アリアセンたち騎士団の案内で船内にあてがわれた部屋に向かう。
およそ4人1部屋で豪華とはいかなくても普通の宿の部屋ぐらいの広さはあった。
次々と部屋に案内されていく中で中々呼ばれないリュードたちは最後まで残されて3人になってしまった。
これまでは男女分かれての部屋だったのにどうするつもりかと思うとリュード、ルフォン、エミナは同じ部屋に通された。
しかもどことなく他の部屋よりも広い感じがする。
アリアセンが知り合いだからとえこ贔屓していい部屋に3人を割り当ててくれたとは思えない。
「やあ、元気にしていたかい?」
リュードが頭の中で考えていた思い当たる節がちょうど目の前に現れた。
変な気を回してくれたのはやはり王様であるドランダラスだった。
隣の部屋のドアが開いてすぐにリュードたちの部屋にドランダラスが現れたような気がするけど気のせいだろうか。
「お久しぶりですね。こんな逃げ場のない前線に来て大丈夫ですか?」
ここは海の上なのでもし大事があったらこの国は王様を失うことになる。
船を準備することや冒険者を雇うといった責任は果たしたのだからここまで来ることはない。
「大丈夫だ。私に何かあったら滞りなく息子が王位を継ぐことになっている。何より兄は自ら兵を率いてクラーケンと戦ったのだ。
私が安全な陸からぬくぬくと結果を待ってはおるまいて。それに自慢ではないが私もこの国では屈指の魔法使いだったのだよ!」
まだ元気そうなのに王位を譲る準備をしてきたとは相当な覚悟である。
けれどもガハハと笑うドランダラスから悲壮な雰囲気は感じない。
そんな準備をしてきたが全部無駄なことにしてやる、つまりはクラーケンを討伐して勝って帰るつもり満々なのである。
「君は希少な唯一の雷属性の使い手だからな。少しでも船旅の疲れを軽減するために君には最大限のもてなしをさせてもらう。当然精神的負担も軽くするために君の彼女たちも同室なのは当然だ!」
ありがたいっちゃありがたいから素直に受け入れておく。
エミナの方は彼女じゃないんですなんて一々説明するのも面倒なので笑顔で流しておく。
顔を赤くしたエミナもまんざらではない表情を浮かべていて訂正するつもりがない。
知らん冒険者と相部屋になるならルフォンとエミナと一緒の方が絶対にいい。
嫉妬される可能性もあるがまず同室なことなんてバレはしない。
ルフォンは知らない他人があまり好きではないのでちょっどよかった。
「調査によるとクラーケンの居場所はここから2、3日のところにいる。風向きがよければ2日ってところだろう」
ドランダラス直々に行程を説明してくれる。
「町から程よく離れているし戦うにもちょうどいい。その間にしっかり準備をしておいてくれ。何かあったらいつでも言ってくれたまえ」
やたらとライトな態度になったドランダラスが部屋を出ていくとやはりすぐ隣の部屋のドアが開け閉めする音が聞こえてきた。
まさかの王様のお隣の部屋だった。
王様の隣なら警備上も安全だと割り切って考える。
準備があるとアリアセンも問題を起こさずに部屋を出ていったのでベッドでくつろぐことにした。
出来る準備なんて体を休めることぐらい。
無駄に動き回って体力を使う必要もない。
「海上だとすることないな……」
大干潮の海は穏やかで波は少ない
船も大型なので安定性が高くて感じられる揺れも少しだけなので今のところちょっとしたクルーズ旅行気分だった。
ご飯も毎食時間になると運ばれてきて美味しいし言うことがなかった。
乗る前に若干心配していた船酔いも揺れが少ないためなのか、リュードを始め3人ともなかった。
風向きは順調で2日目にはクラーケンの出没地域につくだろうと言われた。
なのでそんなにのんびりとしていられもないが、だからといってやることもない。
海上の警戒は騎士がやってくれていて、冒険者はいつ声がかかってもいいように準備を怠らないぐらいしかやることがない。
「ルフォンはどうして泳ぐ練習をやめちゃったんだ?」
船の中ではすぐに手持ち無沙汰になる。
もういつクラーケンに遭遇してもおかしくないところまで来ていたので寝ることもできない。
何度目かも分からない武器の手入れをしながらふとリュードは疑問を口にした。
記憶の中のルフォンはバカにされるのが嫌だったしみんなと泳ぎたくて必死に泳ぐ練習をしていた。
それなのにパタリと泳ぐ練習をやめてしまった。
リュードにはキッカケも分からず思ってみれば不思議だと思った。
本当に水の神様に嫌われているのではないかと思うぐらいにルフォンは泳げなかった。
でもルフォンの高い身体能力を持ってすればそのうちに泳げるようになったのではないか。
リュードがルフォンに泳ぎを教えようとした時もあった。
それでも泳ぐ練習をやめてしまった理由を今更ながら気になった。
「うーんとね、それは……」
「クラーケンが出たぞー! みんな出るんだー!」
リュードの質問にルフォンが少し言いにくそうに答えようとした。
その瞬間聞こえてきた緊張感のある叫び声に3人が顔を見合わせる。
「シューナリュード君、ヤツが現れたぞ!」
いつもの王様の服とは違って魔法使いのローブを身につけたドランダラスが部屋に入ってくる。
やる気満々である。
鼻息の荒いドランダラスに連れられて甲板に出る。
もうすでに多くの騎士や冒険者が出ていて皆戦いの準備をしている。
日はまだ高く海は澄んでいる。
甲板から海を覗き込むと船の下を大きな影が通り過ぎていった。
巨大なものが海の中にいる。
「俺の爺さんを返しやがれ、この悪魔め!」
船の下を通り過ぎた巨大な黒い塊がクラーケンの影である。
大きいと思っていた巨大戦闘船と同じぐらいの大きさの影が海の中を悠然と泳いでいる。
みんながクラーケンの大きさに息を呑む。
あのサイズの魔物が暴れればそれはすなわち災害と変わりがない。
「みなの者、気を確かにせぇ!」
持っていた杖を床に打ち鳴らしドランダラスが声を上げる。
声に込められた魔力がみんなの正気を取り戻させ、吸い込まれるように海を見つめていたみんなが再び動き出す。
隣の船にまで届いたドランダラスの声。
既に辺りに充満するクラーケンの魔力に当てられたみんなの正気を自分の声に乗せた魔力で打ち消したのである。
さすが経験のある魔法使いだと自分で言っていただけはある。
こういうのを年の功というのかもしれない。
「全員事前の打ち合わせ通りに準備せよ!」
