名月と言えば、旧暦8月15日の十五夜が有名である。同時に、もうひとつ。
旧暦9月13日の十三夜と言うものがある。
新暦で言えば年によって前後するものの、お月見に対して10月頃が多いとされる。その日はお月さまに豆を供えて、豆を食べる日。
人間にとって豆名月と呼ばれる月見の日は、鬼たちにとっては鬼神の子が落花生の精の血を引くからこそ、落花生鬼神への宴を催す特別な日。
「鬼……鬼が、たくさん」
八雲と一緒だから安全安心とは言え、やはり鬼の角を見ると、恐い。
「どうしよう。俺の嫁がかわいい。俺にめっちゃくっついてきてくれてかわいすぎる。俺……やっぱり帰ろうか。殻の中にすっぽり包んで、ピーナッツバタークリームのようにでろあまにするのだ……っ!」
私が恐がって八雲にくっついていたからか、八雲がとんでもない思考に走っている……っ!
ピーナッツバタークリームのようにって……どんな……。
しかし思いもよらないところから救いの手が入る。
「那砂さんに勧められてついてきて正解でした。祭祀の頭領が困るので、帰るのはダメですよ」
夜霧さんに指摘され、八雲が口を尖らせていた。
因みに那砂さんは、予定どおり今夜は社で玻璃を見てくれている。
「でも……夜霧さんは良かったんですか……?その……ここには……」
くだんの頭領・白玻がいる。夜霧さんからしてみれば、かつての妻・弥那花とダブル不倫をしていた相手。しかも子どもまで作っていたのだ。
「その件は……そうですね。もともと人間側が強く推してきたと言われる縁談でしたし……あの場では頭領が軽率なことをしようとしていたので……告げましたが」
そう……そうか……もしかしたら夜霧さんも弥那花の異常性に気が付いていたのだろうか。弥那花の周りでは、常に弥那花が正しく、全て弥那花のものだった。それは私の物、服、友人、そして自由さえ。
唯一弥那花のものにできなかったのは、娘ができたことで両親が嬉々として鬼の頭領の花嫁の座を確保したがために結ばれた私と白玻の縁談である。
そればかりは両親、親戚一同が弥那花の方が適任と見なしても、弥那花がどんなにねだっても、簡単にすげ替えることなどできなかった。
鬼や異形との契約と言うのは、人間が考えるよりもずっとずっと重たいもので、簡単に覆せるものでもないのだから。
それでもダブル不倫はできてしまうと言うのだから、世の中不条理すぎる。
「うむ……頭領と言うのは時に権力の象徴だからな……?人間も昔は一夫多妻と言うのをやっていただろう?」
えっと……平安時代とかの話だろうか……?世界には一夫多妻の国もあるそうだが……現在のこの国では基本は一夫一妻。
「だが不倫やダブル不倫と言うのは現代だからこそよな」
クツクツと嗤う八雲。
「だが……俺は壱花一筋だ。こうして夫婦になった以上は壱花と……殻の中でひとつになりたい」
その……たとえが独特すぎると言うか、落花生ならではでちょっと反応に困る。
「ならば試しにこの場でひとつになろうか……?」
「え……っ!?」
「いえ、みな宴会場で待っているんですから、急ぎますよ」
夜霧さんが呆れたように告げれば。
「お前は真面目すぎる!!」
いや、八雲のノリが独特なだけでは……。
けど。
「ふふっ」
「壱花?」
「何だか、楽しいなって」
お陰で鬼への恐怖が和らいだような気がするのだ。
「ならばよい。今夜の俺は結構上機嫌だ」
「それは何よりです」
まぁ、私も八雲も楽しいなら……良かったかも。
八雲と夜霧さんと共に、宴会場へと向かう。途中給仕の鬼とすれ違いびくついたものの、何故か相手も恐縮した。今までと明らかに違い、こちらが驚いたのだが。
やはり八雲の守護……なのだろうか?
そして宴会場の扉の前にも鬼がおり、私の姿に驚いたような表情を見せる。
「恐れながら、その娘は……っ」
鬼が咄嗟に八雲を見て声をあげる。
やっぱり私……場違い……なのかな。道具でしかなかった私を、知っている鬼は多いだろう。特に白玻に関わる鬼ならば。
彼らに散々笑い者として見せつけられたから。
「我が花嫁だ。何か文句があるのか……?」
ふわりとひんやりとした空気が上がってくるのを感じたのは、気のせいではない。
八雲の表情は今までの人懐っこい表情とは違い、どこか他を寄せ付けない空気を纏う。
八雲に問うた鬼は何か恐ろしいものを前にしたように身をこわばらせる。
――――だが。
「壱花?」
ぱあぁぁぁぁっと広がる笑みはいつもの八雲である。戻……った……?
