アッシュが“違う”と気付いたのは直後の事――。
妙な違和感を感じ取ったアッシュはラグナの顔を覆っていたローブを乱雑にめくり上げた。
すると、そのローブの下にはラグナ――ではない、別人の姿があった。
「なッ……お前は……!?」
視界に捉えた男の顔を見て眉を顰めるアッシュ。
目の前に倒れる彼からは確かにラグナの面影を感じる。
だがまるで“別人”だ。
似てる部分もあるが、髪色も目の色も違う。
アッシュが驚きと困惑で一瞬で言葉を詰まらせると、次に男が口を開いた。
「その様子だと、私をラグナと間違えたみたいだね。……“ブルーランド王子”」
「……!?」
突如その名を出されたアッシュは無意識に剣を握る手に力を入れていた。
「何者だテメェ」
再び鋭い眼光を男へ向けるアッシュ。
喉元に突き付けた剣先をギリギリまで沈みこませると、男の首筋に一筋の血が伝った。
「私はラグナではないが、奴の居場所に心当たりがある」
「心当たりがある……? ここにいる筈だろ。練成術で魔物を操ってるんだからよ」
底の知れない怒りと同時に、アッシュは冷静でもあった。
「確かに今いるノーバードは練成術で生み出した魔物だよ。だが肝心の“術者がラグナではない”」
「何ッ……!?」
「この練成術は別の魔導師の仕業だよ。ラグナから教えられたのさ」
「どこまでもふざけた野郎だ……! なら奴はどこだ? 答えなければ殺す」
脅しではない。
それはアッシュの瞳を見れば一目瞭然だ。
「私を殺せば奴の居場所は分からくなるよ。それでもいいなら殺してみろ」
男も相応の覚悟を決めているのか、その言葉と表情に偽りがない。
「私の名はジャック。“ジャック・ジョー・ユナダス”――」
名を聞いたアッシュは目を見開いた。
「ユナダス……だと?(じゃあコイツは……)」
「ああ。父はヨハネス・ジョー・ユナダス国王。証明出来る物はないが、私は正真正銘ユナダス王国の王子。そして……ラグナの“兄”でもある」
驚きを隠せないアッシュであるが、そんなアッシュを他所にジャックは淡々と言い放った。
以前彼ら2人の周りでは激しい争いが続いている。
しかしアッシュとジャックには最早それら全ては雑音。
互いの言葉しか耳に入っていなかった。
更にジャックは話を続ける。
「君がユナダスを恨んでいるのは重々承知している。しかし事態は一刻を争っているのだ。ラグナの居場所は私が教えてあげよう。だからその代わりに……私も一緒に同行させてほしい――」
「お前を一緒に……?」
目まぐるしい状況変化にアッシュも険しい表情を浮かべている。
一度に得た情報が多い。それも思わず聞き直したくなるような内容ばかり。
それでもアッシュはこの緊迫する戦況の中で懸命に頭を回転させる。
(コイツがユナダスの王子……そしてあのラグナの兄だと……? 一体コイツは何を考えてやがる。何故俺なんかと一緒に……)
「考えているところ悪いが、事態は一刻を争っていると言っただろう」
未だアッシュに馬乗りで剣を突き付けられている状態にもかかわらず、ジャックは真っ直ぐアッシュを見て煽るように言った。
確かに迷っている暇はない。
こうしている間にもエレンの危険は続いている。
「助けたいんじゃないのかい? 混血の女神を」
「――!?」
ジャックの言葉で我に返るアッシュ。
一瞬エレンの顔が脳裏に浮かんだアッシュはゆっくりと立ち上がった。
「……何が目的だ。何故エレンを狙う? 混血の女神とは何だ!」
立ち上がりながらも、アッシュは剣先をジャックに向けたまま睨みつける。
「事情を全て話すには時間が足りないが、ラグナを止めたいのは俺も同じだ。でも残念ながら俺にはその力が備わっていない……。全く以て情けない話さ。
だから恥を忍んで君にお願いしている。ラグナの居場所は教えよう。だからお願いだ。私も一緒に同行させてくれないか」
ジャックという男の言葉は全て本心。
それは先程からずっとアッシュも感じている。
しかし状況が状況なだけに、彼の発言を鵜吞みにする危険さもまたアッシュは感じていた。
だがそんなアッシュの警戒を解くかの如く、ジャックは“誠意”を見せる。
――カラン、カラァン……。
徐に自分の剣や甲冑を脱ぎ捨てるジャック。
そしてゆっくりと立ち上がった彼は両手を上に挙げ、戦意が無い事を伝える。
更にジャックはそのままアッシュの前で両膝を地面に着けると、自ら両腕を後ろに回したのだった。
「君が俺を信用出来ないのは当然だ。だから抵抗しないように自由に拘束してくれ。私はラグナを止められればそれで十分なんだ――」
無抵抗の意を示すジャック。
アッシュは彼の発言や行動に驚かされるばかりであったが、アッシュもまた何か決意した表情を浮かべるのだった。
**
日は沈み、辺りはすっかり暗い。
「信用出来るの?」
「分からない」
神妙な面持ちでそう言葉を交わすのはアッシュとローゼン総帥――。
彼らが乗る馬車は通常よりも大きい特別製。
馬車を引くのは最速のファストホースである。
「まぁ他に手掛かりがない以上、今は彼を頼るしかありませんな」
「ああ。舐めた事したら首を掻っ切ってやる」
エドが訝しい表情を浮かべていた横で、アッシュは躊躇いなく殺気を向ける。
「……勿論だ。もし嘘だったら殺してくれて構わない」
アッシュ、エド、そしてローゼン総帥の3人から視線を注がれる中、ジャックは真っ直ぐな瞳で訴え掛けていた――。
~馬車内~
エレンがラグナに連れ去られ、ジャックという目の前の男に出会うまでの一連の経緯をローゼン総帥に話したアッシュ。
アッシュはジャックとの会話の後、直ぐにローゼン総帥から貰った“勾玉”を投げていた。
それがローゼン総帥に伝わり、まだ王都へ向かっている途中であった彼女は迷った挙句、嫌な予感がして引き返す決断を下したのだ。
ローゼン総帥がベローガ拠点へ急いで戻ると、既にアッシュとエド……そしてジャックが彼女の到着を待っていた。彼らはリューティス王国とユナダス王国が激しく入り乱れる戦場から上手く抜け出していた。
この選択は確かに後ろめたさも感じたアッシュとエドであったが、ジャックの言う通り事態は一刻を争っている。エレンの命が危ない状況で、アッシュはこの選択以外考えられなかった――。
そして現在。
無事ローゼン総帥と合流したアッシュ達は勢いよくファストホースを走らせ、目的地へと向かっている。
「それで? 進路はこのままでいいのかしら」
「ああ、問題ない。このままリューティス王国の“東部”へ向かってほしい」
躊躇う様子なく言い切るジャック。
当然簡単に信用など出来る相手ではないが、アッシュ達は皆ジャックの発言が嘘であるとも思っていなかった。
「時に――ジャックと言ったかな? 君は何故ラグナを止めようとしているのですか?」
要約状況の把握と、少しの時間が生まれたエドは核心を突く質問をジャックに投げかけた。これにはアッシュもローゼン総帥も同じ意見なのだろう。2人共エドと同じくジャックへと視線を移す。
当のジャックはゆっくりと口を開き、「話せば長くなる……」と前置きをしながら事の経緯を語り始めるのだった――。
♢♦♢
~数十年前・ユナダス王国~
「今日からコイツはお前の弟だジャック――」
「え……弟?」
突如ユナダスの国王……実の“父”からそう告げられた10歳そこそこのジャック少年は困惑を隠せなかった。
「何かあればジャックに聞くがよい。後は頼んだぞ」
「ちょ、ちょっと待って下さい父上……! って、行っちゃったよ……」
父がいなくなった場所を数秒見つめた後、ジャックは首を横に動かした。
「え~と……。あの……俺の名前はジャック……。き、君は……?」
余りに想定外の事態に全く気持ちの整理が付いていないジャックであったが、相手が自分と同じぐらいの子供であったお陰で幾らか緊張は緩み始めていた。
「……」
(あれ? 聞こえなかったのかな……?)
