山盛りの食材や素材のうえに、堂々とした佇まいのレア大魚と謎の大きな卵を乗せた荷車を、倒さないように注意しながら引いていく。ゆっくりペースで森の外に運び出した頃には、もうすっかり日が高くなっていた。
 スライムが少ないという川の近くで荷車をおろして、てきぱきと焚き火を準備する。
 ずぶ濡れだった服や身体を、生乾きではなくきちんと乾かしつつ、腹ごしらえをしておくためだ。
 勇者パーティーの雑用として経験を積んだ俺はもちろん、リタも手際がいい。さすが、村の食材管理をきりもりしているだけのことはある。
 ついでに、火をつけるところは魔法の力を借りるので、そこまで難易度も高くない。異世界キャンプは、転移前の世界よりだいぶ楽なのだ。
 あの大雨だったので、薪になる枝がしけっているのではと心配もしたけど、どうやら俺たちがいた辺り限定の、超局地的なスコールだったらしくて、火がつきそうな薪は簡単に手に入った。
 ちょうどいい感じの小枝をつまみあげて、空模様と見比べてはけげんな顔になっているリタに、声をかけるべきか迷ったけど、やめておいたのは正解だったと思う。やっぱりおかしいよ、不自然だよと長めのお説教が始まりそうな気配だったからね。
「すごい……どれもこれも本当に、滅多に取れないレアものばっかりだよ!」
「それならよかった。あ、これは俺も知ってる。高級レストランとかに売れるきのこだよね」
「それ、おいしいよね! 食べるか売るか迷っちゃう!」
 焚き火を囲んだ俺たちは、どれを食べるか相談しつつ、荷物の整理もすることにした。
 食材と素材は、荷車にざっと流し込んだような状態で、さすがにこのまま持って帰るのは微妙なバランスだ。荷車に積んであった袋に、種類ごとに詰めていくことにしたのだ。
 持って帰ると傷んでしまいそうなものを優先して、これまた荷車に積んであって大鍋に放り込んで、お昼ご飯用に煮込んでいく。
「こんな鍋が入ってたから重かったんだね……これ、いつも積んでるの? 大変じゃない?」
「わたしは外でもごはんに妥協したくないから、大抵の場合は積んでるよ。外で頑張ったときこそ、おいしいご飯が食べたいと思わない?」
 さわやかすぎるリタの笑顔に、俺もぎこちなくうなずく。
「これでよし、と。ノヴァは火加減見ててくれる? わたしはあっちでちょっと作業してくるから」
「わかったよ……ってちょっとリタさん!? これ、本当に合ってる!?」
 焚き火を囲むように四本の支柱を立てて、ちょうど火の真上で交差するような形にしてある。そこから大鍋を吊るして、食材を煮込んでいるわけだけど、覗き込んだ大鍋の中央に鎮座ましましていたのは、例の大きな卵だった。
「食べちゃっていいんだっけ?」
「わかんない」
 リタが首をかしげて、にっこり笑う。
 俺もつられて、ひきつった笑みを浮かべて首をかしげてしまった。
「わかんないって」
「わかんないけど、拾った時点で冷たかったから。残念だけど、そこから何かが孵ることはないと思うんだよね。で、そうなると気になるのは鮮度でしょ。大事に持って帰ったとしても、正体不明で鮮度も怪しい、しかもひとつしかない卵を、村の皆にふるまうわけにはいかないじゃない?」
 なめらかに動くリタの口から、よどみなく、もっともらしい理由の波が押し寄せてくる。
 さらさらの真っ赤な髪を耳にかけて、きらきらした大きな瞳で卵を見つめる姿は、完全に食べる気まんまん、持って帰る気ゼロだ。
 この子は、かわいい顔をして予想以上にワイルドな子のようだ。
「二人で食べる分にはいいんだっけ?」
「毒がないことは確認してあるよ。だから今ならまだ、悪くなってはいなさそうだし、煮込めば大丈夫だよ。たぶん」
 小さな声でたぶんって言ったね。