「さぁ、入ろう」
「……え、うん?」
あの鬼はいいのだろうか。
「あれは気にしなくていいですよ」
夜霧さんも……そう言うのなら。
不安な気持ちも、八雲と一緒ならちょっと落ち着く。
「八雲さまと壱花さまは上座ですから、このまま」
「はい」
夜霧さんの案内で席に向かえば、そこから聞き慣れた不快な声が響いてきた。
「何でよ!?ここは私の席よ!だって一番豪華で、ご馳走がたんまりあるじゃない!」
み……弥那花だ。
相変わらず煌びやかな容姿を持つ彼女は、あの時の宴のようにうんとおしゃれをして、豪華な着物にアクセサリーを身に付けている。相変わらず……である。
私の一度目の祝言の日ですら、自分が一番とばかりに着飾ってきた。
まるで主役は自分であると言わんばかりに。まぁ……実際そうだったのだが。彼女は白玻の愛人となり、それから……本当の花嫁になったのだから。
そしてその弥那花の傍らには。
「やめろ!弥那花!私たちの席はここではない!」
白玻だ。
私には一度も同席を認めなかったのに、弥那花だけは普通に連れてきたのか。連れてこられても困ったが……それでも白玻以外の鬼を知れただろうか。
しかしあの白玻が、ひどく狼狽えている。
弥那花をあんなにもうっとりと見つめていた顔はそこにはなかった。何かをひどく恐れているように焦りながら、弥那花をその場から引き剥がそうとしている。
「何で!?何でよ!白玻は鬼の中でも一番強くて偉いんでしょう!?なら、一番豪華なここが、私たちの席よ!」
私たち……か。
本来ならば、人間の花嫁でも、連れてくるのは普通だったのだろうか。
「何を騒いでいる。鬼の子らよ」
その時、あの時のようなよく通る八雲の声が響き渡り、周囲の目線が私たちに……いや、正確には隣の八雲に集中するのが分かった。
そして白玻が絶望したように八雲を見、そして弥那花は八雲の隣の私を見付けて目を吊り上げる。
「ちょっとぉっ!何でここに壱花がいるのよ!」
普段外では容姿に恵まれぬ姉を哀れむいいこを装って【お姉さま】と呼んでくるのだが、家の中ではそのように呼び捨て、暴言を浴びせる。
彼女が【一番】と称する鬼を手にして、もういいこの皮を被る必要もないと思ったのか。
白玻の花嫁になったから、全てが自分の思い通りになると確信したのか。
「鬼の頭領である白玻に捨てられたたかだか道具が!私のための宴に顔を出す権利がどこにあるの!?」
同じ人間の花嫁だと言うのに、私は道具。彼女はそうではない。その基準は……美醜……いや違う。弥那花であるか、それ以外であるかだろう。
「ち、違う!弥那花、やめろ!これはお前の宴では……」
白玻が焦って弥那花を後ろから力の限り押さえ付ける。
「何言ってるの!?白玻!だってそうでしょう!?私が白玻の花嫁となったことを鬼の一族総出で祝ってくれる宴でしょ!?」
「違う!聞くんだ、弥那花!」
「嫌よ!これは私の宴よ!ここは私の席よ!それから……アンタみたいな道具はこの場には分不相応だわ!出ていけ!!」
「……っ」
たとえ言われなれていても……傷付かないわけではないのだ。
「壱花が……傷付いている……!」
「……っ、八雲……」
ハッとして八雲を見上げれば。
「泣いて……いるのか」
「……え……、あ、これは」
いつの間にか目尻に涙が浮かんでいた。
「これくらい何とも……」
「おのれ、許せん!俺の壱花を泣かした罪、その身で贖うといい!いでよ……っ、刺身と餃子を食べた後に残って捨てられたソイソースの怨み……とくと味わうがよい!」
え……ソイソースって……醤油……っ!?
「あの、畳が……」
シミになるのでは。
「それもまた、よいな。壱花が豆のシミが染み込んだ畳の上で微睡む……素晴らしい」
そうだろうか。それはそれで醤油まみれにならないだろうか。
「では……ピーナッツオイルを染み込ませよう」
「いや……その、油分だから、畳に染み込ませるのはちょっと……」
良くないのでは……?
「私は、ピーナッツバターサンドで、いいから」
「壱花……っ、それ、最高にかわいい。俺、超愛されてねぇ……?」
「そりゃぁ……」
八雲のことは……好きだけど。
「あぁ、俺の壱花がかわいい……っ!」
八雲がでれっでれな顔を向けてくる中、突然割って入った声にハッとする。忘れていた。いや、彼女たちにとっては忘れられていたほうが、幸福だったのではなかろうか。
「ちょっと、何をごちゃごちゃしゃべってるのよ!そんなブスよりも、私の方がかわいいわ!」
「あ゛……?」
弥那花に比べれば私なんて……。でもその言葉に八雲の声色がぐぐっと低くなったのが分かった。
「あ……や……っ」
呼び掛ける前に、八雲の手がすっと弥那花たちに伸び、八雲が叫んだ。
「ソイ・ソース・ポルカ・ドット――――――っ!」
え……醤油水玉……?
そして次の瞬間、弥那花と白玻が見事な醤油水玉に染まった。
宴会場は一瞬静寂に包まれた。
――――そして静寂を切るように弥那花が叫び出した。
「きゃぁぁぁっ!わ、わ、私のお着物が……全身醤油まみれ……醤油くさい……っ」
「醤油のかぐわしい匂いをくさいとは……失敬な……っ!」
でも全身醤油水玉漬けなわけだし……。
「そうだ。宴には醤油のために刺身も出るのだぞ。醤油も大豆からできている。たーんと味わうがよい」
「え……?あ、うん……?」
醤油と言えばお刺身につけて食べる……。実家では私の分なんてなくて、全部弥那花が食べていたっけ。鬼の屋敷に来てからは私は雑用で、一汁一菜出ればいい方だったからお刺身なんて食べたことがないけど。
「何……っ、だと……っ!?」
八雲が驚いたようにこちらを見ている。
「それならそれで、壱花の初醤油初刺身!俺が堪能できるのだな」
醤油は……初ではないのだけど。
でも、八雲と近付いた席には、未だに弥那花と白玻がいる。
近寄るのが……恐い。
そして弥那花と白玻の視線が突き刺さり、動けなくなる……っ。
「……っ」
しかしそんな時でさえ、八雲の声で我に還る。
「うん?いつまでそこにいる。とっとと失せよ」
八雲が冷たく告げれば、白玻の顔が青ざめる。
しかし反対に弥那花はかあぁぁっと顔を赤くする。
「ちょっと、この間も、今回も、私のための宴をめちゃくちゃにして……アンタ、何なのよ!落花生なんて背負っちゃって、何その殻。鬼のくせに落花生の呪いにでもかかってるの?だっさぁっ」
弥那花は標的を私から八雲に変更したのだ。どうやら八雲をどうにかすれば、この状況を打開できると踏んだらしい。でも、八雲をバカにされるのは……。今までは私に対してだったから我慢できたけど、私を選んでくれた八雲をバカにするのは……許せない……っ!
「あの……っ」
声を絞りだそうとしたその時だった。
「貴様は……今決して許されないことを言ったと……分かっているのか……?」
八雲の周りにふわりと舞い上がる、凍てつく冷気。お……怒ってる……。今までの弥那花の言動に対する怒りよりも、もっともっと……何か根本的なものが違う……怒り。
「お……お許しください!ち、違うのです!これはその、その卑しい女……壱花のせい……っ」
白玻が躍り出る。いつも都合の悪い時は、私のせいだった。私の知らないことまで、私のせいにしてきた白玻。今回も……また私のせいにするのか……っ。
しかし白玻の言葉は途中で途切れる。
「壱花の名を呼ぶな。貴様に壱花の名を呼ぶことを許してはいない」
許さなかったのはむしろ……白玻だったであろうに。道具に名はいらないと私の名前を私自身が名乗ることすら禁じ、そしていらなくなればその身ごといらないと捨てたのに。
「それからこの宴は、豆の、豆のための、豆を崇める宴だ!つまりはこの落花生鬼神俺のための宴!それを自分のものだと?御神体である落花生を侮辱する貴様が?自惚れるなよ、娘。それに……鬼蓮の家では……人間の花嫁は【道具】なのだろう?ならばとっとと持ち帰れ。それともこの場で、切り刻んで土産に持たそうか?」
何か……八雲、すごいこと言ってない?
