エルフの姓、竜の名。~男に扮した金色の傭兵少女は運命に抗う~

「ハァ……ハァ……ハァ……(また“いつもの”だ。でも、ここで倒れる訳にはいかない……!)」

 出現した5体のモンスター全てを倒したエレン。

 彼女はいつも投擲を使うと“こう”なる。幼少の頃からだ。

 投擲を行えば行う程体が重くなり、全身を疲労感が襲ってくる。理由は未だに本人もよく分かっていない。マナによる力なのかとも思ったが、生前マナ使いであった祖父が「それは違う」と言っていた。

 だからエレンはあまりこの力を使わない。制限がある為、ここぞという時だけにしていた。彼女自身が不必要に力を使いたくないという事も勿論あるが、それ以上にこの副作用的な効果が単純に嫌だったからである。

 だがどんな理由があるにせよ、今のこの仕合では皆無。

 見事モンスターを倒したエレンであったが、これで終わりではない。まだローゼン総帥との仕合は続いているのだから。

「ハァ……ハァ……まだまだ」

 エレンは気怠く重い体を懸命に動かして剣を拾った。
 そしてローゼン総帥の方向を向いて剣を構える。

「随分とお疲れみたいね」
「そんな事ないですよ……。まだ戦えますから!」

 力強く言い放つエレン。
 しかしエレンの疲労は誰が見ても一目瞭然であった。

「フフフ。まぁこれで仕合の“意味”は十分あったと言えるでしょう。レイモンドよ、妾はこれで帰るぞ」
「……!」

 突如そう言い残すと、ローゼンはこの場に姿を現した時と同じように音も無く姿を消し、本当にどこかへ去ってしまったのだった。

「さてと。じゃあこれで全員の実力テストは終わりましたね。3人共合格です――」

 終わりは唐突に。

 ローゼン総帥まさかの行動に場には数秒の沈黙が流れたが、その沈黙を破るようにレイモンド国王がエレン達に入団の合否を伝えたのだった。

「ありがとうございます。レイモンド国王」
「まぁ俺の実力なら当然だな」

 あまりに急な事にエレンは戸惑うも、アッシュとエドはいつも通り。二つ返事でレイモンド国王の言葉を受け入れていた。

 こうして無事実力テストも終わり。

 誰しもがそう思っていたその時。


 ――バン!
 エレン達のいた部屋の扉が勢いよく開かれた。

「“パパ”! 彼らは私の隊に配属させて!」

 突如響き渡った女の声。
 この場にいた者達全員が一斉に扉の方を向いた。

 すると、そこには煌びやかなドレスに身を包み、長い髪をハーフアップに束ねたエレンと同じ年頃の1人の女の子が立っていた。

「公の場でパパと呼ぶのは控えるよういつも頼んでいるだろう、マリア……」

 マリア――その聞き覚えのある名前と、彼女のいかにも“王女様”っぽい装いを見てエレンは察した。

(マリアって……もしかしてレイモンド国王の娘さんのマリア王女!?)

 レイモンド国王がリューティス王国の民の前に姿を現す事は決して多いとは言えない。だが王国の大事な節目節目にはその姿を公に見せる為、王国の民の殆どはレイモンド国王の顔を知っている。

 しかし、レイモンド国王の娘であるマリア王女は国王以上に姿が見られない存在であった。

 実際にエレンもマリア王女という名は聞いた事があっても、これまで1度として顔を見た事がない。

 そんなマリア王女の登場に、エレン達は愚か他の騎士団員や国王の側近の者達まで驚いた様子の表情を浮かべていた。

「なるべく控えるようには心掛けているわ、お父様。でも今はそんな事よりも彼らの配属先が重要! 絶対に私の隊に配属させてほしいの!」

 マリア王女によってこの場の空気は一変した。
 
 それと同時に先程まではレイモンド“国王”の姿が確かにそこにあったが、今はまるで年頃のお転婆な娘の行動を全く予期する事が出来ずに困りは果てていると言った“父親”の姿が垣間見られている。

 エレンはそんなレイモンド国王を見て心が和んだ。

「良いかマリア、私達は今取り込み中だ。大事な話をしている。それに彼らの配属はマリアが決める事じゃないぞ」
「ええ。勿論分かっているわ。だから今こうしてお父様に直接頼んでるの」

 マリア王女はどうやらグイグイ前へ出るタイプらしい。完全にペースはマリア王女が握っている。

「配属に関しては他の団長達とも話し合う。現場での能力は彼らの方が優れているからね。それにしても、何故急に彼らの配属を希望してきたんだい、マリアよ。今まではそんな事なかっただろう」

 エレンは少し意外だと思った。
 マリア王女がこの感じならば、城ではこの程度の事は日常茶飯事だったのではないかと勝手に思ってしまっていたからだ。

 だがそうではないらしい。

「だってお父様も今見ていたでしょ! そちらのダンディなおじ様も、目つきの悪い青髪の人も2人共凄い強かったわ!」
「なんだ、今の仕合を見ていたのかい?」
「ええ、偶然だけどね!」

 マリア王女のテンションはこれがデフォルトなのか、はたまた今の仕合を見ていたからテンションが上がっているように見えるのかは分からないが、その後もマリア王女は興奮気味にレイモンド国王に言った。

「それに、私が1番気に入ったのは貴方よ!」

 そう言いながらマリア王女はエレンを勢いよく指差した。

「貴方の仕合凄かったわ。相手がローゼン総帥だって事は勿論だけど、それ以上に貴方の戦いが美しかったの。もう1回見せて! あの綺麗に“光る目”! お願い――!」

 グイっとエレンの顔を覗き込んで懇願するマリア王女。

 驚いたエレンは戸惑ったまま何も言う事が出来ずに、自分の眼前にまで迫ったマリア王女の大きな瞳をただただ見つめているしかなかった――。
♢♦♢

~リューティス王国王都・城~

「改めて、3人共昨日はご苦労であった。そして騎士団への入団おめでとう。君達のような実力者が入ってくれて私も大変嬉しく思う」

 城での実力テストから一夜明けた今日、エレン達は再びレイモンド国王に城に呼ばれていた。

「今日来てもらったのは他でもない、昨日も話した君達の配属先についての決定を発表する」

 そう。エレン達が国王に呼ばれた理由はこれ。

 リューティス王国の騎士団は数千人以上が所属する大組織であり、騎士団内では色々な役割や部隊が幾つも分かれている。エレン達のような新米はどこかの部隊に配属されるのが決まりとなっている。

「エレン・エルフェイム、アッシュ・フォーカー、エドワード・グリンジ。以上3名は本日をもって王国騎士団への入団を正式に認められた騎士団員となり、今日付けで“護衛隊”への配属を任命する――」
「「はい!」」

 レイモンド国王から配属先を告げられたエレン達は力強く返事をした。

**

「マジか。俺が用あるのは“戦線部隊”だったのによ」
「ちょっと、そんな事絶対にマリア王女とかレイモンド国王の前で言わないでよ!」
「落ち着いて下さいアッシュ。まだ幾らでもチャンスはありますよ」

 配属先を伝えられたエレン達一行。
 彼らは護衛隊の“ダッジ団長”に案内され、護衛隊が寝泊まりする宿舎へと向かっている。

「改めて、俺の名前はダッジ・マスタング。一応お前達が今日から配属する護衛隊の団長を務めている。宜しくな」

 ダッジ団長はスキンヘッドに髭を蓄えたかなり強面の男性。体も大きく筋骨隆々なせいか、余計に見た目の強面感を強めている。だが話す口調や態度からはとても優しを感じるエレンだった。

  宿舎は広大な城の敷地の一角に存在するらしく、向かうまでの道中でダッジ団長が簡単に騎士団の事を説明してくれた。

「王国騎士団は俺らの護衛隊、戦線部隊、憲兵隊と大きく3つに分かれていてな、まぁ簡単に説明すると、憲兵隊は主に王都や王国全体の安全や治安維持に努める部隊。
戦線部隊って言うのは言葉通り戦線に出て戦う者達の部隊だ。戦線部隊は紛争や戦争といった類の戦いには最前線に行くのが決まりだ。

