「なっ……! 兄上、何をおっしゃっているのですか!」
「家を出たからといって、当主の決定は覆せない。お前は父上の跡を継ぐんだ。“引き受け屋”になるための修行はもう終わっている。儀式は行えるだろう」
「それは……っ、でも、僕は一度失敗して……!」
「……やはり精神は鍛えなければいけないか。家を出て1年半、そろそろ満足しただろう。次期当主としての修行は早ければ早い方が良い。儀式を行ったら、家に戻ってこい」
「っ、僕は帰りません! 奏瀬は兄上が継げばいいでしょう!?」
僕の言い分を無視して話を進める兄上に、思わず声を荒げる。
僕が嫌いだから依頼を断ったわけじゃないのはいい。
だけど、僕に依頼を受けろだなんて、そんなの受け入れられるわけがない!
どうして僕が家を出たのか、兄上は何も分かっておられないんだ。
「高校を卒業しても、お前は変わっていないな。そんな子供のような駄々が通じると思っているのか? いい加減、大人になれ」
「兄上こそ、分からないのですか!? 僕は人の“想い”を奪って消し去るんです! そんな僕が、“引き受け屋”などできるわけがないでしょう!」
「おかしなことを言う。それが“引き受け屋”だろう」
「っ、どうして分かってくださらないのですか!?」
頭に血が上った僕には、兄上の落ち着きが苛立たしい。
何を言っても通じないのかと、会話すら諦めそうになる。
柿原の依頼を受けるよう、兄上を説得しに来た僕は、早速困難にぶつかって冷静さを失った。
このままでは考え直してもらうことなど不可能だ。
けれど、僕が儀式を行うことはできない。
どうにかして、兄上を説得しなければ……。
“引き受け屋”を家業とする奏瀬の次期当主に指名され、家を飛び出したのが1年前――いや、もう1年半前になる。
もう二度と戻ることはないと決めていた僕が、大学の夏休みに奏瀬本家へと戻ってきたのは、同じ大学に通う柿原が僕の兄の透に理不尽な理由で依頼を断られたからだ。
ところが、実際に話してみると、兄上が依頼を断った理由は僕が想像していたものと違った。
「よりによって、兄上が儀式をしろとを仰るなんて……っ」
兄上は、僕に柿原の依頼を受けろと言う。
それだけではなく、家に戻って次期当主になるための修行をするように、と。
どうして兄上がそんなことを仰るのか、僕には理解できない。
まさか、あの日の出来事を忘れたとでも言うのだろうか。
「都さん、透さん! 静かになさい。喧嘩してはいけないと言ったでしょう」
「母上……!」
「……申し訳ありません。お騒がせ致しました」
俯いて歯を食いしばっていた僕は、背後からぴしゃりと飛んできた声に驚いて振り向く。
カッとなって大声を出してしまったから、母上が注意しにやってきたらしい。
兄上が淡々と謝るものだから、僕も幾分か落ち着きを取り戻して、苦々しく「申し訳ありません」と続けた。
母上は部屋に入り、僕と兄上を仲裁するように座って、いつもは柔らかな微笑みが浮かぶ顔をキリリと引き締める。
「どうして喧嘩になったのですか?」
「それは……」
「私が都に、儀式を行うよう言ったのです。昨日依頼に来たお客様の中に、都の紹介を受けた学生がいたので」
「そうですか。都さん、間違いありませんね?」
「……はい」
心の中は未だ荒れているが、大人しく頷く。
「分かりました。それでは、もう一度話し合いなさい。また喧嘩になったら夕飯は抜きですからね」
「「はい」」
母上は有言実行すると身を持って知っているので、想いに身を任せないよう気を引き締めた。
一度深呼吸して心を落ち着かせると、複雑な想いを抱きながら兄上に向き直る。
裏庭から縁側を通って吹いてくる風が、暑い室内に涼しさをもたらした。
「俺の意見は変わらない。都、彼の依頼はお前が受けろ」
「……僕には、できません。兄上が一番よく分かっているはずでしょう」
「お前が儀式を行えない理由は無い。“引き受け屋”として必要な能力は備えているはずだ」
「何を……っ!」
また激情につられて声を荒げそうになり、ハッとして奥歯を噛み締めた。
膝の上に置いた手を固く握って、自分の呼吸を意識する。
想いの波が落ち着いた頃、僕は弱々しく昔の傷に触れた。