この場でスプラッタとかは勘弁して欲しいのだけど。
「壱花がそう望むのであれば裏庭でしよう!」
次の瞬間、冷ややかな無表情をぐでっと崩してこちらを向き、朗らかにそう告げてくる。それはそれでホラーなのだが。
「え……?」
そこ疑問系なの?
「取り敢えず、壱花」
「う……うん」
「キス、していい?」
何でこの場で急に――――っ!?
「何か俺、むしゃくしゃしてる。今すぐ切り刻んでやりたいけど……とにかく今、壱花とエッチなことしたい。まずは……キスしよう?」
いやいやいや、そのノリが意味分からないのだけど!?え……エッチって……。
「優しく抱く。他の鬼のことなんて、忘れさせてやるから」
そ……それって……っ、白玻との拭い去れない、恐い夜のこと……?でもそれは、八雲が隣で寝てくれるだけで……夜も、恐くない。玻璃も一緒に3人で寝られることがこの上なく……今は幸せなのだ。
「俺の嫁がかわいすぎる」
「ま、また、それ……」
そんなこと言われなれてないから……、照れてしまう。
「やっぱり俺は今すぐ嫁とエッチがしたい!!」
何を大声で叫んでるの!このエロ落花生!!
「では、この場は我々に任せ、八雲には花嫁殿とのイチャイチャを楽しんでいただくと言うことでどうかな?」
え、いきなりの……どなた?
金色の4本角に、プラチナブロンド、金色の瞳をした鬼は、とても優しげな男性であった。
「勝手に私も巻き込むのですか、 伊月さま。まぁこの場では仕方がないか」
4本角の鬼……伊月さんにそう話し掛けたのは、どこか見覚えのある深緑の髪に緑の2本角、そして特徴的な赤い瞳の鬼である。
「花嫁殿、八雲さまを頼みます」
は……はい……!?
「頼むって……何を?」
「イチャイチャしてていいよ~」
伊月さんがめちゃくちゃ笑顔で告げてくる。い……イチャイチャって何を……すれば。
恐る恐る八雲を見上げる。
「そんな急には……そうだな……。キスしていい?」
「え……あ、その……見られるのは恥ずかしくて」
「殻の中ならば見られぬぞ」
殻……?あ、落花生の……。
八雲が私を抱きしめ、そのまますっと飛び上がったと思えば、私たちを囲むように巨大化した落花生の殻が……。
パタンッ
――――と、閉じてしまった。
そして触れてくるのは……柔らかい唇。
「んむっ」
「んっ」
まるで堪能するようにくちゅくちゅとむしゃぶられる……っ!
「ん……っ、ふぁ……っ」
そして唇が解放されれば、暗闇の中のはずなのに、どうしてか八雲の顔が、よく見える。
「もういっそのこと、ここでやらないか?」
「さ、さすがにそれは……っ。声も……漏れない?」
「どうだろうか」
『けっこう漏れてますね』
ひぃっ!?殻の外から夜霧さんの声が……っ!
「八雲……その、殻から出して……?」
「やだー、もっと壱花と殻に籠るぅっ」
そんな甘えられても……っ。
「外が、気になるの」
「む?興味あるのか?」
『お刺身』
「はっ」
『あと、小豆のスイーツもあるそうですよ』
す、スイーツ……私も食べて……いいの?
「嫁がかわいすぎるぅっ!殻から出したくないでもかわいい~~っ!!!」
『隣に座っといたらどうですか?席はあのお二方のせいできれいになりましたから』
そう言えば……外はギャーギャーと騒がしいようだけど。
「ふむ、それならば」
落花生の殻が開き、外から光が降ってくる。
落花生の殻は何事もなかったかのように、座っても邪魔にならない大きさに縮小する。
「ほら、壱花、こちらだ」
「……うん」
八雲に連れられ、用意された席につけば、用意されていたご飯に追加で、給仕たちが私たちの前にお刺身と醤油を出してくれる。
「さて、食べるがよい」
「……う、うん」
醤油につけて食べる初めてのお刺身は。
「……おいしい」
弥那花や両親たちが、私の前で見せびらかしながら食べていたけれど。多分こちらの方が、ずっとずっとおいしい。八雲の隣で食べる、味だもの。
「俺は今すぐ壱花を堪能したい」
「で、でも……っ」
八雲が横からぎゅっと抱き締めてくるのに驚きながらも……振りほどきたいとは思えなくて。その温もりにすら安堵の息をもらしていた。しかしその場にまたもや不釣り合いな声が響く。
「いや゛――――っ!放しなさいよ!私の宴!私のご馳走!なんで壱花が食べてるの!?あれは私のよ!!」
大勢の鬼たちに引きずられるようにして退場する弥那花だった。その横で白玻が手荒な真似は寄せと怒鳴るが……。
「そう言えば……先ほどそちらの花嫁殿が面白いことを言っていたね、白玻」
伊月さんが嘲笑するように口角を上げる。
伊月さんの笑みに、白玻は先ほどの鬼たちへの威勢のよさを弱める。
「白玻が鬼の中で一番なのだって?初耳だ」
「そ……それは……っ」
白玻は口ごもるが、弥那花が叫ぶ。
「そうよ!白玻は最高の……っ」
「黙るんだ、弥那花!」
「だって白玻は鬼の中で一番偉いんでしょう!?」
「弥那花!!」
「ふぅん、そう?だからぼくの部下にもそんなに偉そうなんだねぇ。彼らはぼくの指示で動いてるにすぎない。そしてそれは八雲の意思でもある。お前はいつから鬼神よりも偉くなったのかな……?」
「……っ」
白玻は顔面蒼白である。あんな白玻は……結婚していた頃ならば想像もつかなかっただろうな……。
「それに、八雲さまも気になることを言っていた。お前は花嫁を道具として扱うそうだな」
緑角の鬼が吐き捨てれば、白玻がしとろもどろになる。
「その……そんなことは……っ、弥那花は私のっ」
「道具はあのブス女だけよ!!」
弥那花が白玻の言葉を遮って叫ぶ。
「この娘に発言を許した覚えはないのだが」
「八雲の前ですら、許しを得ずに好き勝手しゃべる女だぞ?今さらだ」
「それもそうか……そして、八雲さまの花嫁殿に対してもずいぶんな言いぐさだ」
「その……あの女は……」
「娘からも聞いているが……お前がやったことは最低だと私は思うがね、白玻」
娘……?緑鬼さんの……?