「モリを装填!」
慌ただしく騎士たちが戦闘船に取り付けられた発射台にモリを設置していく。
人の足の太さほどの太さもある大きなモリが3つの戦闘船合わせて何十本とクラーケンに向けて準備をする。
「エサで引き寄せろ!」
船の上から袋に入った撒き餌を投げる。
長いこと研究を重ねて特定したクラーケンが好むとされる魚を詰め込んだクラーケン専用の撒き餌。
撒き餌を投げ込むと暗い影が上がってきて海面近くまでやってきた。
撒き餌にクラーケンが食いついた。
「放て!」
第3騎士団団長の合図でモリが発射される。
一斉に放たれたモリは次々とクラーケンに突き刺さっていく。
あれだけ大きな図体をしているのだから多少狙いが外れても余裕でクラーケンに刺さっていた。
太い槍には太いロープが繋がっていて、痛みに悶えるクラーケンの動きで船も引っ張られる。
「ルフォン、大丈夫か?」
「う、うん!」
「魔法部隊、やれ!」
撒き餌を撒いてモリを発射する間にも魔法使いたちは魔力を高めていた。
モリが散々突き刺さったのを確認して魔法使いたちが魔法を一斉に発動させる。
「これほどの規模になると壮観だな」
空中に大きな魔法陣が展開され、暖かかったはずの気温が下がっていく。
リュードの吐き出す息が白くなり肌に寒さを感じる。
視線を下ろすと戦闘船の前の方から海の表面が凍っていき、だんだんと広がっていくのが見えた。
3隻の戦闘船それぞれから広がっていく氷は一つに合わさりあって海は大きな氷のフィールドになる。
「引けーーーー!」
この戦闘船の最大の特徴。
風の力がなくても魔力の力でプロペラを回して前後左右好きな方向に推進力を得ることができるのである。
魔法の力で3隻の戦闘船が同時に後ろに下がる。
戦闘船が下がるとモリに繋いであるロープがピンと張られる。
返しのついた太いモリは簡単に抜けることがない。
「掴まれ!」
モリが引っ張られてクラーケンの体に激痛が走り暴れ出す。
船も大きく揺れてリュードたちは落ちないように近くの手すりに掴まった。
たまらずモリを引っ張られないようにクラーケンは体を海中から出すが船が下がる速度の方が速く力強い。
そのまま引っ張られたクラーケンは魔法部隊が作った氷のフィールドの上に引きずり出された。
「全軍突撃!」
これがドランダラスの立てた作戦。
クラーケンを水中から魔法で作った氷の足場の上に引きずり出して戦おうというのだ。
巨大な戦闘船と多くの魔法使いを使った力技でクラーケンを見事に水中から引きずり出すことに成功した。
騎士や冒険者が氷の上に飛び降りてクラーケンのところに向かう。
引きずり出すのはあくまでも前哨戦に過ぎず、ここからが本当の戦いである。
「ルフォン、行けるか?」
「うん、大丈夫!」
リュードとルフォンも氷の上に降り立ってクラーケンとの戦闘に参加する。
エミナは魔法使いなので魔法部隊所属で氷の上には来ない。
マーマンは陸上に出てしまえばただの雑魚であったのだがクラーケンはそうはいかない。
モリで拘束されているし水中の時のような機動力は失ったけれどもその多足を使った攻撃は素早く手数が多く、なによりも強力であった。
それぞれが意思でも持っているかのように襲いかかってくる足のために近づくことすら困難である。
無理に近づこうとすると足の餌食になってしまう。
「イカが舐めるなよ!」
予想外の衝撃にクラーケンの動きが止まる。
みんなよりも一歩下がった後ろで魔力を高めていたリュードが魔法を放ったのである。
リュードの胴ほどもある太い雷がクラーケンに伸びていき、避雷針よろしくモリの1本に落ちた。
強い魔物というのは魔法に対する抵抗力も高い。
これだけじゃ倒すことも難しいのは分かっているので殺傷力よりも体がより痺れるような意識をして魔法を使った。
クラーケンの体に電撃が広がりビリビリとして硬直するイメージ。
事前に聞いていた通りクラーケンは雷属性の魔法に弱かった。
痛みはそれほどでもないはすなのにクラーケンは雷属性の魔法を受けると体が硬直して動きが止まってしまった。
「い、今だ!」
その隙をついてみんながワッとクラーケンに接近する。
「まずは足を狙うんだ!」
騎士と冒険者が一丸となって足を切り付ける。
「はああああっ!」
第3騎士団の副団長でもあるアリアセンも前線に立ってクラーケンの足を切り付ける。
他の冒険者や騎士よりも傷が深く、ただお飾りの副団長でない確かな実力が垣間見える。
「1本やったぞー!」
吉報舞い込む。
第4騎士団が集中的に攻撃をしていたクラーケンの足の1本が切り落とされた。
歓声が上がり、厄介な魔物も水中でなければ戦えることにみんなが希望を持つ。
この調子ならクラーケンを倒すこともそう遠い話ではないと大きく士気が上がる。
そう思ったのも束の間、体の痺れから立ち直ったクラーケンが暴れ出す。
まだスタンの時間も把握できていなかったみんなはクラーケンと近い。
「危ない!」
動き出した足の1本が第3騎士団を狙って振り下ろされた。
「副団長!」
それを見て飛び出したのはアリアセン。
盾に魔力を込めると淡い青い光を放ち、アリアセンの体にまとわれていく。
アリアセンの盾とクラーケンの足がぶつかる。
誰もがぶっ飛ばされるアリアセンを想像したがアリアセンはかなり押し返されはしたけれど足を受け切ってしまった。
ピカピカに磨かれた盾。
リュードたち以外他の誰も知らないそれはガイデンが使っていた一族に伝わる盾であった。
リュードから盾を受け取ったアリアセンの父親が盾の整備をして、アリアセンに届けていたのである。
美しく磨き上げ新品同様の輝きを取り戻したこの盾は何もただ昔から伝わってきただけではなかった。
盾に刻まれた紋様は魔法であった。
ヴェルデガーが魔石に魔法を刻んだのと同様のもので、刻まれた魔法は身体強化魔法。
この盾は実は何百年と代々に伝わる由緒ある代物で魔法が隆盛を誇っていた時代の魔法が使われている。
現代のものよりも強力なのに、現代のものよりも効率化されていて魔力消費は大きく変わらない。
ガイデンの盾は盾でありながら同時に魔道具、アーティファクトでもあるのだ。
アリアセンは盾の力も借りて根性で耐え切った。
だがクラーケンの一撃は強力だ。
例え盾で防ぎ身体能力を強化していても盾を持つ手は衝撃によってひどく痺れていた
「みんな今だ!」
