金箔銀箔のあしらわれた屏風を背にして腰かけるのは、この宴会場……いいや、鬼の一族の中で最上位に君臨する頭領である。
息をのむほどに美しい顔立ち。艶のある銀髪に金色の瞳、角は白で、2本。しかしその性格は非常に冷酷で、ひとをモノとしか見ない。
そんな鬼の前に、周りを鬼たちに囲まれながら、席も用意されずにただ崩れ果てることしかできない。
「そんな……どうして」
やっとのことで絞り出した声に、クスクスと美女の笑い声が混ざり、そっと頭領の首に色白の腕を巻き付ける。
そんな美女をうっとりと見つめた頭領は、再び私を凍てつくような目で見据える。
「どうもこうも、私は弥那花と出会い、愛し合うと言うことを知った」
私の名は決して呼ぶことがなかったのに、美女……いや、妹の名だけは呼び慣れたようにするりと口からこぼれさせる。
恐ろしい鬼の頭領にとっては、人間は鬼の一族の繁殖のための道具でしかなかった。
道具には個別の名などいらない。ただ、鬼の花嫁となる特別な人間を、区別するために鬼の花嫁と呼ぶ。
頭領の花嫁でさえあればいい。頭領の花嫁と言う道具には名などいらない。
そう教えてこまれていた。
毎晩のように、できない日だってかまわない。鬼は毎日、毎日、生殖のために私を使った。
繁殖のための道具を使ってきた。自由になったのは、息子を身籠っていた時だけ。
産めばそれで、私は息子を取り上げられた。
息子は鬼の跡取りとして育てられる大切な宝。道具には過ぎたものだからと。
けれど、鬼の頭領と言う強大な存在。表の人間社会に紛れ、影で牛耳る存在。そんな頭領を敵に回すことなどできない。
むしろ実家もずっと、私を厄介者扱いしてきた。今さら、帰る家もない。
だから諦めていた。全てを。ただひとつ、息子に会いたい。その想いだけを、糧に。
「それに……弥那花は素晴らしい跡継ぎを産んでくれた」
は……?跡継ぎ……?
「おいでぇ、白矢」
弥那花が連れて来たのは、私の息子と同い年であろうか、3歳くらいの男の子だった。しかし何よりも驚いたのは。
寸分たがわぬ、頭領と同じ色。
まさか……まさか頭領と弥那花は、3年前から……いや、私が嫁いでからずっと肉体関係にあったの……?
「うふふ、お姉さまぁ。私と白玻の子なのよ?うふふ」
私が決して呼ぶことの許されなかった頭領の名を、弥那花は難なく呼び捨てにしていた。
「そろそろこの道具も飽いた」
非情な鬼の言葉が突き刺さる。
「んもぅ……、白玻も早く私と結婚したかったんでしょう?でも……お姉さまに夢を見させてあげるのも、姉孝行じゃない……?」
違う……地獄だ。頭領に嫁いで早4年。人間の世で生きていた頃から、私に生きる価値などなかった。鬼の頭領の道具として嫁ぐことも、価値はなく、ただの儀礼的な生贄だ。その生贄に、意味はない。毎晩のようにあの頭領の餌食となるための、生贄。
だがしかし、頭領は、鬼は見目麗しい。弥那花は暴れた。どうして見目麗しい弥那花ではなく、私が嫁ぐのだと。
両親はそんな弥那花に代わりの鬼をあてがった。そして弥那花も嫁いだはずだった。けれど……弥那花は諦めていなかった。
頭領を誘惑し、その心に人間を、弥那花を愛することを覚えさせた。
そして3年もの間、頭領との子どもを隠しながら、不倫を続けていたのだ。
「さすがに道具を娶ってすぐにと言うのも私の名声に傷が付く。そろそろ潮時だ。貴様は出ていけ」
「充分夢は、見られたでしょう?お姉さまぁ?」
出ていって、私に行く宛てはあるのだろうか。
けれど。
「む……息子は……息子は、返してください!」
せめて、息子だけは……っ!
「はぁ……?道具のお前に、鬼を?ふざけるな。そんなこと許してやる義理はない」
「そうよぉ。お姉さまの息子も?とぉってもかわいがってあげるから」
弥那花の嗜虐性溢れる笑みに恐怖を覚える。恐らく頭領は、自分に似た白矢にしか興味がない。愛する弥那花が産んだ白矢にしか。
そして弥那花のあの笑みは……いつも私を虐げる時の笑み……!
今度は息子が、私の代わりに弥那花に酷いことをされる……!
「お願いです!息子だけは返して!」
それでも必死に手を伸ばす。
「くどい!そもそも、貴様のものではない!」
「きゃっ!?」
頭領が容赦なく脚で蹴飛ばしてくる。
痛い……全身がひび割れそうなほど、痛い。毎晩痛め付けられている身体の悲鳴と、鬼と言う人外の脅威が与える衝撃が、身体をさらに蝕んでいく。
「やだ、汚い。せっかくの私のための宴なのに」
「そうだったな、弥那花」
頭領が、私にも周りの鬼にも向けない甘い声で弥那花を呼ぶ。
「これはとっとと捨てさせよう。よいか、みなのもの、よく聞くがよい!」
頭領が声を張り上げる。
「我はもう、この道具はいらん。これからは愛する弥那花を花嫁に迎え、跡継ぎは白矢とする」
では、私の息子はどうなるのか……?恐ろしい鬼は、それにすら何も触れない。
鬼たちが頭領の言葉に狂ったような歓声を捧げる中、ひとつだけ違う声が混ざった。
「花嫁とは……どういうことですか、頭領!その者は私の花嫁で……っ」
弥那花の……夫の鬼……?
鬼だからこそ、顔立ち整っているが地味な色の角、金茶の髪に橙の瞳の自信なさげな青年だ。
「我が花嫁を、自分の花嫁だと抜かすか!弥那花は我が花嫁だ!頭領である我が決めたこと!貴様なんぞに我が言葉を翻す権利など与えた覚えはないぞ!貴様のような無礼者は、今日この時を以て、鬼の一族から追放する!!」
「そんな、頭領……!!」
弥那花かわいさに……配下の鬼すらも非情に切り捨てるだなんて……っ!
「良かったぁ~~、いつまでもこの鬼がストーカーみたいについてきたら嫌だもの。アンタ、顔立ちはきれいだけどパッとしないし……白玻が一番……カッコいいもの」
「あぁ……弥那花」
何と言う、下らない。
弥那花は所詮は、顔立ちがよく何よりもの権威を持ち、自分に金銀財宝を与えてくれるものがいいのだ。頭領はそれをすべて兼ね備えた、まさに弥那花の理想郷。
「さて、とっととこのモノたちを捨ててこい!」
頭領の非情な言葉に、鬼たちはどっと沸き立つ。
「何をしてもよいぞ」
何を、させる気。目の前が恐怖で塗り尽くされる。嫌だ……嫌だ……誰か……助けて。
けれど助けなど来ないことを……今までの人生で私は思い知っていた。
衣を剥ぎ取られ、あられもない姿にされていく。動かない身体で、閉じることすらできない眼が、ひとではない異形の怪物たちを無限に映し続ける。
私だって……幸せに、なりたかった……。
――――あぁ、神さま。
『呼んだか、壱花!?』
――――は?私の……名前?
そして襖が開け放たれる音がした。
私の身体を掴んでいた鬼の手が一瞬にして放れていき、すとんと畳に落下した私の目に映ったのは……畳の上に浮かぶ巨大な……落花生……?
つまりは……ピーナッツ。
いや、本当に、落花生……?
『控えおろう、鬼の子らよ!』
いやいや、待って。落花生がそんなことを言って、鬼が聞くわけが……。
しかしながら私の身体は解放されている。
『さてヒトの娘よ、我を呼んだと言うことは、やはりその鬼よりも我の方が好きだと言うことよな!?』
は……はい……!?なぜそうなる!
『違うのか?』
その鬼と言うのは頭領のことなら、好きじゃない。好きになるわけがない。
でも……息子のことは、会えなくても私は愛している。
『なんと麗しい』
私は黒髪黒目の平凡な女なのだけど。
『まさにピーナッツサーンドッ』
何を言っているのかまるで分からない、このピーナッツ。
『では、我が花嫁の子も、共に迎えようではないか!』
はい……?花……嫁?
『うむ……!そなたは我を呼んだ』
いや、落花生は呼んでない、呼んでない。
『我が花嫁は照れているのだな。なんとかわいらしい!!』
照れてはいないけど……。
『よいか、鬼の子らよ。我は壱花を花嫁として迎え、その息子をもらって行くぞ!!』
私を……花嫁に……!?
落花生が!?
そして案の定、甲高い爆笑が響いてくる。
「あはははははっ!アーッはっはっはっはっ!お姉さま……お姉さまがピーナッツの嫁だなんて……!何て滑稽なの!?お姉さまには人間ですらもったいない!ピーナッツで充分ね!あはははははっ!」
不思議なほどに静寂となる空間に響き渡る弥那花の不快な笑い声。
でも、彼女に楯突けば、その先の末路など決まっている。耐えるしか……ないの。
『我の壱花が不快に感じている。そこの醜女、豆鉄砲を加えてやろう!』
……はい?
そして次の瞬間、落花生の殻ががばりと開き、その中から……ヒト……?いや、角を生やした鬼が姿をあらわした。
藍色の髪に金色の瞳を持ち、角は黒で、4本。不敵な笑みを浮かべながら、全身裸の身のどこからそんなものを出せるのか分からないが、勢いよく大量の豆を弥那花に打ち付ける。まさに、乱れ豆鉄砲……っ!
「そのネーミングはなかなかだ!我が妻よ」
妻……花嫁は、確定なのかしら。
「うむ、確定申告しよう!」
違う、それはそれで合ってるようで違う!
