むかしむかしのお話――
ある王国に、見目麗しい一人の王子様がいました。
王子様は女性の憧れの的でした。
国中の女性達が王子様に恋をしていると言っても過言ではありません。
そんな王子様はある日、一人の少女と恋に落ちました。
恋のお相手は、それはそれは美しい娘でした。
王子様が一目で恋に落ちた少女は、町娘。
とても王子様の花嫁にはなれない身分でした。
しかも王子様には公爵令嬢という婚約者がいたのです。
幼い頃に結ばれた婚約には王子様の意志はありません。
政略的な意味合いしかない婚約でしたが、その昔、王国に感染症が広がった事で色々と不都合が生じたが故のものだったのです。
諸外国に付け入られないために、王子様には、血筋、家柄、財力の全てを兼ね備えた公爵令嬢を婚約者としてあてがわれていました。
国のために、そして次期国王としての責任と恋心に揺れる王子様でしたが、国の状況を理解していたため愛を取る事はできなかったのです。
焦がれる恋心に蓋をしますが、ふとした瞬間に蓋が外れてしまう時もありました。
忘れようとしても忘れられないのが恋。
諦めようとしても諦めきれないのが恋。
王子様だけではありません。
少女もまた王子様に恋をしていたのです。
少女は、恋する相手に婚約者がいる事に大変悲しみました。
少女と仲の良い犬は可哀想に思い、「王子様と会えるようにしてあげる」と言いました。少女は犬の助けを借りて王子様と会うことができるようになりました。そうして二人は秘かに愛を育んでいったのです。
そんなある日、公爵令嬢は微笑みながら王子様に言いました。
「王子様は本当に愛する方を見つけられたのですね。それならば、私は潔く身を引かせていただきますわ」
そう宣言したのです。
王子様は公爵令嬢の言葉に驚きました。
まさか婚約者である公爵令嬢からそんな言葉を聞くとは思いもしなかったのです。
それもそのはず。
二人の婚約は国が定めたもの。
「王子様、愛する方と一緒になること以上の幸せがあるでしょうか?お二人が愛し合っている事は周知の事実です。お二人が一緒になる事を望んでいる方々は多いですわ。お二人ならどんな困難も乗り越えていかれる筈ですわ」
公爵令嬢は二人の仲を認め応援すると言うのです。
婚約者からそんな事を言われるとは思わなかった王子様は動揺してしまいました。
しかし愛する少女と生涯を供にできると考えると、戸惑いよりも嬉しさが勝りました。一刻も早く愛しい少女と結婚がしたかったからです。
王子様と公爵令嬢の婚約は無かった事になりました。
だからといって、平民の少女が王子様の婚約者になれる筈がありません。
そして王子様の新しい婚約者を決める舞踏会が開かれました。
盛大な舞踏会を催す目的は王子様の花嫁を選ぶ事。
国中の貴族が招かれました。
「私も行きたいわ」
少女は言います。
「あら、貴女は平民でしょう?舞踏会には行けないわよ」
一人の貴族の娘が少女に答えます。
「舞踏会に行くドレスも靴も持ってないでしょう?それに貴女、踊れないのでは?」
別の貴族の娘が少女に疑問を投げかけます。
「そもそも招待状がなければお城には行けないわ」
更に別の貴族の娘が追い打ちをかけました。
貴族の娘達は美しく着飾ってお城へ行ってしまいました。
一人残された少女は泣き崩れてしまいます。
すると、そこに白い鳥がお城の招待状を持ってきてくれました。
白い鳥は言います。
「これで君も舞踏会に行けるよ」
それに対して少女は答えます。
「でも私にはドレスも靴もないわ」
少女の言葉に応えるようにリス達がドレスや靴、そしてアクセサリーを次々と運んできてくれました。
少女は喜びました。
これで舞踏会に行けるのですから。
美しく着飾った少女は急いでお城に行きました。
少女の姿を見た王子様は、すぐに少女の元に駆け寄り一緒に踊り始めました。
そして王子様は「彼女は僕の妻になる女性だ」と宣言なさいました。
