Side:語り部
人の心は制御が効かず、時に自分の『想い』が自分自身に牙を剥く。
大抵の場合、それは他のことを考えたり、何らかの方法で発散したり、時の流れに身を任せたりすることで、いつかは眠りにつく。
しかし、いつまでも胸の中で燻ったまま整理がつけられない『想い』があるのならば、“引き受け屋”の戸を叩くことをお勧めする。
彼らは人の想いを引き受け、昇華できる特別な力を持った一族。
手放したい『想い』があると相談すれば、たちまちに引き受けてくれるだろう。
けれどご注意を。
一度手放した『想い』は、二度と取り戻すことができない。
それは本当に、手放していい『想い』かよくよくお考えになることだ。
それでもまだ、“引き受け屋”に依頼したいと考えるならば、彼ら一族の名をお教えしよう。
忘れたい、手放したい『想い』を引き受け、当人に代わって昇華する“引き受け屋”一族。
その名は、【奏瀬】。
Side:柿原恭介
「よっ、お疲れー。何見てんの?」
「おわっ、びっくりした。ちょっと調べ物?」
「何で疑問系なんだよ」
はは、と笑って誤魔化す。
咄嗟に隠したスマートフォンが俺の心を如実に表していた。
“信じられない”。
そりゃあそうだ。超常の力なんて胡散臭い。
「後ろめたいものでも見てたのか~? 恭介のことだから、どうせエロいサイトとかだろ」
「ばっ、ちげーよ! いくら俺でも大学の食堂でそんなもん見ねーし!」
「よく言うぜ、講義中に眠気覚ましっつって水着姿の女優見てたくせに」
「それはそれ、これはこれよ。別に面白い話じゃねぇぞ~?」
イスを引いて隣に座る友人に、隠したスマートフォンを見せる。
不名誉な誤解をされるよりは、素直に白状した方がマシだ。
友人が例のサイトを見ている間、俺は中断していた食事を再開する。
トレーに乗っているのは日替わり定食で、これがなかなかに美味い。
「何だ、これ。“引き受け屋”? 都市伝説か何かか?」
「さぁな。色々調べてみたけど、核心的な情報は出てこないし」
「調べたって、まさかこんなん信じてるのか? 作り話に決まってんだろ」
「だよなぁ」
友人の言葉に深々と頷く。
俺だって、“忘れたい想いを代わりに引き受けてくれる”なんてファンタジーな話、信じちゃいない。
それでも、もしかしたらと期待してしまうのだ。
本当に、“引き受け屋”なんてものが存在するのなら、俺の妹は……。
「失礼する」
「あぁどうぞ、……って……」
反対隣から声を掛けられて振り向くと、同じ男とは思えない整った顔立ちがあって目を見開いた。
すげぇ、芸能人レベル。
よく見れば、近くを通る人がみんな二度見してこそこそと話している。
同じ大学に、こんな芸術品みたいな顔した男が通っていたなんて。
「何か?」
「あぁいや、綺麗な顔だなって」
「! おい!」
言葉にするなら中性美人。
そんな男の流し目に、不覚にもどぎまぎして心からの本音を漏らすと、隣の友人に小声で咎められた。
何だ何だと意識が友人に傾いたのは一瞬で、すぐに俺は友人が慌てて小突いてきた理由を知る。
絶対零度の瞳だった。
「陳腐な台詞だな。程度が知れる」
「……は……?」
綺麗な花には棘があると言うが、どうやらあれは本当のことらしい。
涼しげな美男子の口から飛び出したのは、随分と棘のある言葉で、俺は呆気にとられた。
そんな俺の肩を、友人が掴んで引き寄せる。
男は、何事も無かったかのようにテーブルに向き合って、やたらと綺麗な所作で食事を摂り始めた。
