『人間は、死んだらどうなるのだろう。
 誰かが言った。
 天国か、地獄か。それとも待っているのは虚無感だけか。』

「はぁ…。」

 そんな小説を読みながら、俺・片桐(かたぎり)(なぎ)はため息をひとつ。
 1年4組の、朝のホームルーム前、暇なので学級文庫の本を一冊取り出してみたはいいものの、こんな内容は一瞬で読む気が滅却されてしまう。
 『人は死んだらどうなるのか』。その問いにはもう答えられるからだ。

「その本、面白いかぁ?」
「全く…。」

 あくびを堪えつつ、精一杯の小声で返す。
 隣で本を覗き込んでくるこいつも、同じ感想のようだ。
 『人は死んだらどうなるのか』。それは案外簡単で、2つに分けられる。
 まずは、彼岸に向かう者。こいつらは、三途の川を渡って向こう側に辿り着き、また新たな生活を始める。此岸で一生を終え、さらに彼岸でも飽きるまで生き抜いた後、生まれ変わるのだ。
 だが反対に、此岸に止まる者もいる。こいつらは、なんらかの事情でこの世に深い未練が残っている。そのため、向こう側に辿り着けないのだ。そして、そいつらを生きている人間は『怪異(かいい)』と呼んだ。ほとんどは死者となり彼岸に渡るが、たまにその怪異と化すものもいるのだ。

 固い表紙を閉じて、この本を開くことに鍵をかける。
 本棚の空白を埋め、再び席に座った。

「誰かと話してみたらどうだ?」
「めんどくさい…。それに、ジンと話してる…。」
「あ〜コミュ障が炸裂してんな〜。」
「うるせぇ…。」

 ほとんど息に消える声を出して反論すると、ジンはケケッと笑った。

 俺は怪異が見える。
 怪異は別に、昼でも夜でもいる。ただ見えていないだけで。だが俺は見えてしまうのだ。
 怪異は何か悍ましいもののように語られているが、実は意外と普通だ。生者と同じような服を着て漂っている。まあたまに暴れ出すやつもいるが。
 怪異が見える人間は、1人だけ常に行動を共にする怪異がいる。それを『(むす)(れい)』という。
 俺の場合はこいつ・ジンが結び霊だ。
 結び霊はいつ会えるかわからない。俺は物心ついた頃には一緒にいた。会ったらそいつだと怪異側が気づくらしいが、俺はよく分からなかった。
 また、ただジンと話していたら、虚空に向かって話しかけるヤバいやつになるので、小声で聞こえない程度で話しているのだ。

 空には太陽が輝いていて、葉が赤やオレンジに色づき始めている。
 いや、コミュ障というわけではないんだ。…たぶん。少し人付き合いが苦手なだけで…。

「あいつらなんかどうだ?男だし、話しやすそうだと思うぞ?」

 ジンが指差した方には、男子生徒2名が。名前は…なんだったっけ…。

「…えーと…。」
「川上と中村。」
「あ、そうだ…。」
「おいおい、なんで俺が覚えてんのにお前は忘れてんだよ。大丈夫かぁ?」
「いいよ別に…。あと、話さないからね。」
「じゃあ、ああいうのが好みなのか?」
「ん?」

 また別の方を指差して、なにやらニヤニヤしている。
 
「あれ?今日って小テストあったよね。私、全然勉強してないんだけどー。」
「え〜?そう言って高得点取るんでしょ〜?」
「そんなことないよ〜。」

 確か、小鳥遊(たかなし)(あらし)だ。こちらは苗字が珍しいので覚えていた。

「…あれは女子じゃん。」
「男子が好みじゃねえんなら、女子が好みなのかな〜と思ったんだよ。」
「そんなわけ…。」
「お前ってほんと喋んねえんだもん。俺以外と。」
「はいはい…。」

 そんなことを言っていたら、もうホームルームの時間になってしまった。
 担任の先生が入って、生徒たちが席につく。朝の挨拶をして、事務連絡が始まった。

「問題。あいつの名前はなーんだ。」
「……先生。」
「担任の名前も覚えてねえのかよ!あいつは北澤(きたざわ)だ!」
「へえ…。」
「へえ…ってお前、もう7ヶ月会ってるだろ!ほんと興味ねえんだな!」

 北澤先生は国語の先生で、歩くたびにふわりと舞うスカートを履いている。若く、真面目で優しくて生徒人気も高い。「キタちゃん」とも呼ばれていた。
 そんなキタちゃんが、今日はなにやらいつもより上機嫌だった。