攻撃を止められてクラーケンに隙が出来る。
アリアセンの声にハッとした第3騎士団がクラーケンの足に猛攻を加える。
「良くやったな、アリアセン!」
第3騎士団の団長がクラーケンの足に己の大斧を全力で振り下ろす。
狙いはアリアセンがつけた傷口。
寸分違わずアリアセンのつけた傷口に当たった大斧はクラーケンの足を両断した。
これでクラーケンはもうすでに2本もの足を失ったことになる。
クラーケンは怒りを露わにし、より強くより激しく足を振り回す。
「魔法だ、皆上にも気をつけろ!」
さらにクラーケンは魔法も使い始めた。
水の槍が上から降ってきてみんな回避を余儀なくされる。
足も魔法も当たれば致命的。
何人かがかわしきれずに槍で貫かれたり足でぶっ飛んだりする。
防戦一方を強いられる状況の中、動き出したのはリュードだった。
いつでも魔法を打てる状態を保ったまま、距離をとってクラーケンを観察した。
1回目での傷の位置や足を振り下ろすタイミングなど動きを見て、機会を待っていた。
「食らえ!」
足を振り上げた状態で魔法を打ち込んでも振り上げたまま痺れてしまう。
なので出来る限り足を振り下ろしてみんなが攻撃しやすいタイミングで魔法を使う。
同時に3本の足が振り下ろされ、そのうちの1本には深い傷が見られた。
リュードの放った雷が真っ直ぐに飛んでいき、クラーケンの足に直撃する。
またビクリとクラーケンがスタンするがリュードはそれで止まらない。
リュードは剣に魔力を通し、さらに変化させる。
薄くまとわれた魔力は途端にバチバチと音を立てて雷の属性を帯び始める。
いわゆる魔法剣という技術。
単に魔力を通して強化するだけでなく、属性変化をさせることでより強く武器を強化する技術。
「もう一丁!」
加護がなかったらなし得なかった難しい技でリュードはクラーケンの足に残された傷跡を切り付けた。
もう何回か切り付ける必要があるだろうと思っていたのに、まるでバターでも切るような感覚でクラーケンの足に刃が通っていく。
魔法剣という高等技術、それに加えて相性の良い雷属性の強化が合わさっていとも簡単にクラーケンの足を切り裂く力をリュードに与えた。
クラーケンにとっての雷属性の魔法は有効打どころか完全に弱点であった。
剣に込められた雷属性も重なってクラーケンの体がまたビクンと跳ねる。
「やあっ!」
ルフォンもその隙をついてクラーケン足を切り付ける。
リュードのように魔法剣なんてことはできないルフォンだが、ナイフに魔力をまとって強化することはやっていた。
武器に魔力をまとうこと自体は魔力を全身に巡らせて身体能力を強化するやり方の延長線上にあるようなものなのでルフォンにもできる。
ナイフなので一回一回の傷は浅くても回転が早く正確なルフォンの切り付けは同じ傷口を深くしていく。
周りの騎士や冒険者も素人ではない。
リュードがクラーケンをスタンさせることがわかったのでそのタイミングでしっかりと反撃に出ている。
けれどクラーケンもバカではなかった。
「くっ、危ない!」
足を飛んで避け、空中でクラーケンの水の槍を剣で防いだところまでは良かったのだが、これまで見せなかった第3の攻撃までリュードは防御できそうになかった。
クラーケンが口から黒い塊をリュードに向かって吐き出した。
「リューちゃん!」
自分の体が動かなくなる原因がリュードだとクラーケンは理解していた。
他に同じことをする敵はいないと確認して狙いをリュードに絞り、先に倒そうと知恵を働かせたのである。
ヤバいと思ったけれど空中ではどうすることもできなかった。
「バーナード!」
熟練した冒険者だったバーナードはクラーケンの思惑を見抜いて一瞬早く行動した。
飛び上がって手を伸ばし、リュードを突き飛ばした。
強化魔法の効果範囲が短く前線に出ていたバーナード リュードに近く、バーナードのおかげでリュードは助かった。
しかしバーナードはリュードの身代わりに黒い何かに飲まれながらぶっ飛んでいった。
「くっ、止まれ!」
次に振り下ろされた足をリュードは雷属性の魔法で弾き返す。
「バーナード!」
エリザがバーナードに駆け寄るのがリュードの視界の端に見える。
どうなったのか確認しに行きたいが、クラーケンのターゲットはリュード。
行けばバーナードも巻き添えになってしまうのでリュードはクラーケンと距離を取りつつバーナードから離れる。
幸いクラーケンの狙いは変わっておらず、バーナードに医療班が向かっていく。
戦闘船の方に弾き飛ばされたのも運がよかったかもしれない。
リュードの体感では段々とクラーケンも雷属性の痺れにも慣れてきてしまっている。
スタンから持ち直す時間が早くなってきているのだ。
2本の足と魔法が集中的にリュードに向けられ、先ほどの黒い塊が来ることも警戒してしながらリュードは回避を続ける。
意識がリュードの方に向いていることは見ている人にとってはヒヤヒヤしても戦う方としては楽であった。
時折使うリュードの雷属性の魔法によって止まる時間はほんの一瞬だったけれど、注意がリュードに向いているためにそれでも十分な隙であった。
一瞬たりとも気の抜けない回避の連続にリュードは汗だくだった。
しかしリュードの努力に応えるように1本、また1本と足が切り落とされる。
もはやクラーケンの中では苦戦の全ての原因となっているリュードに執着している。
捉えられないという苛立ちもあってクラーケンは残りの足が4本になってもリュードを執拗に狙い続けた。
2本がリュードに向けられ、冒険者たちには残る2本で攻撃している。
単調に振り回すだけの足は数が少なくなれば威力が高いだけで、最初に比べると脅威とは言えなくなっていた。
無理をしなければ足が当たることもなく、回避しながら反撃に転じる人もいた。
かなり冒険者にも疲労の色が見えてきていたけれど終わりも見えてきてもうひと頑張りだとみんな奮起している。
心なしかクラーケンも疲れているのか足の振りも遅くなったように感じられた。
リュードも他の人なら倒れていてもおかしくないぐらいの魔力を使い体力もかなり消耗していたが、バーナードの犠牲まであってここで諦めるわけにはいかなかった。
「あれは…………全員警戒せよ!」
船の上から状況を見ていたドランダラスの緊迫した声がリュードの耳にも届いた。
広く視界を持っていたドランダラスの視界の端で黒い何かが動いた気がした。