 毒がないことがリタのスキルでわかってしまうだけに、食べていいものかわからないからやめておこう、という切り口で止めることはおそらくできない。
 しかも、俺に相談してくれるより先に、火にかけた大鍋にくべてしまっている行動力だ。
 何かが孵る見込みがないのなら、大事に抱えて持って帰っても仕方ないし、時間が経つほど鮮度が落ちていくのもそのとおりだ。ついでに、まさしくリタの言うとおり、いくら大きいとはいっても、ひとつしかないのでは皆で分けるのも難しい。
「わたしでも知らないくらいのレア卵だもん。きっと美味しいよ! それに、あれだけの目にあったんだから、ちょっとだけご褒美があってもいいよね?」
 なるほど、本音はきっとこっちだね。レアだから美味しいっていう理屈はだいぶ怪しいけど、気持ちはわかるよ。
「わかった。これはここで、ありがたくいただいちゃいますか。火加減見ててって言ってたけど、リタはどうするの?」
「ん、わたしはこっちの下処理やっちゃおうかなって」
 リタが両腕に抱きしめてほおずりをしているのは、もうひとつの大物、ゴールデンルビーフィッシュだ。
 雨風に煽られて、俺たちに追い回されて、とどめに大木と荷車の板挟みにあったのだ。すっかりぼろぼろかと思いきや、いい感じにぬめりとうろこが落ちているようで、荷車と同じく傷らしい傷はついていない。これなら、内臓と血をしっかり処理すればよさそうだ。
 というか、それでいいのか桶屋クエスト。やりすぎじゃないのかな。もの自体が激レアな上に、森が下処理をしてくれましたなんて言ったら、それこそ誰も信じてくれないよ。
「まあ……任せるよ。頬ずりは、ほっぺた切りそうだしほどほどにね」
 さて、やるからにはしっかり火を通して、お腹を壊さないようにしたい。
 拾ったときにもう冷たかった、というリタの話で心配になった俺は、手渡された大きなおたまで大鍋をかきまぜては、半分ほどはみ出した卵の向きを変えたり、上から熱湯をかけたりとかいがいしく世話をした。
 しばらくお世話をしてから気づいたけど、これって割ってから入れなくてよかったんだっけ。リタとしては、煮卵のようなイメージなのかな。
 大鍋には、スパイスとなる様々な木の実や葉、主食になりそうな芋、リタがどこからか取り出した干し肉なんかがこれでもかと入っている。
 二人分にしては作りすぎのような気もするけど、この大きさの卵に風味をつけるには、これくらいの量が必要なのかもしれない。
 ぐつぐつと煮立つ大鍋からは、食欲をそそるいい匂いがこれでもかとあふれてきて、胃袋を刺激する。自然と、卵を愛でるおたまにも力が入ろうというものだ。
「よしよし、いい子に育つんだぞ。よーしよし」
「ノヴァ、大丈夫? 普段はそういう感じ?」
「うわあ! き、気がつかなかった。下処理は終わったの?」
 テンションに任せて卵に話しかけていたところへ、大魚の下処理を終えたらしいリタがいつの間にか戻ってきて、にやにやしながら俺を眺めていた。頬杖なんかついて、完全に人間観察モードじゃないか、恥ずかしい。
「あれ?」
「どうしたの?」
「いや、リタの脇に置いてある、それなんだけど」
「ああこれ? さすがに今回の目玉をどっちも二人で食べちゃったら怒られるでしょ? だからお包みしてみました」
 にっこり笑うリタは、いくつかに切り分けた大魚を、大きな葉っぱで器用に包んで戻ってきていた。
 その葉っぱ自体は、俺もこの世界に来てからよくお世話になったので知っている。ほどよい大きさがあって、やわらかくて丈夫で減菌効果まである便利素材だ。
 俺が気になったのはそこじゃない。
「リタさんや? その切り身、もしかしなくても凍ってません?」