「はい、それじゃあ今日から11月なんだけど…。みんな、新しい席には気づいたかな?」

 みんな頷いたり返事をしているが…え?そうなの?チラッと俺も後ろを振り返ると、確かに席がひとつ増えていた。1番窓に近い列の、1番後ろだ。つまり俺の後ろ。全然気づかなかった…。つくづく、他人には興味がないことを思い知らされる。

「え!?転入生!?」
「やばっ…!誰なのかな。」
「女の子かな〜。」

 キタちゃんの言葉に周りの奴らがざわめき始める。キタちゃんはドアに向かって「入っていいよ。」と呼びかけた。ガラガラとドアがスライドし、転入生が現れた。
 キタちゃんのそばに立ち、俺らの方を向く。
 女だった。サラサラとした真っ直ぐな髪を垂らし、真面目そうに制服を着ている。特徴のない、全てが普通な、ある意味整った顔をしている。
 キタちゃんが、そいつに「自己紹介、してくれる?」と優しく微笑む。そいつはこくんと頷いて、花が咲いたような笑顔を作った。

七海(ななみ)寧々(ねね)です。読書と食べることが好きで、ピアノを弾くことが得意です。早くみなさんと仲良くなりたいです。よろしくお願いします。」

 鈴が鳴るような声の終わりと同時に、七海さんはペコリと頭を下げた。自然と迎える拍手が起こる。七海さんは少し照れくさそうに笑った。

「それじゃあ、七海さんの席はあそこね。みんなは、七海さんに色々教えてあげてね。それじゃあ、朝のホームルームはここまで。」

 口々に「ありがとうございました」と言ってから、席についた七海さん目掛けてどわっと女子が押し寄せる。七海さんの方を見ると、やはり取り囲まれていた。

「私、小鳥遊(さくら)!よろしくね!」
「嵐梨々子(りりこ)っていいます。よろしくね。」
「うん、よろしくね。」

 ニコッと愛想良く笑い返している。だが、なんとなく俺には薄っぺらい笑いにしか見えなかった。

「授業って…。」
「あそこに書いてあるよ!歴史だって〜。」
「休み時間、校舎案内してあげるよ!」
「いいの?ありがとう。」
「教科書は大丈夫?持ってる?」
「うん。」
「なんか分かんないことあったら言ってね!」
「うん!」

 転入生は大変だ。過度な期待を抱かれてしまう。歴史の教材をロッカーから運び、机に置いた。
 俺は勉強があまり得意ではない。なんなら苦手だ。けど、テスト前に一夜漬けで勉強したら、かなりいい点数が取れるタイプでもある。勉強に関する記憶力はそこそこありそうなのに、人の名前などに関する記憶力はニワトリと同レベルだと言ってもいい。
 ジンは勉強できないみたいだし、そもそも何十年か前の教育を受けてきたのだから今の内容と違うこともあるみたいだ。
 騒がしいなと思って机に伏せる。周りの音が多少は小さくなり、俺の空間が出来上がる。

「おいおい、寝るなー?」
「大丈夫…。寝ないから…。」

 うとうとと現実と夢の間を行き来する。まあ、どうせ歴史なんて聞いていても利点がないのだから、寝たって大丈夫だ。夢の世界を漂うことに決めた。
 その時だ。誰かにつんつんと後ろから突かれた。そんなことされたこともしたこともなかったので、ビクッと起き上がる。おかげで眠気はどこかに消え去った。
 振り向くと、七海さんがこちらを見ている。相変わらずのにっこりスマイルで。

「な、なに…?」
「久しぶりっ。」
「え…?」
「おいナギ。やったな!話しかけられたぞ!っていうか、知り合いだったのか!?」

 ジンがぼやいているのは置いておいて、全く心当たりがない。誰かと間違えてる?いや、多分それはないと思うが…。分からない。俺のことだ。多分忘れている。

「…会ったことあったっけ。」
「あーやっぱり忘れちゃってるよね〜。私、あの、小学生の頃の隣に住んでた…。」
「あー…なんかいた…ような気がする。」

 俺は小学4年生の頃、この町に引っ越した。確かに引っ越す前のお隣さんとは仲良くしていたような気がする。
 地味で暗くて、何も話さない子。それが昔の七海さんだ。

「私、あの頃と全然違うから、まあ覚えてないよね〜。」

 また違った笑い方をする。困りつつも笑顔を浮かべている。

「で…?」
「あ、そう。それで、凪くんに久しぶりに会えたのが嬉しくて。声かけちゃった。」

 テヘッと笑ってみせる。その顔が、段々と顔が赤みを帯びていく。

「またよろしくね。」
「…うん。」

 そして俺はまた、自分の空間へと入った。後ろから立ち上がる音が聞こえた。