見間違いかもしれない。
しかし戦場において違和感を見間違いで片付けてはいけない。
魔力を込めて戦場に声を響き渡らせた。
「な、なんだあれ!」
クラーケンの足をかわし続けるリュードの視界の端で海水が噴き上がった。
時間も経ち、クラーケンの叩きつけを何回も受けて脆くなっていた氷の足場を突き破り何かが出てきたのだ。
一瞬クラーケンの足にも見えた。
けれどもクラーケンのものとは異質で形が違っていた。
誰もがその正体を知らない中、リュードだけがそれに見覚えがあった。
クラーケンはリュードが前世での知識で例えるならイカ。
イカをそんなに細かに観察したことがないので違いはあると思うけど大体イカで間違いない。
今出てきた足、それはイカではなかった。
「……タコ?」
こちらは例えるならタコの足だった。
「リュードさん、ルフォンさんが!」
タイミングが最悪だった。
ルフォンは足と魔法をかわすのに跳び上がっていた。
本来は足場があるはずだったのだがルフォンが着地しようとしたのはタコの足が空けた穴の上。
ルフォンの身体能力を持って多少横にズレたとしてもタコの空けた穴は大きくて着地できる足場がなかった。
「ルフォン!」
リュードとルフォンの目があった。
ゆっくりとルフォンは穴の中に落ちていく。
「邪魔だぁ!」
助けに行かなきゃいけない。
リュードは剣に魔力を込めて雷属性をまとわせると襲いかかるクラーケンの足を乱雑に切り付ける。
クラーケンの動きが止まった隙にリュードは駆け出し、ルフォンが落ちた穴に向かう。
もはやクラーケンにもスタン耐性が出来つつあり、クラーケンはすぐにリュードを追撃してきた。
「放て!」
ドランダラスの号令で魔法使いたちが一斉に魔法を放つ。
足場の再生成に備えていた魔力をクラーケンの気をそらすことに使ったのである。
弱ってきていたクラーケンは魔法をまともに食らってよろめいた。
その間にリュードは穴に飛び込んだ。
水の中に入るとその姿がハッキリとわかった。
それはリュードの知るタコの姿と非常に酷似していた。
ルフォンのこともすぐに見つけられた。
最悪としか言いようがないだ。
ただでさえ泳げないルフォンはタコの足に絡め取られていた。
この際他の人がどうとかは関係ない。
リュードは竜人化した。
服が裂ける音がするけど気にしてなんていられない。
人よりも長く息が持つ自信はあるけどルフォンはそうでないし、戦闘ができるほど息止めに自信はない。
短期決戦でルフォンを救い出す。
「ルフォンを離しやがれ!」
魔力の残量も気にしていられない。
リュードは魔法で雷を作り出した。
水中では空中よりも凄い勢いで雷属性の魔力が拡散していく。
それを膨大な魔力とコントロールで無理やり押しとどめて自分の胴よりも太い雷の槍を作り出す。
たった2本作っただけなのに魔力がゴッソリと無くなる。
手を突き出して槍を放つとリュードは槍に続くように水を掻いてルフォンに接近する。
無造作に放った槍でもデカいタコの体には当たった。
その瞬間雷がほとばしりタコに、そして水を伝いリュードにも電撃が走り抜ける。
もはや電流をコントロールする余裕もない。
すでに覚悟をしていたリュードは歯を食いしばって電気を耐える。
ルフォンも痺れてしまうだろうが、他に方法が思いつかなかった。
体痺れたことで逆に力が入ってしまったのかタコはルフォンを離さない。
タコの方はまだ雷属性に慣れていないのでスタンして動かなくなる。
リュードは竜人化で鋭くなった爪をタコの足に差し込み力いっぱいに両手を開いてタコの足を引き裂いた。
火事場の馬鹿力とでもいうのかリュードはタコの足を素手で切断してみせた。
ルフォンを捕らえているのが足先だったから引きちぎって助けられた。
ただちぎられたタコの足も吸盤が張り付いてルフォンから離れない。
ひとまずちぎれた足ごとルフォンを抱きかかえて水面に向かう。
動いているためか息が苦しくなってきた。
時間がない。
けれどそうしている間にタコもスタンから立ち直ってリュードを睨みつける。
せっかく捕らえた獲物を逃すわけには行かない。
タコの足が迫ってくることを感じる。
「お前如きにルフォンをくれてやると思うなよ! 天雷竜撃!」
残りの魔力も多くないことは分かっている。
だから小さい魔法を連発して逃げるのではなく一発の大きな魔法でどうにか撃退せねばならない。
リュードが持ちうる魔力のほとんどを注ぎ込んだ魔法は雷の龍を成してタコに襲いかかる。
迫り来る足に噛みつき絡み合い、電撃が眩い光を放つ。
痺れながらもリュードは手足を動かした。
もう酸素も魔力もない。
最後の力を振り絞って水の中から飛び出したリュード。
タコの足がクッションの役割を果たしてくれて氷の足場に激突することは避けられた。
もはや魔力も尽きて竜人化した姿を保つことも出来なくなっていた。
「リュードさん、ルフォンさん!」
エミナとアリアセンが駆け寄ってくる。
リュードが水中で戦っている間に氷の上ではクラーケンは討伐されていた。
「ルフォンを頼む」
まだタコの気配は水中にある。
なんとかしなきゃみんなに戦う力は残っていない。
リュードは念のためにと持ってきていた防水の袋を開けてその中にあるマジックボックスの袋に手を突っ込む。
黒い塊をいくつか取り出すと握りしめてほぐして穴に投げ込む。
村長印の魔物よけである。
魔物よけが水に投げ込んでも効果があるのかリュードは知らないけれど一縷の望みをかけて水に投げ込んだ。
慌てたように水中の中を黒い影が移動して離れていく。
どうやら成功したみたいでタコが臭いを嫌がって逃げていった。
「りゅ、リュードさん、ルフォンさんが息をしていません!」
エミナの悲痛な叫び。
一瞬目の前が暗くなった思いがした。
フラつく体でルフォンの元に駆け寄る。
ルフォンの口に手を当ててみても息をしていない。
胸に耳を当てると心臓も止まっていた。
「ルフォンさぁん……」
エミナが泣き出す。
周りが状況察して重たい空気が流れ始めた。
リュードも頭を殴られたような強い衝撃を受ける。
「ルフォン……ダメだ!」
しかしリュードは諦めなかった。
ルフォンの頭を下げて顎を上げる。
ゆっくりと息を吸い込むとリュードはルフォンの口に自分の口を重ねた。
胸が膨らむのを確認するとすぐさま胸に手を当ててリズム良く押し始める。
前世で習ったことがある心肺蘇生法。
