この世界におけるドラゴンの生態は、謎に包まれている。
 暮らしぶりを隅から隅まで観察、確認しようという命知らずの物好きがいないことはもちろん、大人になれば人間以上の知性を持ち、大抵が人の言葉を解するようになるドラゴンが、そういうところを見せようとしないこともある。
 ドラゴンの孵化に立ち会えたこと自体が、言ってみれば超スーパーシークレットレアな出来事だ。
 中には、勇者パーティーで討伐したダークドラゴンのように、闇落ちしてしまう個体もいるにはいるけど、基本的にドラゴンは神獣や聖獣に近い存在だ。ドラゴンの子供の信頼を勝ち取ることはすなわち、ドラゴンの加護を得たも同じ、奇跡の中の奇跡と言っても過言ではない。
「というわけで、放っておくわけにもいかなくて、ひとまず連れて帰ってくることになったんだよね」
「く、首にドラゴンが……!」
 村に戻った俺たちは、村人の皆さんの目を揃って見開かせ、口をあんぐり開けさせることに成功していた。
「それって重たくないんですか? 苦しくもないんですよね? あったかいんです?」
 腰に手を当て、パープルの瞳をぱちくりさせて、ピイちゃんをしげしげと眺めてあれこれと質問してきているのは、村の農業をとりまとめているカティという女の子だ。
 アッシュグレーのゆるやかなウェーブがかかった髪をポニーテールにまとめ、動きやすそうなシャツとパンツに身を包んでいる。アクティブな服装は、色々と作業をしやすくするためなのだろうけど、口調がたいへんおっとりしているので、素敵なギャップがある。ちなみに年齢的には俺やリタのふたつ上、二十歳だ。
「なんとこのまま寝てるんだよ、かわいくない? 名前はピイちゃんです」
「わあ、本当にぐっすり寝てるんですね。寝息までかわいいです」
「わかってくれますか! この、ときおり鼻息がふんすってなるところとかもう、たまらんですよね!」
「たまらんですね!」
 揃ってにっこりとした笑みを浮かべ、首をかしげる俺とカティに、リタもつられて笑っている。
「いや、かわいいのはわからなくもないんだがね。これは一大事なんじゃないか? とりあえず、ランドを呼んでくるよ」
 冷静な村人さんが駆け出し、残った皆でドラゴンをどうするかの相談と、荷車の整理を手分けすることにした。
「こいつは本当にすごいな。ノヴァ、あんた何者なんだい? これだけのものを半日程度で集めて、ドラゴンまで連れて帰ってくるなんて」
 これでもかと登場するレア食材、レア素材に、村の皆さんから口々にお褒めの言葉がとんでくる。レア度が低いものにしても、質がいいとか通常のものより大きいとか、何かしらいいものばかりが入っていたようだ。桶屋クエスト、様々だね。
「それでこの子、放っておけなかったっていっても、いったい何がどうしてこうなったんです?」
 俺とリタは、森の中での一連の出来事と、その最後に卵を見つけたこと、色々あって卵が孵化したことを簡単に説明した。
 さすがに、煮込んで食べようとしたことは黙っておいたし、リタも見事なコンビネーションで辻褄を合わせてくれた。ゴールデンルビーフィッシュも結果的に手元からなくなってしまったので、そのことも黙っておいた。
 カティは目をきらきらさせて話を聞いてくれたけど、まわりを囲む村人さんの顔は険しい。
「この子、お話からするとなんでも食べそうですけど、一日に何回くらいお食事するんでしょうね?」
「わかんないけど、食べ続けてなきゃ大変……って感じではなさそうだよ」
「そうなんですね。眠るときは基本的にノヴァに巻き付いてるんですか?」
「え、どうなんだろ。もしそうだったら、うれしい悲鳴というか、どうしよう」
「待て待て、いっしょに暮らす気満々のところ悪いが、親のドラゴンがきたらどうするつもりなんだ?」
 食べ物や寝床の話を始めた俺とカティに、村人さんに呼ばれてやってきたランドが割って入った。
 今のピイちゃん自身に、危険はほぼないはずだ。ただし、ランドが言うように、親ドラゴンがどうかといえば、それは個体によるとしか言えない。
 理性的な個体が多いのは確かなはずだけど、知性も魔力も高いだけに、人を下に見ている個体もいれば、闇ギルドや悪意を持った相手に狙われて、人を嫌ったり憎んでいるものもいる。
 迎えにきた親ドラゴンがそういうタイプだった場合、誠心誠意説明するしかないけど、それでも怒りを買ってしまった場合は、村自体が危ういなんてこともあるかもしれない。
 何か言いたそうにしたリタに、「いいんだ」とそっと告げて、俺は頭を下げた。
「ランドや皆の心配してることはわかるよ。いきなり連れてきて、無理を言ってごめん。カティも聞いてくれてありがとう。少し休ませてもらったら、行くよ」
 この村の迷惑になってはいけないのに、村の中まで連れてきてしまったのは俺のミスだ。
