「その無礼者を捕らえよ、わし自ら引導を渡しててくれよう」
俺をまっすぐに指さし、うっすらとした笑みすら浮かべてゆらゆらと近づいてくるのは、この国の王様だ。
完全に目が据わっていらっしゃる。
怒鳴りつけるでも、顔を真っ赤にするでもない。淡々とした口調だからこそ、逆に怖い。
無駄に察しのいい王直属の騎士団長がひざまずき、「これをどうぞ」なんていう従順かつ忠誠心あふれる台詞とともに、見事な装飾が施された剣を手渡している。王様は、磨き抜かれた諸刃の凶器をしっかりと両手で握りしめて感触を確かめると、さらに口角をつりあげた。
完全に何かを決意した目つきだ。何かなんて濁してみても仕方ない。つまり、この場合の決意は、俺をこの場で処刑することだ。
「ち、違うんです! ごめんなさい!」
もちろん、ここで取れる選択肢は、ごめんなさい一択しかない。
俺は王城に忍び込んだ賊でもなんでもない。きらびやかな大広間で催されているこの宴の、言ってみれば主役の一人のはずなのだ。主役の中でも、はしっこの、ちょい役ではあるのだけど。
「陛下、どうかお鎮まりください。ノヴァにもきっと考えあってのこと……どうか!」
もはや笑うしかなく、へらりと口元をゆがませて後ずさる俺と、目を血走らせる王様の間に、一人の男が割って入ってくれる。清潔感のある短髪に切りそろえられたプラチナブロンドの髪をさらりとなびかせ、エメラルドグリーンの瞳には力強さと優しさが同居する。今日も完璧なイケメンぶりだ。
彼こそ、この国唯一の勇者にして、俺がここまでずっといっしょに冒険をしてきた一番の仲間、サイラスだ。
「考えとな」
ふむ、と王様が鋭い切っ先を俺にすうと向け、「その者にか?」と鼻で笑う。
「恐れながら、このノヴァは、考えなしのように見えるかもしれませんが、その突飛な発想と行動力でパーティーのピンチを幾度も救ってくれました。胸を張って言える、僕たちの仲間なんです!」
サイラス率いる俺たちのパーティーは、数々の冒険をこなしてきた。
魔の樹海の主やダークドラゴンの討伐、未知の魔法金属の発見、荒ぶる神獣との和解……その功績は多岐にわたる。
これまでの活躍が認められ、国として正式に『勇者』の称号がサイラスに与えられることになった。
称号と勲章の授与が謁見の間でおごそかに行われた後、俺たちはこの大広間に案内され、祝賀パーティーの主役として振る舞っていた。サイラスだけではなく、パーティーメンバー全員に誉れある勲章が授与され、英雄としての待遇が約束されたばかりだ。
馬車の操縦、荷物の整理に回復薬の調合、食事の準備……甲斐甲斐しく雑用をこなしてきた俺も、一応はその中に含まれている。いつの間にやら勲章持ちの勇者様の仲間入りかと、ついさっきまではぼんやりと考えていたのに。
「わしの頭から、酒樽を逆さにかぶせるような輩が、か? 今日のために特別に仕立てたマントも服も、はちみつ酒でべとべとになっておる」
「きっと、嬉しさのあまり悪酔いをして……よく言い聞かせておきますので」
「しかも栄誉ある、世界でそなたらしか持つ者のおらぬ勲章を、そこから投げ捨てて、か?」
王様が顎で示した先には、見事な装飾の施された両開きの大窓から、雄大な景色と、城の北門へと続く庭園が広がっている。
王様が言う、そこから投げ捨てて、とは他でもない。
今も開けっ放しになっている両開きの大窓から、いただいたばかりの栄誉ある勲章を、振りかぶって思いっきり投げ捨てた。確かにそれは、俺がやってのけた所業のひとつだ。
「それはその……なあノヴァ、黙ってないで説明してくれ。今回のことも、きっと何かに必要なことなんだろ?」
さすがのサイラスも、きらきらの笑顔に影を落として、俺に説明を求めてくる。
言い逃れようのない無礼千万な行いの数々は、ちょっと緊張して悪酔いしちゃいました、で済まされそうにないのは、誰の目にも明らかだった。
「それは……」
「それは?」
全員の視線が俺に集まる。
ああ、これがきっと最後の申し開きになるんだろうな。
「こういう理由ですって、はっきりとは言えないんですけど、世界と皆の平和のためになるはずというか、ひいては陛下のためでもあるはずというか」
間違いなく、ここでの回答が俺自身の命運を分ける。
それがわかっているのに、俺の口からは無情にも、考えなしなあほの子の回答がまろびでてくる。時間よとまれ。いや、巻きもどれ。お願いだから。
当然、王様は勝ち誇った顔で両手に力を込めなおしているし、サイラスはがっくりと肩を落とした。
「……わかりました」
「わかってくれたか、勇者殿。それではそこをどいてもらおう」
「どうしてもノヴァを斬るとおっしゃるのであれば、いただいた『勇者』の称号と勲章、そろってお返しいたします」
うやうやしくひざまずいて、サイラスが頭を下げる。
ほうけてそれを眺めてしまった俺の前に、パーティーの仲間たち三人もするりとやってきて、サイラスにならって膝をついた。あわてて、俺もひざまずく。
「サイラス、みんな……そこまでしてくれなくても」
「そのとおりだ。本人が驚いているくらいではないか。なぜそうまでしてこの男をかばう……大変な労力をかけて異世界から召喚したというのに、何ができるでもなく、へらへら笑って勇者殿について回ってきただけの、ただの雑用係であろうに」
そう、俺はこの世界に召喚された転移者だ。
正確にいえば地球の、日本の、召喚された時点での年齢的には十五歳だった。色々あって、ここまでくるのに三年ちょっとかかっているので、今は十八歳になっている。
ノヴァなんていう名前を名乗っているのも、召喚されてすぐの自己紹介で、西欧風の整った顔立ちの皆さんに囲まれたことで頭が真っ白になって、霧島伸秋と名乗りたいところを、「のヴあ、き、きりしま」とかみかみで答えたことが始まりだ。
何度か聞き返されて、すっかり理性の引き出しが空っぽかつ開けっ放しになった俺の、この世界での名前はノヴァ・キキリシム。キリシマのマすら上手く言えなくて、キキリシム姓になっているあたり、とっても素敵で涙が出てくる。
「本人が考えている以上に、彼のスキルは優秀です」
「『風が吹けば、オケヤが儲かる』だったか? 大した役に立たぬ運試しスキルと聞いておる」
「そんなことはありません。そうでなければ、戦う力を人並み程度にしか持たない彼が、今日まで生きていられるわけがありません。本当によく死なずにここまでこられたものだと、よくノヴァのいないところで話しているくらいで。彼は奇跡の塊なんですよ!」
そうか、サイラス。きらきらの瞳で真剣な口調。本気で庇ってくれているのはよくわかる。でもだいぶ辛辣だよ。俺のいないところで、俺がどうして生きているのか不思議だねとみんなで話していたなんて。
がっくりとうなだれた俺を見て、王様は反省の意思ありと判断してくれたらしい。大きなため息をつくと、「もうよい」と小さくつぶやいた。
「興が冷めた。わしは湯につかってくる。皆は宴を楽しんでいてくれ。おい、これを」
王様は、はちみつ酒でべたべたになったマントを、近くにいた大臣に投げつける。
「追放とする」
それから、一段と低い声色で振り返り、改めて俺をにらみつけた。
「わしは貴様の運試しスキルなど信じておらぬ。無礼をはたらいたことは事実。すぐに出ていけ。そして、この王都に足を踏み入れること、二度と叶わぬと思え。命があっただけでも、勇者殿と仲間たちに感謝するのだな」
今度こそ背を向けた王様がのしのしと退席し、護衛の騎士団がわらわらとそれに続く。
ぼうぜんと見守る俺と、仲間たちと、残されたいくらかの貴族の皆さんが、気まずい空気の中で立ち尽くす。
「じゃあまあ、出ていくよ。みんな、今までありがとう」
「ノヴァ……君が出ていくなら、僕も」
「それはさすがに駄目でしょ、サイラス」
この男は最後まで優しい。最初こそ頼りなかったけど、立派に成長したこの国の勇者、サイラス。中級貴族の次男である彼は、類稀なる剣と魔法の才能に加えて、人を惹きつけるカリスマ性がある。
討伐対象とされた魔物が相手でも、対話の可能性を探り、一方的に決めつけることはけっしてしなかった。少し甘いところもあるけど、文句なしのいいやつだ。
「まさかここで、いつもの奇行が出ちゃうなんてね。流石にかばいきれないかと思ったけど、追放ならまあ、落としどころかな。生きてて良かったね、ノヴァくん」
ばんばんと肩を叩いてきたのは、『聖女』と名高い治癒師のクレアだ。
透きとおるようにきらめく水色の髪と、大きな金色の瞳をもって繰り出される穏やかな笑顔は、初見のほとんどの相手を魅了する破壊力を持っている。
もちろん、その実力も本物だ。死んでなければ治せるから、との頼もしい一言は伊達ではなく、物理的に命を救われたことも数知れない。
「奇行は余計だってば」
「まあまあ。最悪の場合は、ひと暴れして逃げるしかないかなって思ってたけど、よかったわね。国ごと敵に回すダーティーな『聖女様』も悪くないかなって思ってたんだけどな」
ただし彼女は、見た目と肩書きほど優しくはない。表向きは治癒魔法で有名になっているが、本当に得意なのは、相手をもてあそぶような超高品質なデバフ魔法の数々で、敵に回すのは是が非でも遠慮したい相手だ。
「それで、今度は何が起きそうなの? 平和のためってことは美味しいものが降ってきたりする?」
「いや、それがまだ本当に、ふわっとしかわからないんだって」
狐っぽい耳と尻尾が、好奇心旺盛にふりふりと揺れる。獣人族の少女、ディディがわくわくした顔で覗き込んできていた。
サイラスとの冒険で、一番変わったのは彼女だろう。暗殺ギルド出身で、暗殺者としてのデビュー戦で俺とサイラス、クレアに大負けして要人の暗殺をしそこない、異例の改心をはたしたのが彼女がパーティーに入るきっかけだった。
自分以外の何も信じられなかった孤独な暗殺者見習いは、今では仲間に天真爛漫な笑顔を振り撒く、ムードメーカーになっている。
「……達者でな」
しかめっつらのまま、一言だけ別れを告げて背中を向けてしまったバスクは、凄腕の重戦士だ。
二メートル近い長身かつ無口で強面のスキンヘッドという、とっつきにくい印象の彼だが、本当はいつも仲間のことを気にかけてくれている。彼の気遣いと、相手のことを考えてくれた上での厳しい態度のおかげで、俺はずいぶん成長できたと思う。
サイラス、クレア、ディディ、バスク……みんな本当に、自慢の仲間たちだ。
「またどこかで会えたらいいな」
「あてはあるのか?」
「まあ、一応ね。桶屋のお導きってことで。もともと式典とか、お貴族様との会食とかは得意じゃなかったし、スローライフ目指してふらふらしてみようかなって。結局、元の世界には帰れないみたいだしね」
「ふうん……またどこかで、とか残念なこと言ってないで、居場所が決まったら手紙くらいは出しなさいよね」
わかったよ、とクレアに返事をして、俺はおもむろにジューシーな骨付き肉を手に取った。
「あはは、このタイミングでお肉? ノヴァっちやるね!」