「これは頭領追放も視野に入れないとねぇ」
クツクツと伊月さんが嗤う。白玻が頭領を追放される……?
「そんなこと、許さないわ!」
「やめろ、弥那花!」
対抗心を剥き出しにする弥那花に対し、白玻は何か強大なものを前にするように怯えながらも弥那花を制そうとしている。
「へぇ……?ただの人間の娘の分際で、ぼくに意見するんだ……?」
伊月さんが、先ほどまでの穏和な笑みも、試すような笑みも消し、ゾクリとする笑みを浮かべていた。
それにはさすがの弥那花も固まっている。そしてだらだらと垂れる汗と溶け出した醤油が混ざり合い、化粧が溶けてひどい有り様だが……それを気にする余裕などないらしい。
「この無礼者とともに、連れ出せ」
そう命じる伊月さんの纏う冷たい気は……誰かに似ている気がした。
招かれざる客。
いや、招かれてはいたのだろうが、完全に招かれざる客となった弥那花と白玻は宴会場から引きずり出された。
「さて、邪魔者がいなくなったところでっ」
伊月さんがにへらぁっと笑みを浮かべてこちらに戻ってきた。先ほどまでのゾクリとする気は既に消え去っている。
「花嫁ちゃんを紹介してね」
わ、私!?
そして緑鬼さんと一緒に私たちの席の前に、サッと座布団が用意され、ふたりが腰掛ける。
「えぇ?」
しかし八雲は八雲で不満顔。
「その、八雲ったら……っ」
以前なら意見することもなく、ただ怯えるだけだったのに。どうしてか八雲には……安心するからか、言葉を交わそうとしてしまう。
「それでいい」
「……っ」
「壱花に言葉をもらうのは嬉しい」
「そう……なの……?」
「八雲ったら……花嫁ちゃんの心の声聞いてるの?」
その時伊月さんから声がかかり、ハッとする。その、この場にはおふたりもいるのだから、しっかりしないと。
「あなたが言うか?」
しかし緑鬼さんが意外そうな顔を伊月さんに向ける。
「あっはっはっは。まぁ、それだけ好きってことなのかなぁ。めでたいことだよね」
「当然だ」
即答する八雲も八雲なのだが。
「照れてる壱花もかわいい」
「す……すぐそう言うことを……っ」
言うのだから……!
「聞いている通りらしい」
「あっはは。君のところは情報源があるものねぇ」
それはどういう意味なのだろうか……?
「いや、しかし。まずは花嫁ちゃんに自己紹介をしようかね。気になっていることだろう?」
「……は、はい」
伊月さんの言葉に頷く。
「まず、私は伊月。鬼の頭領をしている。もっぱら担当は鬼の世だ」
この方が……。そして白玻よりも、偉い……頭領さん?
「当然だ。鬼神なのだから、鬼の誰よりも偉く、強い」
「き……鬼神さま……神さま……!?」
そうか……だから白玻は……っ。
「確かにそうだけど、神事はほとんど八雲に任せてるから。今はほとんど鬼の世を治める頭領の仕事に専念しているよ」
とは言っても……神さま……。あれ、そう言えば……八雲って……鬼神さまの……息子……?
「そうだが?」
「お……おや……っ」
親子!?
「うむ」
「え……えと……」
それって、義理のお父さまになるのでは!
私はこの席に座っていていいのか……!?
慌てて立ち上がろうとすれば、八雲の腕が腰をすとんと落とすように巻き付いて来た。
「八雲ったら、言ってなかったんだねぇ。あはは、まぁお前らしいね。やっぱりぼくの息子だから、そう言うところもあるかなぁ」
「別に」
別にって八雲ったら……。
「でも、その席は息子と君のための席だから、遠慮せずに座りなさい?神事でぼくがそこに座ったら、神さまの仕事をしなくちゃいけなくなっちゃう」
「いや、それも務めなのですが」
緑鬼さんの言葉に、伊月さんは相変わらずヘラヘラと微笑んでいる。
「でも神さまとしては隠居してるから。元より、鬼蓮が人間の花嫁に対してだいぶひどいことをしていたようだ。あちらには人間界を任せていたとはいえ……ぼくも任せすぎたと言うところがある。あちらの掃除もしなきゃいけないし。神事に関しては暫くはまだ、八雲に一任するよ」
やっぱり先ほどの話の通り……白玻は頭領ではなくなるのだろうか……?
「人間の花嫁を道具としたのだったな……?人間の花嫁と言うのは、女鬼の少ない鬼にとっては救いの存在でもある。あの男の考えは理解できない」
緑鬼さんが頭を抱えていた。
「そう……なのですか」
「当然です」
緑鬼さんが即答する。
「私も妻は人間ですから」
え……っ。
「まだ名乗っておりませんでしたね。私は祭祀を取り仕切る鬼の頭領の柊と申します。娘からも花嫁殿のことは聞いておりますよ。とてもかわいらしい御方だと」
「娘……さん?」
もしかして……なのだが。その髪と角の色は……。
「那砂です」
「那砂さん……っ」
その、お父さまだったんだ。
「我らは代々祭祀を取り仕切っておりますから、その血族の娘も、落花生鬼神さまにお仕えしているのです」
「まぁ、八雲と合う子があんまりいなくて、切り盛りが大変だったのだけど……今はもうひとり迎えたんだったね」
伊月さんが夜霧さんを見る。夜霧さんはぺこりと礼をし、伊月さんがにこりと笑んだ。
あれ……そう言えば。夜霧さんはともかく、弥那花は夜霧さんには見向きもしなかった。弥那花にとっては……悲しいがそう言うことだったのだろう。
夜霧さんはとても優しい鬼なのに。
「……ふぅん?」
八雲がぼそっともらした相槌は……八雲も同じように感じたと言うことなのだろうか。
「さて、今宵はおいしいものをたくさん食べてくだされ。甘味もありますので」
「甘味……っ」
つまりはスイーツだ。
伊月さんと柊さんがにこにこしながら席に戻れば、追加で料理が運ばれてきた。宴会場は盛り上がっているみたいだが、一郭だけ……どんよりしてないか?