「兄上は、忘れてしまったのですか……? 僕が、兄上の“想い”を消してしまったことを……」
「忘れるわけがないだろう。何故そんなことを気にする?」
「っ、どうして分からないのですか。僕は、望まぬ“想い”まで消してしまうんですよ? 兄上の時のように……っ。僕はもう、奏瀬の力を使ってはいけないのです」
「都さん……」
あれは僕が小学6年生、兄上が高校1年生の時のこと。
奏瀬の力を制御することを目的として、幼少から修行をしていた僕は、12歳の誕生日にとある試練を課せられた。
その内容は、兄・透の“想い”を昇華するというもの。
指定された“想い”は、池への苦手意識だった。
結果から言えば、指定された“想い”を昇華することには成功した。
ただ、僕はそれ以外の“想い”まで一緒に昇華してしまった。
それがどんな“想い”だったか言葉にするなら、“弟に対する愛情”と言えるだろう。
あの日から、兄上は僕への愛情を失った。
昔の僕は深く後悔し、悲しみに暮れながら二度と同じ過ちを犯さないように修行を続けたが、いざ儀式を行おうとするとあの時のことが蘇り、“想い”に触れることができなくなった。
それからどうなったかは、言うまでもないだろう。
今でも、鮮明に蘇る。
“想い”を昇華して目を開いた僕が見たのは、温もりが消えたガラス玉のような瞳。
「……たった一度の失敗で、何を言う。お前は奏瀬の中でも一番力に優れているのだ。そのような弱音を吐いて、救える者も見捨てるつもりか?」
「僕は見捨ててなど……力に優れていることが何だというのですか。僕はこんなもの、望んでいなかった……!」
「言葉が過ぎるぞ、都。お前はもう次期当主に決まっているのだ。勢い任せでも、この屋敷でそのようなことは口にするな」
「っ……僕は当主になるつもりなどありません。お話が終われば、すぐに出て行きます」
兄上を前にすると、無意識に体が強ばる。
じっと目を見ることができなくて、気付くと視線が逸れていることも多い。
過去に囚われている僕と、家のことを考えている兄上では、話が噛み合わなくて当然だ。
どちらも折れる気がないなら、話し合いは平行線のまま。
けれど、僕が諦めれば柿原は……柿原の妹は、救われない。
逃げるわけにはいかないんだ。
僕は、柿原の“想い”を知っているから。
「……このままでは、先程と同じだな。お前が何を言っても、“引き受け屋”は柿原氏の依頼を受けない。私が面談をして、彼には依頼内容に見合った支払い能力が無いと判断したからだ」
「なっ……ですが、時間をかければ柿原も」
「都。真奈美嬢とお会いしたことは?」
「いえ……ありません」
「私は電話越しだが、彼女と直接話をした。そして、彼女の恐怖を感じ取った。どういうことか、説明せずとも分かるな?」
兄上は凪いだ海のように静かな瞳で僕を見つめた。
僅かに緊張が走るが、僕の意識は兄上の言葉に傾く。
兄上は柿原の妹と電話で話して、彼女から“恐怖”を感じ取った。
それは単に、怖がっている様子だったから恐怖を感じているのだろうと察した、というような話ではない。
人の“想い”を扱う奏瀬の人間が口にする「“想い”を感じ取った」という言葉は、その人の“想い”が心に入り込んでくる――漠然とした感覚を感覚として感じる――ことを示す。
以前、僕も柿原と接触して彼の“想い”を感じ取ったが、あれは体の一部に触れなければできない芸当だ。
もちろん、電話越しに話しただけの兄上が柿原の妹と接触することは不可能。
つまり、兄上は僕が柿原と初めて会った時のように、彼女の声から“想い”を感じ取ったことになる。
そしてそれは通常、奏瀬の異能を濃く受け継いだ異端児である僕にしかできないこと。
「そんな……それほどまでに、根強い“想い”であると……?」
「本家の人間であれば、数回に分けて昇華することはできるだろう。しかし、その場合代金は跳ね上がる。富豪であっても、時間をかけなければいけないほどに」
「っ……!」
強い“想い”であるほど、奏瀬の人間が引き受けることも、昇華することも難しくなる。
それは儀式を行う者の“容量”や、相手の抵抗度合いが影響するからだ。
