「あ〜ん、また寝過ごしちゃったぁ〜!」
お前はまだ体の使い方が甘いなどとウォーケックの講釈が始まりそうになった時残念そうな女の子の声が聞こえてきてウォーケックの講釈はありがたいことに止まった。
慌てて出てきたのだろう、パジャマのまま腰まである長い黒髪をところどころピョンピョンと跳ねさせたままクリクリとした大きな目に涙を貯めるようにして女の子がお隣さん家の玄関に立っていた。
彼女はお隣さん家、つまりはウォーケックの娘さんであるルフォン・ディガンだ。
同時にリュードの幼馴染でもある。
リュードと同い年のルフォンは頭に黒い狼の耳が付いていてお尻からはフサフサとした真っ黒な尻尾が生えている。
慌てていたのか枕を抱えたまま耳をペタンとして残念そうな表情を浮かべるが悪いのは寝坊助なルフォンだ。
いつも鍛練の様子を見たいと言いながらも起きられずこうして拗ねたような顔をするのだ。
いやまあ可愛いんだけどねとリュードは微笑む。
それに居たところでルフォンは何をするわけでもない。
たまに早起きしたと思ったらニコニコと鍛練の様子を眺めているぐらいなものでそれの何が楽しいのだろうと疑問に思う。
「おはよう、ルフォン」
「お……おはよう」
疲れて肩で息をしている状態ではあるけれど幼馴染を無視するわけにもいかず笑顔で挨拶するとむくれ顔を枕で隠し尻尾を揺らしながらちゃんと挨拶を返してくれる。
そんな様子もすごくかわいいのだ。
ちなみに側に父親であるウォーケックもいるが空気と化している。
下手に口を出せば起こさなかったことなど怒られたりするので気配を消し、不本意でしぶしぶながらリュードが丸く収めるまで静観している。
ルフォンを手招きして呼び寄せると嬉しそうにリュードのところに来る。
横に来るとヘタって地面に座っているリュードの横にしゃがんでやや頭を寄せてくる。
正直ウォーケックの目がすごく怖いのだが慣れたもんでそれを無視してルフォンの頭を優しく撫ぜる。
尻尾はすっかり上がってパタパタと振られ、ご機嫌になったことが簡単に分かった。
気持ちよさそうに目を細めて嬉しそうに笑って頬を赤らめて笑顔を浮かべる。
「おい、獣人族同士がイチャついてるぜ」
「ほんとほんと、あんなんで恥ずかしくないのかね」
幸せな時間を邪魔する無粋な会話が聞こえてくる。
会話しているというよりはむしろリュードたちに聞かせるぐらいの意図がある声の大きさ。
リュードより多分1つか2つほど年上の男のガキが2人リュードたちを横目に近くを通り過ぎようとしていた。
悪意ある言葉が聞こえてきてルフォンは尻尾を丸めて2人の視線から外れるようにリュードの陰に隠れる。
獣人という言葉が向けられた相手はルフォン、そしてリュードにもである。
獣人族という言葉はこの場合は侮蔑的な意味をはらんでいるが相手は子供だから悪口程度の意識しかない。
ルフォンは狼の耳と尻尾、リュードは頭の前の方から後ろへと流れるように真っ黒な角が生えている。
この特徴を揶揄して獣人族と少年たちは口にしているのである。
実はリュードもルフォンも人ではない。
いや、人は人なのであるがリュードが思い描いているようないわゆる人間ではない。
この世界における人間は真人族といい人口の多くを占める種族である。
けれどこの世界に住んでいるのは真人族だけではない。
真人族以外の種族も多く存在している。
多数を占める真人族に対する種族として魔人族という概念があり、真人族以外の種族をまとめてそう言っている。
そう、リュードとルフォンは魔人族なのである。
さらにはリュードは魔人族の中でも竜人族という希少種族に転生してしまったのである。
「貴様らぁ! うちの娘を獣人とは何だ!」
「ヤベッ! 逃げるぞ!」
娘を獣人族などと馬鹿にされてウォーケックが怒りの表情をうかべた。
口の悪いガキ2人はウォーケックに怒られて逃げていく。
リュードは気にするなとルフォンの頭を撫でてやる。
最初は竜人族なんてわからなかった。
両親は普通の人と変わらない姿をしているし、竜人族だからと言って生活に特別変わったこともないからだ。
転生したリュードの意識は赤ちゃんの頃からあったのだけど、頭のツノにはある程度成長してから気がついた。
何か頭にあたっているとは赤子心に思っていたがまさかツノだとは思いもしなかった。
自分が竜人族だと気づいて騙されたなんて思ったりもしたけど今は竜人族で良かったとすら思っている。
よくよく考えれば可愛い幼馴染もいて貴族じゃないけど貧しくもなく、武芸や魔法を学べて程よい田舎でのびのび成長していける環境がある。
これはリュード自身が希望したもので希望をちゃんと叶えてもらった結果である。
希望したのは希望したのだけどこんな希望だったかは少し怪しい。
希望を出す時には酔っぱらっていたしもう何年も前のことなのでどんな希望を出したのか大体しか記憶に残っていない。
ひとまず竜人族は竜の血を引くとされていて強靭な肉体と高い魔力を持っている種族である。
魔人族があやふやな立場にあるのが多い中、今の時代において竜人族は意外と尊敬されるような種族でもある。
能力が高いというだけではなく400年前にあった真人族と魔王との戦争の時に竜人族の英雄は魔王側に立って戦った。
その誇り高い戦い方と戦後にまとめ役を担って真人族と交渉したりと真人族からも他の魔人族からも評価が高い。
今も昔も希少種族なので存在している人数も少なく、そう考えると竜人族になれたのは幸運だったかもしれない。
そして幼馴染であるルフォンも魔人族なのであるがこちらは竜人族ではなく人狼族という種族である。
こちらもまた希少種族となり竜人族よりも高い身体能力を備えていて目や鼻などの五感は竜人族よりもはるかに優れている。
竜人族や人狼族は明確に魔人族と呼ばれるが獣人族やドワーフ族などは亜人族と呼ばれることもある。
分類は様々で非常に曖昧なところもある。
しかし真人族とそれ以外の種族は明確に分けられていて、各種族に分かれている魔人族も真人族との関係では1つに結束する。
400年前の戦争も魔王率いる魔人族と真人族の戦争であったのだ。
魔人族は人の姿になれたり人の姿で暮らしていたり人と混じったような容姿をしていることもある。
要するに色々な姿をしているのだ。
竜人族も人狼族も通常は人の姿で暮らしている。
先ほどの生意気なガキもウォーケックもそうである。
ここに獣人とバカにされる理由がある。
獣人族とは大まかには獣の特徴が混ざった人の姿をしている魔人族のことを指す。
内部では細かな分類はあるけど一般に広く獣人族と呼ばれる人たちは見た目で分かることが多い。
