分からず突然病気になるもので魔力が漏れ出るように回復しなくなって無くなっていき、最終的に死に至る危険な病である。
ここ最近ずっと体調が悪そうにしていたルーミオラがとうとう倒れた。
慌てて医者を呼んで診察してもらったところ魔力漏洩症ではないかという結論に至った。
珍しい病気なので医者の手元にも治療薬はない。
それどころか大都市の大きな病院でもあるかどうか分からないレベルの薬である。
医者ではないけれどポーションを作ったりしているヴェルデガーのところに一縷の希望をかけて訪ねてきたのであった。
話を聞いたヴェルデガーも何とかしてあげたい気持ちはあるがモノはない。
首を横に振って返事をする。
あまり期待はしていなかったがそれでもショックは大きくウォーケックの顔に絶望が広がりうなだれる。
「けれどまだ諦めないでください」
「しかし……」
「希望はまだあります」
「本当か! 一体どうしたらいいんだ! 何でもする、教えてくれ!」
顔を上げたウォーケックがすがるような目つきでヴェルデガーを見る。
運が良くヴェルデガーは魔力漏洩症の治療薬の作り方が載っている本を読んだことがあった。
たまたまヴェルデガーのところに入手の難しい材料のいくつかもある。
ポーションを作る設備もある。
あとは足りない材料をいくつか揃えれば治療薬を作ることは可能であった。
「必要なら俺が町まで走る。必要な物を教えてくれ」
ヴェルデガーが自室にある本の山の中から治療薬の作り方が書かれた本を持ってきてヴェルデガーが今手元にない材料を書き出していく。
少し希望の光が差してきてウォーケックの顔が明るくなる。
「ほとんどの材料は村にあるな」
医者も当然協力してくれる。
中には村で育てているものもあるし、村の周辺で取れるものもある。
医者が持っている素材もある。
ただ用意するのに厄介なものが1つだけあった。
ディグラ草という薬草。
しかも必要なのは花が咲く前のつぼみの状態のディグラ草が必要なのである。
幸か不幸かディグラ草の群生地は村からやや行った所にある。
「これは……難しいかもしれない」
けれどヴェルデガーが頭を抱える。
だいぶ暑くなってきたこの頃、すでに気温だけ見ると暑い季節に片足を突っ込んでいる。
ディグラ草は暖かくなってきた季節の終わり頃に花を咲かせる。
これだけ暑ければもうすでにディグラ草は花咲いてしまっている可能性が高い。
「すぐにでも行ってみたほうがいい。私は薬を作る準備をしておく」
「分かった。ありがとう」
ウォーケックはすぐに周りの地形に詳しい人と魔物に対処するための数人でディグラ草の所に向かった。
暗くなるまでディグラ草を探し回ったウォーケックはとても暗い顔で帰ってきた。
ーーーーー
「ルフォンがいなくなった!」
次の日、さらなる騒ぎが起きた。
慌てたウォーケックが再び顔面蒼白でリュードの家に来た。
朝起きてルーミオラの世話をしている間に気づいたらルフォンがいなくなっていた。
ルーミオラの状態もあるし1人でどこかに出かける子ではない。
情報はすぐに村中に共有されたけれどルフォンは見つからない。
村の中を子供が走り回っていても普通の光景なので気に留める大人は少ないのでどこに行ったのか見ている人もいなかった。
村総出での捜索が始まった。
昼が過ぎ村の近くでの捜索も始まったけれどルフォンはどこにもいない。
妻は病気に倒れ、娘は行方不明。
打ちひしがれたウォーケックに代わってメーリエッヒがルーミオラの面倒を見て、ウォーケックはリュードの家でヴェルデガーとともに報告を待っていた。
「どこに行ったんだ……」
このままではウォーケックすら倒れかねない。
「あの、俺、ルフォンの居場所知ってるかもしれません」
見かねてリュードが口を出した。
「何!」
「リュー、何を言いたいんだ?」
違うかもしれない、怒られるかもしれない。
そんな思いがあって言い出せずにいた。
それでも憔悴しきったウォーケックの様子を見ては黙っていられない。
「きっとあそこです」
リュードが言うあそことは子供たちの間で話題の場所となっているディグラ草の群生地のことだった。
ウォーケックたちがが昨日探しに行った場所とはまた違うところである。
村近くにある川に沿って進んでいくとある洞窟。
洞窟を抜けると山の上の出るのだがそこにディグラ草が生えているのである。
地獄の鍛錬を終えて狩りを解禁された若者が見つけたもので、洞窟そのものは昔からあるのだけど何かのタイミング崩れたところでもあるのか山の上に抜ける道が新しく出来ていた。
その若者が見つけ時はすでにかなり暖かくなってきていたけれど枯れ初めではなく綺麗にディグラ草が生えていたらしい。
完全に暖かくなって暑いぐらいになると枯れてしまうので時期的には完全に遅かったのに満開だった。
おそらく山の上は下よりも涼しく、少し時期がずれているようであった。
今では狩りに行けるようになった若者の間でデートスポットになったりもしていた。
もちろんただのデートスポットなだけでなくこっそりと冒険したい子供たちの秘密の場所でもあった。
大人たちには秘密なのでリュードも他の悪ガキと一緒に行ったこともあった。
子供の間では有名なのだ、ルフォンもディグラ草が生えている場所や季節がずれていることも知っているはずである。
ルフォンはディグラ草のつぼみが必要なことを聞いていた。
あの場所ならと可能性もある。
これらを合わせると導き出せる結論は一つ。