「みんな、ごめん」
茶化すディディを制して、頭を下げた。それから、俺でも使える下級の炎魔法を唱えて、骨付き肉に火をつける。
「は? なんでそれ、燃やしてるわけ?」
「これをしないと整わないみたいで、しょうがないんだ。なんとか、上手くごまかしておいて」
勲章を投げ捨てたときと同じように、俺は大きく振りかぶる。感動の別れとは違う意味で、正直ちょっと涙目だ。
「てい! それじゃ!」
燃えさかる骨付き肉を、堂々と存在感を示す王家の旗、すなわちこの国の国旗に投げつけて、俺は全速力で広間を後にした。
俺だってこんなことはしたくない。したくないけど、しょうがないんだ。どこかの桶屋が儲かるためには、風を吹かせる必要があるのだから。
こうして俺は、栄誉ある勲章を窓から投げ捨て、王様にはちみつ酒の樽を頭からかぶせ、大広間に堂々と掲げられた国旗を燃やして逃走するという、完全無欠の出入り禁止ムーブで王都をあとにした。
目指すのはのどかな町か村。勲章なんか気にしない、はちみつ酒をひっかけても処刑されたりせず、燃やす国旗が一枚もない、静かな新天地だ。
王都から出入り禁止にされても、国内にいられないわけじゃない。あくまでも、出入りしていけないのは王都だけだ。
街道を歩いていても、買い物をしても、乗り合い馬車に乗っても、何を咎められることもない。もちろん、凶悪犯罪とかをやらかせば、国内どころか全世界で指名手配なんてこともありえるけどね。
俺の場合は、これまでの勇者パーティーでの功績のおかげで、無礼度合いから比べれば、随分と寛大な措置をいただいたと思う。しかも懐には、勇者パーティー時代に稼いだ結構な資金があって、つまり俺の旅立ちは、ちょっと追放されたくらいなら順風満帆にいくはずだったんだ。
「はあ、お腹すいた」
そう、王都でとっていた宿に戻れてさえいれば、自分の鞄に入った結構な額の資金を持ってこられるはずだった。はずだったのに。
「あんの騎士団、目の色変えて追っかけてきてさ。なんだってんだろね」
なんだってんだろね、どころじゃないことは自分でもわかっている。だからこれは愚痴というか、空腹を紛らわすための自己演出というか、そういうことだ。
せっかく、仲間のおかげで五体満足で王都を出られるところを、とどめの一撃よろしく国旗に骨付き肉を投げつけてしまったものだから、王様どころか、国ごと侮辱したと取られても仕方ない。
上質な生地の旗がめらめらとはためいて、ぶすぶすと大量の煙を広間に充満させる中、俺は大急ぎで逃げ出した。それはもう全速力だった。いつだったか、冒険の序盤でいきなり出会った、明らかに自分より強い魔物から逃げ出したときを思い出すような勢いで、入り組んだ王城を逃げに逃げた。
それなのに、城門を出たあたりであっさりと、追っ手がかかってしまったんだ。全速力で走ってはみたものの、どうやら城を抜け出すまでに時間をかけすぎてしまったらしい。
地の利は向こうにありというか、こんなことなら、お貴族様との会食とか、成果報告を兼ねた堅苦しい式典とか、みんなに任せっきりにしてきたあれこれに、もう少し顔を出しておけばよかった。
ともかく、追っ手というか追い出し手というか、つまりは俺を一秒でも早く王都から叩き出すためのチームが、数人の忠実な騎士様によって編成されたらしかった。
結果として俺は、目を血走らせた騎士様たちに散々に追い立てられて、ほとんど着の身着のままで放り出されてしまった。王城の入口で預けてあった、ちょっとした薬類だとかの荷物と剣を取り返せたのは、不幸中の幸いってところかな。ついでに、王城で礼服に着替えさせられていたおかげで、一応は着替えもあったしね。
荷物なし、お金なし、武器もなしでは、いくらか平和になったとはいえ、魔物や魔獣のうろつく中を旅するのは辛すぎる。
そうして王都から飛び出した俺は、自生している果物や木の実を食べたり、危険度の低い狩りをやったりして、どうにかここまで食いつないでやってくる羽目になってしまった。
立ち寄った町や村で悠々自適にグルメを楽しむような優雅な旅は、夢のまた夢になってしまったというわけ。目指すのが山暮らしやスローライフでも、旅行中は贅沢したかったのにな。
「で、目的地はこの奥ってことか。思ってたより、いい感じに深いね……!」
街道を抜けて、林の間の細い道をくぐりぬけた先、俺の目の前には、スキルが示してくれた目的地である小さな村があるはずの、うっそうとした森が広がっていた。
俺が思い描いていた新生活は、ほどよい田舎暮らしというか、ある程度のライフラインは整っているけど自然が豊かなイメージだったんだよね。
未開のジャングルで森の王を目指したいわけでもなければ、森に棲む魔物や魔獣としのぎを削るサバイバル生活をしたいわけでもない。
それなのに、俺のとりあえずの目的地は、どうやらこの深い深い真っ暗な森の奥深くらしい。耳をそばだてなくても、明らかに平和的ではなさそうな雄たけびやら唸り声やらが、風に乗って運ばれてくる。
いくら空気がきれいで自然が豊かでも、とても大きく深呼吸したい気持ちにはなれない雰囲気だ。かろうじて、獣道なのか村の皆さんが行き来するためなのか、道らしきものが辿れそうなのはまだ救いかもしれない。
「本当に大丈夫なのかな。こっちはいつの間にか完了してるし。はあ……ちょっと自信なくしそう」
手元に浮かべたスキルウインドウをぼんやりと眺める。
勲章の投げ捨て、王様へのはちみつ酒、そして国旗への火炎肉の投擲。すべて、俺のスキル『風が吹けば桶屋が儲かる』の達成クエストとして指示されたものだ。
クエストがつらつらと並ぶ左端には、『隣の男に飯をおごれば、世界が平和になる』とある。
思い起こせば三年とちょっと前。食堂の隣の席でうなだれていた男……サイラスに、なけなしの銀貨でご飯をごちそうして、意気投合していっしょに冒険をすることになったのが、すべての始まりだった。
召喚されたそばから役立たずスキルだと言われて、わすがな路銀を掴まされてあっさり城から追い出された俺と、中流貴族の放蕩息子として実家を追い出されたサイラス。なぜだか他人の気がしなくて、山盛りのお肉をいっしょに口いっぱいにほおばったっけ。
最初はやさぐれた貴族の次男坊でしかなかったサイラスは、見事に数々の難関を乗り越えて、立派な勇者になった。人間に、そして世界に害をなすとされてきた魔物もいくつか倒して、きっと世界もいくらか平和になったんだと思う。
「サイラスを勇者にしたところで、スキルの期限切れだったりしてね」
数年がかりで温めてきた壮大なクエストの仕上げが、国旗を燃やして追放よろしく一人で逃げ出すのでは、あまりにもガス欠感がひどい。
「まあ、なるようになりますか」
今回やってきた辺境の森林地帯も、別のツリーにぶら下がったクエストに従っている。俺にはこれしかないのだし、なんだかんだで上手くやってきた自負もある。
スキル自体が消えたわけでもなし、進んでいけばじきに調子も戻ってくるよね。
「はあ、お腹すいた。とりあえずでいいからなんか食べたい」
もくもくと足を動かして、気を紛らしがてら、何度目かの空腹を森の茂みに訴えかけたそのときだった。
チリンと鈴の鳴る音がした。
「お、どれどれ?」
立ち止まって、いそいそとスキルウインドウを開きなおす。
『小枝を手折れば、とりあえずなんか食べれる』
想像どおり、そこには新たなツリーが出来上がっていた。
「桶屋クエストなしでツリーだけだ! やった、なんか食べれる! はず!」
サイラスとの出会いから始まった壮大なツリーのように、達成までにいくつものクエストをこなす必要があるものもあれば、今回のように、きっかけになる何かをすればすぐに叶うこともあるのが、俺のスキルの気まぐれなところだ。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩いてみると、ひょいとはみ出した小枝が、こちらをどうぞと言わんばかりに右手にこつんと当たった。絶妙なポジショニングといい、いっそ不自然ですらある、俺の手元に向かったはみ出し方といい、おそらくこれに間違いない。
「それじゃあ、やってみますか」
スキルが指し示すとおりに、俺はその小枝を片手で掴み、ぱきりと手折った。
「わ、こんなところから?」
すると、ちょうど近くに隠れていたらしい小動物が、驚いて飛び出した。小動物は、俺が小枝を折ったのとは別の木に頭から突っ込むと、くるくると目を回しながら逃げていく。
「おっと、今度は鳥か」
小動物が突進した木で休んでいたらしい小鳥が、慌てて飛び立つ。
「あぶなっ!」
そこへ、一回り大きな猛禽類が急降下して襲いかかった。
小鳥はひらりとそれをかわすと、俺が小枝を折った方の木に逃げ込んだ。猛禽の大きな体では、枝を縫うようにしてちょこまかと逃げる小鳥を捉えきれない。
猛禽はすぐに諦めたようで、ばさりと大きく羽ばたいて飛び去る。
「なるほど。で、こうなると」
森が静かになると、俺の手の中には、小枝を折った木から落ちてきたらしい果物がひとつ、すっぽりとおさまっていた。
猛禽の羽ばたきで木から落ちてきたらしい果物は、美味しそうに赤く色づいている。
しげしげと眺めてみれば、何度か食べたこともある、ほとんどりんごに近い果物だった。
改めて見上げると、だいぶ頑張って木登りしないと届かないような場所に、いくつかの果実が見え隠れしている。色づき方もまばらで、ちょうどよいものがひとつだけ手の中におさまってくれたのは、さすがという感じだ。
「いただきます!」
目立つ汚れや虫がついていないことを確認して、念のため服のすそでごしごしと皮をこすってから、俺は真っ赤な果物にかぶりつく。
甘酸っぱい果汁が、しゃくしゃくとちょうどよい固さの果肉といっしょに口の中ではじける。酸味もしっかり感じられて、疲れた身体に心地よい刺激だ。夢中でほおばって、種とへたは土に返させてもらう。
「美味しかった、ごちそうさま! でも本当に、とりあえずなんか、だったね。基本に戻ったみたいでちょっと嬉しいかも」
自信なくしそう、などと考えたものだから、そんなことはないよとスキルが返事をしてきたような気分だ。
まだまだ自分のスキルが仕事をしてくれる感触を得て、それならもっとお腹いっぱい食べたいなと考える。ついでに、お金も稼がなきゃいけないし、この森にやってくるきっかけになった、のんびりした理想の暮らしに向けたツリーも育てていきたい。とりあえず予定どおり、村を探してみようかな。
チリンと、また頭の中で鈴が鳴る。
『川に入れば、お腹がふくれて居場所が見つかる』
俺は思わず吹き出した。スキルに出てくるツリー表示は、どうやら俺自身の語彙を頼りにしているらしいから、こうなることも多いんだけど、お腹がふくれて、との一言が盛り込まれているあたり、随分と直接的だ。
川か……溺れてお腹がぱんぱん、居場所は川の底をご用意しました、なんてオチはないって信じてるからね!