どんな見た目かといえばルフォンのようにケモミミが生えていたりリュードのように角があったりする獣人族もいる。
対して竜人族と人狼族の人の姿は完全に人の姿をしていてそうした獣のような特徴が外見に表れない。
普通なら努力しなくても自然と人の姿になれて、角や尻尾が出ることはない。
なのでなりそこない、劣等種、獣人なんて馬鹿にするような言葉を投げかけられることもあるが実際はそうではない。
リュードもルフォンも実は先祖返りと呼ばれる希少種族の中でもさらに希少な強力な個体なのである。
リュードは転生の影響を受けてそうした個体になり、ルフォンもそんなリュードの魔力の影響を受けたのだとリュードは予想している。
もしかしたら幼馴染として生まれるために神様に何か力でも与えられたのかもしれない。
ともかくリュードとルフォンは先祖返りであって先祖返りとは祖先の血が濃い人のことを言う。
祖先の血が濃いほどに体の能力は高く、魔力なども高い傾向にある。
それに加えて先祖返りであると先祖の血が濃すぎて人の姿になっていても本来の姿の特徴が一部そのまま残ってしまうということがある。
なのでリュードには祖先と言われている竜の特徴のツノが、ルフォンにはオオカミの特徴であるミミと尻尾があるのだ。
それ以外のところは真人族、あるいは人の姿をした周りと同じで先祖返りの特徴を気にしない大人や子供も多い。
だが先祖返りの力を畏怖する大人や先祖返りをよく分かっていない子供はそれをからかってきたりもする。
これに関してはリュードはそこそこのイケメン、ルフォンは美少女という見た目上の理由から来ているものも少なからずはある。
何度も言うがルフォンは美少女である。
ガキどもが悪口を言って逃げるのは好きな子にちょっかいを出したい、見てほしいという子供にありがちな心理も働いている。
だからといって悪口が正当化されることは決してない。
「ごめんね……」
ルフォンが申し訳なさそうにうつむく。
何に対して謝っているのかはすぐに分かった。
人の姿の時に耳や角が出てしまうのは先祖返りの血が濃く魔力が上手くコントロール出来ていないことが原因であった。
リュードは小さい頃から、もっと言えば転生する前から魔法に関してちょっとだけ知識を持っていたので角を消して完全に普通の人の姿になることが出来る。
しかし一方でルフォンはまだ子供で魔力コントロールが下手くそなのでちゃんと完全な人の姿を保てず耳や尻尾が出てしまう。
当然できるのだから魔力コントロールの練習も兼ねて角を消して過ごそうとした時期もあった。
しかし幼い頃から先祖返り仲間でリュードだけ普通の人の姿で過ごそうとしていることにルフォンにズルいとひどく泣かれてしまって以来角を消すのはやめている。
角がある方が自然体なのだからこちらの方が楽であることは間違いない。
そのような経緯もあるものだからルフォンはリュードもからかわれることが自分のせいだと考えてしまっているのかもしれない。
そう暗い顔をしなくてもリュードが好き好んでやっていることだ。
ルフォンのケモミミや尻尾は可愛いし、ツノはカッコいい。
それでいいのだとリュードは思う。
所詮子供の意見などリュードには響かない。
「ルフォンは奴らの言葉が嫌だったか?」
「だって私のせいで……」
「俺とイチャついてると思われるのが嫌か?」
「えっ……?」
ルフォンの顔があっという間に真っ赤に染まる。
恥ずかしさから枕に顔をうずめて隠す。
しょんぼりしていた尻尾がゆっくりと揺れだす。
「それは……嫌じゃない」
「なら気にすることはないさ」
再び頭を撫でてやるとルフォンは嬉しそうに目を細める。
そう、気にすることはないのだ。
真人族との融和が進みだいぶ影響を受けているとはいえ、魔人族には未だ根強い魔人族のルールがある。
強いものが偉い。
強者が尊敬され、例え頭が良くてもお金を持っていても越えられない強者の壁がある。
ルフォンは先祖返りの影響を受けてかなりの力を秘めている。
仮に怒って本気で戦ったなら多少訓練しているガキとはいっても足元にも及ばず殺されるぐらいの力の差が実はある。
今はまだ相手の力もわからない馬鹿だからしょうがないかもしれないけど近い将来ルフォンとの力関係でみるとルフォンがかなり上位の存在になる。
性別が違うので直接戦うことはないと思うけれど実力の差を目の当たりにする時が来る。
馬鹿にしていたことを覚えているのか、怒っているのかを聞くこともできないまま怯えて過ごすことにもなり得る。
ルフォンがそんな陰湿な女性になるとは思えないけど可愛い子にイタズラを繰り返すようなオスは大体モテなく成長するのが魔人族というもの。
あんなことしている間に一度でも素振りした方がよほどマシである。
上手くルフォンの意識をそらすことができた。
そうこうしている間に鍛錬で乱れた息も整ってきた。
ウォーケックがリュードを見る目も怖くなってきた。
片手も腰の剣の柄にかかっている。
お腹もすいてきた。
殺される前にそろそろ家に帰ろう。
とはいっても家は隣だ。
ルフォンと手を振りあっている間に家につく。
「はぐれが入ってきたぞ!」
家に入ろうとした瞬間鐘が鳴り響いた。
はぐれとは魔物のことで群れからはぐれた魔物がたまに村に迷い込んでくることがある。
村の中心から外れたところにあるリュードたちの家。
鐘の音は近くてリュードたちの家の近くにはぐれが出てたことがすぐにわかった。
リュードが振り向くと離れたところから魔物が走ってくるのが見えた。
小さい恐竜のような二足歩行の魔物が2体。
「ルフォン!」
まだルフォンは家の中に入っていない。
リュードは走り出す。
「行かせるか!」
ウォーケックが剣を抜いて魔物に向かう。
剣が日の光を照り返して煌めく。
「しまっ……!」
1体の魔物の首を切り落とした。
けれどもう1体は何とか回避をして体を切り裂かれながらウォーケックの横を抜けてルフォンの方に向かった。
「させるかぁ!」
リュードは家の前に立てかけられた剣を取って抜きながら飛び上がった。
「らああああっ!」
真っ直ぐに剣を振り下ろす。
リュードの剣は魔物の首をスパッと切り落としてそれでも止まらず地面に突き刺さった。
ボトリと魔物の首が飛んでいって遅れて体も倒れる。
「ルフォン、大丈夫か!」
ウォーケックが飛んでくる。
「う、うん、リューちゃんが助けてくれたから」
幸い魔物がルフォンに手をかける前に倒すことができた。
「良かった……
リュード、助かったよ」
「ルフォンに手は出させませんよ」
「すまない!