リュードの話を聞いてヴェルデガーとウォーケックが顔を見合わせる。
ありえない話ではない。
すぐさま連絡を飛ばして捜索隊が組まれた。
その中でリュードも子供ながら案内役として付いていくことになった。
危険だとヴェルデガーは反対したけれどほかに洞窟を知っていそうかつ戦える者はもう村の外の捜索に出ているのでリュード以外にはいなかった。
後の行ったことある子供はみんな怒られるのが嫌で口をつぐんでいた。
決して前に出ないようにとヴェルデガーに念を押されて子供用だがちゃんと切れる武器を渡された。
一緒に行きたがるウォーケックはルフォンとすれ違いになってはいけないということでお留守番。
そしてリュードを含めた捜索隊が出発した。
川沿いに進んでいけばいいので洞窟には簡単に到着した。
「こんなんあったか?」
「いや、俺の時はなかったな」
「いつの間にかできたんだな」
大人たちの会話。
やはり大人が知らないこの洞窟は比較的最近できたようである。
「思っていたよりも狭いな」
通れる幅は広くても2人、狭いところでは1人がギリギリだった。
すぐ横を流れる川の水は冷たく、浸かろうものならあっという間に体温が奪われてしまうので川を通ることはできない。
「えっと、こっち」
子供たちが次来る子のためにとひっそりとマーキングしてあるところもあり道には迷いにくい。
しかしルートは比較的体格の小さい人向けの道でしっかりと装備している大人には少々厳しい。
大人たちが1人ずつ頭をかがめたり横になったりしていく様を見て最初に見つけたやつはどうやってこの道を見つけたんだと感心すらする。
「――――!」
「これは……こっちだ!」
大きな咆哮が洞窟に響き渡って洞窟全体が揺れる。
魔力のこもった雄たけびに大人たちの顔つきが一気に変わる。
恐れていた事態が起きたのだと大人たちが察する。
武器を抜いて大人たちが声の方に走り出す。
走っていくと開けた空間があり、そこに一頭のクマがいた。
大人たちよりもはるかに大きいクマからリュードは肌がビリつくような強い魔力を感じた
ツキベアグリーというこの巨大な魔物はリュードたちが住む森の中層階の王である。
リュードたちのいる村は森の浅いところ、下層と呼んでいるところにある。
明確に区切られているわけではないけれど上層と呼ばれるところに近いところほど魔物も強くなる。
基本的に村の人は下層付近から出ることはない。
魔人化して本気で戦えば中層階でも戦えないことはないけれど魔物を刺激して良いことなんてないので深入りはしないのだ。
ツキベアグリーはそうした中層階の魔物の中でも村の大人たちも基本は戦いを避ける相手。
戦うにしてもしっかりと準備をして挑む相手になる。
興奮したツキベアグリーは捜索隊を見つけるなり襲い掛かってきた。
大人たちは素早く散開してツキベアグリーの突撃をかわす。
ヴェルデガーはリュードを抱きかかえて反対側まで大きく回りこむ。
「ここでおとなしくしているんだ」
ヴェルデガーはリュードを岩陰に置いて戦いに加わる。
ひどい興奮状態のツキベアグリーは視野が狭くなっているので下手に動かなければ見つかることはない。
なぜまだ浅い層にツキベアグリーがいるのか、なぜツキベアグリーが興奮しているのか、なぜ大人たちがこの状況を恐れていたのか。
いまがツキベアグリーの繁殖期であるからである。
繁殖期になったツキベアグリーは繁殖のために薬草を求めて下層まで下りてくることもあるのであった。
ディグラ草はそのよい例で強い滋養強壮効果と魔力回復効果を持つのでツキベアグリーも求めに来ることがある。
ついでに薬草求めに来るのはオスもメスもどちらもいるので出会いの場にもなっている。
他の魔物でもそうした習性を持つものもいるがその中でも最も強いのがツキベアグリーであるので大人たちはツキベアグリーがいることを警戒していた。
まさか本当にツキベアグリーと遭遇するとは運が悪い。
避けながらルフォンの捜索は無理があるし、もしルフォンがいた場合ツキベアグリーを放ってくとルフォンが危険にさらされる。
相手も繁殖期で気が立っているので逃す気はなさそうなので倒すしかない。
大人たちがツキベアグリーを囲むように戦い始めある。
ルフォンを探すのに焦る気持ちはあるけれど無理はしない。
連携を取り少しずつツキベアグリーに傷をつけていく。
ツキベアグリーは興奮していて痛みを感じていないので深追いして攻撃すると反撃をもらいかねない。
浅い傷とはいっても蓄積していけばダメージもバカにはならない。
ヴェルデガーも魔法で攻撃したり支援したりしながらみんな怪我をしないように安全に立ち回る。
興奮状態で暴れ回るツキベアグリーはかなり体力も消耗したのか動きに精彩を欠いてきた。
このまま戦っていけば勝てる。
そう思った瞬間だった。
「な……まさか!」
再びツキベアグリーの咆哮が洞窟全体を揺らした。
しかし目の前のツキベアグリーのものではない。
少し離れたところから響くように聞こえてきた。
最悪の事態だとヴェルデガーは顔をしかめた。
同じように薬草を求めに来た個体か、はたまたこのツキベアグリーのつがいか。
どちらにしてももう1体ツキベアグリーがいる。
早く倒して向かいたいところなのに別のツキベアグリーの咆哮を聞いてツキベアグリーが息を吹き返したように暴れ始める。
「くそっ、つがいか」
ツキベアグリーの様子を見てヴェルデガーは確信する。