この世界ではこんな方法取りはしない。
回復魔法が効かなきゃそれで終わり、死亡宣告がなされる。
だけど希望を失ってはいけない。
諦めるには早すぎるとリュードは知っている。
「そんなの……認めない!」
息を吹き込み、心臓マッサージを繰り返す。
反応のないルフォンに視界が段々とぼやけ出してくる。
「頼む…………頼む、ルフォン!」
「……ゲホッ」
リュードの思いが通じた。
ルフォンの心臓が再び動き出し、海水を吐き出した。
横にして背中をさすってやると大量の海水がルフォンの口から出てきて、激しく咳き込んだ後ようやく自分で呼吸が出来るようになった。
「ルフォン!」
「リュー……ちゃん?」
今すぐに抱きしめたいような衝動に駆られるがここは我慢してルフォンの手を取る。
待機していた医療班の魔法使いが奇跡だと言いながらルフォンに回復魔法をかける。
「そうだ……ここにいるぞ」
「泣いてるの……?」
気づけばリュードは涙を流していた。
答える代わりにリュードは強く握りしめた手を自分の額に当てる。
「私ね、分かってた……リューちゃんが来てくれるって」
「絶対に、何度だって助けに行くさ。でも少しは泳げるようになってくれると嬉しいかな」
「ううん、私はこれでいいの」
「そうか、とりあえず今はあまり話さないで休んでくれ」
「リュー……ちゃん!」
「起き上がらないでください! 私たちが診ますので」
ルフォンに微笑みかけたリュードはルフォンの隣に倒れてしまった。
魔力を使い果たし体力も限界を迎えていた。
ルフォンとリュードは戦闘船の中に運び込まれて治療が行われた。
特にリュードは今回の戦いのMVPと言っても過言ではない働きをした英雄で戦いに参加した皆が心配した。
タコの魔物はリュードの魔物よけによってどこかに逃げてしまった。
皆疲労していてこれ以上の戦闘は無理だと判断したドランダラスは一応目的であったクラーケンの討伐で作戦の成功とした。
帰ってきた騎士や冒険者たちを町の人は盛大に迎え入れてくれた。
魔物は脅威でありながら食料や素材ともなり得てクラーケンも例外ではない。
解体されて持ち帰られたクラーケンは町でさらに細かく解体されて宴のメイン食材となった。
誰もがクラーケン討伐を祝い、まだ続く大干潮のことを一時忘れた。
そんな喧騒の中、生死を彷徨ったルフォンも後遺症もなく回復を見せ、運ばれてきたクラーケンを堪能した。
恐れていた生クラーケンもせっかくだしと口にして意外と悪くないことも理解した。
あのタコがなんだったのか誰にも分からず、アレはクラーケンの亜種あるいはあのクラーケンのつがいなのではないかと予想がされた。
ルフォンにくっついてきた足以外に残されたものはなく、それも食べてみるとリュードにとってはタコだった。
謎のクラーケン亜種とされた魔物は消えてしまい、その後の調査でも痕跡すら探し出せなかった。
この事は討伐に参加した皆が口を紡ぎ、ただクラーケンの討伐を喜んで記憶の片隅へと封印した。
ドランダラスも表面上は喜びながらあのクラーケンと次に対峙する時までに準備をしておかなかればいけないと考えていた。
クラーケン討伐成功。
この事実だけを残してタコは深海に消えてしまったのであった。
ルフォンは下唇を噛んで泣くのを堪えた。
みんながこっくーこっくーと自分のことを馬鹿にしてくるのが悔しくて、少しも泳ぐことのできない自分が無性に腹立たしくて。
もう泣かないと決めたので泣きたくなかったけれど、そんな決意とは裏腹に堪えても涙が出てきてしまう。
諦めたくて、投げ出したくて、それでも諦められなくて。
涙を隠すようにルフォンは顔を水につけた。
こんなこともっと幼い、水が苦手な子供がやることなのだけれど少しずつ段階を上げていこうという話になった。
水が嫌いなわけじゃなくてただただ浮かないだけ。
浮かないというか本当に石か何かのようにあっという間に沈んでいってしまうのである。
どうしてこんな体質なのか一切理由がわからない。
村では12歳になると川まで行けるようになるので遊ぶことができるのだがちゃんと川遊びするのにもルールがあった。
深いところに入らないとか必ず何人かで行動することとか、安全に遊ぶためのルールである。
その中の大前提のルールとして、最低限泳げることがある。
体力作り、体作りにもなるのである意味で鍛錬の一環も兼ねながら12歳になると大人が泳ぎを教えてくれる。
プール授業みたいなもので危なくないように大人が川の浅いところを簡単に区切ってそこで12歳になった子たちが泳ぎを練習する。
真水の川ではなかなか泳ぐのも楽ではなく最低限泳げないと川で遊ぶのも危険であると考えられていた。
しかしそこは魔人族きっての希少種族の子供たち。
難なく泳ぎをマスターしてスイスイと泳ぐ中で逆の意味で頭角をあらわしたのがルフォンだった。
一切泳げない。
大人が手を引いてあげているとまだ良いのだが離すとそのままゆっくりと川底に沈んでいってしまう。
体の力を抜くとか単純に水に浮くだけのようなこともルフォンには難しかった。
まさしく黒重鉄で体ができているのではないかなんて思えるほどだった。
子供の口にするあだ名は時に残酷だ。
きっと考えたのは他の、もっと上の世代の大人が子供の時に誰かが言い出したものがなぜか伝わっていた。
水に浮かない黒重鉄。
それを言いやすく“こっくー“とカナヅチのことをみな呼んでいた。
こっくーなんて可愛らしく言い出したのは最近の子たちかもしれない。
響きは可愛くても言われた本人はとても嫌だった。
そもそもルフォンは水着も嫌だった。
水着と言うが可愛げのあるものではなく、村での水着はいわゆる競泳水着のようなピチッとしたものを水着としていた。
名前も水着じゃなくて水衣とかそんな呼び方であった。
成長期にあって体の作りが変化しつつあるルフォン、というか女の子たちにとって体のラインが出る水衣はとても不評だった。
なんやかんやでみんなが川遊びが許可されていくのにルフォンだけは一向に泳げる気配すらなかった。
見かねたウォーケックがルフォンに付きっきりで教えていたのだけれど上達しない原因も分からなかった。
いつまで経っても初心者ゾーンから抜け出せないルフォンを誰かが軽い気持ちでこっくーと言い出した。
ルフォンがそれを鼻にかけたことなんて一度もなかったが、やはり先祖返りという体質はどうしても奇異の目で見られるためにからかいの対象になってしまった。
