「終わったよー」
足を無理矢理持ち上げるのは危険が伴うので無理せず塗れるところだけを塗った。
クゼナは恥ずかしさも忘れ、枕に顔を押し付けて薬が石化を治していく熱さに耐える。
「ぐっ……うぅ!」
冷たい水に足を突っ込んで冷やしたい。
薬を拭い取ってしまいたい。
そんな衝動に耐えていると足の石化が薄くなっていく。
「おおっ……すごい」
「ただやっぱりこれだけじゃ厳しいか」
進行が進んだ足の方は1回では石化が普通に戻り切らない。
塗るだけで治ればよかったのだけどそう簡単にはいかない。
「クゼナ、これから針を打つから出来るだけ動かないでくれ」
「分かった……けど私の体どうなってるの?」
「薬が効いてる。もう少しだけ我慢してくれ」
「ほ、本当!? ……じゃあ頑張る!」
リュードは薬につけておいた針を取り出す。
針といっても裁縫なんかに使うものよりもはるかに細く、打ち方を間違えなければ体に痛みもない極細の針である。
流石のリュードも緊張する。
「いくぞ、動くなよ」
ゆっくりと深呼吸してクゼナの体に針を打ち込む。
習いはしたけれど針治療というのはメジャーなやり方じゃない。
さらに人に施術したことも数えるほどしかない。
針の主な役割は少量の薬を直接体内に入れながらツボを刺激して血行を促進することにある。
針につくほんの僅かな薬の量がキモとなるのだ。
多く体内に薬を入れてしまうとそれだけでクゼナは体が持たなくなる。
ルフォンとラストが固唾を飲んで見守る中リュードは1本1本針を打っていく。
「くぅ……」
クゼナが枕を掴む手に力が入る。
針そのものは多分痛みがないのだけど、針に塗られた薬のせいで針を打たれたところがひどく熱く感じられる。
打たれるたびに熱いところが増えて、打たれたところの熱が広がっていって全身が燃えるような熱さを感じている。
歯を食いしばって耐える。
無事に治ったら食べ歩きでもするんだ。
自分の足が自由に動いて、石化していない頬を晒して外を歩くんだ。
そう自分に言い聞かせてクゼナは耐える。
耐えるクゼナの体が玉のような汗をかき始める。
けれどそれは透明無色な汗ではなく、濁った灰色をした奇妙な汗だった。
「よし針は終わりだ」
全ての針を問題なく打ち終えた。
リュードは大きく息を吐いて自分の汗を拭う。
少し時間を置いて針と薬の効果が浸透するのを待ってリュードは針を回収していく。
「2人とも拭いてあげて」
回収したところから灰色の汗を拭くようにルフォンとラストにお願いする。
汗が垂れてシーツに染み込まれて灰色のシミを作る。
クゼナの息は荒く、続々と灰色の汗が出てきて止まらない。
タオルはあっという間に灰色の汗ではびしゃびしゃになり、拭くのが追いつかないぐらいだった。
リュードは二人に拭くことは任せて針の処理をする。
他の人が薬に触れたら危ないからよく針を拭き取ってしまっておく。
クゼナは体が溶けてしまいそうな熱さを耐えに耐える。
「ねえ、これって大丈夫なの?」
「大丈夫……だと思うけど」
不安そうなラストを安心させるように断言できない。
なんせリュードも初めてだからこれが正しい反応と言い切れないのだ。
「だと思うけどって何!」
クゼナが耐えているものが熱さだとリュードは分かっていない。
痛みがあるものだと思っているので大きな違いでなくても体験したことがないのでクゼナの気持ちを理解はしきれない。
ベッドがこんなことになるなんて予想していなかった。
滝のように灰色の汗をかいてしまっているせいでベッドはいつの間にか灰色に染まってきている。
こんなことになると分かっていたならもっと別の場所でやったのにと思う。
顔からも汗が吹き出しているので枕も気づいたら灰色になっている。
体は大丈夫でも寝具は総とっかえが必要だなとリュードは灰色になったベッドシーツを見て思った。
「あとはクゼナ次第だ」
どうなるのか。
それはクゼナが耐えてみないと分からないのであった。
「ラストはね、この怖い話を聞くとおねしょしちゃって……」
「クゼナ!」
クゼナは馬車の中で気持ちよく復讐した。
裸でさせられる必要もない仰向けにさせられてタオルだけ乗せられて隠すことも許されなかった恨みは忘れていなかった。
気分は悪くないのでラストの恥ずかし話の1つぐらいはうっかりと口に出してしまうというものだ。
治療を終えたクゼナは朝まで泥のように眠った。
薬の効果が切れて短い間は朦朧としながらも後処理のために頑張っていたのだけど、体力を消耗したのか寝てしまい朝まで起きてこなかった。
灰色の汗にまみれたクゼナをルフォンとラスト、信頼のおけるメイドさんでどうにか処理した。
ベッドはちょっと無理そうだったのでクゼナは服を着せた後リュードが別の部屋のベッドに運んだ。
疑われないようにクゼナは体調を崩してベッドに粗相をしてしまったのだということにしてあった。
「お願い一緒に寝て! なんて言ってさ」
ご機嫌のクゼナであるけれどやはり一回の治療で完治させることはできなかった。
石化したところは針治療などで改善し、治療直後は完治したようにも見えた。
しかしまた時間が経つと足の一部に石化したところが戻ってしまっていた。
けれどたった一回の治療でもその変化は感じることができた。
朝早くに目が覚めたクゼナは体に起きた変化に驚いた。
体が軽かった。
石化していない部分も石になったかのように重たくて、常に気力が湧かないような状態だった。
目を開けて上半身を起き上がらせる動作だけでも大変な寝起きだったのだが、目が覚めてパッと上半身を起こすことができた。
体の気だるさに比例するように頭も上手く働かなかった。
ぼんやりとする時が多くて、寝ても覚めても変わらなかった。
それなのに頭の中もスッキリとしていた。