ちょうど右手から聞こえてきた水のせせらぎを頼りに、俺はゆっくりと歩き出した。
清らかで澄んだ流れに、そっと手を入れる。冷たくて気持ちがいい。流れもゆるやかだし、気温も十分。これなら大丈夫そうだ。
「村に着く前に、ついでに水浴びしときますか」
日本出身の身としては、そろそろ温かいお風呂が恋しくなってくるものの、まったく身体を洗わないわけにもいかない。川を見つけたら水浴びをしたり、身体を拭いたりしてしのいでいた。
到着してからお風呂を探してもいいんだけど、この大森林のさらに奥にある村となると、宿屋自体が存在しないおそれもある。それに、第一印象はさっぱりしておいた方がいい気がするしね。
もし温かいお風呂がなかったら、まずはお風呂の啓蒙活動から始めようかな。
念のため、スキルウインドウを眺めてツリーを再確認した。お腹がふくれるツリーには、川の入り方に関する指示はない。強いていえば、上半身はきちんと脱ぐように注意書きがしてあるくらいだ。
これなら、ついでに水浴びしても失敗にはならないよね。
さすがに全裸になってしまうと、いざというとき……もちろん、なるべくそんな瞬間はこないでほしいけど、身動きがとりづらい。下着のパンツを残して服を脱ぎ、荷物といっしょにまとめておいてから、ゆっくりと川に足を入れる。
透明度が高くて、底まで見渡せるくらい綺麗だ。急に足がつかなくなって溺れちゃう……なんてこともなさそうだ。簡単に頭と身体を濡らしてこすってから、穏やかな流れに身を任せてぷかりと仰向けに浮かび、ぼんやりとスキルウインドウを眺めた。
一人になってからというもの、俺はスキルウインドウばっかり眺めている気がする。日本にいた頃、特にみるものがないのにスマホを眺めてしまったあの時間に似ているかもしれない。
おなかが膨れるツリーのひとつ上、追いかけているメインのツリーには『栄誉を捨てれば、理想の暮らしが始まる』なるタイトルがついている。
これは今まで見たことのないタイプで、いつの間にか終わっていた『隣の男に飯をおごれば、世界が平和になる』のツリーに入っていたクエストである、勲章の投げ捨てから派生しているように見える。
『栄誉を捨てれば、理想の暮らしが始まる』にぶら下がっているのは、今のところ森林深くにある村……ラルオ村へたどり着くことだけだった。とりあえず行けばわかる、行ってみなければ何もわからないってことだね。
身体も綺麗になったし、考えの整理もできたし、冷えてしまう前に上がろうかと身を起こしたところで異変に気づく。身体が、やけに重い。
「うわあああ!」
原因はすぐにわかった。スライムだ。無色透明なスライムが、何体も俺の身体にまとわりついている。川の水も透明、スライムも透明で、しかも呑気にぷかぷか浮かんでスキルウインドウに集中していたから、気づくのが遅くなってしまった。
「痛い! ひい、うわ、血を吸われてる!?」
スライムからぬるりと伸びた触手らしきものが、ぶすりと俺の身体に浅く刺さり、そこからじんわりと血が吸われていくのが見えた。水浴びしてたらいつの間にか血を吸われて、干からびちゃいました、なんて冗談にもならない。おなかがふくれるどころか、しわしわ空っぽコースじゃないか。
まとわりついたスライムを、ちぎっては投げて引きはがしながら、大慌てで川から上がる。
血を吸われたことでだるくて重たくなった身体に鞭を打って、河原に置いてあった剣を抜き放つ。とにかく、スライムを全部剥がさないと。
俺が川からあがったことで逃げられると思ったのか、スライムたちの吸いつきが、水中にいたときより明らかに強くなっている。
「離れろ……って!」
メリメリと音を立てて、いくらかの流血とともに最後のスライムを引き剥がしたところで、ぜえはあと肩で息をする。勇者パーティーの一員なんて言ったって、俺には特別な戦う力はない。
異世界にきてから覚えたちょっとした剣と、戦いの役に立てるかどうか微妙な程度のいくつかの魔法。それから、王様に運任せと揶揄されたユニークスキル。それだけだ。
三年ちょっと駆け回っていたから、体力や筋力は比べものにならないくらいついているし、冷静に準備して身構えた状態なら、スライムだとか、街道の外れに出てくるような魔物や魔獣に負けはしないけど、水浴び中はひどいじゃないか。
「うは、冗談でしょ……?」
荷物と服を取ろうとした俺は、思わずへらりと口元をゆがませた。
川の中からわらわらと、獲物を逃してなるものかと言わんばかりの、大量のスライムが上がってきていた。
相変わらずの透明っぷりだけど、陸に上がればなんとなく形はわかる。なるほど、水そのものに擬態して待ってたってわけか。生命の神秘ってすごい。
なんて、感心している場合じゃない。集合体恐怖症の人が出くわしたら、卒倒しそうな眺めだ。透明でよく見えないのが、逆に救いかもしれない。
這い出してきたスライムたちは、すでに俺のシャツとパンツ、荷物にも群がっている。今すぐこの場を離れたい。離れたいけど、さすがに荷物一式を全部放り投げて、パンイチで旅の続きをやるのは辛すぎる。剣をどうにか握りしめていても、心の剣が折れちゃいそう。
「てえい!」
タイミングを見計らって服と荷物をぱっとひっつかむと、俺は一目散に逃げ出した。
当然、スライムは追ってくる。シャツとパンツにはすでに、びっしりとスライムがひっついていた。水中で俺の身体にひっついていた数体とは、比べるべくもないびっしり具合だ。それでも、残念ながらそれらを丁寧に剥がしている余裕なんてない。もちろん、スライムまみれの服を着る余裕も、勇気もない。
不本意ながらパンツ一丁で森を駆けぬけ、シャツとパンツをぶんぶん振り回す。ひっついたスライムは、まったく剥がれる気配がない。今のこの姿だけは、サイラスたちにも、他の誰にも、けっして見られたくない。
無事に逃げ切ってスライムたちを剥がしたら、そのままお墓まで持っていこう。
「きゃあああ!」
早くも見られた!?
突然の悲鳴に、どこを隠せばいいやら、くねっとした不思議ポーズで剣を構えてしまい、自主的に恥を上塗りした俺めがけて、一人の女の子が走ってくる。
「ごめんなさい、どいて!」
「そんな急に無理ですぐぼあっ!?」
見事なポージングをキメたまま硬直した俺は、見知らぬ女の子からショルダータックルのプレゼントをいただいた。半裸のままごろごろと数回転して、うつむきに止まった俺は、熱烈なキスの相手を務めてくれた冷たい大地に別れを告げて、顔をあげる。
「ごめん、大丈夫? 怪我してない!?」
「そっちこそ……ってどうして裸!? っていうか、そんなことよりあいつは!?」
どうやら無傷だったらしい女の子は、がばっと起き上がると、手にしたナイフを握りしめて身構えた。
そういえば、何かに追われているようだった。どんな相手で、どれくらい距離があったのか。何もわからないままごろごろと転がってしまったけど、確かにそれどころじゃない。
ぎゅっと拳に力を込めて、俺も女の子と同じ方に視線をやる。
どこから、何がくる?
鈴の音は聞こえなかった。新しい桶屋クエストが出ているわけでもないとなれば、今の俺にできることは限りなく少ない。
「あれ……もしかして、俺の?」
握りしめていたはずの剣も荷物も、ついでにスライムまみれのシャツとパンツも、手元からなくなっている。さっき女の子にぶつかったときに、ばらまいてしまったらしい。
それは仕方ないし、問題はそこじゃない。
問題は、俺の手を離れて飛んでいったシャツとパンツをかぶった何かが、怒りに満ちた様子でうごうごと這い寄ってきていることだ。
「気をつけて。牙と血に強い毒を持つ猪型の魔獣です!」
緊張感のある声で、女の子がこちらを振り向かずに叫ぶ。
シャツとパンツの隙間から、黄色い目玉がぎょろりと覗いた。完全にお怒りだ。
「わたしがなんとかするから、合図したら逃げて」
女の子が、俺がやってきた茂みの方を指さす。なんとかするって言ったって、どうするのだろう。
女の子が手にした小ぶりのナイフは肉厚で、対魔獣用にも役に立つのかもしれないけど、牙と血に毒を持つらしい相手に、リーチの短いナイフでは相性が悪すぎる。
ナイフで一撃を入れるためには牙の間合いに入らなければならないし、かいくぐって斬りつけたとしても、返り血で毒を浴びてしまう。
「そんな、放っておけないよ」
魔獣を警戒しながら、剣の位置を確かめる。魔獣の斜め前……正直、嬉しくない位置だ。でも、絶対に不可能ではなさそうだ。
「変なこと考えないで」
「いや、いける!」
かけ声をはずみに、俺は剣にとびついた。
あの魔獣より、もっと大きくて凶暴で、素早い相手と対峙したことだってある。山あいの村で新生活を送ることになるかもしれないなら、地元の魔獣さんくらい相手にできなくてどうする。
「あぶないっ!」
取った。握った剣の柄からひやりとした感触が伝わってくる。
とびついたままの体勢で、魔獣に意識を向ける。魔獣は完全にこちらを向いて、姿勢を低くしていた。剣の柄よりもっと、本能を刺激するひやりとした感触が背中をつたう。
――突進してくる!
