カティたちが大興奮で握りしめていた魔法の肥料は、ピイちゃんの排泄物だった。
 空気がある程度の固まりを見せはしたものの、動物の排泄物を肥料として使う文化はこのあたりにもあったようで、そうなった流れをきちんと説明したら、一定の理解はしてくれた。
 ただ、普通は排泄物をそのまま、即座に肥料として使ったりはできない。
 加工処理というか、発酵処理というか、そういう工程が必要なはずで、そのあたりはカティも村人さんも首をひねるばかりだった。
 ピイちゃんはすやすやと寝息を立てている。大量に食べて、大量に吐いて、大量に排泄して、ついでに一日でふたまわりも大きくなるのがドラゴンの正常な状態なのか、判断できる者がそもそもいないのは問題かもしれない。
 無理に食べさせたりはせず、ピイちゃんのペースにある程度任せようということで、その場の議論は落ち着いたのだった。
「おかげで、結構な広さの畑がまた使えるようになりましたし、お礼も兼ねて食事でもいかがですか? 食堂より少しだけ、騒がしくなるかもしれませんけど」
 カティたちは、それぞれの畑の状態の共有や作物の品質確認を兼ねて、定期的に集まって食事をしているらしい。
 というのは建前で、ほとんど宴に近いものらしいけどね。大変な仕事だからこそ、楽しみを忘れないようにしましょうというのが、カティたちの方針なのだそうだ。
「すごいね! これ、食堂の方でもたまにやってほしいかも。農業班だけでやってるの、ずるい!」
「最初はもう少しこじんまりとやっていたんですけど、いつのまにかこうなってました」
 カティたちについていってみると、そこではすでに準備が始まっていて、二十人程度の皆さんがわいわいと笑いながら、料理をしているところだった。
「あっちではお芋とお野菜を中心とした煮込みを、そっちの窯では穀物の粉を使ってパンを焼いています」
「パンに塗ってる黒っぽいの、もうちょっと近くで見てもいい?」
 何やら懐かしい匂いに、俺はふらふらと調理場へ近づいていく。
「果実をたっぷり使って煮込んだソースで、味付けをするんですよ」
 この匂い、色、そしてとろみ……これは、転移前の世界でお世話になった、あのソースに限りなく近いものなのでは?
 穀物の粉、大量の野菜、肉と卵、そしてソースが揃っているとなれば、あれを試すしかないじゃないか!
「ちょっとそこの鉄板、お借りしても?」
「どうぞどうぞ」
「そっか、ノヴァも料理できる人だもんね。何を作るの?」
「お好み焼き!」
「オコノ・ミヤキ……どんな料理?」
 これだけのものが揃っているのだし、現に焼き上がったパンにソースを塗ったりもしているので、近しいものはもうあるかもしれない。
 それでも俺は、俺の食欲と望郷の念を満たすために、やらねばならない。使命感に駆られて鉄板の前にどんと立った。
 ちなみにピイちゃんは、起こさないようにそっとおろして、近くの納屋のわらの上でおやすみいただいている。ドラゴンを身体に巻きつけたままじゃ、さすがに調理はできないからね。
「うーん、山芋にかわる感じのがあるとなおいいんだけど……なんかこう、粘り気のある芋とかあったりしない?」
「粘り気ですか? あるにはありますけど、あちらの煮込みの方で使っています。焼いてだと、あまり好んで食べる人はいないかもしれません」
「おお! あるならぜひ、試しに使わせて!」
 カティにはやんわりと難色を示されてしまったけど、上手くいけばふわふわのお好み焼きができるかもしれない。
 失敗したらそれはそれ。栄養をまとめてとるために、勇者パーティーの野営ではこういう風にするのが伝統だったとかなんとか、それらしいことを言ってごまかしてしまおう。
 水と粉、山芋がわりの芋、卵、キャベツがわりのしゃきしゃき葉物を投入して混ぜ合わせていく。粉をふるえるとなお良かったけど、とりあえずよしとしよう。
 すでに準備万端に熱せられている鉄板に、村でよく使っているというあっさりした植物油をのばしてから、生地を流し入れてまあるく形を整える。
「お芋は直接焼くのではなくて、水と粉と卵で生地にしたんですね。ありそうでなかった感じ……面白いです」
 カティとリタが興味津々で覗き込み、それにつられて村人さんたちも集まってくる。なんだか、ちょっとした実演販売のようになってきてしまった。
「さて、そろそろだね」
 両手に金属製のへらを構えて、集中する。
 いい感じのへらが揃っていたのは嬉しいね。というかこのラルオ村、豊富な食材のおかげなのか、やたらと調理器具とか調味料が揃っている気がする。食への探求心が貪欲というか、どことなく懐かしい気持ちになるというか。
 薄切りにした肉を生地にのっけてから、片面がいい感じに焼けてきたお好み焼きをくるりとひっくり返した。
 おお、と村人の皆さんがうれしいリアクションを投げてくれる。昔から、こういうの得意だったんだよね。
 芋や葉物の量はお好みでとか、実演販売っぽくしゃべりつつ、程よく火が通ってきたところで、もう一度ひっくり返す。肉にもしっかり火が通っていい感じだ。
「ここで先ほどのソースを取り出し、たっぷりと塗っていきます!」
 完全に調子に乗った俺は、口調もそれらしくなってきて、自分が持ってきたものでもないのに、見せびらかすようにソースを皆さんに見えるように掲げてから、大げさな動きで塗りたくっていく。
 これこれ、ソースの香ばしい匂い! 個人的には同じ量のマヨネーズも塗りつけたいところだけど、異世界マヨネーズは今の俺にはハードルが高い。
「これで完成! お試しだからとりあえず一枚だけだけど、食べてみて。熱いから気を付けてね」
「わたし、食べてみたい!」
「それじゃあ私もいただきますね」
 へらで切り分けた一切れずつを、カティとリタが口に運ぶ。
 俺と他の村人さんが固唾をのんで見守る中、二人の目がみるみるうちにきらきらと輝いていく。
「おいしい!」
「いいですね、これ!」
 よかった、お好み焼きの正義が伝わった!