世界が明るく感じられ視界が開けたような気がして、朝のひんやりとした空気が心地よく感じられた。
体に感じられた変化は一番最初に感じたことではない。
まずしたのは上半身を起こして、頬を触ったことだった。
撫で回したり、力入れてみたり、つねったり。
硬い感触はなく柔らかな頬を取り戻せてクゼナは涙した。
頬の石化のせいで人と顔を合わせるのも嫌になっていた。
ガサガサとして顔の表情が動くたびに違和感があって日常の不安を煽っていのである。
そんな頬の石化がなくなっていた。
滑らかで柔らかな頬の感触しかないと喜びで涙が頬を伝い、頬に触れたままの指を伝って流れ落ちた。
ただまだ分からないと起きたばかりのクゼナは思っていた。
鼓動が速くなり、深呼吸を繰り返す。
勇気を振り絞ってクゼナは布団を一気にめくった。
そう人生は甘くない。
クゼナの足はまだ灰色のままであった。
けれど厳しいばかりでもない。
太ももの付け根まで進行していた石化は太ももの半ばまで肌色に戻っていたのだ。
そして石化している部分も灰色で固くはあるのだが石のようにガチガチではなく、多少足の曲げ伸ばしができるほどの柔らかさになっていた。
数日もすれば石化しているところは再び固くなってしまうが希望を持つには十分な状態だと言えた。
むしろ状態としては好都合だった。
足の石化は目立つし完全に隠すのは難しい。
治ってしまうと演技しようにも違和感が出てしまう。
クゼナはあえてまだ灰色の足を見せつつどうにか馬車に乗り込んで屋敷を出た。
石化した足が見えていれば、それを疑う者はまずいないだろう。
本当は治るのだと大声で叫んで回りたい。
じわりじわりと進行して体を蝕むこの病気は不治の病ではなくなったのだと自慢したいぐらいだ。
だけどもうちょっとだけ秘密のまま。
さらにその上プジャンの監視ひしめく屋敷から脱出出来た。
自由にもなったので口も軽くなってしまうのは当然の話であるのだ。
「あ、あれはまだ子供だったから! ……もう許してぇ!」
クゼナの復讐に顔を真っ赤にするラスト。
小さい頃のおねしょ話なんてされたいはずもない。
正直な話タオル2枚だけかけて仰向けにピンと寝転がる姿はリュードにも忘れがたく印象的すぎた。
クゼナが復讐するのも理解はできる。
「ふーんだ! ……まあでも、石化病は本当に良くなったし、これぐらいで許してあげる」
「あれもわざとじゃなかったんだってぇ〜」
「華やかで、賑やかで良いですな」
ポツリとヴィッツがつぶやく。
ヴィッツはいま馬車の御者をしていて、その隣にはリュードが座っている。
なので馬車の中には女性陣しかいないが声は丸聞こえだ。
一緒に乗りなよとは言われたけどまだクゼナの足も全快していないのでゆったり座れるように席を譲って御者台に座ることにした。
わいわいと女の子同士で話すのも楽しそうで席を譲ってよかったとリュードは思う。
「……昔最後に会った時のサキュルクゼナ様は領主様が大領主になられるために離れてしまう時でしたのでご病気のこともありまして、非常に暗い目をされておりました。領主様もサキュルクゼナ様もあのように笑えておりますのはリュード様のおかげでございます」
「……まあ俺のおかげなことは否定しないよ」
少なくともクゼナの病気についてはリュードがいなければならなかった。
「でもさ、俺だけのおかげではないよ」
最後まで諦めなかった。
ラストはクゼナのためにモノランを止めようとしたし、治療薬があると分かって頑張った。
クゼナもあるか分からない治療法を待って、辛酸を舐めながらプジャンの元で耐え忍んだ。
二人は諦めなかったから今がある。
あとはもうちょっとでもラストかクゼナの性格が悪かったらリュードは協力なんてしなかったかもしれない。
ひたむきさが石化病を乗り越えさせたと言っても過言でない。
「そうかもしれません。だからと言いましても、感謝しなくていいということではありません」
「そうだな……でも言われると照れちゃうだろ」
あまり謙遜しすぎても態度が悪く見えてしまう。
リュードはヴィッツが感謝していることは十分に理解した。
実際のところリュードの働きは大きい。
リュードでなければ解決し得なかった問題もあった。
素直にそうですねと言うのは恥ずかしいけど感謝する相手がそう思っているのに否定するのも違う。
謙遜もある程度でやめて受け入れておくことにした。
「若干の気掛かりもございますがそちらの方もさほど時間はかからないでしょう」
ヴィッツの気掛かりとはベギーオのことである。
ベギーオはダンジョンブレイクの一件について全く責任も取らずに姿をくらましてしまった。
いまだに捕まっていないのでその消息も不明のままである。
「もはや何かができるとは思いませんが……ベギーオ様も執念深いお方ですから」
賢ければ国外逃亡でも図っているだろうけど、リュードもベギーオの行方は気になっていた。
もうヴァンも隠してベギーオを追うことは出来なくなった。
国の指名手配として手配されて、ベギーオは大々的に探されている。
良心が少しでも残っているなら自首でもするだろうがリュードなら国から出て二度帰らない。
理性も良心も残っていなかったら何するか分からないとなった時に心配なのである。
ただし王城まで行ってしまえばラストの勝ちだ。
王城に手を出せるほどの力もベギーオには残されてないから捨て身で臨んでも凶刃がラストに届くことはほとんどないだろう。
ただやはりベギーオの消息に関する情報でもあれば安心はできるのにと思わざるを得ない。
「……今は喜びを噛み締めるのが優先だろ」
「そうでございますね」
警戒することも大事だけど喜ぶべきことは喜ぶべきなのだ。
小さな不安を心配しすぎて喜びを減じてしまうのはもったいない。
「……!」
「リュード様?」
木の影で何かが光った。