「うなれ!我が乱れ豆鉄砲っ!人間に食されることのなかった豆たちの怨み……甘んじて受けるがよいわっ!!」
「ぎゃ……ぐごぼごがごおぉぉぉぉっ!!?」
豆が喉に詰まったのか、弥那花の苦し気な声と鬼たちの悲鳴が響き渡った。
いきなり現れた落花生。いや、落花生の殻に包まれていた鬼。
鬼は私の傍らにそっと跪く。
その際落花生の殻は畳にぶつからないように収縮していた。殻の収縮すら自在に可能なのね。
そして私の身体をそっと抱き上げと声を張り上げた。
「さて、我が花嫁よ!共に、落花生の殻に、包まれようぞ」
そ……それは……プロポーズのような言葉なのかしら。
「あと、壱花の息子は……ここへ持て」
……息子……っ!
取り戻してくれようとしているの……?
「……はっ」
先ほどまで私に襲い掛かっていた鬼がビクビクしながらも、黒髪黒目の、私にそっくりな鬼の子を乱暴に連れてくる……!
酷すぎる……っ!
そして泣きながらも私の姿をトラエ、とたとたとこちらにやってきて、鬼の手を離れた時だった。
「乱れ豆鉄砲!」
「ぐごぼごがごおぉぉぉぉっ!!?」
その鬼も何故か乱れ豆鉄砲にやられてしまった。
いや、人間に食べられなかった怨みの豆では、それ。
「我が花嫁を悲しませるならば、お仕置きするまで。豆たちもそれを望んでいる。これで豆たちも浮かばれて成仏できよう」
豆たちが成仏できたのはいいとして……でもそんなことを言ったら、この場にいる……あの茶角の鬼と弥那花の息子以外全員よ?
「ならば全員にくれてやろう」
鬼たちの顔がサアァッと青くなる。
そして……。
「おやめください!」
頭領の聞いたことのない焦った声が聞こえたと思えば。
「貴様に発言を許した覚えはないぞ!それ、おいたへの罰の時間だ、鬼の子らよ。食らうがよい!塩枝豆吹雪!」
当たった時や目に入った時に地味に痛いやつじゃない、それ!!
本当にこの鬼は何者なのだろう。
「壱花の運命の夫だ」
そんなキラキラした目で言われても。あと、息子の傍らで全裸は……いいのだろうか……?
息子もちらちらと鬼を見ている。
「さぁ、晴れて壱花は離縁したのだろう?そして俺の花嫁になったのだ!我らが社に移動しようか!」
社……?
「あ、あと、その」
「うん?」
「あのひとも……その、鬼の一族から追放されてしまったから、きっと行く宛てがないのよ」
あと、あの妹のせいで彼も被害を受けた。たとえ種族が違えども、同じ被害者を、放ってはおけない。
「ふむ……壱花が望むのならよかろう。さて鬼の子よ、名は何と申す」
「よ……夜霧と」
夜霧さんは恐る恐る、彼に名乗る。
「では、夜霧も共に来るがよい」
彼がそう告げれば、私たちの身体の下から光が溢れ……そして気が付けば、見慣れぬ場所にいた。
※※※
どこか神聖な気すら感じる。日本家屋であることに代わりない。しかし武家屋敷のようなイメージよりも、どこか神社や大社のような梁の造りや襖である。
「ここは……?」
武家屋敷に近かった鬼の頭領の屋敷とはまるで違う。
「我が社ぞ……っ!」
「あなたの……?」
社、と言う言い方が気になるのだが。そう言えば……この方の名前はなんと言うのだろう?
「俺は八雲と言う。鬼城八雲。八雲と呼ぶがいい」
「やくも……?」
名前で……呼んでもいいのか。
その微笑みも、優しさも、あの鬼とはまるで違う。
「うむ、そうだ。やはり花嫁に名を呼ばれるのはよいな」
「……そう言えば、私の考えてること、分かるんだ」
「もちろんだ。俺は……花嫁のことは何でも知っていたいからな。俺はいつでも壱花の声を聞く。その……心の奥底まで……!!!」
並々ならぬ狂気を垣間見た気がするのは気のせいだろうか……。でも……苦しくて痛くて、しゃべるのも辛いときは……便利。
「ふぅん?だいぶ身体が弱っているようだな」
「……うん……」
頭領に毎晩のように痛め付けられて。蹴り飛ばされて。……よく、ここまでもったものだ。
「しばし……休むがよい。ここは我が社。何者も侵すことのできぬ、神域なのだから」
鬼の手はどこまでも優しく私の髪をなぞる。その声は、遠き日の懐かしさをもたらす。
ここでなら……ゆっくりと……休める。
※※※
それはいつもの道具の作業。
あの恐ろしい鬼の相手をする夜以外は、日々言われるがままこなしていた。
鬼たちは恐ろしい。
逆らえば容赦なく鬼たちに叩かれ、殴られ、罰を与えられた。
どうか、どうか、神さま。
鬼が本当にいるのならば、神さまも本当にいるだろうか。
私も……幸せになりたい。
そう願ったのは……ただ一時だけ。
鬼たちの目を逃れられたその時だけ。
鬼たちはどこか恐れていた。
その祠を。
――――祠……?
※※※
ハッと、瞼を開いた。
神さま……。
「そのように呼ぶな。神と呼べば不特定多数になるではないか。何せ八百万もおるのだぞ」
「やくも……」
柔らかい布団の上。不思議と身体の痛みがとれている。そして傍らには八雲と息子の姿。
先程までは全裸であったが、今は角と同じ色の衣を纏っている。
「それでよい」
そう八雲が微笑むと、次に息子を見る。
「玻璃と言うのだ」
「それ……息子の名前」
名前すら、つけさせてもらえなかった。私は道具だったから。鬼にとって人間の花嫁は、単なる道具。
「ふむ……鬼の子らは花嫁をそのように……?ずいぶんと突飛な考え方だな?」
「……その、あなたは違うの……?八雲も……鬼、でしょ……?」
「俺は神だ」
「……本当に……?」
落花生を背中から生やした神さまとか、聞いたこともないのだけど。
「何せ八百万もいるのだ。そう言うこともあろう。だが、壱花には俺のことを知っていて欲しい」
「八雲のことを」
「うむ。何を隠そうこの俺は、鬼神に投げつけられた落花生の精との間に生まれた、落花生鬼神である!」
いやいや、ちょっと待って……っ!?
「何で落花生が鬼……鬼神に投げつけられるの……?」
「あれは鬼にとっても豆にとっても恐怖の日……鬼やらい……またの名を、節分」
「……はぁ」
確かに、豆は投げるけど。
「人間たちは豆を投げることで鬼を祓う……しかし、投げつけられた豆の気持ちを……考えたことがあるだろうか」
……い、いや……?
それからうちは古くから鬼と親交のある特殊な家だったから、豆蒔きはしなかった。
「食べてもらえると思ったのに……一方的に鬼にぶつけられ、共に出ていけと言われるのだぞ」
「それは……その」
豆の気持ちは、考えてないわよね。
「だろう!?我が母上はそうして、怨念を持つ落花生の精となり、鬼神の父上と出会ったのだ!」
「何で落花生なの……?」
「投げた後、中身を食べられるからだ!」
蒔く地域もあるってことかしら。
「でも食べてもらえなかったの……?」
「……鬼神に当たったからな。恐ろしげに逃げてしまった。母上はそれがショックで、悪しき精となったが、父上と結ばれることで正常に戻り、俺が生まれたのだ」
「そ……そう」
突拍子もないが、現に八雲からは落花生の殻が生えてるのだから。
「まど、人間のこと、怨んでいたり……」
「いいや。投げた後食べてくれる人間もいるし……。母上も今では落花生の精として父上とラブラブだ」
「それなら良かったけど」
八雲にとって花嫁は……。
「道具何ぞと言う考えは浮かばぬ。俺の唯一の花嫁」
「……」
鬼神だから、鬼とは違う?
「落花生鬼神だ」
何か、さらにすごい鬼神名になってるけど。
「これからは壱花は落花生鬼神である俺の花嫁だ」
八雲なら……優しそう。それに……玻璃も。
「無論だ」
「玻璃も、一緒?」
「そうさな。家族になろう」
その言葉に今まで私が与えられなかったものを全て埋めていくような衝撃を受ける。
確かに両親や、妹も、兄もいた。だけどあのひとたちにとって私は……いらない子だった。
私は今、初めて……必要とされた気がした。
玻璃が不思議そうにキョロキョロと私と八雲を見る。
「俺がぱぱで、壱花がままだ。呼んでみるがよい」
「……まま?」
初めて、そう、呼ばれる。失ったものが満たされる感覚。
「うん、ままだよ」
優しく抱き締めたその温もりを、私は生涯忘れることはないだろう。
「……ぱぱ?」
そして続いて八雲を見やる。
「うむ、よくできた」
八雲が玻璃の頭を優しく撫でる。
「あのこあいおに、もうこない?」
それは……頭領・白玻のことだろうか。
白玻は玻璃のことを……やはり息子としても扱っていなかったのね。
玻璃にとって白玻は……父親でも何でもなかった。
「もし来たとしても、俺が玻璃もままも守るぞ。安心してよい。俺はどの鬼よりも強い」
鬼神さまだから。
そう心の中で呟けば、不満そうに背中の落花生がぱたぱたと動く。
「落花生鬼神だから」
「うむ、そうだ」
やはり落花生はかかせないらしい。八雲がニカリと微笑んだ。
落花生鬼神の社には、人間でも居住できるように台所もあり、食材も揃っていた。
八雲が……揃えてくれたのだろうか。それはそれでありがたいのだけど。
「はぁ……はぁ……っ」
3歳児の玻璃を膝に乗っけながら、はぁはぁするのは……いいのだろうか。
――――絵面的に。
「あの……やっぱり別のメニューに……」
した方がいいのでは?だって……。
「いや、ピーナッツバターサンドがいい!壱花の作ったピーナッツバターサンドがいいのだ!!」
――――とは言っても。
「あの、八雲は落花生鬼神なのに……ピーナッツを食べることは……いいの?」
「むしろ……食べて欲しい」
そう言えば……お母さんの落花生の精は、人間に豆を食べて欲しかったのよね。
「そしてピーナッツが壱花の中に取り込まれることで……はぁはぁ、肉体すら壱花の一部になる……!すごく……震えるほど、感じる……っ!」
しまいには何を言ってるのかよく分からなくなってきた。
「それに、身体の中にピーナッツがあれば、同時に俺の守護にもなるからな!」
八雲の……守護。
「もちろん普段からも、壱花と玻璃に守りの加護は与えているが……落花生鬼神にピーナッツバターサンドと言う」
何だろうか、その格言じみたものは……?鬼に金棒的なものだろうか……?