本来ありえないことが起こるほどに強い“想い”であれば、儀式を行う者が強烈な“想い”に呑み込まれる危険性もある。
僕が想定していたよりもずっと、柿原の妹の“想い”は根強く、儀式を行うことは限りなく困難である、ということだ。
“引き受け屋”一族、奏瀬の本家を訪ねた僕は、そこで柿原の妹が根強い“想い”を抱えている――昇華の儀式が困難である――ことを知った。
父上や兄上であれば、類を見ない柿原の妹の“想い”もなんとか昇華することはできるであろうが、その場合代金は一般人が払えないほど吊り上がる。
事態は、僕が「依頼を受けてやってください」と頼み込んでどうにかなるほど簡単ではなかった。
「大金を払えない柿原氏にとっても、深い“想い”を抱えている真奈美嬢にとっても、儀式が困難である我々にとっても、最善となるのは奏瀬の力に恵まれた都が儀式を行うことだ」
「……」
兄上のお言葉に、僕自身も納得してしまう。
それほど、筋が通った考えだった。
「我々にとっては未熟な次期当主を教育する良い機会となるし、都の修行であればこちらが代金を頂くことはない。金銭面の負担が無くなれば柿原氏は“引き受け屋”に依頼することが可能だろう。そして、真奈美嬢は負担を減らした上でより確実に“想い”を昇華できる」
僕の予想通り、兄上は柿原との面談で、よりよい方法を思案していたようだ。
今となっては、“兄上が僕を嫌っているから”などという理由で、柿原が依頼を断られたと考えていたことが恥ずかしい。
けれど、どんなに兄上の選択が正しいとしても、やはり僕には儀式など行えない。
もしも、あの時のように大切な“想い”を奪ってしまったら?
一度消し去ってしまった“想い”は、二度と取り戻すことができない。
人は沢山の“想い”を抱えて生きるもの。
それがどんな想いであっても、勝手に人の“想い”を奪うことは許されないのだ。
「……僕には、」
「できないとは言わせぬぞ。お前がやらなければ、真奈美嬢はこの先も強い“想い”に苦しむことになる。“引き受け屋”は正当な理由無く代金を免除することはない。柿原氏も、妹を助けることができない無念に駆られるだろう」
「っ……!」
以前、不注意で感じ取ってしまった柿原の“想い”が胸に蘇る。
あの時も、あいつは苦しんでいた。
大切に想っている家族を救えず、何もできない自分が悔しくて、少しでも希望があるなら縋りたいと、そのように想って。
僕が依頼を引き受けなかったら、柿原は希望を失い、さらに苦しむのだろう。
彼の妹も、声に乗るほど強烈な“想い”を1人で抱えて、どうにもできずに苦しみ続けるのだろうか。
僕は、柿原の無念を、妹への深い愛情を知りながら、彼を……彼らを、見捨てるのか――……?
「……っ、考えさせて、ください……」
絞り出した声は、震えていた。
これが、今の僕にできる精一杯だ。
人の想いを天秤にかけながら、すぐに頷くことができない自分が情けない。
「……母上、以上です。お手間を取らせました。今日は夕飯の支度をするのでしょう? もうお戻りいただいて結構です」
「そうですか、分かりました。都さん、よく頑張りましたね。透さんも、喧嘩にならないよう工夫してえらいわ」
「……ありがとうございます」
「それでは、母は行きますね。夕飯ができるまで、仲良く待っているんですよ」
「はい」
いつもの、柔らかな口調に戻った母上に僕は言葉を返すことができなかった。
顔を伏せたまま、衣擦れの音や足音が遠ざかっていくのを聞いて、母上が離れていく様子を知る。
「……都」
「はい……?」
静まりかえった部屋に、裏庭の草木がさざめく音が響く。
名前を呼ばれて顔を上げると、兄上は僕に向かって口を開いた。
「奏瀬は、“想い”を昇華する。それ故に、お前の儀式に対する恐れも、やろうと思えば簡単に消し去ってしまえる」
「……はい」
「だが、俺も父上もお前の恐れを昇華しようとは思わない。……お前自身も、そうしようとしなかったからこそ、今も恐れを抱えているのだろう」
目を伏せる兄上が、何を言おうとしているのか想像もつかない。
今まで、僕は罪の意識があって兄上を避けていたから、あの時に関する話をする機会もなかった。
思えば、あの日以来初めてだ。
こうやって、きちんと話をするのは。