宣言後、王子様は国王夫妻や大臣から様々な忠告を受けました。
一部の貴族から猛反対の声が上がったり、一部の国民から批判を受けたりと様々な出来事が起こりましたが数年後、無事に愛する少女をお妃に迎え入れる事ができたのです。
王国中が王子様とお妃様の結婚を祝いました。
それから二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし――――
この国で最も有名な本を娘に読んで聞かせると、娘は心底不思議そうな顔で訊ねてきました。
「……お母様、それが王太子殿下と側妃様の物語?」
「ええ、そうよ」
「どうしてお話の中の側妃様は『お妃様』と表現されているのですか?これではまるで『王太子妃殿下』だと勘違いされてしまいます。側妃様は飽く迄も一妃に過ぎません。決して『正妃』ではありませんのに……。何故、王家はこのような嘘を訂正しないのですか?」
娘の疑問に私は苦笑しました。
今年、五歳になる娘ですら疑問を持つ物語の内容に疑問を持たない民は多いからです。いいえ、国民だけではありません。下位貴族の大半がコレを真実だと信じているのですから。かと言って幼い娘に虚偽を教える訳にもいきませんし……こればかりは仕方ありませんね。
「エレノア、『側妃』もまた『妃』よ。物語は『お妃様』と表現されているだけで『正妃』か『側妃』かは関係ないわ。この物語を読んだ者達がどう判断するかは別にしてね。それに、王太子殿下は現時点で『妃』と呼ばれる女性は一人しかいないわ。だから間違いではないわね」
私の説明に娘は納得した表情で更に質問をしてきました。
「つまり、王太子殿下に『妃』と呼べる方が他にいれば物語の修正がなされるのですね」
「……通常はそうなるでしょうね。さぁ、もう、おやすみなさい」
私は本を閉じると、娘に眠る事を促したのです。
「は~い。おやすみなさい。お母様」
「おやすみなさい。エレノア」
パタン。
ゆっくりと娘の寝室のドアを閉めると、そこには夫が立っていました。
「エレノアは眠ったかい?」
「今、寝ようとしているところだわ」
夫は私の持っている本に気が付くと一瞬眉を顰める瞬間を見ました。彼はこの物語を嫌悪していますからそれも仕方ありません。
「あの子にその話を聞かせたのかい?」
「ええ、この国で一番有名な物語ですもの。知らないと色々と困るでしょう?」
「……あんなものが人気とは世も末だ」
「御伽噺に文句を言わないでくださいな」
王太子と側妃のアレなストーリーが描かれた御伽噺は王国内で大人気で、劇や人形芝居の演目の一つになっている程です。
しかも吟遊詩人が鼻唄にして流す事が一番多いのも、この御伽噺でした。現実と物語にどれほどの違いがあるかを国民の大半が疑問視しないのです。それが現実であると錯覚する程の人気ぶりだといえば、私の娘が疑問に思うのも無理はありません。淑女教育が始まったばかりの娘が物語の不自然さに違和感を覚えているというのに……。国民や一部の貴族達が「おかしい」と判断できるのは何時になるのでしょう?
現実は御伽噺のように美しくはありませんのに。
「何時まで王太子でいられるか見ものだな」
「お口の悪いこと」
「本当の事だろう?」
否定は致しません。
ですが、夫は一つ忘れていますわ。
「何時までも王太子のままかもしれませんわよ?」
「ん?」
「国王陛下が御健在のうちは王太子の座に居続けるでしょうね。その後は知りませんが……」
「陛下も甘い」
「一人息子ですからね。仕方ありませんわ。それに、殿下が王位を継がない事は既に決められていますもの。後継者をゆっくり吟味するのも必要ですわ。王太子殿下のようになっては困りますからね」
「自業自得だ」
吐き捨てるように言う夫に、私は微笑む事で同意を表しました。中継ぎの王にすらなれない可哀想な殿下。本人が未だにそれを知らない事は良い事なのか、それとも悪い事なのか……。知ればきっと騒ぎ立てるでしょうね。
あら?