たまたま何の関係もない個体がこの場所に集まっていたのではなさそうだ。
声を聞いて元気を取り戻したということはこの声の主はツキベアグリーのつがいだ。
けれども声はしても見えるところにもう1体のツキベアグリーの姿は見えない。
もう1体に警戒しつつも目の前のツキベアグリーに対処する大人たちは考える余裕もないがリュードは気づいてしまった。
なぜこの場にいないツキベアグリーが咆哮したのか。
中層の王者でもあるツキベアグリーがいるということは他の魔物はいないと考えてもよい。
となると何に咆哮したのか答えは1つ。
「ルフォン……!」
「リュード!」
ルフォンがもう1体のツキベアグリーに見つかった。
そう考えるのが自然である。
時間がない。
ツキベアグリーを倒しているのを待つ暇はない。
子供のリュードは大人よりも簡単に洞窟を進んでいける。
リュードはルフォンを探して走り出した。
もうだいぶ上ってきたところにいたので山の上も近い。
「その子から離れろ!」
光が見えてきて目的地に飛び出したリュードが見たのはツキベアグリーに壁際に追いつめられるルフォンだった。
全身に魔力を送り、地面を蹴る。
魔力に任せた無茶苦茶なやり方で体を強化して弾丸と化したリュードがツキベアグリーの脇腹に体当たりする。
子供の体重でも魔力量があるリュードの無茶苦茶な強化をもってすればそれなりの威力がある。
ツキベアグリーの体がリュードの体当たりで弾き飛ばされる。
「うっ……ルフォン、大丈夫か!」
「シュー……ナ、リュード君?」
目をつぶって衝撃に備えていたルフォンが目を開けるとリュードの背中が見えた。
リュードはルフォンを守るようにツキベアグリーとルフォンの間に立つ。
突然のことに驚きはしてもダメージはさほどないのかツキベアグリーはすぐに立ち上がった。
一方リュードは無事ですまなかった。
左肩が上がらない、左腕が動かない。
重たいツキベアグリーに全力でぶつかっていった代償にリュードは肩を脱臼してしまった。
肩が外れるほどに体当たりしたのにツキベアグリーには何のダメージも与えられなかった。
獣は聡い。
怪我をしたことを悟られてはいけない。
剣を抜き全身に魔力を充実させてツキベアグリーを睨みつける。
痛みを顔には出さない。
「ルフォン、聞こえるか」
「う、うん」
「ゆっくりと、少しずつ、洞窟の方に移動していくんだ」
何を警戒しているのか知らないがツキベアグリーは立ち上がったまま動かずリュードをジッと見ている。
リュードの力を見定めているのかもしれない。
ダメージはなくとも衝撃はあったのに見てみるとまだ子供で、ツキベアグリーは小さいリュードの力を計りかねていた。
それに魔力だけならリュードもかなりの力を持っている。
ツキベアグリーはリュードから感じる魔力にも警戒をあらわにしていた。
「俺が行けと言ったら……」
「ダメ……!」
「どうして!」
何故か頑なに逃げることを拒否するルフォン。
「見て、まだつぼみのディグラ草」
一面に広がるディグラ草の花畑。
ツキベアグリーに気を取られていたけれど見てみるとまだ花は全体的に8分咲きでまだつぼみのものもちらほら見られた。
運が悪いことにつぼみのディグラ草はツキベアグリーの足元に多くある。
このままツキベアグリーに暴れられてしまえばディグラ草がダメになってしまうとルフォンは焦っていた。
だからといってツキベアグリーの下にあっては取りに行くこともできない。
「どっちにしろこのままじゃ取りに行けない。一回逃げて大人たちを呼びにいくんだ」
「でも……」
「いいから、ゆっくりと移動するんだ」
「分かった……」
子供だけで何とかしようなんて無茶すぎる。
むしろこのままここにいる方がディグラ草が荒らされてしまう。
「うっ、まずい!」
断末魔の叫びが聞こえてきた。
リュードたちが対面するツキベアグリーではなく、大人たちが戦っていたツキベアグリーを倒したのだ。
喜ばしいことなのだがタイミングが悪い。
つがいのツキベアグリーはその叫びの意味を理解して、今すぐにでも駆け出そうとしたが目の前にものすごい魔力を持つ存在がいる。
見た目ではなく魔力を感じ取ってリュードを強敵だと認識した。
まずは目の前の相手を倒さなければいけない。ツキベアグリーはそう判断した。
「ルフォン、行け!」
1歩前に出たツキベアグリーの雰囲気が変わった。
悠長に移動している場合ではない。
ルフォンが走り出すがツキベアグリーは狙いをリュードに定めたままである。
ツキベアグリーがリュードに向かって突進する。
ルフォンの方に行かなかったのは好都合。
「どーするよこれ」
ルフォンは逃がせたものの、ツキベアグリーに対して何か対策があるのではない。
体が勝手に動いて今の状況がある。
ツキベアグリーは完全にリュードをロックオンしていて逃げることも難しそうだ。
「こうなったら!」
時間を稼ぐしかない。
ツキベアグリーの叫びが聞こえてきたのでもうツキベアグリーを倒したか、少なくとも瀕死の状態であるだろう。
どうにかやり過ごして時間を稼ぎ大人たちが来るまで耐える。
それしか方法がないとリュードは覚悟を決める。
リュードはツキベアグリーの突進をかわして走る。
ディグラ草畑の中でもよく日が当たっているところを探す。
見たところ日陰の涼しいところはつぼみのディグラ草がある。
荒らされるなら日があたって咲いてしまったディグラ草の方がいいとツキベアグリーを誘導する。