「そうともいう!さぁ、壱花と……はぁはぁ、ひとつになりたい……っ」
それは子どもの前でしていい会話なのだろうか……?いや、ピーナッツバターサンドを食べるだけなのだが。
とにもかくにも。
「できたよ」
ピーナッツバターサンドをテーブルの上にあげる。
玻璃には小さな子どもでも食べられるような、粒のないペーストタイプのピーナッツバターを、小さく食べやすいようにくるくるサンドにしてみた。
八雲いわく、玻璃はピーナッツアレルギーなどはないらしく、食べられるそうだ。落花生鬼神だからこそ分かるらしい。
いろいろと……チートらしい。落花生や、豆に関しては。
「こっちが、玻璃の分だよ」
「うむ」
玻璃の分は八雲が自然と手にとって食べさせてくれる。
本当に……優しい。こんな風に夫婦で子育て……なんて想像もつかなかったことだから。
「花嫁には優しくするものだろう?」
鬼にはなかった感性……いや、白玻も弥那花には優しくするのだろうか。
でも私は八雲のように優しい鬼は知らなかった。
「壱花に優しくする夫は俺だけでいい」
「……」
白玻のことを思い出してしまったから……八雲なりに励ましてくれているのだろうか。
「さぁ、壱花も食すがよい」
「……うん」
ピーナッツバターサンドなんて……久々に食べる。
「……おいしい」
「そうそう、病み付きになるほどであろう?」
「うん」
久々の……おいしくて穏やかな食事だ。こんなにも穏やかに食事をできたことなんて、今までになかった。そして誰かと一緒に、楽しく食事をするなんてこと。
「あ……八雲も、食べて?」
玻璃に食べさせてあげている八雲の口に、ピーナッツバターサンドをつまんで近付け……。
「あ、ごめんなさい、食べれない……よね……?」
だって、八雲自身がピーナッツの殻を背負ってるのだ。共食いに……なっちゃう……?
「この身にピーナッツを取り込むことは、ピーナッツたちのパワーをもらい俺もパワーアップする。ピーナッツを食すこと自体は問題ない」
それはちょっとホッとした。
「俺は神だから普段は食事をしなくてもよいのだ」
そっか……神さまだから。
無理に食べさせたら、きっと迷惑だよね。
「そんな顔をするな。壱花があーんしてくれるのなら、喜んで食そう」
「あ、あーんっ!?」
するの!?
「新妻からのあーん」
そんな訴えるような目を向けられたら……っ。
「あ、あーん……」
ドキドキしながらピーナッツバターサンドを八雲の口に再び近付ける。
「はむっ。ん……うまい。壱花に料理してもらったピーナッツたちが……喜んでいる……っ」
そんなことまで分かるのか。
そして八雲にあーんしつつ、玻璃がもぐもぐと食べる姿を見つめながら、私もピーナッツバターサンドを口に運ぶ。
「あら、もう食事にしてたの?」
その時唐突に女性の声が響いて顔をあげる。
深緑のロングヘアーに銀色の瞳の……美しい女性の、鬼。それを示すように彼女の頭からは緑の2本の角が伸びている。
頭領の家では女鬼はほとんど見なかったから、新鮮だ。そして女鬼はとても少ない。それゆえに鬼は人間から花嫁を娶り、繁殖の道具とするのだ。
「うむ、我が花嫁にピーナッツバターサンドを作ってもらっていたのだ。やはり自らピーナッツを調理してくれる嫁は尊すぎるとは思わぬか?そして俺にあーんをしてくれるのだ。これはまさに……ゾクゾクする……!」
ぞ……ゾク……?
「はいはい、あなたが花嫁ちゃんを気に入ってることは充分に分かったから。でもそれだけじゃ栄養が片寄るわ。今、何か作るわね」
「あ……じゃぁ私も……っ」
慌てて立ち上がろうとすれば、女性が首を振る。
「いいのよ。花嫁ちゃんはゆっくりしていて?その方も八雲が喜ぶ……と言うか大人しくしてるから」
稀に見る女鬼は、人間の花嫁であることをことさらに憎んで来た。キツく当たってきた。道具であることをいいことに、蹴られ叩かれ、遊ばれたこともある。だけど……。
「私は那砂。よろしくね。それに、夜霧もいるから大丈夫よ」
那砂さんが示せば、続いて夜霧さんも入ってくる。
「八雲ったらひとも鬼も選ぶから、なかなか社の手伝いを任せられる鬼もいなかったのだけど。八雲が自らひとでを確保してきてくれるのは助かるわ」
「その……追放された身ですから。ここに置いていただけるのでしたら、できることをさせていただきます」
夜霧さんもぺこりと頭を下げる。
むしろ今までは私が一番、底辺だったのに……調子が狂う。
「壱花は我が花嫁なのだ。大切にされる権利があるのだ」
権、利……?
白玻のもとでは全て取り上げられていた。自分の意思で生きることすら。
「あら、壱花ちゃんっていうのね。かわいいじゃない」
「おい、こら、那砂。勝手に呼ぶな」
「私は構わないけど……」
今までの人生でも、呼ばれることなんて、ほとんどなかった。名字は弥那花と被るから、『あれ』『それ』と呼ばれるだけましだった。
鬼の嫁になってからは……名前自体を取り上げられたから。八雲が呼んでくれるのも、那砂さんが呼んでくれるのも……嬉しいのだ。
「ほら、壱花ちゃんもそう言ってるじゃない。独占なんてずるいわ?女には女にしか分からないこともあるんだから」
「むぅ……それはそうだが」
八雲は渋々ながら……認めてくれた……?
「それじゃ、壱花ちゃん。女同士、何かあったら何でも頼ってね」
「は……はいっ」
那砂さんは……優しい。同じ女性からも卑下されることが多かった。普通だと。弥那花に比べれば価値もないと。こんなに素敵な女性に……そう言ってもらえるのは……とても嬉しくて……。那砂さんなら……頼れる気がするのだ。
「価値などどうでもよい。壱花だから良いのだ」
私だから……。
「それに那砂は面倒見がいい。あまり那砂に懐かれるのは嫉妬するが……だが、何かあれば頼るといい。那砂は喜ぶ」
嫉妬……しちゃうの……?ちょっとかわいらしい……と思えば八雲とじっと目が合う。その印象が意外だったのだろうか。でも、すぐにいつもの屈託のない笑みを浮かべてくれる。
「さぁ、壱花」
座るように促され、ぽすんと席に腰をおろす。
そして暫くすれば、那砂さんと夜霧さんが、追加のおかずを運んできてくれた。
――――八雲の社で暮らし初めて、数週間。鬼の頭領も、白玻も、弥那花の影もない、穏やかな毎日。
季節は目まぐるしく変わる。この頃は空気が一段と涼しくなってきた。
そんなある日のことである。
「まめ、なづき……ですか?」
「そうよ。豆に名月と書いて豆名月。落花生鬼神にとっては特別な宴なの」
那砂さんと台所に立ちながら、聞き慣れない言葉に首を傾げる。そして八雲にとって大切な宴……?
「ほら、壱花ちゃんもカボピー食べる?」
「はい」
煮込み料理の最中、手が空けばよく食べているのは……柿……ではなくかぼちゃの種&ピーナッツ。略してカボピー。
玻璃はまだ食べられないから、玻璃を八雲がみていてくれている料理中などにこっそり……ではあるが。玻璃が成長したら、玻璃にも食べさせてあげたいな。もぅもぅ……おいしい。
「豆名月ってのは、人間の世界では豆をお供えする儀式とされているのだけど、今は地域や家によってやる、やらないが分かれているようね。だけど鬼の社会としては、落花生鬼神に対して鬼たちが落花生をお供えする宴なのよ。壱花ちゃんは八雲の花嫁ちゃんだから、一緒に参加することになるわ」
一緒に……宴に。実家でも、白玻の元でも、私がそのような場に参加したことはない。強いて言えば祝言の時のみ。
しかし愛される花嫁では決してない。鬼にもらわれていく単なる道具としてだ。
それ以降、ただの道具であった私に、花嫁として宴に招かれる……なんてことはなかった。
それなのにあの晩は……花嫁として招かれた。白玻に離縁され、弥那花の晴れ舞台を見せつけられるためだけに。
今さら宴に参加させられるなんて、どうせろくな企みではないと分かっていたけれど。
人外の脅威にさらされ、道具としてただ在ることだけを求められた私には……断るすべなどなかった。
しかし今は……違うのだろう。八雲は私を道具としてなんて、思わない。ただ私が私として八雲の隣にいることを望んでくれている。
だから八雲と一緒なら心強い。ボロボロだった身体もだいぶよくなって、痛まなくなった。社の湯のおかげ……らしい。ここの湯は心身をよく癒してくれるのだと聞いた。
だんだんと回復してきたとはいえ。
「鬼が……来るんですか?」
それが何より、未だに恐ろしい。植え付けられた痛みは、身体の内外の傷と一緒に全て癒されるわけじゃない。
リラックスはできるけれど、ひとりになれば自ずと不安が襲ってくる。
それでもみんな、そばにいようとしてくれるから、まだ平気なのだ。
八雲や玻璃はもちろん、那砂さんや夜霧さんも優しくて、今まで私を苛んできた鬼たちと違うと分かるし、信頼できる。
――――けれど、痛め付けられてきた月日もまた、変わることのない真実である。
「そうね。宴会場の給仕も鬼だし、各鬼の頭領やそれに近い鬼や祭祀を取り仕切る鬼たちが来るわね」
頭領が……っ。私の顔色が変わったことに気が付いたのか、那砂さんが優しく微笑む。
「大丈夫よ。何があったのか……八雲に運び込まれたことを知ってるもの。何となく察してるけど。頭領ってのも一枚岩じゃないし、他にもいるのよ」
「そう……なんですか?」
白玻だけじゃ……ない?