魔物がこちらに逃げてしまった」
村の見回りをしていた竜人族が駆けてくる。
その姿は血に濡れていて戦いの後のように見えた。
話によると小規模の群れが村の方に来たらしい。
どこか他の魔物に追われて逃げてきたのかもしれない。
おおよその魔物は処理したけれど途中で村の方に逃げ出した個体がいてしまった。
それをリュードとウォーケックが倒したのであった。
「こちらは平気だ。
ルフォンも無事だったからな」
「悪かった……朝だったのも不幸だったな」
「人通りが少なかったからな」
普通ならもっと遅い時間で人通りが多かったら不幸だったというところであるがこの村に限っては逆になる。
人通りが多かったなら、大人が外に出ていたならルフォンが襲われるまでもなく魔物は制圧されていた。
それがこの竜人族と人狼族が住まう村なのである。
「ふぅ……今度はあんなことあったらすぐに家の中に逃げろよ?」
リュードは腕にしがみついているルフォンの頭を撫でる。
「うん……ありがとう。
カッコよかった」
リュードの返事を待つこともなくモジモジとしながら顔を赤くしてルフォンはササッと家の中に走っていってしまう。
「リュード、お前も帰るといい」
「はい」
帰るところだったのに飛んだ事件に巻き込まれた。
魔物のことは大人に任せてリュードは自分の家に帰った。
「ただいま」
「おかえり、ご飯はもうちょっとよ」
「はーい」
家に入ってみると何てことはない。
はぐれが出ることなどたまにあることで村の人はそれで焦ることもない。
この世界の日常においてただいまとかお帰りとかの挨拶はない。
ないのだけれどリュードが癖で帰るたびに言っていたらいつのまにか家族やお隣さんは言うようになっていた。
特に難しい言葉でもないし無言で帰って無言で迎えるというのもなんだか気持ちが悪いからいつか広まればいいなと思う。
入ってすぐのリビングの向こうのキッチンからちょうど料理の盛られたお皿を持ってきているところだった青い髪の美しい女性はリュードの母親のメーリエッヒである。
当然竜人族の女性であるが先祖返りではないので頭にツノはない。
「外で何かあったみたいだけど大丈夫だった?」
「うん、はぐれが来たけど大丈夫だったよ。
だから血がついてるのね?
汗を流して服を着替えてからでいいからお父さんを起こしてきてちょうだい」
「はーい」
リュードの家には風呂やシャワーの設備がある。
その仕組みは水属性と火属性の魔法が刻まれた魔石を組み合わせてお湯を出すシステム。
魔法で作られた水やお湯は魔力を与えなきゃしばらくしたら消えるし魔石に使う魔力はあまり多くないので風呂は意外に手軽に入れる。
シャワーも備え付けてあるので今はシャワーで済ませようと思う。
このお風呂はどこにでもあるわけではなく、冒険者でもあったリュードの父が特別に備え付けたものらしい。
このお風呂文化はちょっと広まりつつあるらしくて今やリュードの父はお風呂技師として少し忙しかったりする。
普段角はあっても気にならないのだが頭を洗うときは若干邪魔になるなと思いながらシャワーを浴びる。
リュードの父が顔ぞり用に置いてある小さい鏡を見る。
黒髪、黒い瞳、黒い角。
将来性を感じる美少年が鏡に映っている。
目鼻立ちは整い、幼さはまだまだ残っているがもうイケメンのオーラがある。
リュードの父も母も顔立ちはかなり良い。
リュードは端正できれいな顔立ちの母をベースにどことなく父の優しい感じを受け継いでいた。
もうちょっとキャーキャー言われても、なんて思わなくもないけれど魔人族の価値観が顔以外のところも大きいし竜人族も人狼族も美形が多い。
見た目がいいからとチヤホヤしてくれる種族でもない。
軽くシャワーで汗を流して綺麗さっぱりしたところで自室に行って着替えて2階にある父の部屋をノックして声をかける。
でも反応はない。
念のためもう一度強めにドアを叩いて声をかけてみるが当然の如く何の返事もない。
大体これで起きたことなどないので遠慮なく部屋のドアを開けて中に入る。
さほど広いわけでもない部屋は本で埋め尽くされ、その真ん中にリュードの父であるヴェルデガーが寝ている。
見れば分かるがヴェルデガーは村でも有名な本の虫であった。
期待はしないけど一応普通の起こし方も試してみる。
起こそうと一通り揺すってみたり声をかけてみたりしても反応がないのはもはや日常である。
そんな時は耳元に顔を近づけて呪文を呟くのだ。
「父さん、本が燃えてるよ」
「何! それは大変だ…………」
飛び跳ねるようにして起きたヴェルデガーは周りを見渡してすぐに状況を把握する。
「ぬぅ……リュー、シャレならない起こし方はやめてくれないか」
ヴェルデガーもそれなりにイケメンだがどうしてこうもルフォンのような美少女とオッさんのスネ顔では違うのだろうかとリュードは笑う。
母のメーリエッヒなら本当に本の一冊ぐらい燃やしかねないのだからこれぐらい許してほしいものだ。
ヴェルデガーとメーリエッヒ、それにルフォンはリュードのことをリュードのドをさらにとってリューと呼ぶ。
本当に近しいごく一部に人だけが呼ぶ呼び方である。
「また夜更かししたの?」
「ああ、この間の行商で見つけた本が思いの外面白くてな」
単に聞いただけであって諌めるつもりなど毛頭ない。
田舎の魔族の村にあって本が読めるというのもこのヴェルデガーあってのことなのだから。
強いて言えばヴェルデガーが読む本はジャンルを問わないのだけれど個人としてはもっと魔道書、魔法学の本を読みたいものだ。
当然入門書なんて買ってくるわけもなく内容が難しすぎるのだ。
何冊か読んでやっと自分なりに解釈したりヴェルデガーに教えてもらったりするのだがヴェルデガーは笑ってまだ子供には早いと真面目に取り合ってくれないこともある。
他の竜人族はといえば頭で理解して魔法を使うより感覚で覚えて使う感じで人狼族はそもそも魔力はあっても魔法は得意じゃない。
理論的に理解しようとするリュードの方が異質な感じすらあるのだ。
