「まず、銀騎博士がツチノコと思われる生物の死骸を発見したのは、フィールドワークで出かけておりました山中でした。当時既にツチノコは未確認生物として広く知られており、過去に何度も別種類の蛇であったりトカゲの見間違いであったりしたため、蛇の突然変異種などの可能性が濃厚として採取したのが始まりです」
銀騎皓矢の説明とともに、後ろのスクリーンには当時の未確認生物の死骸が映し出された。
頭は蛇によく似ており、胴が短く膨らんでいる。所謂「ツチノコ」を連想させるような見た目だった。
体表の色は死骸だからだろうか、全体が黒っぽく少し干からびていた。
ここまでの展開は、今では動画サイトでも検索に時間をかけないと出てこない、昔の超常現象を扱うテレビ番組と同じような雰囲気である。
小学生の頃、永に毎日と言っていいほど見せられていた蕾生は、この手の話題には食傷気味だ。隣の永をチラと見ると、口元を緩めて楽しそうに聞いていた。
「銀騎博士はこの死骸を詳しく分析し、DNA鑑定をした結果、未知のDNAを発見しました。それは蛇やトカゲはもちろん、地球上のどの生物も持っていない全く未知のDNAだったのです」
銀騎皓矢の説明に、観客は小さく感嘆の声を漏らしながら聴いている。蕾生はますますSF映画の様になっていく展開に、本当にこれは科学の講話なのか首を傾げずにはいられなかった。
「このDNAに関しましては、現在も当研究所で研究中であり、全容はまだ解明されていません。しかしながら、とにかく未知の因子を持つ生物が存在している可能性が濃厚だとして、銀騎博士は一年かけて発見場所を詳細に調べました。糞や巣穴の痕跡などが徐々に見つかり、遂には生きている個体の捕獲に成功しました」
そしてスクリーンには、先程の死骸とは姿は同じでも雰囲気が全く違う、生気に満ちた蛇のような生物が映し出された。
土色の体の表面は鱗で覆われ、子どもの頃動画で見たCGでの想像図と良く似た姿だった。
「これが、銀騎博士が新生物として登録したツチノコであります。爬虫類有鱗目……ツチノコは古来ノヅチとも呼ばれたことから、ノヅチ亜目ノヅチ科ツチノコ属ツチノコと分類しました。ノヅチ亜目は今後細分化が可能だと銀騎博士は考えており、ツチノコ研究はまだ入口の扉を開けたに過ぎないのです」
そして、銀騎皓矢は観客を真っ直ぐに見据え、いっそう力強く言い放つ。
「我々銀騎研究所研究員一同は銀騎博士の指導の元、今後も未知の生物の探求とDNAの調査を行い、地球の生物の新たなる謎の解明に邁進していきます」
すると観客席からワッと歓声と拍手が湧き上がる。演説に成功した若き研究者は少しはにかみながらその場でお辞儀をした。
蕾生はなんとなく鈍い光を感じて視線をずらすと、ステージ袖で司会の女性が拍手をしながらも眼鏡の奥の表情が見えないことに少し不気味さを感じていた。
「ではこのプログラムの最後に、予め録画しておいたものにはなりますが、銀騎詮充郎博士よりお集まりの皆様にメッセージがございます」
銀騎皓矢のその言葉を合図に、ステージが再び暗くなりプロジェクターの可動音だけが会場内に響き渡る。
少しの沈黙の後、白い画面が浮かび上がり老齢の白衣を着た男性が映った。深い皺が刻まれた痩せ型の姿は、見ている者に畏敬の念を抱かせるには充分の鋭い眼差しをしている。
まるで静止画のようにしばらくピクリとも動かなかったが、ようやく開いた口から出てくる声は身もすくむほど威圧に満ちたものだった。
「……銀騎詮充郎で御座います。本日は当研究所にお越しいただき、厚く御礼申し上げる。私は自らの探究心に従い、この世界の真理というものを追いかけ続けている。一般民衆の諸君、疑問に思ったことを放棄するべきではない。何故ならそこには必ず矛盾があるからだ。考えることを止めるな。考え続けることだけが、我々人間に与えられたただひとつの武器なのだから」
一方的にまくしたてながら動画が終わる。観客達はそれまでの浮かれた熱が一気に冷まされたように静まり返った。
「あ、し、失礼しました! 祖父は研究のことしか頭にありませんで、自分の研究理念を端的に申し上げたつもりなのですが、ご覧の通りの強面なので……」