白玻は鬼の中でも特別で髄一の存在。そう教えつけられた。いや、それしか許されなかった。疑うことは、鬼への翻意でもあったのだ。
「そうそう、まずは人間界に主に影響力を発する頭領とか」
それは白玻のことだろう。
人間界での頭領の名は、白玻しか聞かないから。弥那花も実家も、白玻こそが最上と見なしてきた。
逆に言えば弥那花も実家も……それ以外を知らされる【立場】ではなかったのか……。
「他には鬼の社会を主に統率する頭領。頭領の中では一番影響力を持つ方ね。そして鬼神を祀ることを主な務めとする頭領がいるわ。鬼神の血を継ぐ八雲のことは鬼の崇める対象なのよ。その花嫁ちゃんに酷いことをしてみなさい?鬼神の怒りはもちろん、祭祀の頭領も、それぞれの勢力の鬼たちからも爪弾きにされるわよ。そして……八雲も怒るわ。壱花ちゃんのことは八雲がしっかり守るから、何も心配いらないのよ」
知らなかった鬼の知識が、まだまだたくさんいる。白玻が最上で、鬼に逆らってはならない。それ以外のことは学ぶことすら許されなかった。知恵を身に付けることでさえ……モノには、必要のないものだったから。でもこれからは八雲が守ってくれる……。こうして鬼のこと、八雲のことを知ることができる。
――――だけど。
「あの……八雲は……怪我とかしないでしょうか」
頭領に怒ったら……何をされるか。
確かに八雲は強いと思う……けど。
「しないわよ。少なくともあの……白鬼の頭領だったかしら?あれよりも八雲の方が強いもの。八雲に楯突く輩がいらば、即乱れ豆鉄砲食らわせるわよ」
「……そう言えば」
乱れ豆鉄砲、食らわせていたっけ。
そしてあの恐ろしい頭領の白玻や……鬼たちまで悲鳴をあげていた。
「そうそう、だから安心して行ってらっしゃい。玻璃ちゃんは……まだ早いから、私たちに任せて」
うん……お豆が……やっぱり出るんだろうか。それならお留守番の方が……いいよね。間違えて食べちゃったら心配だ。
それに、頭領の前に出して嫌なことを思い出させたら、嫌だ。そして那砂さんなら、信頼できるもの。
「お願いします」
「もちろんよ」
※※※
「豆名月のことを那砂に聞いたのか」
「うん」
出来上がったお昼ご飯を那砂さんと運んで、玻璃と八雲と食べていれば、不意に先程の豆名月の話になった。
「まぁ……宴だし……。そうだ、花嫁を自慢するにはもってこいだな!」
嬉々として笑う八雲を見ていると、やはり元気になるなぁ。
だけど……そこには白玻も来る。
「俺の前にいるのに、他の鬼のことを考えるのか?」
不意に真顔になった八雲にびくんっと来る。
「え……っ、だって……」
やはり不安になる。また、何かされないだろうかと。
「俺の隣にいるのに、手を出させるようなことはしない。そのような身の程もわきまえぬ鬼など笑止。だから何も心配するな、壱花」
「……うん」
きっと八雲は私を守ってくれるのだろう。八雲は優しくて、優しくて……。
「あぁ、俺の嫁がかわいすぎる……っ」
不意にぎゅっと身体を包んでくる腕に、私も傍らの玻璃もびっくりしつつも安心できるものだと分かる。
「それでよい。むしろ……宴の場では俺と共に落花生の中に籠るか?」
「いや……さすがにそれは」
宴会場に普通に巨大落花生がいるのは……以前見たけれど。
「俺とひとつになりたければ言うとよい。誰も文句は言わん」
「だからって……その、最初は……殻の外でいい」
「そうか?」
何だか……残念そう?
「でも、隣にいてね?」
「あ゛――――――――っ」
「ひぇっ!?」
いきなりどうしたの!?
「俺の嫁がかわいすぎるうぅぅ――――――――っ!!!」
その……目の前でそう言われると、照れてしまうのだが。いつも……弥那花と比べられてきたのに……。
「俺の嫁は至高の存在だぞ?誰かと比べるなどとおこがましい」
妙に真顔なところが恐いのだけど。
しかしその後もぎゅむぎゅむしながらすりすりしてくる八雲に身を任せていれば。
「あの……玻璃のご飯が」
玻璃がびっくりしたままこちらを見ている。
「ふむ、なら玻璃も来るといい」
「えっ」
けれど、八雲に抱っこされ、私と一緒に抱き締められれば、玻璃も溢れんばかりの笑顔を見せてくれる。
何だか……家族、みたい。
「そうであろう?」
「……うん」
この幸せな時が……ずっと続けばいいな。
名月と言えば、旧暦8月15日の十五夜が有名である。同時に、もうひとつ。
旧暦9月13日の十三夜と言うものがある。
新暦で言えば年によって前後するものの、お月見に対して10月頃が多いとされる。その日はお月さまに豆を供えて、豆を食べる日。
人間にとって豆名月と呼ばれる月見の日は、鬼たちにとっては鬼神の子が落花生の精の血を引くからこそ、落花生鬼神への宴を催す特別な日。
「鬼……鬼が、たくさん」
八雲と一緒だから安全安心とは言え、やはり鬼の角を見ると、恐い。
「どうしよう。俺の嫁がかわいい。俺にめっちゃくっついてきてくれてかわいすぎる。俺……やっぱり帰ろうか。殻の中にすっぽり包んで、ピーナッツバタークリームのようにでろあまにするのだ……っ!」
私が恐がって八雲にくっついていたからか、八雲がとんでもない思考に走っている……っ!
ピーナッツバタークリームのようにって……どんな……。
しかし思いもよらないところから救いの手が入る。
「那砂さんに勧められてついてきて正解でした。祭祀の頭領が困るので、帰るのはダメですよ」
夜霧さんに指摘され、八雲が口を尖らせていた。
因みに那砂さんは、予定どおり今夜は社で玻璃を見てくれている。
「でも……夜霧さんは良かったんですか……?その……ここには……」
くだんの頭領・白玻がいる。夜霧さんからしてみれば、かつての妻・弥那花とダブル不倫をしていた相手。しかも子どもまで作っていたのだ。
「その件は……そうですね。もともと人間側が強く推してきたと言われる縁談でしたし……あの場では頭領が軽率なことをしようとしていたので……告げましたが」
そう……そうか……もしかしたら夜霧さんも弥那花の異常性に気が付いていたのだろうか。弥那花の周りでは、常に弥那花が正しく、全て弥那花のものだった。それは私の物、服、友人、そして自由さえ。
唯一弥那花のものにできなかったのは、娘ができたことで両親が嬉々として鬼の頭領の花嫁の座を確保したがために結ばれた私と白玻の縁談である。
そればかりは両親、親戚一同が弥那花の方が適任と見なしても、弥那花がどんなにねだっても、簡単にすげ替えることなどできなかった。
鬼や異形との契約と言うのは、人間が考えるよりもずっとずっと重たいもので、簡単に覆せるものでもないのだから。
それでもダブル不倫はできてしまうと言うのだから、世の中不条理すぎる。
「うむ……頭領と言うのは時に権力の象徴だからな……?人間も昔は一夫多妻と言うのをやっていただろう?」
えっと……平安時代とかの話だろうか……?世界には一夫多妻の国もあるそうだが……現在のこの国では基本は一夫一妻。
「だが不倫やダブル不倫と言うのは現代だからこそよな」
クツクツと嗤う八雲。
「だが……俺は壱花一筋だ。こうして夫婦になった以上は壱花と……殻の中でひとつになりたい」
その……たとえが独特すぎると言うか、落花生ならではでちょっと反応に困る。
「ならば試しにこの場でひとつになろうか……?」
「え……っ!?」
「いえ、みな宴会場で待っているんですから、急ぎますよ」
夜霧さんが呆れたように告げれば。
「お前は真面目すぎる!!」
いや、八雲のノリが独特なだけでは……。
けど。
「ふふっ」
「壱花?」
「何だか、楽しいなって」
お陰で鬼への恐怖が和らいだような気がするのだ。
「ならばよい。今夜の俺は結構上機嫌だ」
「それは何よりです」
まぁ、私も八雲も楽しいなら……良かったかも。
八雲と夜霧さんと共に、宴会場へと向かう。途中給仕の鬼とすれ違いびくついたものの、何故か相手も恐縮した。今までと明らかに違い、こちらが驚いたのだが。
やはり八雲の守護……なのだろうか?
