清らかで澄んだ流れに、そっと手を入れる。冷たくて気持ちがいい。流れもゆるやかだし、気温も十分。これなら大丈夫そうだ。
「村に着く前に、ついでに水浴びしときますか」
日本出身の身としては、そろそろ温かいお風呂が恋しくなってくるものの、まったく身体を洗わないわけにもいかない。川を見つけたら水浴びをしたり、身体を拭いたりしてしのいでいた。
到着してからお風呂を探してもいいんだけど、この大森林のさらに奥にある村となると、宿屋自体が存在しないおそれもある。それに、第一印象はさっぱりしておいた方がいい気がするしね。
もし温かいお風呂がなかったら、まずはお風呂の啓蒙活動から始めようかな。
念のため、スキルウインドウを眺めてツリーを再確認した。お腹がふくれるツリーには、川の入り方に関する指示はない。強いていえば、上半身はきちんと脱ぐように注意書きがしてあるくらいだ。
これなら、ついでに水浴びしても失敗にはならないよね。
さすがに全裸になってしまうと、いざというとき……もちろん、なるべくそんな瞬間はこないでほしいけど、身動きがとりづらい。下着のパンツを残して服を脱ぎ、荷物といっしょにまとめておいてから、ゆっくりと川に足を入れる。
透明度が高くて、底まで見渡せるくらい綺麗だ。急に足がつかなくなって溺れちゃう……なんてこともなさそうだ。簡単に頭と身体を濡らしてこすってから、穏やかな流れに身を任せてぷかりと仰向けに浮かび、ぼんやりとスキルウインドウを眺めた。
一人になってからというもの、俺はスキルウインドウばっかり眺めている気がする。日本にいた頃、特にみるものがないのにスマホを眺めてしまったあの時間に似ているかもしれない。
おなかが膨れるツリーのひとつ上、追いかけているメインのツリーには『栄誉を捨てれば、理想の暮らしが始まる』なるタイトルがついている。
これは今まで見たことのないタイプで、いつの間にか終わっていた『隣の男に飯をおごれば、世界が平和になる』のツリーに入っていたクエストである、勲章の投げ捨てから派生しているように見える。
『栄誉を捨てれば、理想の暮らしが始まる』にぶら下がっているのは、今のところ森林深くにある村……ラルオ村へたどり着くことだけだった。とりあえず行けばわかる、行ってみなければ何もわからないってことだね。
身体も綺麗になったし、考えの整理もできたし、冷えてしまう前に上がろうかと身を起こしたところで異変に気づく。身体が、やけに重い。
「うわあああ!」
原因はすぐにわかった。スライムだ。無色透明なスライムが、何体も俺の身体にまとわりついている。川の水も透明、スライムも透明で、しかも呑気にぷかぷか浮かんでスキルウインドウに集中していたから、気づくのが遅くなってしまった。
「痛い! ひい、うわ、血を吸われてる!?」
スライムからぬるりと伸びた触手らしきものが、ぶすりと俺の身体に浅く刺さり、そこからじんわりと血が吸われていくのが見えた。水浴びしてたらいつの間にか血を吸われて、干からびちゃいました、なんて冗談にもならない。おなかがふくれるどころか、しわしわ空っぽコースじゃないか。
まとわりついたスライムを、ちぎっては投げて引きはがしながら、大慌てで川から上がる。
血を吸われたことでだるくて重たくなった身体に鞭を打って、河原に置いてあった剣を抜き放つ。とにかく、スライムを全部剥がさないと。
俺が川からあがったことで逃げられると思ったのか、スライムたちの吸いつきが、水中にいたときより明らかに強くなっている。
「離れろ……って!」
メリメリと音を立てて、いくらかの流血とともに最後のスライムを引き剥がしたところで、ぜえはあと肩で息をする。勇者パーティーの一員なんて言ったって、俺には特別な戦う力はない。
異世界にきてから覚えたちょっとした剣と、戦いの役に立てるかどうか微妙な程度のいくつかの魔法。それから、王様に運任せと揶揄されたユニークスキル。それだけだ。
三年ちょっと駆け回っていたから、体力や筋力は比べものにならないくらいついているし、冷静に準備して身構えた状態なら、スライムだとか、街道の外れに出てくるような魔物や魔獣に負けはしないけど、水浴び中はひどいじゃないか。
「うは、冗談でしょ……?」
荷物と服を取ろうとした俺は、思わずへらりと口元をゆがませた。
川の中からわらわらと、獲物を逃してなるものかと言わんばかりの、大量のスライムが上がってきていた。
相変わらずの透明っぷりだけど、陸に上がればなんとなく形はわかる。なるほど、水そのものに擬態して待ってたってわけか。生命の神秘ってすごい。
なんて、感心している場合じゃない。集合体恐怖症の人が出くわしたら、卒倒しそうな眺めだ。透明でよく見えないのが、逆に救いかもしれない。
這い出してきたスライムたちは、すでに俺のシャツとパンツ、荷物にも群がっている。今すぐこの場を離れたい。離れたいけど、さすがに荷物一式を全部放り投げて、パンイチで旅の続きをやるのは辛すぎる。剣をどうにか握りしめていても、心の剣が折れちゃいそう。
「てえい!」
タイミングを見計らって服と荷物をぱっとひっつかむと、俺は一目散に逃げ出した。
当然、スライムは追ってくる。シャツとパンツにはすでに、びっしりとスライムがひっついていた。水中で俺の身体にひっついていた数体とは、比べるべくもないびっしり具合だ。それでも、残念ながらそれらを丁寧に剥がしている余裕なんてない。もちろん、スライムまみれの服を着る余裕も、勇気もない。
不本意ながらパンツ一丁で森を駆けぬけ、シャツとパンツをぶんぶん振り回す。ひっついたスライムは、まったく剥がれる気配がない。今のこの姿だけは、サイラスたちにも、他の誰にも、けっして見られたくない。
無事に逃げ切ってスライムたちを剥がしたら、そのままお墓まで持っていこう。
「きゃあああ!」
早くも見られた!?
突然の悲鳴に、どこを隠せばいいやら、くねっとした不思議ポーズで剣を構えてしまい、自主的に恥を上塗りした俺めがけて、一人の女の子が走ってくる。
「ごめんなさい、どいて!」
「そんな急に無理ですぐぼあっ!?」
見事なポージングをキメたまま硬直した俺は、見知らぬ女の子からショルダータックルのプレゼントをいただいた。半裸のままごろごろと数回転して、うつむきに止まった俺は、熱烈なキスの相手を務めてくれた冷たい大地に別れを告げて、顔をあげる。
「ごめん、大丈夫? 怪我してない!?」
「そっちこそ……ってどうして裸!? っていうか、そんなことよりあいつは!?」
どうやら無傷だったらしい女の子は、がばっと起き上がると、手にしたナイフを握りしめて身構えた。
そういえば、何かに追われているようだった。どんな相手で、どれくらい距離があったのか。何もわからないままごろごろと転がってしまったけど、確かにそれどころじゃない。
ぎゅっと拳に力を込めて、俺も女の子と同じ方に視線をやる。
どこから、何がくる?
鈴の音は聞こえなかった。新しい桶屋クエストが出ているわけでもないとなれば、今の俺にできることは限りなく少ない。
「あれ……もしかして、俺の?」
握りしめていたはずの剣も荷物も、ついでにスライムまみれのシャツとパンツも、手元からなくなっている。さっき女の子にぶつかったときに、ばらまいてしまったらしい。
それは仕方ないし、問題はそこじゃない。
問題は、俺の手を離れて飛んでいったシャツとパンツをかぶった何かが、怒りに満ちた様子でうごうごと這い寄ってきていることだ。
「気をつけて。牙と血に強い毒を持つ猪型の魔獣です!」
緊張感のある声で、女の子がこちらを振り向かずに叫ぶ。
シャツとパンツの隙間から、黄色い目玉がぎょろりと覗いた。完全にお怒りだ。
「わたしがなんとかするから、合図したら逃げて」
女の子が、俺がやってきた茂みの方を指さす。なんとかするって言ったって、どうするのだろう。
女の子が手にした小ぶりのナイフは肉厚で、対魔獣用にも役に立つのかもしれないけど、牙と血に毒を持つらしい相手に、リーチの短いナイフでは相性が悪すぎる。
ナイフで一撃を入れるためには牙の間合いに入らなければならないし、かいくぐって斬りつけたとしても、返り血で毒を浴びてしまう。
「そんな、放っておけないよ」
魔獣を警戒しながら、剣の位置を確かめる。魔獣の斜め前……正直、嬉しくない位置だ。でも、絶対に不可能ではなさそうだ。
「変なこと考えないで」
「いや、いける!」
かけ声をはずみに、俺は剣にとびついた。
あの魔獣より、もっと大きくて凶暴で、素早い相手と対峙したことだってある。山あいの村で新生活を送ることになるかもしれないなら、地元の魔獣さんくらい相手にできなくてどうする。
「あぶないっ!」
取った。握った剣の柄からひやりとした感触が伝わってくる。
とびついたままの体勢で、魔獣に意識を向ける。魔獣は完全にこちらを向いて、姿勢を低くしていた。剣の柄よりもっと、本能を刺激するひやりとした感触が背中をつたう。
――突進してくる!
ぐっと魔獣の前足に力が入る。俺はまだ、剣をどうにかつかんだところで、身体を起こそうとしている途中だ。
牙に毒があると女の子は言っていた。そこだけは注意して、いなすか受けるかして立て直す。それしかない。覚悟を決めて集中した。
ぐうっと、景色がゆっくりになるような感覚に襲われる。身体が鉛のように重い。
アドレナリンだかなんだか、脳内から大量の何かが放出されて、神経を研ぎ澄ませてくれているのだろうけど、それならちゃんと、身体もいい感じに動くようにしてほしい。意識だけゆっくりのまま、猪の突進を真正面からいただくなんて、何の罰ゲームだよ。
「……あれ?」
ゆっくりした視界の中で、いくら待っても突進はこなかった。
魔獣はぐっと前足に力を入れて、そのままゆっくりと、前のめりにどさりと倒れてしまった。
「もしもし? 魔獣さん?」
警戒しながらゆっくりと近づいて、剣でつついてみても反応がない。
もともとひん死で、決死の覚悟で女の子を追ってきていた?
いや、そんな風には見えなかった。それじゃあどうして?
首をひねっていると、魔獣の身体から、透明の液体がじわじわと染み出してきた。毒を警戒してとびのく。でも、それ以上のことは起こらない。
どうやら動かなくなってしまった魔獣から、視線を女の子に移す。目を合わせてくれた女の子も肩をすくめて、わからないといった表情だ。
「なんかわかんないけど、倒せた……のかな? ちょうど寿命だったとか?」
「こ、これは……うそでしょ!?」
錯乱した考察で目をくるくるさせる俺をスルーして、女の子が驚きの声をあげた。
「何かわかったの?」
「その反応……冗談よね? あなたが、狙ってやってくれたんじゃないの?」
「いいえ、違います」
即座に全否定だ。
できないことをできると言いはって、いいことがあった試しはない。誤解は早めに解いておくに限る。
なにしろ、俺がやったことといえば、女の子の邪魔をしてぶつかって足を止め、荷物を散らかして、剣を拾いにいったことでみずからピンチを演出したくらいだ。しかも、パンツ一丁で。
なんだかすごくつらくなってきた。あまりにシリアスな話の流れに、とりあえず服を着てもいいかなとも言い出しづらい。
しかも、それが許されたとしても、俺が着ようとしている服はさっきまで吸血スライムまみれで、今は毒持ちの魔獣がでろでろとなんらかの液体を垂れ流して倒れた上に、くったりとかぶさっている。
王城で着ていた礼服は、路銀の足しにして下着の替えとなけなしの食料に変えてしまったから、そこにあるのが一張羅だ。考え事があまりにも多すぎる。
元勇者パーティー所属とはいえ、こんなところで勇気を試されたくはなかった。
「結論からいえば、魔獣は死んでるから、とりあえずもう大丈夫。わたしはリタ。リタ・スフレナ。なりゆきなのかもしれないけど、助けてくれてありがとう」
深々と頭を下げたリタに、慌てて俺も頭を下げる。
「俺はノヴァ、ノヴァ・キキリシム。なんとかなってよかったけど、逃げてるところを邪魔しちゃってごめん」
顔をあげたリタは、真っ赤な髪をさらりとかきあげて、ふんわりと笑った。
「その様子だと、本当に狙ってやったわけじゃないみたいだね。信じられないけど……きみはすごいことをしてくれたんだよ」
ブラウンの大きな瞳が、じっと俺を見つめてくる。目力が強くて、つい目をそらしてしまう。俺の色素薄目のくすんだグレーがかった黒目じゃ、受け止めきれない。
「そうなの?」
「あの魔獣は牙と血に毒があるって言ったでしょ? 血の方の毒が、消えてなくなってるんだよね」
「死ぬと毒が消えるってこと?」
リタは首を横に振る。
「牙の毒は上手に解体すればなんとかなるけど、血の方はどうにもならなくて、困ってたんだ」
「それじゃあ、どういうわけか血の毒だけが……あ、もしかして」
「何か心当たり、あるの?」
なんとなくわかってきた。
魔獣には俺のシャツとパンツがかぶさっていて、シャツとパンツには吸血スライムがびっしりくっついていた。つまり、そういうことだ。
「実はさっきまで、あっちの川で水浴びをしてたんだけど」
「え! スライムだらけのあの川で? 大丈夫!?」
その大丈夫は、俺の身を案じてだよね?