会場の空気を察してか、銀騎皓矢が焦った声で援護すると、「強面」の部分で何人かが笑った。
すると緊張がとけて、拍手が起こる。
壇上の銀騎皓矢はほっとした表情を浮かべ、ペコペコと頭を下げた。先程までは副所長としての威厳を感じるような振る舞いだったが、今の彼にはそれが見当たらない。
もしかしたら、こちらの方が素顔なのかもしれないと蕾生は思って苦笑した。
「ではこれからいくつかのグループにわかれて、研究所内をご案内いたします。誘導する職員がお声がけするまでそのままお待ちください」
司会の女性がそう言うと、銀騎皓矢はステージを去り、会場内も明るくなったので客達は思い思いに雑談をし始める。
「さっきのさ……」
不意に永が口を開いた。随分と久しぶりに声を聞いた気がする。それだけ講和にいつの間にか集中していたのかと蕾生は不思議な気持ちになった。
「銀騎博士のこと、どう思った?」
そう尋ねる永の表情が心なしか強張って見え、忘れていた違和感を思い出す。
「どうって……なんかこえーし、空気読めないジジイだなってくらいしか」
蕾生の答えに永は吹き出して笑った。
「ジジイって……! めっちゃ偉い博士なのに……っ」
「でも圧が凄くて、あんまり会いたくないタイプのジジイだ」
「ハハ! そうだね、写真で見るくらいがちょうどいいよね」
永はひとしきり笑った後、諦観めいた顔をしてボソリと呟いた。
「できるなら、二度と会いたくなかったなあ……」
会ったことがあるのかと言いかけて、蕾生は口を噤んだ。掘り下げてはいけない話題のように感じたからだ。
「周防様、唯様、いらっしゃいますか?」
職員らしい男性の声に、永も蕾生も思わず立ち上がった。
「呼ばれたから行こっか」
そう言う永の表情はもう元の通りだった。
「さ、楽しいオリエンテーリングの始まりだね」
十五年の付き合いの中で、こんなに不安定な永を見るのは初めてだ。
この研究所に何があるというのか。できれば気のせいであって欲しい蕾生だが、頭の奥では警報が鳴り響いていた。
「えー、以上が研究棟の中では主なものであります」
事務的な言葉で案内係の男性が締めくくると、一団の中には微かに溜息を漏らす人もいた。そりゃそうだ、と蕾生は思う。
副所長の講話から受ける壮大な印象のまま研究所の散策が始まったが、結果は期待外れのものだった。
分野ごとに分かれている研究棟を三棟ほど回ったが、どこもエントランスから先は通してもらえず、蕾生ですら期待していたバイオテクノロジー研究の植物だったり、複雑な名前の薬品を使った実験だったり、新生物研究のヒントだったり等の心躍るような光景には全く出会えなかった。
パンフレットに沿ってただ研究所内をウロウロしただけで、せめて庭木や花でも植えてあれば季節柄目にも楽しいのだろうが、それすらも見かけることは叶わなかった。
全体ががっかりした面持ちでいると、いたたまれなくなったのか案内係の男性は少し明るい声で皆に話しかける。
「では、最後に私共の食堂で昼食を召し上がっていただきます。今日は職員の中で一番人気の高いメニューをご用意させていただきました。サラダバーには当研究所が監修しましたドレッシングの全種類をご用意しておりますので、ぜひお楽しみください」
「サラダかあ……」
少し盛り上がった周囲とは逆に蕾生が肩を落とす。それを見た永は嗜めるような口調で言った。
「もう、ライくんもたまには野菜を食べないと。普段、肉と米ばっかりなんだから」
「家では食ってるよ。外食で野菜食べる意味がわからん」
「そんなんだからこーんなにでかくなるんだ? うらやましいわー」
ふざけて言う永の様子は普段通りだった。
講演会が終わって研究所の散策中も特に変わったことはなく、あの変な違和感も蕾生の中では薄れていた。
後は飯を食って帰るだけだ、とほっとする。こんな所はさっさと出て、いつもの日常に戻りたい。そう強く願っていた。
食堂に入ると、さすがに内部は普通だった。椅子もテーブルも簡素ではあるが、窓も研究棟に比べればかなり大きく、陽の光が充分に差している。