そして宴会場の扉の前にも鬼がおり、私の姿に驚いたような表情を見せる。
「恐れながら、その娘は……っ」
鬼が咄嗟に八雲を見て声をあげる。
やっぱり私……場違い……なのかな。道具でしかなかった私を、知っている鬼は多いだろう。特に白玻に関わる鬼ならば。
彼らに散々笑い者として見せつけられたから。
「我が花嫁だ。何か文句があるのか……?」
ふわりとひんやりとした空気が上がってくるのを感じたのは、気のせいではない。
八雲の表情は今までの人懐っこい表情とは違い、どこか他を寄せ付けない空気を纏う。
八雲に問うた鬼は何か恐ろしいものを前にしたように身をこわばらせる。
――――だが。
「壱花?」
ぱあぁぁぁぁっと広がる笑みはいつもの八雲である。戻……った……?
「さぁ、入ろう」
「……え、うん?」
あの鬼はいいのだろうか。
「あれは気にしなくていいですよ」
夜霧さんも……そう言うのなら。
不安な気持ちも、八雲と一緒ならちょっと落ち着く。
「八雲さまと壱花さまは上座ですから、このまま」
「はい」
夜霧さんの案内で席に向かえば、そこから聞き慣れた不快な声が響いてきた。
「何でよ!?ここは私の席よ!だって一番豪華で、ご馳走がたんまりあるじゃない!」
み……弥那花だ。
相変わらず煌びやかな容姿を持つ彼女は、あの時の宴のようにうんとおしゃれをして、豪華な着物にアクセサリーを身に付けている。相変わらず……である。
私の一度目の祝言の日ですら、自分が一番とばかりに着飾ってきた。
まるで主役は自分であると言わんばかりに。まぁ……実際そうだったのだが。彼女は白玻の愛人となり、それから……本当の花嫁になったのだから。
そしてその弥那花の傍らには。
「やめろ!弥那花!私たちの席はここではない!」
白玻だ。
私には一度も同席を認めなかったのに、弥那花だけは普通に連れてきたのか。連れてこられても困ったが……それでも白玻以外の鬼を知れただろうか。
しかしあの白玻が、ひどく狼狽えている。
弥那花をあんなにもうっとりと見つめていた顔はそこにはなかった。何かをひどく恐れているように焦りながら、弥那花をその場から引き剥がそうとしている。
「何で!?何でよ!白玻は鬼の中でも一番強くて偉いんでしょう!?なら、一番豪華なここが、私たちの席よ!」
私たち……か。
本来ならば、人間の花嫁でも、連れてくるのは普通だったのだろうか。
「何を騒いでいる。鬼の子らよ」
その時、あの時のようなよく通る八雲の声が響き渡り、周囲の目線が私たちに……いや、正確には隣の八雲に集中するのが分かった。
そして白玻が絶望したように八雲を見、そして弥那花は八雲の隣の私を見付けて目を吊り上げる。
「ちょっとぉっ!何でここに壱花がいるのよ!」
普段外では容姿に恵まれぬ姉を哀れむいいこを装って【お姉さま】と呼んでくるのだが、家の中ではそのように呼び捨て、暴言を浴びせる。
彼女が【一番】と称する鬼を手にして、もういいこの皮を被る必要もないと思ったのか。
白玻の花嫁になったから、全てが自分の思い通りになると確信したのか。
「鬼の頭領である白玻に捨てられたたかだか道具が!私のための宴に顔を出す権利がどこにあるの!?」
同じ人間の花嫁だと言うのに、私は道具。彼女はそうではない。その基準は……美醜……いや違う。弥那花であるか、それ以外であるかだろう。
「ち、違う!弥那花、やめろ!これはお前の宴では……」
白玻が焦って弥那花を後ろから力の限り押さえ付ける。
「何言ってるの!?白玻!だってそうでしょう!?私が白玻の花嫁となったことを鬼の一族総出で祝ってくれる宴でしょ!?」
「違う!聞くんだ、弥那花!」
「嫌よ!これは私の宴よ!ここは私の席よ!それから……アンタみたいな道具はこの場には分不相応だわ!出ていけ!!」
「……っ」
たとえ言われなれていても……傷付かないわけではないのだ。
「壱花が……傷付いている……!」
「……っ、八雲……」
ハッとして八雲を見上げれば。
「泣いて……いるのか」
「……え……、あ、これは」
いつの間にか目尻に涙が浮かんでいた。
「これくらい何とも……」
「おのれ、許せん!俺の壱花を泣かした罪、その身で贖うといい!いでよ……っ、刺身と餃子を食べた後に残って捨てられたソイソースの怨み……とくと味わうがよい!」
え……ソイソースって……醤油……っ!?
「あの、畳が……」
シミになるのでは。
「それもまた、よいな。壱花が豆のシミが染み込んだ畳の上で微睡む……素晴らしい」
そうだろうか。それはそれで醤油まみれにならないだろうか。
「では……ピーナッツオイルを染み込ませよう」
「いや……その、油分だから、畳に染み込ませるのはちょっと……」
良くないのでは……?
「私は、ピーナッツバターサンドで、いいから」
「壱花……っ、それ、最高にかわいい。俺、超愛されてねぇ……?」
「そりゃぁ……」
八雲のことは……好きだけど。
「あぁ、俺の壱花がかわいい……っ!」
八雲がでれっでれな顔を向けてくる中、突然割って入った声にハッとする。忘れていた。いや、彼女たちにとっては忘れられていたほうが、幸福だったのではなかろうか。
「ちょっと、何をごちゃごちゃしゃべってるのよ!そんなブスよりも、私の方がかわいいわ!」
「あ゛……?」
弥那花に比べれば私なんて……。でもその言葉に八雲の声色がぐぐっと低くなったのが分かった。
「あ……や……っ」
呼び掛ける前に、八雲の手がすっと弥那花たちに伸び、八雲が叫んだ。
「ソイ・ソース・ポルカ・ドット――――――っ!」
え……醤油水玉……?
そして次の瞬間、弥那花と白玻が見事な醤油水玉に染まった。
宴会場は一瞬静寂に包まれた。
――――そして静寂を切るように弥那花が叫び出した。
「きゃぁぁぁっ!わ、わ、私のお着物が……全身醤油まみれ……醤油くさい……っ」
「醤油のかぐわしい匂いをくさいとは……失敬な……っ!」
でも全身醤油水玉漬けなわけだし……。
「そうだ。宴には醤油のために刺身も出るのだぞ。醤油も大豆からできている。たーんと味わうがよい」
「え……?あ、うん……?」
醤油と言えばお刺身につけて食べる……。実家では私の分なんてなくて、全部弥那花が食べていたっけ。鬼の屋敷に来てからは私は雑用で、一汁一菜出ればいい方だったからお刺身なんて食べたことがないけど。
「何……っ、だと……っ!?」
八雲が驚いたようにこちらを見ている。
「それならそれで、壱花の初醤油初刺身!俺が堪能できるのだな」
醤油は……初ではないのだけど。
でも、八雲と近付いた席には、未だに弥那花と白玻がいる。
近寄るのが……恐い。
そして弥那花と白玻の視線が突き刺さり、動けなくなる……っ。
「……っ」
しかしそんな時でさえ、八雲の声で我に還る。
「うん?いつまでそこにいる。とっとと失せよ」
八雲が冷たく告げれば、白玻の顔が青ざめる。
しかし反対に弥那花はかあぁぁっと顔を赤くする。
「ちょっと、この間も、今回も、私のための宴をめちゃくちゃにして……アンタ、何なのよ!落花生なんて背負っちゃって、何その殻。鬼のくせに落花生の呪いにでもかかってるの?だっさぁっ」
弥那花は標的を私から八雲に変更したのだ。どうやら八雲をどうにかすれば、この状況を打開できると踏んだらしい。でも、八雲をバカにされるのは……。今までは私に対してだったから我慢できたけど、私を選んでくれた八雲をバカにするのは……許せない……っ!
「あの……っ」
声を絞りだそうとしたその時だった。
「貴様は……今決して許されないことを言ったと……分かっているのか……?」
八雲の周りにふわりと舞い上がる、凍てつく冷気。お……怒ってる……。今までの弥那花の言動に対する怒りよりも、もっともっと……何か根本的なものが違う……怒り。
「お……お許しください!ち、違うのです!これはその、その卑しい女……壱花のせい……っ」
白玻が躍り出る。いつも都合の悪い時は、私のせいだった。私の知らないことまで、私のせいにしてきた白玻。今回も……また私のせいにするのか……っ。
しかし白玻の言葉は途中で途切れる。
「壱花の名を呼ぶな。貴様に壱花の名を呼ぶことを許してはいない」
許さなかったのはむしろ……白玻だったであろうに。道具に名はいらないと私の名前を私自身が名乗ることすら禁じ、そしていらなくなればその身ごといらないと捨てたのに。
「それからこの宴は、豆の、豆のための、豆を崇める宴だ!つまりはこの落花生鬼神俺のための宴!それを自分のものだと?御神体である落花生を侮辱する貴様が?自惚れるなよ、娘。それに……鬼蓮の家では……人間の花嫁は【道具】なのだろう?ならばとっとと持ち帰れ。それともこの場で、切り刻んで土産に持たそうか?」
何か……八雲、すごいこと言ってない?
この場でスプラッタとかは勘弁して欲しいのだけど。
「壱花がそう望むのであれば裏庭でしよう!」
次の瞬間、冷ややかな無表情をぐでっと崩してこちらを向き、朗らかにそう告げてくる。それはそれでホラーなのだが。
「え……?」
そこ疑問系なの?
「取り敢えず、壱花」
「う……うん」
「キス、していい?」
何でこの場で急に――――っ!?