ただツキベアグリーの動きは想像以上に早く、逃げ回ろうにもあっという間に追いつかれてしまった。
つぼみは守れそうだけど己の身が守れそうにない。
振り下ろされた右前足をギリギリでかわす。
間近に風切り音が聞こえる。
勢いと殺気はすさまじいが先ほどのツキベアグリーと比べて動きが鈍く見える。
それでも素早いことには変わりないし一撃一撃はリュードにとって致命傷になりうる。
相手が巨体なことを活かしてツキベアグリーの周りをグルグル回るようにして攻撃をかわす。
かなり危険な距離であるがほとんど密着するように側面側面に回り込むリュードをツキベアグリーは捉えきれていない。
上手く時間を稼げそうだと思ったがツキベアグリーもバカではない。
ツキベアグリーが突如として立ち上がり二足歩行になった。
側面部分が少なくなってしまったので慌ててリュードが後ろに回り込んでみてもツキベアグリー振り向かない。
何かをしようとしていると身構えた瞬間、ツキベアグリーが咆哮した。
耳を塞ぐこともできなくてまともに受けてしまったリュードは強い魔力が込められた咆哮に体が勝手に委縮して動けなくなる。
やばいと思って体を動かそうとしてできたのは少しだけ体をひねることと構えていた剣を動かすだけだった。
どうせ左腕は使えないのならと左側を犠牲にした。
それでも直撃だけは避けようと剣を間に差し込んでわずかにでも防御する。
ツキベアグリーの腕の一振りでリュードが吹き飛ぶ。
ディグラ草をなぎ倒しながらリュードが地面を転がっていく。
「うっ……ぐっ」
ギリギリのところでリュードは意識を保っていた。
けれど気絶でもした方が楽だったかもしれない。
幸いなことに爪が当たらなくて腕が引き裂かれることはなかったけれど、思い切り殴られて地面に叩きつけられるように転がったせいで全身が痛い。
全身が痛み、脱臼で動かなかったせいで分かりにくいけれど腕が折れていて感覚すら無くなっていた。
痛みでチカチカとする中でもリュードは早く立ち上がって逃げなければやられてしまうと思考だけは動いていた。
剣を杖のようにして立ち上がろうとしてると地面に影が落ちる。
ツキベアグリーがリュードの目の前に立っていた。
「なめるなよ……」
何もしないと死ぬ。ならささやかでも抵抗してみせる。
不穏な空気を感じたツキベアグリーが動き出そうとしたがもう遅かった。
「切り裂け、風よ!」
単純な魔法。
風呂を作るときに木を削るときに使う弱い風の斬撃を出す魔法であった。
ツキベアグリーが相手なら皮膚も切り裂けない魔法、のはずだった。
しかしリュードが放った魔法の威力は尋常なものでなかった。
持てるだけの魔力をすべて注ぎ込んだ。
死んでしまうのなら温存していても無駄になるので何も考えずに魔力を魔法に込めた。
リュードの魔法は一瞬で遠くまで飛んで行った。
あまりの魔力に森の魔物たちが大きく騒がしくなったほどだった。
「どう……だ」
魔力まで使い果たした。
ツキベアグリーがどうなったのかを確認することもできずにリュードは気を失って倒れた。
その直後だった。
立ち上がっていたツキベアグリーの上半身が少しずつずれていき、ベチャリと音を立てて地面に落ちた。
「リュード!」
ルフォンの知らせを受けたヴェルデガーが他の大人たちよりも一足先に洞窟を抜けてきた。
一体何があったのか、とても理解できなかった。
体が半分になったツキベアグリーの前でリュードが倒れている。
駆け寄って容態を確認するとリュードの息はあるものの体の左側がひどいことになっていた。
生きてはいるが相当危険な状態。
ヴェルデガーは全力でリュードに回復魔法をかけた。
「リュード……死ぬんじゃない!」
真っ先にリュードのところに来てしまったヴェルデガーはハッと顔を上げて周りを見回して警戒もする。
あまりの光景に他の脅威を確認することを忘れていた。
ツキベアグリーや魔物の気配はない。
脅威はない。
そして見てしまった。
ツキベアグリーの後ろの山の一部が崩れている。
何か非常に切れ味の良いもので切られたかのように崩れた切り口はなめらかであった。
考えられる原因はリュードなのだがどうやったのか皆目見当もつかない。
まさか初級の弱い魔法で山を切り取ったなどと経験豊かなヴェルデガーにも予想ができない。
「こりゃあ……」
「ルフォンちゃん、見るんじゃない」
遅れて到着した大人たちですら状況を見て言葉を失った。
それなりに経験をしてきているはずなのに山の上の光景に何と言ったらいいのか分からなかった。
ツキベアグリーの状態に慌ててルフォンの視界を塞いだ大人もいたがルフォンはしっかりとグロテスクな状態になったツキベアグリーと倒れたリュードを見てしまった。
こうして、ルフォンが探していたつぼみのディグラ草は見つかったのであった。
ーーーーー
ルフォンが戻り、村全体が安堵する裏でリュードは瀕死の重体に陥っていた。
ひどい怪我を負った上に膨大な量の魔力を使い果たして非常に危険な状態だった。
ヴェルデガーが回復魔法を使って処置をしたがそれでも足りず、リュードは村の医者のところまで運び込まれていた。
本当ならリュードの面倒は自分で見たいヴェルデガーだったが治療は他の者に託してルーミオラの治療薬作りに入った。
他にルーミオラの治療薬を作れる者はいない。
ディグラ草のつぼみの消費期限が短くすぐにでも治療薬を作り始めねばいけなかったのだ。