もしかすると、それを見越して誰も当人たちに知らせないのかしら?
私の旧姓は、アリエノール・ラヌルフ。
ラヌルフ公爵令嬢であった私は、御伽噺に出てくる『王太子の元婚約者』。
夫と結婚して、アリエノール・ラヌルフ・ギレム公爵夫人になっているものの、嘗ての婚約者に思うところがないと言えば嘘になりますわ。
遡る事、十年前――
「アリエノール、婚約白紙の件を議会に提出してきた」
お父様の口から述べられた内容に衝撃が走りました。
「お、お父様……一体何を……?」
「あの王太子はダメだ」
「ですが……」
「よいか、我が家は只の貴族ではない。三大公爵家の一角を担っている。そのラヌルフ公爵家の総領姫に対しての王太子は不貞を働いているのだ。我が公爵家を馬鹿にしているも同然。王家から頼み込んできた縁組だというのにだ!そんな王家に嫁いだところで結果は見えている」
本気ですわ。
お父様は本気で王命である王太子殿下との婚約を白紙にしようとなさっています。
そんな怒り心頭の父に続くようにお母様が口を開きました。
「ならば、私は王妃殿下の実家に話を付けておきましょう。いずれ身内になると思って色々と融通して差し上げていましたが、全くの無関係になるのですもの。もうそのような配慮は必要ありませんでしょう」
「ああ、全く必要ない。あちらは元々商人だ。契約不履行は誰よりも理解している筈だ」
「ええ、文句など言わせません。そうそう、明日は王妃殿下恒例の茶会が催されますから、殿下にも一言釘を指しておいた方が宜しいかしら?」
「そうしておきなさい。親族価格ではなくなるのだからな。王妃殿下も実家と話し合いをする必要があるだろう。なにしろ、アリエノールを王太子の婚約者にと望んだのは国王陛下よりも王妃殿下の方だからな」
「全くですわ。あれほど熱心に勧めてきた方ですもの。王太子殿下との婚約継続を望むでしょうね」
「王妃殿下は伯爵家出身だからな。アリエノールを正妃に、浮気相手を側妃にすると言い出してきそうだ」
お父様の言葉に冷気が漂うほどの美しい笑みを向ける母に、思わず顔を逸らしてしまったのは本能的なものでした。とても恐ろしかったですわ。お母様の後ろに冬将軍の幻影が見えたのは気のせいではないでしょう。
そもそも、三大公爵家の一つであるラヌルフ公爵家の娘である私と王太子殿下が婚約した最大の理由は、彼の後ろ盾が弱かったせいです。
アリア王妃。
つまり、王太子の生母は伯爵家の出身。
如何に正妃の実子とはいえ、後見人を名乗るには些か……いいえ、とてつもなく弱かったのです。なにしろ、王妃殿下の実家は新興貴族。裕福ですが、歴史は浅い。数代前に当主である商人が「男爵位」を買い取ったところから始まった貴族家系ですからそれも仕方のないことだったのです。
国王陛下の寵愛厚い王妃殿下とはいえ、商人上がりの伯爵家出身という事から貴族社会では蔑まれていました。
これで陛下が他に妃をお持ちでしたら問題なかったでしょう。いいえ、アリア王妃を『正妃』ではなく『側妃』としていたら……あるいは、と思ってしまいます。きっと今よりはマシだったでしょう。時期が悪かったとしか言いようがありません。
アリア王妃と出会う前。国王陛下には婚約者がいました。
まだ陛下が王太子でいらっしゃった頃に。
婚約者は三大公爵家の一角、トゥールーズ公爵令嬢のローゼリア様でした。
その名前の通り、大変美しい方だと聞き及んでいます。陛下はローゼリア様をそれは愛しんでいらっしゃったとか……。ですが、ローゼリア様が大陸に猛威を振るった感染症によって亡くなられました。最愛の婚約者を亡くされた陛下の悲しみは大変なものだったそうです。
国王陛下がアリア王妃を選ばれたのは、『王妃殿下がローゼリア様に似ている』からだと心無い方々は仰います。そこにあるのはアリア王妃への蔑視。
所詮はローゼリア様の身代わりだという――
もっとも問題はそれ以外にもありました。
一つ、陛下と歳の近い令嬢は悉く決まった相手がいた事。
二つ、陛下以外に直系男子がいなかったため早く世継ぎを儲ける必要があった事。