俺の頭の中身に対してじゃないよね?
ざっくりした一言に不安を覚えつつ、ひとまずうなずいて続ける。
「まあ案の定、スライムに襲われちゃって。それでこんな格好で逃げてきたんだけど、魔獣にかぶさってる服に、スライムがいっぱいついたままだったんだ」
「スライムが毒の血を吸って、浄化してくれたってこと?」
「浄化してくれたっていうか……相討ちっていうか?」
魔獣から染み出したでろでろとした透明の液体は、スライムたちの成れの果てに違いない。まさかの相討ち、お互いを引き合わせた俺もびっくりだ。
「すごい! すごいすごいすごい! ノヴァ、めちゃくちゃお手柄だよ!」
「そ、そう? どうもありがとう?」
リタは大興奮してぴょんぴょん飛びはねると、「そうだ、みんなに知らせなくちゃ」と叫ぶやいなや、空に向かってぱあんと光の玉を打ち上げた。
ちょっとした明かりを確保するための、魔力の素養があれば誰でも使える初級魔法だ。
近くに他の魔獣がいたら、寄ってきちゃわない?
なんて言うのはきっと野暮なのだろうし、黙っておくことにする。
「もしよかったら、ノヴァもいっしょに村にきてほしいんだけど、どうかな? その魔獣を村に運んで、食べられるかどうか、いろいろ試してみなくちゃ。もし駄目でもいい素材になりそう!」
「お邪魔じゃなければ、案内してもらえるとうれしいな」
「何言ってるの! ほとんどノヴァが仕留めたようなものなんだから。むしろ、どんなお礼をしたらいいか、みんなに相談しなくちゃだよ!」
「いや、そんな大それたことは別に……それならじゃあ、お願いします」
うんうん、と大きくリタがうなずき、俺もへらりと笑う。
「決まりだね!」
「うん、行こう!」
二人してにこにこと笑いあい、村の人たちを待つ間に、どちらともなく散らばった荷物を片付け始める。
「こんなもんかな」
「そうだね。そしたらノヴァ、悪いんだけどとりあえず」
ひととおり片付いたところで、リタが申し訳なさそうにする。
「うん?」と首をかしげた俺に向かって、頑張って作りました、といわんばかりの笑みをはりつけて、リタは首をかしげてみせた。
「村のみんなが来る前にそろそろ……服、着てみてもいいんじゃないかな?」
「まさか、こんなことになろうとはな……勇者殿、本当にすまなかった」
目の前で頭を深々と下げ、謝罪の言葉を述べているのは、誰あろう、国王陛下だ。
真正面にいる僕はもちろん、隣に並ぶクレア、ディディ、バスクの三人も、驚きと心配をかきまぜたようなあいまいな表情で、所在なげにしている。
「陛下、どうかお顔を上げてください」
むう、と苦しそうな声をあげて、陛下が顔を上げる。
「勇者殿の言うとおりだった……真に国とわしの身を案じてくれた英雄の一人を、わしは罵倒して追放してしまったのだ。どうにかもう一度会って、正式に謝罪をしなくては」
ノヴァが王城を去ったあと、祝賀パーティーは大混乱に陥った。
陛下と入れ違いに賊が飛び込んできて、大広間で暴れたのだ。
僕たちは仮にも勇者の称号を賜った冒険者だ。たった一人の賊相手に遅れをとることはなかったけれど、タイミングが悪かった。
陛下が退席されたあとだったとはいえ、その場に残っていたのは戦う力を持たない人の方が多かった。
守りに徹する僕たちに対して、押し切れないと判断した賊は北側の窓から逃走を試み、直後に北門の近くで騎士たちに捕まった。
大混乱のあの日から数日が経った今日、ことの顛末を聞くために、僕たちは王城にはせ参じた訳だけれど、謁見の間に通されるや否や、陛下に頭を下げられてしまった。
「あの場には、不届きにも、わしの暗殺をたくらむ一派が紛れ込んでおったようでな」
「なんと」
「これからやってくるであろう平和の、希望の象徴である勇者殿へ勲章を授与したあの場でわしを暗殺すること、それが不届きものどもの目的だったのだ」
そういうことか。
世界は、皆の頑張りによって、平和に向けて少しずつ動き始めている。
平和になれば、安定した政治と暮らしが始まる。そうなれば、どうしたって権力は動きにくくなる。
僕も、中流とはいえ元は貴族の生まれだ。国の政治に関して、どんな手を使ってでも、発言権を強くしたい貴族がとても多いのは知っている。
特に過激な一派が、短絡的な思考と焦りにかられて陛下の暗殺を企んでいたとしても、ありえる話だ。
「賊にはすでに口を割らせ、不届きものの一派も捕らえておる。どうやら、ノヴァ殿のおかげできゃつらの計画が大幅に狂ったようなのだ」
もともと、過激派一派は陛下を孤立させる策を考えていた。策がなったあかつきには、ぼやに見せかけた煙を暗殺者への合図として、それを受けた暗殺者が、陛下が孤立しているはずのその場へ突入してことをなす。そんな手筈だった。
ところが、ノヴァが勲章を投げ捨てたり、陛下に酒樽をかぶせたりと騒いだせいで、策を弄する機会をなくしてしまった。
仕方なく過激派一派は、機を改めてあの日は穏便にやり過ごすつもりだったらしい。
実際のところ、陛下は大勢の護衛とともに退席し、あの場には僕たちが残っていた。
過激派一派にしてみれば、目的である陛下がおらず、もっとも退けておかなければいけない僕たちが残ったままの、最悪の状況だった。
それなのに、暗殺者が飛び込んできたのはどうしてか。
答えは簡単、ノヴァが骨付き肉を使って国旗を燃やしたあれが、合図代わりになってしまったからだ。
策が成功したと踏んだ暗殺者は、大広間をそっと覗き込んでほくそ笑んだはずだ。
遠目からは、あの場に残っていたのはごく少数の手勢と、陛下のみに見えただろうから。
まさかそこにいるのが、はちみつ酒漬けのマントの処分を命じられた大臣と、僕たちだとは夢にも思わなかったのだろう。
ついでに、一度は飛び込んだ暗殺者が逃走を図ったあとで、すぐに捕まったことに関しても、ノヴァが一役買っていた。
祝賀パーティーをやっていた大広間の北側、大窓から颯爽と飛び降り、壁を蹴って目にも止まらぬ速さで脱出を試みた暗殺者は、お粗末にも、ノヴァが投げ捨てた勲章の上に着地したことで、足首をぐきりとやって動けなくなってしまったのだ。
皆を守ることを優先して、すぐに追いかける判断ができなかった僕たちだけれど、賊の仲間が追撃をかけてこないようにと、威圧を発したのがよかったらしい。
僕たちのプレッシャーに気圧された暗殺者は、窓から飛び出しながらも、上ばかりに意識が持っていかれていた。
そのせいで、普段なら絶対にやらないようなミスをおかしてしまったというわけだ。
結果的に、逃げそびれた暗殺者は北門の近くで捕まり、それからはもう、城をあげての大騒動だった。
「なんでもしゃべってくれちゃう、素直な暗殺者さんでよかったよね」
くすくすと意地悪な笑みを浮かべるクレアを見て、僕は察した。
「クレア……君がこの数日間、用事があると言っていたのはそういうわけか。感心しないな」
クレアのいけない魔法によって、恍惚とした表情で、もろもろの悪事をそれはもうもろもろと証言する暗殺者の姿を思い浮かべる。人道的に、倫理的に、やってはいけないあれやこれやがふんだんに行使されたに違いない。
このことを僕に相談していれば、僕は必ず反対した。だからこそ、クレアだけが呼ばれたのだ。
「陛下、クレアの力を悪用されては困ります!」
「そ、そこまで人の道から外れたことはしておらぬ……よな?」
「ええ陛下、もちろんですわ」
おそらく現場にはいなかったであろう陛下が自信なさげに聞き、クレアがきらきらとした聖女の笑みでよどみなく答える。なんだか、頭痛がしてきた。
「はあ……どうか不届きものたちの処罰には、しかるべき手続きを踏まれますよう、切にお願い申し上げます」
このままでは、秘密裏に処刑したなどと言い出しかねない。
陛下は素晴らしい方ではあるけれど、ノヴァの一件といい、たまに考えが過激で困る。今回のことで、ノヴァのことは反省してくれているようだけれど……。
「まあ、何事もなくてよかったんじゃないかな」
「ああ、そうだな」
ディディがしみじみと言うものだから、僕もつい口元が緩む。
陛下の暗殺なんて大事件が起こっていたら、これからようやく国内のことに目を向けていけるというタイミングで、大混乱に陥るところだった。
もちろん、しばらくの間は、国をひっくり返しての過激派一派の裁判や後片付けがあるだろうけれど、陛下の暗殺に比べれば、ずいぶんマシだ。
自身の栄誉を投げ捨ててそれを止めてみせたうえ、何も言わずに去っていくなんて。ノヴァ、きみはかっこよすぎるじゃないか。
「勇者殿をお呼びしたのは、顛末を説明したかったこともあるが、ノヴァ殿のことだ。勇者殿であれば、ノヴァ殿の行方もご存じなのではないか? 正式に謝罪し、勲章の授与をやりなおしたいのだ。当然、王都追放の処遇も正式に取り消してある」
ノヴァの疑いが晴れた。こんなにうれしいことはない。
ただ、残念ながら僕にも、ノヴァがどこに行ったのかはわからなかった。
「ご英断です、陛下。しかし、申し訳ありません。ノヴァの行方は、僕もまだ掴めていないのです」
「落ち着いたら手紙くらいは出しなさいよって言ってあるから、もう少し待っていれば連絡してくれそうですけどね」
「むう……ただ待っているだけというのは、なんとも落ち着かんな」
クレアが進言しても、陛下は渋い表情のままだ。
「……待ちながら、探せばいい」
「そうだね! バスクっち、いいこと言う!」
バスクがぽつりと言い、ディディもそれに賛成してぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「そうしよう! 陛下、ノヴァ探索の許可をいただけますか? まだここを離れて数日、そう遠くまでは行っていないはずですし、僕たちも王都を何日も空けたりはしませんので」
「うむ、もちろん許可しよう」
そうと決まれば、さっそくノヴァを、僕たちの大切な仲間を探しに行こう。
「よし、行こうみんな!」
僕たちは、王城を訪れたときの複雑な気持ちとは正反対の、はればれとした誇らしい気持ちで、謁見の間を後にした。
リタの合図でやってきた数人の村人さんたちといっしょに、歩くこと数十分。
森林の奥深くの村……ラルオ村は、人口百人ちょっとの小さな集落だった。
立地から想像していたより、だいぶ広い。広いというか、森の開き方が上手だった。ひとつひとつは小さな畑でも、森と共存しながら、そこかしこが開いてある感じだ。
村のすべてを高い塀で囲うわけにはいかないので、家だけはある程度まとまって建てておいて、畑を散らしてあるのだそうだ。たくさんの小さな畑と、山の恵みとで細々と自給自足しているのだと、リタが説明してくれた。
村からはだいぶ離れたあの場所で、すぐに応援にかけつけてくれた村人さんたちも、リタといっしょに食材や素材を探しにきていて、それぞれ近くにいたらしい。
毒を持つ危ない魔獣だの、吸血スライムの群れだの、のどかな村の風景からは想像しにくい危険地帯で、護身用程度のナイフを片手に散らばって探索するのはいかがなものかと思ったけど、答えは単純だった。圧倒的に人手が不足しているからだ。
昼間ということもあって、簡易的な魔獣除けの柵を越えて入った村の中は閑散としていた。数人の子供たちが何かの手伝いをしていたり、あるいは休憩がてら遊んでいたりして、それを見守る大人はどちらかというとご年配の方が多い。
リタや応援にかけつけてくれた皆さんのように、若くて体力のある村人さんは、割り当てられた作業なり探索なりをやっているのだろう。
「のどかでいいところだね。でもあれだけなんかこう、雰囲気が違うような?」
「あはは、やっぱりそう思う?」
村の中心、広場になっているところに、金属製の像が立っている。
木造の家が並び、小さな畑が点々としている中、そこだけ石造りの台座があって、立派な女性というか、少女の像が立っているのだ。
「初代の村長さんの像なんだって。ずっと昔からあるみたいだよ。それこそ、わたしが生まれたときにはもうあったし」
ずいぶん古いものだというわりには、傷ひとつない台座と像はどこか現実味がない。
もしかして、俺と同じような転移者か転生者が、ここに村を作ったんだったりして?