変な会話をしたせいで周りに気を張ってしまっていたリュードはそれを見逃さずに御者台から飛び上がった。
剣を抜き、放たれた矢を両断した。
「何者だ!」
襲撃。
今話していたベギーオか、もしかしたらプジャンの可能性もある。
馬車に誰かが向かってくることを警戒していたが矢を放った男はすぐさま引いてしまい、追撃してくる人もいない。
たった一人でたった一本の矢を放って逃げた。
狙いは馬車の方だったけれど運良く誰かに当たることを願って放ったにしてもあまりにもお粗末だと言わざるを得ない。
「リュード様、こちらに」
「ど、どうしたの!」
急に馬車が止まってルフォンたち三人は中でもみくちゃになっていた。
何かがあったのだと出てきた時にはもう襲撃者はいなくなっていた。
「……これはまた古風なやり方だな」
ヴィッツがリュードが切り落とした矢を拾う。
二つに切られた矢には手紙が結びつけてあった。
咄嗟に矢を切り落としたので切った時には気づかなかった。
「読まさせていただきます」
ヴィッツが矢に結びつけられた手紙を取って、内容を読み上げ始めた。
「……これは」
「どう致しましょうか?」
手紙の内容を聞いたリュードたちは一様に顔をしかめた。
「ど、どうしたらいいかな、リュード?」
ここで判断すべきはラストなのだが手紙の内容はすぐに判断を下すには難しいものだった。
「こんなウソつく必要はない。つまり本当ってことだろう。なら……」
リュードはどうすべきか自分の考えを述べた。
「この状況ではそうする他にないでしょうな」
「……面倒だけどやるしかない」
「うん、リュードのいう通り動こう」
「予定変更だ」
せっかくいい雰囲気だったのに台無しだとラストは怒っていた。
リュードたちは今馬車を飛ばしてラストの領地に来ていた。
元々レストを迎えに来るつもりだった。
けれどかなり予定を前倒しして、馬にはかなり無理をしてもらった。
そうしたのには同然理由がある。
『サキュルレストは預かった。無事に返してほしければマガミタ山に来い。ただし王や騎士団にこのことを伝えたらサキュルレストの命はないものと思え。
サキュロベギーオ』
矢に結び付けられていた手紙の内容がこれだった。
姿をくらましたベギーオからのものでレストを誘拐してラストを誘い出そうとしているものであった。
マガミタ山とはリュードも知っている山だ。
ペラフィラン、もといモノランが住んでいる山のことで山頂にモノランがいることを除けば周りに人や魔物はおらず、寄ってもこない隠れるのに最適な場所である。
どうやらベキーオはそこに隠れていてラストのことを待ち受けているようだった。
真っ直ぐにマガミタ山に向かわないでラストの領地に来たのは確かめるためである。
前触れもなく怒りの表情を浮かべて帰ってきたラストに使用人たちは驚いていた。
誘拐してないけど誘拐したと嘘でラストを誘導している可能性もある。
そのために一度屋敷に立ち寄ったのだ。
帰ってみると使用人たちはすっかり困り果ててしまっていた。
ラストは大人の試練のためにいないし、レストは数日前からいきなりいなくなって行方知れずだからだった。
処理すべき案件も溜まっているが使用人ではどうしようもない。
レストのことは探しているが誰も何も聞いてなければ行き先も知らなかった。
手紙の内容はハッタリではないとリュードたちは頭を抱えた。
「こんなやり方許せない。俺たちにも手伝わさせてくれ」
リュードはラストが何かを言う前に自分から申し出た。
近々捕まるか、逃げ切るだろうと思っていたベギーオがまさかこんなことをしでかすなんて思いもしなかった。
レストは知らない仲じゃない。
ラストの姉だし、誘拐して人を誘き出そうとするなんて卑怯なやり方に怒りが湧いてくる。
レストだって腹違いであってもベギーオの兄妹であるはずなのに、よくこんなことができるものだ。
「……うん、私からもお願い。お姉ちゃんを助けるの手伝って」
迷った時間はほんの一瞬だった。
嫌だと言っても、断ったとしてもリュードたちがこんなことを見逃すはずがない。
こんなことをしておいて話し合いで解決する気はベギーオにはないと誰でも分かる。
自分だけで解決できる問題ではない。
リュードとルフォンの手助けがあるなら心強く、ベギーオも仲間を連れてくるなとは言っていない。
「私も……」
「それはダメ」
クゼナもレストのことは友人だと思っている。
ラストほどクゼナとレストの仲は良くなくても、クゼナがラストを大事にしてくれていたことは知っているのでレストはクゼナのことを大切な友達だと思っている。
クゼナもレストを助けに行きたい。
だけどクゼナには石化病があって、まだ完治していない。
灰色の足はまた固くなり始めていて、無理をすれば折れてしまうかもしれない。
「嫌よ! 私にも手伝わさせてよ!」
「しゃあ、クゼナにはお願いしたいことがあるんだ」
「……なに?」
「私の領地をお願いできない?」
足が悪い以上クゼナが一緒に来ることはリスクであり、足手まといになってしまう。
でもクゼナにはクゼナしかできないことがあるとラストは考えていた。
レストがいなくなって数日が経って、領地の経営は滞りつつあった。
文官として処理できる仕事を処理する人はいても好き勝手に出来るものではない。
誰かがこの溜まった仕事を回していかなきゃいけない。
けれどラストはすぐにでもレストの元に向かわなきゃならず、レストは誘拐されてていない。
信頼できる身内はおらず誘拐と領地どちらも立てられない状況に見えるが、今ここにはクゼナがいる。
クゼナの実の兄であるユゼナがプジャンに領地を奪われる前はユゼナが中心となって、クゼナがその補助をしていた。
つまり領地経営の心得はクゼナにもある。
「私やお姉ちゃんの代わりに領地を任せられる人はクゼナしかいないの。だからお願い。私の領地を守ってほしい」
