唐突に一ノ瀬が挙手した。場はさらにざわついた。私は一体何をする気だろう、と不安でいっぱいの顔で一ノ瀬を見つめる。一ノ瀬は立ち上がり、話し始める。
「本当は検討会が終わってから、管理職の先生方に相談したかったんですが、佐々木さんが質問したので、この場で話をさせてください」
「ちょっと、待ちたまえ、君!実習生が勝手に発言をするなど」
「すぐに終わります、だから聞いてください!」
一ノ瀬は副校長の言葉を遮って強引に話を続けた。
「研究授業の前、私は澤村さんとこの教室で授業の練習をしていて、練習のために教卓を撮影していました。撮影途中で、私は急用で教室を出て、うっかりあの棚に置きっぱなしになっていたこの携帯電話は録画モードのままでした。動画を確認したら、パソコンが壊れた瞬間が映っていました」
会場が騒めく。一ノ瀬はプロジェクターに携帯電話を接続するとスクリーンに動画が投影された。動画を早送りすると、私と高岡先生が美術室を出て無人になり、しばらくすると人影が教室前方の扉から入って来るのが映し出された。一ノ瀬は早送りを止めて、通常再生に戻した。その人物は、美術室に侵入して教卓に近づくと、ノートパソコンを持ち上げて迷いなく床に叩き落とした。一度落としたくらいでは壊れ方が軽微だったのか、その人物は美術室の備品から木槌をとってノートパソコンを叩き壊した。そして、木槌を戻すと教室からそそくさと去っていた。
その動画を見ていた人たち全員が息をのむのが分かるくらい、教室は静まり返っていた。全員の視線が、たった一人に集まる。
「これは……どういうことですか、佐々木先生」
副校長に名指しされた佐々木美希は、顔面蒼白で固まっていた。血の気を失った顔で、唇をカタカタと振るわせて「ちがう」と呟く。
「ちがいます、ちがうんです……私じゃない。こんなの、合成です。ねえ、違うよねえ⁉」
彼女は隣に座っていた実習生たちに同意を求めるが、誰も彼女と目を合わせようとはしなかった。一ノ瀬は畳みかけるように言った。
「佐々木さんは実習中、澤村さんにずっと嫌がらせをしていました。記録も残しています」
「ちがう!そんなことしてません!黙れよ、一ノ瀬!勝手なこと言ってんじゃねえよ!」
佐々木は取り乱して怒鳴り散らすが、一ノ瀬は退かない。
「俺は説明会の日に澤村さんに一方的に暴力を振るう佐々木さんをこの目で見ています。穏便に実習を終わらせたいと言う澤村さんの意志を尊重して今まで黙っていましたが、こんなことになった以上、黙っている訳にはいきません」
「だーかーらぁ!そんなことしてないわよ!こんなの全部嘘です!一ノ瀬くんは澤村さんに誘惑されて、嘘ついてるんです!証拠もないでしょ⁉黙っててよ!」
「偶然撮影したものですが、証拠ならあります」
一ノ瀬は毅然とした態度で、きっぱり言い切ると携帯の画面を操作して新たな動画を表示した。日付は教育実習が始まる前、説明会の日になっていた。
初めは実技棟の廊下の窓から撮影しているらしい夕日が映っている。小さな声で「あれ、写真じゃなくて動画になってる」と呟く一ノ瀬の声が入っていた。そのすぐあと、「いい加減にしてよ!」と怒鳴る私の声が録音されていた。画面が揺れて、足元が映る。なんだ、と呟きながら一ノ瀬は階段を降りていく。そしてまた画面は揺れて、怒鳴り合う私と佐々木の姿が映った。
言い合いの末、私は髪を捕まれ、佐々木に突き飛ばされて、蹲ったところを蹴られている姿が克明に映っていた。佐々木が私を殴ろうと手を振り上げた瞬間、一ノ瀬が「だめだ」と焦ったように言って走り出し、画面は真っ暗になり音声だけが続いていた。一ノ瀬は動画を停止した。
「先生方、見て頂いた通りです」
先ほどまで私に怒鳴り散らしていた副校長は顔を引き攣らせて黙り、教頭は頭を抱えて唸っている。佐々木美希は決定的な動画を流されて、呆然自失で椅子に凭れかかっていた。
私も驚いてぽかんとスクリーンを見上げていたが、教頭先生に「澤村さん」と名前を呼ばれて姿勢を正して返事をした。
「今の動画と、一ノ瀬先生の言ったことはすべて事実なんですね?」
問いかけられて、私は自分のことなのに自分が何もしていないことにようやく気が付いた。ちゃんと、私の口で言わなければ。一ノ瀬にすべて押し付けてはだめだ。
この状況は、いじめから逃げ続けた私が招いたのだから。
「事実です。私は、高校生の時から佐々木さんにいじめを受けていました。教育実習の説明会で再会して、暴力を受け、その後も嫌がらせをされていました。今まで報告せず、一ノ瀬先生や他の先生にも口止めをして黙っていました。その結果、こんな事態になり……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
立ち上がって、深々と頭を下げた。下を向いていると、涙が溢れそうだった。安堵か、恐怖か、恥ずかしさか、怒りか、悲しみか。どの感情も違うような、説明のつかない涙が込み上げてくる。頭を下げたままの私に、いつも厳しい顔の教頭先生は静かな声で言った。
「教育に携わる者として覚えておきなさい。いじめはいじめる側が百パーセント悪い。あなたが謝ることは何もありません。顔を上げなさい」
涙をぐっと堪えて、私は顔を上げた。泣かないように噛みしめた唇から、今にも嗚咽が漏れそうだった。静寂に包まれた教室にチャイムの音が鳴り響く。
佐々木美希による下らない茶番は、終わりを告げた。

その後、私と一ノ瀬、そして佐々木はそれぞれ教頭先生から事情聴取に呼ばれた。職員室で事情聴取されたあと、廊下をとぼとぼ歩いていると、憔悴しきった佐々木とすれ違った。私は黙って通り過ぎようとしたが、堪らず立ち止まり、彼女に尋ねた。
「ねえ、どうしてこんなことしたの?」
佐々木は足を止めたが、背中を向けたままだった。
「私、あなたにこれほど恨まれるようなこと、何かした?」
重ねて尋ねると彼女はがっと勢いよく私を振り返り、憎しみと怒りに染まった瞳で、私を睨みつけた。
「あんたが……浜木綿香《はまゆうかおり》が、あたしを誰か知らないからこうなったのよ」
捨て台詞のように吐いて、彼女は目の前から走り去った。
浜木綿香。
高校三年生までの私の名前。何故、彼女が最後に私を敢えて「浜木綿香」と呼んだのか、彼女の言葉の真意を知るのは少し先だった。
その日のうちに、佐々木は学校から消えた。あと一日で教育実習が終わる、その寸前で彼女は実習中止となったのだ。
彼女から一度も謝罪はなかった。
数か月後の話だが、佐々木が退学したことを知った。卒業ができなくなり、辞めざるを得なかったらしい。騒動の少し後に彼女の両親から謝罪の手紙を受け取った。それを読んで私は初めていじめの理由を知ることになった。