「何か俺、むしゃくしゃしてる。今すぐ切り刻んでやりたいけど……とにかく今、壱花とエッチなことしたい。まずは……キスしよう?」
いやいやいや、そのノリが意味分からないのだけど!?え……エッチって……。
「優しく抱く。他の鬼のことなんて、忘れさせてやるから」
そ……それって……っ、白玻との拭い去れない、恐い夜のこと……?でもそれは、八雲が隣で寝てくれるだけで……夜も、恐くない。玻璃も一緒に3人で寝られることがこの上なく……今は幸せなのだ。
「俺の嫁がかわいすぎる」
「ま、また、それ……」
そんなこと言われなれてないから……、照れてしまう。
「やっぱり俺は今すぐ嫁とエッチがしたい!!」
何を大声で叫んでるの!このエロ落花生!!
「では、この場は我々に任せ、八雲には花嫁殿とのイチャイチャを楽しんでいただくと言うことでどうかな?」
え、いきなりの……どなた?
金色の4本角に、プラチナブロンド、金色の瞳をした鬼は、とても優しげな男性であった。
「勝手に私も巻き込むのですか、 伊月さま。まぁこの場では仕方がないか」
4本角の鬼……伊月さんにそう話し掛けたのは、どこか見覚えのある深緑の髪に緑の2本角、そして特徴的な赤い瞳の鬼である。
「花嫁殿、八雲さまを頼みます」
は……はい……!?
「頼むって……何を?」
「イチャイチャしてていいよ~」
伊月さんがめちゃくちゃ笑顔で告げてくる。い……イチャイチャって何を……すれば。
恐る恐る八雲を見上げる。
「そんな急には……そうだな……。キスしていい?」
「え……あ、その……見られるのは恥ずかしくて」
「殻の中ならば見られぬぞ」
殻……?あ、落花生の……。
八雲が私を抱きしめ、そのまますっと飛び上がったと思えば、私たちを囲むように巨大化した落花生の殻が……。
パタンッ
――――と、閉じてしまった。
そして触れてくるのは……柔らかい唇。
「んむっ」
「んっ」
まるで堪能するようにくちゅくちゅとむしゃぶられる……っ!
「ん……っ、ふぁ……っ」
そして唇が解放されれば、暗闇の中のはずなのに、どうしてか八雲の顔が、よく見える。
「もういっそのこと、ここでやらないか?」
「さ、さすがにそれは……っ。声も……漏れない?」
「どうだろうか」
『けっこう漏れてますね』
ひぃっ!?殻の外から夜霧さんの声が……っ!
「八雲……その、殻から出して……?」
「やだー、もっと壱花と殻に籠るぅっ」
そんな甘えられても……っ。
「外が、気になるの」
「む?興味あるのか?」
『お刺身』
「はっ」
『あと、小豆のスイーツもあるそうですよ』
す、スイーツ……私も食べて……いいの?
「嫁がかわいすぎるぅっ!殻から出したくないでもかわいい~~っ!!!」
『隣に座っといたらどうですか?席はあのお二方のせいできれいになりましたから』
そう言えば……外はギャーギャーと騒がしいようだけど。
「ふむ、それならば」
落花生の殻が開き、外から光が降ってくる。
落花生の殻は何事もなかったかのように、座っても邪魔にならない大きさに縮小する。
「ほら、壱花、こちらだ」
「……うん」
八雲に連れられ、用意された席につけば、用意されていたご飯に追加で、給仕たちが私たちの前にお刺身と醤油を出してくれる。
「さて、食べるがよい」
「……う、うん」
醤油につけて食べる初めてのお刺身は。
「……おいしい」
弥那花や両親たちが、私の前で見せびらかしながら食べていたけれど。多分こちらの方が、ずっとずっとおいしい。八雲の隣で食べる、味だもの。
「俺は今すぐ壱花を堪能したい」
「で、でも……っ」
八雲が横からぎゅっと抱き締めてくるのに驚きながらも……振りほどきたいとは思えなくて。その温もりにすら安堵の息をもらしていた。しかしその場にまたもや不釣り合いな声が響く。
「いや゛――――っ!放しなさいよ!私の宴!私のご馳走!なんで壱花が食べてるの!?あれは私のよ!!」
大勢の鬼たちに引きずられるようにして退場する弥那花だった。その横で白玻が手荒な真似は寄せと怒鳴るが……。
「そう言えば……先ほどそちらの花嫁殿が面白いことを言っていたね、白玻」
伊月さんが嘲笑するように口角を上げる。
伊月さんの笑みに、白玻は先ほどの鬼たちへの威勢のよさを弱める。
「白玻が鬼の中で一番なのだって?初耳だ」
「そ……それは……っ」
白玻は口ごもるが、弥那花が叫ぶ。
「そうよ!白玻は最高の……っ」
「黙るんだ、弥那花!」
「だって白玻は鬼の中で一番偉いんでしょう!?」
「弥那花!!」
「ふぅん、そう?だからぼくの部下にもそんなに偉そうなんだねぇ。彼らはぼくの指示で動いてるにすぎない。そしてそれは八雲の意思でもある。お前はいつから鬼神よりも偉くなったのかな……?」
「……っ」
白玻は顔面蒼白である。あんな白玻は……結婚していた頃ならば想像もつかなかっただろうな……。
「それに、八雲さまも気になることを言っていた。お前は花嫁を道具として扱うそうだな」
緑角の鬼が吐き捨てれば、白玻がしとろもどろになる。
「その……そんなことは……っ、弥那花は私のっ」
「道具はあのブス女だけよ!!」
弥那花が白玻の言葉を遮って叫ぶ。
「この娘に発言を許した覚えはないのだが」
「八雲の前ですら、許しを得ずに好き勝手しゃべる女だぞ?今さらだ」
「それもそうか……そして、八雲さまの花嫁殿に対してもずいぶんな言いぐさだ」
「その……あの女は……」
「娘からも聞いているが……お前がやったことは最低だと私は思うがね、白玻」
娘……?緑鬼さんの……?
「これは頭領追放も視野に入れないとねぇ」
クツクツと伊月さんが嗤う。白玻が頭領を追放される……?
「そんなこと、許さないわ!」
「やめろ、弥那花!」
対抗心を剥き出しにする弥那花に対し、白玻は何か強大なものを前にするように怯えながらも弥那花を制そうとしている。
「へぇ……?ただの人間の娘の分際で、ぼくに意見するんだ……?」
伊月さんが、先ほどまでの穏和な笑みも、試すような笑みも消し、ゾクリとする笑みを浮かべていた。
それにはさすがの弥那花も固まっている。そしてだらだらと垂れる汗と溶け出した醤油が混ざり合い、化粧が溶けてひどい有り様だが……それを気にする余裕などないらしい。
「この無礼者とともに、連れ出せ」
そう命じる伊月さんの纏う冷たい気は……誰かに似ている気がした。
招かれざる客。
いや、招かれてはいたのだろうが、完全に招かれざる客となった弥那花と白玻は宴会場から引きずり出された。
「さて、邪魔者がいなくなったところでっ」
伊月さんがにへらぁっと笑みを浮かべてこちらに戻ってきた。先ほどまでのゾクリとする気は既に消え去っている。
「花嫁ちゃんを紹介してね」
わ、私!?
そして緑鬼さんと一緒に私たちの席の前に、サッと座布団が用意され、ふたりが腰掛ける。
「えぇ?」
しかし八雲は八雲で不満顔。
「その、八雲ったら……っ」
以前なら意見することもなく、ただ怯えるだけだったのに。どうしてか八雲には……安心するからか、言葉を交わそうとしてしまう。
「それでいい」
「……っ」
「壱花に言葉をもらうのは嬉しい」
「そう……なの……?」
「八雲ったら……花嫁ちゃんの心の声聞いてるの?」
その時伊月さんから声がかかり、ハッとする。その、この場にはおふたりもいるのだから、しっかりしないと。
「あなたが言うか?」
しかし緑鬼さんが意外そうな顔を伊月さんに向ける。
「あっはっはっは。まぁ、それだけ好きってことなのかなぁ。めでたいことだよね」
「当然だ」
即答する八雲も八雲なのだが。
「照れてる壱花もかわいい」
「す……すぐそう言うことを……っ」
言うのだから……!
「聞いている通りらしい」
「あっはは。君のところは情報源があるものねぇ」
それはどういう意味なのだろうか……?
「いや、しかし。まずは花嫁ちゃんに自己紹介をしようかね。気になっていることだろう?」
「……は、はい」
伊月さんの言葉に頷く。
「まず、私は伊月。鬼の頭領をしている。もっぱら担当は鬼の世だ」
この方が……。そして白玻よりも、偉い……頭領さん?
「当然だ。鬼神なのだから、鬼の誰よりも偉く、強い」
「き……鬼神さま……神さま……!?」
そうか……だから白玻は……っ。
「確かにそうだけど、神事はほとんど八雲に任せてるから。今はほとんど鬼の世を治める頭領の仕事に専念しているよ」
とは言っても……神さま……。あれ、そう言えば……八雲って……鬼神さまの……息子……?
「そうだが?」
「お……おや……っ」
親子!?
「うむ」
「え……えと……」
それって、義理のお父さまになるのでは!
私はこの席に座っていていいのか……!?
慌てて立ち上がろうとすれば、八雲の腕が腰をすとんと落とすように巻き付いて来た。
「八雲ったら、言ってなかったんだねぇ。あはは、まぁお前らしいね。やっぱりぼくの息子だから、そう言うところもあるかなぁ」
「別に」
別にって八雲ったら……。
「でも、その席は息子と君のための席だから、遠慮せずに座りなさい?神事でぼくがそこに座ったら、神さまの仕事をしなくちゃいけなくなっちゃう」
「いや、それも務めなのですが」
緑鬼さんの言葉に、伊月さんは相変わらずヘラヘラと微笑んでいる。
「でも神さまとしては隠居してるから。元より、鬼蓮が人間の花嫁に対してだいぶひどいことをしていたようだ。あちらには人間界を任せていたとはいえ……ぼくも任せすぎたと言うところがある。あちらの掃除もしなきゃいけないし。神事に関しては暫くはまだ、八雲に一任するよ」
やっぱり先ほどの話の通り……白玻は頭領ではなくなるのだろうか……?