「…………ラスト、強くなったね」
頭を下げるラストにクゼナはうなずいて答える。
ラストは少し見ない間にすごく強い子になっていた。
力の話ではない。
クゼナが連れていけない理由をクゼナの出来ることで傷つけないように考え出した。
素直に頭を下げて最後は真っ直ぐにクゼナの目を見据えた。
昔は物静かでお人形さんみたいな子だった。
環境がそうさせたのか人と目を合わせることをしなくて、自分の意思を貫き通すことが苦手だった。
クゼナが少し強く見つめるとすぐに折れてしまうような繊細なラストはいなくなってしまった。
今はしっかりと自分の意思を伝えて、クゼナの目を見返して信頼し、そんな姿にクゼナもラストを信頼した。
自分にしかできないこと。
そんな風に言われては断ることもできない。
「分かったよ。ラストの領地は私に任せて。だけど絶対に、レストを助けてね」
クゼナも石化病が治っていたらとは思わずにはいられない。
けれども足手まといになってしまうのはクゼナとしても本望ではない。
レストとラストのピンチに自分で出て行きたいと思わずにはいられないが、側にいるだけが助けるということではない。
今はリュードやルフォン、ヴィッツがラストの側にいる。
ならばとクゼナは思う。
自分の出来ることでラストを助ける。
少しでもラストが領地のことを心配せずにレストのために全力を尽くせるように、クゼナは自分の出来ることでラストを助けようと思った。
「必ず助けて戻ってくるよ。そしたら今度こそ王城に行ってお祝いしよ」
「うん。……ラストとレストの2人を頼みます」
石化病を治す方法も見つけてくれたリュードとルフォンなら。
頼れるのはこの二人しかいないけどこの二人に頼れるならきっと大丈夫であるもクゼナも信じられた。
クゼナはリュードとルフォンの二人に深々と頭を下げた。
馬車の中でもラストは自慢げにリュードのことを話していたほどだから直接の活躍を見ていなくても力は分かっているのだ。
「任せとけ。こんな卑怯な野郎に負けはしないさ」
レストを誘拐するなんてバカな真似をしたものだ。
大人しく国から出て一生怯えて暮らしていればよかったものをとリュードは思う。
レストを取り戻してベギーオに罪を償わせる。
クゼナに領地のことを任せてリュードたちはすぐさまマガミタ山に向かって出発した。
「それにしても目的は何だろな」
クゼナも降りたし全速力で走るためにリュードも馬車の中にいた。
ラストを呼びつけたいことは分かるのだけど、その先をどうしたいのか理解に苦しむ。
問題を起こした挙句に逃げ出したのはベギーオでそれらラストのせいじゃない。
ラストに何かをしたとしてもベギーオが許されることはなく、むしろ罪は重たくなってしまう。
国内に留まれば留まるほどにベギーオのリスクは上がっていくのに最終的な目的はどこにあるのだろうか。
まさかラストを人質に王様と交渉でもする気なのかと考えてみるけどどれも無理がある話で、丸く収まりそうな答えは出てこない。
「分かんない……昔からベキーオは私のこと敵対視してたけど……ここまでのことするなんて」
「仮に成功したところでベキーオの立場なんてないのにな」
「それに正面から戦わないなんて卑怯者だね」
王様であるヴァンが特に可愛がっているラストに手を出せば残った慈悲すらなくベギーオは窮地に追い込まれることは目に見えている。
狂人の考えは理解し難い。
リュードはため息をついた。
「まあなんでもいい。俺たちは俺たちのできることをするまでだ」
ベギーオを倒してレストを助ける。
そして全てを終わらせて美味いもんをたらふく食べるのだと前向きなことを考える。
徒歩では何日もかかった道のりでも馬を使えば早い。
ずっと走り通しで馬にはかなり無理をさせることになってしまったが渓谷手前の町までかなり早く来ることができた。
そこで宿を取り、馬車と馬を預ける。
どの道山は馬車で登っていくことができないのでここで置いていき、残りは徒歩で移動することにした。
休憩もそこそこにマガミタ山に向かった。
「来いと言われたどこに行けばいいんだ?」
さて山の入り口まで来たはいいものの、そこからどうしたらいいのか分からない。
ざっくり山に来いと指定されたが麓から山頂まで山の範囲は意外と広い。
山頂にはモノランがいるので山頂まではいかなくてもどこに行けばいいのか言われていない。
「お待ちしておりました」
入り口付近には誰もいない。
とりあえずと思って少し山を登ったところにリュードたちを待ち受ける人がいた。
頬のこけた怪しい目つきをした長身の男。
どうやら血人族らしく、リュードも剣に手をかけて警戒する。
「あれはイセフよ。ベギーオの右腕ね」
ろくに話したこともないけどベギーオの腰巾着だったイセフの顔は知っている。
ベギーオよりも直接的に嫌味を言うクソ野郎だとラストは思っていて、イセフのことは嫌いだった。
兄にはお似合いの副官だとは逆に思う。
「お姉ちゃんはどこ、無事でいるの?」
「……こちらに」
「答えなさいよ!」
「落ち着け」
ラストの質問を無視してイセフは背を向けて歩き出す。
今にもイセフに襲いかかりそうなラストを止める。
イセフは道案内に来ているだけだ。
ここで後ろから襲い掛かってもレストは助けられないどころか不利になってしまう。
人質を取られている以上は慎重に動かねばならない。
ラストは強く手を握り締めてイセフの後を追う。
「どこに向かってるんだ?」
イセフは一言も口を開くことなく道を歩いていく。
以前リュードたちが通るはずだった山の中腹ぐらいのところをグルリと通って反対側にいく道だった。
道中でモノランにあって山頂まで行ってそこから下りていったから途中からは知らない道となる。
