リタの合図でやってきた数人の村人さんたちといっしょに、歩くこと数十分。
 森林の奥深くの村……ラルオ村は、人口百人ちょっとの小さな集落だった。
 立地から想像していたより、だいぶ広い。広いというか、森の開き方が上手だった。ひとつひとつは小さな畑でも、森と共存しながら、そこかしこが開いてある感じだ。
 村のすべてを高い塀で囲うわけにはいかないので、家だけはある程度まとまって建てておいて、畑を散らしてあるのだそうだ。たくさんの小さな畑と、山の恵みとで細々と自給自足しているのだと、リタが説明してくれた。
 村からはだいぶ離れたあの場所で、すぐに応援にかけつけてくれた村人さんたちも、リタといっしょに食材や素材を探しにきていて、それぞれ近くにいたらしい。
 毒を持つ危ない魔獣だの、吸血スライムの群れだの、のどかな村の風景からは想像しにくい危険地帯で、護身用程度のナイフを片手に散らばって探索するのはいかがなものかと思ったけど、答えは単純だった。圧倒的に人手が不足しているからだ。
 昼間ということもあって、簡易的な魔獣除けの柵を越えて入った村の中は閑散としていた。数人の子供たちが何かの手伝いをしていたり、あるいは休憩がてら遊んでいたりして、それを見守る大人はどちらかというとご年配の方が多い。
 リタや応援にかけつけてくれた皆さんのように、若くて体力のある村人さんは、割り当てられた作業なり探索なりをやっているのだろう。
「のどかでいいところだね。でもあれだけなんかこう、雰囲気が違うような?」
「あはは、やっぱりそう思う?」
 村の中心、広場になっているところに、金属製の像が立っている。
 木造の家が並び、小さな畑が点々としている中、そこだけ石造りの台座があって、立派な女性というか、少女の像が立っているのだ。
「初代の村長さんの像なんだって。ずっと昔からあるみたいだよ。それこそ、わたしが生まれたときにはもうあったし」
 ずいぶん古いものだというわりには、傷ひとつない台座と像はどこか現実味がない。
 もしかして、俺と同じような転移者か転生者が、ここに村を作ったんだったりして?
 しげしげと眺めて難しい顔をしていた俺の肩を、リタが苦笑いでとんとんとたたく。
「荷物、とりあえずあそこまで運んじゃおう? ごめんね、お礼をするとか言って、手伝ってもらっちゃってて」
 リタが、像が立つ広場の先にある、ひときわ大きな二軒の建物を指さす。
 猪魔獣は、数人の屈強な村人さんが運んでくれている。そのかわりに俺は、果物やら木の実やらが入った大きなかごを背負っていた。村人さんの一人が背負っていたものだ。
 他にも、このうっそうとした森林の中でそれを一人で運んでいくには、どういうスキルがあればいけるんですかね、と心配になるような大きな荷車に、あれこれと食材や素材を詰めこんだ村人さんもいて、皆さんのたくましさをひしひしと感じる。
「そこに置いてもらえれば大丈夫だよ。ありがとう、あとは座ってゆっくりしててね」
「わかった、ありがとう」
 建物の中は、王都にあった大衆食堂のような作りで、長さのあるテーブルがいくつか並び、テーブルの両側に簡易的な椅子がざっくりと配置されていた。
 奥には厨房があり、厨房の脇には二階へ続く階段が見える。どこを見回しても造りはシンプルで、実用性重視な感じに好感が持てる。
「ここね、前は冒険者さんとか商人さん相手の食堂兼宿屋だったんだけど、今では村のみんなのごはんをまとめて作る、共用の炊事スペースみたいになってるんだ」
 厨房には今も、数人の村人さんがせわしなく行き来して、何かしらの作業をしているようだった。運んできたかごや荷車の中身が、あっという間に片付けられ、仕分けられていくのをぼんやりと眺める。
 漠然と、息の詰まる王都暮らしや身の危険を感じる冒険者暮らしより、のどかな村でほどよく暮らしたいなんて考えていたけど、そこには当然、暮らしていくためのいろいろな準備や作業が必要だ。
 黙って待っているだけでご飯やベッドが出てくる暮らしがよければ、王都とまではいかなくても、もう少し開けた町に戻った方がいい。
 俺はぐっと拳に力が入るのを感じた。この、地に足をつけて暮らしている感じを体験してみたい!