ジャックからの問いに無言の少年。
彼は俯いたままボーっとした様子で立ち尽くしている。
「ね、ねぇ! 名前は何て言うの?」
「……」
「どこから来たの? 何で俺の父上と一緒に?」
「……」
「あ、そっか。ひょっとしてお腹空いてる? お菓子あげるよ!」
「……」
矢継ぎ早にあれこれ話し掛けたジャックであったが、少年は終始無言のまま。
困り果てたジャックも打つ手がなくなったようだ。
(え、どうすればいいんだろう俺……)
これがジャック少年と“ラグナ少年”の最初の出会い――。
**
数日後。
――ブワァン。
「おー! やっぱ何度見ても凄いよ。ラグナの魔法は」
「別に普通だと思うけど……」
目を輝かせてラグナを見るジャックと、そんなジャックを落ち着いた様子で見るラグナ。歳も近いお陰か、出会った初日よりも少し距離が縮まったようだ。
ジャックがこの数日でラグナについて分かった事と言えば、名前と魔法が得意だという事。
そして。
ラグナが正真正銘、自分の異母兄弟に当たる存在であるという事だった。
「普通じゃないって絶対! 俺と2つしか歳が違わないのに魔法が使えるなんて天才だよ! マナ使いだって珍しいって言われてるのに」
「そうなんだ……。よく分からないや」
「父上がラグナは将来優秀な魔導士になるって言ってたよ。凄いな~。俺も使ってみたい」
ジャックとラグナは日に日に仲良くなっていった。
まるで昔から一緒だった本当の兄妹のように。
あの日、決して裕福だとは言えない装いをしたラグナが自分の前に現れ、更に同じ生活をするようになった理由は、父上がラグナの魔法の才能を認めて期待したからだとジャックは信じて疑っていなかった。
しかしそれと同時に、ジャックはまだ幼心ながら父上やラグナに“それ以上”の事を聞いてはいけないとも心の何処かで感じ取っていた。
いや――それはジャック本人が本能的にそうしたのかもしれない。
ジャックは知るのが怖かった。
自分から聞く勇気もなかった。
そもそも何もないかもしれない。
ただ自分が勝手にそう思っているだけ。
理由も根拠もない。
でも何故かジャックは“それ”を聞いてしまったら、全てが消え去ってしまう……そんな気がしていたのだった。
それから数年の時が流れ、いつからかジャックはそんな事すら考えなくなっていた。
時が流れれば流れる程、喜怒哀楽を共有すればする程、ジャックとラグナの絆はより深く当たり前のものへと変化。
そして。
ジャックは“後悔”する――。
何故もっと早くラグナという存在を知ろうとしなかったのだろうと。
何故もっと早く“それ”をラグナに聞かなかったのだろうと。
何故……こうも変わってしまったのだろうと。
「ヒャハハ。久しぶり、ジャック――」
**
~ユナダス王国・城~
「戻ったのかラグナ。おかえり」
「ただいま。ここは相変わらず静かだな」
初めてジャックとラグナが出会った日から、既に10年以上の歳月が流れる。
「そりゃラグナみたいに前線で戦っている訳じゃないからね。ここが騒がしかったらそれこそ大問題だ」
「ヒャハハハ、そりゃ違いねぇ。それはそれで面白そうだけど」
「不謹慎な事言うな」
家族――。
2人の関係は現すにはこれ以上ない言葉だろう。
ユナダス王国では18歳から成人となり、ジャックとラグナも当時それぞれの道へ進む決断を下していた。
ジャックは勿論ユナダス王国の次期国王として、現国王であり実の父親でもある彼の元で日々勤勉に務め、ラグナはその溢れる魔法の才能を活かすべく王国騎士団へと入団していた。
気が付けばジャックもラグナも互いに忙しい日々を送るようになっており、自然と2人で会話する時間が減っていた。でもだからと言って、2人の関係に生じる変化は微塵もない。たまに会えば子供のように会話をする。何も変わらない兄弟であり、家族だ。
しかし、唯一変わった事を上げるとすれば、それは間違いなく“ラグナの変化”だろう――。
「聞いてくれよジャック。今回の任務でいつものように魔物を倒したんだけどさ、またあの使えない団長が出しゃばってよ……」
普段と変わらず、楽し気に口を開くラグナ。
基本的に城から出る機会が少ないジャックは、いつもラグナの何気ない話を聞くのが楽しみでもあった。
だが、いつからだろう。
ジャックがラグナへ“違和感”を覚え始めたのは。
出会ったばかりの頃、ラグナは中々言葉も発しない無口で暗い少年だった。
だが時が経につれ、心を開いたラグナは徐々に明るく口数も増えていったのをジャックはしっかりと覚えている。
最初の頃のラグナを知っているジャックだからこそ、ごく普通に笑って話すだけのラグナの姿が、不意に特別に見える瞬間があった。
勿論それは良い事。
楽しい会話や楽しい思い出が1つ増えるだけでジャックは本当に嬉しく、ラグナといるのが楽しかった。
しかし、そう思っていたジャックの心に、チクリとした違和感が初めて生じたのは19歳の時――。
互いに成人してそれぞれの道を歩み始めたばかりの頃、騎士団に入ったラグナが人生で初めての任務を終えた後、今のようにラグナはジャックに任務の話をした。
「凄かったぜ、初めての任務! いきなりヤバい魔物が出て来て皆慌てて逃げ出すもんだからよ、俺が魔法1発で魔物を仕留めてやったんだぜ! どうだ? 凄いだろ!」
自信満々に話をしたラグナを見て、ジャックは真っ先に嬉しいと思った。
だが直後、言葉ではいい表せない……気のせいとも言える程に小さい妙な違和感をジャックを覚える。
この時、ジャック自身もまるで気にも留めていなかったが、その違和感が違和感ではないという事に気付くのはそう遅くなかった。
“ラグナが変わった”――。
ジャックがずっと抱いていたモヤモヤに敢えて言葉を付けるなら、そう表現するのが最もしっくりくる。
もう違和感や気のせいという類ではない。
騎士団に入ってから、任務をこなしていく程、ラグナは以前よりも口数が増え、性格も明るく社交的に変化していった。これだけ聞けば100人中100人が良い事だと答えるだろう。
だが話はそう単純ではない。
表向きは確かに口数が増えて明るくなったという印象だけだが、ジャックはもっと違う部分――ラグナという存在の“本質”が変わっていると感じてならなかった。
そして、遂にジャックが感じていたその本質が明らかとなる瞬間は訪れる。
**
「おい、ジャック! 遂にやったぜ俺は!」
開口一番。