リュードとしても感覚的に魔法は使えるけれど理解すればより上手く魔法も使えるだろうにと思う。
それでもヴェルデガーは魔法使いとしても最高峰らしいし、リュードも他の子に比べればはるかに出来ているらしいから不満もさほど大きくはない。
「夜更かししすぎると体に良くないよ」
頑丈な体の作りの竜人族でも風邪は引くし死にもする。
ヴェルデガーは父親になる前は冒険者として無茶をしてきた。
竜人族は真人族に比べてはるかに寿命が長いけどそれでも若くないから是非とも健康的に長生きしてほしい。
「そうだな……だがこれも体には良くないぞ」
ヴェルデガーは笑いながら軽く拭いただけでまだ濡れているリュードの頭に風と火の魔法を混ぜてつくった温風を当てて乾かしてくれる。
魔力の強い魔人族はとりわけ得意な魔法属性の影響を受けるらしく父親の髪はグリーン、風の属性が得意属性らしいが得意属性以外も大なり小なり使える。
特にヴェルデガーは偉大な魔法使い(自称)なのでどの属性も一定以上使えるのだ。
わしゃわしゃと頭を撫でて髪を立てながらしっかり乾かしてくれる。
あまり時間がかかってもメーリエッヒに怒られるので乾かしてもらうのもそこそこにリビングに向かう。
テーブルには料理が並べられていて良い匂いが広がっている。
今日の鍛錬のことなんか日常のことを話しながら食事を食べて団らんの時を過ごした後は自由な時間となる。
何をして過ごすかは各々に任されているところが大きいが大人になると農業か狩猟を行う。
リュードが生まれた村は魔人族の村としては大きいが村としてのあまり規模が大きくない。
村は人狼族と竜人族がおよそ半々ぐらいの割合でいて他の種族もほんのちょっといたりもする。
村の歴史をたどると元々は竜人族の村だったのだがそこに人狼族の一団が来て当時の村長が受け入れたらしい。
竜人族も人狼族も希少種族であり、その両者集まっている村は他にはない。
周りは森で囲まれていて土地としては真人族の国の領土にあることにはなるのだが大きな都市からは離れている。
なので村はほとんど独立している形で支配を受けず、その代わりに支援もなく基本は自給自足、助け合いで過ごしている。
戦闘が得意なものは村の周りを囲む森に現れる魔物を狩って食料にしたり皮など素材を解体したり加工したりする。
戦闘が得意でないものは周りを開墾して畑を作って簡単な農業だったり薬草などの栽培も行ったりしている。
村の周りにある森は魔力が濃い。
周りに魔物が多く木々は成長が早く生命が強い。
逆に言えばそれだけの実力を備えていれば魔物という脅威を減らしながら魔物の肉(強い魔物ほど肉が美味い)や魔物の良質な素材が手に入り、開墾できれば植物は多くかつ美味しい実をつける。
そこに着目して始めた薬草栽培も薬草の質が良いらしく質素に見える村ではあるが意外と金には困っていない。
竜人族と人狼族の村がある。
生活にも困らず他からの干渉も受けない、
そんな噂を聞きつけてか各地に散らばる人狼族や竜人族も時折村に加わってくることがある。
幸いにして森は広く開墾する余裕も、また魔物も狩きれないほど沢山いる。
同胞が増えることは喜ばしい。
こうして村は規模を少しずつ大きくしながらのんびりと暮らしている。
まだ子供のリュードは特に役割を与えられていない。
ヴェルデガーは元冒険者という経歴に加えて魔法の中でも回復魔法が使えるから狩りにも連れていかれる。
本当は性格的には農業の方が割にあっているとボヤいていて特段危険がなさそうなら農業の手伝いをしている。
ただ現在はヴェルデガーが開発したお風呂が密かな村のブームになっている。
先日の村長の家にお風呂を設置して喜ばれたことがキッカケでお風呂設置の依頼が舞い込んできている。
簡単にお風呂と言ってもその製作はなかなか難しい。
ヴェルデガーが冒険者時代に見たお風呂とはほとんどが天然の温泉が湧き出る地で石で囲って露天風呂のような形になっているものでだった。
一度だけ陶器が名産の街に立ち寄ったときに陶器で出来た浴槽を見たこともあるが個人用のお風呂とは貴族が持っているとうわさに聞いたことがある程度。
ヴェルデガーが再現しようとしたのは個人用の陶器の浴槽である。
しかし陶器の作り方も知らなければそんな設備もない。
何かで、しかし自分だけしか作れないようでは後々困るかもしれないから誰にでもできるような方法を考えた。
そこで目を付けたのは周りに生えている太い木々である。
豊かな魔力で育った木々は相当太く育っているものもありヴェルデガーの思い描く浴槽の大きなにも十分。
一度やると決めたらヴェルデガーは諦めなかった。
木をくり抜くようにして浴槽を作った。
水も汲んできて火の魔法で沸かしてあっさりと完成したかに思えた。
妻であるメーリエッヒにも好評だったのだがくり抜いて浴槽の形にしただけでは水に濡れればすぐにダメになってしまった。
そこからヴェルデガーの試行錯誤の日々が始まった。
紆余曲折を経てある樹木の樹液を塗ってコーティングを施すことによってようやくお風呂として使えるようになったのだ。
それも簡単に塗るとはいったものの、塗っては乾かしてを3回も繰り返さなければいけないのである。
魔法で急激に乾かせば割れてしまうので自然乾燥するしかなく、そもそも浴槽作りも大まかな形は魔法で作れても細かい仕上げはやはり手作業。
こうして浴槽作りに泣かされるヴェルデガーを最近リュードは手伝っているのだがこちらとて慈善ではない。
ちょっとしたお小遣いもらい、作業は削り出しと細かいヤスリがけ作業の担当を強奪した。
浴槽の形に削り出すのは魔法を使い大雑把に形を整えていく作業である。
浴槽のもとになるのはリュードの身長ほどもある丸太。
「ほほい!」
水を操りザクザクと木を切って形を作っていく。
最初は上手くいかなかったけど段々とコツを掴んで削り出しだけでもそれなりに形になるようになってきた。
ザックリと丸太を切っていき大まかに浴槽の形にしていく。
ここはまだ精密でなくてもいいので遊び感覚で切っていく。