しげしげと眺めて難しい顔をしていた俺の肩を、リタが苦笑いでとんとんとたたく。
「荷物、とりあえずあそこまで運んじゃおう? ごめんね、お礼をするとか言って、手伝ってもらっちゃってて」
リタが、像が立つ広場の先にある、ひときわ大きな二軒の建物を指さす。
猪魔獣は、数人の屈強な村人さんが運んでくれている。そのかわりに俺は、果物やら木の実やらが入った大きなかごを背負っていた。村人さんの一人が背負っていたものだ。
他にも、このうっそうとした森林の中でそれを一人で運んでいくには、どういうスキルがあればいけるんですかね、と心配になるような大きな荷車に、あれこれと食材や素材を詰めこんだ村人さんもいて、皆さんのたくましさをひしひしと感じる。
「そこに置いてもらえれば大丈夫だよ。ありがとう、あとは座ってゆっくりしててね」
「わかった、ありがとう」
建物の中は、王都にあった大衆食堂のような作りで、長さのあるテーブルがいくつか並び、テーブルの両側に簡易的な椅子がざっくりと配置されていた。
奥には厨房があり、厨房の脇には二階へ続く階段が見える。どこを見回しても造りはシンプルで、実用性重視な感じに好感が持てる。
「ここね、前は冒険者さんとか商人さん相手の食堂兼宿屋だったんだけど、今では村のみんなのごはんをまとめて作る、共用の炊事スペースみたいになってるんだ」
厨房には今も、数人の村人さんがせわしなく行き来して、何かしらの作業をしているようだった。運んできたかごや荷車の中身が、あっという間に片付けられ、仕分けられていくのをぼんやりと眺める。
漠然と、息の詰まる王都暮らしや身の危険を感じる冒険者暮らしより、のどかな村でほどよく暮らしたいなんて考えていたけど、そこには当然、暮らしていくためのいろいろな準備や作業が必要だ。
黙って待っているだけでご飯やベッドが出てくる暮らしがよければ、王都とまではいかなくても、もう少し開けた町に戻った方がいい。
俺はぐっと拳に力が入るのを感じた。この、地に足をつけて暮らしている感じを体験してみたい!
「いいね、テンションあがってきた! ね、何か手伝うことないかな?」
「ええ、ゆっくりしててよ。お客様なんだから」
「いやいや、皆があれこれ頑張ってるのに、じっとしてる方が居心地悪くてさ」
盛大にアピールした俺は、果物と木の実の仕分けを手伝うことになった。
村の皆さんと談笑しながら、収穫してきたものを片づけていく時間は、わくわくして充実した時間だった。
よかった、魔獣と命のやり取りをしたり、屈強な体幹をふるって荷車を操ったり、そういうスキルがないとここでは暮らしていけないのかと思ったけど、やりようはありそうだ。
ひととおり終わってほっとしたところで、主張するようにぎゅるぎゅるとお腹が鳴る。
「おなかすいたでしょ? もう少し待ってね、さっきの猪がそろそろできあがるから!」
リタは猪の方を手伝ってきたらしい。厨房の奥から、じゅうじゅうと肉の焼ける音と、スパイシーで香ばしい匂いが漂ってきた。確か持って帰ってきてそのまま、厨房に運ばれたはずだけど、スライムとのあれこれで血抜きも終わったような感じになっていたのかな。
香草といっしょに、シンプルに焼いているか、木の実やきのこといっしょに炒めているか、どちらにしてもすごくいい匂いだ。本当に毒が抜けているのかは不安が残るところではあるけど、それはあとで確かめるしかないかな。
日が落ちかけてきて、村全体としても食事の時間らしい。
村にいる人がほとんど全員集まっているのでは? というくらいの大人数が、やってきては次々と席についたり、できあがった料理を運ぶ手伝いを始めている。
「お前さんが例の、リタを助けてくれたっていう旅人さんか?」
促されて、リタといっしょに座った席にやってきたのは、ひときわ背が高く、筋骨隆々のナイスミドルのおじさんだ。腰に差した剣といい、たたずまいといい、ふつふつと強者の雰囲気を感じる。
「紹介するね。うちの村長やってるランド。こっちはノヴァだよ」
よろしくな、と差し出された手を握り返して、俺も簡単に名乗る。握力が非常にお強い。
「リタが世話になったな。まあとりあえず、食ってくれ。こいつはあんたの獲物のようなもんだ、遠慮はいらない」
皿に切り分けられて運ばれてきた猪のステーキに視線を向けると、ランドは満足そうな顔をした。猪ステーキは、俺がいるテーブルに座るメンバー、つまりは猪を仕留めて、運んできたメンバーを中心に配られているみたいだ。さすがに村中に切り分けて配るには、足りないもんね。
「ええと、すみません。念のためなんですけど、毒が全部きちんと抜けてるのかどうかって、どうやって確かめてる感じです? 野生の魔獣を、安易に調理して食べるのはおすすめできない気がしますけど」
出来上がった美味しそうな料理を前にして、ぶん投げる台詞じゃなかったかもしれない。しっかりと場の空気が凍りつくのを感じる。ごめんなさい。
スライムのおかげで、本当に毒抜きがされていたのかもしれないし、このあたりの村人さんは、多少の毒なら耐性があるのかもしれない。
でも俺は、そんなに強靭な胃袋をもっているわけじゃない。むしろ胃腸はデリケートな方で、王城二階のトイレの個室とはずいぶん仲良くさせてもらっていた。実はちょっとだけ毒が残っていて、手違いで死んじゃいました、では困る。
ここの厨房を見る限り、申し訳ないけど専門的な知識がある料理人がいるようにも見えない。ふらっとやってきた旅人さんの俺としては、場の空気がどれだけ冷えても、自分の身は自分で守るしかないのだ。だからお願い、皆さんそんな目で見ないで。食事の前に胃に穴が開いちゃう。
「はっはっは、用心深いな。それなら心配ないさ。うちにはリタがいるからな」
「どういうこと?」
「わたし、毒見のスキルを持ってるんだ」
なるほど。毒見は、所持人口としてもそんなに多くはない、便利なスキルだ。
有力な貴族だとかの中には、もしものことを警戒して、お抱えの毒見役を雇っているところが多い。
こういう森や山で暮らしていくにも、毒きのこを見分けたり、初めて見つけた食材が食べられるかどうかを判別できる。なんなら、俺もほしいくらいだ。
考えてみれば、最初に会った時点で、リタは血の毒が消えていることに大喜びしていたっけ。あれは、あの場でスキルを使っていたからってことか。
「毒見があるから、食材とか素材を探すときのまとめ役をやらせてもらってるんだ。牙の毒が混ざらないように解体はわたしも手伝ったし、このお肉に毒が入ってないことは保証するよ」
そう言って、リタは木製のナイフとフォークで猪ステーキを一口大に切ると、ひょいと口に運んだ。切り口からしたたる肉汁にごくりとつばを飲み込んで、俺もそれにならう。
「うわ、めちゃくちゃおいしいっ……!」
溢れる肉汁は野生の魔獣とは思えない上品さで、なめらかで旨味の凝縮された脂が口の中いっぱいに広がっていく。香草と塩でつけられたシンプルな味付けが、肉の旨味をより引き立てている。肉はサクサクとほどよい噛み応えで、するりと喉を通っていく。つけあわせの木の実をほおばれば、パンチの効いた酸味が、わずかに残った脂っぽさをさっぱりと洗い流してくれた。
「すごいね! 臭みも全然ないし、塩気も焼き加減も完璧!」
本当においしくて、身振り手振りをまじえて大絶賛する俺に、リタは満足そうに笑った。
「ふふふ、リタさん特製の香草焼き、お口にあったみたいでなによりだよ」
他の皆さんも、それぞれに口元をほころばせてステーキを食べている。
「ところで本当なのか? 煮ても焼いても食えなかったこいつの毒を、スライムで取っ払っちまったってのは」
「ええと、そういうつもりじゃなかったんですけど、結果的にそうなったというか」
「リタに聞いたとおり、本当に偶然ってわけか。とんでもない強運だな」
うちでも、あの手この手で毒抜きは試してみてたんだがな。ランドが、本当に信じられないという顔をして、リタや他の皆さんに視線を配った。いくつかの首肯と感嘆の声が返ってくる。
強運といえば確かにそうだけど、俺のはただの運じゃない。
つまりはこれが『川に入れば、おなかがふくれて居場所が見つかる』結果なのだろう。ちょっと危ない目にはあったけど、目的の村にたどりついて、おいしいごはんにもありつけた。今回もありがとう、桶屋クエスト。頼りにしてる。
「強運というかまあ、そうですね。運がよかったです」
ただし、それを説明はせずにへらりと笑ってやり過ごす。
俺のスキルは、説明してもわけがわからないというか、むしろ説明すればするほど通じなくなっていく場合が多い。それが原因で王都も追い出されているしね。早めに切り上げて、次の話題にしてしまおう。
「皆さん、いつもお一人ずつで食材の探索とかされてるんですか?」
投げかけた質問にリタは目をそらし、食材調達班の村人さんたちが苦笑いする。
「普段は必ず、二人か三人のチームを組んでるよ。今回もそうだったんだけど、ちょっと、レアものを見つけて……それを追いかけようとしたら、ね」
リタはレアものをみつけると目の色を変えちゃうから、といくらかの野次というか愚痴というか、心配の声があがる。
そういうタイプか……まとめ役のリタが、他の皆を放り出して、目の色を変えて走り出すところを想像する。きっと村人の皆さんは、日頃から苦労しているんだろうな。
勇者パーティーでいえば、聖女のクレアがそのタイプだった。何かを見つけて、「かわいい!」とスイッチが入ってしまえばもう手がつけられない。普段とはがらりと態度が変わり、他のことはほとんど二の次になってしまうのだ。
しかも大抵が、俺からすれば怖い部類に入る造形のものばかりなんだよ。
魔力をまとって追いかけてくる髑髏とか、首がふたつある蛇とか、よくいっしょに追いかけさせられたり、追いかけられたりしたっけ。
最終的に、いつも手を汚すのは俺だったよね。懐かしくて、せっかくおいしいお肉で満たされたおなかが、なんだかちくちくしてきた。忘れよう。
「じゃあこの猪、レアものだったってこと?」
いやいや、と村の皆さんがそろって首を振る。
「残念ながら、これはそこらへんにいくらでもいるやつさ。リタから聞いてるだろうが、牙にも血にも毒があるせいで、倒しにくいうえに食えもしなくてな。どうにも扱いに困ってたんだ」
ランドが身振り手振りを交えて、その面倒くささを解説してくれた。
「そ、わたしのナイフとは相性が悪すぎて、逃げるしかなかったんだよね。村からはどんどん離れちゃうしレアものは見失うし、どうしようって思ってたところで、ノヴァに会ったわけ」
「ついでにいうと、お前さんにひっついてきてたスライムどもも、厄介なやつらでな。毒はないがあの見つけにくさと群れっぷりだろ? 一部の川はほとんど占領されちまって、水汲みにも一苦労ってところさ。厄介なやつらをぶつけあって、食い物の確保までできるとなりゃ、お前さんにはどれだけ感謝してもしきれないよ」
「うんうん。やり方は工夫が必要かもしれないけど、これからはあの猪も食料として狩っていけそうだからね。だいぶ助かっちゃいそう」
そうだそうだ、本当にありがとうと全方位からお礼を言われて、なんだか恥ずかしくなってきた。
「偶然とはいえ、お役に立てたならよかったです」
せっかくいい雰囲気になってきたし、ついでに切り出してしまおう。
スキルを信じてここを拠点にするとなれば、何かしら食い扶持を稼ぐ手段が必要だ。
よそ者お断りの雰囲気は今のところ感じられないけど、ここに住んでみたいと切り出せばどうなるかはわからない。うん、そういう話は早いほうがいいよね。
「しばらく、このあたりにいられたらって思ってるんですけど、何か仕事とかありますか? 毒見はできないけど、食材の解体とかちょっとした料理、雑用全般ならいけるし、そんなに強い相手じゃなければ、魔獣の討伐とか狩りもお手伝いできると思います」
決心したにしてはマイルドな、とりあえずしばらく滞在したい程度の切り出し方になってしまった。ここに決めた、というほどには俺自身も覚悟ができていないので、お互いにお試し期間ということで考えてもらえないかな。
へらりと笑って村長のランドに視線をやると、ランドの目の光がぎらりと強くなっていた。
「いいのか? お前さんはうちのちょっとした英雄だ。通りすがりかと思ってたんだが、しばらくいてくれるとなりゃ、活気が出て助かるな」
