ザブザブと足元が水で満たされていく。このままじゃスピーカーたちと一緒に溺死してしまう。

『早く探した方がいいんじゃないの〜?』
「分かってる!」

 スピーカーを掻き分けながら、鍵を探す。だが、見つかる気がしない。
 天井からも雨のように水が滴り、床からも滲み出ている。随分時間が経ち、もう髪は濡れてしまったし、まもなく太ももまで水に浸かることになる。動きづらい。

『早く早く〜。』
「…ちょっと黙って!」

 ピンク色のスピーカーを水の中に投げ入れる。すると今度は、黒いスタイリッシュなものから音が鳴った。

『も〜。あれ気に入ってたのにー。』
「どこにあるの…?」

 その時、天井のうち2箇所がバリッと音を立てて崩れた。そこから水が滝のように流れ落ちる。水が溜まる速度が上がった。

『前髪崩れてるよ〜。』
「それどころじゃないって…!」
『ドライヤーとアイロン、あればよかったね〜。あ、あとヘアブラシ?』

 またも天井がバリバリと崩れる。滝が2ヶ所、3ヶ所と増えていく。
 段々と熱いものが腹から胸へと込み上げてくる。変な汗が吹き出す。
 腰あたりまで水に浸かると、身動きが取りづらくなる。動くたびに足に鉛が付けられているように感じて、ザバザバと泡立つ音がする。
 なるべく身軽な方がいいとブレザーも上履きも靴下も脱いでしまう。
 
『猫被りちゃん、ヒント出してあげよっか?』
「え!?なに?」
『…あれ?なんだっけ。』
「思い出してよ!」
『ん〜…。ん〜…。…まあいっか。思い出せないし。ごめんねー!』
「っ…!」

 時間を喰われた。またひとつ天井に穴があく。
 胸まで完全に浸かってしまい、もはやプールのようになってくる。着衣泳だ。
 しかも、鍵はどこにも見当たらない。もはや焦りしかない。段々と焦りが積もり、刻々と水が溜まっていた。

『私もそろそろおしまいかなぁ。じゃあね!楽しかったよー!』

 あの黒いスタイリッシュなスピーカーも沈んだ時、私はもう口に水が到達しかけていた。まずい、溺れる…!そう思って泳ごうとするが、ただ水をかくだけで浮きもしないし、むしろ沈もうとしている。鍵どころではない。足が浮いて、バタバタと足を動かすしかなくなる。
 ふと思い出したのは、スピーカーの『私』からの言葉だった。
 『凪くんのこと、諦めたいと思ってんでしょ。』
 そんなことないと思うのに、実際、諦めるしかない現状がそこにある。
 嫌だなぁ…ここで死んじゃったら。それこそ怪異になってしまう。
 溺死とか1番嫌な死に方だ。そうだなぁ、せめて一瞬でぷつりと死なせてほしい。
 そう考えると力が入らなくなって来て、思わずこんな状況なのに寝そうになってしまう。力が抜けて、段々と浮かび上がる体に嫌悪感を抱いた。
 頬を伝うこの水は、涙?それともただ降って来た水?

 ドンドンドン!
 ドアから音がするが、もう天井近くに到達する。手で天井を撫でる。
 ドンッ!と大きい音が鳴った。するとどうだろう。少しずつだが、水位が下がっていくではないか。手が天井に届かない。
 なんだろう、そう思ってドアの方に目をやると、ドアに穴が空いていた。蹴破ったような穴だ。
 1分くらいして、私は再び床に足をつけた。

「お〜い、誰かいるか〜って寧々!?おい凪!寧々がいたぞ!」

 その直後。バンという音と共に、鍵のかかったドアを、凪くんが完全に蹴破ってしまった。

「大丈夫…?」

 これは夢?現実?凪くんが目の前に立っている。
 凪くんも少し濡れていて、前髪が湿っていた。これは絶対、嘘じゃない。
 
「ありがとう…。」

 そう呟いて、凪くんを抱きしめた。今だけは、恥ずかしいとか、濡れていて申し訳ないとか思わなかった。ジンは外からそれを見てぎょっとしている。

「ごめんね、なんか慌てちゃって。焦っちゃって…。それで…!」
「え…。ちょっ…え……あ…えっと…うん…。」

 ものすごく凪くんが戸惑っていて、聞いていて面白くなってしまう。
 この頬を伝うものは、涙だと信じたい。

「ごめんね…。」
「…き、気にしないで…。……行こう…。」

 少しだけ背中がポンポンと叩かれ、不思議な力を注入される。
 スルッと凪くんは私の腕を解いた。少しだけ制服が濡れてしまっている。私が抱きついたりしたからだ。
 部屋を出ようとする凪くんの背中に、変な想いをぶつける。

「き、今日さ。…何か違うの…気づいた…?」
「え…。」

 他人に興味のない凪くんが、気づくわけがない。そう思いながらも返事を待つ。

「…なんだっけ。朝は覚えてたんだけど…。…思い出せねぇ…。」
「無いならいいよ。」
「…とりあえず、なんか…。その…。…良くなってた…。」
「えっ…。」
「…行こう。」
「…うん。」

 良くなってたのは、なにがなのかはわからない。けど、とりあえず変化には気づいてくれた。
 ジンは少し安心したような笑みを浮かべて、凪くんのあとをついて行った。手持ち無沙汰に羽織ったブレザーは水を吸って重く、ポケットに靴下を詰め、ローファーを履いて歩いた。

 外に出ると、そこは一種の館のようになっていて、丸くフロアが建てられている。中央は吹き抜けになっていて、天窓から光が差し込んでいる。円柱状の建物らしい。

「で、寧々は見つけたから次はどうするんだ?」
「…本体を叩く。」

 まるで2人は仕事かのように淡々と計画を練っていく。
 とりあえずまずは最深部を目指すこととなった。

「帰ったら髪とか服とか拭かないとな。」
「そうだねー。」
「っていうかさっきのなんだったんだよ。」
「え!?そ、それは…。」
「うわ〜アオハルしてんな〜。」

 私たちは、階段を降りたり梯子を降りたりしながら最深部へと向かった…。


「ここじゃない?」
「そうだな…。」

 明らかに最深部。ここがこの建物の1番下。するとどうだろう。鏡が急に現れて、中から女の人が出て来た。
 白い肌に、赤い口紅。目元はくっきりとしていて、巫女服のようなものを纏っている。だが、決定的に違うのは挙動。
 ヨタヨタと千鳥足でこちらに向かってくる。そして、なにやらずっと、「許さない…許さない…。」と呟いていた。

「来た…。あ〜めんどくさかった…。」
「そうだね〜。」
「…やれ。」
「りょーかい。」

 ジンは迷わず怪異に突っかかった。結び霊がいると便利だなと感じてしまう。凪くんは見てるだけでいいのだ。
 数分後、女の人は塵となって消えた。
 水が流れるこの建物に亀裂が生じていく。この空間が消えようとしている。
パンッと、金属の割れる音がして、またも視界が暗くなった。