浴槽の内側は大胆かつ繊細な魔法のコントロールが必要なのでヴェルデガーが行う。
次はヤスリがけだがヤスリがけだけでなくデコボコした表面をナイフで削って綺麗に形を整えてからさらにヤスリである程度滑らかにしていくという作業になる。
こちらは意外と体全体を使う作業で体を魔力で強化しながら行う。
つまりはどちらの作業も魔力や魔法の練習となっている。
最後の工程は樹液コーティング作業となる。
これはハケでひたすら浴槽に樹液を塗っていくのだがこの樹液、乾燥して固まるまでちょっと臭いのだ。
出来るだけ均一に丁寧に塗らなきゃいけないのに臭いというのは致命的で、なおかつ魔法の練習にもならないのでこの作業は尊敬するヴェルデガーにお任せしている。
作業自体もちょっと離れたところでやってもらってる。
ちゃんと風下で。
お風呂づくりのリターンはお礼として色々我が家に食料なんかも差し入れてくれたりする人もいる。
ちょっとだけ食卓がリッチになったりするのでメーリエッヒも大喜び。
村全体の清潔度も上がりもともと少なかった病気率が下がり、農作業後の入浴を楽しみする人も増えて農作業効率も上がった。
もっと子供らしいことでもすればいいのにと自分でも思うことがある。
ただし子供らしいことなんてこの村においてはチャンバラごっこや簡単な追いかけっこぐらいなもので娯楽に関しては圧倒的に不便だった。
チャンバラごっこだって師匠にしごかれている今他の子供と遊んでもつまらないし追いかけっこも子供の中でリュードが1番早い。
唯一対抗できるのはルフォンぐらいなのだけれどなんだか知らないけどルフォンはリュードに捕まえて欲しがる。
捕まると嬉しそうにしていて、それじゃ追いかけっことは言わない。
基本はチャンバラごっこで遊び兼腕磨きが男の子供の日常で農作業を手伝ったりもう少し大きくなれば狩りにも出かける。
後は暇を持て余しているとルフォンにおままごとのような遊びに誘われる。
他の女の子もいる中おままごとに付き合わされるのは地獄のような時間だったのでもうあまりやりたくはない。
女の子は他に裁縫とか料理とか家庭的なことも遊びとして覚えていく。
強さが大事な魔族なので女の子も戦いは学んでいたりもするけど。
「父さーん、こっちは出来たよ」
「あーい……オェッ」
「リューちゃーん!」
ヴェルデガーが臭いに吐きそうになるのを見て笑ったり暇で遊びに来たルフォンに手を振り返したり、転生した後の生活はおおむね平和で充実したものであった。
特に大きな出来事もなく時は巡り12歳を迎える年になった。
誕生日こそまだ先なのだが村としては12歳となる年を迎えれば同じ年に産まれた子供たちは皆12歳扱いになる。
年齢的な扱いというより学年みたいに一纏めにされる。
一応ちゃんと誕生日はあるしお祝いも各々する。
12歳というのはこの村にとって1つ大人になったというべきか、大人と子供の間になったようなそんな年齢と言える。
第1に狩りについていくことが許されるようになる。
これは娯楽が少ない村の子供たちにとって重要なことである。
村の大事な産業であるし子供たちにとっては活動範囲が広がることにもなる。
数人で行くならを条件として村から見えるぐらいの範囲だったところを近くの川まで子供だけでいけるようぐらいになる。
狩りの一部として釣りも解禁されるからだ。
魔物の狩りこそ子供だけじゃダメだけど川遊びや釣りなんか出来るのであればそれでも十分楽しめる。
狩りを出来ることになれば大人の仕事の手伝いをしていると思える。
さらに狩りが上手い男性は女性にモテる。
女子を気にし始める年頃の男子としてこうしたところも大きいのである。
もう1つ狩りの報酬として多少のお金ももらえる。
村にいる限りは使い道は限られているがもらえるだけでもうれしいのが子供というものだ。
ほとんどの子供がお金をためておいて大人になったら村の鍛冶師に自分だけの武器を頼む。
それに全く他と没交渉でもなく行商人が来たり、出来た商品を町まで売りに行くこともある。
そうしたときに使ったり買ってきてほしいものを売りに行く人に頼むこともある。
買い物をして自分のものを持てるというのは年下の子がうらやむような大が付く変化になる。
第2に魔法教育が始まる。
今までは体作りと簡単な剣の扱い程度だったところに魔法の練習が加わる。
人狼族は魔法が苦手とはいえ、全く扱えないわけでもなく自己強化は得意でよく使ったりする。
竜人族は魔法の扱いにも長けた種族なので今までの訓練に加えて繊細な魔力トレーニングからしっかりとした魔法練習までこなして魔法を使えるようにしていく。
それでもやっぱり感覚派は意外と多い。
竜人族では魔法を上手く扱える男はそこそこモテ、魔法を上手く扱える女はモテるので女の子の方が魔法が上手かったりする。
人狼族でも竜人族の影響を受けて魔法に長けた者も出てきている。
第3に年一回開かれる力比べへの参加が出来るようになる。
力比べとはトーナメント方式一対一で戦いあって優勝者を決める村の伝統行事のことだ。
魔人族に根強く残る強い者が偉いをハッキリと分かりやすく決めるお祭りのようなものである。
村における一大行事で誰もが優勝を夢に見る。
そうは言うが12歳から15歳までは子供部門しか出られない。
流石に大人と戦うのは酷なのでそうはなっているけれども子供部門でもチャンピオンはチャンピオン。
なることができれば羨望の眼差しで見られ、男女のチャンピオンはそれぞれモテるし優勝の報酬もある。
それだけでなく子供部門のチャンピオンは大人部門へのエントリーを許される。
今まで見てきた感じ子供部門のチャンピオンは大人部門の1回戦で負けていた。
子供部門のチャンピオンでもまだまだ大人には敵わないという挫折を子供たちに与えるような役割のシステムに見えるが子供も本気で大人に挑む
大人としてももし負けたら面目もないので子供部門チャンピオンと戦うのは全力だしやりたくないらしい。
何はともあれ本能も戦いは嫌いじゃないので村中の12歳男子達は魔法に加えてそれぞれの家や友達と戦いの練習に励んでいる。