ぐっと魔獣の前足に力が入る。俺はまだ、剣をどうにかつかんだところで、身体を起こそうとしている途中だ。
牙に毒があると女の子は言っていた。そこだけは注意して、いなすか受けるかして立て直す。それしかない。覚悟を決めて集中した。
ぐうっと、景色がゆっくりになるような感覚に襲われる。身体が鉛のように重い。
アドレナリンだかなんだか、脳内から大量の何かが放出されて、神経を研ぎ澄ませてくれているのだろうけど、それならちゃんと、身体もいい感じに動くようにしてほしい。意識だけゆっくりのまま、猪の突進を真正面からいただくなんて、何の罰ゲームだよ。
「……あれ?」
ゆっくりした視界の中で、いくら待っても突進はこなかった。
魔獣はぐっと前足に力を入れて、そのままゆっくりと、前のめりにどさりと倒れてしまった。
「もしもし? 魔獣さん?」
警戒しながらゆっくりと近づいて、剣でつついてみても反応がない。
もともとひん死で、決死の覚悟で女の子を追ってきていた?
いや、そんな風には見えなかった。それじゃあどうして?
首をひねっていると、魔獣の身体から、透明の液体がじわじわと染み出してきた。毒を警戒してとびのく。でも、それ以上のことは起こらない。
どうやら動かなくなってしまった魔獣から、視線を女の子に移す。目を合わせてくれた女の子も肩をすくめて、わからないといった表情だ。
「なんかわかんないけど、倒せた……のかな? ちょうど寿命だったとか?」
「こ、これは……うそでしょ!?」
錯乱した考察で目をくるくるさせる俺をスルーして、女の子が驚きの声をあげた。
「何かわかったの?」
「その反応……冗談よね? あなたが、狙ってやってくれたんじゃないの?」
「いいえ、違います」
即座に全否定だ。
できないことをできると言いはって、いいことがあった試しはない。誤解は早めに解いておくに限る。
なにしろ、俺がやったことといえば、女の子の邪魔をしてぶつかって足を止め、荷物を散らかして、剣を拾いにいったことでみずからピンチを演出したくらいだ。しかも、パンツ一丁で。
なんだかすごくつらくなってきた。あまりにシリアスな話の流れに、とりあえず服を着てもいいかなとも言い出しづらい。
しかも、それが許されたとしても、俺が着ようとしている服はさっきまで吸血スライムまみれで、今は毒持ちの魔獣がでろでろとなんらかの液体を垂れ流して倒れた上に、くったりとかぶさっている。
王城で着ていた礼服は、路銀の足しにして下着の替えとなけなしの食料に変えてしまったから、そこにあるのが一張羅だ。考え事があまりにも多すぎる。
元勇者パーティー所属とはいえ、こんなところで勇気を試されたくはなかった。
「結論からいえば、魔獣は死んでるから、とりあえずもう大丈夫。わたしはリタ。リタ・スフレナ。なりゆきなのかもしれないけど、助けてくれてありがとう」
深々と頭を下げたリタに、慌てて俺も頭を下げる。
「俺はノヴァ、ノヴァ・キキリシム。なんとかなってよかったけど、逃げてるところを邪魔しちゃってごめん」
顔をあげたリタは、真っ赤な髪をさらりとかきあげて、ふんわりと笑った。
「その様子だと、本当に狙ってやったわけじゃないみたいだね。信じられないけど……きみはすごいことをしてくれたんだよ」
ブラウンの大きな瞳が、じっと俺を見つめてくる。目力が強くて、つい目をそらしてしまう。俺の色素薄目のくすんだグレーがかった黒目じゃ、受け止めきれない。
「そうなの?」
「あの魔獣は牙と血に毒があるって言ったでしょ? 血の方の毒が、消えてなくなってるんだよね」
「死ぬと毒が消えるってこと?」
リタは首を横に振る。
「牙の毒は上手に解体すればなんとかなるけど、血の方はどうにもならなくて、困ってたんだ」
「それじゃあ、どういうわけか血の毒だけが……あ、もしかして」
「何か心当たり、あるの?」
なんとなくわかってきた。
魔獣には俺のシャツとパンツがかぶさっていて、シャツとパンツには吸血スライムがびっしりくっついていた。つまり、そういうことだ。
「実はさっきまで、あっちの川で水浴びをしてたんだけど」
「え! スライムだらけのあの川で? 大丈夫!?」
その大丈夫は、俺の身を案じてだよね?
俺の頭の中身に対してじゃないよね?
ざっくりした一言に不安を覚えつつ、ひとまずうなずいて続ける。
「まあ案の定、スライムに襲われちゃって。それでこんな格好で逃げてきたんだけど、魔獣にかぶさってる服に、スライムがいっぱいついたままだったんだ」
「スライムが毒の血を吸って、浄化してくれたってこと?」
「浄化してくれたっていうか……相討ちっていうか?」
魔獣から染み出したでろでろとした透明の液体は、スライムたちの成れの果てに違いない。まさかの相討ち、お互いを引き合わせた俺もびっくりだ。
「すごい! すごいすごいすごい! ノヴァ、めちゃくちゃお手柄だよ!」
「そ、そう? どうもありがとう?」
リタは大興奮してぴょんぴょん飛びはねると、「そうだ、みんなに知らせなくちゃ」と叫ぶやいなや、空に向かってぱあんと光の玉を打ち上げた。
ちょっとした明かりを確保するための、魔力の素養があれば誰でも使える初級魔法だ。
近くに他の魔獣がいたら、寄ってきちゃわない?
なんて言うのはきっと野暮なのだろうし、黙っておくことにする。
「もしよかったら、ノヴァもいっしょに村にきてほしいんだけど、どうかな? その魔獣を村に運んで、食べられるかどうか、いろいろ試してみなくちゃ。もし駄目でもいい素材になりそう!」
「お邪魔じゃなければ、案内してもらえるとうれしいな」
「何言ってるの! ほとんどノヴァが仕留めたようなものなんだから。むしろ、どんなお礼をしたらいいか、みんなに相談しなくちゃだよ!」
「いや、そんな大それたことは別に……それならじゃあ、お願いします」
うんうん、と大きくリタがうなずき、俺もへらりと笑う。
「決まりだね!」
「うん、行こう!」
二人してにこにこと笑いあい、村の人たちを待つ間に、どちらともなく散らばった荷物を片付け始める。
「こんなもんかな」
「そうだね。そしたらノヴァ、悪いんだけどとりあえず」
ひととおり片付いたところで、リタが申し訳なさそうにする。
「うん?」と首をかしげた俺に向かって、頑張って作りました、といわんばかりの笑みをはりつけて、リタは首をかしげてみせた。
「村のみんなが来る前にそろそろ……服、着てみてもいいんじゃないかな?」
「まさか、こんなことになろうとはな……勇者殿、本当にすまなかった」
目の前で頭を深々と下げ、謝罪の言葉を述べているのは、誰あろう、国王陛下だ。
真正面にいる僕はもちろん、隣に並ぶクレア、ディディ、バスクの三人も、驚きと心配をかきまぜたようなあいまいな表情で、所在なげにしている。
「陛下、どうかお顔を上げてください」
むう、と苦しそうな声をあげて、陛下が顔を上げる。
「勇者殿の言うとおりだった……真に国とわしの身を案じてくれた英雄の一人を、わしは罵倒して追放してしまったのだ。どうにかもう一度会って、正式に謝罪をしなくては」
ノヴァが王城を去ったあと、祝賀パーティーは大混乱に陥った。
陛下と入れ違いに賊が飛び込んできて、大広間で暴れたのだ。
僕たちは仮にも勇者の称号を賜った冒険者だ。たった一人の賊相手に遅れをとることはなかったけれど、タイミングが悪かった。
陛下が退席されたあとだったとはいえ、その場に残っていたのは戦う力を持たない人の方が多かった。
守りに徹する僕たちに対して、押し切れないと判断した賊は北側の窓から逃走を試み、直後に北門の近くで騎士たちに捕まった。
大混乱のあの日から数日が経った今日、ことの顛末を聞くために、僕たちは王城にはせ参じた訳だけれど、謁見の間に通されるや否や、陛下に頭を下げられてしまった。
「あの場には、不届きにも、わしの暗殺をたくらむ一派が紛れ込んでおったようでな」
「なんと」
「これからやってくるであろう平和の、希望の象徴である勇者殿へ勲章を授与したあの場でわしを暗殺すること、それが不届きものどもの目的だったのだ」
そういうことか。
世界は、皆の頑張りによって、平和に向けて少しずつ動き始めている。
平和になれば、安定した政治と暮らしが始まる。そうなれば、どうしたって権力は動きにくくなる。
僕も、中流とはいえ元は貴族の生まれだ。国の政治に関して、どんな手を使ってでも、発言権を強くしたい貴族がとても多いのは知っている。
特に過激な一派が、短絡的な思考と焦りにかられて陛下の暗殺を企んでいたとしても、ありえる話だ。
「賊にはすでに口を割らせ、不届きものの一派も捕らえておる。どうやら、ノヴァ殿のおかげできゃつらの計画が大幅に狂ったようなのだ」
もともと、過激派一派は陛下を孤立させる策を考えていた。策がなったあかつきには、ぼやに見せかけた煙を暗殺者への合図として、それを受けた暗殺者が、陛下が孤立しているはずのその場へ突入してことをなす。そんな手筈だった。
ところが、ノヴァが勲章を投げ捨てたり、陛下に酒樽をかぶせたりと騒いだせいで、策を弄する機会をなくしてしまった。
仕方なく過激派一派は、機を改めてあの日は穏便にやり過ごすつもりだったらしい。