そしてこの護衛隊。
これもまた言葉通り、主な役割は国王や王族の護衛だ。中でも俺達“王女護衛隊”はマリア王女の命を最優先に守る隊となる」

 ダッジ団長の簡易的な説明を聞いたエレンは安堵の表情で第一に胸を撫で下ろした。

(よかった~。戦線部隊なんかに配属されたら逃げ出すしかなかったよな)

 そんな事を思うエレンの隣で、アッシュは不満そうな顔でダッジ団長に尋ねた。

「この配属部隊って変更は可能なのか?」
「出来る事は出来るが、それには申請が必要だ。そこで通れば問題なく部隊の変更は出来るぞ」
「だったら今すぐその申請とやらをするか」
「こらこら。また何を自分勝手な事ばっかり言ってるんだよ君は!(本当にどういう神経しているんだこの男)」

 エレンとアッシュのやり取りを見たダッジ団長は急に笑い出す。

「ハッハッハッハッ! やっぱり若いってのは勢いがあって良いな。お前達の強さは昨日聞いた。そっちの可愛い顔した坊やはあのローゼン総帥と手合わせしたらしいな。

生憎、騎士団は今人手不足。戦争が休戦しているからこそ戦線部隊の奴らも動けるが、これでまた戦争が始まったらヤバいだろうな。
だからお前達みたいな強い奴は、戦線部隊よりもここぞという時に強さを求められる護衛隊に配属されたのさ。
(まぁ国王に聞いた話じゃ、配属の理由の半分はマリア王女の強い希望を断り切れなかったという事らしいが……こっちの2人はまだしも、この青髪の坊主は面倒くさそうだから本当の事は黙っておくか)」

団長にまで上り詰めた者はその実力は当然の事ながら、プラスα人を束ねたり統括する能力が必要となる。そういった面でダッジは人を見る力があると言えよう。

「さて、ここがお前達も生活する護衛隊の宿舎だ」

 案内されたエレン達の前には、小汚いイメージのある傭兵部隊とは全然違う立派で綺麗な宿舎が建てられていた。本当にここが団員の宿舎なのかと確認したくなる程の外観。

「じゃあ中もサラッと案内するから付いて来てくれ」

 宿舎の中は外観同様大きく綺麗。
 最低限の生活の為なのか物は少ない。だから余計に空間が広く見える。

「1階は共用のリビング、食堂、大浴場などがある。全部で6階あるが、俺達王女護衛隊は3階。残りの階は他の王族の護衛隊達が使ってる。
先にお前達の部屋に案内しよう」

 ダッジ団長に続き、エレン達は階段を登って3階へとやって来た。

「ほら、ここがお前達の部屋だ」

 そう言ったダッジ団長の視線の先には部屋が2つ。

(ん? 2つだけ……?)

 エレンは真っ先に嫌な気配を感じ取った。

「えーと、たしかこっちは既に1人使っているから……残り1人とそっちの部屋が1つだな。好きに分かれてくれていいぞ」
(やっぱり。最悪だ……!)

 嫌な予感は見事に的中した。
 ダッジ団長の言葉を聞いたエレンは絶句の表情。

(うわああ……! あり得ないあり得ないあり得ないッ! これって相部屋って事でしょ!? どっちに転んでも詰んでるじゃん!)

 まさかの男2人の相部屋。

 言葉を失ったエレンはみるみるうちに青ざめていくのだった――。

「じゃあお前がそっちな。俺とエドはこっちを使う」

 ぶっきらぼうに言ったアッシュはそのまま部屋に入ろうとした。

「いやッ、ちょっと待った!」

 部屋に入ろうとするアッシュを間一髪の所で食い止めるエレン。
 女のエレンにとっては死活問題。

「なんだよ」

 気怠そうに振り返ったアッシュの顔は嫌悪感で満ち溢れている。
 だがエレンには引けない理由がある。

「勝手に決めるなって! 僕だってエドさんと一緒にそっちの部屋がいいよ! (究極の選択だけど、見ず知らずの男の人と一緒になるのは絶対に嫌だ。エドさんが1番いい)」
「勝手な事言ってるのはテメェだろ。こっちの部屋は俺が使うって言ってんだよ」
「それが勝手なんだよ! 僕にだって選ぶ権利があるだろ!」
「マジで鬱陶しい奴だな。大体な、湖ん時も道中の便所もいちいち1人に拘り過ぎなんだよ! 本当に女みてぇな野郎でイラつくぜ!」
「いちいち1人になるのも見た目も関係ないだろ! そんなの人それぞれ! 僕が女みたいな男なら、君はデリカシーがなさ過ぎて人の事を考えれないガサツ男じゃないか!」
「なんだとコラッ!」

 どんどんとヒートアップするエレンとアッシュ。
 口論の理由はどうでもいい事なのだが、もうどちらも引くに引けない様子である。

「たかが部屋で喧嘩するなよ……子供かお前ら」

 隣で見ていたダッジ団長も呆れ顔で呟く。
 そして、見兼ねたエドが2人の口論に終止符を打った。

「もう落ち着きなさい2人共。アッシュもエレン君もそんなにこっちに部屋を使いたいなら2人で使えばいい。私はそっちの空いている部屋に行きますから」
「ええッ!?」「はッ!?」

 まさかのエドの発言にエレンとアッシュが驚きの声を上げた。

「そりゃそうだ。お前達が2人共そっちがいいならそれでこの話は終わりだろ。なぁエドさん」
「左様。ダッジ団長の言う通りですよ。2人共知らない他人と相部屋になるのが気まずいのでしょう。だったら私がそっちの部屋に行けばいいだけです。そもそも私はどちらでも構いませんからね」

 エレンとアッシュにはない落ち着いた大人の余裕。
 というより、エレンとアッシュがこれしきの事でムキになり過ぎているのだ。

「アッシュと2人……!? で、出来れば僕はエドさんと一緒がいいんですけど……」
「こんな老人へのご指名は有り難いですが、我が儘を言い過ぎるにも限度がありますよエレン君」
「うッ、そ……それは確かにそうですけど……」
「アッシュもです。団体行動をしている以上は相手への配慮も大事です。これから護衛隊として動くならば尚更ですよ」

 エドの言葉にぐうの音も出ないエレンとアッシュ。
 もうこの場の空気を制圧したエドに2人は意見出来なかった。

「それじゃあ決まりって事でいいな?」
「「……」」

 勿論納得はしていない。
 だが2人は諦めたように首を縦に振るのだった。

**

~宿舎・エレンとアッシュの部屋~

「部屋も決まった事だし、早速“本題”に入らせてもらうぜ。まさかこんな事で時間を割くとは思わなかった」
「反省してます……」

 一先ず部屋の割り振りも決まり、ダッジ団長を含めた4人は部屋の中。想定外の口論に戸惑ったダッジ団長であったが、今度は少し真面目な表情に変わって話をし始めた。

「実はな、まだ配属されたお前達には些か申し訳ないが、俺達王女護衛隊は4日後に重要な任務がある。その任務の内容がマリア王女の護衛と移送だ」
「護衛と移送……ですか?」
「ああ」

 そう言ったダッジ団長は一呼吸の間を置き、再びゆっくりと口を開いた。

「お前達がどこまで認知しているかは分からないが、リューティス王国とユナダス王国の“戦争”は再び始まるとされている――」

 戦争という言葉に無意識に全身が反応するエレン。

「勿論断言出来る事ではないが、極めてその確率が高いのは確かとなっていてな。王国が騎士団の増員や強化を行っているのも、今回のマリア王女の移送も全てそれが理由だ。

最近になってどうもユナダス王国の動きが激しくなってきているらしく、レイモンド国王も再三警告を出しているんだが全く応じる姿勢がないとの事だ。
そしてこれ以上は危険だと判断し、レイモンド国王も国を守る為に動き出す準備をしているってのが大体の現状となる。

最早戦争が再び起こるのは時間の問題でな。だからこそ今の内にマリア王女の安全を守らなきゃいけない。それが4日後の重要任務だ」

 ダッジ団長の一連の説明で場がピリつく。
 アッシュの瞳には憎悪が現れ、エレンの瞳には恐怖と絶望が現れた。

 今にも逃げ出したい。

 でも何処へ?