リュードが止めたりもしてたが、人の口を塞いで回ることもできない。
「ごめんね、リューちゃん……」
初心者ゾーンのある川の横で朝から泳ぐ練習をしていたルフォンとリュードは休憩していた。
ウォーケックも練習に付き合ってくれていたけれどいつも付き合えるわけじゃない。
全くルフォンが泳げない事は皆分かっていたので1人での練習は許可できなかった。
そこでリュードが大人に頼み込んで自分が責任を持って面倒を見ると約束して練習に付き合った。
川遊びは絶対じゃない。
泳げないなら諦めて川に近づかないでもいいのにルフォンが泳ぎを頑張る理由はリュードがいるからである。
やはり川遊びの人気は高く、暑い季節になるとみんな川に行きたがる。
当然リュードも誘われれば行くこともあるのだけど、リュードに引っ付いて回っていたルフォンは泳げないので川に行く事は許されなかった。
リュードの側にいたいという思いや水着姿のリュードをもっと見たいなんて下心があったりなかったりして、ルフォンは泳ぎの練習を頑張っていた。
もちろん1人だけ泳げないのが悔しかったりこっくーと馬鹿にされるのが嫌だっていう思いもあった。
リュードも根気強くルフォンの泳ぎの練習に付き合っているのだけど上手くならない。
何か呪いでもかけられているのではないかと疑えるほどに泳げないのである。
本当ならもっとちゃんとしたところでリュードも遊んでいたはず。
自分が泳げないせいでリュードを付き合わせてしまっている。
申し訳ない気持ちでルフォンはいっぱいになった。
泳げない自分に幻滅しただろうか。
散々付き合わせて上達の気配も見えない自分を嫌いになっただろうか。
何もかもが上手くいかなくてルフォンは自己嫌悪に陥っていた。
「んーにゃ、謝る事じゃないよ」
日がポカポカとして暖かい。
好きでやってることだからそんなに落ち込んだ顔をしないでほしいとリュードは思った。
こっくーこっくーとルフォンのことを馬鹿にするアホどもの顔が頭に浮かんできてムカつく。
実際子供による淡い恋心的なものも混じってのことだったのだけど、泳げないくらいで人を金属呼ばわりするとは何事だ。
何回か誘われたからリュードも川遊びをしたけどルフォンが近くにいないというのはどうにも落ち着かない。
ジッと窓から悲しそうな顔で見てくるルフォンの顔が頭をチラついてしまって心の底から楽しみきれない感じがあった。
川に行くなら釣りでもしてる方が実はリュードは好きだった。
泳ぎが嫌いなわけじゃないけど誰か流される奴はいないかなんて中身が大人なリュードは気になってしまう。
「俺が好きでやってんだ。ここはごめんじゃなくてありがとう、だろ?」
「うん……ありがとう」
結果的には一緒に川遊び。
しかも2人きり。
そう考えると泳げなくても悪くないとルフォンは顔が熱くなってくる。
「きゅ、休憩終わり! また泳ぐ練習するから手伝って!」
バシャバシャと川に入って顔を水につける。
水に慣れることからやっていけばいいなんて軽く誰かが言ったけれど水に慣れてないわけじゃない。
今だって顔の赤みを取るために水に顔をつけている。
「ほら」
「う、うん……」
リュードに手を引いてもらい、ルフォンは体をまっすぐに水に浮かして足を上下にバタつかせる。
人に支えてもらっていると浮いていられる。
そういえば手を握っている。
気づいちゃったルフォンは途端に手が熱く感じられた。
リュードの手が熱いのか、自分の手が熱いのかわからない。
ひんやりとした川の水がかかっているはずなのに触れ合っているところが妙に熱く感じられた。
その日も結構長いこと練習したけれどルフォンはリュードが手を離すと沈んでいってしまい、泳げるようにはならなかった。
「泳げるようにならなきゃ……」
次の日も練習することになっていたのだけどリュードが用事で遅れることになった。
1人で川に入っちゃいけない。
大人しく待っていたルフォンだったけど欲が出た。
「リューちゃんがくる前に泳げたら……」
きっと驚いて、喜んでくれる。
浅くて流れの緩やかなところなら大丈夫だろう。
そう思ったルフォンは思い切って少しだけ1人で練習することにした。
誰もいない川、泳げないルフォン。
いつもは心地よく感じられる川の冷たさがなんだか怖く感じられる。
「不安になっちゃダメ!」
ふるふると頭を振って不安を追いやってルフォンもう少し深いところで顔を水につけてみようと思った。
「痛っ……ちょ、あっ!」
何か硬くて鋭いものを踏んで足に痛みが走った。
咄嗟に足を上げてしまったルフォンは川の流れと川底の苔に足を取られてひっくり返ってしまった。
流れが緩やかなために故に川底が滑りやすくなっていたのだ。
グルリと回転するようにしながら流されるルフォン。
(柵があるから……)
区切ったところは柵がしてあって流されても引っかかるようになっている。
だから安心だと思った。
背中がドンとぶつかり、柵の端までたどり着いたのだと柵に手をかけて顔を水から出した。
「あっ、えっ!」
柵を作ったのはいつで、最後に点検をしたのもいつのことだろうか。
ルフォンの体重がかかった柵はバキリと壊れて、ルフォンは柵の外に投げ出されてしまった。
グルグルと水中で回り、上がどちらかも分からなくなる。
まだろくに息も整えられていなかったのですぐに苦しくなってきて、恐怖心で体が動かなくなる。
(こんなところで死んじゃうのかな……)
流されて死んだなんて知ったらリュードはショックを受けるだろうし、責任を感じてしまうかもしれない。
リュードのせいじゃなくて自分が勝手したせいなのだからどうか責任に思わないでほしいな、なんて考えていた。
「しっ……!」
何かがルフォンの尻尾を掴んだ。
敏感で他の誰にも触らせたことない尻尾を誰かが鷲掴みにしてルフォンを引き上げる。
「プハッ!」
ルフォンの尻尾を鷲掴みにしたのはリュードであった。
リュードはルフォンが柵を伝って顔を出した一瞬を見ていた。
柵が壊れてルフォンが川に投げ出されてリュードは慌てて川に飛び込んだ。
目一杯腕を伸ばして掴んだらそれがたまたま尻尾なのであった。
「ルフォンの馬鹿野郎!」
珍しくリュードがルフォンに怒った。
一歩間違えれば、どころかリュードが来なかったら、あとほんの少しでも遅れていたらルフォンは死んでしまっていた。