三つ、感染症に効く薬の売買を行っていたのが当時、王妃殿下の実家だった事。
色々な要素が重なった結果でしょう。
王国初の伯爵家出身の正妃の誕生が実現したのです。
そんな王家からの婚約の打診は、ある意味、当然の流れでした。
そして今、その婚約を白紙に戻そうと両親が動き出したのです。
お父様は公爵の特権である『緊急会議』を発動させてまで、私と王太子の婚約撤回に動こうとしています。それだけ大っぴらに動きたいという事ですわ。
この流れを止める事は不可能でしょう。既に賽は投げられたのです。
そうして始まった『緊急会議』は紛糾を極めました。
まぁ、そうなるでしょうね。
王太子と公爵令嬢との婚約を白紙にするというのですから――――
次々に持ち上がる意見を前に、お父様とお母様は一切怯みません。
王妃殿下を始めとした大臣達の数々の説得にも応じる姿勢を見せず、更には王族を相手どって正論を叩きつけました。
「こ、公爵……王太子妃はアリエノール嬢でなければ務まりません」
「おかしな事を仰います。二年以上婚約者以外の女性と愛を育んでいるのは王太子殿下です。それについては今更お話し合う事もないでしょう。王妃殿下はよくご存じのはず」
「そ、それは……」
「これは我がラヌルフ公爵家に対する侮辱以外の何物でもありませんぞ!」
「……」
「本来なら、娘は婿を取る予定だったのです!それを王家が『必ずアリエノールを幸せにする』『大切にする』と。それをお忘れですか?」
「…………」
そのような約束がされていたのですね。知りませんでしたわ。
あら?
その割には私、王太子殿下に大切にされた記憶はありませんが……。口だけの約束だったのかしら?それなら分かりますわ。
「こちらがその時の証文です!ここに当時の国王陛下の御名御璽も入っております!」
テーブルに叩き出された証文。
そこに連名でお父様の名前も。
あぁ、証拠を残していたのですね。
王家とラヌルフ公爵家の間で交わされた証文でした。
その内容は『王家は何があろうともアリエノールを守り大切にする。王太子はアリエノール一人を妻にし愛し必ず幸せにする』という類いの物でした。
王家相手に中々のムチャぶりです。こんな内容を承諾した王家も王家ですが。
王妃殿下は絶望に染まりきった目でお父様を見つめています。
この様子ではお母様の予想が当たっていたようですわ。
私を正妃に、浮気相手を側妃にしたかったのでしょう。
ですが、この証文がある限りそれは無理というもの。今まで散々王太子殿下の逢瀬を黙認していたのですから、自業自得というものです。
「どうしても婚約を白紙になさらないと言うのなら我が公爵家はレーモン王太子殿下を支持致しません」
「公爵!!?」
王妃殿下だけでなく会場にいる大臣達も顔色を変えました。
建国当時から王家を支え続けた三本柱の一つが、現王太子――レーモン第一王子の即位に反対すると明言したも同然なのですから。彼らが慌てふためくのも致し方ありません。
ただでさえ立場の危い王太子殿下。
公爵家を敵に回してそのままでいられるはずもなく、王位継承権の問題にまで発展するであろう発言だったのです。
流石に王家と公爵家が争う、という事にはならないと思いますが、まぁ、そうなってもおかしくないセリフですわ。先の事は分かりませんからね。このまま王太子を国王にするのならこちらにも考えがあるという意志表明はある意味効果がありました。
国の重鎮達が挙ってお父様に考え直すように訴えているのですから。
最悪、公爵家が王家から距離を取れば政治や経済の打撃は免れません。
ここにいる大臣達だけでなく、この国の貴族の根幹を揺るがしかねない異常事態になるでしょう。
どちらに組するべきかを真剣に検討せざるを得ない――我が家に恩恵を受けている貴族達は挙って公爵家を支持するでしょう。中立を宣言する貴族はどちらにもつかない代わりにどちらの恩恵も受けられない立場になってしまいますからね。身の振り方は慎重になるでしょうし……。あら?これは国の分断の第一歩ではないかしら?