普段より更に高いテンションと声量でジャックを呼んだラグナ。
「任務から戻って来たのか。今回もご苦労だったな。どうしたんだ?」
「ヒャハハ。ジャック、お前だけに特別に見せてやろう!」
まるで新しい玩具を買ってもらった少年の如く目を輝かせたラグナは、深緑色のローブの下から徐に何かを取り出した。そしてそれをジャックへと手渡す。
「ん? 何だこれは……?」
ラグナから受け取ったのは1冊の本。
その本は見るからに重厚感があり、とても長い年季を感じると共に不思議な存在感を醸し出していた。更に表紙には見慣れない文字やら記号のようなものが描かれており、これは一般的な本と言うよりも――。
「“グリモワール(魔道書物)”だ」
そう。
ジャックが脳内でその存在を思い浮かべたと同時、全く同じ答えがラグナの口から発せられたのだった。
「グリモワール……って、魔法の事とかが記されている本だよね。確か。あまり詳しくは知らないけど」
「ああ、そうだ。でもなジャック、これはただのグリモワールじゃねぇんだよ! これは俺がずっと探し求めていた“終焉のグリモワール”なんだぜジャック!」
「――!」
終焉のグリモワール――。
その響きを聞いた瞬間、ジャックは胸の奥がドクンと強く脈を打った。
ラグナと違い、彼はマナ使いでもなければ魔導師でもない。だが終焉のグリモワールという名前には聞き覚えがあった。
「魔法に詳しくないジャックでも知ってるだろ? これはかつて“エルフ”が所有していた幻の代物だぜ! やべぇだろ」
そう興奮しながら話すラグナ。
終焉のグリモワール、エルフ、幻……違う。
ジャックが疑問に思ったのは“そこ”ではない。
「確かに……それが本物なら凄い発見だよラグナ。でもッ……「ヒャハハ、もっと驚いてくれジャック! これは正真正銘の本物さ! 凄いだろ! 俺も中身を確かめたから間違いねぇ! 凄すぎてぶっ飛ぶぜこのグリモワールはよ!」
ラグナの興奮に流されそうになるジャック。
しかし“そこ”を曖昧には出来なかった。
「なぁラグナ……終焉のグリモワールを見つけたのは凄いけど、何で“ラグナがそれを探していた”んだ?」
「ああ。これは“昔からヨハネス国王に頼まれていた物”なんだよ」
「父上が……?」
「そりゃ見つかれば世界中が驚く存在だしよぉ、やっぱ魔法を使う魔道師としても真っ先に気になる物だろ? まさか本当に見つかるとは思わなかったけどな。それに“コレを見つけたから俺も”……って、聞いてるのかジャック」
ラグナがいつの間にか固まっていたジャックを覗き込む。
ジャックはジッと床を見て、心此処にあらずといった様子である。
(父上が終焉のグリモワールをラグナに探させていた……? 何の為に? そんな話1度も聞いた事がないぞ……。 それにラグナの言い方から察するに、かなり昔からその旨を伝えていたようだ。
何だ……。
この胸がざわついている嫌な感じは――)
ジャックはこの後直ぐに後悔する事となる。
ずっと自分の心の奥底で見て見ぬふりをしてきた……ずっと自分の心の奥底に蓋をしてしまっていた事に、ジャックはどうしようもない後悔を生む事となる――。
「ラグナ……そのグリモワールで“何をする”つもりなんだ……?」
まだ真意が分からないジャック。だが無意識のうちにジャックは恐る恐るラグナに尋ねていた。
たかが数秒が物凄く感じるジャック。
1秒ごとに心音が大きくなっている。そんな感じであった。
「何をするも何も、このグリモワールで出来る事は1つ」
「……」
「『終焉の大火災』を起こすのさ――」
「なッ……!?」
躊躇いなく涼しい顔をで言ったラグナ。
嫌な事だと予想はしていた。
しかし、その予想すらも超えたラグナの言葉にジャックは息を詰まらせる。
「『終焉の大火災』を“起こす”だって……ッ? 何を言っているんだ……。そもそもアレは何百年も前に起きた“自然災害”じゃ……?」
「それは上塗られた歴史だぜ、ジャック」
「――!」
ラグナの一言一句がジャックの鼓動を早める。
「ど、どういう事だ……」
「俺の言葉の意味のままさ。今から約666年前に起こったと伝えられている『終焉の大火災』。あれは自然災害なんかじゃない。あれは人為的……いや、正確には人じゃなくて“エルフ族の魔法によって起こされた”ものなのさ――」
淡々と話すラグナに対し、ジャックはただただ目を見開いて固まっている。
「ヒャハハ。戸惑うのも無理はねぇ。俺も初めて知った時はまさかと思ったからな。だがジャック、これが世界の上塗られた歴史の真実さ。
古代都市イェルメスに残された僅かな痕跡とや手掛かり、長年の研究の中でも1%にも満たない仮説だった“エルフ族の支配説”。その1%未満の仮説がひっくり返ったんだよ、このグリモワールの発見によってな。
俺は5年以上前からイェルメスの最深部に隠されていた終焉のグリモワールを見つけていた。
でもエルフ族の魔法は俺でも苦戦する程の超高等魔法。ぶっちゃけ今までに何度も心が折れたが、遂に俺はエルフ族と同じ領域に達したんだよジャック。
そして俺はこのグリモワールを見て真実を理解した。
666年前、人とエルフ族と竜族は互いに手を取り合う仲良し関係なんてもんじゃない。エルフ族はその強大な魔法の力で人や竜族……それに他の全種族も含めた生態系のトップに立って支配しようとしていたってな――。
古代都市イェルメス。あそこそまさにエルフ族の所業の縮図。
あそこでは人や竜族が完全に“奴隷”として支配されていたのさ。人も竜族もエルフ族の魔法の力に対抗する術がなかったから」
ラグナによって世界の全貌が明かされる。
それは例え一国の王子と言えど、たかが人一人が抱えられる許容範囲を大きく逸脱していた。
信じて疑わなかった歴史が根本から覆された瞬間。その事態は余りに大きく、余りに残酷、そして余りに驚愕の真実。ジャックは口を半開きにさせたまま放心状態。今の彼は飛び方を忘れた小鳥にも見えようか。
「……何故だ……」
やっと絞り出したジャックの一言。
「ん?」
「……君がこんな嘘を付かない事は分かってる……」
「そりゃそうだろ。嘘なんて付くもんか」
「ならば何故だ……ラグナ……。確かに信じ難い歴史ではあるが、他ならない君の言葉は信じている……。それなのに何故……『終焉の大火災』を起こそうなどとしている……?
『終焉の大火災』は生命を絶滅の危機にまで追い込んだ業火の事だろう?