入り口側から来て4分の3ほど進んだところに山がえぐれたような平らなところがあった。
「よく来たな、我が妹よ」
「お姉ちゃん!」
「おいおい、俺は無視か?」
そしてそこにはレストに剣を突きつけるベギーオの姿があった。
「勢揃い、だな」
ベギーオだけではなく、プジャンとバロワの2人までベギーオの後ろにいた。
ラストを始めとして大領主が四人ともこの場に揃っているのだ。
「あんたお姉ちゃんに何をしたの!」
「はっ、うるさいから少し教育してやったのさ。自首しろだのこんなことやめろだの俺の耳を煩わせてくれたからな」
剣を突きつけられたレストの頬は赤く腫れ上がっていた。
話し合いで解決出来ないかと説得を試みたレストにベギーオは暴力で答えていた。
「何が目的なの!」
今すぐにでも助けたいけどレストの首に剣が迫っていて動けない。
「お前だよ」
ベギーオの目は濁っていてそれでいながら深い恨みと怒りが見える。
「俺はお前のことが昔から大嫌いなんだよ! 俺も昔は天才と呼ばれていた。王になるべく血の滲む努力をしてきた。
なのに! なんで! 先祖返りというだけで! お前が可愛がられて、俺と比較されて、俺の方が劣る扱いを受けなきゃならないんだよ!」
昔からとは言ってもラストが生まれてすぐの頃はベギーオも妹に殺意を向ける人物ではなかった。
守るべき妹だとそんな風に思っていた時期もある。
長兄だからではなく本当にベギーオも才能があって努力もするし、勉学にも勤勉で周りも未来の王様だともてはやした。
ベギーオ自身もそのことを強く意識して過ごしていた。
しかし喜ばしかったはずの妹の誕生で全てが狂い始めた。
生まれ持って背中に小さな翼を生やしたラストは先祖返りだった。
魔力があって身体的な能力に優れていた。
その上才能があって賢く、可愛らしくもあったのでヴァンにも可愛がられた。
先祖返りとして生まれただけの幼子が注目を集め、すぐに政治的なことも動き出した。
ラストは特別だとみんなが言った。
ベギーオに取り入ることに失敗した人やベギーオに気に入られなかった人はラストを王様にと担ぎ出そうとした。
先祖返りで才能があるなら自然な流れなのだけどベギーオからするとこれまで安泰に思えた王様への道がひどく揺らいで、自分の地位を脅かされることになった。
ベギーオを未来の王だと担いでいた人たちも態度が変わった。
より擦り寄ってくるか、冷たく手のひらを返すか両極端になった。
まだ将来が分からない以上は完全に突き放されることもなかったが、周りはベギーオに対してイエスマンしか居なくなった。
怒られることも咎められることもない。
けれどベギーオ本人にも手が出せないところで王位争いは加熱する。
これまで優しくて立派な王様になりなさいと言ってくれていた母親までもが変わり始めた。
「全て……お前のせいなんだ!」
優しかった母親は目が普通ではなくなり、ベギーオの肩を強く掴んで絶対王になれと何回も言った。
王にならなければならない。
いつしかベギーオの心はガチガチにがんじがらめにされてしまっていた。
「そんなこと……」
一方でラストはのほほんと暮らしていた。
末娘だったラストは特に可愛がられ、王位争いにも特に興味がなかった。
ヴィッツなどはそんな大人の醜い争いからラストのことを守ってくれていたし、レストも優しくラストのことを見守っていた。
ラストだってツラい環境にはあった。
でも周りのみんなのおかげで真っ直ぐに育つことができた。
けれどもベギーオはそんな中で歪んでしまったのだ。
王にならなければいけない思い込みが膨らみ、ラストを敵視するようになった。
敵意はやがて恨みになり、そして恨みは殺意に変わった。
ダンジョンブレイクが起きてしまって大きな失敗をしてしまった。
全てを失うような失敗をしてベギーオは考えた。
これは全部ラストのせいだ。
アイツがいなければ、アイツさえ劣れば、死ねば、生まれなければ。
黒い考えが胸の中に渦巻き、ダンジョンブレイクの失敗も全てラストの責任であるとベギーオは思い込んだ。
あるいは誰かがそんなことをベギーオに吹き込んだのかもしれない。
自分のことは棚に上げて、こんなことになった原因はラストであり、たとえこの先に何があろうともラストだけは許せないとねじ曲がった考えに支配されていた。
「待ってくれよ兄さん、こんなことをやるだなんて聞いてないよ!」
プジャンは状況をいまいち理解できていなかった。
この状況を作り出したのはベギーオであり、元々計画されていたものでもない。
プジャン自身もラストたちと同様にいきなり手紙を受けて呼び出されたのであって、ベギーオが人質をとってラストと対峙するつもりなことは知らなかった。
自分の領内でのことでもあるし慌てて駆けつけただけなのである。
「うるさい、この無能が! 誰がお膳立てをしてお前を大領主にしてやったと思っている! お前が俺のいう通りにここでラストを消していればこんなことにならずに済んだんだよ!」
「兄さんの言う通りにしただろ! でも奴らは死ななかった! ペラフィランなんて魔物はいなかったんだよ!」
ベギーオの策は途中までは上手くいっていた。
モノランがリュードたちを襲うことになった悲惨な出来事をやったのはプジャンであったのだが、そうするように仕向けたのはベギーオであった。
全ては計算の上での作戦だった。
ラストがペラフィランに殺されて、困り果てたプジャンのところにベギーオが助けを出す。
最終的にはラストを殺したペラフィランをベギーオが倒すことで実力の証明にもなるし、妹の仇を討ったといういかにもないエピソードまで得られる。
そんなことを考えていたのである。
ただその計算にリュードは存在してなかった。
たまたま雷の神様の加護を受けていたリュードがいたことであと一歩のところで計画は破綻してしまった。