鼻息を荒くするランドを見て、横からリタがにやりと笑って口を開いた。
「ノヴァ、逃げたくなったらわたしに相談してね。ランドは気に入るとしつこいし、無茶ぶりするから」
「おいおい、そりゃないだろ!」
いくつかの野次がとび、笑い声に包まれる。なんだか本当に、人が暖かいというか、いい雰囲気で嬉しくなった。
「無茶ぶりされたら相談するよ。それじゃあひとまず、しばらくの間よろしくお願いします!」
ラルオ村のあるジルゴ大森林は、もともと実り豊かな森だ。
厄介なのは毒猪とスライム、それから食べ物を横取りしてくる猿の魔物、成長すると人にも手を出してくることのある食虫植物くらいだと、ランドから説明を受ける。
村の中心部を囲う木の柵と、昼間でも焚かれている不思議な匂いのするかがり火は、主に猪除けに効果を発揮しているらしい。
今のところは、村の中に入ってくるようなことはほとんど防げているけど、それも完全ではないから注意するように、とのことだ。
まあそうだよね。王都くらいがっしりした塀があって、東西南北の門で兵士の皆さんが出入りをチェックしているようなところならともかく、小さな村で完全に魔物や魔獣の侵入を防ぐのは至難の業だ。
サイラスたちと旅をしていた頃に、柵も塀もなしで、隠ぺいと魔物よけの高度な魔術で侵入を防いでいる集落なんかもあるにはあったけど、あれはめちゃくちゃ特殊な例だもんね。
「お前さんには、基本的に食材や素材の調達を手伝ってもらうかな。せっかく外の世界を旅してきた経験があるんだ。ついでに運もあるとなりゃ、猪とスライムみたいな幸運を呼び込んでくれるかもしれないしな」
「あれはそう何度もあることじゃないと思うし、お手柔らかに……!」
猪魔獣の数は多いものの、森林を抜けてしばらくいった先にある大きな都市で、ギルドに討伐を頼むほどではないのが難しいところだ。
難しいというか、討伐を頼めれば助かりはするものの、費用対効果が悪すぎて、二の足を踏んでいる状態なんだって。
都市から冒険者なり都市付きの兵士なりを派遣して、森林に踏み込んで、討伐をやって……となると、出張費用とか滞在中のあれこれとか、通常と比べてかさむものが多すぎる。
それなら、ある程度戦える村人を中心に、本当に危ないときだけ対処して、あとは共存するのがちょうどいいのだそうだ。
魔獣と隣合わせの暮らしの中でも、これだけ快活に笑って過ごせる村の皆さんの気質は、俺からすれば感動すら覚えるほどで、話を聞いただけで元気をもらったような気持ちになっていた。
猪魔獣や他の食材を運んだときにしても、食事の前に作業を手伝ったときにしても、穏やかで物腰がやわらかく、自然体で接してくれる。とにかく気持ちのいい人たちだし、波長というか相性というか、村の雰囲気も俺に合っている気がする。
「できる限りのことは頑張るし、猪魔獣も、普段なら勝てる相手だと思うから、討伐も頑張るよ!」
「普段ならね。ふふ、出会ったときはほとんど裸だったもんね」
「そうそう、パンツ一丁じゃなければ勝てる相手……ってリタさん、それ早めに忘れてもらえる!?」
「ごめん、村のみんなにひととおり話しちゃった」
ぺろりと舌を出すリタに、村のみんながけらけらと笑う。
パンツ一丁で飛び出してきて、幸運を運んできたちょっとした英雄……なんだろう、これからのふるまい次第で、どっちにも傾いていきそう。気を引き締めていこうね。
「まあとりあえずは、こんなところだな。明日からはみっちり働いてもらうとして、今日はしっかり食ってくれ。猪は今出てる分で品切れだが、食うものはまだまだあるからな!」
仕切り直しといわんばかりに、ランドがにやりと笑って明るい声を出す。
力をつけて、明日からまたやってやろうぜ、と村人の皆さんも笑顔を見せた。俺もにっと歯をみせて、残りの猪にフォークを伸ばす。
「悪い、もうひとつあった。しばらく滞在するとなると、一応、ここの二階が宿がわりになってるんだが、どうする?」
「あ……そうだった、そのことについて、ご相談がありまして」
「おいおい、なんだよ改まって。とんでもない代金を請求したりはしないさ」
俺がしたいのは、まさしくその話だ。
とんでもない額でなくとも、残念ながら俺は、お金をまったく持っていない。とりあえず屋根のあるところに置いてもらえれば御の字。駄目なら、皆さんの迷惑にならない野宿スポットを教えてもらわないといけない。
ついでに、スライムに占領されていなくて、服を洗ったり水浴びしたりできる川も教えてもらえると助かる。熟練の冒険者らしくふるまうには残念な相談ばかりで、へらりとした笑みがこぼれてしまう。
「実はまったくお金をもってなくて、どこか野宿していい場所とか、スライムがいなくて身体を洗える川とか、教えてもらえないかなって」
ランドたちは、一瞬きょとんとしてから、盛大に笑い出した。
「はっはっは! お前さんの旅も訳アリってことか? いいさいいさ、そういうことなら代金はいらない。ここに旅人なり冒険者なりが来ること自体が久しぶりなんだ。上の部屋はいくらでも余ってる、好きな部屋を使ってもらって構わない」
「洗濯は井戸があるから、そこでできるよ。身体を洗うのも同じで、井戸から水を汲むか、スライムが少ない川も案内できるから」
ランドとリタが順番に教えてくれる。
「……スライムがまったくいない川っていうのはないんだ?」
「うん、残念ながら。川はスライム以外にも魔物や魔獣と鉢あうことが多いから、行くにしても水を汲んできて使う方が安全かも」
「それなら井戸を使わせてもらおうかな。吸血スライムは、しばらくいいや……昼間のあれ、夢に出てきそう」
「それじゃあ井戸にはあとで案内するね」
リタがくすくすと笑う。透明だからと警戒を解いて、飛び込んだ俺が悪いと言えば悪いけど、あれはなかなかきついものがあった。大人しく井戸から水を汲もう。それがいい。
井戸には、スライムはいないんだよね? 水汲みのつもりがスライムを汲んでたら、今度こそ泣いちゃいそう。
「追加追加で悪いが、金の話をもう少ししといていいか? 申し訳ないがうちも懐は厳しくてな。仕事をやってもらった分の報酬は、出せても現物支給……とってきた素材の一部を分けたり、飯を出せたり、それくらいだ。金を稼ぎたいなら、それこそよそへ行った方がいいと思うが、大丈夫か?」
「ああ、それは大丈夫です。部屋を使っていいっていうだけで、すごく助かります!」
ついでにお金も稼げたら、なんて少しだけ考えていたのは内緒にしておこう。
村で過ごす分には、さしあたってお金は必要なさそうだし、もし出ていくことになったら、そのときにまた考えればいい。日本から転移してきて苦節うん年。とりあえず野宿してお金はあとから考えればいいやなんて、俺も何気にたくましくなったね。
「それからもうひとつ……これで最後だからよ」
「なんでしょう?」
ランドが再び険しい顔をするので、俺も頭を転移前の世界から引き戻して、真面目な顔で答える。
「その、ですだのますだのって堅苦しいのはなしにしてくれ。今日だけふらっとやってきた旅人ならまあよかったが、しばらくいっしょにやっていこうって仲間になるなら面倒だ」
「わかったよ。ありがとう、ランド」
とりあえずの宿と居場所を見つけた俺は、村の皆さんとの食事をわいわい楽しんでから、適当な部屋に荷物を運び込んで、横になった。
宿屋として機能していた頃の名残というか、ちょうどサイズに合う服がいくつかあったので、それもお借りすることにした。着ていた服は明日洗ってみるにしても、もうぼろぼろだから助かっちゃったな。
ごろりとベッドに横になって、スキルウインドウを開いてみる。
おなかがふくれるツリーと、理想の暮らしツリーの中にある村を目指すクエストがクローズしているけど、新しいクエストは出ていない。
理想の暮らしが始まる方は、明日からここでどう過ごすかによって、続きが出そうな感じだね。
これまでの傾向からしても、目的となる物事に対して、考える時間や触れる時間が多いほど、スキルが発動しやすい気がするし。狙って発動させたりはできないからなんとも言えないところだけど、それこそできることをやってみるとしますか。
歓迎ついでの宴から数週間、俺はすっかり村に馴染んでいた。
村での暮らしは想像よりはるかに快適で、日々の食材や素材調達は大変ではあるけど、やりがいもある。勇者パーティーにいた頃より、俺自身で何とかしなくてはいけないことが増えたからなのか、桶屋スキルの発動頻度も上がって、なんだかいい訓練にもなっていた。
ついでに、水浴びメインだった村の暮らしに、お風呂文化を啓もうする活動も、かなり定着してきている。
なにしろ炎魔法があるからね。イメージは天然素材のドラム缶風呂みたいな感じで、二日に一度はあったかいお風呂に入れるような習慣が整いつつある。あったかいお風呂、最高。
「ノヴァ、おはよう。朝ごはんできてるよ」
「おはよう、ありがとう」
とりあえずの宿として借りた部屋から、いつものように一階の食堂に下りていくと、厨房からリタが声をかけてくれた。
お礼を言って、空いている席を探す。
食堂での朝ごはんは、厨房と各席を挟んだカウンターに大皿で料理が並べられて、セルフサービスで適当な量を取っていくスタイルだ。簡易的なビュッフェ形式ってやつだね。
取りすぎないように気をつけて、パンと干し肉、スープをよそって席に座り、手を合わせて食べ始める。
スープには大抵、きのこや木の実などが入っている。味付けはあっさりしているものがほとんどだけど、干し肉の塩気が強いのでちょうどいい。
今日のスープは、木の実がスパイスがわりになっていて、クセになる辛味のおかげでスプーンを動かす手が止まらない。パンにも木の実が練り込んであるようで、ぷちぷちとした食感が楽しい。
「ノヴァは美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があっていいね」
厨房での準備が一区切りついたのか、リタが向かいに座った。
「いやいや、美味しそうっていうか、本当に美味しいからだよ」
食事を作るのは、何人かで当番制だ。
各々の家で食べる人ももちろん多いけど、食材調達とか、村の外で作業している人たちの分は、朝昼兼用でまとめて作っておくのだ。片付けは、食べた人がそれぞれやってから出かけていくのが暗黙の了解になっている。
「あ、それ、いい感じにサイズ合ってるね。しばらく着る人いなかったし、もらっちゃっていいんじゃない?」
宿屋で緊急時に貸し出すためにストックしてあった服を、とりあえず着させてもらってからというもの、なんとなくその流れで何着かを着回しさせてもらう形になってしまった。下着だけは、先に買い込んでおいてよかったね。
「さすがに、そのままもらっちゃうのはちょっと……どれかの作業の報酬としてもらえないか、ランドに聞いてみるよ。そういえば、服とかはどこで買ってるの? 村にはそういうお店はなさそうだったよね」
「毒猪の討伐依頼を出すのも微妙で……っていう話、前にしたでしょ? 森を抜けてちょっと行ったところに少し大きな町があって、依頼するならギルドにってやつ。そこで買うか、布を買ってきて作ったりしてるよ。このあたりでとれる薬草とか、素材を売りにいくついでに何人かで行ってくるんだ」
正直、お金はぎりっぎりのやりくりなんだけどね。べっと舌を出してみせてから、リタは手元のパンをちぎった。
ぎりぎりと言いながら、あまり気にしていなさそうなのは、この環境のおかげなのかもしれない。食材も素材も自給自足できてしまうので、それこそ服とか日用品なんかを調達するくらいしか、お金を使うタイミングがないのだ。
俺もへらりと笑みを返して、お互いにしばらくの間、スプーンと手を動かす。
朝の光がうっすらと差し込む食堂で、それぞれのペースで、協力しあうところは協力しながら楽しむ朝ごはんは、すごく楽しい。
ゆくゆくは自分の家を持てたら最高だけど、この形もできれば続けていきたいな。
勇者パーティーにいた頃、はじめのうちはよく野宿をしていたし、その頃を思い出す。誰とはなしにその日の担当を決めて、わいわいしながら過ごしたっけ。
サイラスの名前が有名になってきてからは、宿に泊まることが増えたけど、あの時間は、俺が理想の暮らしを思い描くきっかけになったと思う。
「今日も美味しかった、ごちそうさま!」