「お前は未熟だ。だが……ちゃんと教えを守って、己の“想い”から逃げずにいる。……失敗を忘れるな。恐れに立ち向かえ。今まで泣かなかったお前なら、乗り越えられる」
「……! 兄上……」
「夕飯まで、まだ時間がある。父上も今はお疲れだろう。お前は部屋に戻って休め」
「……はい。失礼致します」
兄上のお言葉が、胸にじんと染みこむ。
頭を下げて、隣の自室に戻った僕は、1人、部屋の中央で正座しながら昔のことを思い出した。
『どうした、都。こんな庭の隅でうずくまって。もうすぐ夕飯の時間だぞ』
『兄上……何でもありません。夕飯は、あとでいただきます』
『それでは、母上が心配なさるぞ。何でもないというなら、顔を上げろ』
『! それは……』
いつのことだったか、裏庭の隅で小さくなって座っていた僕のところに、兄上がやってきたことがある。
『――友達と喧嘩をしたのか。酷いことを言ったから、後悔しているのか?』
『……はい。カッとなって、言いすぎてしまって……でも、あいつも悪いんです! 次はぼくの番だったのに、いつまでたってもボールを渡してくれないから』
『そうか。それで、都はどうするんだ?』
『……明日、あやまろうと思います。ひどいことを言って、傷つけたから……。……でも、あやまりたくない気持ちもあって……』
今となっては、誰とどんなことで喧嘩していたのか、思い出すこともできない。
ただ、兄上が僕と一緒になって庭に座り込んだことは覚えている。
そして……。
『ムカムカするこの“想い”を消してしまったら、すなおにあやまれるでしょうか』
『ちゃんとした理由があって都が怒ったなら、“想い”を昇華したところでまた同じ“想い”を抱くことになるぞ。それに、邪魔だと思う“想い”でも、奏瀬の人間は簡単に昇華してはいけない』
『でも……悪いことをしたら、あやまらないと』
『あぁ、そうだな。だから……強くなれ、都。ムカムカする“想い”から逃げずに、ちゃんと向き合うんだ。奏瀬の力を持つ者、涙を流すべからず。どんなことがあっても、泣いてはいけないぞ、都』 凛として笑う兄上はとてもかっこよくて、僕はいつも、兄上のようになりたいと大きな背中を見つめていた。
胸に深く刻まれた教えは、今まで僕の涙を留めて、自らの“想い”から逃れることを許さなかった。
“想い”を昇華する力を持つからこそ、僕たち奏瀬は自らの“想い”を昇華してはいけない。
それがどんな“想い”であっても、奏瀬は悩み、苦しみ、自らの“想い”に折り合いをつけて、進んでいかなければならない。
いつの間にか、瞑っていた目を開く。
今もまだ胸に残っている、大切な教え。
兄上の言葉で、僕はそれを改めて思い出した。
「強く……」
小さく呟いて、唇を引き結ぶ。
兄上を尊敬する想いは、今も消えていない。
昔から憧れていたあの人のように、僕はなれているだろうか?
自問の答えは、考えるまでもない。
――強く、ならなければ。
奏瀬本家で過ごした一晩は、思いの外リラックスできた。
夕飯は懐かしくも感じるバランスの取れた豪勢な和食で、母上が作られたという肉じゃが(お袋の味とやらに挑戦してみたかったらしい)も、意外と言っては失礼だが、大変美味だった。
父上や馴染みの使用人、屋敷の2階に住み込みで修業中の“引き受け屋”見習い(奏瀬の分家に当たる者だ)など、屋敷内にいる者達とも挨拶を交わして、安穏に眠り――……。
今は早朝。空も明るくなり始め、のびのびとした鳥のさえずりが聞こえてくる。
まだ動き出すには少々早い時間だが、僕はそれを利用して、僕の部屋から中庭を挟んで反対側の場所にある、儀式場に来ていた。
「……」
この部屋は集中できるようにと作られているから、考え事をするにはぴったりで、昔から悩みを抱えた時にはよくここに来た。
四角く切り取られた空間に自分1人で、姿勢を正して座り、目を瞑って、呼吸の音や鼓動に耳を傾ける。
そうして無心になると、頭が隅々まで冴え渡るようで落ち着くのだ。 実は、こうやって心を落ち着け、まっさらな状態になる方法は幼い頃の修行で身につけた。
他者の“想い”に同調し、共鳴する(“想い”を引き受ける)ためには自分の“想い”を鎮めることが必須だからだ。