ただプジャンはペラフィランなんておらず暗殺者たちはペラフィランがいなかったのでしょうがなくラストを暗殺しようとして失敗したと思っている。
ラストにはプジャンが狡猾な男にみえていた。
しかしプジャンはその実、能力の高い男ではなかった。
なのに嫉妬深く虚栄心が高くて自分に合わない地位を欲する野心家だった。
そこにベギーオは目をつけた。
実に操りやすかった。
目の前に餌をぶら下げればなんでもやるし、それを自分の手柄だと勘違いして1人で気持ち良くなっていたので楽だった。
クゼナの兄であるユゼナをクゼナの病気を利用して蹴落とさせ、プジャンを大領主の座につけた。
プジャンの地位を脅かすのはラストだと吹き込んで恨みを抱かせた。
王の器でないとわかっていたのでプジャンは最初ラストに対して大きな敵対心はなかった。
けれど煽れば自分の地位を守るために簡単にラストを敵視し始めたのである。
ベギーオは大領地を二つ手に入れたも同然だった。
ここまでお膳立てしてやった。
なのにプジャンは失敗した。
そしてペラフィランが実在していることもベキーオは把握していた。
そしてペラフィランには子供がいてそれを守ろうとしていることや手を出せば誰だろうと地の果てまで追いかけて殺すこともベギーオは知っている。
なぜ知っているのか、それは人からそう聞いたからだ。
ペラフィランを扇動させてラストを亡き者にする計画は完璧で失敗するはずなどないものだった。
けれど失敗した。
「この役立たずが!」
プジャンにさせたことは様々あったが最初で最後となる失敗。
どこで失敗したのかは知らないがプジャンのせいでとにかく最大のチャンスを逃したとベキーオは憤る。
実際のところはベギーオの作戦は成功していた。
ペラフィラン、もといモノランを扇動してラストにぶつける作戦はほとんど成功していたのだ。
ただ思うような結果にならなかった。
リュードという変数のおかげでモノランはラストを殺さなかった。
ベギーオもプジャンも知らない計画の破綻の原因はリュードだったのだ。
暗殺者たちも返り討ちにされ、モノランに関与がバレないようにしていて経過を確認することもできなかったために二人はただ失敗したとしか思っていなかった。
その失敗から全てが狂い出した。
プジャンもそこでラストが亡き者にできると思っていたので大人の試練で使えるダンジョンの名簿を工作もなくそのまんま国に提出した。
なのでラストに充てがわれたダンジョンは難易度も高くなかったのだ。
もしベギーオが関わっていたら厳しいダンジョンを攻略することになっていたかもしれないが、プジャンは一人でなんの計画も立てられなかったのである。
あっさりとラストはダンジョンをクリアしてプジャンの領地を離れてしまった。
「お前が成功していたらダンジョンブレイクが起きることもなかった! ダンジョンの難易度を上げようとしたせいであんなことになった……それはお前にも責任があるんだからな!」
どうせプジャンは自分で手を汚すことなく金で雇った奴にやらせようとしたに違いない。
そいつらが失敗してしまったのだと当時のベギーオも怒り心頭だった。
プジャンのところをうまく抜けてしまったのだが、続いてのバロワはベギーオにもコントロールできなかった。
バロワは謎の存在でラストに対して敵対心がない。
加えてベギーオたちに協力的でない。
それなのになぜなのか時々協力する姿勢はみせる。
ベギーオでもラストへの敵対心を植え付けることもできず操ることもできなかった。
協力してくる時もまるで他に目的でもあるようだった。
だからベギーオは焦った。
バロワのところはラストがクリアしてしまうだろうから自分でなんとかせねばならない。
ラストが大人の試練を乗り越えてしまうと自分が王になるための大きな障壁になる。
プジャンのように失敗した時の保険もかけていたベギーオは上手く高難度ダンジョンをぶつけることに成功した。
ただこれまでの実力を見るとダンジョンを攻略してしまう可能性がある。
ベギーオはダンジョンの難易度を上げようと画策した。
「……まさかあんなことになるとは」
ダンジョンは放置すると難易度が上がるものがほとんどである。
中にいる魔物が増えたり、強力になったりと長い時間魔物が倒されないままでいるとダンジョンの難易度は上がっていき、最終的にダンジョンブレイクを起こす。
そしてもう一つダンジョンが難しくなる要因があることをベギーオは知っていた。
実は前々からベギーオはスケルトンのダンジョンを死体の処理に利用していた。
邪魔な者を消し、ダンジョンに放り込む。
すると死体はいつの間にか消えていたからである。
しかしある時多くのものを処理したタイミングと少しダンジョンが攻略されなかった時期が重なった。
いつものようにと挑んだパーティーがデュラハンを倒しきれずに撤退してきた。
デュラハンがいつも以上に強く、スケルトンも多かったのである。
何回か攻略にも成功しているベテランパーティーの失敗の報告を受けたベギーオは冒険者ギルドと原因を調査した。
原因は分からず、より上のパーティーがなんとかデュラハンを倒すことで次からは普通の難易度に戻ったので調査は打ち切られた。
けれどベギーオだけはその原因に心当たりがあったのだ。
死体を放り込むとダンジョンの魔物が強化されるのではないか。
ボーンフィールドダンジョンに限ったことなのか、他のダンジョンでもそうなのかは不明だけど少なくともボーンフィールドダンジョンではそうだと気づいた。
大人の試練で使うので封鎖する必要もある。
何か手を加えるにもちょうどよかった。
ラストが大人の試練を乗り越えている。
過去最大となる五カ所もの試練に挑み、三つを終えた。
ラストにその意図がなくても周りはベギーオの対抗馬としてラストの存在を意識していた。