かくいうリュードも毎日のように師匠であるウォーケックと鍛錬を重ねていて、密かに12歳で初めてのチャンピオンもあるのではないかと噂されるほどになっていた。
まだ本気ではないの分かっているけどそれでも何回かに1回……十何回かに1回ぐらいは1本を取れるようにはなってきた。
相変わらずルフォンは鍛錬の様子をニコニコと眺めていたりする。
たった2年なのにルフォンの美少女度は増し体つきは段々と女性っぽくなってきていた。
母親であるルーミオラはやや控えめなので期待はできないと思っていたけれど……なぜか寒気がするリュードの背中に走った。
ルフォンは戦いの練習をしなくていいのかと思うけど、どうやら裁縫や料理の方が好きらしくどちらも上手といえる腕前になっていた。
せっかく先祖返りの力があるのにもったいないとは思わなくもない。
でも料理を振舞ってくれて美味しいと言った時のルフォンの顔を見ていればそれで良いのだと思わされてしまう。
多少ルーミオラが稽古をつけていて力比べ女子部門には出るらしいが怪我だけはしないでほしい。
一応ヴェルデガーやその他治療魔法を使える人が待機して怪我前提で戦うのが力比べなんではあるけれど戦いとなる以上事故はつきものになってしまう。
「あんた何しにきたのよ」
「何しにって見ればわかるだろ……」
力比べは強制参加ではない。
竜人族も人狼族も戦闘民族のような気質を持ち合わせているけれど生まれ持っての個人の性格というものがある。
リュードの父、ヴェルデガーが狩りよりも農業を好むように戦いに参加することを好まない村人もいる。
逆に戦いを好む者でも己の実力をわきまえている者もいる。
なので力比べは自由参加になっており村長の家でエントリーしなければならない。
リュードが村長の家の玄関横に参加エントリー用紙に名前を記入しているとあんまり会いたくなかったやつが来てしまった。
村長の家から出てきたそいつは腰に右手を当て、左手でリュードを指差して訝しむようにこちらを見ている。
名前はテユノ・ドジャウリは村長の娘で竜人族の女の子である。
やや青みがかった青い髪に美少女といえる整った顔、体つきはスレンダーだが竜人の女性の中でも力が強く魔力もかなりある。
ルフォンが可愛い感じの美少女ならテユノは綺麗な感じの美少女である。
リュードとルフォンと同い年なのだが大分しっかりした感じがしていて大人びて見える。
村長の家の前、ということはテユノの家の前でもあるので遭遇しても不思議ではない。
嫌いなわけじゃないんだけどリュードはこのテユノがやや苦手であった。
勝ち気というか強気というか、ハッキリとしたややキツイ感じの性格をしていてなぜなのかリュードに対してそれが強く出ているのである。
見た目だけはホントいいのに、胸小さいけど。
「何か今失礼なこと考えませんでしたか?」
ギッとテユノの目つきが険しくなる。
口には出していなかったはずなのに考えを読まれてしまったみたいだった。
「何も」
確かに考えてたこと失礼だろうなとは思いつつ馬鹿正直に肯定する必要もない。
変なところで勘が鋭い。
あくまでも動揺を見せないようにして短く答える。
信用ならないと目が言っているけど心の中で思ったことなのだから追及しようもない。
まあまだまだ成長途中なのだからそんなに気にすることもないはずだ。
テユノはちらりとエントリー用紙に目を落としてリュードの名前を確認する。
「まあいいわ。あなたも参加するんですか、力比べ」
「当然だろ?」
出ないこともまた適正な判断を下したとして非難されることはない。
でもそれはちゃんと実力が分かっているやつの場合で、そうではないやつが出ないとなったら臆病者扱いされることだってありえる。
リュードは実力があると周りも思っているので出なきゃ臆病者扱いされる側になるから当然出場する。
当然臆病者扱いされるのが怖いから出るのでもないけど。
「でも、その、怪我とかするかもしれないのよ?」
「するかもしれないな」
「怪我したら痛いしみんなきっと手加減なんかしないよ」
「覚悟の上だよ」
「えっと…………あんたなんかコテンパンにやられちゃえばいいのに!」
「いきなり何を……」
テユノはドアが壊れるんじゃないか心配になるほどの勢いで家の中に戻っていってしまった。
会話の中身もよく分からない。
要するに実力が足りなさそうだから辞退しろということだったのだろうかとリュードは首を傾げた。
他の子には姉御肌みたいな感じでいい子なのにどうして自分に対してあんな風になってしまうのか全然理解できない。
思い当たる節はなくても嫌われてしまっているのかもしれないと考えるとちょっとだけショックだ。
傷心気分のまま家に帰るとメーリエッヒが出迎えてくれる。
メーリエッヒも力比べに出場するからちょっと外で体を動かしていたところにリュードが帰ってきたが正しい状況である。
ヴェルデガーは当然出場せず医療班として待機組になっているのでポーションの用意をしたり治療魔法の再確認をしたりしている。
村の大人たちも村の北側にある力比べするために開かれた場所の整備や危険がないように周りの魔物を一掃したりと忙しい。
ウォーケックも力比べに出るため調整を行なっているので力比べまでの数日は自主練となっているのでリュードもメーリエッヒの邪魔にならないところで木剣を使って練習をする。
村は力比べに向けて静かに燃えていた。
ーーーーー
力比べ当日は農業組や力比べに出ない人で近くに魔物がいないか見回ったりみんなに振る舞う料理を作ったりしている。
そんな中で力比べに出場するみんなはいつもの無駄口も叩かず戦いの直前まで力を蓄えている。
メーリエッヒも気合が入っていて前日の夜ごはんと今朝の朝ごはんは力をつけるという意味でやたらと豪華だった。
村の北にある力比べ会場には大きく周りを柵で囲ってその周りに観客である村人と柵の中に出場者である村人がすでに集まっていた。