メーリエッヒはメーリエッヒであの子ならきっと大丈夫とヴェルデガーの心配を一蹴し、ルーミオラの看病を続けた。
なのでリュードには責任を感じて号泣するルフォン付き添っていた。
魔力が多すぎるリュードは無くなった魔力が回復し始めて容態が安定するまでに3日かかった。
その後2日が経ちルーミオラの治療薬が完成した。
「まだ何回か薬を飲む必要があるとは思うけれどもう峠は越えた。大丈夫だろう」
ちゃんと薬の効果は現れた。
午前に薬を飲んだルーミオラは午後には起き上がれるようになっていた。
ルーミオラの手を取ってウォーケックは何度も感謝と安堵の言葉を繰り返していた。
「もう、恥ずかしいじゃない。……それにあの子は?」
「ルフォンなら、俺たちの英雄のところさ」
英雄とは。訳の分からないといった顔をするルーミオラにウォーケックは何が起きていたのか説明した。
ツキベアグリーを倒して、ルフォンを救った当の本人はルーミオラの治療薬ができてからさらに2日後に目を覚ました。
頭の中がボーッとしているのに、まるで何かに叩かれているかのようにガンガンとして気持ちが悪い。
1週間ぶりに開かれた目は霞んでいてよく見えなかった。
真っ白な天井を見ていると転生する前に戻ってきて事故のせいで病院に入院しているのだと、そんなことをリュードに思わせた。
何回も瞬きして視界がしっかりと見え始める。
同時に時間が経って頭も動き始めたのか思考がはっきりとしてきた。
頭を傾けてみるとベッド横に黒い何かがいた。
リュードが動いたことに気付いたのかベッドに突っ伏して寝ていたそれが頭を上げた。
「ああ! よかった、目を覚ました……」
それはルフォンだった。
よほど泣いたのか目が赤い。
リュードが目を覚ましたことでルフォンの目に涙が溜まっていき、流れ出す。
「よかった……よかったよぅ……」
ルフォンが泣いているので何か声でもかけてあげたいのに口の中がパサパサに乾燥していて喋れない。
「私のせいで、こんな怪我して、ごめんね。絶対怒って……るよね?」
不安げな表情でリュードを見つめるルフォン。
リュードが何も言わないことを怒っているのだと思い込んでいるがただ話せないだけである。
今は話せないので行動で示すしかない。
ずっと手を伸ばし、ルフォンの頬に触れるとビクッとルフォンが反応する。
何も叩くつもりはない。
親指でそっとルフォンの涙を拭って首を横に振る。
出来るだけ柔らかい表情を意識してルフォンに微笑みかけてやる。
ルフォンが何を思ってあんなことをしたのかリュードも理解している。
ツキベアグリーがいたのは運が悪かっただけでしょうがないことである。
怒ってないよ。
行動で十分それを伝えられたと思う。
リュードの優しい微笑みを見て、ルフォンの胸が高鳴った。
涙を拭われたところから熱が広がり顔が熱くなる。
何故なのか急にリュードの顔が見られなくてルフォンは顔をリュードから背けた。
「ルフォン」
「あ、う、うん、なーに?」
不自然に顔を背けたままになるけれど今のルフォンにこの状態に対処する術はない。
声を聞くだけでまた胸が大きく鼓動する。
「水を……くれないか?」
何とか絞り出した言葉。
「み、水! 水、持ってくるね!」
妙にメリハリがきいたというか、ギクシャクしたような動きでルフォンは水を取りに部屋を出ていった。
程なくして部屋に戻ってきたのはルフォンではなく医者の男性だった。
「はい、水」
水がなみなみと注がれたコップを受け取って一気に飲み干す。
体に染み渡るようで水が美味しい。
もう1杯水を入れてもらってそれも半分ほど一息に飲む。
「ぷはぁ……生き返るぅ!」
「ははっ、まだ様子見が必要だけどその分なら大丈夫そうだね」
リュードの様子を見て医者が笑う。
酒を飲んだおっさんのような、子供らしくない態度が面白かった。
「あの、ルフォンは?」
少し落ち着いてきたリュードが医者の後ろを確認してみたりしたけれどルフォンはいなかった。
水を頼んだのはルフォンになのに、どうして医者の方が来たのだろうか。
「ルフォンちゃんね……ちょっと今は君の両親でも呼びに行ってもらっているよ」
リュードの質問に答えにくそうな医者。
『なんだかね、いきなり、シューナリュード君の顔が見られなくなっちゃったの! すっごい胸がドキドキして、顔が熱くて、私、変な病気かな……』
水を取りに来たルフォンが医者に言った。
医者でなくともすぐにその病気が何なのか分かった。
病気であって病気でない。
その病気については医者は専門外であるし、何か変なアドバイスもできないと思ってルフォンを使いにやった。
水をもっていかせて2人きりにするか悩んだがルフォンに考える時間をあげたくてリュードの両親を呼びに行ってもらうことにした。
ヴェルデガーとメーリエッヒはルフォンの知らせを聞いて飛んできた。
「このバカ息子!」
言葉とは裏腹にメーリエッヒの抱擁は優しい。
怪我をしたリュードをいたわって力をぬきながらもギュッと抱きしめる。
「ごめんなさい」
気丈そうに振舞っていたメーリエッヒだったが内心心配でたまらなかった。
リュードも恥ずかしいやら申し訳なくてバツが悪いやらでどんな表情をしていいか分からない。
ヴェルデガーも叱ってやろうと思っていたけれど元気そうなリュードの姿を見てそんな気も失せた。
「無事目を覚ましてくれ良かったよ」
部屋にはお隣さん一家も来ていた。
すっかり回復したルーミオラはもう歩き回れるぐらいにもなっていたのである。