「何分、王族の血を引く男児は他にもいますので何もレーモン王太子殿下が王位にならずとも問題はないでしょう」
更なる父の発言で遂に会場は凍りつきました。
パチパチパチパチ。
静まり返った会場で拍手が鳴り響き、一人の青年が口を開きました。
「ラヌルフ公爵がレーモン王太子を支持しないとの意思表示をなさるのであれば、我がギレム公爵も同様に支持するのを辞めよう。ラヌルフ公爵が言ったように王家の血を引く者は他にもいる。相応しくない者を何時までも王太子位に居させるべきではない。私は王太子の廃嫡を求める」
「「「「「なっ!?」」」」」
衝撃発言の第二弾が飛び出して参りましたわ。
年若い青年の名前は、ティエリー・ギレム公爵。
三大公爵家の一つ、ギレム公爵家の若き当主。
一年ほど前に代替わりしたギレム公爵家。
先代の公爵はアリア王妃を認めていなかったそうですが、現公爵であるティエリー様も……?
「お、お待ち下さい! ギレム公爵までそのような発言をなされるなど……。廃嫡は些か暴論ですぞ!どうかお控え下さい」
「ご安心召されよ。廃嫡せよと言っているのではない。王太子にはもっと相応しい資質を持つ者を迎えるべきであると言つているのだ」
「し、しかし王太子殿下は……」
「国王陛下の唯一人の御子だ。しかし王族の血を引く貴族は他にもいるではないか。勿論、私もその一人だ。まあ、それを言うのなら侯爵以上の家柄は大抵王家の血を引いている。男女問わずな」
ティエリー様はしたり顔で仰います。
そして自ら調べられたご様子でした。
国王の血を濃く受け継いでいる貴族が他にもいるということを。
その方達はギレム公爵や私の家程ではありませんが、それなりの爵位を持っていらっしゃる御家ばかりですから、確かにその血を引いていて当然というものですわ。
「そういえば、この場には王妃以外の全員が王族の血を引いていた。我が国は女子に王位継承権はない。しかし婿に入った王族の男にはある。丁度、ここにも数名いるしな。何なら名乗り出てもよいのではないか」
挑発的な口調でティエリー様は他の家の方々を挑発されていらっしゃいます。
レーモン王太子よりも血筋の良い男子が王位に就くべきだと宣言したも同然ですわ。三大公爵と言えば、国の最大貴族。
公爵家として最古参に当たるギレム公爵家の発言力は昔から強いと聞きます。そして代々のギレム公爵家の当主は血統主義。特に三大公爵家を蔑ろにする者は許さないという一面をお持ちでしたわ。
「……言葉が過ぎますぞ、ギレム公爵殿」
「何、誤解のないように補足しただけだ。家の誇りを傷付けるような発言はしてはいないだろう?」
ティエリー様の隣に座っている高齢男性が苦虫を噛み潰したような顔で仰ったのに対して、ティエリー様は鼻で笑って仰いました。
「王太子としての義務も自覚もない男に国王など務まる筈がない。それとも何か?貴公は優秀なアリエノール嬢を正妃として酷使しようと考えているのか?世継ぎの王子を産むのは側妃にして正妃を公務に専念させて使い潰そうと?」
「そ、そのようなことは断じてない!」
ティエリー様に凄まれてはさすがの高齢男性も慌てて反論します。
「そうですか?先ほどから皆はアリエノール嬢を妃にと言っても王太子に再教育を促す気配は微塵も感じられませんでした。まるでアリエノール嬢を正妃にしたら何も問題はないと言わんばかりだ。まあ、アリエノール嬢は国内外に知れ渡った才女。王太子とは比べものになりませんから分からなくもないですがねぇ?」
会場中がしん、と静まり返った後ざわめき出しました。あまりにも的を射ていて一瞬皆が納得したような顔になったからです。
ええ、ティエリー様はマイペースに見せていますがなかなかの曲者ですわね。さすが、ギレム公爵と言うべきでしょうか(褒めていませんわよ)。
ティエリー様とは面識はありませんが、ご実家のギレム公爵家が勇猛なことで知られていることと関係しているのでしょうか?好戦的と言いますか、回りくどいことをして相手を罠に陥れる感じですわ。