会場といっても森を切り開いて地面をならして力比べをする場所を柵で囲っているくらいなのだけど。
参加する数は男女合わせて子供20人、大人150人ほど。
結構な数が参加する。
農業専業組と参加できない子供、一部の警備要員や医療要員を除けば参加しない人の方が少ない。
今年は子供の数も多いそこら辺もちょっとした見どころになっている。
周りではすでに料理が少しずつ振舞われ、大人たちは地べたに座って酒を飲み始めている。
力比べは力を見せつける場でもあるが同時にお祭りでもある。
農業組では自分ところの農作物をチップにして賭けをしている連中もいるが今日は無礼講なので問題はない。
柵の中に並ぶ参加者たち。
全身筋肉の塊みたいな赤髪の男性が参加者たちの前に出る。
村で1番強い男、村長のヤーネル・ドジャウリである。
互いに挑発しあっていた男たちもなんてことはない会話をしていた女性たちも、柵の外で酒盛りしている連中もみな口を閉じてヤーネルを見る。
「今日は力比べの日である。……あまり長いこと話しをしてもつまらなかろう。私は私を超えてくれる者がいないか楽しみにしている」
のどに魔力を込めて話す村長の低い声はよく通りみんなの耳にしっかりと聞こえる。
不敵に笑う村長は正直怖い。立っているだけでも相当な威圧感がある。
というかもっと小さかった頃は本気で村長が怖かった。
竜人なんじゃなくて鬼人族なんじゃないかと思っているほどだった。
竜人族も割と身長が高く男性では180センチほどには平均でなるのに村長はそれより頭一つ高く2メートルほどもある。
さらにパワーは上がるのに筋肉がつきにくい不思議な細マッチョ体質の竜人の中で筋骨隆々なマッスルボディーなのだ。
本来なら村長は竜人族と人狼族交代で行うはずなんだけど圧倒的強さのために村長の地位にあり続ける剛の者でもある。
村長がひけらかすようなことはないけど村長は400年前の戦争で英雄と呼ばれる竜人の1人の子孫に当たると言われている。
直系ではないようだが血は入っているらしい。
どちらかといえばひけらかすのはテユノの方だ。
「力比べの開催を宣言する!」
全員が歓声を上げる。観客よりも参加者の多い力比べが今始まった。
まずは子供部門の女の子から始まる。
女の子は8人で同い年のルフォンとテユノも参加者になる。
何かにつけて練習をサボろうとするルフォンは期待できないのは分かりきっている。
ひっそりとだけどテユノには期待している。
15歳が1人いるから優勝は難しいだろうがくじ引きによるトーナメントの割り振りを見るとテユノは15歳の参加者と逆の山になっているので決勝までは行けるのではないかと踏んでいる。
始まった力比べでは何と刃引きした金属の武器を使って行う。
子供にはもっと安全にした方がいいんじゃないかと思うけど特にそんな声はリュード以外から聞こえてはこない。
大怪我をしかねないがそこも込みである。
直前で手加減することや怪我をしないように攻撃を受けること、あるいは敵を認めて降参できること。
これらも1つの技術や冷静な判断能力、強い心とみなされる。
緊張感もまた実力を引き出す1つの要素となる。
それでも子供は子供なので全くの手放しで戦わせるのではない。
大人部門ではいない審判が柵の中で試合を監視している。
手には鉄の棒を持っていて危険な時にはいつでも止められるようになっている。
試合はどうかといえば熱意の高さは戦う当人たちより親や近しい人たちの方がはるかに高い。
これは子供部門の特徴でもあり応援も優しい応援が飛び交っている。
ルフォンは美少女ということもあっておじさんたちの応援も意外に大きかったのだが1回戦敗退。
ナイフを使って身体能力に任せ切り込んだが甘い戦いは14歳の竜人の子にはもはや通じなかった。
冷静にナイフをさばかれてあっさりと剣を突き付けられた。
テユノは予想していた通り善戦していて12歳、14歳の子をそれぞれ下して決勝に進出した。
決勝の相手はやはり15歳の人狼族の少女であった。
16歳で大人と認められる村の中にあってギリギリ子供世代である。
当然優勝を期待されていることになり、実力も伴っている。
人狼族の少女が構えるのはナイフよりもやや長い短剣、それに対してテユノは短槍。
始めの合図がかかってもテユノは動かず槍先をわずかにユラユラと動かしながら槍先を相手から離さない。
人狼族の少女はテユノを中心に円を描くようにゆっくりと移動する。
人狼族の少女は相手が12歳のテユノとあって余裕の笑みを浮かべている。
「行くぞ!」
試合が始まっても互いが動かずにらみ合いが続く。
やがて痺れを切らした人狼族の少女がテユノに向かって一直線に走り出す。
「ハァッ!」
攻撃の先手は長物を持っているテユノ。
容赦なく突き出された槍を人狼族の少女が左に体をねじりながらかわし、テユノの側面に飛ぶように移動する。
人狼族の少女が首をめがけて短剣を突き出す。
テユノは槍の石突き側で短剣を弾き上げて防ぎ、人狼族の少女の方に体を向けながら短槍を振るう。
飛び退いて攻撃を回避したものの人狼族の少女の顔から余裕は消えている。
まだ力比べに参加できるようになったばかりの年齢なのにしっかりと攻撃に対応して反撃してきた。
すぐに勝負がつくだろうなんて考えていたのに少し相手を侮っていた自分を恥じる。
一瞬の攻防に固唾を飲んでいた会場が沸く。
リュードの予想通りテユノは意外と食い下がっているなと感心した。
今度仕掛けるのはテユノの方。短槍による素早く鋭い突き。
人狼族の少女は戻りの早いテユノの突きをかわすのにいっぱいいっぱいになっていて反撃できないでいる。
「くっ……ナメるな!」
しかしテユノの突きも変化がなく単調でかわすこと自体は出来ると人狼族の少女は耐えた。
絶え間ない連続した突きの連続に疲れたのかほんの少しだけ突きの速度が落ちたように見えたのは罠。
誘われたことに気づかぬまま無理やり自分の間合いにしようと踏み込んだ人狼族の少女の足を突きから巧みに槍さばきを変化させて払った。