「噂のイケメンだよ。毒舌で有名な。関わらない方がいいぜ」
小声で囁かれ、ようやく思い出す。
そういえば、そんな話を聞いたことがあった。
学年は俺と同じ、1年。
文武両道で礼儀正しい反面、気安く声を掛けると今のように冷水を浴びせられる。
どっかのお坊ちゃんっていう噂だったり、はたまた貧乏で節約の鬼っていう噂だったり、その実態は謎に包まれている。
名前は確か、カナセ、とか何とか。
「それよりも恭介、都市伝説なんて興味あったんだな」
「んぁ? まー、全くないことはないけど……“引き受け屋”はそういうので調べたわけじゃないぞ?」
「はぁ? じゃあ本気にしてたってのか? 恭介が忘れたい想いって何だよ、盛大にやらかした時の羞恥心とかか?」
「いやいや、そんなん頼まなくても1日で忘れるって、俺。そうじゃなくて、妹になんかしてやれないかなって」
「妹? 失恋でもしたのか?」
「失恋だったらとっくに俺は役に立ってる。何せ振られまくりだからな。……あ、やべ、自分で言ってて悲しくなってきた……」
彼女はできても、いつも「恭介とは友達でいたいから」とお決まりの台詞で振られてきた思い出が蘇って、胸が痛くなる。
本当に、示し合わせたのかってくらい同じ理由で振られるから若干トラウマになってるんだよな。
って、そうじゃない。「妹がさ、ずっと学校に行けてないんだよな。前はすっげー楽しそうだったのに、今は友達と遊ぶのも無理みたいで」
「へー、不登校ってやつ? 恭介の妹とは思えないな」
「おいっ! まぁ、俺も思うけど。うちの妹ほんと可愛いんだよな~」
「シスコンかよ」
茶化す友人の言葉も気にならない。
真奈美と話せば、誰だって俺みたいになるからな。
2つ下の俺の妹は、1年前から家に引きこもっている。
家族の前では笑顔を見せてくれるけど、一歩でも家の外に出ようとすると、途端に震えだして異常なくらい怯えてしまうのだ。
何かあったのかと聞いても、「なんでもないの。ごめんなさい」とばかり言って、学校に行けなくなった理由さえ俺達家族は分からない。
今時わざわざ手紙を書いてポストに入れてくれる友達が居るみたいだし、真奈美もその手紙を楽しみに待っているくらいだから、友達との関係がこじれているわけじゃないだろう。
せめて外に出られるようになればいいんだけど、過呼吸になるくらい怯えてるんじゃそうもいかない。
「本当に“引き受け屋”があるなら、真奈美を助けてやれるのに」
やりきれない想いを込めて、小さく呟いた。
食堂のざわめきに紛れて、きっと埋もれてしまう言葉。
それでいい。
俺も、さっさと切り替えないとな。
今は大学の試験も迫ってるし。
真奈美のことは、夏休み中にじっくり考えるとしよう。
そう自分に言い聞かせた矢先、隣から溜息が聞こえた気がした。
「“引き受け屋 茂 奏瀬”。そう検索してみろ」
「……え?」
顔を上げると、友人とは反対隣の美男子が素知らぬ顔で昼食を食べている。
今喋ったの、こいつだよな?
「あの、今、何て?」
「恭介?」
男に尋ね返すと、横目に一瞥された。
しばらく待ってみても、口を開く様子はない。
どうやら、二度は言ってくれないらしい。
「……“引き受け屋 茂 奏瀬”?」
小さな声で繰り返す。
どうしてか、軽々しくそれを検索してはいけない気がした。
スマートフォンをチラリと眺める。
ここじゃ、ダメだ。
家に帰ったら……検索してみよう。
そう決めて、隣の美男子を見つめた。
――一体、こいつは何者なんだ?