「ありがとう、シューナリュード君」
「ありがとう、話は聞いたわ」
ウォーケックとルーミオラの2人が頭を下げ、後ろに隠れていたルフォンもあわせて頭を下げた。
「そんな、頭をあげてください……」
大の大人に頭を下げられてどうしたらよいか分からない。
「いや、君は妻とルフォンの命の恩人だ。私たち人狼族は受けた恩を忘れず必ず返す。
何にか望みがあったらいつでも言ってくれ。
いつでも君の力になると誓おう」
「私と娘も同じよ」
「分かりました。ありがとうございます」
変にいいですとかいうとめんどくさそうなので素直に受け入れておく。
「まあうちの娘をお嫁さんに欲しかったら私は恩とかなしに賛成だから言ってね」
「お母さん!」
「ルーミオラ!」
ウインクしながら言ったルーミオラの言葉に反応して2人の悲鳴のような声が重なる。
ルフォンの顔は真っ赤になっていた。
「ちゃんと本人の意思は尊重するわよ」
「そういうことじゃ……」
リュードとルフォンの目が合う。
ルフォンはすぐにルーミオラの後ろに隠れてしまいリュードは首をかしげる。
「ふふっ、本人の意思次第よ」
この日以来お隣さんとの距離は縮まった。
そして心情の変化があったルフォンはリュードについて回り、外にも積極的に出るようになった。
ルフォンはリュードをリューちゃんと呼び、それに影響されるようにメーリエッヒとヴェルデガーもなぜかリューと呼ぶようになっていったのである。
お嫁さん。
その言葉はルフォンの頭の中で妙にこだましていた。
プカプカと水に浮いている感覚が続き、視界は雲の中にでも突っ込んだように真っ白く霧がかかっている。
全ての苦しみから解放されたような落ち着いた心地がしていたが突然地面に足がついて忘れていた呼吸を思い出した。
霧が晴れて気づいたら玄関に立っていた。
古めかしい和風な作りで地方のお土産のようなものが置いてあったり例えるなら古き良き実家の玄関といった感じなのだが、妙に新築のような綺麗さもある。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
「あっ……ちょっと!」
玄関の上りに割烹着を着た妙齢の美人が1人立っていた。
うやうやしく一礼すると質問を投げかける前にすぐに踵を返して家の奥へと歩いて行ってしまい、慌てて追いかける。
靴を脱ごうと足元を確認するがなぜか靴は履いていなかった。
そんなに速い速度で移動しているように見えない女性を小走りで追いかけるが、結局部屋の前で立ち止まるまで追いつくことはできなかった。
「こちらでお待ちです」
女性がふすまを開けて中に入るように促す。
促されるままに部屋の中に足を踏み入れると女性は部屋に入ってくることなくふすまが閉じられてしまった。
「待っておったぞ。ほれ、そこに座るとええ」
広くもなく、かといって狭くもない畳敷きの部屋の真ん中には濃い茶色のちゃぶ台と白いひげをたくわえた老齢の男性が座っている。
老人は自分が座っている向かい側を手で指すとニコリと微笑む。
老人が指した場所には厚めの座布団が敷いてあった。
特に敵意のような怪しい雰囲気は感じず、朗らかに笑う老人に大人しく従う。
座布団に座って改めて部屋を見回すとちゃぶ台以外に部屋には家具など飾り気はないのに物寂しい感じもなく不思議と心が落ち着く。
ただこの部屋にも目の前の老人にも見覚えはない。
しかしどうやってここに来たのか思い出そうとしてみても思い出せない。
頭の中に霧がかかったように、いつどうやってこの家に来たのか思い出せないのだ。
「まずは客人に茶でも出そう」
老人が手をたたくとちゃぶ台の上に湯呑とお茶請けのお菓子が入った器が落ちてきた。
慌てて天井を見上げるが上は穴も仕掛けもないただの天井。
湯呑は結構な勢いで落ちてきたのにも関わらず割れてもなく、中のお茶も一滴もこぼれていなかった。
お茶は湯気だっていて今入れたばかりに見えるのに一体どういうことなのか。
老人を見るとニコリと人の良さそうな笑みを浮かべているので勧められるままにお茶を口に含んでみるとほんのりとした甘みと豊かな香りが広がる。
特別舌が肥えているわけでもなく味の違いには疎いといえる方ではあったが目の前のお茶はとてもおいしいことは分かる。
「あの……」
質問しようとして口ごもる。
何から聞いていいのか分からない。
ここはどこなのか、目の前に座る老人は誰なのか、どうしてここにいるのか、どうやってここに来たのか、いくつもの質問が頭の中をグルグルと回って言葉に詰まってしまう。
「ほっほっ、それでは本題に入るとしよう」
聞きたげな雰囲気を察してくれた老人が湯呑を置く。
「いろいろ疑問に思っていることじゃろう。この状況を一言で言い表すなら、お主は死んだんじゃ」
「死ん……だ?」
「そうじゃ。覚えておらんか?」
「覚えているも何も……うっ」
いきなり自分が死んでいると言われても訳分からない。
そう思った瞬間ひどく頭が痛み、霧が晴れるように思い出した。
その日はとても寒くて道路が凍っていたためにスリップした車が女の子の方に向かっていた。
女の子を助けようとして、とっさに突き飛ばした。
車が迫ってきていた。
その後どうなったのか正確に覚えていないけれど自分は死んだのだと頭の中でストンと理解した。
受け入れがたく拒否したい事実なのに自然と納得できた。
死ぬ直前の記憶があるせいかもしれない。