「これが合うなら、上にあれをまぶしてみてもいいかも? ちょっと待ってて!」
「お肉がいけるなら、川でとれる小エビでも美味しいかもしれませんね!」
 リタが青のりのようなものを持ってきてふりかけ、カティがあっという間に海鮮焼きを考案し、食卓はお好み焼きの改良で大いに盛り上がることになった。
 そもそもが、生地を混ぜて焼いてひっくり返して、のお手軽料理なので、村人の皆さんもすぐに焼き方を覚えて、あれはどうだこれはどうかと次々と創作お好み焼きが爆誕していく。
 仕込み中だった煮込みもすごくおいしかったし、地産地消の真髄を見せてもらった。
「いやあ美味しかった、おなかいっぱい」
「ノヴァ、リタも、今日はありがとうございました。また今度、違う料理も教えてくださいね」
 食べた分は、自分たちですぐに片づける。
 朝でも夜でも食堂でなくても、それは同じだ。腹ごなしに洗い場で手を動かしながら、俺たちは並んでしゃべっていた。他の村人さんたちも、それぞれ片付けに取り掛かっている。
「こちらこそ。同じお好み焼きでも、人それぞれで発想も焼き加減も違って、面白かったよ!」
「今日のお好み焼きは、皆で作ってわいわい食べられますし、お祭りに取り入れてもいいかもしれませんね」
「そうだね! ってそうだった、ピイちゃんのことがあったから、結局お祭り用の食材集め、あんまり進められてないよね」
「ちらっとは聞いたけど、どんなお祭りなの?」
 伝統的なお祭りみたいだけど、お好み焼きを取り入れる話をしているくらいだから、きちんとしたところと、緩いところのバランスを上手に分けていそうな気がする。
「山と森の神様に、一年間の恵みを感謝して、来年もよろしくお願いしますって気持ちを伝えるお祭りなんだよ。かがり火を焚いて、古くから伝わる舞をその年ごとに選ばれた踊り子が踊って、お供え物をするんだ」
「そのあとは、普段より少しだけいいものを食べたり、歌ったり踊ったりして一晩過ごすんですよ。というかリタ、今年の踊り子でしたよね。お稽古の時間、取れていますか?」
「うわ……全然できてない。そろそろきちんとやらないとだね」
 お祭りのことを話す二人は、すごく楽しそうだ。思わず俺も、暖かい気持ちになってくる。
「いいね、そういうの。食材集めはもちろんだけど、他に手伝えることってあるかな? 正直に言うと、最初は自分のためっていうか……いい感じに自然のあるところで、のんびり暮らせればそれでいいやって感じだったんだけどさ。まだ出会って日は浅いけど、皆と色んな話をしたり、ピイちゃんとのことがあったりして、本当にここが好きになってきてるんだよね」
「ちょっとわかる。最初の頃のノヴァって、どこか他人事にしてる雰囲気あったもんね。あ、それが悪いってわけじゃないよ。いきなり当事者として考えるのはわたしでも無理だと思うし」
 へらりとリタに笑みを返す。
 その土地に根付いて暮らしていくことを、ふわっとしか想像できていなかった俺に、根気強く色々と教えてくれたのはリタやカティ、村の皆だ。
 部外者として旅人気分でお祭りを眺めるより、入れてもらえるのならだけど、しっかり輪の中に入りたい。
「そうだ。それじゃあノヴァにも踊り子やってもらえばいいんじゃない?」
「え。興味はあるけど、大丈夫なの? 伝統的な、神様に感謝を捧げる踊りなんでしょ? 俺がいきなり入っていいのかな」
「大丈夫ですよ。むしろ、新参者は挨拶の意味もかねて、踊り子をやることが多いですし」
 もちろん、無理強いするものではないですし、お稽古は厳しいですから、やる気と体力がついていければ、ですけどね。
 カティの含み笑いは、俺のやる気を煽るには十分だった。
 この世界では、自分から動かなければ何も起きないし、何も変わらない。反対に、動いてみれば動いた分だけ、何かが残るし、ついてくる。それは、勇者パーティーにいた三年間でも、十分すぎるほど体験してきた。
「やってみたい! どうしたらいいのかな、ランドに頼んでみればいい?」
「そうだね。それじゃあ、今日はもう遅いから明日、いっしょに頼んでみる?」
「うん、ぜひ!」
「お好み焼き以外にも、よさそうなお料理とか、皆で楽しめる何かとか、素敵な提案があればどんどんお願いしますね。伝統は大切ですけど、堅苦しいだけじゃ疲れてしまいますから、お祭りの改革は力を入れていきたいんです!」
 わかった、考えてみるよ。
 軽い気持ちで引き受けたこの話が、とんでもない大事になるなんて、このときの俺は知る由もなかった。