まさしく足のつく瞬間だった人狼族の少女はあっけなく倒れてしまい、テユノがその隙を逃すはずもなく槍を人狼族の少女の首元に突きつけた。
「そこまで! 勝者テユノ!」
驚愕して負けを認められない人狼族の少女に代わり審判が勝敗を宣言する。
ワッと会場が盛り上がりテユノ。
思わず喜んで両手を上げてしまったテユノはあんな戦いを繰り広げたとは思えない年相応の可愛らしい女の子だった。
負けた人狼の少女は呆然としていたが悔しかったのだろう、退場する時に泣いていた。
簡単に勝てる相手ではないと思ったけれどそれでもまだ勝てる相手だとおごりがあった。
そうした慢心が人狼族の少女の油断を誘い、テユノの起死回生の策にまんまとハマってしまった。
正直な話もっと警戒していれば分かったはずだ。
無理に詰めようとしたって足払いもかわせる速度だったし転ばされた後だってどうにか距離を取ることだって出来た。
経験不足、油断が人狼族の少女にとって悪い方に働いてしまったのだ。
順当な実力ならテユノは勝てなかっただろうと戦いを見ていて思ったがどうであれ勝ったのはテユノ。
これが勝負というもの。
同い年のライバルがいなかったことも人狼族の少女にとっての不幸だったのかもしれない。
12歳で15歳を下した。
これは並々ならぬ快挙であってきっとテユノはしばらくの間持て囃されること間違いなしだ。
次に始まるのはリュードも参加する男の子の子供部門。
警戒すべきは女の子グループ同様に15歳だろう。
15歳の子供はやや多く4人。
人数は12人いるので優勝するのに4回戦う山と3回戦う山ができる。
くじ引きの結果リュードは運悪く4回組の山になった。
しかしその代わり15歳の内3人が逆側の山に固まった。
おそらく15歳の参加者は勝ち上がるだろうから優勝するにしても4人中2人、15歳を相手にすればよいことになる。
運がいいのか悪いのかどちらにしても勝てばいい。トーナメント表を前に高ぶる気持ちを抑えられなかった。
テユノの優勝の熱が冷めやらぬままリュードの戦いも始まった。
リュードの1回戦の相手は12歳の竜人族。
奇しくも同族同い年対決はリュードによる胴への一撃で瞬殺だった。
申し訳ないがリュードが見据えているのはもっと先。ここで体力を使うわけにはいかない。
2回戦は14歳の竜人族、こいつには見覚えがあった。
以前から人のことをツノありだの獣人だの馬鹿にしてくれたクソ野郎である。
「1回戦はたまたま勝ったようだが俺が相手ではそうはいかないぜ!」
リュードが12歳なので完全になめ切っている。
相変わらずムカつくことだが見てろとリュードは冷静さを保つ。
本当にたまたまだったのか証明するのは口先ではない。
剣で証明してやる。
「始め!」
女子の時と同じく近くにいる審判が試合開始の号令をかける。
「お前みたいなのはルフォンにふさわしくないんだよ、オラァ!」
開始の号令とともに一直線に駆け寄ってきて大振りの剣を真っ直ぐに振り下ろす。
そんな馬鹿みたいな攻め方当たるはずもない。
リュードに軽々とかわされてムカついたように眉をひそめた。
「おりゃりゃりゃ!」
膂力に任せて剣を振り回すもリュード余裕で回避していく。
あんまり回避ばかりではつまらないのでそろそろ反撃に出るとしよう。
リュードも相手も武器は剣。
どちらもやや大振りの剣を使っているが体格は2つ上の相手の方が体格が良いのでリュードの方が大きい剣をもっているように見える。
ただ同じほどの大きな剣を扱ってはいるが扱い方は異なっている。
基本的に竜人族の剣はガンガンと押していくタイプが多い。
熟練すると防ぐのも難しく苛烈な攻めを得意とする剣になる。
しかし相手の剣はかなり荒削りで雑もいいところ。
基礎は一応押さえて剣を振るっているが力任せな感じが拭えていない。
それに対してリュードの剣は冒険者であり人狼族でもある師匠ウォーケックから習った剣である。
竜人族の剣を剛剣というならウォーケックの剣は柔剣とでも言ったらいいのだろうか、受け流しや回避を主体として相手の隙を誘ったり疲弊させるやり方である。
もちろん竜人族の中にいるのでガンガンと押していく剣も習っているがウォーケック流のやり方を今はメインに習っている。
相手の呼吸をしっかりと読むことも大事な戦い方である。
本気のウォーケックを相手にすると攻撃は受け流したり回避され、防御も力で受けるのではなく柔らかく威力を殺すように受ける。
より未熟な子供のころは空気を相手に戦っているような印象すら持った。
力を誇示するような竜人族の戦い方とは違っていてリュードは割とウォーケックの戦い方が好きである。
もちろん力強く戦う竜人族の戦い方も嫌いではない。
回避一辺倒だったリュードも剣を使い始める。
相手の剣の軌道を変え受け流し、回避する。
同時に反撃も少しずつ加え始める。
最初はリュードの反撃も防がれていたのだけどリュードの攻撃の回転が早くなるにつれて攻撃を防げなくなっていく。
力比べは何も降参しなければ終わりというものでもない。
長い歴史の中で少しずつ変化していき、今では降参の他に4人の審判によって勝敗が判定される。
致命的な一撃をしっかりと与える、致命的な一撃になりそうな寸止め、累積で見て致命的になりそうなど4人全員が一致してどちらか紅白の札を上げれば上がった札の方が勝利になる。
リュードは白側になるがまだ札は赤も白も誰も上げていない。
それもそのはずで反撃も致命的な一撃にならないようギリギリでかわさせて軽く当てているからだ。
軽いといっても金属の剣が体に当たれば痛い。
掠れば皮膚に赤い跡が残り痛々しい。
少し意地が悪いかなと思うけどリュードも聖人君子ではない。
ここで一度たまたまではない実力差をしっかりと叩き込んでやる。
もうすでに相手には疲労の色が表れているし後一歩攻め立てればリュードが勝てるところまで来ていた。
見る人が見れは実力差は歴然としている。
しかしリュードもまだまだ見極めが甘い。
少し当てる程度にしようと思った胴への突き相手がかわしきれずに肩にしっかりヒットしてしまった。