「ふふ……っ、あれは鬼蓮の一派だよ。本当ならば今すぐ退出したいところだろうが、伊月と柊から生き恥を晒せとばかりに睨まれているから動けぬのだ」
あ……そうか。白玻たちは退場しろと八雲と伊月さんが命じたけど、彼らは違う。そして伊月さんと柊さんがいる以上……彼らも好きには動けないのだ。
「気になるのなら、追い出すが?」
「……うーん……」
何かしてくるわけではないのなら……。かといって伊月さんたちからの圧から解放してあげると言う……義理もないかな。
こう言う宴にくるような立場の鬼たちだ。白玻の側にいるような、見覚えのある鬼たちもいるが……、わざとこちらを向かないように黙々と食事を口に運んでいる。
「ほう……?それはどいつだ?余興に遊んでやろうか?」
いやいやいや、だからどうしてそう物騒な思考に……。
「関わりたくないから……」
「ふむ……そうか」
それに……今は目の前に来たスイーツの方が……。
「甘味に嫉妬してしまうぞ」
そう耳元で囁かれた甘い声に、いつも以上にドキッとしてしまう。
「もっとやろうか……?」
ひゃ……っ!?また耳に口を近付けて……っ。
「そう言うのは……外では……っ」
「では……社の中でやろうか……?」
そう言う問題では……っ。でも……嫌じゃ……ない。
「やっぱり壱花がかわいすぎる。俺もう帰る」
えぇ――――っ!?
「せめてスイーツ食べ終わるまではいてください」
さすがは夜霧さん。うん、スイーツは食べたいもの。
「それもそうだ」
そんなやりとりも、ここ数週間だと言うのに、何だかすっかり慣れてしまって。とても、微笑ましい。
※※※
宴もたけなわであるはずなのだが、私がスイーツを食べ終わるととっとと帰ろうと言う八雲に、伊月さんもあとはいいからと言ってくれたのだが。
「八雲は主役なのに……良かったの……?」
「んー、いいと思うよ?多分伊月がそう言うなら、多分このあとは久々の鬼神の大説教大会だ。鬼蓮の鬼たちは、充分反省すべきだな」
伊月さんの部下の鬼さんたちと、柊さんの部下の鬼さんたちも盛り上がっていたけれど……あれは鬼神さまからのお説教に移行する合図だったのだろうか。
八雲の隣を歩き、夜霧さんも後ろに続いてくれる中、ふと、気が付く。
「あの子……白矢くん?」
白玻と弥那花の息子。あのふたりは宴会場を追い出されてしまったけれど、あの子もついて来ていたの?なら……ふたりが追い出された時に、はぐれてしまったのだろうか。
――――だけど、どうしてだろうか……?
あんなにも白玻に似ていた容姿はどうしてか……黒髪黒目に、黒い角……年齢も3歳ではなく、5歳ほどに見える。
――――そもそも。最初の出会いですらおかしな点があったことに気が付く。
私と弥那花は年子である。私は18歳になり、高校を中退させられ嫁がされた。白矢くんが玻璃と同い年だと言うならば、弥那花は在学中に身籠ったと言うことになる。しかし弥那花は留年もせず、高校をしっかり卒業した上で夜霧さんに嫁いだはずである。なら……年齢が合わない。いや、同い年でも体格が違うこともあるかもしれないが……それだけじゃないことが、今、目の前にして分かる。
「どうして……」
年齢も、見た目も違うの……?そして私には彼が白矢くんだと分かるの……?
「それは、壱花が俺の加護を得、幻術も洗脳も効かなくなっているからだ」
幻術……洗脳……っ!?
「どうして、そんなこと」
そう漏らせば、白矢くんがゆっくりとこちらに歩いてくる。
「それはお前が一番知っていることではないか、夜霧」
子どもらしくない口調。しかしそれもどうしてかしっくりくる。そして彼が呼んだのは……夜霧さん……?
振り返れば、小さな違和感がふつふつと湧いてくる。
白い鬼角の白玻。
緑の角の那砂さんの名は、緑を持つ植物の薺から来ているのが分かる。
同じく緑の角の柊さんは、柊は身こそ赤だが葉は緑である。
玻璃はガラス玉と言う意味だが、まるでガラス玉に私の色素が入ったかのように、角も、髪も目も黒である。
「因みに伊月は月が入るからその金の色、八雲はめでたい意味を込めているが、夜の雲にもかけてあり、漆黒の角も示す」
私の推測が正しいと言うように、八雲が解説をしてくれる。
八雲の黒い角が夜雲にかけてある。だとしたら……夜霧さんの角の色は……茶色ではなく本来は……黒なのではないか。
その推測が正しいかのように、その角は黒く、髪も目も、黒い。
――――霧は、私が八雲の妻となったその時に、とっくに晴れていたのだ。
鬼の世が干渉する人間の国は、鬼と相反するように色が濃く。
鬼が緑、赤、青、金、白、さまざまな色を持つ中でも、黒髪黒目が多い人間の花嫁が目立つほど。
黒い鬼と言うのは少ない。玻璃が生まれた時も、黒鬼であることは驚かれた。産婆からは私の色が入ったのだろうと言われた。鬼は元々、黒い色を持っていたとも。
どうして今のように色鮮やかになったのかは分からない。
しかし白鬼と言うのは、長い時のなかで、神秘的な美しさを醸し出すかのように、色が抜け落ちていったもの。
それに黒い色が入るのは、白鬼にとって屈辱的なことだとも……白玻は吐き捨てた。
私としては……八雲と同じ色の角を持って生まれてくれたことを、何よりも嬉しく感じているが。
「同じ、黒」
夜霧さんも、白矢くんも、黒い角、黒髪黒目。
「お前は……ぼくたちを裏切った」
白矢くんの言葉は、夜霧さんに注がれる。
「復讐すると誓ったのに……白玻に輿入れした人間と、その息子と共に住むことを選らんだ。これは裏切りだ!」
「それは……っ」
白矢くんの言葉に夜霧さんが口ごもる。思い出したくもない。けれど私が白玻にかつて嫁ぎ、玻璃がその血を継ぐことは……事実。
「それは違うぞ、黒鬼の子よ」
その時、どこか厳かな八雲の声が響くように漏れる。
「壱花は我の花嫁である。ほかの誰かの花嫁であったなどと言うことは許さぬ。そして玻璃が真に誰の血を引いていようが、全ての鬼の子らの原点は鬼神に通ず。ならば玻璃が壱花と我の子であることに代わりはない。そして何よりも重要なのは近しき血ではなく、玻璃が誰を父母と思うかだ」
「戯れ言だっ!」
「だが同時に夜霧もそなたも鬼の子ならば、我が愛しき鬼の子らには違いはない。それにこの角は……鬼神の角が金色だと言うのに、何故黒く染まっていると思う……?」
そう言えば……。玻璃の場合は特殊な事情だったけど……。
「それは鬼神となる前の鬼の祖先は角が黒かったからだ。我が角はその先祖返りなのだ」
じゃぁ……玻璃も私の血がはいったからってだけじゃない……?