 そんな答えの出ない事をエレンは頭の中で自問自答していた。

「移送する場所は?」
「西部の水の都、ツリーベル街だ」

 リューティス王国の戦争相手であるユナダス王国は東に位置する為、最も反対となるツリーベル街へ移送するとの事だ。そこならば戦争が始まっても比較的安全な場所らしい。

「今護衛隊の他の連中が下見やら準備で出払っているから、また揃い次第お前達の紹介やら任務の詳細やらを諸々話したいと思っている。
だからそれまでは一先ず休んでいてくれ。配属されていきなり大変な任務となるかもしれないが、お前達の実力には期待している。体調だけは万全に頼むぜ」

 ダッジ団長は最後に陽気な感じでそう言うと、手をヒラヒラさせて部屋から出て行った。

「戦争が……また……」

 心の声が零れるエレン。

 同時にあの日の出来事がまたもフラッシュバックする。

 どうしようもない虚無感に襲われたエレンは何も考えられず、そのまま倒れ込むようにベッドに寝転ぶのだった。

「ビビッてんじゃねぇ。遅かれ早かれ分かり切っていた事だろうが」

 吐き捨てるように言ったアッシュに最早言い返す気も起きないエレン。

(やっぱりもう逃げるしかないのかな……。その方が安全だよね)

 目を閉じたエレンは自分にと問いかける。

 安全な場所――それは一体どこだろう。

 本当に小さな村や国ならまだしも、大陸でも大国とされるリューティス王国とユナダス王国の戦争に巻き込まれない安全な場所など存在するのだろうか。

(ダメだ。逃げる場所すらない……。しかも流れとはいえ、僕は騎士団に入ってしまった。無許可で脱走なんてしたらそれこそ罪人として追われる人生になってしまう……)

 希望の見えない未来に、不安だけがつきまとう。

 エレンはこの無慈悲な世界に嫌気が差してしまった――。
♢♦♢

 その昔、この世界は多種族が共存する平和な世界が確立されていた――。

 しかし。

 人類、エルフ族、竜族。
 そして他にも多岐に渡る種族や生命が平和に暮らしていた筈のこの世界はある日、突如世界を一変させる“終焉”を迎えたのだった。

 まるで神の怒りと言わんばかりの獄炎が大陸を飲み込んだのは約666年前。世界はたちまち大火災となり、ほぼすべての種族や生命が絶滅寸前にまで壊滅する程に。

 世界はいつからかこの出来事を『終焉の大火災』と名付け、後世に2度と同じ事が起きないようにと多くの書物にその歴史を記したと言われる。

**

「へぇ~。リューティス王国にはそんな歴史がねぇ……」
「本当に無知だなお前は」

 いつものテンションで、代わり映えのない会話をしているエレンとアッシュ。

「この“終焉の大火災”の後、このリューティス王国が建国されたそうです。それに今では俄に信じ難いですが、エルフや竜族の他にも、人間と魔物達も元は平和に共存していたとも言われています。
しかし残念な事に、この終焉の大火災が世界の秩序を全て狂わせてしまったのです」
 
 淡々と話し終えた後、エドはテーブルに置いてあった紅茶を一口飲んだ。

 どうやらエドがエレンにリューティス王国の歴史について簡単に説明していたようだ。

「実に興味深い話でした」
「おいおい、こんな歴史は誰でも知っている常識だぞ。どんな育ち方すりゃそうなるんだよ」

 アッシュの言い方が相変わらず癪に障るエレンは眉間に皺を寄せて言い返す。

「君だってどんな育ち方をすれば“この仕上がり”になるのか教えてもらいたいね」
「なんだとコラ。テメェは弱いくせに知識もねぇのか。だからそんな女みたいな女々しい軟弱野郎になったんだな」
「うわ、最悪な人間。だから君は嫌われて友達の1人もいないのか」
「全然関係ねぇだろその話はよ!」
「そっちが毎回毎回馬鹿にしてくるからだろ! それにムキになったって事はやっぱ友達いないんだ! ハハハハ、笑える」
「ぶっ殺す! 表出ろ!」

 ゴホン。

 2人のしょうもないやり取りを遮るように、エドが小さく咳ばらいをした。

「……それで? そもそも何でその終焉の大火災ってやつが起きたの?」
「知らねぇよ」

 当たり前の如く答えたアッシュにエレンは度肝を抜かれた。

「嘘でしょ? 散々偉そうにしておいて自分も知らないとかあり得ないんだけど」
「うるせぇな、だから分かってねぇのはテメェだ。歴史はそこまでしか記されてないんだよ」
「え、そうなの?」

 予想外のアッシュ答えに、エレンは正解を求めるべく無意識にエドの方を向いていた。

「本当ですよエレン君。それ以上の事は誰にも詳しく分からないのです。強いて言えば、終焉の大火災によってエルフ族と竜族だけは完全に滅びてしまったそうですが」
「エルフ族と竜族……。それだけは僕もどこかで聞いた事があります」

 エルフ族――それは人間や動物や魔物ともまた違う、とある1つの種族。エルフ族は人間よりも格段に寿命が長く、優れた叡智や“魔力”といった不思議な力も備えている。耳が尖っていたり羽が生えたりしているなど、その見た目も特徴的。

 竜族――それはまたエルフ族と同様、人間とはまた違う1つの種族。竜族は先祖に“ドラゴン”を持つという特殊な血統の種族であり、屈強な肉体と高い戦闘能力を備えている。また、見た目は非常に人間に近く、強いて違いを上げるとすれば、ドラゴンの血を引く竜族は緑色の瞳を持つ者が多い。

 このエルフ族と竜族は終焉の大火災によって絶滅し、現代を生きるエレン達の時代ではその名前と存在だけが語り継がれていた。

「あくまで私の知る限りですが、古来よりエルフは格式の高い神聖な存在だと崇められていたそうで、このエルフ族という存在があったからこそ世界は平和であったとされています。

しかし、多くの者達がこの歴史を紡いで謎を追ってきたある時、どこかの研究者がどういう訳か“終焉の大火災が起こった原因もまたエルフ族なのでは”という1つの仮説を立てたらしいのです。
ですがその仮説は決定打になる証拠もなければ、現代に至るまでその仮説や新たな謎が紐解かれる事もまたないそうですよ」

 エドはそこまで話し終えると、再び紅茶を口にした。

「そうなんですね。未だに謎が明かされてないのか~。凄い話だなぁ。
でも何で人間より賢くて強そうなエルフ族や竜族が全滅しちゃったんだろう……。人間の方が単純に数が多かったのかな? 
それにしても怖いね、その終焉の大火災って。生命をほぼ消しちゃうなんて」
「全くですね。そしてそれがエルフ族が原因と言われるとなると、最早一般人には理解不能な領域です」

 ――コンコンコン。
「いるか?」

 エレン達が部屋でそんな話をしていると、扉の向こうからノック音とダッジ団長の声が聞こえてきた。

「はい、どうぞ」
「待たせたな。護衛隊の連中が帰って来た。支度が出来たら1階に来てくれ。皆に紹介するからよ」

 扉の間から顔を覗かせたダッジ団長は、それだけ言うとまた扉を閉めて行ってしまった。

「する支度なんてねぇっつうの。やっとこの退屈な時間から解放されるな」

 エレン達が部屋問題で揉めてから早2日が過ぎていた。

 マリア王女の護衛任務までは後2日――。
**

~宿舎・1階~

「やっと帰ったぞ~!」
「街で買ってつまみを早く出せ!」
「もう1杯飲む前に俺はシャワーを浴びる」

 ワイワイ。ガヤガヤ。

「なにこれ……うるさッ」

 開口一番。エレンは静かにそう口にした。

 1階の広い共有スペースで、なにやら凄い盛り上がりをみせている十数人の男達。彼らは皆飲み物や食べ物を手に持っており、共有スペースはアルコールの匂いが漂っている。

 アッシュも珍しくエレンと同じ事を思っているのか、露骨に嫌そうな顔をしていた。

「悪いな。思っていた以上の仕上がりだ。ったく、この馬鹿共は……」

 ダッジ団長がバツが悪そうにエレン達に謝ると、エレン達はその一言で察した。

“これが護衛隊の面子だ”と――。

「おいッ! お前らッ!」
(うわ、凄い声量)