「ごめんなさい……」
「あれほど1人で入るなって……」
ボロボロと泣き出すルフォンは震えていた。
そんなに怖くないと思っていた水が少し怖くなってしまった。
リュードが来なかったらと考えると恐ろしく、リュードが説教するまでもなくルフォンは反省していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「分かった……分かったからさ」
泣かれると弱い。
ルフォンだって溺れたくてこんなことをやったのではない。
滑って転び、柵が脆くなっていたという不幸が重なった。
「ほら、泣くなよ……」
そっとリュードの上着をかけてやるとルフォンはそれに顔を押し当てて嗚咽して泣いてしまった。
もう怒るに怒れない。
リュードはそっとルフォンの背中をさすって泣き止むのを待った。
「ごめんね、リューちゃん」
ひとしきり泣いたルフォンは目が真っ赤になっていた。
「もういいって、だけど1人で川に入るなんてこと2度としちゃダメだ。それだけはわかってくれよ?」
「うん……」
「……いや、もうさ、そんなに練習しなくてもいいんじゃないか?」
「えっ?」
見捨てられた。
ルフォンはそう思った。
止まったと思った涙がまた溢れ出しそうになって視線を下げて堪えようとする。
「ルフォンは……料理もできるし誰よりも優しいし…………可愛いし、なんでも出来るだろ? 1つぐらいできないことがあったって不思議じゃないし、それがまた可愛いっていうとあれだけど、こう完璧でいるよりも隙があった方がいいっていうか」
慰めようとして言葉をつなぐリュード。
でも上手くまとまらない。
「……言ってて訳わかんなくなってきたな。その、つまりアレだ。ルフォンが溺れたら俺がさ、絶対に、何度でも助けるからさ。あんまり無理はするなよな」
「リュー……ちゃん?」
「多少泳げて損はないけどさ、泳げなくたって俺がいるから」
「リューちゃぁん!」
「なんだよ、もう泣くなって……」
1つぐらい弱点があってもいい。
それをリュードが疎ましく思わず可愛いとまで思ってくれるなら。
もう何回か練習してみたけどルフォンは泳げるようにならなかったから、もう泳ぐ練習をするのはやめた。
出来ないことに時間をかけるよりリュードが喜んでくれるような、例えば料理の腕を上げることなんかに時間を使おうと思ったのである。
「絶対に、何度でも……」
「ああ、絶対に、何度でもだ」
だからルフォンは分かっていた、リュードが助けに来てくれるって。
タコのクラーケンに関して他言しないようにかんこう令が敷かれて、クラーケン討伐のお祭りもゆっくりと熱が冷めつつあった。
そうこうしている間にも北側から進められていた犯罪者、魔物一掃作戦は順調に進んでいって多くの悪人が捕らえられた。
これは他から流れてきた、きていないを問わずに捕らえていた。
一掃作戦によりヘランド王国はクラーケン討伐と合わせて非常に平和で安定的な国となったといってもいい。
作戦も終わったので国境線の封鎖も解除された。
「私たち、ここに残ります」
リュードも入院していたのだけどルフォンの方が死にかけたということもあって長く病院にいることになった。
ようやくルフォンも退院して、国境封鎖も解かれたということで今後どうするかを話し合っていた。
そこでエミナが意を決したように切り出した。
「えっ、どうして……?」
予想もしていなかった言葉。
ルフォンは意外な言葉に驚きを隠すことができない。
すっかり一緒にいることに慣れてしまった。
本来どこか拠点となる場所を決めてそこで別れるという話だったことも忘れてこの先ずっと一緒に旅するつもりでいた。
リュードとしてもエミナたちと無理に別れようとは思っていない。
ルフォンのようにずっと一緒だとは思ってなくともまだ別れるような時じゃなさそうだと思っていた。
「私、クラーケンの討伐に参加して自分の無力さを改めて痛感しました」
けれどエミナの考えは違っている。
同じアイアン+でもリュードは今回の討伐の英雄。
魔法1つでクラーケンを翻弄してみせて、戦いを大きく優位なものへと導いた。
ルフォンもルフォンで目覚ましい活躍とは言えなくても確実にクラーケンの足を傷つけていて、タコが途中で襲ってくるなんてことがなければ危なげすらなかった。
対してエミナは魔法部隊として参加して、ドランダラスの指示のもとで魔法を放っていた。
しかしエミナの放つ魔法はリュードの魔法のような効果はなく、その他大勢の参加者の1人でしかなかった。
魔法でもダメージは与えていたので役に立っていないわけではなかったけれど、役に立っていると誇れるような成果は何一つない。
エミナは戦いの中で悔しさを覚えた。
「この先にお2人がどんな旅をしてくのか、それは私には分かりません。でもこのままだと、私がいるときっといつか2人の足を引っ張ってしまいます……」
「そんなこと……」
「待ってください。最後まで、私の話を聞いてください」
リュードもルフォンもきっと足手まといなんじゃないと言ってくれるし、困ったら仲間なんだから助けてくれると言ってくれる。
けれどそうじゃない。
「嫌なんです。私の力不足のせいで2人に苦労をかけたり、もしかしたらケガしちゃうことが。2人は大丈夫って言ってくれるけど私が大丈夫じゃないんです」
自分が足手まといになっている。
魔法の強さも立ち回りもまだ未熟で、何もかもが足りていない。
2人がどう思っているかではなく自分がどうなのかである。
「エミナちゃん……」
「これまでリュードさんとルフォンちゃんの強さと優しさに甘えてきてしまいました。でもそれじゃダメなんです。自分でなんとかしないと……またきっと2人に甘えちゃいます」
決意に満ちたエミナの目。
初めて出会った時の頼りなさげで自信のなさそうな少女だった頃の目とはだいぶ違っている。
リュードとルフォンが大好きで、強いとわかっているからこそ迷惑をかけたくないと思うのだ。
2人と一緒にいてエミナも強いということが分かってきた。
2人に頼ることのない環境に身を置いて努力を重ねなきゃいつまでも甘えてしまって、2人にふさわしい自分になることができなくなるとエミナは考えていた。
「2人はどうするんだ?」
ヤノチとダカンにも視線を向ける。
いきなりエミナだけ残るとは考えにくい。
