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浜木綿香《はまゆうかおり》が大嫌いだった。
出会うずっと前から、大嫌いだった。

「美希ちゃんは、本当に絵が上手ねえ」
私の絵を見ると、大人は必ず褒めてくれた。小学校から絵を描くのが大好きだった。自分は誰より絵が上手いと思っていた。長くなった鼻っ柱が折れたのは中学で美術部に入った時だった。
もちろん、部内で私よりうまい人はいなかった。
このレベルなら、県どころか、全国のコンクールだってきっと私が一番になれる。本気でそう思っていた。
結果は散々だった。
県のコンクールでは二番だった。最優秀賞は、他校の浜木綿香という子だった。しかも同じ一年生。けれど、その子は中学生レベルの画力ではなかった。審査員は絶賛だった。私の絵は二番だけれど、一番との差は歴然だった。全国の絵画コンクールでは、私は入賞すらできなかったのに彼女はそこでも最優秀賞を取っていた。
悔しくて、悔しくて、仕方なかった。
それからはなりふり構わず、絵に没頭した。二年生になっても県のコンクールは浜木綿香が一番で、私は二番。全国のコンクールで入賞しても、やはり浜木綿香は当然と言わんばかりに最優秀賞をとっていた。
表彰式で浜木綿香の隣に座ることが数度あった。浜木綿香は地味だけれど、美人で髪の綺麗な子だった。絵にかまけてぼさぼさの髪をした自分が急に恥ずかしくなった。表彰式の間、彼女は嬉しそうにするでもなく、興味なさそうにぼうっと座っていた。彼女の容姿と態度にますます腹立たしさと悔しさ、劣等感が募った。勉強もおれしゃもせずに絵を練習した。ダサい、暗いとクラスの男子たちから馬鹿にされながら、私は中学生活を絵に捧げた。
その努力も虚しく、三年間で浜木綿香に勝てたことは一度もなかった。中学最後のコンクールの表彰式で、隣に座った浜木綿香に「いつも一番だね」と嫌味っぽく言うと、彼女は困ったように「たまたまだよ」と言った。そんなわけないのに。その返答で彼女を余計に嫌いになった。
嘆く私に、絵画教室の先生や両親は「芸術は勝ち負けじゃない。あなただけの素晴らしい絵を描けばいい」と慰めた。
でも、それは慰めにはならなかった。
だって、浜木綿香の絵は美しい。私の絵など、ゴミに見えてしまうくらい。
いつしか絵を描くのが嫌いになった。絵を描くのをやめた。そして今までしてこなかった勉強をして、ギリギリの成績だったけれど、県内有数の進学校に合格した。
絵のことを忘れたくて春休みは今まで絵に費やしていた時間をおしゃれに使った。髪型や眉毛を整え、動画を見ながら化粧やヘアメイクを勉強した。SNSを参考にしながら流行の服も買い揃えた。鏡を見て、自分でも感心するくらい可愛くなった。
そうして高校に入学すると、中学の頃とは別世界になった。いつも私を馬鹿にしていた男子たちは「可愛いね」と私をちやほやして、私など眼中になかったおしゃれな女子たちは「どこのコスメ使ってるの?」と向こうから話しかけてくる。
気付いたら、私はクラスの中心にいた。昔の私のように暗くて地味なクラスメイトを見て嗤う。見下す側はすこぶる気持ちが良かった。
絵に関わりたくなくて、授業は音楽を選んだ。
音楽の授業後、実技棟から教室棟へ戻る時、友達と合流するためにたまたま美術室の前を通った。廊下に掲示された授業で制作された作品たち。流し見て、通り過ぎるはずだった。
一枚の絵の前で足が止まった。
布の上に置かれた林檎。静物画の鉛筆デッサン。一枚だけ、レベルが違う。他の生徒も何人も足を止めてその絵を見ている。絵の隅に描かれた名前は何度も見た、憎い名前だった。
浜木綿香。
同じ高校に進学していた。彼女と同じ中学出身の友人に話を聞くと、彼女は頭も良かったらしい。私が絵をやめて必死に勉強して合格できたこの進学校にも彼女は余裕で入学していた。馬鹿にされているようで、あの女の何もかも気に食わなかった。
私はあの子のせいで大好きだった絵をやめたのに。私が必死で手に入れたこの場所でも彼女は変わらず絵を描いている。憎かった。
彼女は幾度も全校集会で表彰された。全校生徒の前で称えられる彼女を見るのは苦痛だった。
校内で彼女の作品を見かける度に、嫌な気持ちになった。見たくもないのに、見てしまう。嫉妬と羨望でどうにかなりそだった。唯一の救いは一年、二年と離れたクラスで、顔を見ずに済んだことだった。