そんなものを何故引き起こす必要が? ……いや、もしかしてそれすらも違う事実だという事なのか、ラグナよ」
ラグナはハッキリと『終焉の大火災』を起こすと言った。しかし、それはイコールまた世界を滅ぼすと言っているに等しい。少なからずジャックにはそう聞こえた。
だからこその“何故”――。
「いや。『終焉の大火災』は伝えられている通りの大火災さ。全てを焼き払う終焉の音」
ラグナが余りにもいつも通りだからか、ジャックは自分が可笑しいのかと酷く錯覚する。
「『終焉の大火災』の事実がそのままだとするならば、尚更君は何をしようとしているんだラグナ……」
「何って、だから俺はこの終焉のグリモワールを解読したから、当時のエルフ族と同じように『終焉の大火災』を起こせるようになったって訳」
「だからそんなものを何に使おうとしているのかと聞いているんだッ!」
突如険しい顔に豹変したジャックが勢いよくラグナの胸ぐらを掴む。
「お、おい……急になんだよジャック。何いきなり怒ってるんだ?」
「当たり前だ! お前が何故逆にそんな飄々としている! お前が凄い魔道師という事は私が1番知っている! だが何故お前が世界を滅ぼすエルフ族の魔法の力などを必要と――ッ!?」
ジャックは皆まで言い掛け、言葉を止めた。
そしてこの時、何故かジャックの脳裏に“ある人物”の顔が過る。
「まさか……“父上”――?」
ラグナの胸ぐらを掴んでいたジャックの手がスッと下に降りると、再び彼は表情を強張らせた。そこへ間髪入れずにラグナが口を開く。
「ああ、そうさ。俺が個人的に『終焉の大火災』なんか欲しがってると思ったのか? 必要としてるのは父上……国王だよ」
無垢な瞳でそう言ったラグナ。
ジャックはそんなラグナへ安堵すると同時に一気に不安に駆り立てられる。
「ち、父上はその力をまさか……」
「戦争だよ。前から国王はこの『終焉の大火災』の力を欲していた。これがあればユナダス王国は他国に狙われない絶対的な王国になるってな」
「馬鹿な……自国の軍事力強化はどこの王国でもするが、これは流石に……。
(本当に力を使えるなら確かに他国に狙われる心配はない……。しかし、ユナダス王国が手にしようとしている力は強大過ぎる。これでは却って争いの火種を生みかねない……。それに何より多くの民が望む“平和”からはかけ離れた“力の誇示”。幾らユナダス王国の安全とは言え父上……これじゃあ他国を絶対的な力で脅しているようなものじゃないですか――)」
自身の父、ヨハネス・ジョー・ユナダスの思惑を知ったジャックはその事実に体を震わせた。
(ダメだ。やはりこんなやり方は間違っている気がする……! 一刻も早く父上にお話ししなければッ……「ラグナよ――」
「「……!」」
その瞬間、ジャックとラグナの元に父、ヨハネス国王が姿を現した。
「ち、父上……!」
ジャックが父に話し掛けようとするも、父はそんなジャックに目もくれない。
「良くやったぞラグナ。やはりお前は私が見込んだ通りの一流の魔導師であった」
「有り難きお言葉です父上」
「よもや本当に終焉のグリモワールを手にするとは恐れ入った。してラグナよ。お前の力でグリモワールに記されていた『終焉の大火災』の力をコントロール出来るか?」
「はい。問題ありません。『終焉の大火災』に必要な魔法陣は覚えました。後は“混血の女神”さえ揃えばいつでも発動出来ます――」
「ラグナ!?」
ジャックが1人戸惑うのを他所に、ラグナと国王の会話は進んで行く。
そして。
「フハハハハ。私は今最高の気分だぞラグナよ。残るは混血の女神の血のみか。ならば直ちに捉えてくるのだ。期待しているぞラグナよ」
「はい、勿論です。父上……もし俺が混血の女神を捉え、無事『終焉の大火災』を発動出来た暁には――」
「ああ、分かっておる。その時にはお前の“望むもの”をやろう」
「ありがとうございます」
「では行くぞラグナよ。我々の野望が叶うのはもう目の前である!」
国王はそう言い、ラグナと共に部屋を後にするのだった。
「父上……。ラグナ……」
1人残されたジャック。
彼のか細い声が、広い部屋に静かに響いた――。
♢♦♢
~馬車内~
「……という事だ。私は、幼少期からずっと感じていた小さな綻びから目を背けていたのだ。ラグナと私は異母兄弟……同じ家族であり兄弟でありながら、ラグナと私にはハッキリとした血の区別があった……。
私は正当な国王の跡継ぎ。だがラグナは父上と愛人に生まれた妾の存在……!
当時の私は“そんな事は関係ない”と思っていた。ただラグナと純粋に仲良くなれれば良いと。そして私達には本当の兄弟と変わらない絆があると、私はずっと疑いもしなかった。
でもそれは私の都合の良い解釈。
私の知らない所で父上は……ラグナは私とは違う方向を向いていた。その結果がこの有り様だ……!
今になっては後悔するばかり。何故もっと早く気が付かなかったのだと。何故初めからしっかりラグナと向き合えなかったのだろうかと。私は自分の過ちを償わなければならないのに、自分の力が余りに無力過ぎてそれすらも出来ずにいる。
だから無力な私にどうか力を貸してもらいたい……! 私は何が何でもラグナを、父上を、そして『終焉の大火災』を止めたいのだ!」
目の前にいるアッシュ達に改めて揺るがない決意を示すジャック。
対し、そんな彼の話をしかと聞いていたアッシュ達の反応は三者三様。
「有り得ないわ……。練成術どころか、1人の魔導師があの『終焉の大火災』を引き起こすなんてそんな事……」
ラグナと同じ魔導師として、その所業に目を見開くローゼン総帥。
「とても信じ難い話です。……と言いたい所ですが、ローゼンとイェルメスに行っていなければ、私はジャック王子の話を直ぐには受け入れられなかったでしょうな」
冷静に現状を受け入れ整理するエド。
そして。
「知らねぇよ――」
ジャックの思いの丈とは到底釣り合わない短き言葉。
だがそのアッシュの極めて短い言葉には、ジャックの思いを遥かに上回るであろうエレンを想う彼なりの気持ちが込められていた。
「話も長けりゃお前ん家の事情なんてどうでもいい。ただラグナの野郎の場所だけ教えればそれでな」
今アッシュの頭の中にはエレンの存在のみ。その他は心底どうでもいいのだ。
「貴方の気持ちも分からなくはないわアッシュ……。けれど、今の話が本当だとするならとんでもない事態よ。いえ……彼の言う事は歴史の真実。ラグナは妾よりも早く終焉のグリモワールを見つけていたんだわ」
悔しそうに眉を顰めるローゼン総帥。彼女の瞳は個人的な悔しさなんかではなく、純粋に“これから起こる危機”への不安と心配を宿しているように見える。
全人類の度肝を抜くと言っても過言ではない歴史の真実――。
これが公になれば間違いなく世界に何かしらの大きい影響をもたらす事は明白。
最早その規模すら大き過ぎて、流石のローゼン総帥やエドもそれ以上の事は考えられなかった。
「ラグナによって『終焉の大火災』が起こされると分かった今、妾達も全力で奴を阻止しなければならなくなった。でもそれは決して貴方達の為ではなく、大切な仲間であり友であるエレンを救う為よジャック。
いえ、貴方にはエレンという名より“混血の女神”と言った方が分かりやすいかしら――」
「「……!」」
ローゼン総帥の言葉にアッシュとエド、そしてジャックも反応を示した。
「どういう事だローゼン総帥」
「そうか……やはりラグナが狙っていた彼女が……」
「その言い方だと、やはり君は以前から知っていたようだねローゼン」
事の真意を悟ったエドがローゼン総帥に問う。
「ええ。勿論確証はなかったわ。けれど今の話で確実となった。長年の研究によって仮説の1つとなっていた“エルフ族の支配説”。その実態はラグナも言っていたように、専門家や妾達魔導師の間でも1%未満の仮説として知られていたわ。
当然皆がまさかと思い気にも留めていなかったけれど、妾はこのエルフ族の支配説を聞いた時からずっと気になり調べていたの。