「無論、玻璃もその可能性はある。鬼の子なのだからな。そしてそなたも夜霧も我と同じ色を持つ」
「けど白鬼は……白玻の一族は、ぼくたちを散々、何百年も苦しめて……最後には皆殺しにしたんだ……!ぼくと夜霧を残して……っ」
皆殺し……っ!?
「そうか……そなたらは、闇鬼だな。そして察するにあの頃からだとすれば……数百年。ずっとその姿か」
「夜霧は無理だけど、ぼくは変えられるから」
姿を変えられる……鬼もいるの……?
「普通の鬼には持たぬ力を持つ異質な鬼。それが闇鬼と呼ばれた鬼たちの名だ。お前たちはその力を使い、白鬼の一族に紛れ込んだのだな」
「そうだよ……復讐するために。長い時間をかけて……そしてあの鬼は歴代の白鬼の中でも弱々しい」
白玻が……?もしかして……妙に威勢を張っていたのは……それを隠すため?
「そのために花嫁を道具などと、片腹痛い」
最後には弥那花のお陰で愛する心を知ったと言っていたけれど。
「罪は消えぬ。被害者からすれば」
つまりは……白矢くんと、夜霧さんからも。
「でもま、鬼神と我を敵にしたのだ。白鬼たちは裁かれる。かつてはその家系ゆえに首謀者を処罰することで一族は続いたが」
一度処罰はされていた……でもそれだけで霧が晴れるわけではない。
「それでもぼくたちは……化け物と呼ばれ続けた。鬼の中には入れなかった。白鬼は罰を受けてもなお、ずっと……そうしたんだ」
「でも……夜霧さんは……私たちの大切な家族だよ」
「夜霧は……言霊を扱える。お前たちを好き勝手に言いくるめることだってできるんだよ!ぼくをあの女と白玻の子だと認識させられたように!」
それで……弥那花は自分の子だと認識していたのね。
――――だけど。
「夜霧さんは優しいから。私たち家族にそんなことはしないと思う」
「まぁ、俺の加護があるから、効かぬが。こやつはそう言うたちでもなかろう?でなければ壱花が望んでも放っておいた」
「最初から……全部分かっていらしたんですね」
「全部ではないさ。夜霧が話すたび、言葉に力が宿るのが分かったくらいだ。あとは本当の色よな」
「何だよ……っ、それ……!勝手に絆されて……そいつらのところに……っ」
「あの……あなたも一緒に来ませんか?」
「……は……?」
「だって……あなたは夜霧さんの、家族……なんですよね。だったら、あなたも私たちと家族のはずです」
「何……言って……ぼくは、化け物だ」
「関係ないです」
「……っ」
「私は……あなたと家族になりたいです」
「バカじゃ……ないの!?お前はバカだ!そんなことをしてみろ!お前は鬼たちの敵になる!」
「それは……今までと同じ……だから。でも、八雲たちが家族になってくれたから、別にいいです」
「……はぁ?」
「そうさな。あと、伊月と柊の勢力も我らと志を同じくする」
つまり白鬼の一派だけ仲間外れ……。でもそれは夜霧さんたちにしてきたことを思えば、無罪放免とはいかないだろう。
「壱花のこともだぞ?」
「……え?」
「それに、我も伊月も鬼の子らはかわいい血族には変わらん。柊も特に反対はしないだろうさ。ある意味泣くだろうが、歓迎するだろう。なぁ?」
八雲は何故か意味深な笑いを夜霧さんに向ける。
でもある意味泣くってどういうことだろう……?
「そ……れはっ」
そして夜霧さんの顔が赤い……ような……?
「そなたも我と共に来るがよい」
最後は……やはり八雲が導いてくれる……。
「あなたは、本当はなんて名前なんですか?」
手を差し出せば。彼はゆっくりと口を開く。
「……壹夜」
「いよくん、ですね」
重なりあう手は、まるであの日、八雲に家族として迎えられた時のように、温かい。
「ふうん……壹夜……か。これも運命かも知れぬな……揃いだ」
八雲が微笑む。運命……とは……?お揃いと言うのはやはり角のことだろうか。そう思っていれば、八雲が何故か意味深な笑みを向けてきた。
「あと、壱花。壹夜は……女鬼だぞ」
「……え?」
夜霧さんをちらりと見れば。
「……妹です」
なぬ……っ。
「わ……悪かったな……」
壹夜くん……いや、壹夜ちゃんは照れたように顔を背けてしまったが。
「壹夜ちゃんみたいなかわいい妹なら、大歓迎です」
ぽすんと抱き締めれば。
「意味深……?」
壹夜ちゃんの言葉に。
「どうでしょうか」
戸籍上は……いたのだが。結局姉妹と呼ぶ関係ではなかったのかもしれない。
「恐らく余程のことでもなければ、会うこともなかろう」
「心配しなくても……」
「それでも俺にくらいは……何でも打ち明けておくれ」
「……うん」
――――本当は……姉妹になりたくなかったわけじゃない。
分かり合いたいと思ったことも確かに……遠い昔にあったのだ。
壹夜ちゃんを連れて社に帰還すれば、那砂さんが出迎えてくれた。
「玻璃ちゃんは途中までは起きていたんだけどね。今はぐっすりよ。ほら、あそこ」
「玻璃……!」
見ればクッションを抱き締めながら、ブランケットをかけてもらい、すやすやと眠っていた。
「そろそろベッドに運ぼうと思っていたのよ。夜霧さん、手伝ってくれる?」
「えぇ、もちろん」
那砂さんの言葉に、夜霧さんが頷く。
「さて、壹夜ちゃんは壱花ちゃんとお風呂、入ってらっしゃい」
「えと……っ」
壹夜ちゃんは那砂さんのフレンドリーさに驚きつつも、何だか照れたように頷く。
「やはり天賦の才だな。鬼だろうが人間だろうが……天然タラシ」
へっ!?那砂さんが!?