「人間の花嫁を道具としたのだったな……?人間の花嫁と言うのは、女鬼の少ない鬼にとっては救いの存在でもある。あの男の考えは理解できない」
緑鬼さんが頭を抱えていた。
「そう……なのですか」
「当然です」
緑鬼さんが即答する。
「私も妻は人間ですから」
え……っ。
「まだ名乗っておりませんでしたね。私は祭祀を取り仕切る鬼の頭領の柊と申します。娘からも花嫁殿のことは聞いておりますよ。とてもかわいらしい御方だと」
「娘……さん?」
もしかして……なのだが。その髪と角の色は……。
「那砂です」
「那砂さん……っ」
その、お父さまだったんだ。
「我らは代々祭祀を取り仕切っておりますから、その血族の娘も、落花生鬼神さまにお仕えしているのです」
「まぁ、八雲と合う子があんまりいなくて、切り盛りが大変だったのだけど……今はもうひとり迎えたんだったね」
伊月さんが夜霧さんを見る。夜霧さんはぺこりと礼をし、伊月さんがにこりと笑んだ。
あれ……そう言えば。夜霧さんはともかく、弥那花は夜霧さんには見向きもしなかった。弥那花にとっては……悲しいがそう言うことだったのだろう。
夜霧さんはとても優しい鬼なのに。
「……ふぅん?」
八雲がぼそっともらした相槌は……八雲も同じように感じたと言うことなのだろうか。
「さて、今宵はおいしいものをたくさん食べてくだされ。甘味もありますので」
「甘味……っ」
つまりはスイーツだ。
伊月さんと柊さんがにこにこしながら席に戻れば、追加で料理が運ばれてきた。宴会場は盛り上がっているみたいだが、一郭だけ……どんよりしてないか?
「ふふ……っ、あれは鬼蓮の一派だよ。本当ならば今すぐ退出したいところだろうが、伊月と柊から生き恥を晒せとばかりに睨まれているから動けぬのだ」
あ……そうか。白玻たちは退場しろと八雲と伊月さんが命じたけど、彼らは違う。そして伊月さんと柊さんがいる以上……彼らも好きには動けないのだ。
「気になるのなら、追い出すが?」
「……うーん……」
何かしてくるわけではないのなら……。かといって伊月さんたちからの圧から解放してあげると言う……義理もないかな。
こう言う宴にくるような立場の鬼たちだ。白玻の側にいるような、見覚えのある鬼たちもいるが……、わざとこちらを向かないように黙々と食事を口に運んでいる。
「ほう……?それはどいつだ?余興に遊んでやろうか?」
いやいやいや、だからどうしてそう物騒な思考に……。
「関わりたくないから……」
「ふむ……そうか」
それに……今は目の前に来たスイーツの方が……。
「甘味に嫉妬してしまうぞ」
そう耳元で囁かれた甘い声に、いつも以上にドキッとしてしまう。
「もっとやろうか……?」
ひゃ……っ!?また耳に口を近付けて……っ。
「そう言うのは……外では……っ」
「では……社の中でやろうか……?」
そう言う問題では……っ。でも……嫌じゃ……ない。
「やっぱり壱花がかわいすぎる。俺もう帰る」
えぇ――――っ!?
「せめてスイーツ食べ終わるまではいてください」
さすがは夜霧さん。うん、スイーツは食べたいもの。
「それもそうだ」
そんなやりとりも、ここ数週間だと言うのに、何だかすっかり慣れてしまって。とても、微笑ましい。
※※※
宴もたけなわであるはずなのだが、私がスイーツを食べ終わるととっとと帰ろうと言う八雲に、伊月さんもあとはいいからと言ってくれたのだが。
「八雲は主役なのに……良かったの……?」
「んー、いいと思うよ?多分伊月がそう言うなら、多分このあとは久々の鬼神の大説教大会だ。鬼蓮の鬼たちは、充分反省すべきだな」
伊月さんの部下の鬼さんたちと、柊さんの部下の鬼さんたちも盛り上がっていたけれど……あれは鬼神さまからのお説教に移行する合図だったのだろうか。
八雲の隣を歩き、夜霧さんも後ろに続いてくれる中、ふと、気が付く。
「あの子……白矢くん?」
白玻と弥那花の息子。あのふたりは宴会場を追い出されてしまったけれど、あの子もついて来ていたの?なら……ふたりが追い出された時に、はぐれてしまったのだろうか。
――――だけど、どうしてだろうか……?
あんなにも白玻に似ていた容姿はどうしてか……黒髪黒目に、黒い角……年齢も3歳ではなく、5歳ほどに見える。
――――そもそも。最初の出会いですらおかしな点があったことに気が付く。
私と弥那花は年子である。私は18歳になり、高校を中退させられ嫁がされた。白矢くんが玻璃と同い年だと言うならば、弥那花は在学中に身籠ったと言うことになる。しかし弥那花は留年もせず、高校をしっかり卒業した上で夜霧さんに嫁いだはずである。なら……年齢が合わない。いや、同い年でも体格が違うこともあるかもしれないが……それだけじゃないことが、今、目の前にして分かる。
「どうして……」
年齢も、見た目も違うの……?そして私には彼が白矢くんだと分かるの……?
「それは、壱花が俺の加護を得、幻術も洗脳も効かなくなっているからだ」
幻術……洗脳……っ!?
「どうして、そんなこと」
そう漏らせば、白矢くんがゆっくりとこちらに歩いてくる。
「それはお前が一番知っていることではないか、夜霧」
子どもらしくない口調。しかしそれもどうしてかしっくりくる。そして彼が呼んだのは……夜霧さん……?
振り返れば、小さな違和感がふつふつと湧いてくる。
白い鬼角の白玻。
緑の角の那砂さんの名は、緑を持つ植物の薺から来ているのが分かる。
同じく緑の角の柊さんは、柊は身こそ赤だが葉は緑である。
玻璃はガラス玉と言う意味だが、まるでガラス玉に私の色素が入ったかのように、角も、髪も目も黒である。
「因みに伊月は月が入るからその金の色、八雲はめでたい意味を込めているが、夜の雲にもかけてあり、漆黒の角も示す」
私の推測が正しいと言うように、八雲が解説をしてくれる。
八雲の黒い角が夜雲にかけてある。だとしたら……夜霧さんの角の色は……茶色ではなく本来は……黒なのではないか。
その推測が正しいかのように、その角は黒く、髪も目も、黒い。
――――霧は、私が八雲の妻となったその時に、とっくに晴れていたのだ。
鬼の世が干渉する人間の国は、鬼と相反するように色が濃く。
鬼が緑、赤、青、金、白、さまざまな色を持つ中でも、黒髪黒目が多い人間の花嫁が目立つほど。
黒い鬼と言うのは少ない。玻璃が生まれた時も、黒鬼であることは驚かれた。産婆からは私の色が入ったのだろうと言われた。鬼は元々、黒い色を持っていたとも。
どうして今のように色鮮やかになったのかは分からない。
しかし白鬼と言うのは、長い時のなかで、神秘的な美しさを醸し出すかのように、色が抜け落ちていったもの。
それに黒い色が入るのは、白鬼にとって屈辱的なことだとも……白玻は吐き捨てた。
私としては……八雲と同じ色の角を持って生まれてくれたことを、何よりも嬉しく感じているが。
「同じ、黒」
夜霧さんも、白矢くんも、黒い角、黒髪黒目。
「お前は……ぼくたちを裏切った」
白矢くんの言葉は、夜霧さんに注がれる。
「復讐すると誓ったのに……白玻に輿入れした人間と、その息子と共に住むことを選らんだ。これは裏切りだ!」
「それは……っ」
白矢くんの言葉に夜霧さんが口ごもる。思い出したくもない。けれど私が白玻にかつて嫁ぎ、玻璃がその血を継ぐことは……事実。
「それは違うぞ、黒鬼の子よ」
その時、どこか厳かな八雲の声が響くように漏れる。
「壱花は我の花嫁である。ほかの誰かの花嫁であったなどと言うことは許さぬ。そして玻璃が真に誰の血を引いていようが、全ての鬼の子らの原点は鬼神に通ず。ならば玻璃が壱花と我の子であることに代わりはない。そして何よりも重要なのは近しき血ではなく、玻璃が誰を父母と思うかだ」
「戯れ言だっ!」
「だが同時に夜霧もそなたも鬼の子ならば、我が愛しき鬼の子らには違いはない。それにこの角は……鬼神の角が金色だと言うのに、何故黒く染まっていると思う……?」
そう言えば……。玻璃の場合は特殊な事情だったけど……。
「それは鬼神となる前の鬼の祖先は角が黒かったからだ。我が角はその先祖返りなのだ」
じゃぁ……玻璃も私の血がはいったからってだけじゃない……?
「無論、玻璃もその可能性はある。鬼の子なのだからな。そしてそなたも夜霧も我と同じ色を持つ」
「けど白鬼は……白玻の一族は、ぼくたちを散々、何百年も苦しめて……最後には皆殺しにしたんだ……!ぼくと夜霧を残して……っ」
皆殺し……っ!?
「そうか……そなたらは、闇鬼だな。そして察するにあの頃からだとすれば……数百年。ずっとその姿か」
「夜霧は無理だけど、ぼくは変えられるから」
姿を変えられる……鬼もいるの……?