そして調べれば調べる程、妾の中でこの仮説のパーセンテージがどんどん上がっていくのが分かったわ。
666年前……『終焉の大火災』が起こったあの日、ラグナが貴方に話した歴史の真実には“もう1つの事実”があった筈。恐らくラグナもその事を知っているでしょう。
そう考えれば妾の推測やエレンの存在、更にラグナの行動も全てが繋がるわ――」
ローゼン総帥によって更に紡がれる歴史の真実。
アッシュ達も自然とローゼン総帥の話に耳を傾けていた。
「結論から言いましょう。彼らの言う混血の女神とは、紛れもなくエレンの事。
つまり……エレンは“人間とエルフ族。そして竜族の血を受け継いだ特異な存在”だわ――」
「「……!?」」
ローゼン総帥の言葉に驚くアッシュ達。
エレンが何かしら特別な存在であるとは心の片隅で思っていた。
しかし、告げられた真実はアッシュやエドの想像の上を行くもの。
そしてジャックもまた、明かされた新たなる事実に呆然としていた。
この世界に存在したと言われる人間、エルフ族、竜族、そして多種多様の生物達を含め、大昔から全ての種族が共に共存していたとされる世界。
だがその歴史は偽りの歴史。
真実は絶対的な力を誇示していたエルフ族が、他の種族を支配していた世界であった。
共存から支配。
虚偽から真実。
この歴史の真相の受け入れだけでも時間が掛かるであろうにもかかわらず、支配されていたとされるその世界で何故“混血”などという特異な存在が生まれたのだろうか――。
それも人間、エルフ族、竜族の3血統。
歴史がどうであれ、アッシュ達にもまだ知り得ない真実があるのだろうと思う他なかった。
♢♦♢
~666年前・黄金都市イェルメス~
あるところに、1人のエルフ族の男の子が生まれました。
その男の子は「ウル」と名付けられ、魔法が当たり前に使えるエルフ族の中でも更に魔力が高い優秀な子でした。
ウルは心優しい男の子であり、元気に育ったウルはやがて周りからも認められる立派なエルフ族の男へと成長し、エルフ族の長から直々に“使命”を与えられました。
「ウルよ。神聖なる我がエルフ族の更なる発展と平和の願いを込め、其方を最も重要である『スレイブ』の最高責任者に命ずる」
それから、ウルは自身に責任を持って『スレイブ』に意欲を注ぎました。
スレイブ――それは“奴隷制度”。
エルフ族は人間や竜族、更にその他の全種族が自分達よりも下等な種族だと嫌っていました。
なのでエルフ族は「魔法」という絶対的且つ強大な力で支配し、知恵と言葉を備える人間と竜族を奴隷にして虐めていたのです。
しかしある日、そんな『スレイブ』の最高責任者となったウルが1人の竜族の男と“友達”になり、更に1人の人間の女性に生まれて初めて“恋”をしました。
勿論ウルが……いえ、エルフ族の誰もが奴隷である人間や竜族と仲良くなるなんて許されません。それが最高責任者のウルであり、奴隷に対して友達や恋心などという感情は言語道断です。
ウルはいけない事をしていると自分でも分かっていました。
ですが、それ以上に気の合う友の存在、何より心の底から愛せる存在と出会ってしまったウルは毎日毎日とても悩んでいました。
結局自分の気持ちに嘘が付けなかったウルは、その後もエルフ族の誰にもバレないよう友と楽しい会話をし、彼女へ純粋無垢な愛情を注ぎ続けました。
だがある日の事。
ついにウルは奴隷である彼女と友との親しい関係を、仲間のエルフ族によって暴かれてしまいました。
他のエルフ族達は皆冷酷な瞳でウルを軽蔑し、誰よりも怒りを露にした長が友と彼女を「業火の刑」で焼き殺すと言いました。
しかしその言葉を聞いた瞬間、今度はウルが怒りを露にしたのです。
「エルフ族、竜族、人間……。私はそんな種族の差別がない、全種族が共に手を取り合い共存出来る平和な世界にしたい――」
ウルは殺されそうになっていた友と彼女を逃がしました。
ですが長も他のエルフ族の仲間達もそれを許しません。
エルフ族の仲間達が友と彼女を殺そうと魔法の力を使いますが、ウルが1人で懸命に友と彼女を守り抜きます。
だがエルフ族の中でもトップクラスの魔法の使い手であるウルでも、流石に1人では守り切れませんでした。
1つの魔法が友の腹を貫き、1つの魔法が彼女の片腕を奪い、たくさんの血が流れた友と彼女の逃げる足は遂に止まってしまったのです。
そしてウルはそんな友と彼女に躊躇なく止めを差さそうとするエルフ族の仲間達を見た刹那、自分の中で“何か”が音を立てて切れたのが分かりました。
直後ウルの全身は灼熱の業火に包まれるや否や、まるで炎が意志を持ったかのように次々にエルフ族を襲い、炎を受けたエルフ族達はは断末魔の叫びを上げながら息絶えていきました。
友と彼女を殺そうとしていたエルフ族達は一転、皆ウルの灼熱の業火に恐怖し一斉に逃げ惑い始めました。
ウルの怒りの業火は留まるどころか波紋の如く広がり、瞬く間に多くのエルフ族……強いては黄金都市イェルメスをも呑み込む業火の海と化したウルの魔法は、不思議な事にエルフ族だけを焼き払い、友や彼女、その他奴隷となっていた人間や竜族は一切焼かれなかったのでした。
1人のエルフによって根絶したエルフ族。
後に『終焉の大火災』と語り継がれる業火を生み出したウルでしたが、この力が自身でもコントロール出来ない程の強大な力である事を直ぐに悟っていました。
灼熱の業火を身に纏ったウル。徐々に体が灰となって散っていきます。
「ありがとう“ジークリード”。私と友になってくれて。そしてありがとう“エル”。私と出会ってくれて。愛している――」
体が散ってゆく中、ウルは友であるジークリードに、そして最愛のエルに最後の感謝を伝えました。
ウル、エル、ジークリード。
三者が思い描いていたのは「争いや差別のない平和な世界」――。
いつかそんな未来がやってきたらいいなといつも話していました。
大切な友と愛する人を守る為に強大な魔法を使用したウル。更に腹を貫かれて大量の血が流れるジークリードはもう助かりません。
ウルとジークリードは最後の力を振り絞り、その力をエルに……エルの“お腹にいる新たな希望”に全てを託す決意をしました。
ウルは最後にどこまでも広がっていく大火災を何とか自身の魔法で封じ込め、ジークリードは竜族に伝わる特別な血をエルに飲ませて彼女の傷を癒しました。
ウルのフルネームはウル・ラシード・フェイム。
彼は自分の“姓”とエルの名前を合わせて“エルフェイム”という新たな姓を、そして生涯の友であるジークリードの“名”からジークという文字を受け取り、新たな希望……ウルとエルの愛の証である子に『ジーク・エルフェイム』という名を授けました。
エルフ族が人間や竜族を支配する事百余年。
種族の垣根を超えたジーク・エルフェイムという存在は、人間とエルフ、そして竜族の血をも混ぜ合わせた平和の血統の存在へと成りました。
“エルフの姓、竜の名”――。
この世で唯一無二の存在を生んだエルは、あの日のウルとジークリードの誓いを果たすべく、エルフ族が絶滅した世界で静かに身を隠して生きる事を決めたのでした。
やがて生き残った人間達は数百年の時の流れの中で、思い出しくたくない忌まわしい奴隷という歴史を完全に消し去り、自分達人間だけの新たな文明や社会、歴史を築き上げていきました。
エルが隠れて生きる事を決めたのは、人間達がエルフに対して強い恨みや憎しみを抱いている事が分かっていたからです。
元々数が多くなかった竜族は、『終焉の大火災』後に人間とも距離を取ろうと遥か遠くの大陸へと移住し、人間にも知られる事なく数百年の年月を掛けて静かに絶滅してしまいました。
『終焉の大火災』から数十年後。
寿命が来たエルは、あの日からずっと綴っていた“日記”を子から孫へ、そこから更に孫の孫へと現在に至るまで何世代にも渡って紡がれていきました。