例え協力者がいても乗り越えた大人の試練は当人の実力の証明になってしまう。
何もできないと思われていたラストが大人の試練を乗り越えて周りも実力があるのではないかと思いはじめた。
ラストに傾きはじめた目障りな中立派に、ベギーオは手をかけた。
誰もいきなり暗殺されるだなんて思ってもいないので簡単だった。
あとはダンジョンに放り込んでしまえば死体の処理とダンジョン強化が同時にできる。
これを好機とばかりにベギーオは周辺を自分の都合の良い人で固めるために整理していった
不可解な失踪を遂げた人が何人も出たが、国は愚かなことにその捜索をベギーオに依頼してしまった。
「上手くいった。上手くいく、はずだった……」
ただベギーオはやりすぎたのだ。
ダンジョンは与えられる死体を受けて強化され、魔物の数を増やし、そして爆発してしまった。
ダンジョンブレイクが起きることはベギーオにとって青天の霹靂であった。
「あとちょっとだったのに……何もかも上手くいかない……。全部。全部ラスト、お前のせいだ!」
「いたっ……」
怒りで手に力が入り、レストの首に剣が触れる。
浅く首が切れて血が流れてレストが顔をしかめる。
「やめて!」
「ラスト……私はいいから」
「よくないよ!」
「美しい姉妹愛だな!」
ベギーオが手を上げると隠れていた男たちが一斉にリュードたちを取り囲む。
当然ながらベキーオは自分たちだけでなんとかしようなんて思っていなかった。
かなりキツいはずの大人の試練を乗り越えてきたラストや仲間にはそれなりの力があることは確実なのでベギーオも雇った仲間を潜ませていた。
「ほらよ」
ナイフを取り出すとラストの前に投げ落とす。
「自分で、自分を刺すんだ」
「なっ、そんなこと!」
ベキーオはとんでもないことをラストに要求した。
「うるさい!」
「キャア!」
歪んだ笑みを浮かべたベギーオにレストが抗議して頬を叩かれる。
女性に対しても容赦のない一撃。
それを見てバロワの体がピクリと揺れ顔をしかめたのをリュードは見た。
「待って! 分かった……分かったからお姉ちゃんに手を出さないで!」
ベギーオの狙いはラスト。
レストが殴られたりする必要はない。
「リューちゃん、どうするの」
ルフォンが小声でリュードに尋ねる。
どうすべきなのかリュードも迷っていた。
なんとかしたいのだけれどレストが人質に取られてしまっているし、ベギーオの部下に囲まれているので動けない。
これまでの態度を見ればベギーオはレストに手を下すことにもためらいはない。
なんのきっかけもなく行動を起こすことができない。
「おにいちゃん!」
「えっ?」
「こっちこっち」
この場にふさわしくない幼い声が聞こえてリュードは驚いた。
なんとかリアクションしないように耐えてよく声を聞いてみるとどこかで聞いたことがある声でリュードをおにいちゃんと呼んだ。
ベギーオたちにはバレないように周りを見渡して、リュードはそれに気づいた。
リュードたちの近くにある岩の影の中で黒い影の中に二つの金色の瞳が浮いていた。
「僕だよ、ルオランだよ」
それはモノランの姉の子供であるルオランであった。
山に登りはじめた時は朝だったけれど、休みなく登り続けてここに来るまでにおよそ半日かかった。
もう辺りも薄暗くなってきてしまっているので黒いルオランは影と同化していて誰も気づいていなかった。
「何してるの?」
ヒソヒソと話しかけてくるルオラン。
ルフォンにも聞こえているようで耳をピクピクと動かしている。
けれどもリュードに話しかけていることも分かっているので聞こえないふりをして周りの警戒を続けている。
「何って色々とピンチなんだ」
「モノお姉ちゃん呼んでこようか?」
「……そうだな、お願いするよ。出来るだけ派手に登場するように言ってくれ」
「分かった!」
小柄なルオランは影から影へと素早く移動する。
視線は向けられないので視界の端で見ていたがあっという間に闇に紛れて消えていって分からなくなってしまった。
周りを囲むベギーオの手下たちもルオランに気づかなかった。
「……待ってくれ!」
震える手でナイフを取ったラストは今まさに胸に自らナイフを突き立てようとしていた。
「なんだ貴様、邪魔をするな!」
「ラストが死んだらお前はどうなる」
「なんだと?」
「ラストが死んだとしてもあんたは助からないだろう。むしろラストを殺害して逃げたとなれば一生追いかけられるはずだ」
「それがどうした! ダンジョンブレイクを起こしてしまった時点でもうこの国での俺は終わりだ。全てを失ったのだ!
だから、だからラストだけは許さない……それには俺にはあの方がいる……捕まりさえしなければまた返り咲くことだって…………」
ベキーオの怒りに満ちた瞳がほんの一瞬虚ろになってリュードはそれが気になった。
「……ダンジョンブレイクの件ならまだ理由だって付けられるだろう」
ベギーオの見せた変化を疑問に思うが今はそこに触れている暇はない。
「何が言いたい?」
「ダンジョンブレイクは放っておかれても起きるものだけど稀に突発的に発生することもあるんだ。ダンジョンのことは誰にも分からない。
管理されていてもダンジョンブレイクが起こる可能性はあるんだから、なにもダンジョンブレイクをあんたが起こしてしまったと責任を取ることはないじゃないか!」
かつてダンジョンブレイクが突発的に起きてしまって街が滅んでしまった例がある。
今回については何が原因かは判明していないし、突発的なら原因も判明はしない。
一概にベギーオがダンジョンブレイクを起こしたとは言い切れないと言い訳することはできる。
「はははっ、面白いことを言うな貴様。お前のようなものが側にいたら違っていたかもしれないな。だがもう遅いのだ!