「それじゃあさっそくだけど、今日はわたしといっしょだからよろしくね」
「よろしく! 今日も南の森?」
「今日は少し東まで回ってみようかなって思ってるんだ。今年は東と南で色々とってきていいことになってるんだけど、ちょっと、南に偏ってる気がするからね」
村では、年単位で収穫や狩りをしていい範囲を決めているらしい。資源が枯れないようにするための、生活の知恵ということだね。
「そうなんだ……東の方では何がとれるの?」
「南と同じで色々だけど、運がよければ美味しい魚もとれるかな。ちょっと大きな滝があってね、そこならスライムも少ないはずだから、気を付ければ水浴びしても大丈夫だと思う」
どうしても、スライムが絶対いないとは言ってくれないのね。半笑いで「そっか」と返して、すっかり空になった皿を、木製のトレーにのせて立ち上がった。
食器を洗って片づけたあと、いったん二階に戻って剣やら回復薬やらを準備して、食堂の外に出る。リタも同じタイミングで準備を整えたようで、ちょうど戻ってきたところだった。
「あれ、今日は荷車も持っていくの?」
「今度詳しく話すけど、もう少ししたら、ちょっと大きなお祭りがあってね。そのための備蓄もそろそろ始めておきたいんだ。今日はこれをいっぱいにするまで帰れないよ!」
「お祭りか、楽しそうだね! わかった、頑張るよ」
改めて荷車を見ると、小ぶりとはいえそれなりの大きさがある。形は日本にもあったリヤカーみたいな感じだ。素材はやっぱり木製だけど、ところどころによくわからないパーツが使われている。
おそらくこれは、魔物を加工しているやつだね。魔物素材は土地によって様々で、異世界生活に慣れてきたつもりの俺でも、よくわからないものがまだまだあって面白い。
ぐっと荷車を引くための持ち手をつかんで、ひっぱってみた。見た目よりは軽そうで少しほっとしたけど、これに食材やら素材やらをわんさか乗せて戻ってくるのは、なかなかの力仕事になりそうだ。
「今日もノヴァの超ラッキーに期待していい? っていうか、今日こそ負けないからね。ノヴァのレアもの発見率は、おかしいしずるいんだから」
「お手柔らかにお願いします」
半分以上、本気の視線を投げてよこすリタにたじたじになりながら、俺は荷車を引く手に力をこめた。
「どうして! こんなの……こんなの、おかしいよ!」
静かな森に、リタの悲鳴にも似た叫び声が響く。
俺はあやうく手にした果物を取り落としそうになって、慌ててリタに駆け寄る。
「どうしていつもノヴァばっかり、レアものの食材をそんなに簡単に見つけてこられるわけ!? こっちは毒見と経験を駆使して、すっごくがんばってこれだけなのに!」
「なんだ、そういう……いやあ、やっぱり俺って運がいいみたいで」
「なんだじゃないよ、運がいいにもほどがあるでしょ! しかも、大して苦労してなさそうなのがずるい! ちょうちょを追いかけてふらっとどこかに行っちゃったかと思ったら、レアなきのこを抱えて帰ってくるし、いきなり逆立ち始めたと思ったら、すべって転んでぐるぐるってして、いつの間にか滅多にないレア果物がちょうどすっぽり服の中に入ってたり……なんかこう、不自然じゃない!?」
この数週間はスキルの調子がすこぶるいいと思っていたけど、特に今日は、どうやら少しやりすぎたみたいだ。
荷車を引いて森に入ってからというもの、桶屋クエストがひっきりなしにチリンチリンと鳴るものだから、調子に乗って順番にこなしていたら、リタにものすごく不審がられてしまった。
説明しても信じるか信じないかはあなた次第な感じだけど、正直に話してしまおうか。
「実は俺、そういうスキルを持ってるんだよ。関係ないようなことから、望んだ結果につながるっていうか。絶対じゃないんだけど、クエストみたいな感じで、上手くいく確率を上げたりできる場合もあるんだ」
「クエストがスキルになるって、よくわからないけど、それこそ猪討伐の依頼みたいな感じ?」
「うん、それに近いかも。報酬は、そのとき望んだことに対して、ざっくり何か返ってくるといいな、くらいしか選べないけどね」
俺の話を整理しようとしてくれているのか、リタは首をかしげて考えこんでしまった。
「今まで、よくわかんない感じでレアものを見つけてたのも、スキルのおかげ?」
「ほとんどはそうだね」
「ふうん……じゃあさ、今日はものすごくレアな何かを見つけてみてよ!」
要はすごく運がよくなるかもしれないスキルってことだね、という感じのいつもの反応を予想していた俺に、リタは斜め上のことを言い出した。
「レアな何かって、例えば? ざっくりしすぎてて、スキル自体が発動できなさそうなんだけど!?」
「食材、素材、魔物、なんでもいいよ。とにかく、わたしも村の皆も、ノヴァ自身もびっくりしちゃうようなすごいのを見つけて! そしたら、なんとなくノヴァのスキルが理解できそう!」
いやいや、リタさん、完全に楽しんでますよね。
リタがレアもの大好き、レアのためなら独断専行も辞さない構えであることは、初日の時点で聞いている。ある意味、そのおかげでリタや村の皆さんに出会えたとも言えるけど、それとこれとは話が別だ。というか、レアな魔物なんて引き当てたら、扱いに困っちゃうよ。
「とりあえずやってみるけど、あんまり期待しないでね」
「駄目、期待させて!」
「お、おお……」
びしっと人差し指を立てて、俺が張った予防線をリタが即座に突き崩す。
「自分で期待してないのに、レアものが見つかるわけないでしょ? だから、思いっきり期待して、なんなら俺自身を驚かせてみろ、くらいの気持ちでやってみて!」
満面の笑みで、ぐっと顔を近づけられる。
「そっか、そうだよね!」
自分がちゃんと期待していなかったら、俺自身の内側から発動しているはずのスキルに、本当に望むものが伝わるわけがない。
小難しい言い訳をするなんて、自分のスキルに失礼だ。リタの言うとおり、俺自身を驚かせてみろ、くらいの気持ちでやってみよう。
「何かものすごーくレアなやつが、やまほど見つかりますように!」
別に叫ばなくてもいいんだけど、なんとなくリタと気合いを共有したくて、俺は大声で叫んだ。そして、満面の笑みを浮かべたままのリタに向き直って、にっと笑ってみせる。
――チリンチリン!
スキルに正面から向き合ったおかげなのか、それとも今日は大盤振る舞いの日なのか、桶屋クエストの鈴が鳴った。
あれ、でも今、二回続けて鳴らなかった?
まあいいか、とりあえず確認してみよう。
「いやあ、どうなんだろこれ」
表示されたツリーのお題目は、『雨が降れば、ものすごーくレアなものが見つかる』だった。ツリーにぶら下がったクエストを眺めて、俺はついさっきまでの満面の笑みを、半笑いの苦笑いにとりかえた。
「ちょっと色々ありそうなんだけど、とりあえず俺を信じて言うとおりにするって約束してくれる?」
「え、こわい。そんなに大変そうなの?」
「大変は大変なのかな……まあうん」
「いいよ、ノヴァを信じる! あの猪のこともあるし、期待して信じてみなくちゃって、言い出したのはわたしだもんね」
よし、言質はとった。もしリタがついてこれなくなっても、俺だけでもできるだけやりぬいてみよう。
「じゃあこれ、受けるね。準備はいい?」
「うん。っていってもどんな準備をしておけばいいの?」
「とりあえず、ずぶぬれで走る準備かな。今回のは『雨が降れば』から始まるから、受けたあとある程度で、雨が降り出すはずなんだよね」
リタに薄笑いを投げてから、俺は『雨が降れば、ものすごーくレアなものが見つかる』をスキルウインドウ上でタップした。
「え、なにこれ!」
その瞬間、ごうごうと強い風が吹いてきて、あっという間に雨雲が俺たちの頭上に運ばれてきた。待ってましたと言わんばかりに降り出した雨は、雨が降れば、などというお優しいものではない。ざんざん降りのスコールが強風に煽られて、横殴りにばしばしと頬を打ってくる。
「あはははは、予想よりすごい雨になっちゃった」
「天気を変えちゃうとか、そんなのあり!? っていうか待って、荷物!」
リタが大慌てで駆け出す先で、雨と風でずるりと滑ったらしく、ちょうどいい坂道に乗り込んだ荷車が、加速を始めたところだった。
レアなものが見つかるどころじゃない。これまで小さなクエストやリタの努力で集めてきた食材や素材が、まとめて滑っていってしまう。
「追いかけなきゃ!」
車輪の下にレールでもついているかのように、まったく止まる気配を見せずに、猛スピードで森の中を滑走していく荷車を追いかけて、俺たちは走った。
「なんで止まらないの!? あんな都合よく転がっていくわけないのに!」
ここは、舗装も何もされていない深い森の中だ。食材調達の関係や獣道だとかで、多少ならされている場所はあるにせよ、荷車が自走を続けるには無理がある。
それなのに、荷車は止まらないどころか、ときに風に煽られてジャンプし、ときに雨で濡れた道で滑って進路を変え、ジェットコースターさながら、俺たちを翻弄するように走り続ける。
あの様子だと、きりもみ回転してひっくり返っても、無傷で着地したりするんじゃないかな。このアトラクションは、森の中を猛スピードで滑走し、ぐるりと一回転いたします、お乗りの際はご注意くださいってね。
「リタ、滝がある!」
「荷物が川に落ちちゃう!」
「それは大丈夫だと思うから、ストップ!」
「えええ!? なんで!」
「見て、飛ぶよ!」
ぽーん。俺が言ったとおり、荷車は木の根をジャンプ台のようにして、狭くはない川を飛び越えて、森の向こうに消えていく。
「ノヴァ……どうしよう、荷物が」
顔をひくつかせて、ぼうぜんとするリタの肩に、俺はそっと手をおく。
「そうだね。今はひとまず、滝をくぐろう」
「はああ!? 何言ってるの!? どういうこと!?」
わかるよ。よくわかる。訳が分からないよね。実は俺もわからないんだ。
でもね、これがこのツリーの、次の桶屋クエストなんだよ。
「スキルのお導きのままにってね。これをしないと荷車も、その先のレアものも、何も手に入らないって言ったらどうする?」
「うそでしょ?」
「今回は、俺を信じてついてきてくれるって、言ってくれたよね?」
「言ったけど……ねえ?」
「さあ、行こうか。楽しい滝行のお時間だよ」
俺たちは、横殴りの雨風の中、勢いを増してごうごうと落ちてくる滝にむかって、光の消えたまなざしでふらふらと近づいていった。
息が苦しい。どれだけもがいても、ここから抜け出せないような感覚に陥る。
それでも、腕を動かし、足を動かし、少しずつ、全身を前へ送り出していく。
「抜け……たあっ!」
ずぶぬれのびっしゃびしゃで滝を抜けると、ひいひい言いながらどうにか向こう岸に渡り、ごろりと仰向けになって肩で息をする。
俺のすぐ隣に、同じ様子でぜえはあと息をしたリタも転がった。
「雨、やんでるね」
まだまだ風は強いけど、まるで俺たちが滝を渡りきるのを待っていたかのように雨がやみ、雲の間から明るい光が差し込み始めていた。
「それで? 次はどうすればいいの?」
「とりあえず、息を整えたら荷車を探そう。多分だけど、すぐ見つかるはずだから」
「わけわかんないけど、わかった。荷車を無事に見つけたら、帰ってあったかいお風呂に入りたい!」
ばっと起き上がって、リタが両腕を真上にあげて叫ぶ。
わかるよ、すごくわかる。そう言おうとした俺の口からこぼれ落ちたのは、「あ」というとっさの一言だけだった。
「どうしたの? って、ええっ!?」
パーにして真上に広げたリタの両腕に、滝から飛び出した一匹の大魚がすっぽりと収まった。
「さ、魚!? なんで!? っていうかこれ……超レアものじゃない!」
降ってきた魚をぎゅっと抱きしめてほおずりをするリタの姿は、とってもシュールだ。まあ、本人がいいならいいのかな。
「そんなにレアなの? でもそれ、大丈夫? うろことかひれで、ほっぺた削れない?」
「レアもレア、超レアだよ! あのゴールデンルビーフィッシュだよ! 食べられる宝石! 滋養強壮の鬼! 美と健康の化身! 重さイコール金貨の!」
知らないことが申し訳なくなるくらい、リタは熱弁をふるって大魚を抱きしめている。
「この子が手に入るなら、荷車と今日集めた素材全部が戻ってこなくても、おつりがきちゃう。ありがとうノヴァ!」
お祭りのために、多めに食材を確保しておかないといけないんじゃなかったっけ?