エルの日記は誰が言い出したか、何時からか“グリモワール”と呼ばれるようになり、666年受け継がれてきた人間、エルフ、竜族の3血統も遂に“エレンただ1人”となってしまいました――。
エレン・エルフェイム。
彼女が正真正銘、エルフの姓と竜の名を継ぐ3血統の末裔。
奇しくも、ウルが身を挺して封印した『終焉の大火災』という名の扉は、666年の歳月やエルフの強大な魔法の力、更に無量大数の“因果”を巻き込んだ結果、無情にもその扉は再び開かれようとしている。
そしてその扉を開ける“鍵”となる混血……エレン・エルフェイムに世界の運命は委ねられているのだった――。
♢♦♢
~リューティス王国東部・大聖堂~
「……ん……ここは……?」
「目覚めたか。混血の女神様――」
リューティス王国の東部に位置する街。
ここはエレンの故郷であり、アッシュの家があるブルーランド家が統治していた地でもある。
エレンが暮らしていた頃は緑豊かで平穏な街であったが、今ではそんな緑は見る影もない惨状。
「お、お前は……!?」
エレンはラグナを見た瞬間、何があったかを思い出す。そして同時に自身の体が拘束されて動けない事にも気付いた。
「ちょッ……! この縄を解け! 何で僕を狙うんだ。それに戦争は……!? アッシュやエドはどこだ!」
「ヒャハハハ。起きた早々元気だなおい。安心しろ。戦争はまだちゃんと続いてるし、あの青髪の王子ももうじき来る」
焦りと困惑の表情のエレンに対し、相変わらずラグナは余裕の態度。
(アッシュがここに? エドやローゼン総帥も一緒なのか? 兎に角皆無事でいて……)
椅子に拘束されてるエレンは縄を解こうと藻掻くが一向に緩む気配がない。そしてエレンが何気に床を見ると、足元には淡い光を発する大きな絵のようなものが描かれていた。
「魔法陣……?」
「正解」
エレンの回答に拍手を送るラグナ。エレンの言う通り、彼女の足元には彼女を中心に半径7~8m程の大きさの魔法陣が浮かび上がっている。
「余計な体力使うのは止めとけよ。それは俺の魔法だから簡単に外れねぇぞ。それに俺は別にお前を取って食うつもりなんてない。ただ手助けしてほしいだけさ」
「手助け……? とても助けを求める側の態度じゃないと思うけど」
「そりゃ悪かったな。生憎そこまで行儀良く育ってないんで。申し訳ございません女神様」
ラグナは家来のような真似事をしながら頭を下げるが、勿論そこに誠意などは微塵も感じない。
「僕に何を求めているんだ。お前に狙われる覚えはないし、仮に理由があったとしても絶対お前なんかに手は貸さないよ」
「ああ。それで結構。元から仲良くなって理解してもらおうなんて思ってねぇ。だからこうしてんだろ」
ラグナはそう言いながらゆっくりとエレンに近付く。
「ローゼン……って言ったか? お前んとこの魔導師。アイツは多分気付いてると思ったんだけどな。女神様は“自分の事”をどこまで知ってるんだ?」
フッと口角を上げながら問うラグナ。
エレンはその不敵な笑みを見た瞬間、目の前の男が自分の知らない“何か”を知っているという得体の知れない不気味さに襲われた。
「じ、自分の事って……知ってるよ! 僕は本当は男じゃなくて女だ。それはローゼン総帥も知ってるし、お前も知っているんだろ! それが何?」
エレンは必死にまくし立てていたが、ラグナが言っている事は性別なんかの話ではないと自分でも分かっている。
「666年前……あるところに、1人のエルフ族の男の子が生まれました――」
唐突に語り始めたラグナ。
エレンも「何の話だ?」という表情を浮かべたが、いつの間にかラグナの語りに耳を傾けていた。
そしてエレンは知る――。
人間、エルフ族、竜族、偽りと真実の歴史、奴隷、支配、終焉の大火災、魔法、グリモワール……自分の先祖の事を。
全てを聞き終えたエレンはただ呆然とする事しか出来なかった。
昔から心の何処かで気になっていた“人とは違う自分”の答えに辿り着いたエレン。確かにその事実は直ぐに受け入れるのは難しいものであったが、彼女は不思議とラグナの話が腑に落ちてもいたのだった。
「……私にはエルフの血が……。って事はお母さんにも……」
「そうだ。お前の家系には人間とエルフ族の血が流れている。そこへ加えて“聖竜血(せいりゅうけつ)”と呼ばれる今はもう存在しない竜族の特殊な血が加わってるのさ。
俺もその聖竜血とやらには詳しくねぇが、どうやらごく一部の竜族にのみ流れていた血らしくてな、その血を与える事で怪我や病気が治るらしい。
勿論死者を蘇らせるような万物の力ではないからウルも助けられなかったし、聖竜血を持つ者はその血の力を自分には使えない。だからジークリードはエルに与えたんだろうな。
……って言っても、お前が使える“投擲”の力はまた特別さ。聖竜血は確かに傷を癒す力だが、エルフの魔法とはまた違う。お前の投擲は何かしらの後天的な聖竜血の作用かもな。投擲は“竜族が最も得意とする技”だったらしいからよ。
ただお前の投擲には無意識にエルフの魔力も加わっている。ろくに魔法の使い方も知らないだろうから、使う度に披露してたんじゃねぇか?
ヒャハハ。それにしても面白い。
まるでウルとエルとジークリードが願った「争いや差別のない平和な世界」という希望をお前に頼んでいるみたいじゃねぇか。
なぁ、混血の血を……そしてエルフの姓と竜の名を継いだエレン・エルフェイムよ――。
運命とは皮肉なものだ。
ウルが命懸けで封印した『終焉の大火災』の発動にはエルフの血……つまりお前の混血が必要不可欠なんだよ。だから俺にちょっと力を貸してくれ。なぁに、安心しろ。666年前と違って今は俺がいる。『終焉の大火災』は俺がちゃんとコントロールしてやるからよ」
ラグナがそう言うと、エレンは静かに俯く。
2人の間に暫しの沈黙が流れ、自身の力の秘密や存在意義を改めて突き付けられたエレンは次の言葉が出てこなかった。
自分の存在に大きな使命があると理解したと同時、エレンは自分の無力さに虚無感を感じていた。
世界を平和にするなどという大義名分を自分1人に委ねられてもどうしようも出来ない。
怖いものは怖い。嫌なものは嫌だ。
目の前の戦争1つでさえ、嫌という程己の無力さを痛感しているエレンにとって、世界をどうこうするなんて事は夢のまた夢の話。
そんな事自分に出来る訳がない。
しかし――。
「正直、僕には話のスケールが大き過ぎて実感が湧かない……。僕に世界を平和にする力んてない。だけど、せめて目の前で起こっている戦争1つを……目の前にいる大切な人達1人1人は必ず自分の手で守りたい――」
エレンは強い瞳でラグナを見る。
「僕はお前のように強くない。でもだからと言って逃げるは嫌だ。もう大切な人を失いたくないから!」
確固たる決意をエレンから感じ取ったラグナ。彼は数秒エレンと目を合わせると、退屈そうに溜息を吐いた。
「へぇー、あっそ。俺も別に世界の平和とかどうでもいいんだよね。俺には俺のやりたい事がある。お前もだろ? だから互いに邪魔するんじゃなくて協力しようぜ。
兎も角俺は『終焉の大火災』を起こしたいからお前の血をくれよ。もしくれるなら俺がこの戦争止めてやってもいいぜ。どうだ?」
「断る。お前なんかに協力なんて死んでもしないよ」
「あらら、交渉決裂か。仕方ねぇ――」
シュバ。
刹那、ラグナの魔法の刃がエレンを切り裂いた――。
「ッ――!」
傷は全く深くない。
紙で切った程度の掠り傷。
「協力関係が結べないなら残る手段は1つしかないよな。有り難く“血”は頂くぜ女神様」
「ちょっと、何勝手に……!?」
エレンの透き通る白い肌から流れた一滴の血を手に入れたラグナ。彼は次の瞬間、抵抗するエレンを他所に一瞬で魔法を掛けた。
「……って……なんで……急に体が重く……」
その言葉を最後に、エレンは眠りに落ちた。
「さぁて。やっと念願の時が来たぜ。ここまで長かったなー。これでようやくジャックと“兄弟”になれる――」
**
どれくらいの時間が経っただろう。
(ん……?)