「んもぅ、何言ってるの?それじゃぁあなたもタラシ困れたのね」
那砂さんが八雲を見て苦笑する。
「じゃなきゃ社は任せてない」
でも何となく分かるかも。その……みんなの……お姉さん……みたいなんだもん。
「着替えは何か用意しとくわ」
そう那砂さんが微笑む。
「いや、お前、姿変えられるんだから、大人の姿にもなれるんじゃ……」
「ぼくは子どもの姿にしかなれないんだよ……っ!」
それは姿が変わらないことにも影響しているのだろうか……?
「ふむ……そうだな……?それに関しちゃぁ、ここで暮らすうちに何とかなんだろ」
八雲が何か納得したように頷く。神さまにしか分からない何かを悟ったのだろうか。
そして壹夜ちゃんが静かに頷いた。
※※※
壹夜ちゃんと一緒にお風呂に入れば、やはりここの温泉はいろいろなものを癒してくれる。
とても落ち着ける。
「温泉のお湯は、熱くない?」
「……ん、うん……これでも長く生きてるから」
数百年って、言っていたっけ。
「でも……なんか、夜霧が絆されたの分かるかも……那砂ってひと……ほんとに……」
那砂さん……?
「那砂さんは、優しくて面倒見もよくて……憧れのお姉さんみたいなひとだから」
「……それは……(壱花もじゃん)」
最後が少し聞き取れなかったが……。
壹夜ちゃんと、もっともっと、仲の良い家族に、なれたらいいなぁ。
※※※
「壹夜ちゃんは今夜、那砂さんと寝るって」
夜霧さんが運んで寝かせてくれた玻璃を挟みながら、私は八雲とお布団に横になる。
「夜霧は一緒じゃねぇの?」
「それは那砂さんが困るんじゃ……」
その、大人の男女なのだし。
「むしろ困らないと思うが……まぁいいや。あのふたりは、あのふたりな」
「うん……?」
「それと……」
「ん?」
「夜霧たちの話も聞いたろ……?鬼ってのは、人間と寿命が違って、数百年……長けりゃ数千生きる」
「それは……」
何となくだけれど、知っていた。教えられることはなくとも、その中で暮らしていれば、何となくそうではないかと思うことがたくさんあったから。
「玻璃も、長く生きるのかな」
「鬼と人間の子は、鬼として生まれることがほとんどだ。稀に半鬼ってのが生まれるが……少ない。半鬼は特殊だが、鬼として生まれたのなら、寿命は鬼のものとなる。子どもは7歳くらいまでは人間の成長と変わらんが、それから徐々に成長が緩やかになり、青年期が長くなる」
そっか……人間の私は……玻璃の寿命とはうんと早くお別れになってしまう。
「そこは、知らぬのだな」
「……?」
「鬼の嫁となった人間は、鬼の寿命を選ぶこともできる。その場合は、番った鬼の寿命を踏襲する。もちろん人間としての寿命をまっとうすることも選べる」
「そんなこと……」
知らなかった。白玻が私を鬼の寿命にするとも考えられないが。
「だから壱花はまだ、人間の寿命だ」
「そう……」
きっと八雲よりも……当たり前だが早くに逝くのだろう。
「だが、壱花は俺の妻だ。たからこそ、俺と同じ寿命でも生きられる」
「え……っ」
「だが、俺は神でもある。鬼の寿命ともうんと長い時を生きる。つまり俺を選べば……悠久に長い時を生きることになる。それでもよければ……だが」
「だとしたら玻璃たちは」
「俺の眷属として生きるのならば、社で仕え続けるだろう。那砂は……俺を放ってはおけまいと、既にその道を選んだが……。玻璃には成長した時に問えばいい」
那砂さんも、そうなんだ……。玻璃には……うん、選ぶのは玻璃だから。
そして……八雲とは。
八雲が少し不安げな表情を向けてくる。
私だって……このひとを、ひとりにはできないから。
「私も、八雲と同じ寿命にしてください」
「いい……のか……?」
「私は……八雲と一緒にいたいから。私も八雲をひとりにはできない」
「……壱花……あぁ……嬉しい」
八雲は、とても幸福そうに、頬をほころばせる。私も……幸せだから。
「う……まま、ぱぱ……?」
は……っ。しゃべっていたから、玻璃が目を覚ましちゃった!?
「玻璃」
「ゆっくり眠んな。ぱぱとままがついてる」
八雲が玻璃を優しく撫でてくれる。
「ありがとう、八雲」
「それは、俺のセリフだ、壱花」
額に優しい口付けを贈られて。
愛しいひとと、大切な我が子と。幸せな心地で寝入ったのは言うまでもない。
【完】
――――それは壹夜ちゃんがうちにきて暫く経った頃。
「……え、お前らまだなの?」
「まだって……その……っ」
八雲に問われ、夜霧さんが狼狽えていた。
何の話だろうか……?
「一辺ガツンと行って来いよ」
「いや、ですけど……ぼくには特殊な力があるので」
言霊の力だったっけ。
「那砂さんには使いたくないですが、思ってもみない拍子に出てしまえば、彼女の意思とは関係ない結果になってしまうかもしれません!」
那砂さんが関係してるのかな。
「お姉ちゃん鈍すぎ」
玻璃と遊んでくれていた壹夜ちゃんから声がかかる。え……鈍い……?