実際のところ、陛下は大勢の護衛とともに退席し、あの場には僕たちが残っていた。
過激派一派にしてみれば、目的である陛下がおらず、もっとも退けておかなければいけない僕たちが残ったままの、最悪の状況だった。
それなのに、暗殺者が飛び込んできたのはどうしてか。
答えは簡単、ノヴァが骨付き肉を使って国旗を燃やしたあれが、合図代わりになってしまったからだ。
策が成功したと踏んだ暗殺者は、大広間をそっと覗き込んでほくそ笑んだはずだ。
遠目からは、あの場に残っていたのはごく少数の手勢と、陛下のみに見えただろうから。
まさかそこにいるのが、はちみつ酒漬けのマントの処分を命じられた大臣と、僕たちだとは夢にも思わなかったのだろう。
ついでに、一度は飛び込んだ暗殺者が逃走を図ったあとで、すぐに捕まったことに関しても、ノヴァが一役買っていた。
祝賀パーティーをやっていた大広間の北側、大窓から颯爽と飛び降り、壁を蹴って目にも止まらぬ速さで脱出を試みた暗殺者は、お粗末にも、ノヴァが投げ捨てた勲章の上に着地したことで、足首をぐきりとやって動けなくなってしまったのだ。
皆を守ることを優先して、すぐに追いかける判断ができなかった僕たちだけれど、賊の仲間が追撃をかけてこないようにと、威圧を発したのがよかったらしい。
僕たちのプレッシャーに気圧された暗殺者は、窓から飛び出しながらも、上ばかりに意識が持っていかれていた。
そのせいで、普段なら絶対にやらないようなミスをおかしてしまったというわけだ。
結果的に、逃げそびれた暗殺者は北門の近くで捕まり、それからはもう、城をあげての大騒動だった。
「なんでもしゃべってくれちゃう、素直な暗殺者さんでよかったよね」
くすくすと意地悪な笑みを浮かべるクレアを見て、僕は察した。
「クレア……君がこの数日間、用事があると言っていたのはそういうわけか。感心しないな」
クレアのいけない魔法によって、恍惚とした表情で、もろもろの悪事をそれはもうもろもろと証言する暗殺者の姿を思い浮かべる。人道的に、倫理的に、やってはいけないあれやこれやがふんだんに行使されたに違いない。
このことを僕に相談していれば、僕は必ず反対した。だからこそ、クレアだけが呼ばれたのだ。
「陛下、クレアの力を悪用されては困ります!」
「そ、そこまで人の道から外れたことはしておらぬ……よな?」
「ええ陛下、もちろんですわ」
おそらく現場にはいなかったであろう陛下が自信なさげに聞き、クレアがきらきらとした聖女の笑みでよどみなく答える。なんだか、頭痛がしてきた。
「はあ……どうか不届きものたちの処罰には、しかるべき手続きを踏まれますよう、切にお願い申し上げます」
このままでは、秘密裏に処刑したなどと言い出しかねない。
陛下は素晴らしい方ではあるけれど、ノヴァの一件といい、たまに考えが過激で困る。今回のことで、ノヴァのことは反省してくれているようだけれど……。
「まあ、何事もなくてよかったんじゃないかな」
「ああ、そうだな」
ディディがしみじみと言うものだから、僕もつい口元が緩む。
陛下の暗殺なんて大事件が起こっていたら、これからようやく国内のことに目を向けていけるというタイミングで、大混乱に陥るところだった。
もちろん、しばらくの間は、国をひっくり返しての過激派一派の裁判や後片付けがあるだろうけれど、陛下の暗殺に比べれば、ずいぶんマシだ。
自身の栄誉を投げ捨ててそれを止めてみせたうえ、何も言わずに去っていくなんて。ノヴァ、きみはかっこよすぎるじゃないか。
「勇者殿をお呼びしたのは、顛末を説明したかったこともあるが、ノヴァ殿のことだ。勇者殿であれば、ノヴァ殿の行方もご存じなのではないか? 正式に謝罪し、勲章の授与をやりなおしたいのだ。当然、王都追放の処遇も正式に取り消してある」
ノヴァの疑いが晴れた。こんなにうれしいことはない。
ただ、残念ながら僕にも、ノヴァがどこに行ったのかはわからなかった。
「ご英断です、陛下。しかし、申し訳ありません。ノヴァの行方は、僕もまだ掴めていないのです」
「落ち着いたら手紙くらいは出しなさいよって言ってあるから、もう少し待っていれば連絡してくれそうですけどね」
「むう……ただ待っているだけというのは、なんとも落ち着かんな」
クレアが進言しても、陛下は渋い表情のままだ。
「……待ちながら、探せばいい」
「そうだね! バスクっち、いいこと言う!」
バスクがぽつりと言い、ディディもそれに賛成してぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「そうしよう! 陛下、ノヴァ探索の許可をいただけますか? まだここを離れて数日、そう遠くまでは行っていないはずですし、僕たちも王都を何日も空けたりはしませんので」
「うむ、もちろん許可しよう」
そうと決まれば、さっそくノヴァを、僕たちの大切な仲間を探しに行こう。
「よし、行こうみんな!」
僕たちは、王城を訪れたときの複雑な気持ちとは正反対の、はればれとした誇らしい気持ちで、謁見の間を後にした。
リタの合図でやってきた数人の村人さんたちといっしょに、歩くこと数十分。
森林の奥深くの村……ラルオ村は、人口百人ちょっとの小さな集落だった。
立地から想像していたより、だいぶ広い。広いというか、森の開き方が上手だった。ひとつひとつは小さな畑でも、森と共存しながら、そこかしこが開いてある感じだ。
村のすべてを高い塀で囲うわけにはいかないので、家だけはある程度まとまって建てておいて、畑を散らしてあるのだそうだ。たくさんの小さな畑と、山の恵みとで細々と自給自足しているのだと、リタが説明してくれた。
村からはだいぶ離れたあの場所で、すぐに応援にかけつけてくれた村人さんたちも、リタといっしょに食材や素材を探しにきていて、それぞれ近くにいたらしい。
毒を持つ危ない魔獣だの、吸血スライムの群れだの、のどかな村の風景からは想像しにくい危険地帯で、護身用程度のナイフを片手に散らばって探索するのはいかがなものかと思ったけど、答えは単純だった。圧倒的に人手が不足しているからだ。
昼間ということもあって、簡易的な魔獣除けの柵を越えて入った村の中は閑散としていた。数人の子供たちが何かの手伝いをしていたり、あるいは休憩がてら遊んでいたりして、それを見守る大人はどちらかというとご年配の方が多い。
リタや応援にかけつけてくれた皆さんのように、若くて体力のある村人さんは、割り当てられた作業なり探索なりをやっているのだろう。
「のどかでいいところだね。でもあれだけなんかこう、雰囲気が違うような?」
「あはは、やっぱりそう思う?」
村の中心、広場になっているところに、金属製の像が立っている。
木造の家が並び、小さな畑が点々としている中、そこだけ石造りの台座があって、立派な女性というか、少女の像が立っているのだ。
「初代の村長さんの像なんだって。ずっと昔からあるみたいだよ。それこそ、わたしが生まれたときにはもうあったし」
ずいぶん古いものだというわりには、傷ひとつない台座と像はどこか現実味がない。
もしかして、俺と同じような転移者か転生者が、ここに村を作ったんだったりして?
しげしげと眺めて難しい顔をしていた俺の肩を、リタが苦笑いでとんとんとたたく。
「荷物、とりあえずあそこまで運んじゃおう? ごめんね、お礼をするとか言って、手伝ってもらっちゃってて」
リタが、像が立つ広場の先にある、ひときわ大きな二軒の建物を指さす。
猪魔獣は、数人の屈強な村人さんが運んでくれている。そのかわりに俺は、果物やら木の実やらが入った大きなかごを背負っていた。村人さんの一人が背負っていたものだ。
他にも、このうっそうとした森林の中でそれを一人で運んでいくには、どういうスキルがあればいけるんですかね、と心配になるような大きな荷車に、あれこれと食材や素材を詰めこんだ村人さんもいて、皆さんのたくましさをひしひしと感じる。
「そこに置いてもらえれば大丈夫だよ。ありがとう、あとは座ってゆっくりしててね」
「わかった、ありがとう」
建物の中は、王都にあった大衆食堂のような作りで、長さのあるテーブルがいくつか並び、テーブルの両側に簡易的な椅子がざっくりと配置されていた。
奥には厨房があり、厨房の脇には二階へ続く階段が見える。どこを見回しても造りはシンプルで、実用性重視な感じに好感が持てる。
「ここね、前は冒険者さんとか商人さん相手の食堂兼宿屋だったんだけど、今では村のみんなのごはんをまとめて作る、共用の炊事スペースみたいになってるんだ」
厨房には今も、数人の村人さんがせわしなく行き来して、何かしらの作業をしているようだった。運んできたかごや荷車の中身が、あっという間に片付けられ、仕分けられていくのをぼんやりと眺める。
漠然と、息の詰まる王都暮らしや身の危険を感じる冒険者暮らしより、のどかな村でほどよく暮らしたいなんて考えていたけど、そこには当然、暮らしていくためのいろいろな準備や作業が必要だ。
黙って待っているだけでご飯やベッドが出てくる暮らしがよければ、王都とまではいかなくても、もう少し開けた町に戻った方がいい。
俺はぐっと拳に力が入るのを感じた。この、地に足をつけて暮らしている感じを体験してみたい!