思わぬレアものを前に、目的を見失いつつあるリタになんと言ってあげるのが正解だろうか。
ひとまず落ち着くまで見守っていると、改めて大魚を抱きしめようとリタが力を込めたことで、つるりとその腕から飛び出した大魚が、空を泳いだ。
「ああっ! 待って、ルビーちゃん!」
リタが大魚を追って走り出し、俺もそれに続く。
驚異的な脚力で大魚に追いついたリタが、捕まえようと必死に手を伸ばす。
何度も触れているのに、なかなか捕まえられない。大魚が、お手玉のように空中で跳ね回る。
「あなたまで、わたしの前からいなくなったら、許さないんだからね!」
聞きようによってはちょっと怖い台詞を、見ようによってはちょっと怖いぎらぎらした目つきで発しながら、リタが何度目かのジャンプをキメた、そのときだった。
「えええ! なんでよおおおおお!」
木から跳んできた一匹の猿が、リタの目の前で大魚を片手でかっさらい、隣の木に飛び移ったのだ。
「ちょっとあんた、返しなさい!」
憤慨するリタをあざ笑うように、猿が横取りした獲物を両手で持ち上げ、笑うようにきいきいと鳴いた。こうなれば、当然リタは大激怒だ。
「そう、わかった……今晩のおかずになりたいってわけ」
村には、猿を食べる習慣はない。つまりこれは、リタなりの威嚇だ。かなり本気で怖いし殺気も出ているけど、そのはずなのだ。
びくりとした猿が手元を誤り、大魚が再び宙を舞う。
「渡さない!」
「落ち着いて、リタ!」
「ききぃっ!」
リタ、猿、俺のみつどもえで大魚を追う。
三人の手の上を順番にお手玉したり、風に煽られて進路を変えたりしながら、大魚が大空を舞い踊るように泳いでいく。
雨がやんだ空には虹がかかり、水滴がきらきらと陽光を反射して、幻想的な光景だ。俺たちの視線は大魚に釘付けで、せっかくの景色を楽しむ余裕はほとんどないけどね。
途中から、前に見かけたものより一回り大きな猛禽が大魚キャッチに参戦し、魚を狙っているのか俺たちや猿を狙っているのかわからない、巨大な植物までもがつるで参戦して、森は一気にさわがしくなった。
「あんたは絶対に、わたしが持って帰るんだからっ!」
「これだけ言われたら食べてみたい! 絶対に持って帰ろう、リタ!」
「きききっ!」「ぎゃあぎゃあ!」「しゅるるるる!」
俺とリタ、猿、鳥、植物の鳴き声がこだまし、風が吹き荒れ、魚が空を舞い踊り、どんどんと森の奥深くへと突き進んでいく。
「リタ、ストップ! 今すぐ止まって!」
そんな中、俺は急停止して、それをリタにも告げた。次の桶屋クエストが表示されていたからだ。
「なんで……ああ、ゴールデン……ルビー……行っちゃった……ううう」
「泣いてる場合じゃないよ」
「でも、もう少しであの子をキャッチできたのに。ひどいよ、ノヴァ」
「さかなぴょこぴょこみぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ! さん、はい!」
「え? は?」
「三回唱えたら動いていいよ! さん、はい!」
「なにそれ、え? なんで?」
わかる、すごくわかるよ。俺が聞きたい。どうしてここまでレアものを追いかけさせておいて、急停止して早口言葉を叫ぶのか。
「俺を信じて!」
俺は、俺自身にも言い聞かせる気持ちで、曇りのないまなざしでリタを見つめた。そう、ここで俺が半信半疑の顔や態度をしようものなら、きっとスキルの効果は薄れてしまう。
これを考えている時点で半分アウトかもしれないけど、最後までやってやるという気概は見せておかなくては。
「わかった、わかったよ! やってやろうじゃないの! さかなぴょこぴょこにぴょこ……みぴょこぴょこ? あわせてぴょこぴょきょむ……ぴょことこ! さかなぴょこぴょこ……!」
やけくそ気味に、かみ気味に、リタが早口言葉を叫ぶ。
それを表向き満足そうに眺めてうなずくと、俺も同じように残り二回にチャレンジする。
「むぴょこ! ぴょこっ! よし、もういいよね!? ひえっ!?」
ぐすぐすと泣きべそをかきながら、リタが走りだそうとしたその鼻先を、どこかに消えていた荷車が猛スピードで横切っていった。
タイミングを間違えていたら、完全に轢かれているところだ。
目をぱちくりさせて、事態を呑み込めずにいるリタをしり目に、荷車は正面の大木へとまっすぐに突っ込んでいく。
「ああ、壊れちゃう……」
ぽつりとつぶやいたリタの目から、すうと一筋、新たな涙がこぼれて頬をつたう。
大木に真正面から衝突していく荷車を、俺もただ眺めるしかない。
きらきらと日差しが照らす大木は、神秘的ですらある。そこへ、ひと際きらきらと輝く何かが、空を滑るように落ちてくる。
「さか……な?」
俺たちがさんざんに追いかけ、森の奥へ消えていったゴールデンルビーフィッシュが、どこをどう泳いできたのか、荷車と大木の間にするりと滑り込んだのだ。
ぬる、しゅるん、すとん。
大魚がその肉厚な身体と絶妙なぬめりけをもって緩衝材となったらしく、荷車が無傷で止まる。大木と荷車に挟まれ、またしても浮力を得た大魚は、舞い上がった空でくるりと身をよじらせると、荷車の中にダイブしておとなしくなった。
おそるおそる近づいた俺たちが見たのは、強風の中を走り回ったおかげで、森中のレア食材と素材がたっぷり詰め込まれ、仕上げに超レアものの大魚がそっとそえられた荷車だった。恐ろしいことに、傷ひとつない。
「あ、はは……まあざっとこんな感じ?」
荷車をのぞき込んで、顔を見合わせて、俺たちはひとしきり笑った。
ありえないことの連続だったけど、最終的に想定以上の結果を手に入れられた。
「リタのおかげだよ、ありがとう」
「全然。わたし、振り回されっぱなしだったよ」
「最初にさ、言ってくれたでしょ? ちゃんと期待してって。そのおかげのような気がするんだよね」
もしかしたら、勇者パーティー時代も、これに近いことを無意識にやっていたのかもしれない。でもそれを、俺自身がきちんと意識したのは今回が初めてだ。
スキルの持ち主のくせに、スキルを信じ切れていなかったことが恥ずかしい。そして、それに気づかせてくれたリタは、振り回されながらも本当に最後まで信じてくれて、今も隣で笑ってくれている。この子には、感謝してもしきれないな。
「これなら、村のみんなもびっくりするね。ちょっと休んだら帰ろうか」
うなずいてから、俺はあれ、と気がつく。
大木の根本、うろになっているところに何かある。それが陽光に反射したらしい。
「あれ、なんだろう?」
「卵、かな?」
隠されているようにも、無造作に置かれたようにも見える卵がひとつ、そっと顔を出していた。
俺が両手で抱えるほどの大きさだ。魚を狙ってきた猛禽だとかのものとは思えない。もっと大きな、何かがこの近くにいるのかもしれない。
「どうする? 卵があるなら親がいそうだし、ここからは早めに離れた方がよさそうだけど」
「とりあえず持っていこうか?」
「リタさん!?」
「ここがノヴァのスキルのゴールなんでしょ? ってことは、ここにあるものは全部、ものすごーくレアな、わたしたちのものってことだよね?」
「念のためだけど、これが何の卵かリタは知ってるの?」
「知らない。けど、この森にあるのにわたしが知らないってことは、きっとすごい何かなんだよ」
リタはにっこり笑うと、うんしょ、と卵を抱えて荷車の上にそっと置いた。これは、何を言っても聞いてくれなさそうだね。
レアものを目の前にすると止まらなくてね。村人さんの困った笑顔がとても印象的に、俺の脳裏に蘇ってきていた。
山盛りの食材や素材のうえに、堂々とした佇まいのレア大魚と謎の大きな卵を乗せた荷車を、倒さないように注意しながら引いていく。ゆっくりペースで森の外に運び出した頃には、もうすっかり日が高くなっていた。
スライムが少ないという川の近くで荷車をおろして、てきぱきと焚き火を準備する。
ずぶ濡れだった服や身体を、生乾きではなくきちんと乾かしつつ、腹ごしらえをしておくためだ。
勇者パーティーの雑用として経験を積んだ俺はもちろん、リタも手際がいい。さすが、村の食材管理をきりもりしているだけのことはある。
ついでに、火をつけるところは魔法の力を借りるので、そこまで難易度も高くない。異世界キャンプは、転移前の世界よりだいぶ楽なのだ。
あの大雨だったので、薪になる枝がしけっているのではと心配もしたけど、どうやら俺たちがいた辺り限定の、超局地的なスコールだったらしくて、火がつきそうな薪は簡単に手に入った。
ちょうどいい感じの小枝をつまみあげて、空模様と見比べてはけげんな顔になっているリタに、声をかけるべきか迷ったけど、やめておいたのは正解だったと思う。やっぱりおかしいよ、不自然だよと長めのお説教が始まりそうな気配だったからね。
「すごい……どれもこれも本当に、滅多に取れないレアものばっかりだよ!」
「それならよかった。あ、これは俺も知ってる。高級レストランとかに売れるきのこだよね」
「それ、おいしいよね! 食べるか売るか迷っちゃう!」
焚き火を囲んだ俺たちは、どれを食べるか相談しつつ、荷物の整理もすることにした。
食材と素材は、荷車にざっと流し込んだような状態で、さすがにこのまま持って帰るのは微妙なバランスだ。荷車に積んであった袋に、種類ごとに詰めていくことにしたのだ。