休憩に使う施設ならばこれくらいは最低は欲しい所だ。──病院の食堂の様な雰囲気だったとしても。
人気ナンバーワンと謳うだけあって、おかずは豪華だった。ハンバーグにクリームコロッケと唐揚げがつけ合わされている。それにご飯と味噌汁。サラダは各々好きに盛り、おかわり自由だと言うことだった。
目の前に並ぶ色とりどりのサラダバーを見ても、蕾生の心は弾まなかった。
「野菜がおかわり自由でもなあ……」
「文句言わないの。それからサラダを野菜って呼ぶのやめなさい」
蕾生がサラダを盛らないのは当然としても、永もサラダバーに向かう気配がないまま二人は席に着いた。
「永。サ、ラ、ダ、よそわねえの?」
わざとらしく言うと、永は小声で周りを気にしながら短く言った。
「ライくん、悪いんだけどできるだけ急いで食べて」
「は?」
「頼んだよ」
蕾生の返答も聞かずに、永は急いで箸を動かした。口に詰め込めるだけつめて、急いで飲みこむ。
蕾生にも目配せして「早く食べろ」と促した。
「なんなんだ……」
首を捻りつつも、それきり永は何も言わず黙々と食べ進めるので、蕾生もそうするしかなかった。だが、焦ったため途中で割り箸を折ってしまった。
そのパキッと割れた音は、周りの楽しげな雰囲気に一見紛れたようではあった。だが、蕾生にはその音が頭にこびりついた。
元から早食いが得意な蕾生はすぐに永を追い越して、あっという間に食べ終わる。
永も最後の一口を口に運んで、味噌汁で流し込んだ。周りはまだ和気藹々と食事を楽しんでおり、サラダバーには人だかりが出来ていた。
「静かに立って、静かに運んで」
「……」
永の後について蕾生も皿の乗ったトレイを返却口に出し、そのまま入口に向かう。永は静かな足取りで、けれど迅速に歩き建物の外へ出た。
「どこに行くんだよ? 解散の前に点呼とるから食堂にいてくれって──」
「シー」
口の前で人差し指を掲げて蕾生の言葉をさえぎった永は、小声かつ早口で言う。
「そう、ここからは時間との勝負」
「え?」
「こっち」
蕾生の疑問に答える暇もなく、永は研究所の歩道を早足で歩き出す。
周囲を警戒しつつ、通る人を見ると方向を変えて、誰にも見られないように歩き続けた。
碁盤の目のような道路が幸いしているのだろう、右に左に進路を変えながら二人は誰の目に留まることもなく進んでいった。
蕾生はついていくのが精一杯で方向感覚もよくわからなくなっていた。だが、永は進むべき方向を知っているかのように歩みに迷いがない。何かに導かれているようにも見えた。
急に白くて無機質な道路が終わる。先に続くのは舗装のしていない道路で、土が剥き出しだった。どう見ても部外者が入っていいような雰囲気ではない。
すぐに煉瓦作りの大きなプランターの列に突き当たった。中には成人男性ほどの背丈の木が植えてある。
その先に続く道の左右には頑丈な壁が左右に立っており、植木の上から辛うじて見えるのは、芝生の広場とその中央に立っている温室のようなガラス張りの建物。
あまりに違う景色に、蕾生は目を丸くして驚いた。
「ねえ、ライ。この鉢植え、動かせる?」
「え?」
その永の要求に、蕾生は耳を疑った。
蕾生の目の前のあるもには、鉢植えと一言で言っても、それは一メートル程の幅で、植木の大きさを合わせると六十キロ以上はありそうだ。普通の人間には引きずるのも難しいだろう。
だが、蕾生はこれを軽々と持ち上げることができる。この力は家族以外では永しか知らない。
「ちょっと動かしてよ」
「マジで言ってんの?」
それは蕾生にとっては忌々しい秘密だ。幼少の時からこの並外れた怪力のせいで散々な目にあってきた。永だってその現場にはいくつかいたはずだ。
本当に隠しておきたい力で、永もそれはわかっているはずだし、今までに一度たりとも永は蕾生の力を頼ったことはない。ずっと隠し通す努力を一緒にしてきたのに。
それを。
今、ここで。
やれと言うのか。
「──お願いだ、ライ」
それまでに見たこともない真剣な表情だった。
見たことがない? いや、ある。
記憶にはないのに、この眼差しに出会ったことがある。