 愉快などんちゃん騒ぎを一刀両断するかのような凄まじいダッジ団長の声が響き、護衛隊と思われる男達は一斉にダッジ団長の方向へ振り向いた。

「あ、ダッジ団長お疲れ様です!」
「なんだ? 見かけない顔がそっちにいるな」

 護衛隊の男達は酔っ払っている者が殆ど。既に床で寝てる者いる。
 明らかに異様な光景ではあったが、護衛隊ではこれが普通なのだろうかダッジ団長がそのまま男達に話を続けるのだった。

「おーい、いいか! 1度しか言わねぇから全員聞けよ! 俺の隣にいるこの3人が新しく護衛隊に入った! 名前覚えるついでにお前達の自己紹介もしろ! ……って、おいミゲル。お前飲み過ぎだ。もう部屋言って寝ろ!」

 慌ただしい中でダッジ団長がそう言うと、男達は更に盛り上がり(悪ノリ)を見せるのだった。

「おお! お前達が新しく配属された新人か! 宜しくな!」
「おいおい、酔っ払いが絡むんじゃねぇよ! 俺の名前はバードン! お前達は?」

 もれなく全員酔ってるじゃん。と思わずツッコミを入れそうになったエレンだが、目の前のバードンと名乗った男に促された3人は自己紹介をした。

「えっと……僕はエレンです。エレン・エルフェイム」
「アッシュ」
「私はエドワード・グリンジと申します」

 美女、青髪、老人。

 出来上がった酔っ払いが食いつくには十分過ぎる要素だった。

「なんだなんだ、今回の新人は面白過ぎるだろ! なあ!」
「3人共そんなスリムで剣振れるのかよ!」
「っていうかそっちの金髪、めちゃくちゃ可愛い女じゃねぇか!」
「ガハハハ、何言ってんだ馬鹿野郎! 女が騎士団に入れる訳ッ……って本当だ! どうしてこんな所にお嬢ちゃんが紛れこんでるんだ!」
「僕は男だッ!」 

 相手が酔っ払いという事もあってか、エレンはいつも以上に強気に言い放つ事が出来た。

 だが。

「“僕は男だッ!”……だってよ!」
「ハッハッハッ! ふて腐れた顔も可愛いぞ!」

 図らずも火に油を注ぐ形となってしまったエレンは、酔っ払いの男達に更に爆笑を生ませてしまう。

「いい加減にしねぇか馬鹿共! いつまでも新人を困らせるんじゃねぇ」
「でもさ、ダッジ団長。この3人本当に使えるんですか? 女に青髪にご老人ですよ? そんなにリューティス王国は人手不足なんですか?」
「その心配はない。コイツらは伯爵の推薦状付きで実力テストを受けたからな。それに幾ら人手不足っつっても、弱かったらそもそもここにはいられないだろ」
「そりゃごもっともです! じゃあ新人も酒飲め酒ッ!」

 最早収拾不可。
 ダッジも半ば諦めたように溜息をつくと、「やる時はやる奴らなんだ」と余りに説得力のないフォローをエレン達にする。

 そんなダッジ団長の様子を見たエレンは、団長という立場は大変そうだと思いながら苦笑いを返す事しか出来なかったのだった。

「とりあえず飲め飲め!」

 護衛隊の1人がそう言いながらお酒の入ったジョッキをエレン達に無理矢理渡した。

「さて、ではいただこうかな」

 渡されたお酒を躊躇いなく飲み始めたエド。
 ジョッキのお酒を一気に飲み干すと、「ぷはー!」と満足そうな表情を浮かべた。

「おお! 爺さんいい飲みっぷりだな! まだまだあるからこっちに来て飲んでくれよ!」
「ハハハ。たまにはこういう時間も悪くない」

 流石の対応と言うべきか。エドは早くも護衛隊の者達と打ち解けたようだ。

「さあ、お前達も景気よく飲め!」

 男達に言われたエレンも、一先ず飲み慣れないお酒に口を付けた。

「うげッ、マズい!」

 まともにお酒を飲んだ事がない上に、エレンはお酒に弱い体質のようだ。

「だははッ! まだお子ちゃまにはこの味が分からんか! ほら、青髪の兄ちゃんも飲んでみろ!」

 どんちゃん騒ぎの熱気と、アルコール独特の匂い。
 そして今飲んだお酒が早くも回ってきた様子のエレンは顔が赤く火照っていた。

(あれ……なんかフワフワしてきた。体も熱いし、ちょっと外に出よッ……!?)

 エレンがこの場を離れようとした瞬間、彼女は護衛隊の1人に腕を掴まれバランスを崩す。踏ん張りが効かなかったエレンはそのまま床に尻餅をついてしまった。

 ズドン。

「アハハハ! こんなので転ぶなんて本当に大丈夫かよ金髪女!」
「何回もしつこいなぁ。僕は男だって言ってるだろ! 護衛団は頭の弱い人しかいないみたいだね(あ、やば。頭がクラクラしてきた……)」
「なにぃ? 生意気だな、お前」

 お酒のせいで自然と挑発的な態度になっていたエレン。
 絡んできた男もヘラヘラした顔から一転して眉間に皺を寄せていた。
 
 それでも、アルコールが回ってしまったエレンも更に言い返す。

「なんでだよ。そっちがいつまでも間違えてるから悪いんだろ」
「あ? おい、新人。どうやらお前は痛い目に遭わないと分からないタイプらしいな」

 そう言った男はグッとエレンの胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。

「ふん。頭が弱いからってすぐに暴力に走る男なんてダサ過ぎ」
「テメェ……! くたばれこの野郎!」

 ガシッ。

 男がエレンに向かって拳を振りかざした刹那、突如その動きが止まった。

「おいおい、俺の配属された護衛隊はこんな軟弱野郎にしか喧嘩を売れない集団なのか?」
「離しやがれ! テメェも生意気な態度取るならぶっ飛ばすぞ!」
「やってみろクソ酔っ払い」

 アッシュは鼻で笑いながら男を挑発した。

「お、どうした。喧嘩か? おーい、皆! 新人とエディが喧嘩するってよ!」
「なんだって! そりゃ面白そうだ」
「やったれ、青髪の兄ちゃん!」

 悪ノリに悪ノリが重なり、どんちゃん騒ぎの場が更なるボルテージを上げた。

 そして。

「何やってんだお前らッ! もういい加減にッ……『――ズガン!』

 見兼ねたダッジ団長がこの場を収めようとした次の瞬間、エディと呼ばれた男とアッシュの喧嘩は一瞬で勝負が着いたのだった。

「がはッ……!?」

 ぶん殴られたのだろうか、エディは悶絶の表情で腹を抱えると、そのまま床に倒れて気を失った。

「本当に……お前ら羽目を外し過ぎだ馬鹿共! この3人はジャック団長相手に圧倒した挙句、エレンに至ってはあのローゼン総帥と仕合をして認められた実力者だぞ。というよりもう仲間だ。いつまでも下らない事してんじゃねぇ」

 ダッジ団長の一喝で騒がしかった場が静寂となった。

「さてと、それじゃあ年寄りはそろそろ部屋に戻るとしよう。アッシュとエレン君も一緒に行きましょうか」
「戻るぞ。お前も酔っ払ってんじゃねぇよ、ったく」
「僕は酔ってないぞ」

 そう言うエレンは完全にダウン寸前であった。

「お……おいッ、お前……!」

 アッシュに殴られた男が意識を取り戻した。

「そっちの金髪、お前噂によると“目が光る”らしいじゃねか……! まさかお前、魔物とか悪魔の類じゃねぇだろうな? 気持ち悪いんだよ!」
「――!?」
 
 エディは咳込みながらエレンの事を揶揄し、一方のエレンもこの瞬間だけは一瞬酔いが醒めたように我に返らされた。

「エディ! テメェは当分酒禁止だ!」

 ダッジ団長は遂に怒声を上げ、他の団員にエディを部屋に連れて行くよう命令する。

 我に返ったエレンは気が付くと、支えてくれていたアッシュの腕を振り払って宿舎の外へと走り出して行ってしまったのだった――。
 “魔物とか悪魔の類じゃねぇだろうな?” 