「いいね、テンションあがってきた! ね、何か手伝うことないかな?」
「ええ、ゆっくりしててよ。お客様なんだから」
「いやいや、皆があれこれ頑張ってるのに、じっとしてる方が居心地悪くてさ」
 盛大にアピールした俺は、果物と木の実の仕分けを手伝うことになった。
 村の皆さんと談笑しながら、収穫してきたものを片づけていく時間は、わくわくして充実した時間だった。
 よかった、魔獣と命のやり取りをしたり、屈強な体幹をふるって荷車を操ったり、そういうスキルがないとここでは暮らしていけないのかと思ったけど、やりようはありそうだ。
 ひととおり終わってほっとしたところで、主張するようにぎゅるぎゅるとお腹が鳴る。
「おなかすいたでしょ? もう少し待ってね、さっきの猪がそろそろできあがるから!」
 リタは猪の方を手伝ってきたらしい。厨房の奥から、じゅうじゅうと肉の焼ける音と、スパイシーで香ばしい匂いが漂ってきた。確か持って帰ってきてそのまま、厨房に運ばれたはずだけど、スライムとのあれこれで血抜きも終わったような感じになっていたのかな。
 香草といっしょに、シンプルに焼いているか、木の実やきのこといっしょに炒めているか、どちらにしてもすごくいい匂いだ。本当に毒が抜けているのかは不安が残るところではあるけど、それはあとで確かめるしかないかな。
 日が落ちかけてきて、村全体としても食事の時間らしい。
 村にいる人がほとんど全員集まっているのでは? というくらいの大人数が、やってきては次々と席についたり、できあがった料理を運ぶ手伝いを始めている。
「お前さんが例の、リタを助けてくれたっていう旅人さんか?」
 促されて、リタといっしょに座った席にやってきたのは、ひときわ背が高く、筋骨隆々のナイスミドルのおじさんだ。腰に差した剣といい、たたずまいといい、ふつふつと強者の雰囲気を感じる。
「紹介するね。うちの村長やってるランド。こっちはノヴァだよ」
 よろしくな、と差し出された手を握り返して、俺も簡単に名乗る。握力が非常にお強い。
「リタが世話になったな。まあとりあえず、食ってくれ。こいつはあんたの獲物のようなもんだ、遠慮はいらない」
 皿に切り分けられて運ばれてきた猪のステーキに視線を向けると、ランドは満足そうな顔をした。猪ステーキは、俺がいるテーブルに座るメンバー、つまりは猪を仕留めて、運んできたメンバーを中心に配られているみたいだ。さすがに村中に切り分けて配るには、足りないもんね。
「ええと、すみません。念のためなんですけど、毒が全部きちんと抜けてるのかどうかって、どうやって確かめてる感じです? 野生の魔獣を、安易に調理して食べるのはおすすめできない気がしますけど」
 出来上がった美味しそうな料理を前にして、ぶん投げる台詞じゃなかったかもしれない。しっかりと場の空気が凍りつくのを感じる。ごめんなさい。
 スライムのおかげで、本当に毒抜きがされていたのかもしれないし、このあたりの村人さんは、多少の毒なら耐性があるのかもしれない。
 でも俺は、そんなに強靭な胃袋をもっているわけじゃない。むしろ胃腸はデリケートな方で、王城二階のトイレの個室とはずいぶん仲良くさせてもらっていた。実はちょっとだけ毒が残っていて、手違いで死んじゃいました、では困る。
 ここの厨房を見る限り、申し訳ないけど専門的な知識がある料理人がいるようにも見えない。ふらっとやってきた旅人さんの俺としては、場の空気がどれだけ冷えても、自分の身は自分で守るしかないのだ。だからお願い、皆さんそんな目で見ないで。食事の前に胃に穴が開いちゃう。