と言っても、本来幼少に行う修行というのは、日常生活に支障をきたさないように奏瀬の力を制御することが目的なので、昇華の儀式にまで踏み込んだ僕は異例だ。
何故父上が僕にそこまでの修行をさせたのかは分からないが、結果的に僕は今、“引き受け屋”として儀式が行えるだけの能力を備えている。
本当に、儀式が行えるだけなので、事務的なことや客を相手にする時の作法などは全く分からないが。
「この部屋にいるお前を見るのは数年ぶりだな」
「……兄上」
瞑想をしていた僕は兄上が襖の前に立っていたことに気付かず、驚いて顔を上げた。
僅かに開けておいた襖を人が通れるくらいに開き、着流し姿で腕を組んだ兄上は、廊下に佇んだまま僕を見下ろす。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。お前は、次期当主として覚悟を決めたのか?」
兄上の静かな瞳が、じっと見定めるように僕の姿を捉える。
「……いいえ。まだ、奏瀬のことは考えられません。僕は、どうしても自分が次期当主に相応しいとは思えない……。けれど、この力を使う覚悟はできました」
僕の答えを聞いて、兄上は目を瞑った。
小さく吐き出した息が何を意味するのか、それを考える前に兄上が口を開く。
「今回は、特別に見逃そう。次は覚悟を決めてからここに来い」
「……! はい。ありがとうございます」
兄上に向き直り、頭を下げると衣擦れの音がした。
僕の横の方へと移動するその音が気になって顔を上げると、廊下に立っていたはずの兄上が、瞑想していた時の僕と向かい合う位置に腰を下ろそうとしている。
「兄上?」
「修行とは言え、客を取らせるのだ。“引き受け屋”を名乗るからには妥協は許さん」
“引き受け屋”を名乗るつもりはなかったが、普段よりも数倍厳しい目つきになった兄上に口答えすることはできない。
僕は思わず顔が引きつったのを自覚しながら、朝食の時間になるまで、影で鬼と呼ばれる兄上の指導をみっちり受けることとなった。
****
〈もしもし、奏瀬!?〉
「……騒々しいな。少しは落ち着け」
奏瀬本家に1泊した僕は、いつもより早く出発することで、問題無くアルバイト先に到着した。
報せはなるべく早く伝えてやった方がいいとは思ったが、早朝に電話をかけるのは躊躇われて、昼休憩となった今、こうして柿原に電話をかけている。
〈あぁ、悪い。……じゃなくてっ、どうなった!?〉
「落ち着けと言っただろう。心配するな、儀式は行う」
〈本当か!? よかったぁ……!〉
喜びと安堵に包まれた声から、同様の“想い”を感じ取る。
僕も敏感な方とは言え、柿原もよく“想い”が外に出る男だ。
今朝、兄上に言った通り、僕は奏瀬の次期当主に指名されたことを受け入れたわけではない。
奏瀬の……自分の力に対しても、まだ葛藤はある。
けれど、柿原の“想い”を感じ取り、関わりを持ってしまった時点で、僕は柿原を、そして彼の妹を見捨てることができなくなった。
他の者では助けられず、彼らを見捨てることもできなくて、僕に柿原達を救う力があるのなら。
――結論はひとつ。僕はその選択を、後悔しない。
「妹御は外に出られないと言ったな。場所は柿原の家でいいだろう。僕も忙しい身だ、直近でも来週の水曜か土曜の午前中になるが、そちらの都合はどうだ?」
〈あぁえっと、来週の水曜なら俺も空いてるけど……奏瀬の予定なんて関係あるのか?〉
「当然だ。僕が儀式を行うのだからな」
〈へー、奏瀬が儀式を…………って、はぁ!? 奏瀬が儀式を!?〉
通話口から大きな声が聞こえてきて、眉を寄せながらスマートフォンを離す。
いちいちうるさい奴だ。
「兄上と話して決まったことだ。僕が柿原の依頼を受ければ、“引き受け屋”は代金を取らない。金の心配がいらなくなるのだから、柿原にとってもいいことだろう」
〈そりゃあ、助かるけど……でも、奏瀬にできるのか? 前はできないって言ってただろ?〉
「できないとは言っていない。僕の管轄ではないとは言ったが」
〈自分は“引き受け屋”じゃないとか散々言ってたくせに……〉
「家業に携わっていないのは事実だ。僕1人じゃ不安だと言うなら安心しろ。当日は兄上もいらっしゃる」