「何か言い分のある者はおられないのか?どうぞ発言してください」
煽っておられますわ。
まぁ当然ですわね。
元々ギレム公爵家はレーモン王子の王太子位に反対表明していましたもの。今回の件でラヌルフ公爵家まで反王太子派に周ったとなれば、殿下がすんなり王位を得る事は難しくなりましたわ。国家の三本柱の二本が反王太子を掲げた訳ですから。
以前から噂にはなっていたのです。
王太子殿下は学園内で意中の女性を見つけられた、と――
私と殿下は四歳違い。
大人の四歳とは違い、子供の四歳差は大きいものです。
それでも流石に殿下が選ばれたお相手の女性が平民であった事は驚かされましたが……。
ソニア・キューレ。
王都の裕福な商家の娘で、学園に入学した理由は貴族の繋がりを得るためだったのでしょう。この辺りはアリア王妃殿下の実家と似通っていますわね。もっとも、大貴族を顧客に持つ伯爵家とは違い、キューレ商会は専ら下位貴族をターゲットにして商売をしていますから商売敵にはならないでしょう。
それに、ソニア嬢は元庶子。母君がキューレ商会会長の囲われ者だったようです。正妻が亡くなった事で後妻に収まったようですが、継子達とは折り合いが悪いと報告書に記載されていました。それもそうでしょう。自分達の母親が亡くなるや否や、まるでそれを待っていたかのように家に上がり込んできた愛人とその子供に好意を抱けと言う方がどうかしていますわ。
ご両親、特に父親が娘に期待していたのは下位貴族の令嬢との繋がりでしょう。
それか、下位貴族の令息と縁を持てば僥倖といったところではないでしょうか。ええ、少なくとも上位貴族との繋がりは考えてもいなかった筈です。商売の事もありますが、迂闊に上位貴族と縁を結べば大変な事になるのは目に見えていますもの。娘が運よく上位貴族の令息に見初められ『愛人』になったとしても正妻によっては商会ごと潰される危険が孕んでいる以上は慎重にならざるを得ませんわ。
それは兎も角、王太子殿下がソニア嬢と結婚を望むのであれば、殿下は市井に降りられることになります。平民が王族入りなど出来る筈がありません。ですが、王太子殿下が王籍を離脱し子が成せない処置を施した場合に限っては例外は認められるでしょう。勿論、殿下が『平民』の身分になることが絶対条件でしょうが……。果たして王太子殿下が全てを捨ててまでソニア嬢を選ぶとは考えにくいのです。そもそも王族がいきなり平民として暮らしていけるのか、と問われると「まず無理だ」と言う答えが返って来る筈ですわ。
育った環境が違い過ぎますもの。
私は益々混迷する議会を眺めながら思考の海に沈んで行くのでした。
答えは既に導き出されていると言うのに、解らないふりをして延々と引き延ばそうと画策している大臣達を眺めながら。
人とは愚かな生き物ですわね。
彼らも火中の栗を拾う事を忌み嫌っているのでしょう。
わかります。
今の王家と縁組をしたところで旨味はありません。
しかも三十年近く前に猛威を振るった感染症は今も貴族階級を苦しめています。
三大公爵家に王太子殿下と近い年頃の令嬢が私以外にいない事もそのせいでしょう。
王太子殿下とご縁を結んだ所で片親が新興貴族ですもの、その繋がりを快く思わない他の高位貴族は後を絶たないでしょうし、王妃としての器もないお方が正妃になられては国の行く末が不安になる事は想像に容易いですわ。
「ラヌルフ公爵令嬢は如何お考えでしょうか?」
宰相が私に話を振ってきました。
きっとお父様達を説得して欲しいのでしょう。
そして私に「これからも王太子殿下を支えていきます」とでも言わせ、丸く収めたいのでしょう。無言の圧力を感じますわ。周囲の大臣達も同じ考えなのでしょうか?懇願せんばかりの視線を感じます。
甘いですわよ?宰相様。それに皆様方。
何故、私が耐えねばなりませんの?