「わかった」
蕾生は頷いた。元より永からの頼みを断ることなどあり得ない。
そうすればずっと拭えなかった違和感の正体がわかるだろう。永が初めて見せた表情の意味も。
もうあの日常には戻れないかもしれない、そんな不安はあった。
けれど永がそこに行くと言うのなら、自分は従うだけだ。それが蕾生には自然な感情だった。
教室の机を持ち上げるような感覚で、蕾生は自分の背丈くらいの植木をプランターごと持ち上げた。人が通れるくらいの隙間を作って、静かに地面に置く。
「ありがとう」
小さくそう言って、永は駆け出した。真っ直ぐに広場の中心、ガラス張りの建物を目指す。
「永!」
蕾生も後を追って走った。不思議な気配をその建物から感じていた。何か、懐かしいものがそこにあるような。
その温室の入口に着くと、永はためらいもせずにそのドアノブに手をかけた。
鍵はかかっていなかった。滑らかに扉が開く。蕾生もまた、永に続いて温室の中に入った。
中は沢山の植物であふれていた。どこを見ても、緑、緑、緑。多くの木々や植物が太陽の光を受けて青々と輝いている、生命にあふれた空間だった。
二人は少しずつ中へ進む。中央に大きな木が植えられていて、その下で一人の少女が小さなテーブルと椅子に腰掛けて、本を開きながら目を見開いてこちらを見ていた。
肩ほどまで伸びた黒い髪はつややかに光の輪を描き、とても簡素な白いワンピースを着ていた。
「リン……か?」
永の言葉に、蕾生は急に胸が痛くなった。初めて会うのに、その「リン」という言葉が頭の中で響く。
「ハル様、ですか?」
少女はおずおずと口を開く。永のことを知っている様子だった。大きな黒い瞳が永を真っ直ぐに見つめていた。
「そうだよ」
永が答えると、少女は次いでその後ろの蕾生に視線を移す。
「では、そこにいるのがライですね」
「……ああ」
永が頷くと、少女は目を伏せて安堵の溜息をついた。だが、すぐに冷ややかな視線を向けて言う。
「何故、来たのですか?」
「なぜって、お前がいないと始まらないだろう。いつもより若いみたいだけどどうしたんだ?」
何が始まらないって?
いつもより若いって、何?
二人の会話の筋が見えなくて、蕾生はただその場で棒立ちになっていた。
「ハル様、私はもう協力できません」
「──え?」
突き放すような口調で、少女ははっきりと言った。
「お帰りください。そしてここには二度と来ないように。私のことは忘れてください」
「な、に、言ってんの、お前?」
永は動揺して、その少女に一歩近づいた。
「近寄らないでください。人を呼びます」
「お前、どうしたんだよ! 何があった? お前こそどうしてここにいる?」
詰め寄ろうとする永を制するように、少女は唇を噛み締めながらワンピースのポケットから取り出した防犯ブザーのようなものを鳴らした。
途端に温室の照明が赤く点滅し、けたたましいサイレンが鳴り響く。
「リン!」
戸惑う永から少女は目線を蕾生に移して、冷たく言う。
「ライ、彼を抱えて逃げなさい。捕まったら死にます。振り返らないで走りなさい」
とんでもないことを言われたが、少女の雰囲気からその言葉に嘘はなく、また従わざるを得ない迫力があった。
「永、一旦帰ろう」
「馬鹿言うな! せっかく会えたのに!」
こんなに狼狽している永は初めて見る。蕾生がその様子に戸惑っていると、少女が叫んだ。
「早く! 走って!」
「──クソっ」
どんどん大きくなるサイレンの音に焦りを感じて、蕾生は永をむりやり肩に担いだ。
「離せ、ライ! リンが、リンが──ッ!」
とにかくここを離れないと危険だ。蕾生は喚く永を無視して温室の入口へと駆け出した。
出る直前に少女の顔をもう一度振り返る。そこには少し笑った、懐かしい表情が浮かべられていた。
「さよなら、少しでも平穏な人生を生きてください」
その言葉に胸がひどく痛くなる。けれどサイレンの轟音に負けて、蕾生は永を担いだまま脇目も振らずに走った。
白い道路が見えるまで、振り返らずに。
その少女の黒い瞳に浮かんでいたきらめく粒を、見なかったことにして。
蕾生は、逃げ出した。