「うん、初級魔法の応用でね、便利でしょ?」
「……卵の鮮度がなんとか言ってたけど、同じように凍らせれば持って帰れたんじゃない?」
「ばれた? まあまあいいじゃない。さっきも言ったけど、頑張ったんだからご褒美はほしいでしょ?」
 俺は軽くため息をついて、まあいいかと小さくつぶやいた。
 後出しはずるい気がするけど、率先して卵の世話をして、がっつりと煮込んでしまった手前、俺もすでに共犯だ。何かを言い返せる立場ではなくなっている。
「あれ、火が強くなりすぎたかな?」
 ぐつぐつと煮えたぎる大鍋が、ぐらぐらと揺れ始めていた。
 そっと支柱をおさえながら、鍋の下をのぞき込んで、火の加減を調節する。
「なかなか上手くいかないね、かわる?」
 落ち着かない鍋の様子に、リタも覗き込んでくる。
「違う……これ、火加減のせいじゃない!」
「え、どういう意味? きゃあ!」
 ぐらぐらと煮立つ鍋の揺れは、いよいよ小刻みな振動をともなって、激しくなってきていた。
 リタがとっさに飛びのき、俺はどうにか支柱を押さえてふんばる。
 火はほとんど消えてしまったような状態なのに、鍋が勢いを増し続けているとなれば、その原因は鍋の中ということになる。
「卵が!?」
 見れば、幾筋ものヒビが入っている。
 何かが孵化できる状態ではないという俺たちの見立ては、大きく間違っていたらしい。
 もしくは、スパイスたっぷりのスープと、俺の食欲をはらんだ歪んだ愛情が、瀕死の卵をよみがえらせたのか。
 いよいよヒビだらけになった卵が、薄青い光を放ち始める。ただ光っているだけじゃない、これは魔力だ。しかも、ものすごく濃密な。
 この世界にきていろんな卵を見てきたけど、孵化するときに魔力がほとばしるような卵なんて、お目にかかったことはない。
 でもこの魔力の感じが、どんな生き物によるものかは、なんとなく感覚でわかってしまった。
「やばい……これ、ドラゴンだ!」
「ピイイイイイッ!」
 俺の叫びに呼応するように、光に包まれた卵の中から、一頭のドラゴンが飛び出した。
 サファイアブルーに輝く全身が、なめらかなうろことふわふわの真っ白な毛で覆われ、完璧なバランスで模様を描いている。身体より少し薄い色のブルーの瞳はまさしく宝石のようで、ちょこんとした二本の角も、すらりと伸びた翼と尾も、息をのむ美しさだ。
「きれい……!」
「本当に」
 思わずぼんやりと見とれてしまう。リタも同じようで、俺の隣で立ち尽くしている。
「ピイ」
 子ドラゴンは大きくひとつ鳴き声をあげると、なめらかな動きで空中を泳ぐように近づいてきて、俺に頭をすりつけてきた。
「わ、くすぐったい」
「ノヴァのこと、親だと思ってるとか?」
「ドラゴンは頭がいいから、自分の親はちゃんとわかってるはずだよ。これは、多分あれだね」
 すごく言いづらいけど、よく煮えるようにおたまでお世話をしたり、卵の向きを変えて熱が均等にとおるようにした一連のあれこれのおかげだ。
 死にかけていた卵を丁寧に温めてくれた恩人として、認識してくれているらしい。食欲をはらんだ歪んだ愛情が、なんて冗談混じりに考えたことが現実になるなんて、なんという罪悪感か。
 子ドラゴンは、もうひとつピイと鳴いて、鍋に向き直った。どういう仕組みなのか、あれだけ硬かった卵の殻が、よく煮えたスープにとろりと溶けて、なんともまろやかに仕上がっている。
「ああ……まあ、しょうがないか」
「だね。食べようとしたこと、これで許してくれるといいけど」
 子ドラゴンは大鍋に頭を突っ込むと、あっという間に、溶けた卵の殻ごとスープを飲み干してしまった。
 ついさっきまで煮えたぎっていたスープなんだけど、熱くないのかな。舌とか喉とか、火傷してない?