「……!…………ッ…………」
ラグナによって眠らされたエレンが意識を戻す。
(何の音……? 私は一体どこにいるの……)
朦朧としている視界。
頭がボーっとしているエレンはまだ“状況”を理解出来ずにいる。
具合が悪い訳でも、どこかが痛む訳でもない。だが自分の体がピクリとも動かせない事に混乱が深まる。
「……ッ…………!……ッ……」
体に感じる強風が衣服を靡き、風の音の合間から別の音が聞こえる。
エレンの視界には満点の星空が広がり、眼前に煌めく星空はとても綺麗であった。
(――!?)
そこで初めてエレンの意識がクリアになる。
通常では“目の前”に星空が映るのは可笑しい。相変わらず体を動かそうとしてもピクリとも動かないエレンだが、自分が“上”を向いているのではないと直ぐに理解した。
彼女は立って上を向いている訳ではない。彼女は仰向けの体勢になっているのだ。それも、地から浮いた空中で――。
「~~~~~~~~~~~!」
「ラグナ……」
唯一動かせる視界の端で、何かをするラグナの姿を確認したエレン。彼女は動かせる瞳で辺りを一周見回した。
「ここはさっきの大聖堂……。でも建物が無くなってる。それより何で体が動かないんだ……! こら、ラグナ! 僕に掛けてる魔法を解け!」
こんな訳の分からない事が出来るのは最早ラグナしかいない。直感で思ったエレンは必死に声を張り訴えかけるが、ラグナはエレンの声が届かない程に真剣な表情で何やらブツブツと唱えていた。
エレンはマナ使いでもなければ魔導師でもない。今しがた自分の不思議な力の秘密を知ったばかりだ。だがそんなエレンでも、ラグナが『終焉の大火災』を発動させようとしているのは直ぐに理解出来た。
恐らくラグナが呟いているのは魔法を発動する為の“詠唱”。
勿論エレンにはその言葉の意味は分からないが、ラグナが詠唱を続ける程それに呼応するかの如く、浮いた自分の背後から差し込む魔法陣の光が次第に強まっている事に気が付く。
(止めないとマズい――)
そう思うエレンであったが如何せん体が動かない。
ラグナがいつもと別人な程に集中している事に加え、魔法の影響で吹き荒れているであろう強い風音がエレンの言葉を遮っていた。
「~~~~……~~~~……!」
もうすぐ詠唱が終わってしまう。
エレンは詠唱のえの字も知らないが、こういう時の嫌な予感というものは当たってしまうものだ。
「やめろラグナ……ッ! 自分が何をしようとしているのか分かってるのか! そんな力を手に入れたって、また無駄な争いが起こるだけだ……ッ!」
エレンの悲痛の叫びもやはり届かない。
何も動けずただ叫ぶ事しか出来ないエレンは、無意識に皆の名前を叫んでいた。
「こんな時アッシュなら……。エドさんやローゼン総帥ならどうするのかな……? 僕はやっぱり無力だ。 1人じゃ何も出来ないッ……!
アッシュ! エドさん! ローゼン総帥! 誰でもいいからラグナを止めてぇぇッ!」
「――人に頼らず自分でなんとかしろ」
「……!?」
その声はエレンが最も聞きたかった声。
彼女はその声の主が誰かを確かめる前に、気が付けば自然と目から涙が零れていた。
「アッシュ――ッ!」
「こんなとこにいやがったのか。ったく……どこまでも世話が焼ける奴だ。簡単に拉致られてんじゃねぇよ」
エレンの視界に端に映り込んだアッシュ。更にそのアッシュに続いてエド達も現れる。
「大丈夫ですかエレン君!」
「これは魔法陣……!? まさかッ……!」
心配の声を上げるエド。その横ではローゼン総帥が事態の危機を誰よりも早く理解していた。
「ラグナァァァァァ!!」
「「――!」」
吹き荒れる風音に負ける事無く轟いた1つの声。
これまでエレンがどれだけ叫んでも見向きもしなかったラグナが遂に反応を示した。
「ジャック? 何でこんな所に」
「止めるんだラグナ! 私が間違っていた……! もっと早くからお前と話し合えば良かった。こんな事になる前に」
「急に何言ってんだ? それより見ろよジャック! 遂に混血の女神を捕まえた。今から『終焉の大火災』を起こすぜ俺は!」
ラグナの放った『終焉の大火災』という言葉に皆が反応する。
「やっぱりこの魔法陣はエルフ族の……!」
「エレンを返しやがれ」
皆が事態を急く中、アッシュは一直線にエレンの元へ走り込む。
しかし。
――バチィン!
「なッ!?」
刹那、エレンの元へ走っていたアッシュの体が大きく後ろに弾き返される。ラグナの魔法陣の効果だろう。エレンに近付いたアッシュは突如バチバチと音を立てる見えない壁に行く手を阻まれてしまった。
「無理よアッシュ。恐らくエレンの周りに結界が張られているわ」
「結界……?」
「ご名答。流石リューティス王国の大魔導師さんだな。ヒャハハハ」
突然アッシュ達が現れたにもかかわらず、依然ラグナは余裕の対応。ローゼン総帥に皮肉を放つ程に。
「こんなに侮辱されたのは何時以来かしら。確かに貴方は魔導師として超一流よ。でも“それ”を起こすのは大きな間違いだわ。エルフ族でさえ絶滅した『終焉の大火災』を人間1人でコントロールするなんて夢のまた夢よ」
ローゼン総帥の言葉は決して負け惜しみではない。ラグナの魔導師としての実力もしかと認めた上での彼女の本心であった。
だがその言葉は最早ラグナにとってはどこ吹く風。
「ご忠告どうも。大魔導師さんのプライドを傷付けたら悪いが、俺は今世界でただ1人『終焉の大火災』を発動出来る魔導師だ。アンタじゃなくてな」
「例え世界一の大魔導師にお前がなっていたとしても止めるべきだラグナ! 『終焉の大火災』なんて引き起こして何の意味がある! 幾ら強大な力を手にしても平和になどなりはしない。寧ろその強大な力によって再び憎しみや争いが生じるだけだ!」
「……」
ラグナは分かっていた――。
ジャックが言わんとしている事を。
ジャックが望む平和な世界とはどんなものかを。
ラグナは誰よりも分かっていた。
小さい時からずっと一緒。
ラグナはジャックの求む未来も知っている。
そう。
何でも知っているのだ。
世界で唯一心を通わせた兄だから――。
しかし――。
「知ってるよジャック……。お前が叶えたい平和な世界に、この『終焉の大火災』の力は要らない。方向性が違うからよ。
でもなジャック、それは“お前の夢”であって“俺の願望”ではない」
「――!?」
ラグナから出た言葉を聞いた瞬間、ジャックの胸がドクンと1つ大きく脈打った。
「何の事だラグナ……? お前は私と友に歩んでくれるんじゃないのか……? 私は力や権力で支配しない、人々が本当に豊かで平和な暮らしが出来る世界にしたいと! だから共に目指そうと、2人で昔から話していたじゃないか……!」
「だから言っているであろう。それはお主の都合であって、ラグナの望むものとはまた違うのだ……ジャックよ――」
場に響いた重厚感のある声。
纏う雰囲気は“王”の貫禄。
最も現状に似つかないであろうその男は、柳の如く静かに姿を現し、雷の如き威嚇をジャックに向けて発した。
「ち、父上――!?」
姿を現したのは他でもない、たった今リューティス王国と戦争を始めた敵国……ユナダス王国の国王――ヨハネス・ジョー・ユナダスの姿がそこにあった。