3人で話し合ったようであるのでリュードには答えはわかっていた。
「私たちもここに残ってエミナと組んでパーティで活躍していくつもり。故郷も近いし、なんてたって困ったらこの国の王様が助けてくれるしね」
「俺はヤノチがいるところが俺のいるところだから」
3人でここを中心に活動する。
今は大干潮があるから少しだけ大変な時期になるけどそれを過ぎれば国内は犯罪者も少なく、魔物も程よいレベルになっているはずだ。
トキュネスやカシタコウも近く、何かあれば3人はすぐにでも国に帰れる。
今はクラーケンや一掃作戦で国内の話題は持ちきりなのでトキュネスやカシタコウの話が入ってきてエミナたちのことが身バレする可能性も低い。
ちょうど良い場所だろう。
3人で決めたことのようだし文句もない。
「でも…………」
声が震える。
泣かないと決めはずなのに。
我慢してもし切れない。
ググッと上がってきた感情と目に熱いものが溜まって視界がぼやける。
「もじ……わだしがもっど、強くなっで2人の、隣にだっでも、いいと、思えるどぎがきだら」
こぼれないようにと言葉を詰まらせながら言い進めるけれど、もう止まらなかった。
こんな情けなく言うつもりなんてなかった。
もっと、成長したのだと。
精神的にも成長したと、堂々と言うつもりだったのに。
「まだ、わだしといっじょにだびじでぐれまずがー?」
ヒドイ。
ちゃんと言葉にもなってない。
涙が溢れて、前が見えなくなる。
今はそれでよかったかもしれない。
呆れ顔でも優しい顔でも見えていなければ関係ない。
「もちろんだよ!」
エミナにあてられて感極まったルフォンはギュッとエミナを抱きしめる。
ルフォンの体に手を回してエミナも抱きしめ返す。
互いに頭を肩に乗せあい、泣き合う。
ヤノチも我慢できずに泣き出す。
ダカンは顔を逸らして体を震わせているけど泣いているのが丸わかりである。
リュードも鼻の奥がツンとして込み上げてくるものがあったけれど必死に堪えた。
これは一生の別れではない。
2度と会えないんじゃないから泣くものかという薄いプライドのようなものを持って、1人でも涙の別れにしないと涙を抑え込んだ。
目がウルついていたけどどうにか流すのだけは耐え抜いた。
その日はみんな目が腫れるまで泣いた。
リュードも油断するとウルっと来ちゃうのでしばらく動けず、ルフォンとエミナは抱き合って泣いたまま疲れてしまったのかベッドで寝てしまった。
ダカンも泣き疲れて眠そうにしていたのでリュードは引きずるようにして部屋に連れて行った。
ーーーーー
「こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのにーー!」
次の日、エミナはベッドに籠城した。
早速出発とは流石のリュードもそうはいかなかった。
というのもいい話になってしまったのは次にどうするかの話し合いの最中であって、実はまだ次の目的地も定まっていなかった。
あたかも明日お別れのような雰囲気があったのだけれど、特に出発の予定があったわけではなかった。
あんな風にお別れの挨拶を交わしたのだから決意が鈍らないうちに早めに出発しようとは思う。
だから少しだけエミナが勇み足だった感じは否めないのだ。
ルフォンと次の目的地の相談のために部屋に来たのだけどエミナは布団を被って出てこない。
クールにお別れを言うつもりだったのに号泣に次ぐ号泣。
泣きじゃくる様は子供ドン引きレベルであった。
その上泣きに泣いたために目は完全に腫れていてとても2人に合わせる顔がなかった。
「エミナ、出てきてくれよ」
とりあえず話し合って目的地は決めたので出発しようと思えば出来ないこともない。
しかし最後の最後でこんな布団の中からお別れするだなんてとてもじゃないけどできない。
困ったようにリュードがベッドに座ってエミナを揺すってみる。
「……てください」
「なんだって?」
「リュードさんの、あの、もう1つのあの姿で抱きしめてください!」
エミナの声を聞こうと静まり返った部屋の中、布団をかぶっているがためにくぐもった声が響き渡る。
リュードの困った顔がエミナには想像できた。
恥ずかしさと散々泣いたために疲れていたエミナは完全に暴走した。
少なくともしばらく会う事はない。
もう恥ずかしさの頂点にいるのだから多少の恥はかき捨てとばかりに顔も見えないこともいいことにエミナは思いついた欲望を口にした。
何を言ったのか、分かっているけど分かっていない。
段々と口にしてしまった言葉を自分で理解できてしまって顔が熱くなってくる。
涙が枯れるほど泣いたはずなのに恥ずかしさでまた涙が出てきそうな気分になる。
放った言葉はもう取り消せず、相手の反応を待つしかない。
けれどなんの反応もなく布団の外は静かで、布団の中の自分の鼓動しか聞こえない。
呆れられているのか、怒っているのか、まさか無言でみんな出ていってしまったのか。
そんなことはしないだろうと思いつつもエミナは段々と不安になってきた。
いなくても嫌だけど、いたらいたで恥ずかしさで死んでしまう。
あまりにも沈黙が長くてそっと布団をあげて外を確認した瞬間だった。
「ひゃっ……!」
強い力で引っ張られて布団が上に剥ぎ取られる。
ベッドの横に誰かがいるといると視線を向けるとそこに立っていたのは布団を後ろに放り投げるリュード。
しかも竜人化した姿であった。
「きゃ…………」
布団を放り投げたリュードはすぐさまエミナの口を手で塞いだ。
ここで悲鳴なんて上げられたら人が飛んできてしまう。
エミナが口を押さえた拍子にバランスを崩して後ろに倒れたものだから自然と押し倒すような形になってしまった。
「シィー」
リュードはエミナの口を塞いでいない方の指を口に当てて騒がないように言う。
エミナはこくりとうなずいたのでリュードは手を離した。
エミナのお願いを聞いたリュードは困った顔をしてルフォンに視線を送っていた。
抱きしめてほしいなんてお願いルフォンが許すわけないと思ったからである。
しかしなんと意外なことにルフォンは険しい顔をしながらもリュードにうなずいてみせた。
許可が下りたのである。
なんの気遣いなのかルフォンはヤノチとダカンを連れて部屋を出て行ってしまい、呆然とするリュードと外の状況をわかっていないエミナだけが残された。
ルフォンもリュード離れをして大人になりつつあるのかと変な感動と寂しさを感じた。