「はっはっは、用心深いな。それなら心配ないさ。うちにはリタがいるからな」
「どういうこと?」
「わたし、毒見のスキルを持ってるんだ」
 なるほど。毒見は、所持人口としてもそんなに多くはない、便利なスキルだ。
 有力な貴族だとかの中には、もしものことを警戒して、お抱えの毒見役を雇っているところが多い。
 こういう森や山で暮らしていくにも、毒きのこを見分けたり、初めて見つけた食材が食べられるかどうかを判別できる。なんなら、俺もほしいくらいだ。
 考えてみれば、最初に会った時点で、リタは血の毒が消えていることに大喜びしていたっけ。あれは、あの場でスキルを使っていたからってことか。
「毒見があるから、食材とか素材を探すときのまとめ役をやらせてもらってるんだ。牙の毒が混ざらないように解体はわたしも手伝ったし、このお肉に毒が入ってないことは保証するよ」
 そう言って、リタは木製のナイフとフォークで猪ステーキを一口大に切ると、ひょいと口に運んだ。切り口からしたたる肉汁にごくりとつばを飲み込んで、俺もそれにならう。
「うわ、めちゃくちゃおいしいっ……!」
 溢れる肉汁は野生の魔獣とは思えない上品さで、なめらかで旨味の凝縮された脂が口の中いっぱいに広がっていく。香草と塩でつけられたシンプルな味付けが、肉の旨味をより引き立てている。肉はサクサクとほどよい噛み応えで、するりと喉を通っていく。つけあわせの木の実をほおばれば、パンチの効いた酸味が、わずかに残った脂っぽさをさっぱりと洗い流してくれた。
「すごいね! 臭みも全然ないし、塩気も焼き加減も完璧!」
 本当においしくて、身振り手振りをまじえて大絶賛する俺に、リタは満足そうに笑った。
「ふふふ、リタさん特製の香草焼き、お口にあったみたいでなによりだよ」
 他の皆さんも、それぞれに口元をほころばせてステーキを食べている。
「ところで本当なのか? 煮ても焼いても食えなかったこいつの毒を、スライムで取っ払っちまったってのは」
「ええと、そういうつもりじゃなかったんですけど、結果的にそうなったというか」
「リタに聞いたとおり、本当に偶然ってわけか。とんでもない強運だな」
 うちでも、あの手この手で毒抜きは試してみてたんだがな。ランドが、本当に信じられないという顔をして、リタや他の皆さんに視線を配った。いくつかの首肯と感嘆の声が返ってくる。
 強運といえば確かにそうだけど、俺のはただの運じゃない。
 つまりはこれが『川に入れば、おなかがふくれて居場所が見つかる』結果なのだろう。ちょっと危ない目にはあったけど、目的の村にたどりついて、おいしいごはんにもありつけた。今回もありがとう、桶屋クエスト。頼りにしてる。
「強運というかまあ、そうですね。運がよかったです」
 ただし、それを説明はせずにへらりと笑ってやり過ごす。
 俺のスキルは、説明してもわけがわからないというか、むしろ説明すればするほど通じなくなっていく場合が多い。それが原因で王都も追い出されているしね。早めに切り上げて、次の話題にしてしまおう。
「皆さん、いつもお一人ずつで食材の探索とかされてるんですか?」
 投げかけた質問にリタは目をそらし、食材調達班の村人さんたちが苦笑いする。
「普段は必ず、二人か三人のチームを組んでるよ。今回もそうだったんだけど、ちょっと、レアものを見つけて……それを追いかけようとしたら、ね」
 リタはレアものをみつけると目の色を変えちゃうから、といくらかの野次というか愚痴というか、心配の声があがる。