 宿舎を飛び出したエレンは幼少の頃を思い出していた。
 
♢♦♢

 ――うわ、変な目の色!

 ――魔物だよコイツ!

 ――気持ちわる~! どっかいけ!


 祖父と仲良く暮らしていた頃、エレンは周りの男の子達からよく虐められていた。

 エレンが育った東部の街では金色の髪色が珍しく、その整った容姿に加えて綺麗なエメラルドグリーンの瞳をしていた事が理由だろう。

 とはいえ、東部の街に人種差別などが根付いていたわけではない。良識ある大人はエレンの見た目などを気にしなければ当然揶揄する事もなかった。

 ただ純粋無垢な子供故、時にそれが真っ直ぐ過ぎてしまう事があったのだ。

(やっぱり私は変なのかな……?)

 エレンは自分でも薄々感じてはいた。
 街で歩いている人達の中にも髪色や肌の色が違う人は確かにいたが、自分は間違いなく少数派であると。

 自分の髪や目は変なんだと。

(ゔゔッ……! パパ……ママ……!)

 子供ながらに自分の存在を恐れていたエレン。

 自分の事を愛してくれていた両親は他界してしまい、今は祖父と2人だけ。勿論祖父もエレンを愛し、彼女の髪や目を見ていつも「綺麗だ」と言ってくれていた。

 それでもまだ不安定な子供の心から、完全に不安を取り除くのは難しかった。

 ただでさえ両親を失った痛みが全然癒えていないのに――。

(パパ……ママ……会いたいよ――)

♢♦♢

~宿舎前~

「おい、どこ行くんだよ」

 飛び出したエレンを追いかけていたアッシュが彼女の腕を掴んで止めた。

「……離して」

 グッと手を振りほどこうとしたが、男のアッシュの力には敵わない。

「別に大丈夫だから。変な慰めとかいらないよ」
「……アホかお前。俺がそんな優しい人間だとでも思ってんのか」

 アッシュは呆れ顔でエレンに言う。

「これ以上手間を焼かせるな。もう部屋で寝ろ、酔っ払い」

 そう言ったアッシュは掴んでいた腕を離し、数秒の間が空いた後、踵を返したエレンは静かに部屋へと戻って行ったのだった。

**

「少しだけ1人にして。着替えもしたいから」

 部屋に戻ったエレンは先程よりも酔いが醒めてきていた。

「それは嫌だぜ。何で俺がお前に指示されなきゃいけないんだよ」

 なんとなく今の雰囲気ならば素直に聞いてくれると思ったエレンが甘かった。アッシュはきっぱりとエレンの申し出を断る。

「え……! 別にいいじゃん、ちょっとぐらい。2人部屋なんだから互いの意見は尊重しないと……!」
「だったら俺の意見も尊重しろや。いちいち面倒くさいんだよ。そんなに1人で着替えたいなら廊下でも出ろや」
「そんなの嫌に決まってるだろ!(見られたら即終了だ)」

 口を開けば口論となるエレンとアッシュ。
 しかし、着替えやお風呂などの誤魔化しが効かない状況だけは絶対にエレンも譲れない。

 いや、譲ってはならないのだ。

「分かった! じゃあ3分! 3分だけでいいから1人して! お願いします!」
「長い。1分」
「なら2分! これ以上は無理!」
「ほんっっとに面倒くさい奴だな! さっさと済ませろよ!」
「分かってる! ありがとう!」

 凄い勢いで懇願してくるエレンの気迫に押され、アッシュは納得いかないながらも2分で手を打つ事に。

 エレンは気怠そうに部屋を出て行ったアッシュを確認し、急いで着替えを始める。

 服を脱ぎ、騎士団から支給された服を着る。
 胸の膨らみがバレないよう布を巻いて重ね着。
 最後は金色の長い髪をなるべく束ねて男っぽくッ……『――ガチャ』

 刹那、扉の開く音が聞こえ、アッシュが中へと入って来る。

「嘘ッ!? え、ちょっと……!」

 幸い着替えは終わって体は大丈夫。
 だがまだ髪を結っていない。

(もう2分経った!? 早過ぎない?)

 苛立ちながらも、エレンは乱雑に手で髪をまとめ、素早くゴムで結んだ。

「ちょっと! いくらなんでも早過ぎるって! 絶対2分も経ってないでしょ!」

 パラ……。

 エレンはアッシュが部屋に入って来たと同時に大声で文句を言いつける。

「……」

 しかし、珍しくアッシュは何も言い返してこない。

「さっき分かったって言ったよね! 約束はちゃんと守れよ!」

 焦ったエレンは矢継ぎ早に文句を言う。
 バレたら終わりの彼女にとっては一大事であるから仕方がない。

「……」

 だが不思議な事にアッシュはずっと黙っている。
 
 そして、無言のアッシュは何故か目を見開いて真っ直ぐエレンを見つめていた。

「ん、アッシュ……? どうしたの?」

 異変に気が付いたエレンが無言のアッシュに尋ねる。
 
 アッシュの感情が分からない。
 何でずっとエレンを見て止まっているのかも。

 僅かな沈黙の後、ふと我に返ったのだろうか、アッシュがいつも通りの悪態を付くのだった。

「テメェは……マジで女みたいな奴だな……」

 まじまじと言ってきたアッシュの言葉に、エレンは胸の鼓動が強く脈を打った。

 それもその筈。
 今のアッシュの言葉を聞いたとほぼ同時、エレンは自分の髪を結んでいたゴムが切れ、髪が解けてしまっている事に気が付いたのだ。

「あ、髪が解けていたのか……」

 いつもの馬鹿にした言い方とは違う言い方に一瞬焦ってしまったエレンであったが、すぐさま切り返して冷静な態度を見せる。

 勿論内心は心臓バクバク。

「全く。君が約束を守らずに早く部屋に入って来るからこうなるんだよ」

 あくまでも冷静を装い、何事もなかったかのようにエレンは髪を縛り直した。

「時計もねぇのに丁度2分なんて分かるかよ。大体でいいだろ」
「それならちょっと余裕を持って入って来るのが普通でしょ! 本当に気が利ないな!」
「ああ? 元はと言えばお前の我が儘を聞いてやったんだろうが!」

 どこか歯切れの悪いアッシュは、最後に何か言いたそうな顔でグッとエレンを睨んでいた。

「な、何? 何か言いたい事でもあるの?」
「……」

 いつもと違う妙なアッシュに、エレンも調子が狂う。

 そして。

 アッシュは静かに口を開いた。

「……そんな気にする事じゃねぇだろ」
「え?」

 徐に歩き出したアッシュは自分のベットに腰を掛けながらそう口にした。

「お前の見た目の話だよ。確かに女っぽいけどさ、お前もお前でもっと男らしくしてろよな。だからどこ行っても馬鹿にされるんだよ」

 アッシュからの以外な優しさ。
 これにまたエレンの調子も狂ってしまう。

「分かってるよ。もっと気を付ける」
「俺は思わねぇぞ」
「え、何が……?」
「お前のその目。不気味とか気持ち悪いとか別に思わねぇって事。っていうか、寧ろ……その、なんだ……? 人と違って良いと思うぜ。綺麗だし――」

「ッ……!?!?」

 エレンは一瞬時間が止まった気がした。
 
 呼吸の仕方も忘れ、上手く息が吸えない。

 何か言い返そうと思ったのに、口が、体が、脳が正常に機能しない。

 余りに唐突で、余りに驚愕の言葉を告げられたエレンは、もうお酒の酔いがすっかり醒めたにもかかわらず、いつの間にか顔が真っ赤になっていた。

(な、な、何だよ急に……! 今コイツ……“綺麗”って言った……!?)