私一人が生贄になれば物事が全て丸く収まるとでも?
御冗談を!
寝言は寝てから仰って下さいまし!
「レーモン王太子殿下の心が別の女性にあるのは既に皆様も御存知の筈ですわ。仮に私が正妃として殿下の元の嫁いだとしましょう。その場合、果たして私の子供は誕生するのでしょうか?」
誰かがゴクリと喉を鳴らしました。
緊張の漂う沈黙に重い空気を纏った重圧感ある雰囲気の中、宰相が漸く口を開きました。
「それは一体どのような意味で仰られているのでしょうかな?」
「言葉通りの意味ですわ。私が殿下に白い結婚を言い渡された場合、あるいは子を流された場合、私の血が王家に入らない可能性が現段階でとても高い、と申し上げているのです」
「「「「!!??」」」」
私の返答で周囲が大きくざわめきました。
宰相が信じられないモノを見ていますわ(確かに信じられないのは理解しますが)。そこまで驚くことでしょうか?
「静粛に!!」
宰相がざわめきを制したことで、程なく元の静寂が戻ってきました。流石、宰相を務めるだけのことはあります。他の大臣の中には恐ろしい未来を想像して遠い目をしていらっしゃる方もいましたわ。お気持ちは分かります。
「つまり、ラヌルフ公爵令嬢は王太子殿下が信用ならない人物だと仰るのですな?」
「現段階で私達から信用を得られない人物に成り下がったのは殿下の方ではありませんか。信用に足りない相手と婚姻をしたところで得るものは何もないかと……。それとも宰相は信用ならない国と同盟を結ぶことができるとお思いですか?」
「!?い、いやそれは……」
宰相が押し黙ります。
自国の王太子だと思うからいけないのです。
これが他国との関係なら全く違った意見になるでしょう。
まったく。想像力の欠如かしら?それともただ状況が見えていないだけかしら?殿下の気の迷いだと考えているとか?
若さ故の過ち。
それは王族には通用しない言い訳です。何故なら王族に生まれた時点で婚姻が政略的な面を持っているのは当然です。殿下の行いは、それを放棄したも同然。それは即ち、王族失格の烙印を国民に押されても致し方のないことですわ。
それに――
「そんなに愛しているなら結婚なさったらよろしいのに……」
ポツリと私の口から洩れた言葉。
ザワリ。
一斉に大臣達が私を凝視します。
あら? 私、今なにか言いましたかしら?
皆様の顔が更に青ざめていくんですけど……。変な事言いました?思っていた事が、つい口から漏れてしまったのかしら?あらいやだ。怖いですわね。
「殿下は『真実の愛に目覚めた』と学園で言い回っておいでと小耳に挟んでおります。私や公爵家を『愛し合う者達を引き裂く悪人』と罵っている事も存じておりますわ。私は次のラヌルフ公爵を産み落とす義務がございます。それ故に、正妃として私は二人以上の子供をもうけるように、と散々王妃殿下に言われてきましたわ。ですが、今のままでは私が子をなす事は不可能に近いのです。それともここにいらっしゃる方々はラヌルフ公爵家の直系血筋が途絶えても構わないとお考えなのでしょうか?それとも跡取りと目されています私以外、他所から養子を娶ればいいとでも思っていらっしゃるのでしょうか?」
我が公爵家が王太子との婚約に消極的だった一番の理由。
それが今の私の発言により露見してしまいました。まぁ、隠していませんから知っている方は知ってますけれど……。