Side:奏瀬都
代々我が家の人間が受け継ぐ異能がある。
その力の根源も、どうして我が家の人間だけ異能が使えるのかも、全く分からない。
けれど我が家の祖先は、その力を商売にした。
触れた者の“想い”を奪い、涙に変えることで消し去る異能を。
****
『次期当主は、本家次男・都とする』
年に一度開かれる、奏瀬家の総会。
一度した発表を覆すことができないその場で、昨年、奏瀬家現当主である父は家業を継ぐ人間を発表した。
指名したのは、家に背き、異能を嫌う一族の問題児である僕、奏瀬都。
総会に出席した奏瀬に連なる者達は、皆ざわめいた。
誰もが疑っていなかったからだ。
既に家業に携わっている本家長男の透が当主の座を継ぐことを。
そしてそれは、指名を受けた僕自身も同じ。
『何故ですか、父上! 次期当主になるべきは僕ではなく、兄上でしょう!』
『既に決まったことだ。喚く暇があるのなら、奏瀬を継ぐ為の修行でもしていろ』
『父上もご存じでしょう! 僕はもう、奏瀬の力は――!』
『都。いつまで過去の失敗を引きずっているつもりだ。甘えるな』
『――ッ!!』
父の言葉が、今も胸に刺さっている。
分かっているんだ。
立ち止まっていてはいけないことくらい。
けれど、あの人を前にすると――……。
結局、僕は“奏瀬を継ぐ気は無い”と宣言して家を出た。
慣れない一人暮らしに手間取っていたのは昔の話。
今はそれなりに、自分で稼いだお金で生活ができている。
「水道代の請求書がきているな。む、前回より高い……! くそ、先月は無駄遣いしてしまったからな……仕方ない、他を切り詰めるか」
マンションの郵便受けから回収した郵便物をひとつひとつ改めていく。
それが終われば、リュックサックに詰めた荷物を片付けて、外行きの洋服から着物に着替えた。
ワンルームの手狭な部屋にも慣れてきたが、和装だけはなかなか止められずにいる。
本家ではこれが当たり前だったし、みんな家では和装をしているものだと、家出するまで思っていたからな。
今日はアルバイトのシフトも入っていないし、もう外に出ることはないだろう。
家にいるからと言ってゆっくりできるわけではないが、いつもより時間に余裕があることは確かだ。
「ふぅ……今日は、久しぶりに“引き受け屋”の名を聞いたな」
慣れ親しんだ服装になって一息つくと、思い出すのは大学での出来事。
昼食を摂る為に食堂へ行ったら、隣の席の男が奏瀬の家業の話をし始めたのだ。
あれには面を食らった。
僕が奏瀬だと分かって話しているのかとも思ったが、どうやら“引き受け屋”を都市伝説扱いしていたようだ。
奏瀬の力を作り話と同列にしないでもらいたいが、そういった世界に縁の無い人間が容易に信じられないのも無理はない。
『本当に“引き受け屋”があるなら、真奈美を助けてやれるのに』
「……あいつ。ただの浮ついた男かと思ったが、あの”想い”は本物だったな」
奏瀬の人間は、普通の人間よりも感受性が強いのだと言われている。
僕は特に、その面が突出しているらしい。
強い想いがこもったものであれば、相手に触れなくてもその想いを感じ取れてしまう。
食堂で隣の席にいた男は、小さな声に豊かな想いを乗せていた。
真奈美という人物への愛情、心配、そして悔しさと、ほのかな期待。
わざわざ奏瀬に縁がある者だと知られる危険を冒してまで、“引き受け屋”に辿り着く方法を教えてやったのは、あの男の想いの強さに負けたからだ。
僕自身は奏瀬の力を疎んでいるが、本気で奏瀬の力を必要としている人間が一定数いることは知っている。
そういった人間に“引き受け屋”のことを教えるのは、奏瀬としての義務だ。
「今頃、“引き受け屋”のホームページにアクセスしているだろう。父上や兄上に任せておけば、何も問題はない。僕が気にするまでもないな」
声に出すことで気持ちを切り替える。
これ以上僕にできることはないし、見知らぬ男の為に何かをしてやる義理もない。
それよりも問題なのは、いい加減炊飯器を買うかどうかということだ。
今まではパックのご飯やら、麺類やらで済ませてきたが、僕も一人暮らしを始めてもう1年が経つ。
そろそろ、家で米を炊くようにした方が良いのではないか……?
確かに一度で多くの出費をすることになってしまうが、長い目で見ればパックのご飯を買うよりも経済的であるはずだ。
幸い、今は資金に余裕があるし……。
「うむむ……。……ん? 電話か」
腕を組んで思案していると、スマートフォンが鳴った。
明かりのついた画面には母上の名前が表示されている。
思わず苦い顔をしながら電話を取ると、柔らかな声が聞こえてきた。
「はい。都です」
〈もしもし、母です。お元気かしら、都さん? 最近は暑い日が続いているけれど、ちゃんとお水は飲んでいて?〉
「えぇ……ご心配なく。息災にしております。母上はお変わりありませんか?」
〈えぇ、母もお父様も透さんも、みんな元気ですよ。先日はお庭で打ち水をしました。すっかり夏ですね〉
「あぁ、目に浮かびます。今年は父上に水を掛けてしまわないよう、お気をつけて」
〈まぁ、嫌だわ。都さんったら、その話ばっかり。私がお父様に水を掛けてしまったのは1回だけよ?〉
「すみません。あまりにも印象的だったもので」
このまま話が終われば平和なのだが、と思うのと同時に、そうはならないことも理解している。
世間話は礼儀的なものであり、本題に入るまでの手順のひとつだ。
母上は〈もう〉と少し拗ねたような声を出しながら、僕の予想通り〈ところで〉と話を変えた。
〈大学の方はどうかしら? そろそろお友達はできました?〉
「母上……もう子供ではないのですから、そのような質問はよしてください」
〈あら、私にとってはいつまでも子供よ。都さんってば、よそのお子さんに冷たい態度ばかり取るでしょう。本当は誰よりも優しいのに、つんけんしてしまって……。まぁ、そんなところも可愛いのですけれどね。うふふ〉
「母上。失礼ですが、お話はそれだけですか?」
のらりくらりとしながら、結局最後は子供扱いをしてくる母上に耐えかねて、先を促してしまう。
この人は昔から変わらない。
だから電話に出るのが嫌だったのだと、溜息を飲み込んだ。
〈嫌だわ、都さん。お家を出てからすっかりせっかちになってしまって。母は寂しゅうございます〉
「もういいでしょう……僕も暇ではないのです。お話が以上なら、失礼させて――」
〈お父様が、床に伏せってしまわれました〉
「!」
〈お医者様の話では、もう長くないと……今、我が家はバタバタとしております。透さんが、お父様の代わりに全権を握って対応していますが、混乱が大きくて……。都さん。お家に戻ってきてくれませんか?〉
「そん、な……」
父上が、倒れられた?