「あの人が……ユナダス国王……」
エレン、そしてアッシュ、エド、ローゼン総帥、ラグナ、ジャック。全員が一斉にユナダス国王へと視線を移していた。
「父上! 何故こんな所に……!?」
ジャックを始め、エレン達も皆同じ事を思っていた。ただ1人、ラグナを除いて。
「良いぞラグナ。『終焉の大火災』は発動出来そうか?」
「はい。問題なく下準備は終わりました。後は引き金を引くだけ。何時でも発動可能です――」
その淡々と話すラグナと国王の姿を見たジャックは嫌な汗を掻く。
「ま、待てラグナ……! いや、お待ち下さい父上ッ! お言葉ながら、今まさに発動しようとしているその『終焉の大火災』……それにエルフ族の事や歴史の真実を私はラグナから聞きました! 父上はその旨をご存じなのですか!?」
自分で言葉にしたものの、ジャックは直ぐに己の愚かさに気付かされる。
父上がジャックを見る目。それは余りに冷酷であり、混沌の闇に引きずり込まれんばかりの恐怖を感じたジャック。冷静に考えれば理解出来る事。
父上には……。ラグナには……。この2人には自分の知らない“何か”があると改めて突き付けられたジャックは、それ以上言葉が出てこなくなってしまった。
「話はそれだけか?」
返答のないジャックを横目に、ユナダス国王はゆっくりとエレンのいる魔法陣へと近付いて行く。
「フフフ……フーハッハッハッ! 素晴らしい、これが最強のエルフ族すらも抹殺させたという『終焉の大火災』の力か! まだ発動前だというのに、既にその力の強大さがこれでもかと伝わってくる!」
いつの間にか輝きを強めていた魔法陣。そこから醸し出される雰囲気や空気感はまるで嵐の前の静けさのようだ。ユナダス国王は相当機嫌が良くなったのか、両手を広げ、魔法陣の中央に浮くエレンを見ながら肩を震わせ大きな声を出し笑っている。
そして。
「やれ、ラグナ――」
「はい」
「ま、待つんだラグナ……!」
ユナダス国王が放った一言に、同じ一言で応えたラグナ。今の2人の会話を文字にすれば10文字にも満たないだろう。しかし、その余りに短い2人の言葉は遂に『終焉の大火災』という嵐を巻き起こした――。
――ブウォォォォッ!
「「……!?」」
一段と輝きを増した魔法陣の光が天高くまで閃光した次の瞬間、魔法陣からの輝きと吹き荒れていた強風がピタリと止むと同時に、誰も言葉を発しないこの場は耳鳴りが聞こえる程の静寂に包まれる。
刹那。
輝きを失っていた筈の魔法陣から凄まじい熱さの炎柱が天を駆け昇っていった。
「熱……!」
「まさか本当に発動を!?」
一瞬で辺り一面がオレンジ色に照らされ明るくなる。熱さと眩しさでアッシュ達は反射的に腕で顔を覆う。
「エレェェェェェンッ!」
発動させられた『終焉の大火災』の炎柱に呑み込まれたエレン。アッシュが大声で叫ぶも、炎の柱に阻まれ声が届いているか分からない。いや、そもそもこの激しい豪華のど真ん中にいたエレンが無事かどうかさえも分からない。
「離せッ!」
「いけませんよアッシュ」
「自分から燃えて死ぬ気?」
エレンを助けようと、炎に突っ込もうとするアッシュを必死で止めるエドとローゼン総帥。皆が視界に炎を映してエレンの心配をしている最中、ユナダス国王1人だけが再び笑い声を上げたのだった。
「フハハハハハ! これは凄いッ、桁違いの魔法だぞエルフ族! この力があれば我がユナダス王国が間違いなく世界の頂点に君臨する事が出来るぞ!」
それぞれが思いを募らせるその1秒1秒の間にも、業火の炎柱は全てを焼き尽くさんと言わんばかりの激しさを増して湧き続けていた。
エレン、エド、ローゼン総帥はエレンの身を案じ、ジャックは自分の無力さと後悔の念に駆をを歪ませ、ユナダス国王はこの世の全てを手に入れたといった自信に満ちた表情を浮かべている。
残るラグナは――。
「ユナダス国王……いえ、父上。俺は幼少の頃から今日という日を、父上との“約束”を果たす為に魔導師となりました」
いつも余裕と自信に満ちているラグナだが、今は伏し目でどこか“幼さ”漂う雰囲気でユナダス国王に話しかけていた。
「そして俺はリューティス王国一と謳われる最強の魔導師、ローゼンですら到達出来ない術を身につけ奴を超えました。『終焉のグリモワール』と『混血の女神」を見つけ、更にこの世界でエルフ族の魔法である『終焉の大火災』すらも使える魔導師は俺1人だけです。
父上……これで俺との約束は――」
「ああ。勿論だ。私は誰であろうと何時であろうと、約束を破る事は大嫌いだ。良くやったぞラグナよ。約束通り、お前を私の“正式な子”として認めよう。
これで妾のお前も正当なユナダス家の者となり、幼少の頃からお前が望んでいたジャックの“本当の兄弟”に晴れてなる事が出来たな――」
いつもユナダス国王とラグナの会話は淡々と流れていく。呼吸をするかのように当たり前に。
「本当の兄弟……? どういう意味だラグナ……。お前と父上は一体何の約束をしていた……?」
だがジャックだけは違った。今の会話を聞いていた彼の心にはわだかまりしか残っていない。同時に再び“何か”に気が付いたジャックは力強く拳を握り締め、怒りの形相で父を睨んだ。
「父上……貴方もしや……」
「どうしたのだジャック。まさか国王であり実に父でもある私に殺気を放っているのか?」
ユナダス国王もまた既に気付いていた。ジャックが怒りを露にした理由……実の息子が己に殺気を向ける理由を。
「ふざけるなッ! 一体ラグナに何を“吹き込んだ”!」
「偉く棘のある物言いだなジャックよ。お前が何を勘違いしているのかは知らんが、私とラグナの約束は他の誰でもないラグナ自身の望みであるぞ。奴のその思いに私が応じた。それだけの事だ。家族なのだから当然だろう」
「――!」
気が付いたらジャックは走り出していた。そして腹の底から湧き上がる怒り全てが込められた右拳がユナダス王国――実の父に微塵の迷いなく放たれる。
だが。
ガシッ。
「ラ、ラグナ……!?」
ジャックの動きを抑止したのはラグナ。そのラグナの表情は付き物が取れたように清々しい。長い付き合いであるジャックも初めて見る程に。
「ヒャハハ。待たせたなジャック。これでようやくお前と兄弟だって胸張れるぜ」
「ッ――!」
屈託のない純真無垢な笑顔。ジャックの心は目の前のラグナの笑顔と憎い父親の笑みで、一瞬グチャグチャに壊れそうになった。
そう。ラグナが心の底から望んでいたもの。それはどんなものでもない、唯一無二のジャックとの繋がり。ラグナはジャックと“本当の兄弟”になりたかったのだ。
出会いは突然。確かに普通ではない、少し変わった始まりの兄弟関係であった。それでもジャックはいつからかラグナが本当の弟であり、何の疑いもなく“兄弟”と言える関係を築けていたと嘘偽りなく言える。思える。
だがジャックとラグナの絆や信頼がどれだけ深く厚いものであろうと、互いの思いが“全く同じであるという事は有り得ない”――。それは血の繋がりや家族、親友、大切な人など……全く関係ない。ただただ、誰でもあっても全く同じなんて有り得ない。それだけの話である。