 最早どうしていいか分からなくなったエレン。
 変な空気に耐えられなくなった彼女はダイブするようにベッドへ飛び込んだ。

「ば、馬鹿な事言ってんじゃないよ……! 僕疲れたからもう寝るッ!」

 布団に潜り込みながら、エレンはずっと高鳴っている鼓動を必死に抑えようと何度も深呼吸をしていた。

 目を瞑って無理矢理寝ようとするが、直ぐ近くにいるアッシュの気配と今しがたの言葉が気になったエレンは全く寝付けず、彼女は布団の中で時折口元を緩ませていた。

 一方、アッシュはと言うと。

「なんだコイツ。やっぱ変人だな」

 突如布団に潜り込んでもぞもぞとしているエレンを見て、1人静かにそう呟いていた。

**

「結構進んだね。後どれぐらいだろう」
「まだ王都を出て半日程ですからね、まだ先は長いですよ」
「そっか。もう何時間進んでいるから結構行ってると思ったのに」

 馬に乗りながら会話をするエレンとエド。

 護衛隊の顔合わせとなったどんちゃん騒ぎから2日経ち、本日いよいよマリア王女の護衛任務を行うエレン達一行は早朝に王都を出発した。

 馬に乗った事がないエレンは暫く苦戦していたが、やっと少し慣れて来たようだ。 

「そう言えばマリア王女って歳いくつなんだろう? 僕と同じぐらいに見えたけど……」
「マリア王女は今17歳だそうですよ」
「え、そうなんだ。じゃあ僕と同い年だ」
「ハハハ。それもあってマリア王女はエレン君の事を気に入ったのかもしれませんね」

 年齢を聞いたエレンは驚きつつもマリア王女に親近感を覚えた。

 2人がそんな会話をしている最中でも、護衛隊を含む騎士団の長い列は目的地である西部の水の都、ツリーベル街へと着実に歩みを進めている。

 列の先頭にはダッジ団長が配列されており、後方には他の団長クラスも数名配列されている。肝心のマリア王女を乗せた馬車は列の丁度真ん中あたり。

 エレン達の護衛隊は馬車の前の方に配列されているのだが、余程実力を買われたのかマリア王女の気まぐれかは分からないが、エレン達は馬車の最も近くである真後ろに配列されていた。

 その後も一行は順調に隊を進め、少し足場の悪い山道を抜けると、大きな川が流れる渓谷に出た。この渓谷を下って川を渡れば西部区に入る。

「今日はここまでだ! 全員野営の準備を始めろ!」

 ダッジ団長の指示により、今日の進行はここまでとなった。
 エレン達は普段通りに野営の準備を始めようとしたが、流石は一国の王女の護衛と言うべきか、マリア王女が寝るテントはやはり通常のテントは大いに違った。

 何十人という団員が慣れた手つきで凄まじく大きなテントを建て、中は100人程の人間が優に入れるスペース。テントの中には更にマリア王女専用のテントを建て、入り口や周囲にそれぞれ警備と見張りの団員を配置していた。

「うわ~、すごいテント。僕の家の何倍あるんだろう」

 圧倒的にスケールの違うマリア王女のテントを見て、エレンは難民街の自分の狭い家を思い出し比較していた。

「おーい、うちの隊で1人用の小さいテントが余った。誰か使いたい奴いるか?」

 全体の野営の準備も終わりに差し掛かっていた頃、徐にダッジ団長が護衛隊のメンバーにそう伝えた。手には1人用のテントの袋が。

「俺は別にいいや」
「俺もっすね。どうせそんなに寝ないし」
「私も必要ないですね」
「俺も」

 アッシュとエドを始め、護衛隊のメンバーは特に誰も必要としていない。

 この1人を除いては。

「はーい! はいはいはーい! 僕使いたいです!」

 ここぞとばかりに誰よりも大きな声で存在をアピールしたのはエレン。

「ダッジ団長! それ絶対僕に下さい!」
「あ、ああ……。まぁ他に誰もいないみたいだから構わんぞ。ほら」
「やったあああ!」

 困惑するダッジ団長を他所に、見事1人用のテントの勝ち取ったエレンは歓喜していた。

**

 ――バサ……。

 1人用のテントの中で、仰向けに寝転がったエレン。

(ふぅ。明日この渓谷を超えて西部区に入ったら“抜けよう”)

 所々汚れの付いたテントの屋根を見ながら、エレンはそんな事を思っていた。

 敵国のユナダス王国とは最も遠い位置。
 レイモンド国王がマリア王女をツリーベル街に移送するという事は、危険な戦争の中でもある程度の安全が確保出来るからだ。

 戦争から逃げたいエレンにとっても都合の良い場所。

(戦争が終わるまでこの地にいよう。極力人との接触も避けて、静かに生きていくんだ……)

 もう騎士団や王都にも戻らない。

 勿論アッシュとエドにもだ。

 ――ズキン。
 そう思った瞬間、エレンは僅かに胸が痛くなった。

 だが仕方がない。
 力の無い弱き者は、今日という日を生き抜くので精一杯なのだ。
 エレンもそんな1人。

「大丈夫……。きっと生きていける……」

 ガサガサッ。

「ッ!?」

 エレンが静かに新たな決意を固めていた次の瞬間、突如エレンのテント入り口から何者かが入って来た。

 気が付いたエレンはバッと体を起こしその人物を見ると、そこには意外過ぎる人物が。

「え……!? マリア王女!?」
「しー! 静かにしてよ」

 そう。
 突如エレンのテントに現れたのはまさかのマリア王女。
 彼女は人差し指を口に当て、静かにするようエレンに促している。

 テントの中を照らす唯一の小さなランプの灯りが、マリア王女の大きく可愛らしい瞳を照らしていた。

「ちょッ……何してるんですか!?」
「だから静かにしてって。バレちゃうでしょ」
(いや、王女がこんな所にいたら騒ぎになるって……!)

 慌てるエレンを特に気にする事もなく、マリア王女は持ち前のテンションで口を開いた。

「久しぶりね。ところでさ、この間の仕合の時からずっと気になっていたんだけど、貴方何故“目が光る”の?」

 以前アッシュにも言われた事があったが、エレンにはその自覚がなかった。

「あの……それは僕も自分ではよく分からなくて……」
「じゃああの投擲は? 練習したの? それとも魔法か何か?」

 マリア王女は余程エレンに興味を抱いているのか、今の彼女の瞳はある意味エレンよりも輝いていた。

「練習したと言えば少しはした事もありますけど、魔法ではないです。僕はマナも使えませんから」
「へぇ~、そうなのね。私はてっきりローゼン総帥みたいな魔導師かと思ったのに」
「いやいや。僕はあんな凄い事出来ませんよ」

 エレンの回答を聞いたマリア王女は一瞬落ち込んだ表情になったが、瞬時に切り替わってまた笑顔になった。

「私ね、魔法が好きなの! だからたまにローゼン総帥に色々教えてもらったりしてるのよ。とは言っても、私もマナなんて使えないからいつもローゼン総帥に見せてもらっているだけだけどね」
「そ、そうなんですか……」
「そう! って事だからさ、貴方は私と友達になって! エレン!」