「普通の鬼には持たぬ力を持つ異質な鬼。それが闇鬼と呼ばれた鬼たちの名だ。お前たちはその力を使い、白鬼の一族に紛れ込んだのだな」
「そうだよ……復讐するために。長い時間をかけて……そしてあの鬼は歴代の白鬼の中でも弱々しい」
白玻が……?もしかして……妙に威勢を張っていたのは……それを隠すため?
「そのために花嫁を道具などと、片腹痛い」
最後には弥那花のお陰で愛する心を知ったと言っていたけれど。
「罪は消えぬ。被害者からすれば」
つまりは……白矢くんと、夜霧さんからも。
「でもま、鬼神と我を敵にしたのだ。白鬼たちは裁かれる。かつてはその家系ゆえに首謀者を処罰することで一族は続いたが」
一度処罰はされていた……でもそれだけで霧が晴れるわけではない。
「それでもぼくたちは……化け物と呼ばれ続けた。鬼の中には入れなかった。白鬼は罰を受けてもなお、ずっと……そうしたんだ」
「でも……夜霧さんは……私たちの大切な家族だよ」
「夜霧は……言霊を扱える。お前たちを好き勝手に言いくるめることだってできるんだよ!ぼくをあの女と白玻の子だと認識させられたように!」
それで……弥那花は自分の子だと認識していたのね。
――――だけど。
「夜霧さんは優しいから。私たち家族にそんなことはしないと思う」
「まぁ、俺の加護があるから、効かぬが。こやつはそう言うたちでもなかろう?でなければ壱花が望んでも放っておいた」
「最初から……全部分かっていらしたんですね」
「全部ではないさ。夜霧が話すたび、言葉に力が宿るのが分かったくらいだ。あとは本当の色よな」
「何だよ……っ、それ……!勝手に絆されて……そいつらのところに……っ」
「あの……あなたも一緒に来ませんか?」
「……は……?」
「だって……あなたは夜霧さんの、家族……なんですよね。だったら、あなたも私たちと家族のはずです」
「何……言って……ぼくは、化け物だ」
「関係ないです」
「……っ」
「私は……あなたと家族になりたいです」
「バカじゃ……ないの!?お前はバカだ!そんなことをしてみろ!お前は鬼たちの敵になる!」
「それは……今までと同じ……だから。でも、八雲たちが家族になってくれたから、別にいいです」
「……はぁ?」
「そうさな。あと、伊月と柊の勢力も我らと志を同じくする」
つまり白鬼の一派だけ仲間外れ……。でもそれは夜霧さんたちにしてきたことを思えば、無罪放免とはいかないだろう。
「壱花のこともだぞ?」
「……え?」
「それに、我も伊月も鬼の子らはかわいい血族には変わらん。柊も特に反対はしないだろうさ。ある意味泣くだろうが、歓迎するだろう。なぁ?」
八雲は何故か意味深な笑いを夜霧さんに向ける。
でもある意味泣くってどういうことだろう……?
「そ……れはっ」
そして夜霧さんの顔が赤い……ような……?
「そなたも我と共に来るがよい」
最後は……やはり八雲が導いてくれる……。
「あなたは、本当はなんて名前なんですか?」
手を差し出せば。彼はゆっくりと口を開く。
「……壹夜」
「いよくん、ですね」
重なりあう手は、まるであの日、八雲に家族として迎えられた時のように、温かい。
「ふうん……壹夜……か。これも運命かも知れぬな……揃いだ」
八雲が微笑む。運命……とは……?お揃いと言うのはやはり角のことだろうか。そう思っていれば、八雲が何故か意味深な笑みを向けてきた。
「あと、壱花。壹夜は……女鬼だぞ」
「……え?」
夜霧さんをちらりと見れば。
「……妹です」
なぬ……っ。
「わ……悪かったな……」
壹夜くん……いや、壹夜ちゃんは照れたように顔を背けてしまったが。
「壹夜ちゃんみたいなかわいい妹なら、大歓迎です」
ぽすんと抱き締めれば。
「意味深……?」
壹夜ちゃんの言葉に。
「どうでしょうか」
戸籍上は……いたのだが。結局姉妹と呼ぶ関係ではなかったのかもしれない。
「恐らく余程のことでもなければ、会うこともなかろう」
「心配しなくても……」
「それでも俺にくらいは……何でも打ち明けておくれ」
「……うん」
――――本当は……姉妹になりたくなかったわけじゃない。
分かり合いたいと思ったことも確かに……遠い昔にあったのだ。
壹夜ちゃんを連れて社に帰還すれば、那砂さんが出迎えてくれた。
「玻璃ちゃんは途中までは起きていたんだけどね。今はぐっすりよ。ほら、あそこ」
「玻璃……!」
見ればクッションを抱き締めながら、ブランケットをかけてもらい、すやすやと眠っていた。
「そろそろベッドに運ぼうと思っていたのよ。夜霧さん、手伝ってくれる?」
「えぇ、もちろん」
那砂さんの言葉に、夜霧さんが頷く。
「さて、壹夜ちゃんは壱花ちゃんとお風呂、入ってらっしゃい」
「えと……っ」
壹夜ちゃんは那砂さんのフレンドリーさに驚きつつも、何だか照れたように頷く。
「やはり天賦の才だな。鬼だろうが人間だろうが……天然タラシ」
へっ!?那砂さんが!?
「んもぅ、何言ってるの?それじゃぁあなたもタラシ困れたのね」
那砂さんが八雲を見て苦笑する。
「じゃなきゃ社は任せてない」
でも何となく分かるかも。その……みんなの……お姉さん……みたいなんだもん。
「着替えは何か用意しとくわ」
そう那砂さんが微笑む。
「いや、お前、姿変えられるんだから、大人の姿にもなれるんじゃ……」
「ぼくは子どもの姿にしかなれないんだよ……っ!」
それは姿が変わらないことにも影響しているのだろうか……?
「ふむ……そうだな……?それに関しちゃぁ、ここで暮らすうちに何とかなんだろ」
八雲が何か納得したように頷く。神さまにしか分からない何かを悟ったのだろうか。
そして壹夜ちゃんが静かに頷いた。
※※※
壹夜ちゃんと一緒にお風呂に入れば、やはりここの温泉はいろいろなものを癒してくれる。
とても落ち着ける。
「温泉のお湯は、熱くない?」
「……ん、うん……これでも長く生きてるから」
数百年って、言っていたっけ。
「でも……なんか、夜霧が絆されたの分かるかも……那砂ってひと……ほんとに……」
那砂さん……?
「那砂さんは、優しくて面倒見もよくて……憧れのお姉さんみたいなひとだから」
「……それは……(壱花もじゃん)」
最後が少し聞き取れなかったが……。
壹夜ちゃんと、もっともっと、仲の良い家族に、なれたらいいなぁ。
※※※
「壹夜ちゃんは今夜、那砂さんと寝るって」
夜霧さんが運んで寝かせてくれた玻璃を挟みながら、私は八雲とお布団に横になる。
「夜霧は一緒じゃねぇの?」
「それは那砂さんが困るんじゃ……」
その、大人の男女なのだし。
「むしろ困らないと思うが……まぁいいや。あのふたりは、あのふたりな」
「うん……?」
「それと……」
「ん?」
「夜霧たちの話も聞いたろ……?鬼ってのは、人間と寿命が違って、数百年……長けりゃ数千生きる」
「それは……」
何となくだけれど、知っていた。教えられることはなくとも、その中で暮らしていれば、何となくそうではないかと思うことがたくさんあったから。
「玻璃も、長く生きるのかな」
「鬼と人間の子は、鬼として生まれることがほとんどだ。稀に半鬼ってのが生まれるが……少ない。半鬼は特殊だが、鬼として生まれたのなら、寿命は鬼のものとなる。子どもは7歳くらいまでは人間の成長と変わらんが、それから徐々に成長が緩やかになり、青年期が長くなる」
そっか……人間の私は……玻璃の寿命とはうんと早くお別れになってしまう。
「そこは、知らぬのだな」
「……?」
「鬼の嫁となった人間は、鬼の寿命を選ぶこともできる。その場合は、番った鬼の寿命を踏襲する。もちろん人間としての寿命をまっとうすることも選べる」
「そんなこと……」
知らなかった。白玻が私を鬼の寿命にするとも考えられないが。
「だから壱花はまだ、人間の寿命だ」
「そう……」
きっと八雲よりも……当たり前だが早くに逝くのだろう。
「だが、壱花は俺の妻だ。たからこそ、俺と同じ寿命でも生きられる」
「え……っ」
「だが、俺は神でもある。鬼の寿命ともうんと長い時を生きる。つまり俺を選べば……悠久に長い時を生きることになる。それでもよければ……だが」
「だとしたら玻璃たちは」
「俺の眷属として生きるのならば、社で仕え続けるだろう。那砂は……俺を放ってはおけまいと、既にその道を選んだが……。玻璃には成長した時に問えばいい」
那砂さんも、そうなんだ……。玻璃には……うん、選ぶのは玻璃だから。
そして……八雲とは。
八雲が少し不安げな表情を向けてくる。
私だって……このひとを、ひとりにはできないから。
「私も、八雲と同じ寿命にしてください」
「いい……のか……?」
「私は……八雲と一緒にいたいから。私も八雲をひとりにはできない」
「……壱花……あぁ……嬉しい」
八雲は、とても幸福そうに、頬をほころばせる。私も……幸せだから。
「う……まま、ぱぱ……?」
は……っ。しゃべっていたから、玻璃が目を覚ましちゃった!?
「玻璃」
「ゆっくり眠んな。ぱぱとままがついてる」
八雲が玻璃を優しく撫でてくれる。
「ありがとう、八雲」
「それは、俺のセリフだ、壱花」
額に優しい口付けを贈られて。
愛しいひとと、大切な我が子と。幸せな心地で寝入ったのは言うまでもない。
【完】