死んだ事実よりもかっこよく死ねたかなとか車にひかれたけどきれいな死体でいられたかなんてくだらないことを考えていた。
死の瞬間を思い出して、揺れるお茶の水面を見つめながら感慨にふける様子を老人は優しく見つめている。
どれほどの時間ボーっとしていたのだろうか。
ふと我に返って顔を上げたが、未だに老人の持っている湯呑にはアツアツのお茶がなみなみと入っていた。
「ここは死後の世界……でもあるのじゃが正確に言えば今おるのは神の世界。お主の魂は儂が呼んだのじゃ」
「では、あなたは神様なんですか?」
「ふむ、そうじゃがそう固くならずとも良い。もっと砕けて話してくれて構わん。何ならおじいちゃんと呼んでくれてもよいのじゃぞ」
「いや……」
「ほっほっ、まあ好きに呼ぶとええ」
流石に知らない老人、しかも神様だと言う相手ををおじいちゃんと気軽に呼ぶことはできない。
神様は茶請けの器の中から透明なビニールで包装された饅頭を1つ差し出す。
それは生前好きだった近所にある和菓子屋さんの饅頭に似ていた。
饅頭から神様に視線を戻すと何を考えているか分かったかのようにそうじゃよと言って優しく微笑む。
饅頭の包装を開いて一口かじると程よい甘さが口に広がる。
甘さが控えめで何個でもパクパクといけてしまいそうな、よく食べたあの味だとすぐに分かった。
甘さが口に広がったところでお茶をすすり、また饅頭を一口食べる。
饅頭は美味しくて、お茶も熱くて美味い。
感覚は普通なのに自分はもう死んでいるのだ。
気づいたら頬を涙が伝っていた。
刺激にあふれていたわけでも何かの主役になって輝いていたわけでもないけれど人生に不満はなかったし楽しかった。
死のうなんて思ったことも子供がすねたような理由でしか考えたこともない。
生きることに特別執着したこともないがこんなことになってみて、こんなことになってしまったからこそ、まだまだ生きたかったという感情が涙となって流れ落ちる。
神様は何も言わずにジッと黙っていてくれていた。
何も言わないことがありがたくて、涙を流すごとに頭の中がスッキリとしてきて話の整理ができてきた。
ひとしきり涙を流して落ち着いてきた頃に神様はもう1個饅頭をくれた。
一口かじった饅頭はさっきの物と同じで甘いのだけど同時に少ししょっぱい感じがして、お茶で流し込んだ。
「…………どうして俺はここに呼ばれたんですか?」
「君は死んだ、そこまではよいかな?」
よくはない。
よくはないのだけれどここでそれを言っても話が堂々巡りするだけで前に進まない。
とりあえず理解はしたので静かにうなずき返す。
「ふむ……何から話せばよいのか。まあ、結論から言おう。君には異世界に渡ってもらいたくて呼んだんじゃ」
「……は?」
飲んでいたお茶を吹き出しかける。
神様の顔を見返すがふざけている様子はなく、柔らかく笑顔を浮かべていた。
悪ふざけなら困るけれど真剣でもそれはそれで困る。
「い、異世界って一体……?」
「まあ、待ちなさい。ひとまず結論から言ったのだから理解できなくても当然。まずは話を聞きなさい」
神様が手で制して話を始めた。
とてもじゃないがすぐに信じられるものではなかった。
異世界、並行世界、パラレルワールドなど呼び方は何でもいい。
人の目には見えないけれどこの世界には別の世界が存在している。
宇宙における星や銀河みたいに世界と世界は近づいたり離れたりしながらも互いに干渉することなく独立していた。
今現在地球がある世界は他のある世界とかなり近い距離にある。
その中でもある星と地球は非常に近づいていた。
奇跡的な確率なほどに。
この『ある星』が神様の言う異世界であり話の主役になる。
並行世界的な説明は簡素なもので終わった。
時間をかければいくらでも話せるが説明も難しく、終わりがないので勘弁してほしいと言われた。
「その世界はその今大いなる危機に瀕しているのじゃ」
その異世界は現在未曽有の危機にあった。
というのもその世界には魔法というものが存在していた。
魔力は人の生活に欠かせないものであり、同時に生命のエネルギーでもあった。
しかし今異世界の魔力は枯渇寸前であった。
それは異世界でおよそ400年前の話が原因だった。
魔王率いる魔人族と真人族という種族の間で大きな戦争が起きた。
戦争は簡単に終わることがなく長引き大小様々な戦闘を繰り返しながら何十年にも及んだ。
そして戦争は激しい戦いの末に勝者のない結末を迎えた。
魔力とは本来循環するものである。
食物連鎖のように魔法によって放たれた魔力は物や植物に吸収されて、それを人や魔物が摂取する。
さらにまた人や魔物が魔力を使い……とよほどのことがない限りグルグルと魔力は循環して一定に保たれていて、世界全体の魔力の総量は変わらないのである。
しかしそのよほどのことである世界を巻き込んだ戦争が長く続いてしまった。
当然魔法が中心の世界なので戦いにおいても魔法、魔力が用いられた。
激しい戦争のために吸収されるよりも早く魔力が消費された。
魔力を吸収するはずの生命も多くが命を落とし、大地も荒れ果てた。
吸収されるよりも放たれる魔力の方が非常に多かったために歴史上類を見ないほど世界の魔力は非常に濃くなって戦争は末期を迎えた。
それだけならよかったのだが異世界に起きた事件はそれだけでなかった。
その異世界とまた別の異世界がたまたま接近してしまった。
最悪のタイミングと言っていい。
魔力は濃いところから薄いところに流れる性質がある。