永を担いだまま、無我夢中で蕾生は走る。いつの間にか踏みしめるものが土からアスファルトに変わったと知覚した時、耳をつん裂くようなサイレンがとっくに止まっていることを蕾生は知った。
「ライくん……もういい。おろして」
永の声はとてもか細く沈んでいたが、語尾が元に戻っていたので蕾生は抱えていた体をその場でおろした。
自分達の周りを見回したが構内は静まり返っており、追ってくる者なども見えなかった。
「どうなってるんだ……?」
あんなにけたたましく鳴っていたサイレンがまさか誰にも気づかれていないとは思えなくて、蕾生は首を傾げる。
「きっとリンがうまくやってくれたんだろう」
「永、あの子は一体──」
問いかけようとして永の方を見ると、その表情は暗く、怒りさえ携えているようで、蕾生の知る永とは異様な空気感をまとっていた。
その雰囲気に飲まれ、二の句が出てこない蕾生に緩く微笑みかけて永は静かに言った。
「ごめん、驚いたよね」
「……」
蕾生の心持ちは複雑だった。とても驚いたし、戸惑いもしている。
けれどあの少女の存在は何故かすんなりと受け入れているような気がしていて、その理由がわからない自分に納得できない変な感覚だった。
「とにかく今は食堂に戻ろう?後でちゃんと説明はするから」
「……わかった」
落ち着きを取り戻した永について食堂まで戻ると、中では何事もなかったように他の客達は談笑していて、職員数人もその場にいたが戻ってきた永と蕾生を特に気に留める素振りもなかった。
「あれだけの騒ぎに何も対処してこないなんてことがあるのか……?」
蕾生の呟きに、永は小声で短く返す。
「つまり、ここはそういうところってことだよ」
その言葉は軽蔑を孕んでおり、この研究所に対して永が抱いていたのは実は逆だったのだと蕾生は思い知る。
永はたまにそういう一面を見せる。興味のある振りをして近づいて目的を達成した後、その対象をボロクソに言う。
今回もその例だったのだ。それにしては随分と長いこと騙されていた気がするが。
永がこの研究所を良く思っていないことがわかると、途端にあの職員達の意思を持たないような非人間的な態度が気持ち悪く感じる。蕾生には白衣を着た人形のように見えてきた。
「とりあえず、今はここを無事に出られるように祈ろう」
永はそう言うと、ほかの客達と同様に食堂テーブルの席に着く。蕾生もそれにならって大人しく座った。
暫くして、黙って立っていた職員の一人が全員に聞こえるように少し大きな声で話しかけた。
「皆さまお疲れ様でした。当研究所の一般公開プログラムはこれで終了いたします。入館証をこちらにご返却のうえ、出口までどうぞ」
案内に従って客達が動き始める。永と蕾生もその列に紛れてなるべく気配を押し殺して動いた。
職員達は拍子抜けするくらい機械的に人々を出口まで促していく。二人も来た時と同じ、無事に通用口の扉から出ることができた。
職員達は人々を送ることはしたが、その口から御礼や好意を感じられる言葉はついに無く、ただ黙って人々が研究所から遠ざかるのを見守っている。
その眼差しがとても気味が悪く、蕾生は自然と足が早くなった。
「なあ、永」
研究所を出てから黙ったままの永に、蕾生はたまらず声をかける。そんな蕾生の気持ちを察して、永はにこりと笑って言った。
「うん。とりあえず公園まで戻ろう」
まだ昼過ぎの陽も高い時刻。研究所から遠ざかる程に公園で休日を楽しんでいる人の声が大きくなってきて、安心を求める蕾生の足取りはいっそう早くなった。
公立の森林公園は、マラソンコースが複数あり、ドッグランも併設されている、ちょっとした行楽地として地元民に親しまれている。
今日は連休なのでバーベキューをしている家族連れもいた。大人は食べて飲んで、子どもはバドミントンなどで遊ぶ、そんな典型的な休日の風景が二人の目の前に広がっている。
先程までいた環境とまるで違う景色だ、と蕾生は改めて思う。こうしてベンチに座っているだけでも人々の息遣いを感じられてなんだか安心する。
隣に座っている永はまだ何も話さない。じっと何かを考えこんでいるようなので、その口から語られることはきっととんでもないことなのだろう、と蕾生は少し緊張してきた。