 屈託のない可愛い笑顔で唐突に言ったマリア王女。
 
 その余りに予想外な行動と発言に驚かされたエレンは何も言えずに固まってしまった。

「あら? もしかして私と友達は嫌?」
「あ、嫌だなんてそんな……! というより、マリア王女が僕なんかと友達になりたいんですか……? どうしてまた……」
「どうしてって、エレンが素敵だから――」

 マリア王女は恥ずかしげもなくストレートにそう言った。

「あの仕合で、ローゼン総帥を相手に奮闘していた貴方はとても格好良かったわ。今のそのエメラルドグリーンの瞳もとても綺麗だけど、投擲をしている時の光る目はまた別の綺麗さだった。私は戦っている貴方を見て直ぐに思ったわ。エレンと友達になりたいって――」

 大きな瞳が真っ直ぐエレンを見つめる。

 同じ女同士の筈なのに、思わずエレンはドキッとしてしまった。

「だから友達になりましょうよ!」

 その純粋なマリア王女の姿を目の前に、エレンは気が付くと静かに頷いていた。

「本当に!? やったわ! “初めて”友達が出来た!」
「初めて……?」

 とても嬉しそうな笑顔を見せたマリア王女。

「ええ! エレンが私の初めての友達! 昔からローゼン総帥とは仲が良いけど、歳の近い友達は貴方が初めてなの。とても嬉しいわ! 戦争が終わったら一緒に買い物に行きましょうよ!」
「え!? 僕が一緒にですか!?」
「当然よ! 友達って買い物に行ったりご飯を食べに行ったりして一緒に遊ぶんでしょ?」
「え、ええ。まぁ……一般的にはそうだと思いますけど……」

 住む世界が違い過ぎる王女様の言動ははっきり言って予測不能。

 でも目の前のマリア王女の嬉しそうな表情だけはエレンも理解する事が出来たのだ。

 彼女はこのリューティス王国という大国の王女。
 エレンとは環境も身分も全く違えど、マリア王女も1人の人間。
 彼女は彼女なりに悩みや不安事を抱えているのかもしれない。

 エレンは喜ぶマリア王女を横目に、勝手にそんな風に思えているのだった。 


「マリア王女がいないぞー!!」


 次の瞬間、既に日が落ちて夜となっていた辺りに大きな声が響き渡った。

「やば。もうバレちゃった」

 全然悪びれた様子を見せず、悪戯に舌を出したマリア王女。

 そんな事をしている数秒の間にも、既にエレンとマリア王女がいるテントの外からは慌ただしい団員達の足音や大声が四方から聞こえていた。

「マリア王女はいたか!?」
「いえ! まだ見当たりません!」

 自分達の王国の王女がいなくなったのだから無理もない。一大事である。

「はあ~残念。今日の“脱獄旅”はここまでね」
(脱獄旅って……。もしかしていつもこんな事しているんじゃ……)
「私と友達になってくれてありがとうエレン! 私戻らないと。またね、おやすみ!」
「あ、おやすみ……なさい。気を付けて戻って下さいね」

 改めて不思議な状況に置かれているなと思いつつ、エレンはマリア王女に釣られてバイバイと手を振っていた。

「……あ、そうだ」

 テントを出かけた瞬間、マリア王女が振り返る。

「エレン。戦争が始まっても、貴方は絶対に死んではダメよ」
「――!」

 エレンを力強く見つめたその瞳は、今までの可愛らしいマリア王女とは全く違うとても真剣な瞳であった。

「いい? 約束して。もし危なかったら戦わなくてもいい! 隠れて、逃げて、どんな手を使ってでもとにかく自分の命を優先に守って。 貴方は私に出来た初めての友達なの。絶対に生きて帰って来て!」

 手をギュっと握って訴えかけるマリア王女の熱意を受け取ったエレンは、コクリと首を縦に動かしたのだった。

「約束よ」
「……分かりました」

 納得したマリア王女は最後に再び笑みを見せると、今度こそテントから去って行ってしまった。

彼女が出ていった数秒後、「私はここよ」というマリア王女の声が聞こえ、無数の団員の足音や声と共にどんどん音が遠ざかって行くのが分かった。

「ふう~、びっくりしたぁ」

 独り言を言いながらエレンはその場に寝転ぶ。

 ――エレンが素敵だから。

 ――友達になりましょうよ!

 ――絶対に生きて帰って来て! 約束よ。

 たった今話していたマリア王女との会話が頭を駆け巡る。

 数分前までは騎士団から抜け出す事を考えていたエレン。

 生き抜く為には戦争を避けなくてはいけない。
 戦争を避けるには騎士団を抜けなくてはいけない。

 だがもし騎士団を勝手に抜けたとなれば、エレンは当然罪人となって追われ身に。

 そうなれば王都に近付くどころか一生マリア王女とも会えないだろう。

「逃げてもいいから生きて……って。僕だって出来る事ならそうしたいよ……」

 色んな感情が複雑に絡み合ったエレンは結局その答えが出る事もなく、いつの間にか眠りについていた――。

**

 翌日。

 マリア王女が脱獄したという以外は特に何もなかったエレン達騎士団一行。

 その後は計画通りに険しい渓谷を超え、大きな川を渡る為に橋の架かる関所を目指して迂回して行った。

 一行が王都を出発してから早4日が過ぎ、橋を渡った一行は遂に西部区へと辿り着いた。残るは目の前の山岳地帯を超えれば目的のツリーベル街に到着する。

「やっとここまで来たのか」
「もう少しですね」
「長ぇ任務だな」

 比較的緩やかな山岳地帯を進む一行。
 このまま順調に進めば日が沈む前にはツリーベル街。

 と、多くの者が思っていたであろう次の瞬間。

 突如エレンは斜め後ろに振り返った――。

(何だろう……。今後ろの方からなんか“聞こえた”ような……)

 エレンが不意に感じ取った気配を、隣にいたアッシュとエドも感じ取っていた。2人は馬を止めて辺りを見渡し始める。

(え、嘘でしょ……)

 嘘ではない。
 
 エレン達が感じ取った音は遠くから徐々にこちらに近付き、同時に大地からも震えが伝わって来ていた。 

「全員走れぇぇぇッ!!」

 アッシュが珍しく大声を出す。
 そしてその数秒後には列の後方にいた団長達から「逃げろ!」という叫び声が響いてきた。

 騎士団一行の列は一斉に前方へと動き出す――。

『『ヴゴォォォォッ!』』

 直後、列の最後方から地響きを起こす程のけたたましい咆哮が響き渡ったのだった。

「魔物の群れだ!」
「“マウントゴブリン”だぞ!」

 一行の前に出現したのは魔物、マウントゴブリン。
 マウントゴブリンは通常のゴブリンよりも数倍凶暴で体もかなり大きい危険な魔物である。

 本来であれば厳しい極寒地帯や標高の高い山に生息する魔物であり、一行が通っている山岳地帯には絶対に存在しない。いや、仮にいたとなるならば、絶対に王女を移送するルートには選ばない。

「右翼隊と第5、第6護衛隊は武器を取れ! このままだと追いつかれる! マウントゴブリンを討伐するぞぉぉぉ!」

 後方に配列されていた団長が指揮を取り、幾つかの隊が戦闘態勢に入った。

(大丈夫、乗り越えられる……!)