基本的に世界を越えることはないのだが、戦争がもたらした魔力の濃さと何百年に一度あるかないかレベルで世界同士が近づいたことで魔力が他の世界に流れ出してしまったのである。
堤防が決壊したかのように一度流れ出した魔力は止まらない。
魔力はみるみると異世界に流れていった。
その結果還元されるはずの魔力が流れてなくなってしまったのである。
戦争が終わり世界が平和になったのに、魔力は大きく減衰してしまった。
平和になって人が増え、大地が再生した。
魔力は大地や植物に還り、吸収された。
その後は人に巡って戻ってくるはずの魔力だったのだが大地や植物に吸収されたもの全てが人に還ってくるのではない。
荒れた世界が再生するために使われた魔力は大きい。
そのために魔力はそのまま自然の中でしか回らず、人に還ってくる魔力は全体の中でわずかなものとなった。
魔力が減るということは生命のエネルギーも減るということである。
生命力が自然と落ちた状態になり、人々が持つ魔力は瞬く間に激減した。
魔物などに比べて生命的なサイクルの遅い人は弱体化が早かった。
生命力が落ちた上に魔物などが増えてきて、このままいけば世界が緩やかに衰えていき最悪の場合滅亡してしまう事態にまでなっていた。
「ということが起きておるのじゃ」
「それで俺はいったいどうしたら……」
異世界の人にとっては非常に重要な話をサラリと話して神様は饅頭を食べた。
異世界の事情は理解した。
しかしそこに自分がどう関われるというのだろう。
要するに異世界に魔力が足りないという内容なのだがそんな話をされたところで異世界を救うすべなんてない。
当然魔力なんて持っていないし、仮に魔力を持っていたとして世界を救えるほどの魔力がどれほどのものなのか想像もつかない。
「お主の言いたいことは分かっておる。心配せんでもよい。お主の役割は……そうじゃのう、トラックのようなものじゃ」
「トラック、ですか?」
一体どういう例えなのか。
轢かれたことを思い出すからあまり嬉しい表現に聞こえない。
「ふむ、表現が難しくてな。ホース……もまた違うし、道になってもらうというのもまた……小難しい表現はどうでもよいか。つまり何が言いたいかというとお主を介して向こうの世界に魔力を送りたいのじゃ」
「俺がですか?」
「そうじゃ。お主が魔力を持っていくというより向こうの世界に魔力を送るための道をお主を利用して作りたい。渡り人の強靭な魂を持つからのぅ」
今度は渡り人。
また知らない言葉が飛び出してくる。
「渡り人というのは何ですか?」
「おお、すまんすまん。ついうっかりと知らぬ言葉を使ってしまったな。納得してひきうけてもらいたいからのう、なんでも答えよう。渡り人というのはな……」
渡り人はザックリいえば異世界人である。
魔力が渡れる。
ならば時として彷徨った魂が異世界に渡ることもあるのだ。
そうした魂を渡り人というらしい。
本来渡れない異世界に渡った魂は他の魂よりも頑丈なものであるようだ。
「それが渡り人なのじゃ。だからお主の丈夫な魂に協力してもらって向こうの世界との道を作ろうというのだ」
「……とりあえず話は分かりました。けれどこの世界から魔力なんて送れるんですか?」
「うむ、魔法がない世界でも魔力がないわけではないのじゃ。この世界も魔力に満ち溢れておるのじゃ」
驚きの事実。
地球に魔法はない。
しかし魔力がないということではない。
むしろ地球のある世界は魔力に満ち溢れていると神様は言う。
たまたま科学が発展した。
それぐらいの違いによって魔法という文化は花開くことなく消えて行ってしまったのである。
有り余るほどの魔力があっても使っていないのなら持っていってしまっても問題はない。
向こうの神様に泣きつかれて悩んだ末に考え出した解決策。
とはいえ勝手に魔力が流れることもなく、神様であっても膨大な力の魔力を異世界に流すのは骨が折れる。
そこで渡り人の魂を使って世界を一時的に繋げて魔力をお届けしようというのである。
こちらの世界にはある程度の魔力が有れば循環して人が弱ることもない。
「もちろんタダとは言わん」
まだ理解ができないうちに神様がさらに続ける。
「とはいっても儂に出来るのはお主にこちらの魔力のいくらかを定着させてやるぐらいじゃから詳しくはあっちの神に聞くとよい」
それは人が悪いというよりも神が悪い。
タダではないと言いながら何をしてくれるのか結局詳細には言ってくれないなんて。
「例えばどんなことしてもらえるでしょうか?」
とりあえず聞いてみる。
「それはあやつ次第じゃが…………もう一度渡ってさらに魂が強化されてしまえば一からの転生は難しいじゃろう……だから、おそらく今の記憶を保ったまま好きなように転生させてくれるはずじゃ」
すこーしだけ遠い目をして答える神様。
多分予想は大きく外れないだろうが断定もできない。
「本当ですか!」
怪しい態度だが聞こえきた言葉に思わずテンションが上がる。
転生するという言葉に期待を寄せずにはいられない。
「まあ魂の存在であるお主に出来ることといえばそれぐらいじゃからのう。どうじゃ引き受けてくれるか?」
「引き受けたら俺はどうすればいいんですか?」
ファンタジーなお話は嫌いじゃない。
こっそりとではあるけれど世界を救う見返りなのだ、転生もそれなりにワガママが通るかもしれない。
正直魔力を送ってくれとか言われても遠い話であったが見返りに転生できるとなると俄然前のめりになる。