「なんかさ、お腹空かない?」
「へ?」
予想に反して永の口からは暢気な言葉が出て、蕾生は変な声が出てしまった。
「そうかな……そうかも?」
研究所の食堂で食べてからそんなに時間は経っていないが、急いで食べたからかあまり食事をしたという認識がないことに気づく。
「待ってて、そこでたこ焼き買ってくる」
永は笑いながら数メートル先の広場に向かって歩いていった。そこでは屋台がいくつか出ており、なかなかの賑わいを見せている。
「はい、今日付き合ってくれた御礼ね」
「あ、ああ」
永はたこ焼きを二パックとお茶のペットボトル二本を持って帰ってきた。渡されたたこ焼きは熱々でソースのいい匂いがしていた。
「高かったろ」
「ハハ、まあね。連休価格。でもいいじゃん」
笑いながら永は自分の分のパックを開け、たこ焼きをひとつ楊枝で刺してそのまま口に運ぶ。
「んー、うまい。やっぱさあ、与えられる食事よりも自分で調達してきたものの方が美味しいね」
「お前、それ母ちゃんには言うなよ?」
「やだなあ、お母さんのご飯は別! それ言っちゃうとたこ焼き買ったのだってお小遣いだしね!」
気分的なものでしょ、と永は笑うので蕾生も今はたこ焼きを食べることに専念することにした。青空の下で友達と買い食いするより美味しいものはないと思いながら。
熱いたこ焼きをじっくり味わって食べ、ようやく一息ついた心地になった頃、永が意を決したように口を開いた。
永は少しだけ不安そうな顔をした後、小さく頷いてから蕾生に優しく語りかける。
「ライくん、これから話すこと──驚くなって方が無理だと思うけど、出来るだけ落ち着いて聞いてくれる?」
「……わかった」
「途中でなんか変な感じがするとか、具合が悪くなったら絶対言って」
「あ、ああ……?」
蕾生の体の頑丈さは充分知っているはずなのに、今日は朝から随分体調を気にするなと思った。だが、そう言う永の顔がとても真剣で少し怯えているようなので、蕾生は大きく頷いた。
「ええっと、どこから話そうかな……」
「あの子は一体誰なんだよ?」
それでも永は言葉を濁すので、蕾生はまず研究所で会った少女について問う。
「そうだね、まずはそこからだ。彼女はリン、今の名前は知らない」
「今の名前? どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ、僕はまだあの子の今回の生については何も知らない。けど、リンはずっと前から僕たちの仲間なんだ」
開始早々から蕾生の頭の中は疑問符だらけになっている。ようやく返せたのはたった一言だった。
「ずっと、って?」
「うーんと、九百年……くらい?」
「は?」
「僕ら三人は、ずーっと昔から何度も転生を繰り返してる仲間なんだ」
「ええー……?」
漫画の話かな、と現実逃避したくなる思考を蕾生はなんとか押し込める。永の顔は冗談を言っているものではなかったから。
「よく知らんけど、それって仏教とかの考えだろ。それで言うと、人間は皆生まれ変わってるってことじゃねえの?」
「ああ、うん、まあそうだね。だけど僕らの場合はその転生の回数が尋常じゃない」
「ええー……?」
嘘だあ、と言いそうになったのを蕾生は飲み込んだ。永の顔はどんどん深刻さを増している。
「僕が知覚できてるだけでも、僕らが転生したのは約九百年間で三十四回」
「ちょ、っと待てよ。人の一生って昔でも五十年くらいはあるだろ。九百年で三十回以上ってことは単純に割っても……」
「そうだよ、ライ。冷静で嬉しいよ」
永は少し安心したような表情になって、蕾生の疑問にきっぱりと答える。
「僕らは若く死んで、すぐ生まれ変わる。そういう運命をずっと繰り返してる」
「──何故?」
「鵺に呪われているから」
ヌエ
ぬえ?
──鵺
初めて聞くはずの単語なのに、蕾生はその言葉の意味を知っていた。
何か、黒い、闇の中からやってくる、化物。奇妙な声。その獣を確かに知っている。
辺りが急に曇り始めた。冷たい風が吹く。それに煽られて羽ばたく鳥の、哀しい声が響いていた。