「いいね、テンションあがってきた! ね、何か手伝うことないかな?」
「ええ、ゆっくりしててよ。お客様なんだから」
「いやいや、皆があれこれ頑張ってるのに、じっとしてる方が居心地悪くてさ」
盛大にアピールした俺は、果物と木の実の仕分けを手伝うことになった。
村の皆さんと談笑しながら、収穫してきたものを片づけていく時間は、わくわくして充実した時間だった。
よかった、魔獣と命のやり取りをしたり、屈強な体幹をふるって荷車を操ったり、そういうスキルがないとここでは暮らしていけないのかと思ったけど、やりようはありそうだ。
ひととおり終わってほっとしたところで、主張するようにぎゅるぎゅるとお腹が鳴る。
「おなかすいたでしょ? もう少し待ってね、さっきの猪がそろそろできあがるから!」
リタは猪の方を手伝ってきたらしい。厨房の奥から、じゅうじゅうと肉の焼ける音と、スパイシーで香ばしい匂いが漂ってきた。確か持って帰ってきてそのまま、厨房に運ばれたはずだけど、スライムとのあれこれで血抜きも終わったような感じになっていたのかな。
香草といっしょに、シンプルに焼いているか、木の実やきのこといっしょに炒めているか、どちらにしてもすごくいい匂いだ。本当に毒が抜けているのかは不安が残るところではあるけど、それはあとで確かめるしかないかな。
日が落ちかけてきて、村全体としても食事の時間らしい。
村にいる人がほとんど全員集まっているのでは? というくらいの大人数が、やってきては次々と席についたり、できあがった料理を運ぶ手伝いを始めている。
「お前さんが例の、リタを助けてくれたっていう旅人さんか?」
促されて、リタといっしょに座った席にやってきたのは、ひときわ背が高く、筋骨隆々のナイスミドルのおじさんだ。腰に差した剣といい、たたずまいといい、ふつふつと強者の雰囲気を感じる。
「紹介するね。うちの村長やってるランド。こっちはノヴァだよ」
よろしくな、と差し出された手を握り返して、俺も簡単に名乗る。握力が非常にお強い。
「リタが世話になったな。まあとりあえず、食ってくれ。こいつはあんたの獲物のようなもんだ、遠慮はいらない」
皿に切り分けられて運ばれてきた猪のステーキに視線を向けると、ランドは満足そうな顔をした。猪ステーキは、俺がいるテーブルに座るメンバー、つまりは猪を仕留めて、運んできたメンバーを中心に配られているみたいだ。さすがに村中に切り分けて配るには、足りないもんね。
「ええと、すみません。念のためなんですけど、毒が全部きちんと抜けてるのかどうかって、どうやって確かめてる感じです? 野生の魔獣を、安易に調理して食べるのはおすすめできない気がしますけど」
出来上がった美味しそうな料理を前にして、ぶん投げる台詞じゃなかったかもしれない。しっかりと場の空気が凍りつくのを感じる。ごめんなさい。
スライムのおかげで、本当に毒抜きがされていたのかもしれないし、このあたりの村人さんは、多少の毒なら耐性があるのかもしれない。
でも俺は、そんなに強靭な胃袋をもっているわけじゃない。むしろ胃腸はデリケートな方で、王城二階のトイレの個室とはずいぶん仲良くさせてもらっていた。実はちょっとだけ毒が残っていて、手違いで死んじゃいました、では困る。
ここの厨房を見る限り、申し訳ないけど専門的な知識がある料理人がいるようにも見えない。ふらっとやってきた旅人さんの俺としては、場の空気がどれだけ冷えても、自分の身は自分で守るしかないのだ。だからお願い、皆さんそんな目で見ないで。食事の前に胃に穴が開いちゃう。
「はっはっは、用心深いな。それなら心配ないさ。うちにはリタがいるからな」
「どういうこと?」
「わたし、毒見のスキルを持ってるんだ」
なるほど。毒見は、所持人口としてもそんなに多くはない、便利なスキルだ。
有力な貴族だとかの中には、もしものことを警戒して、お抱えの毒見役を雇っているところが多い。
こういう森や山で暮らしていくにも、毒きのこを見分けたり、初めて見つけた食材が食べられるかどうかを判別できる。なんなら、俺もほしいくらいだ。
考えてみれば、最初に会った時点で、リタは血の毒が消えていることに大喜びしていたっけ。あれは、あの場でスキルを使っていたからってことか。
「毒見があるから、食材とか素材を探すときのまとめ役をやらせてもらってるんだ。牙の毒が混ざらないように解体はわたしも手伝ったし、このお肉に毒が入ってないことは保証するよ」
そう言って、リタは木製のナイフとフォークで猪ステーキを一口大に切ると、ひょいと口に運んだ。切り口からしたたる肉汁にごくりとつばを飲み込んで、俺もそれにならう。
「うわ、めちゃくちゃおいしいっ……!」
溢れる肉汁は野生の魔獣とは思えない上品さで、なめらかで旨味の凝縮された脂が口の中いっぱいに広がっていく。香草と塩でつけられたシンプルな味付けが、肉の旨味をより引き立てている。肉はサクサクとほどよい噛み応えで、するりと喉を通っていく。つけあわせの木の実をほおばれば、パンチの効いた酸味が、わずかに残った脂っぽさをさっぱりと洗い流してくれた。
「すごいね! 臭みも全然ないし、塩気も焼き加減も完璧!」
本当においしくて、身振り手振りをまじえて大絶賛する俺に、リタは満足そうに笑った。
「ふふふ、リタさん特製の香草焼き、お口にあったみたいでなによりだよ」
他の皆さんも、それぞれに口元をほころばせてステーキを食べている。
「ところで本当なのか? 煮ても焼いても食えなかったこいつの毒を、スライムで取っ払っちまったってのは」
「ええと、そういうつもりじゃなかったんですけど、結果的にそうなったというか」
「リタに聞いたとおり、本当に偶然ってわけか。とんでもない強運だな」
うちでも、あの手この手で毒抜きは試してみてたんだがな。ランドが、本当に信じられないという顔をして、リタや他の皆さんに視線を配った。いくつかの首肯と感嘆の声が返ってくる。
強運といえば確かにそうだけど、俺のはただの運じゃない。
つまりはこれが『川に入れば、おなかがふくれて居場所が見つかる』結果なのだろう。ちょっと危ない目にはあったけど、目的の村にたどりついて、おいしいごはんにもありつけた。今回もありがとう、桶屋クエスト。頼りにしてる。
「強運というかまあ、そうですね。運がよかったです」
ただし、それを説明はせずにへらりと笑ってやり過ごす。
俺のスキルは、説明してもわけがわからないというか、むしろ説明すればするほど通じなくなっていく場合が多い。それが原因で王都も追い出されているしね。早めに切り上げて、次の話題にしてしまおう。
「皆さん、いつもお一人ずつで食材の探索とかされてるんですか?」
投げかけた質問にリタは目をそらし、食材調達班の村人さんたちが苦笑いする。
「普段は必ず、二人か三人のチームを組んでるよ。今回もそうだったんだけど、ちょっと、レアものを見つけて……それを追いかけようとしたら、ね」
リタはレアものをみつけると目の色を変えちゃうから、といくらかの野次というか愚痴というか、心配の声があがる。
そういうタイプか……まとめ役のリタが、他の皆を放り出して、目の色を変えて走り出すところを想像する。きっと村人の皆さんは、日頃から苦労しているんだろうな。
勇者パーティーでいえば、聖女のクレアがそのタイプだった。何かを見つけて、「かわいい!」とスイッチが入ってしまえばもう手がつけられない。普段とはがらりと態度が変わり、他のことはほとんど二の次になってしまうのだ。
しかも大抵が、俺からすれば怖い部類に入る造形のものばかりなんだよ。
魔力をまとって追いかけてくる髑髏とか、首がふたつある蛇とか、よくいっしょに追いかけさせられたり、追いかけられたりしたっけ。
最終的に、いつも手を汚すのは俺だったよね。懐かしくて、せっかくおいしいお肉で満たされたおなかが、なんだかちくちくしてきた。忘れよう。
「じゃあこの猪、レアものだったってこと?」
いやいや、と村の皆さんがそろって首を振る。
「残念ながら、これはそこらへんにいくらでもいるやつさ。リタから聞いてるだろうが、牙にも血にも毒があるせいで、倒しにくいうえに食えもしなくてな。どうにも扱いに困ってたんだ」
ランドが身振り手振りを交えて、その面倒くささを解説してくれた。
「そ、わたしのナイフとは相性が悪すぎて、逃げるしかなかったんだよね。村からはどんどん離れちゃうしレアものは見失うし、どうしようって思ってたところで、ノヴァに会ったわけ」
「ついでにいうと、お前さんにひっついてきてたスライムどもも、厄介なやつらでな。毒はないがあの見つけにくさと群れっぷりだろ? 一部の川はほとんど占領されちまって、水汲みにも一苦労ってところさ。厄介なやつらをぶつけあって、食い物の確保までできるとなりゃ、お前さんにはどれだけ感謝してもしきれないよ」
「うんうん。やり方は工夫が必要かもしれないけど、これからはあの猪も食料として狩っていけそうだからね。だいぶ助かっちゃいそう」
そうだそうだ、本当にありがとうと全方位からお礼を言われて、なんだか恥ずかしくなってきた。
「偶然とはいえ、お役に立てたならよかったです」
せっかくいい雰囲気になってきたし、ついでに切り出してしまおう。
スキルを信じてここを拠点にするとなれば、何かしら食い扶持を稼ぐ手段が必要だ。
よそ者お断りの雰囲気は今のところ感じられないけど、ここに住んでみたいと切り出せばどうなるかはわからない。うん、そういう話は早いほうがいいよね。
「しばらく、このあたりにいられたらって思ってるんですけど、何か仕事とかありますか? 毒見はできないけど、食材の解体とかちょっとした料理、雑用全般ならいけるし、そんなに強い相手じゃなければ、魔獣の討伐とか狩りもお手伝いできると思います」
決心したにしてはマイルドな、とりあえずしばらく滞在したい程度の切り出し方になってしまった。ここに決めた、というほどには俺自身も覚悟ができていないので、お互いにお試し期間ということで考えてもらえないかな。
へらりと笑って村長のランドに視線をやると、ランドの目の光がぎらりと強くなっていた。
「いいのか? お前さんはうちのちょっとした英雄だ。通りすがりかと思ってたんだが、しばらくいてくれるとなりゃ、活気が出て助かるな」
鼻息を荒くするランドを見て、横からリタがにやりと笑って口を開いた。
「ノヴァ、逃げたくなったらわたしに相談してね。ランドは気に入るとしつこいし、無茶ぶりするから」
「おいおい、そりゃないだろ!」
いくつかの野次がとび、笑い声に包まれる。なんだか本当に、人が暖かいというか、いい雰囲気で嬉しくなった。
「無茶ぶりされたら相談するよ。それじゃあひとまず、しばらくの間よろしくお願いします!」
ラルオ村のあるジルゴ大森林は、もともと実り豊かな森だ。
厄介なのは毒猪とスライム、それから食べ物を横取りしてくる猿の魔物、成長すると人にも手を出してくることのある食虫植物くらいだと、ランドから説明を受ける。