持って帰ると傷んでしまいそうなものを優先して、これまた荷車に積んであって大鍋に放り込んで、お昼ご飯用に煮込んでいく。
「こんな鍋が入ってたから重かったんだね……これ、いつも積んでるの? 大変じゃない?」
「わたしは外でもごはんに妥協したくないから、大抵の場合は積んでるよ。外で頑張ったときこそ、おいしいご飯が食べたいと思わない?」
さわやかすぎるリタの笑顔に、俺もぎこちなくうなずく。
「これでよし、と。ノヴァは火加減見ててくれる? わたしはあっちでちょっと作業してくるから」
「わかったよ……ってちょっとリタさん!? これ、本当に合ってる!?」
焚き火を囲むように四本の支柱を立てて、ちょうど火の真上で交差するような形にしてある。そこから大鍋を吊るして、食材を煮込んでいるわけだけど、覗き込んだ大鍋の中央に鎮座ましましていたのは、例の大きな卵だった。
「食べちゃっていいんだっけ?」
「わかんない」
リタが首をかしげて、にっこり笑う。
俺もつられて、ひきつった笑みを浮かべて首をかしげてしまった。
「わかんないって」
「わかんないけど、拾った時点で冷たかったから。残念だけど、そこから何かが孵ることはないと思うんだよね。で、そうなると気になるのは鮮度でしょ。大事に持って帰ったとしても、正体不明で鮮度も怪しい、しかもひとつしかない卵を、村の皆にふるまうわけにはいかないじゃない?」
なめらかに動くリタの口から、よどみなく、もっともらしい理由の波が押し寄せてくる。
さらさらの真っ赤な髪を耳にかけて、きらきらした大きな瞳で卵を見つめる姿は、完全に食べる気まんまん、持って帰る気ゼロだ。
この子は、かわいい顔をして予想以上にワイルドな子のようだ。
「二人で食べる分にはいいんだっけ?」
「毒がないことは確認してあるよ。だから今ならまだ、悪くなってはいなさそうだし、煮込めば大丈夫だよ。たぶん」
小さな声でたぶんって言ったね。
毒がないことがリタのスキルでわかってしまうだけに、食べていいものかわからないからやめておこう、という切り口で止めることはおそらくできない。
しかも、俺に相談してくれるより先に、火にかけた大鍋にくべてしまっている行動力だ。
何かが孵る見込みがないのなら、大事に抱えて持って帰っても仕方ないし、時間が経つほど鮮度が落ちていくのもそのとおりだ。ついでに、まさしくリタの言うとおり、いくら大きいとはいっても、ひとつしかないのでは皆で分けるのも難しい。
「わたしでも知らないくらいのレア卵だもん。きっと美味しいよ! それに、あれだけの目にあったんだから、ちょっとだけご褒美があってもいいよね?」
なるほど、本音はきっとこっちだね。レアだから美味しいっていう理屈はだいぶ怪しいけど、気持ちはわかるよ。
「わかった。これはここで、ありがたくいただいちゃいますか。火加減見ててって言ってたけど、リタはどうするの?」
「ん、わたしはこっちの下処理やっちゃおうかなって」
リタが両腕に抱きしめてほおずりをしているのは、もうひとつの大物、ゴールデンルビーフィッシュだ。
雨風に煽られて、俺たちに追い回されて、とどめに大木と荷車の板挟みにあったのだ。すっかりぼろぼろかと思いきや、いい感じにぬめりとうろこが落ちているようで、荷車と同じく傷らしい傷はついていない。これなら、内臓と血をしっかり処理すればよさそうだ。
というか、それでいいのか桶屋クエスト。やりすぎじゃないのかな。もの自体が激レアな上に、森が下処理をしてくれましたなんて言ったら、それこそ誰も信じてくれないよ。
「まあ……任せるよ。頬ずりは、ほっぺた切りそうだしほどほどにね」
さて、やるからにはしっかり火を通して、お腹を壊さないようにしたい。
拾ったときにもう冷たかった、というリタの話で心配になった俺は、手渡された大きなおたまで大鍋をかきまぜては、半分ほどはみ出した卵の向きを変えたり、上から熱湯をかけたりとかいがいしく世話をした。
しばらくお世話をしてから気づいたけど、これって割ってから入れなくてよかったんだっけ。リタとしては、煮卵のようなイメージなのかな。
大鍋には、スパイスとなる様々な木の実や葉、主食になりそうな芋、リタがどこからか取り出した干し肉なんかがこれでもかと入っている。
二人分にしては作りすぎのような気もするけど、この大きさの卵に風味をつけるには、これくらいの量が必要なのかもしれない。
ぐつぐつと煮立つ大鍋からは、食欲をそそるいい匂いがこれでもかとあふれてきて、胃袋を刺激する。自然と、卵を愛でるおたまにも力が入ろうというものだ。
「よしよし、いい子に育つんだぞ。よーしよし」
「ノヴァ、大丈夫? 普段はそういう感じ?」
「うわあ! き、気がつかなかった。下処理は終わったの?」
テンションに任せて卵に話しかけていたところへ、大魚の下処理を終えたらしいリタがいつの間にか戻ってきて、にやにやしながら俺を眺めていた。頬杖なんかついて、完全に人間観察モードじゃないか、恥ずかしい。
「あれ?」
「どうしたの?」
「いや、リタの脇に置いてある、それなんだけど」
「ああこれ? さすがに今回の目玉をどっちも二人で食べちゃったら怒られるでしょ? だからお包みしてみました」
にっこり笑うリタは、いくつかに切り分けた大魚を、大きな葉っぱで器用に包んで戻ってきていた。
その葉っぱ自体は、俺もこの世界に来てからよくお世話になったので知っている。ほどよい大きさがあって、やわらかくて丈夫で減菌効果まである便利素材だ。
俺が気になったのはそこじゃない。
「リタさんや? その切り身、もしかしなくても凍ってません?」
「うん、初級魔法の応用でね、便利でしょ?」
「……卵の鮮度がなんとか言ってたけど、同じように凍らせれば持って帰れたんじゃない?」
「ばれた? まあまあいいじゃない。さっきも言ったけど、頑張ったんだからご褒美はほしいでしょ?」
俺は軽くため息をついて、まあいいかと小さくつぶやいた。
後出しはずるい気がするけど、率先して卵の世話をして、がっつりと煮込んでしまった手前、俺もすでに共犯だ。何かを言い返せる立場ではなくなっている。
「あれ、火が強くなりすぎたかな?」
ぐつぐつと煮えたぎる大鍋が、ぐらぐらと揺れ始めていた。
そっと支柱をおさえながら、鍋の下をのぞき込んで、火の加減を調節する。
「なかなか上手くいかないね、かわる?」
落ち着かない鍋の様子に、リタも覗き込んでくる。
「違う……これ、火加減のせいじゃない!」
「え、どういう意味? きゃあ!」
ぐらぐらと煮立つ鍋の揺れは、いよいよ小刻みな振動をともなって、激しくなってきていた。
リタがとっさに飛びのき、俺はどうにか支柱を押さえてふんばる。
火はほとんど消えてしまったような状態なのに、鍋が勢いを増し続けているとなれば、その原因は鍋の中ということになる。
「卵が!?」
見れば、幾筋ものヒビが入っている。
何かが孵化できる状態ではないという俺たちの見立ては、大きく間違っていたらしい。
もしくは、スパイスたっぷりのスープと、俺の食欲をはらんだ歪んだ愛情が、瀕死の卵をよみがえらせたのか。
いよいよヒビだらけになった卵が、薄青い光を放ち始める。ただ光っているだけじゃない、これは魔力だ。しかも、ものすごく濃密な。
この世界にきていろんな卵を見てきたけど、孵化するときに魔力がほとばしるような卵なんて、お目にかかったことはない。
でもこの魔力の感じが、どんな生き物によるものかは、なんとなく感覚でわかってしまった。
「やばい……これ、ドラゴンだ!」
「ピイイイイイッ!」
俺の叫びに呼応するように、光に包まれた卵の中から、一頭のドラゴンが飛び出した。
サファイアブルーに輝く全身が、なめらかなうろことふわふわの真っ白な毛で覆われ、完璧なバランスで模様を描いている。身体より少し薄い色のブルーの瞳はまさしく宝石のようで、ちょこんとした二本の角も、すらりと伸びた翼と尾も、息をのむ美しさだ。
「きれい……!」
「本当に」
思わずぼんやりと見とれてしまう。リタも同じようで、俺の隣で立ち尽くしている。
「ピイ」
子ドラゴンは大きくひとつ鳴き声をあげると、なめらかな動きで空中を泳ぐように近づいてきて、俺に頭をすりつけてきた。
「わ、くすぐったい」
「ノヴァのこと、親だと思ってるとか?」
「ドラゴンは頭がいいから、自分の親はちゃんとわかってるはずだよ。これは、多分あれだね」
すごく言いづらいけど、よく煮えるようにおたまでお世話をしたり、卵の向きを変えて熱が均等にとおるようにした一連のあれこれのおかげだ。
死にかけていた卵を丁寧に温めてくれた恩人として、認識してくれているらしい。食欲をはらんだ歪んだ愛情が、なんて冗談混じりに考えたことが現実になるなんて、なんという罪悪感か。
子ドラゴンは、もうひとつピイと鳴いて、鍋に向き直った。どういう仕組みなのか、あれだけ硬かった卵の殻が、よく煮えたスープにとろりと溶けて、なんともまろやかに仕上がっている。
「ああ……まあ、しょうがないか」
「だね。食べようとしたこと、これで許してくれるといいけど」
子ドラゴンは大鍋に頭を突っ込むと、あっという間に、溶けた卵の殻ごとスープを飲み干してしまった。
ついさっきまで煮えたぎっていたスープなんだけど、熱くないのかな。舌とか喉とか、火傷してない?