「あいつぁ俺の眷属選んでんだぞ?聞きゃしねぇよ」
「え……っ」
「言ってなかったか……?那砂は俺に生涯仕える選択をしてんだ。その代わり、女鬼としての幸せはさ……捨ててんだよ」
そっか……八雲と同じ寿命を生きるから。普通に夫婦はできないということ。
「でも、たったひとつ女鬼としての幸せがかなう方法があるとする」
「……それはっ」
「お前も選ぶか?俺の眷属を」
「選ばなければ、那砂さんと壱花さまが大変なことになるでしょう?」
確かに……主役の宴会ではすぐに帰ろうとしちゃうし、玻璃のことをお願いしている間は、夜霧さんについてきてもらっているのだ。
那砂さんとお買い物に行く時は、代わりに夜霧さんと八雲がみてくれるけど。
それでも夜霧さんの忠告は……ありがたい。
「なら、もうひとつついでに選んで来い」
「……っ、その……っ、それは」
もうひとつとは……?夜霧さんがかなりテンパってる?
「ねぇ、私の名前が聞こえた気がするんだけど、呼んだ?」
「わ――――――っ!?」
いつの間にか、夜霧さんの隣に那砂さんがいたのだ!
「そんなにびっくりしちゃった?ふふっ」
そしてにこやかに苦笑する那砂さん。
「そ、その、那砂さん……っ」
そして夜霧さんが意を決したように切り出す。
「ん?」
「その……ぼくも、八雲さまの……眷属にしてもらおうと思って……」
「あら、そうなの?それは助かるわ!一緒にがんばりましょうね」
「は……はい!」
にこりと笑みを浮かべる夜霧さんだけど……。
「夜霧、それだけじゃないでしょ」
壹夜ちゃんから鋭い指摘が入る。
「あら、何かしら?」
「えと……そのー……」
「おら、行け。こう言う時は気合いだぞー」
八雲がにやにやしている。
「簡単に言わないでくださいよ!」
「八雲ったら、また何か悪戯企んでるんじゃないでしょうね」
那砂さんの視線に、八雲がサッと視線を外す。
「ち、違うんです、那砂さん!」
夜霧さんが那砂さんの手を握り、見つめる。
「……えっと……」
「その……夫婦に……なってくれませんか……っ」
……え!?え――――――――っ!?
「本当に気付いてなかったんだな」
八雲!?
「お姉ちゃん相手に八雲さまも相当攻めたね」
「当然だろう?」
八雲が何だかドヤ顔を見せているが……。
夜霧さんと那砂さんは……!
「ん……うんっ」
那砂さんが……顔を赤くして、照れてる!?
「し、幸せに……しますから」
「うん……っ」
見つめ合うふたりが結ばれたことに心の中で拍手を贈った。
【Side:八雲】
「お前は玻璃と仲良しだなぁ」
「それが何?」
気が付けば玻璃と遊んでやってる壹夜は、壱花や那砂にも懐いているが……何よりも玻璃に夢中なようだ。
今も遊んでやって、遊び疲れて寝てしまった玻璃の側にいる。
あん時は、あの白鬼の血を引くと言って拒絶しているようだったが、恐らくそれは本心じゃない。
「守ってやってたのか」
壱花が四面楚歌で、玻璃もまた壱花の色と、先祖返りゆえに角の色が黒く染まったこの子を。
同じ色だから。
そして同じように白鬼に虐げられる被害者だったから。
「……それは」
「まぁ、いいよ。壱花も姉弟みたいってかわいがってるし」
いや、つか、こいつは何枠なんだろうな?那砂と壱花と一緒の時は妹枠で玻璃と一緒の時は玻璃の姉枠である。
――――でも……壱花がそれで幸せそうだから別にいいか。家族であることには代わりないからな。
なでなでと壹夜の頭を撫でていれば、そろそろいいだろうも手をどけられる。
「照れてんの?」
「違うから」
とは言いつつも、顔が赤い。心の声を読めば何でも分かるが……しかし、分かりやすい。
分かりやすくても嫁の声は常に聞いていたい。この前は那砂と一緒に母さんとお茶したらしいが、その時のことを思い出してめちゃくちゃ楽しそうだった。我が母ながら……ちょっと嫉妬した。
壱花も壹夜も最近は笑顔も増えたな。ふたりとも、あの白鬼や人間の花嫁には酷い目に遭ったって言うのに。
でもまぁ、白玻とその花嫁が壱花と壹夜……夜霧の前にも姿を現すことはないだろう。夜霧はあいつらへの裁定が下る場にはついて来たがな。そんときの夜霧の本当の色を見た時の白鬼たちの恐怖の面よ。
その場でも夜霧には散々あることないこと言いまくってきたが、伊月に睨まれて押し黙ってこらえていた。
無論その後の裁定では、白鬼は長らく続いた頭領の座を降りることになり、伊月が手をかけていた赤鬼と青鬼、それから紫鬼が人間の領域をそれぞれ任されることになった。元々は白鬼が独占していた市場だが、複数の目が入ることで、閉鎖的だった領域にも新たな風が入る。
鬼の突然の勢力交替で……かつての壱花の実家もでばって来たが、伊月の中臣である彼らが、主の義娘を虐げた実家などよく思うはずもない。見事に仲良く鬼の勢力域から追い出したそうだ。自慢の跡取りもいたようだが、鬼に見放されれば今までの栄華など露と消え失せる。そろって没落の一途を辿っているらしい。
それから白鬼一族は……落花生鬼神の花嫁を道具として扱ったとして、鬼社会から白い目で見られ、ほかの頭領たちに足でこき使われるようになった。もちろん壱花に酷いことをした白鬼や、その側近たち、末端でさえ、俺の神の力が見抜いているから、そやつらは別に罪を科したので今頃泣きながら刑を受けている。鬼の寿命は長い。せいぜいその長い寿命で贖うがいい。あと、白鬼たちには夜霧たちの一族にした罪への罰も加わっているからな。当分逃げられやしない。
あと、白玻とその花嫁には特別な罰がくだされた。生きているうちは決して出られぬ穴蔵で一生刑に服すこと。あいつらが外に出たら、壱花も玻璃も怯えるだろう?夜霧と壹夜だって。
俺は自分の家族に手を出されるのが一番嫌いなんでね。
けれど、白玻、そしてその花嫁も白玻と寿命を同じくし、人間ではないものになった。
――――だから、我が子孫の鬼の子らとして……特別に罪を贖うために生かしてやっている。
鬼神も落花生鬼神も……
我らが鬼の子らには……
――――特別に、慈悲深い。
【番外編・完】