 かといって、ピイちゃんをこのまま投げ出せるかといえば、すでに情が湧いてしまっている今、それもノーだ。となれば、俺がピイちゃんを連れて村を離れるしかない。
 卵を見つけた場所から離れすぎてもいけないだろうし、しばらくは山暮らしかな。村の皆とも物々交換しながら暮らしていけると助かるけど、完全に野宿でもまあ、なんとかはなるかな。
 目安は、ピイちゃんの親が迎えにくるか、この子が独り立ちできるくらい大きくなるまでだけど、もしかしたら、ある程度の年月を考えておいた方がいいかもしれない。
 この子が生まれたときの魔力を感じ取れる範囲に親がいたのなら、もう迎えにきていてもおかしくないはずだ。半日近くが経っても来ていないうえに、卵が冷えかけていたことを考えると、親ドラゴンに何かあった線も考えなくちゃいけない。
「うん? 今日はまだどこかに行くのか? 祭りの準備があるにしても、想定外の事態なんだ。とりあえず今日はもういいんじゃないか?」
「いや、だから皆に迷惑をかけないように」
「え?」
「は?」
 ランドと俺の頭の上に、それぞれ疑問符が浮かぶ。どうにも会話がかみあっていない。
 俺は、ずり落ちかけたピイちゃんをそっと首に巻きなおして、話を整理しにかかった。
「だって、親ドラゴンが迎えにきたときに、どうするのかって」
 村に何かあったらどうするのか、という意味でなければ、どういうことなのか。
「こんなにかわいくて、こんなに懐いてるのに、手放せるのか? 離れていても友達だって、割り切れればいいけどな」
「あれ?」
「あれ、じゃないだろ。この子……ピイちゃんだったか? こんなにノヴァにくっついて、そもそもちゃんと野生に戻れるのか? この村でいっしょに暮らす方法もあるんじゃないか。いや、それより、ちょっと触ってみても? ん、どうした? ノヴァ、ちゃんと聞いてるか?」
「いやあ、思ってたのとだいぶ違うなって」
「ランドって、こう見えてかわいい動物とか大好きだもんね」
 リタが隣でくすくすと笑う。
 俺が一人でぐるぐると考えた、シリアスな葛藤を返してほしい。
 険しい顔に見えたランドは、親ドラゴンが迎えにきたときの、俺とピイちゃんとの別れとか、本当に野生に帰れるかどうかを気にしてくれていたらしい。
 俺たちを囲むほかの村人さんも、「なんでも食べるって言っても、本当はあげちゃいけないものとか、あったりしないのかな」「うちの納屋なら貸せるぞ!」などと、どうすればより快適に、いっしょに暮らせるかを口々に提案してくれる。
 のんびりしているというか、平和というか、ちょっと心配にはなるけど、俺はまた少しこの村が好きになった。
「うおお、なんてやわらかさだ! ふっかふかじゃないか!」
 ひとまず村全体で面倒を見ることに決まると、ランドはさっそくピイちゃんを撫でて、感激の雄たけびを上げた。
「静かにしてよ、ランド! ピイちゃんが起きちゃったじゃない!」
「悪かったよ。そうだ、ノヴァの部屋、まだ余裕あるよな? ひとまずこの子の寝床はお前さんの部屋に作っていいか? つっても、藁がいいのか毛布がいいのかわからんが……それらしいやつをいくつか運ばせるからよ」
「うん、ありがとう」
 ランドは、リタだけでなくその場の全員からブーイングを受けつつ、そこは村長らしく、ピイちゃんを俺の部屋で寝られるように整えることを約束してくれて、場を収めにかかる。
 ピイちゃんの食べ物についても、村の蓄えからなんとかしつつ、足りない分や特殊な何かが必要なら、俺を中心にがんばってみるということで落ち着いた。
 そのあとは荷車の整理を一段落させて、目を覚ましたピイちゃんに皆で四苦八苦しながらごはんを食べさせたり、水を飲んでもらったり、寝床の具合を確かめてもらったりと、一喜一憂の大騒ぎだった。
 あっという間に日が暮れてしまったけど、新鮮で驚きの連続の一日だった。
 これから始まるピイちゃんとの暮らしに、俺も村の皆もわくわくしていたのだけど、その日の夜に、さっそく事件は起こってしまう。
 ごうごうと吹きつける風が、普通ではないと最初に気づいたのは誰だっただろうか。
 ずんと大きな何かが着地する音に飛び起きた俺たちは、昼間以上に目を見開き、口をあんぐりと開けて立ち尽くすことになった。
 村の入口には、鋭い目つきでこちらをにらみつける、二頭のドラゴンの姿があったのだ。
 月明かりを受けて真っ白に輝くなめらかな毛と、きらきらと輝く宝石のようなブルーの鱗。色合いといい二本の立派な角といい、ピイちゃんにそっくりだ。
 抑えているはずなのに、二頭から感じる魔力はとんでもないもので、間違っても戦ってはいけない部類のお相手のようだ。
「いやあ、もふもふドラゴンとのんびりライフ……短い夢だったなあ。元気でね、ピイちゃん」
 俺は半笑いかつ半泣きで、非常識な時間に飛来した親ドラゴン二頭を、ぼんやりと眺めるしかなかった。