 そういうタイプか……まとめ役のリタが、他の皆を放り出して、目の色を変えて走り出すところを想像する。きっと村人の皆さんは、日頃から苦労しているんだろうな。
 勇者パーティーでいえば、聖女のクレアがそのタイプだった。何かを見つけて、「かわいい!」とスイッチが入ってしまえばもう手がつけられない。普段とはがらりと態度が変わり、他のことはほとんど二の次になってしまうのだ。
 しかも大抵が、俺からすれば怖い部類に入る造形のものばかりなんだよ。
 魔力をまとって追いかけてくる髑髏とか、首がふたつある蛇とか、よくいっしょに追いかけさせられたり、追いかけられたりしたっけ。
 最終的に、いつも手を汚すのは俺だったよね。懐かしくて、せっかくおいしいお肉で満たされたおなかが、なんだかちくちくしてきた。忘れよう。
「じゃあこの猪、レアものだったってこと?」
 いやいや、と村の皆さんがそろって首を振る。
「残念ながら、これはそこらへんにいくらでもいるやつさ。リタから聞いてるだろうが、牙にも血にも毒があるせいで、倒しにくいうえに食えもしなくてな。どうにも扱いに困ってたんだ」
 ランドが身振り手振りを交えて、その面倒くささを解説してくれた。
「そ、わたしのナイフとは相性が悪すぎて、逃げるしかなかったんだよね。村からはどんどん離れちゃうしレアものは見失うし、どうしようって思ってたところで、ノヴァに会ったわけ」
「ついでにいうと、お前さんにひっついてきてたスライムどもも、厄介なやつらでな。毒はないがあの見つけにくさと群れっぷりだろ? 一部の川はほとんど占領されちまって、水汲みにも一苦労ってところさ。厄介なやつらをぶつけあって、食い物の確保までできるとなりゃ、お前さんにはどれだけ感謝してもしきれないよ」
「うんうん。やり方は工夫が必要かもしれないけど、これからはあの猪も食料として狩っていけそうだからね。だいぶ助かっちゃいそう」
 そうだそうだ、本当にありがとうと全方位からお礼を言われて、なんだか恥ずかしくなってきた。
「偶然とはいえ、お役に立てたならよかったです」
 せっかくいい雰囲気になってきたし、ついでに切り出してしまおう。
 スキルを信じてここを拠点にするとなれば、何かしら食い扶持を稼ぐ手段が必要だ。
 よそ者お断りの雰囲気は今のところ感じられないけど、ここに住んでみたいと切り出せばどうなるかはわからない。うん、そういう話は早いほうがいいよね。
「しばらく、このあたりにいられたらって思ってるんですけど、何か仕事とかありますか? 毒見はできないけど、食材の解体とかちょっとした料理、雑用全般ならいけるし、そんなに強い相手じゃなければ、魔獣の討伐とか狩りもお手伝いできると思います」
 決心したにしてはマイルドな、とりあえずしばらく滞在したい程度の切り出し方になってしまった。ここに決めた、というほどには俺自身も覚悟ができていないので、お互いにお試し期間ということで考えてもらえないかな。
 へらりと笑って村長のランドに視線をやると、ランドの目の光がぎらりと強くなっていた。
「いいのか? お前さんはうちのちょっとした英雄だ。通りすがりかと思ってたんだが、しばらくいてくれるとなりゃ、活気が出て助かるな」
 鼻息を荒くするランドを見て、横からリタがにやりと笑って口を開いた。
「ノヴァ、逃げたくなったらわたしに相談してね。ランドは気に入るとしつこいし、無茶ぶりするから」
「おいおい、そりゃないだろ!」
 いくつかの野次がとび、笑い声に包まれる。なんだか本当に、人が暖かいというか、いい雰囲気で嬉しくなった。
「無茶ぶりされたら相談するよ。それじゃあひとまず、しばらくの間よろしくお願いします!」