 馬車を守るエレン達は変わらずひたすら前へと走り続けている。

 幸いこの山岳地帯はそこまで険しくない。
 当初の計画通りならばこの山岳地帯はもうすぐ抜けられる。


 ……筈であった。


『ヴガアアアッ!』
「「ッ!?」」

 刹那、前方の列の隊が真横から現れた1体のマウントゴブリンに襲撃された。

 ――ズガァァン!
「「うわあああ……ッ!」」

 爆発のような鈍い衝撃音と、響く団員達の断末魔。
 マウントゴブリンから振り下ろされた巨大な棍棒が数人の団員を虫のように潰した。

 マウントゴブリンの大きさはビッグオークよりも更に大きい。
 手にする棍棒は馬車をも一撃で破壊するだろう。

 “マウントゴブリンを相手にするには団長クラスが5人”。

 そう言われる程魔物の中では強いランクのモンスターだ。
 
 遥か後方では複数の隊でやっと1体を相手にしている。

 しかし。

 エレン達の前に現れたマウントゴブリンが1体ではなく、全部で3体いた――。

**

『ヴゴォォォォ!』

 1体でも苦戦を強いる相手。
 
 それが前方に3体――。

「総員武器を取れえええッ! 何が何でもマリア王女は守るんだッ!」
「「うおおおおお!!」」

 突如訪れた絶望的な状況。
 しかし、ダッジ団長の鼓舞によって皆の士気は高められていた。

「弓部隊! 撃てえええッ!」

 ――シュン、シュン、シュン。
 別の隊の団長の指示により、弓部隊から無数の弓がマウントゴブリンに向かって放たれた。

 ――シュババババババ。
 雨の如く降り注いだ弓は見事マウントゴブリンを捉え、3体共実に数十本以上の矢が頭や体に突き刺さっていた。

 だが。

『ヴヴァァァ!』
「「ぐああああッ!?」」

 屈強なフィジカルを持つマウントゴブリンの体には弓が効かなかった。刺さってはいるものの、まるでダメージになっていない。

「嘘でしょ……! あんなのどうやって倒せばいいんだ!?」

 その光景を見ていたエレンは呆然。
 助かる見込みどころか更なる恐怖を煽られてしまった。

「先ずは足を狙って動けなくさせろ! 最後に首や心臓の急所を狙うんだ! 奴らは硬いから同じ場所を攻撃してダメージを重ねろッ!」

 ダッジ団長の指示が飛び、団員達はそれに従って一斉に攻撃を開始した。

 振り回される棍棒の餌食になってしまう者達。
 棍棒を掻い潜って少しずつダメージを与える者達。

 瞬く間に戦場と化した一帯は何とも言えない緊張感に包まれた。

「怖すぎる、どうしよう……! アッシュ、僕はどうしたら……って、あれ? アッシュ!? エドさん!?」

 どうしようかと何気なくアッシュ達の方を向いたエレンであったが、既にそこにはアッシュもエドの姿もない。

 何時かの似た状況を思い出したエレンはまさかと思い前方を見る。

 すると。

 ――グチャグチャ、ガキィン!
『グガァァ……ッ!?』
「いくら強固な肉体と言えど、弱点がないものなど存在しませんよ」

 突如呻き声を上げながら、夥しい出血と共に地面に崩れ落ちた1体のマウントゴブリン。

 しかもマウントゴブリンの上には血の付いた剣を持つエドの姿があった。

「エドさん!? いつの間にそこに……」

 エレンがエドを見つけて驚いていると、それとほぼ同時。

『ギギァッ……!?』
「ちッ、汚ぇ血だな」

 バキバキッと骨と肉が断たれる音が響いた瞬間、2体目のマウントゴブリンが地に沈んだ。

「アッシュ!? (やっぱり2人共いつの間に……!)」
「「うおおおおお!!」」

 アッシュとエドがマウントゴブリンを一気に倒した事により団員達の士気はより一層高まりを見せ、アッシュとエドがいる位置よりも更に前方にいる団員達が残りの1体のマウントゴブリンを倒しに掛かった。

「残り1体だ! 全員続け!」
「確実に攻撃すれば倒せるぞ!」

 団員達の士気が勢いを増す中、エレンは馬車の後方で身動き一つ出来ずに立ち往生していた。

(僕には無理だ……)

 アッシュやエドや他の団員達のように勇敢には戦えない。
 
 勇気を出して戦いたいとも思えない。

 寧ろ今すぐにでもこの場から逃げ出したい。

 だが怖くて逃げ出す事も出来なかった。

「護衛隊! 今の内にマリア王女を連れて先に進め!」

 ダッジ団長の新たな指示が飛び、動けるアッシュとエド、そして馬車の近くにいた数人の団員と共にエレン達がマリア王女を連れて行く。

「マリア王女、俺の後ろに乗って下さい」
「わ、分かったわ。皆はどうなっているの? エレン、大丈夫!?」
「僕は大丈夫です。それよりも早くここを離れましょう」

 この先は予定のルートを少し外れる。
 大きな馬車は通れない為、アッシュは自分の後ろにマリア王女を乗せた。

「頼んだぞ! 絶対に守り切ってくれ!」

 ダッジ団長のその言葉を最後に、エレン達は勢いよく馬を走らせた。僅かに見えたであろう外の悲惨な光景が、マリア王女の表情を一瞬曇らせる。

 エレン、アッシュ、エド、そして場に居合わせた5人の団員達。
 マリア王女を含め9人となったエレン達は、山岳地帯を抜けるべく一気に進む。

 全力で馬を走らせている事もあり、そのスピードは今までよりも格段に速い。

 しかし。

 快調なスタートを切ったエレン達の足はまたしても止まる事となる。

「おいおい、まだいんのかよ――」
「ッ!?」

 エレン達の進む先にまたマウントゴブリンが。

「アッシュ、エレン君! ここは私が引き受けましょう。君達はマリア王女を連れて先に進みなさい!」

 エドの瞬時の判断によってエレン達は二手に分かれる。

 エレンとアッシュはマリア王女を連れて進み、エドは他の5人を連れて再びマウントゴブリンと対峙した。

**

「流石にもう出てこねぇか?」
「どうだろう。また急に飛び出してきそうで怖いな僕は」
「大丈夫よ! だってもうすぐ山岳地帯を抜けられる筈だわ」

 エドと別れ、あれからひたすら馬を走らせる事数分。

 ダッジ団長や他の騎士団や勿論、エドとマウントゴブリンの姿も既に見えなくなっていたエレン達。

 馬を走らせながら辺りをくまなく警戒していたが、どうやらもうマウントゴブリンの気配は感じられないようだ。

「王女の言う通り、この山岳地帯はもうすぐ抜けられる。一先ず抜けたら街の騎士団に応援を要請するぞ」
「分かった。まさかこんな事になるなんてな……。マウントゴブリンってこんな所にいるものなの?」
「いや。それはあり得ねぇ。それこそ何時かのレッドウルフぐらい生息している場所が違う。最近どうも魔物共も動きが可笑しいんだよ」
「え、そうなの? 可笑しいって何がッ……「待て! 止まれエレン!」

 突如声を荒げたアッシュ。

 思い切り手綱を引いた事により驚いた馬が大きな鳴き声を上げながら止まった。

「ど、どうしたのアッシュ!?」
「やっぱ“異常”だな……。おい、お前王女連れて先に行け」

 鋭い眼光で薄暗い木々の奥を睨みながらそう言ったアッシュ。
 すると次の瞬間、後もう少しで抜けられるという所でまた魔物が現れた。

 それも、マウントゴブリンよりも更に上位互換となる“アックスゴブリン”。

「先に行けって……アッシュはどうするつもり!?」
「決まってるだろ。アイツを止める。あれは厄介なアックスゴブリンだ。体は一回り小さいがパワーもスピードもマウントゴブリンより更に上。逃げても追いつかれる」
「そ、そんな……」
「いいから早く行けッ! 俺も足止めしたらすぐに後を追う。今はもうお前しか王女を守れねッ……「危ないッ!」

 刹那、アッシュの予想以上の速さで動き出していたアックスゴブリンが一瞬でエレン達との距離を詰めていた。しかも既に手に持っていた“大斧”を振り上げている。

「避けろッ!」
(あ、死ぬ――)

 瞬時に反応したアッシュが叫んだが、エレンは驚きの余り動けなくなった。完全に思考は停止し、自分が何をしているのかも分からなくなる。

『ヴオオオッ!』
「馬鹿……ッ!」

 アックスゴブリンが振り上げていた大斧を渾身の力で振り下ろす。

 脳裏に“死”が過ったエレンは反射的に目を瞑っていた。

 そして。

 無情にも、振り下ろされた大斧は直撃した。

 ――ガキィィン。