 俺の明後日を向いた心配をよそに、鍋の中身を飲みつくした子ドラゴンはけろりとした顔できょろきょろして、今度はリタの脇にある魚の切り身に狙いを定めた。
 今は葉っぱに包まれて凍っているけど、中身のレア度は一級品だ。何か、感じるところがあるのかもしれない。
「待って、これは駄目!」
 凍った切り身を後ろに隠して、リタがぶんぶんと首を振る。
「いいんじゃない? あげちゃおうよ」
「でも……!」
 レアものを前にして、リタが涙目で食い下がる気持ちはわからなくはない。でも、俺としては、早いことこの子におなかいっぱいになってもらって、ご両親の元に飛び去っていただきたい気持ちでいっぱいだった。
 ドラゴンは頭がいい。さっきも言ったとおりだ。
 生まれた瞬間からこれだけの魔力を宿し、俺が卵の世話をしていたことを認識して、頭をすりつけてくれるような子だ。
 そのご両親が、どれだけ名のあるドラゴンさんなのか、想像するだけで逃げ出したくなる。
 だってそうじゃないか。子ドラゴンは俺たちのことを命の恩人のように考えてくれているけど、親御さんからすれば一目瞭然だ。
 何がって、そんなの決まってる。大事な卵を俺たちが食べようとしていたことが、だ。
 この子とはなるべく、迅速かつ気持ちのいいお別れをしておくに越したことはない。そのためなら、下処理済みのレア大魚だって、差し出して然るべきだ。命よりレアなお宝はないのだから。
「そういうわけだから、ほら、差し上げて! 今にもご両親が飛来するかもしれないんだから! 自慢じゃないけど俺は、大人のドラゴンなんて一人じゃ絶対勝てないからね!」
「はあ……わかったよ。まあそうだね、結果的に、この子が無事に生まれてくれてよかったのかも」
 リタは諦めたように、そっと凍った切り身を地面に置く。
 子ドラゴンが、俺とリタを順番に見つめてくる。食べる気まんまんなのに、念のため、食べていいのか確認しているみたいだ。めちゃくちゃかわいい。
 二人で思わず笑みを浮かべて、こくこくとうなずくと、子ドラゴンは一声鳴いて、凍った切り身をあっという間に平らげた。
「ピイちゃん、食いしん坊だね!」
「ちょっとノヴァ、名前とかつけちゃって大丈夫? 一刻も早く、穏便にお別れするんじゃなかったの?」
「考えたんだけど、孵化のときにあれだけ魔力を放出したんだし、親御さんも気づいてると思うんだよね。それならより穏便に、直接お渡しした方がカドが立たないかなって」
「そうなのかな? それにしたって、鳴き声そのままって安易すぎない?」
「実は迷ってて……どれがいいと思う? ピイピイ鳴くピイちゃんか、食いしん坊のボウちゃんか、煮込む寸前で孵化したニコちゃんか」
「ニコちゃんて。何そのセンシティブなセンス。なんかごめんね……ピイちゃんでいいよ。うん、ピイちゃんがいいと思う」
 この子の様子から、知恵を絞って考えた究極の三択だったのに、リタは何故かじっとりした目つきになっている。
 改めて、「ピイちゃん」と呼ぶと、ピイちゃんは角をぴくりと反応させて、すいすいと空を泳いで俺のところにやってきた。
「くすぐったいって……いやいや、そこで寝ちゃうわけ?」
 お腹がいっぱいになったらしいピイちゃんは、俺とリタにひとしきり頭や身体をすりつけて甘えると、俺の背中から首に巻きつくような格好で器用にくっついて、すうすうと寝息をたて始めた。
 仕方なくそのままで、起こさないように気をつけながら鍋を片づける。意外にも、ピイちゃんの身体はすごく柔らかくて、動きにくいこともなく、ふわふわとした不思議で心地いい触り心地だった。
「全然、親が迎えにくる感じじゃないね。近くにはいないのかな。安心して寝てもらえてるのは嬉しいけど、ずっとこのままってわけにもいかないよね」
 ひととおりの片づけが終わっても、それらしいお迎えがやってくる様子はなかった。
 ピイちゃんは俺に巻き付いて、完全に熟睡している。
「ノヴァ、めちゃくちゃ懐かれちゃってるね。どうする?」
 どうすると言われても、ほったらかしにして村に戻るのは微妙なところだ。なにより、引き剥がすのはしのびないかわいさで、連れて帰りたい気持ちになっている。
「とりあえず、親が迎えに来てくれるまでいっしょにいるってことで、村に戻ろうか」
 リタもうなずいて、にっこり笑ってくれる。
「ところで、もうひとつ相談があるんだけど」
「ああ、実は俺も話があるんだよね」
「さすがに何か、食べてから戻らない?」
「俺が言おうとしたのもそれ、本当そう。おなかの中、空っぽすぎ」
 レア食材たっぷりの、真心込めて煮込んだスープは、この子にすべて食べられてしまった。森の中を半日近く駆け回った胃袋からは、朝ごはんはもうとっくに消えて空っぽだ。
 とりあえず俺たちは、仕分けた荷車の袋から、すぐに食べられそうなものをがさごそと探し始めた。