たとえそのような理由づけができたとしても今となってはただの後付けになってしまう。俺にはラストを殺すしか残された道はないのだ」
なんでそんな道しか残されていないのだ。
怒りはベギーオの目を曇らせ、破滅の道しか見えなくさせている。
「邪魔をするならこの女から先に殺す」
ベギーオはレストの髪を雑に掴んで顔を上げさせる。
「やめて! う……リュード、ごめんね」
色々と助けてくれたのに。
ようやく大人と認められたのに。
こんなことになってしまった。
大人だった期間は短かったなぁとラストは思った。
色々やりたかったこととかたくさんあったのに何もできないまま終わってしまった。
せめて痛くないようにしたい。
ためらうとその分自分が苦しむことになる。
「ラスト……ダメだ!」
「…………どうして」
「なんのつもりだ!」
もう時間稼ぎもできない。
だけどラストを殺させるわけにいかない。
リュードは咄嗟にラストが胸に突き立てようとしたナイフを掴んだ。
「リュード、どうして……!」
「馬鹿野郎、こんな終わり方、ないだろ?」
ラストの目から涙が伝い、リュードの手から血が伝う。
そしてリュード以外の誰も気づいていない。
空が黒い雲に覆われたことに。
「遅いぞ」
閃光。轟音。
地面が揺れて誰もが天変地異が起きたと錯覚する。
「私の家で何をしている!」
派手な登場と注文をつけられた。
せっかく魔力も全快したのだし雷の力を見せつけることが雷の神様の再興の一助になると学んだモノランはどデカい雷を落とした。
「ベギーオ! その人を放せ!」
「なに!」
そんな状況でいち早く動いたのはバロワであった。
剣を抜き、落雷に怯んだベギーオに切りかかった。
予想もしていなかった裏切りにベギーオは地面を転がるようにして回避した。
バロワは追撃することもなく、レストの前に立ちはだかってベギーオを睨みつける。
「レストから離れるんだ!」
「なんだと……貴様、裏切るのか!」
「……俺はお前の仲間であったことなど一度もない!」
「くそっ! プジャン、イセフ、こいつをなんとかするんだ!」
「なんとかって、ガッ……!?」
「イセフ! 何をしている!」
イセフがプジャンを殴りつけた。
歯が抜けて飛んでいき、ゴロゴロと転がっていくプジャンを見れば手加減なしの本気のパンチだったことが分かる。
「な、なんだ?」
いきなり相手が仲間割れを始めた。
バロワがベギーオを、イセフがプジャンを攻撃した。
なぜ仲間であるはずなのに裏切ったのか。
バロワはともかくイセフはベギーオの右腕のはずではないのかとリュードも困惑する。
「イセフ、お前気でも狂ったのか!」
「いいえ、私は狂ってなんかいませんよ」
「ならどうして……」
「私は私のことをイセフだと名乗ったことは一度もありませんよ」
「何を……貴様、誰だ!」
イセフがゆっくりと指先を首元に持っていく。
指を曲げ首の皮を掴むと一気に手を持ち上げた。
べろりと顔の皮がむけて中から別人の顔が現れる。
「コルトン!?」
不機嫌に見える仏頂面には見覚えがあってリュードたちは驚いた。
イセフの顔の下から現れたのはこれまで試練を見届けてくれた執政官のコルトンであった。
「なんだと!? いつから……いや、イセフはどうした!」
「あなたの副官はすでに捕らえてあります。証拠を集めるためと潜入しておりましたが……まさかこのようなことをしでかしておりましたとは。ダンジョンブレイクの件だけでなく、サキュルラスト様殺害容疑でも取り調べねばなりませんね」
「クソ……」
大丈夫、お前は未来の王で何をしても全て上手くいく。
ベギーオの頭の中に言葉が頭の中にこだましている。
王たる自分は何をしても上手くいく運命なのだ。
ラストを消して自分が王になるのだとベギーオは思っていたのに人質は失って、自分の秘密を握る副官も実は捕らえられていたと知る。
カアっと頭の中が怒りで熱くなるのをベギーオは感じていた。
「クソッ、クソッ、クソッ!」
もはや逃げ場はなかった。
どうしてペラフィランは現れただけで誰も攻撃しないのかわからない。
どうせなら全員死んでしまえばいいのにどうしてこうも上手くいかない。
ベギーオが魔人化する。
翼が服を突き破り、瞳が赤みを増す。
もう手段など選ばず、ただ怒りの矛先はラストにだけ向けられていた。
「お前は殺すんだ。そしてお前も死ねぇ!」
「あなたたちも投降しなさい! 国の裏切り者についていってもいいことなど……くっ!」
リュードたちを取り囲んだベギーオの手下たちはリュードたちに一斉に切り掛かる。
ヴィッツが投降を促そうとするけれど手下たちは一切ヴィッツの言葉を聞き入れずに剣を振り下ろしてくる。
「なんと!」
「ヴィッツさん大丈夫!?」
「ええ、助かりました」
戦うしかない。
気合も発さず無言で切りかかる手下たちに手加減はいらないとヴィッツが火をまとった剣で一人の腕を切り落とした。
しかしそれで手下は止まらず、そのまま残った腕でヴィッツに殴りかかってきた。
尋常じゃない相手の行動にヴィッツの反応が少し遅れる。
ルフォンが素早くフォローに入って手下の首を後ろからスパッと切り裂かねばヴィッツはそのまま殴られていただろう。
「チッ、戦いにくいな」
ナイフを掴んだせいで手に痛みが走り血で剣が滑る。
「あっ、えっ……」
「ラスト、戦うんだ!」
気が動転しているラストに後ろから切りかかる手下をリュードが切り捨てる。
なんだかベギーオの手下たちの様子もおかしい。
まるで自分の命が惜しくないように突撃してくる。
切られても怯まず、仲間の死にも動揺を見せない。
「モノラン、こっちを助けてくれ!」
ただこちらの雑魚ばかり相手にもしていられない。