思わず口を押さえて動揺する己を律する。
大丈夫だ。兄上がいれば――……。
初夏も過ぎ、大学の夏休みが迫る7月の下旬。
母からの電話で伝えられたのは、奏瀬家の当主、父・茂が病に倒れたという報せだった。
7月も下旬のとある日の夕方。
大学から帰った僕に電話をかけてきた母は、父が病に倒れたと知らせた。
〈ですから、都さん。お家に戻ってきてくれませんか?〉
「……」
僕は口を押さえて動揺した自分を律する。
大丈夫。兄上がいれば奏瀬は何とかなる、と自分に言い聞かせて、ふと気付いた。
――あぁ、頭が痛い。こんな手に引っかかるなんて。
一度は堪えた溜息を、今度は電話口に乗らないようにひっそりと吐く。
「冗談にしてはタチが悪いですよ、母上。先ほど父上もお元気だと仰っていたではないですか。それに、父上は病を患ったことがない健康な体がご自慢でしょう」
〈うふふ、だって都さんったらせっかくお電話したのにすぐ切ってしまおうとするでしょう? でも安心しました。お家を出ても都さんは優しいままですね〉
「……とにかく、お話は伺いますから、こんな悪ふざけはもうよしてください」
〈はぁい〉
上品に笑う母上の声を聞きながら、もう一度つきたくなった溜息を飲み込む。
この人は本当に。
「それで? 父上が伏せったと嘘をついてまでお話したかったこととは何ですか?」
〈うふふ。言った通りです。……そろそろ、お家に戻ってきませんか?〉
柔らかな声を耳にして、口を噤む。
思えばこの1年、母上は僕の選択を尊重してくれていた。
おかしな話だ。
こうして聞くまで、「帰ってこい」と言われなかったことに気付かないなんて。
どうやら僕は、自分がどれだけ甘えていたか、まだ理解しきれていないらしい。
「申し訳ありません。僕はもう、本家に戻る気はありません。ようやく、一人暮らしにも慣れてきたところなのです」
〈そうですか……仕方ありませんね。帰りたくなったら、いつでも帰ってきてくださいね。母はずっと待っていますから〉
「はい、母上」
“引き受け屋”の話を耳にして、母上から電話もかかってきて、今日は色々と濃い1日だ。
しかし、母上の用件もこれで終わりだろう。
通話が切れたら、僕も気持ちを切り替えなければ。
やるべきことはまだ残っているのだから。
〈ところで、都さん。そろそろ大学では試験がある頃だと聞きましたが、調子はいかがですか?〉
「あぁ……問題はありません。試験の範囲はきちんと頭に入っていますから」
〈それはよかった。アルバイトばかりで勉強がおろそかになっているのではと心配していたんです。けれど不要な心配でしたね。透さんも都さんも、中学からずっと首席なのですから〉
「学生の本分は学業ですから、その他のことにうつつを抜かしたりはしません。アルバイトも勉学も、きちんと両立しています」
〈うふふ、頑張り屋な息子を持って、母は誇らしいです。もう夏休みの予定は決まっているのですか?〉
「いえ……アルバイトに専念するつもりではいますが、詳細はまだ」