俺の明後日を向いた心配をよそに、鍋の中身を飲みつくした子ドラゴンはけろりとした顔できょろきょろして、今度はリタの脇にある魚の切り身に狙いを定めた。
今は葉っぱに包まれて凍っているけど、中身のレア度は一級品だ。何か、感じるところがあるのかもしれない。
「待って、これは駄目!」
凍った切り身を後ろに隠して、リタがぶんぶんと首を振る。
「いいんじゃない? あげちゃおうよ」
「でも……!」
レアものを前にして、リタが涙目で食い下がる気持ちはわからなくはない。でも、俺としては、早いことこの子におなかいっぱいになってもらって、ご両親の元に飛び去っていただきたい気持ちでいっぱいだった。
ドラゴンは頭がいい。さっきも言ったとおりだ。
生まれた瞬間からこれだけの魔力を宿し、俺が卵の世話をしていたことを認識して、頭をすりつけてくれるような子だ。
そのご両親が、どれだけ名のあるドラゴンさんなのか、想像するだけで逃げ出したくなる。
だってそうじゃないか。子ドラゴンは俺たちのことを命の恩人のように考えてくれているけど、親御さんからすれば一目瞭然だ。
何がって、そんなの決まってる。大事な卵を俺たちが食べようとしていたことが、だ。
この子とはなるべく、迅速かつ気持ちのいいお別れをしておくに越したことはない。そのためなら、下処理済みのレア大魚だって、差し出して然るべきだ。命よりレアなお宝はないのだから。
「そういうわけだから、ほら、差し上げて! 今にもご両親が飛来するかもしれないんだから! 自慢じゃないけど俺は、大人のドラゴンなんて一人じゃ絶対勝てないからね!」
「はあ……わかったよ。まあそうだね、結果的に、この子が無事に生まれてくれてよかったのかも」
リタは諦めたように、そっと凍った切り身を地面に置く。
子ドラゴンが、俺とリタを順番に見つめてくる。食べる気まんまんなのに、念のため、食べていいのか確認しているみたいだ。めちゃくちゃかわいい。
二人で思わず笑みを浮かべて、こくこくとうなずくと、子ドラゴンは一声鳴いて、凍った切り身をあっという間に平らげた。
「ピイちゃん、食いしん坊だね!」
「ちょっとノヴァ、名前とかつけちゃって大丈夫? 一刻も早く、穏便にお別れするんじゃなかったの?」
「考えたんだけど、孵化のときにあれだけ魔力を放出したんだし、親御さんも気づいてると思うんだよね。それならより穏便に、直接お渡しした方がカドが立たないかなって」
「そうなのかな? それにしたって、鳴き声そのままって安易すぎない?」
「実は迷ってて……どれがいいと思う? ピイピイ鳴くピイちゃんか、食いしん坊のボウちゃんか、煮込む寸前で孵化したニコちゃんか」
「ニコちゃんて。何そのセンシティブなセンス。なんかごめんね……ピイちゃんでいいよ。うん、ピイちゃんがいいと思う」
この子の様子から、知恵を絞って考えた究極の三択だったのに、リタは何故かじっとりした目つきになっている。
改めて、「ピイちゃん」と呼ぶと、ピイちゃんは角をぴくりと反応させて、すいすいと空を泳いで俺のところにやってきた。
「くすぐったいって……いやいや、そこで寝ちゃうわけ?」
お腹がいっぱいになったらしいピイちゃんは、俺とリタにひとしきり頭や身体をすりつけて甘えると、俺の背中から首に巻きつくような格好で器用にくっついて、すうすうと寝息をたて始めた。
仕方なくそのままで、起こさないように気をつけながら鍋を片づける。意外にも、ピイちゃんの身体はすごく柔らかくて、動きにくいこともなく、ふわふわとした不思議で心地いい触り心地だった。
「全然、親が迎えにくる感じじゃないね。近くにはいないのかな。安心して寝てもらえてるのは嬉しいけど、ずっとこのままってわけにもいかないよね」
ひととおりの片づけが終わっても、それらしいお迎えがやってくる様子はなかった。
ピイちゃんは俺に巻き付いて、完全に熟睡している。
「ノヴァ、めちゃくちゃ懐かれちゃってるね。どうする?」
どうすると言われても、ほったらかしにして村に戻るのは微妙なところだ。なにより、引き剥がすのはしのびないかわいさで、連れて帰りたい気持ちになっている。
「とりあえず、親が迎えに来てくれるまでいっしょにいるってことで、村に戻ろうか」
リタもうなずいて、にっこり笑ってくれる。
「ところで、もうひとつ相談があるんだけど」
「ああ、実は俺も話があるんだよね」
「さすがに何か、食べてから戻らない?」
「俺が言おうとしたのもそれ、本当そう。おなかの中、空っぽすぎ」
レア食材たっぷりの、真心込めて煮込んだスープは、この子にすべて食べられてしまった。森の中を半日近く駆け回った胃袋からは、朝ごはんはもうとっくに消えて空っぽだ。
とりあえず俺たちは、仕分けた荷車の袋から、すぐに食べられそうなものをがさごそと探し始めた。
この世界におけるドラゴンの生態は、謎に包まれている。
暮らしぶりを隅から隅まで観察、確認しようという命知らずの物好きがいないことはもちろん、大人になれば人間以上の知性を持ち、大抵が人の言葉を解するようになるドラゴンが、そういうところを見せようとしないこともある。
ドラゴンの孵化に立ち会えたこと自体が、言ってみれば超スーパーシークレットレアな出来事だ。
中には、勇者パーティーで討伐したダークドラゴンのように、闇落ちしてしまう個体もいるにはいるけど、基本的にドラゴンは神獣や聖獣に近い存在だ。ドラゴンの子供の信頼を勝ち取ることはすなわち、ドラゴンの加護を得たも同じ、奇跡の中の奇跡と言っても過言ではない。
「というわけで、放っておくわけにもいかなくて、ひとまず連れて帰ってくることになったんだよね」
「く、首にドラゴンが……!」
村に戻った俺たちは、村人の皆さんの目を揃って見開かせ、口をあんぐり開けさせることに成功していた。
「それって重たくないんですか? 苦しくもないんですよね? あったかいんです?」
腰に手を当て、パープルの瞳をぱちくりさせて、ピイちゃんをしげしげと眺めてあれこれと質問してきているのは、村の農業をとりまとめているカティという女の子だ。
アッシュグレーのゆるやかなウェーブがかかった髪をポニーテールにまとめ、動きやすそうなシャツとパンツに身を包んでいる。アクティブな服装は、色々と作業をしやすくするためなのだろうけど、口調がたいへんおっとりしているので、素敵なギャップがある。ちなみに年齢的には俺やリタのふたつ上、二十歳だ。
「なんとこのまま寝てるんだよ、かわいくない? 名前はピイちゃんです」
「わあ、本当にぐっすり寝てるんですね。寝息までかわいいです」
「わかってくれますか! この、ときおり鼻息がふんすってなるところとかもう、たまらんですよね!」
「たまらんですね!」
揃ってにっこりとした笑みを浮かべ、首をかしげる俺とカティに、リタもつられて笑っている。
「いや、かわいいのはわからなくもないんだがね。これは一大事なんじゃないか? とりあえず、ランドを呼んでくるよ」
冷静な村人さんが駆け出し、残った皆でドラゴンをどうするかの相談と、荷車の整理を手分けすることにした。
「こいつは本当にすごいな。ノヴァ、あんた何者なんだい? これだけのものを半日程度で集めて、ドラゴンまで連れて帰ってくるなんて」
これでもかと登場するレア食材、レア素材に、村の皆さんから口々にお褒めの言葉がとんでくる。レア度が低いものにしても、質がいいとか通常のものより大きいとか、何かしらいいものばかりが入っていたようだ。桶屋クエスト、様々だね。
「それでこの子、放っておけなかったっていっても、いったい何がどうしてこうなったんです?」
俺とリタは、森の中での一連の出来事と、その最後に卵を見つけたこと、色々あって卵が孵化したことを簡単に説明した。
さすがに、煮込んで食べようとしたことは黙っておいたし、リタも見事なコンビネーションで辻褄を合わせてくれた。ゴールデンルビーフィッシュも結果的に手元からなくなってしまったので、そのことも黙っておいた。
カティは目をきらきらさせて話を聞いてくれたけど、まわりを囲む村人さんの顔は険しい。
「この子、お話からするとなんでも食べそうですけど、一日に何回くらいお食事するんでしょうね?」
「わかんないけど、食べ続けてなきゃ大変……って感じではなさそうだよ」
「そうなんですね。眠るときは基本的にノヴァに巻き付いてるんですか?」
「え、どうなんだろ。もしそうだったら、うれしい悲鳴というか、どうしよう」
「待て待て、いっしょに暮らす気満々のところ悪いが、親のドラゴンがきたらどうするつもりなんだ?」
食べ物や寝床の話を始めた俺とカティに、村人さんに呼ばれてやってきたランドが割って入った。
今のピイちゃん自身に、危険はほぼないはずだ。ただし、ランドが言うように、親ドラゴンがどうかといえば、それは個体によるとしか言えない。
理性的な個体が多いのは確かなはずだけど、知性も魔力も高いだけに、人を下に見ている個体もいれば、闇ギルドや悪意を持った相手に狙われて、人を嫌ったり憎んでいるものもいる。
迎えにきた親ドラゴンがそういうタイプだった場合、誠心誠意説明するしかないけど、それでも怒りを買ってしまった場合は、村自体が危ういなんてこともあるかもしれない。
何か言いたそうにしたリタに、「いいんだ」とそっと告げて、俺は頭を下げた。
「ランドや皆の心配してることはわかるよ。いきなり連れてきて、無理を言ってごめん。カティも聞いてくれてありがとう。少し休ませてもらったら、行くよ」
この村の迷惑になってはいけないのに、村の中まで連れてきてしまったのは俺のミスだ。
かといって、ピイちゃんをこのまま投げ出せるかといえば、すでに情が湧いてしまっている今、それもノーだ。となれば、俺がピイちゃんを連れて村を離れるしかない。
卵を見つけた場所から離れすぎてもいけないだろうし、しばらくは山暮らしかな。村の皆とも物々交換しながら暮らしていけると助かるけど、完全に野宿でもまあ、なんとかはなるかな。
目安は、ピイちゃんの親が迎えにくるか、この子が独り立ちできるくらい大きくなるまでだけど、もしかしたら、ある程度の年月を考えておいた方がいいかもしれない。
この子が生まれたときの魔力を感じ取れる範囲に親がいたのなら、もう迎えにきていてもおかしくないはずだ。半日近くが経っても来ていないうえに、卵が冷えかけていたことを考えると、親ドラゴンに何かあった線も考えなくちゃいけない。
「うん? 今日はまだどこかに行くのか? 祭りの準備があるにしても、想定外の事態なんだ。とりあえず今日はもういいんじゃないか?」
「いや、だから皆に迷惑をかけないように」
「え?」
「は?」
ランドと俺の頭の上に、それぞれ疑問符が浮かぶ。どうにも会話がかみあっていない。
俺は、ずり落ちかけたピイちゃんをそっと首に巻きなおして、話を整理しにかかった。
「だって、親ドラゴンが迎えにきたときに、どうするのかって」
村に何かあったらどうするのか、という意味でなければ、どういうことなのか。
「こんなにかわいくて、こんなに懐いてるのに、手放せるのか? 離れていても友達だって、割り切れればいいけどな」
「あれ?」
「あれ、じゃないだろ。この子……ピイちゃんだったか? こんなにノヴァにくっついて、そもそもちゃんと野生に戻れるのか? この村でいっしょに暮らす方法もあるんじゃないか。いや、それより、ちょっと触ってみても? ん、どうした? ノヴァ、ちゃんと聞いてるか?」
「いやあ、思ってたのとだいぶ違うなって」
「ランドって、こう見えてかわいい動物とか大好きだもんね」
リタが隣でくすくすと笑う。
俺が一人でぐるぐると考えた、シリアスな葛藤を返してほしい。
険しい顔に見えたランドは、親ドラゴンが迎えにきたときの、俺とピイちゃんとの別れとか、本当に野生に帰れるかどうかを気にしてくれていたらしい。
俺たちを囲むほかの村人さんも、「なんでも食べるって言っても、本当はあげちゃいけないものとか、あったりしないのかな」「うちの納屋なら貸せるぞ!」などと、どうすればより快適に、いっしょに暮らせるかを口々に提案してくれる。
のんびりしているというか、平和というか、ちょっと心配にはなるけど、俺はまた少しこの村が好きになった。
「うおお、なんてやわらかさだ! ふっかふかじゃないか!」
ひとまず村全体で面倒を見ることに決まると、ランドはさっそくピイちゃんを撫でて、感激の雄たけびを上げた。
「静かにしてよ、ランド! ピイちゃんが起きちゃったじゃない!」
「悪かったよ。そうだ、ノヴァの部屋、まだ余裕あるよな? ひとまずこの子の寝床はお前さんの部屋に作っていいか? つっても、藁がいいのか毛布がいいのかわからんが……それらしいやつをいくつか運ばせるからよ」
「うん、ありがとう」
ランドは、リタだけでなくその場の全員からブーイングを受けつつ、そこは村長らしく、ピイちゃんを俺の部屋で寝られるように整えることを約束してくれて、場を収めにかかる。
ピイちゃんの食べ物についても、村の蓄えからなんとかしつつ、足りない分や特殊な何かが必要なら、俺を中心にがんばってみるということで落ち着いた。
そのあとは荷車の整理を一段落させて、目を覚ましたピイちゃんに皆で四苦八苦しながらごはんを食べさせたり、水を飲んでもらったり、寝床の具合を確かめてもらったりと、一喜一憂の大騒ぎだった。
あっという間に日が暮れてしまったけど、新鮮で驚きの連続の一日だった。
これから始まるピイちゃんとの暮らしに、俺も村の皆もわくわくしていたのだけど、その日の夜に、さっそく事件は起こってしまう。
ごうごうと吹きつける風が、普通ではないと最初に気づいたのは誰だっただろうか。
ずんと大きな何かが着地する音に飛び起きた俺たちは、昼間以上に目を見開き、口をあんぐりと開けて立ち尽くすことになった。
村の入口には、鋭い目つきでこちらをにらみつける、二頭のドラゴンの姿があったのだ。
月明かりを受けて真っ白に輝くなめらかな毛と、きらきらと輝く宝石のようなブルーの鱗。色合いといい二本の立派な角といい、ピイちゃんにそっくりだ。
抑えているはずなのに、二頭から感じる魔力はとんでもないもので、間違っても戦ってはいけない部類のお相手のようだ。
「いやあ、もふもふドラゴンとのんびりライフ……短い夢だったなあ。元気でね、ピイちゃん」
俺は半笑いかつ半泣きで、非常識な時間に飛来した親ドラゴン二頭を、ぼんやりと眺めるしかなかった。