村の中心部を囲う木の柵と、昼間でも焚かれている不思議な匂いのするかがり火は、主に猪除けに効果を発揮しているらしい。
今のところは、村の中に入ってくるようなことはほとんど防げているけど、それも完全ではないから注意するように、とのことだ。
まあそうだよね。王都くらいがっしりした塀があって、東西南北の門で兵士の皆さんが出入りをチェックしているようなところならともかく、小さな村で完全に魔物や魔獣の侵入を防ぐのは至難の業だ。
サイラスたちと旅をしていた頃に、柵も塀もなしで、隠ぺいと魔物よけの高度な魔術で侵入を防いでいる集落なんかもあるにはあったけど、あれはめちゃくちゃ特殊な例だもんね。
「お前さんには、基本的に食材や素材の調達を手伝ってもらうかな。せっかく外の世界を旅してきた経験があるんだ。ついでに運もあるとなりゃ、猪とスライムみたいな幸運を呼び込んでくれるかもしれないしな」
「あれはそう何度もあることじゃないと思うし、お手柔らかに……!」
猪魔獣の数は多いものの、森林を抜けてしばらくいった先にある大きな都市で、ギルドに討伐を頼むほどではないのが難しいところだ。
難しいというか、討伐を頼めれば助かりはするものの、費用対効果が悪すぎて、二の足を踏んでいる状態なんだって。
都市から冒険者なり都市付きの兵士なりを派遣して、森林に踏み込んで、討伐をやって……となると、出張費用とか滞在中のあれこれとか、通常と比べてかさむものが多すぎる。
それなら、ある程度戦える村人を中心に、本当に危ないときだけ対処して、あとは共存するのがちょうどいいのだそうだ。
魔獣と隣合わせの暮らしの中でも、これだけ快活に笑って過ごせる村の皆さんの気質は、俺からすれば感動すら覚えるほどで、話を聞いただけで元気をもらったような気持ちになっていた。
猪魔獣や他の食材を運んだときにしても、食事の前に作業を手伝ったときにしても、穏やかで物腰がやわらかく、自然体で接してくれる。とにかく気持ちのいい人たちだし、波長というか相性というか、村の雰囲気も俺に合っている気がする。
「できる限りのことは頑張るし、猪魔獣も、普段なら勝てる相手だと思うから、討伐も頑張るよ!」
「普段ならね。ふふ、出会ったときはほとんど裸だったもんね」
「そうそう、パンツ一丁じゃなければ勝てる相手……ってリタさん、それ早めに忘れてもらえる!?」
「ごめん、村のみんなにひととおり話しちゃった」
ぺろりと舌を出すリタに、村のみんながけらけらと笑う。
パンツ一丁で飛び出してきて、幸運を運んできたちょっとした英雄……なんだろう、これからのふるまい次第で、どっちにも傾いていきそう。気を引き締めていこうね。
「まあとりあえずは、こんなところだな。明日からはみっちり働いてもらうとして、今日はしっかり食ってくれ。猪は今出てる分で品切れだが、食うものはまだまだあるからな!」
仕切り直しといわんばかりに、ランドがにやりと笑って明るい声を出す。
力をつけて、明日からまたやってやろうぜ、と村人の皆さんも笑顔を見せた。俺もにっと歯をみせて、残りの猪にフォークを伸ばす。
「悪い、もうひとつあった。しばらく滞在するとなると、一応、ここの二階が宿がわりになってるんだが、どうする?」
「あ……そうだった、そのことについて、ご相談がありまして」
「おいおい、なんだよ改まって。とんでもない代金を請求したりはしないさ」
俺がしたいのは、まさしくその話だ。
とんでもない額でなくとも、残念ながら俺は、お金をまったく持っていない。とりあえず屋根のあるところに置いてもらえれば御の字。駄目なら、皆さんの迷惑にならない野宿スポットを教えてもらわないといけない。
ついでに、スライムに占領されていなくて、服を洗ったり水浴びしたりできる川も教えてもらえると助かる。熟練の冒険者らしくふるまうには残念な相談ばかりで、へらりとした笑みがこぼれてしまう。
「実はまったくお金をもってなくて、どこか野宿していい場所とか、スライムがいなくて身体を洗える川とか、教えてもらえないかなって」
ランドたちは、一瞬きょとんとしてから、盛大に笑い出した。
「はっはっは! お前さんの旅も訳アリってことか? いいさいいさ、そういうことなら代金はいらない。ここに旅人なり冒険者なりが来ること自体が久しぶりなんだ。上の部屋はいくらでも余ってる、好きな部屋を使ってもらって構わない」
「洗濯は井戸があるから、そこでできるよ。身体を洗うのも同じで、井戸から水を汲むか、スライムが少ない川も案内できるから」
ランドとリタが順番に教えてくれる。
「……スライムがまったくいない川っていうのはないんだ?」
「うん、残念ながら。川はスライム以外にも魔物や魔獣と鉢あうことが多いから、行くにしても水を汲んできて使う方が安全かも」
「それなら井戸を使わせてもらおうかな。吸血スライムは、しばらくいいや……昼間のあれ、夢に出てきそう」
「それじゃあ井戸にはあとで案内するね」
リタがくすくすと笑う。透明だからと警戒を解いて、飛び込んだ俺が悪いと言えば悪いけど、あれはなかなかきついものがあった。大人しく井戸から水を汲もう。それがいい。
井戸には、スライムはいないんだよね? 水汲みのつもりがスライムを汲んでたら、今度こそ泣いちゃいそう。
「追加追加で悪いが、金の話をもう少ししといていいか? 申し訳ないがうちも懐は厳しくてな。仕事をやってもらった分の報酬は、出せても現物支給……とってきた素材の一部を分けたり、飯を出せたり、それくらいだ。金を稼ぎたいなら、それこそよそへ行った方がいいと思うが、大丈夫か?」
「ああ、それは大丈夫です。部屋を使っていいっていうだけで、すごく助かります!」
ついでにお金も稼げたら、なんて少しだけ考えていたのは内緒にしておこう。
村で過ごす分には、さしあたってお金は必要なさそうだし、もし出ていくことになったら、そのときにまた考えればいい。日本から転移してきて苦節うん年。とりあえず野宿してお金はあとから考えればいいやなんて、俺も何気にたくましくなったね。
「それからもうひとつ……これで最後だからよ」
「なんでしょう?」
ランドが再び険しい顔をするので、俺も頭を転移前の世界から引き戻して、真面目な顔で答える。
「その、ですだのますだのって堅苦しいのはなしにしてくれ。今日だけふらっとやってきた旅人ならまあよかったが、しばらくいっしょにやっていこうって仲間になるなら面倒だ」
「わかったよ。ありがとう、ランド」
とりあえずの宿と居場所を見つけた俺は、村の皆さんとの食事をわいわい楽しんでから、適当な部屋に荷物を運び込んで、横になった。
宿屋として機能していた頃の名残というか、ちょうどサイズに合う服がいくつかあったので、それもお借りすることにした。着ていた服は明日洗ってみるにしても、もうぼろぼろだから助かっちゃったな。
ごろりとベッドに横になって、スキルウインドウを開いてみる。
おなかがふくれるツリーと、理想の暮らしツリーの中にある村を目指すクエストがクローズしているけど、新しいクエストは出ていない。
理想の暮らしが始まる方は、明日からここでどう過ごすかによって、続きが出そうな感じだね。
これまでの傾向からしても、目的となる物事に対して、考える時間や触れる時間が多いほど、スキルが発動しやすい気がするし。狙って発動させたりはできないからなんとも言えないところだけど、それこそできることをやってみるとしますか。
歓迎ついでの宴から数週間、俺はすっかり村に馴染んでいた。
村での暮らしは想像よりはるかに快適で、日々の食材や素材調達は大変ではあるけど、やりがいもある。勇者パーティーにいた頃より、俺自身で何とかしなくてはいけないことが増えたからなのか、桶屋スキルの発動頻度も上がって、なんだかいい訓練にもなっていた。
ついでに、水浴びメインだった村の暮らしに、お風呂文化を啓もうする活動も、かなり定着してきている。
なにしろ炎魔法があるからね。イメージは天然素材のドラム缶風呂みたいな感じで、二日に一度はあったかいお風呂に入れるような習慣が整いつつある。あったかいお風呂、最高。
「ノヴァ、おはよう。朝ごはんできてるよ」
「おはよう、ありがとう」
とりあえずの宿として借りた部屋から、いつものように一階の食堂に下りていくと、厨房からリタが声をかけてくれた。
お礼を言って、空いている席を探す。
食堂での朝ごはんは、厨房と各席を挟んだカウンターに大皿で料理が並べられて、セルフサービスで適当な量を取っていくスタイルだ。簡易的なビュッフェ形式ってやつだね。
取りすぎないように気をつけて、パンと干し肉、スープをよそって席に座り、手を合わせて食べ始める。
スープには大抵、きのこや木の実などが入っている。味付けはあっさりしているものがほとんどだけど、干し肉の塩気が強いのでちょうどいい。
今日のスープは、木の実がスパイスがわりになっていて、クセになる辛味のおかげでスプーンを動かす手が止まらない。パンにも木の実が練り込んであるようで、ぷちぷちとした食感が楽しい。
「ノヴァは美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があっていいね」
厨房での準備が一区切りついたのか、リタが向かいに座った。
「いやいや、美味しそうっていうか、本当に美味しいからだよ」
食事を作るのは、何人かで当番制だ。
各々の家で食べる人ももちろん多いけど、食材調達とか、村の外で作業している人たちの分は、朝昼兼用でまとめて作っておくのだ。片付けは、食べた人がそれぞれやってから出かけていくのが暗黙の了解になっている。
「あ、それ、いい感じにサイズ合ってるね。しばらく着る人いなかったし、もらっちゃっていいんじゃない?」
宿屋で緊急時に貸し出すためにストックしてあった服を、とりあえず着させてもらってからというもの、なんとなくその流れで何着かを着回しさせてもらう形になってしまった。下着だけは、先に買い込んでおいてよかったね。
「さすがに、そのままもらっちゃうのはちょっと……どれかの作業の報酬としてもらえないか、ランドに聞いてみるよ。そういえば、服とかはどこで買ってるの? 村にはそういうお店はなさそうだったよね」
「毒猪の討伐依頼を出すのも微妙で……っていう話、前にしたでしょ? 森を抜けてちょっと行ったところに少し大きな町があって、依頼するならギルドにってやつ。そこで買うか、布を買ってきて作ったりしてるよ。このあたりでとれる薬草とか、素材を売りにいくついでに何人かで行ってくるんだ」
正直、お金はぎりっぎりのやりくりなんだけどね。べっと舌を出してみせてから、リタは手元のパンをちぎった。
ぎりぎりと言いながら、あまり気にしていなさそうなのは、この環境のおかげなのかもしれない。食材も素材も自給自足できてしまうので、それこそ服とか日用品なんかを調達するくらいしか、お金を使うタイミングがないのだ。
俺もへらりと笑みを返して、お互いにしばらくの間、スプーンと手を動かす。
朝の光がうっすらと差し込む食堂で、それぞれのペースで、協力しあうところは協力しながら楽しむ朝ごはんは、すごく楽しい。
ゆくゆくは自分の家を持てたら最高だけど、この形もできれば続けていきたいな。
勇者パーティーにいた頃、はじめのうちはよく野宿をしていたし、その頃を思い出す。誰とはなしにその日の担当を決めて、わいわいしながら過ごしたっけ。
サイラスの名前が有名になってきてからは、宿に泊まることが増えたけど、あの時間は、俺が理想の暮らしを思い描くきっかけになったと思う。
「今日も美味しかった、ごちそうさま!」
「それじゃあさっそくだけど、今日はわたしといっしょだからよろしくね」
「よろしく! 今日も南の森?」
「今日は少し東まで回ってみようかなって思ってるんだ。今年は東と南で色々とってきていいことになってるんだけど、ちょっと、南に偏ってる気がするからね」
村では、年単位で収穫や狩りをしていい範囲を決めているらしい。資源が枯れないようにするための、生活の知恵ということだね。
「そうなんだ……東の方では何がとれるの?」
「南と同じで色々だけど、運がよければ美味しい魚もとれるかな。ちょっと大きな滝があってね、そこならスライムも少ないはずだから、気を付ければ水浴びしても大丈夫だと思う」
どうしても、スライムが絶対いないとは言ってくれないのね。半笑いで「そっか」と返して、すっかり空になった皿を、木製のトレーにのせて立ち上がった。
食器を洗って片づけたあと、いったん二階に戻って剣やら回復薬やらを準備して、食堂の外に出る。リタも同じタイミングで準備を整えたようで、ちょうど戻ってきたところだった。
「あれ、今日は荷車も持っていくの?」
「今度詳しく話すけど、もう少ししたら、ちょっと大きなお祭りがあってね。そのための備蓄もそろそろ始めておきたいんだ。今日はこれをいっぱいにするまで帰れないよ!」
「お祭りか、楽しそうだね! わかった、頑張るよ」
改めて荷車を見ると、小ぶりとはいえそれなりの大きさがある。形は日本にもあったリヤカーみたいな感じだ。素材はやっぱり木製だけど、ところどころによくわからないパーツが使われている。
おそらくこれは、魔物を加工しているやつだね。魔物素材は土地によって様々で、異世界生活に慣れてきたつもりの俺でも、よくわからないものがまだまだあって面白い。
ぐっと荷車を引くための持ち手をつかんで、ひっぱってみた。見た目よりは軽そうで少しほっとしたけど、これに食材やら素材やらをわんさか乗せて戻ってくるのは、なかなかの力仕事になりそうだ。
「今日もノヴァの超ラッキーに期待していい? っていうか、今日こそ負けないからね。ノヴァのレアもの発見率は、おかしいしずるいんだから」
「お手柔らかにお願いします」
半分以上、本気の視線を投げてよこすリタにたじたじになりながら、俺は荷車を引く手に力をこめた。
「どうして! こんなの……こんなの、おかしいよ!」
静かな森に、リタの悲鳴にも似た叫び声が響く。
俺はあやうく手にした果物を取り落としそうになって、慌ててリタに駆け寄る。
「どうしていつもノヴァばっかり、レアものの食材をそんなに簡単に見つけてこられるわけ!? こっちは毒見と経験を駆使して、すっごくがんばってこれだけなのに!」
「なんだ、そういう……いやあ、やっぱり俺って運がいいみたいで」
「なんだじゃないよ、運がいいにもほどがあるでしょ! しかも、大して苦労してなさそうなのがずるい! ちょうちょを追いかけてふらっとどこかに行っちゃったかと思ったら、レアなきのこを抱えて帰ってくるし、いきなり逆立ち始めたと思ったら、すべって転んでぐるぐるってして、いつの間にか滅多にないレア果物がちょうどすっぽり服の中に入ってたり……なんかこう、不自然じゃない!?」
この数週間はスキルの調子がすこぶるいいと思っていたけど、特に今日は、どうやら少しやりすぎたみたいだ。
荷車を引いて森に入ってからというもの、桶屋クエストがひっきりなしにチリンチリンと鳴るものだから、調子に乗って順番にこなしていたら、リタにものすごく不審がられてしまった。
説明しても信じるか信じないかはあなた次第な感じだけど、正直に話してしまおうか。
「実は俺、そういうスキルを持ってるんだよ。関係ないようなことから、望んだ結果につながるっていうか。絶対じゃないんだけど、クエストみたいな感じで、上手くいく確率を上げたりできる場合もあるんだ」
「クエストがスキルになるって、よくわからないけど、それこそ猪討伐の依頼みたいな感じ?」
「うん、それに近いかも。報酬は、そのとき望んだことに対して、ざっくり何か返ってくるといいな、くらいしか選べないけどね」
俺の話を整理しようとしてくれているのか、リタは首をかしげて考えこんでしまった。
「今まで、よくわかんない感じでレアものを見つけてたのも、スキルのおかげ?」
「ほとんどはそうだね」
「ふうん……じゃあさ、今日はものすごくレアな何かを見つけてみてよ!」
要はすごく運がよくなるかもしれないスキルってことだね、という感じのいつもの反応を予想していた俺に、リタは斜め上のことを言い出した。
「レアな何かって、例えば? ざっくりしすぎてて、スキル自体が発動できなさそうなんだけど!?」
「食材、素材、魔物、なんでもいいよ。とにかく、わたしも村の皆も、ノヴァ自身もびっくりしちゃうようなすごいのを見つけて! そしたら、なんとなくノヴァのスキルが理解できそう!」
いやいや、リタさん、完全に楽しんでますよね。
リタがレアもの大好き、レアのためなら独断専行も辞さない構えであることは、初日の時点で聞いている。ある意味、そのおかげでリタや村の皆さんに出会えたとも言えるけど、それとこれとは話が別だ。というか、レアな魔物なんて引き当てたら、扱いに困っちゃうよ。
「とりあえずやってみるけど、あんまり期待しないでね」
「駄目、期待させて!」
「お、おお……」
びしっと人差し指を立てて、俺が張った予防線をリタが即座に突き崩す。
「自分で期待してないのに、レアものが見つかるわけないでしょ? だから、思いっきり期待して、なんなら俺自身を驚かせてみろ、くらいの気持ちでやってみて!」
満面の笑みで、ぐっと顔を近づけられる。
「そっか、そうだよね!」
自分がちゃんと期待していなかったら、俺自身の内側から発動しているはずのスキルに、本当に望むものが伝わるわけがない。
小難しい言い訳をするなんて、自分のスキルに失礼だ。リタの言うとおり、俺自身を驚かせてみろ、くらいの気持ちでやってみよう。
「何かものすごーくレアなやつが、やまほど見つかりますように!」
別に叫ばなくてもいいんだけど、なんとなくリタと気合いを共有したくて、俺は大声で叫んだ。そして、満面の笑みを浮かべたままのリタに向き直って、にっと笑ってみせる。
――チリンチリン!
スキルに正面から向き合ったおかげなのか、それとも今日は大盤振る舞いの日なのか、桶屋クエストの鈴が鳴った。
あれ、でも今、二回続けて鳴らなかった?
まあいいか、とりあえず確認してみよう。
「いやあ、どうなんだろこれ」
表示されたツリーのお題目は、『雨が降れば、ものすごーくレアなものが見つかる』だった。ツリーにぶら下がったクエストを眺めて、俺はついさっきまでの満面の笑みを、半笑いの苦笑いにとりかえた。
「ちょっと色々ありそうなんだけど、とりあえず俺を信じて言うとおりにするって約束してくれる?」
「え、こわい。そんなに大変そうなの?」
「大変は大変なのかな……まあうん」
「いいよ、ノヴァを信じる! あの猪のこともあるし、期待して信じてみなくちゃって、言い出したのはわたしだもんね」
よし、言質はとった。もしリタがついてこれなくなっても、俺だけでもできるだけやりぬいてみよう。
「じゃあこれ、受けるね。準備はいい?」
「うん。っていってもどんな準備をしておけばいいの?」
「とりあえず、ずぶぬれで走る準備かな。今回のは『雨が降れば』から始まるから、受けたあとある程度で、雨が降り出すはずなんだよね」
リタに薄笑いを投げてから、俺は『雨が降れば、ものすごーくレアなものが見つかる』をスキルウインドウ上でタップした。
「え、なにこれ!」
その瞬間、ごうごうと強い風が吹いてきて、あっという間に雨雲が俺たちの頭上に運ばれてきた。待ってましたと言わんばかりに降り出した雨は、雨が降れば、などというお優しいものではない。ざんざん降りのスコールが強風に煽られて、横殴りにばしばしと頬を打ってくる。
「あはははは、予想よりすごい雨になっちゃった」
「天気を変えちゃうとか、そんなのあり!? っていうか待って、荷物!」
リタが大慌てで駆け出す先で、雨と風でずるりと滑ったらしく、ちょうどいい坂道に乗り込んだ荷車が、加速を始めたところだった。
レアなものが見つかるどころじゃない。これまで小さなクエストやリタの努力で集めてきた食材や素材が、まとめて滑っていってしまう。
「追いかけなきゃ!」
車輪の下にレールでもついているかのように、まったく止まる気配を見せずに、猛スピードで森の中を滑走していく荷車を追いかけて、俺たちは走った。
「なんで止まらないの!? あんな都合よく転がっていくわけないのに!」
ここは、舗装も何もされていない深い森の中だ。食材調達の関係や獣道だとかで、多少ならされている場所はあるにせよ、荷車が自走を続けるには無理がある。
それなのに、荷車は止まらないどころか、ときに風に煽られてジャンプし、ときに雨で濡れた道で滑って進路を変え、ジェットコースターさながら、俺たちを翻弄するように走り続ける。
あの様子だと、きりもみ回転してひっくり返っても、無傷で着地したりするんじゃないかな。このアトラクションは、森の中を猛スピードで滑走し、ぐるりと一回転いたします、お乗りの際はご注意くださいってね。
「リタ、滝がある!」
「荷物が川に落ちちゃう!」
「それは大丈夫だと思うから、ストップ!」
「えええ!? なんで!」
「見て、飛ぶよ!」
ぽーん。俺が言ったとおり、荷車は木の根をジャンプ台のようにして、狭くはない川を飛び越えて、森の向こうに消えていく。
「ノヴァ……どうしよう、荷物が」
顔をひくつかせて、ぼうぜんとするリタの肩に、俺はそっと手をおく。
「そうだね。今はひとまず、滝をくぐろう」
「はああ!? 何言ってるの!? どういうこと!?」
わかるよ。よくわかる。訳が分からないよね。実は俺もわからないんだ。
でもね、これがこのツリーの、次の桶屋クエストなんだよ。
「スキルのお導きのままにってね。これをしないと荷車も、その先のレアものも、何も手に入らないって言ったらどうする?」
「うそでしょ?」
「今回は、俺を信じてついてきてくれるって、言ってくれたよね?」
「言ったけど……ねえ?」
「さあ、行こうか。楽しい滝行のお時間だよ」
俺たちは、横殴りの雨風の中、勢いを増してごうごうと落ちてくる滝にむかって、光の消えたまなざしでふらふらと近づいていった。