酔っ払いオヤジ、ドラゴンの魔力を誤飲して最強に~かつてドラゴンに全てを奪われたオヤジは因果応報の旅に出る〜


 多くの人々はあの日、“月を2つ見た”と口にした――。




♢♦♢

~リューテンブルグ王国~

 日が完全に沈みきった真夜中。王国中が静寂に包まれ明かりも消灯。それと対照的に、夜空には満月と無数の星々が光り輝いていた。数時間後に昇る太陽の日差しと共に、また今日という1日が始まりを告げる。

 誰もがそんな風に思っていた。

 いや、そんな日常が当たり前過ぎて誰もが思わなかったのだ。

 何時もの日常が、突如“終焉”に変わるなんて――。


「――逃げろぉぉぉ!!」
「キャアアア!」
「あれは一体……⁉」
「大至急国王へ連絡するんだッ!」
「ド……“ドラゴン”が現れたぞッ!」
「何が起こった……⁉」
「どうなってるのよ⁉」

 困惑、動揺、戸惑い、焦り、緊張、不安。多くの人間が今抱いているであろう感情の分だけリューテンブルグ王国に明かりが灯っていく。それと同時に王国中に響き渡る物々しいサイレン。一瞬にして、リューテンブルグは異様な空気に包まれた。

 目を覚ました人々は次々と明かりを点け外の様子を伺う。その明かりは“ある場所”を中心に波紋の様に王国全てに物凄い速さで広がっていった。そして、気が付いた時には大勢の人々が絶望へと突き落とされているのだった。

「――ドラゴンは王都から5㎞以上離れた“東の街”だ! 直ちに人々を避難させ、戦える者は騎士団と共にドラゴンの進行を防ぐんだッ!決して無茶はするな! 人命と避難を最優先に行動しろ!」

 リューテンブルグの中心に建つ城の入り口。そこには、この国が誇る優秀な騎士団員達が何十人も集まっていた。彼等は皆王国の紋章が施された甲冑やローブを身に纏い、手や腰には剣等の武器が備えられている。集まる彼等に指示を出している一際屈強な男。名は『エドワード・ヴォルグ』

「エドワード“副団長”、準備が整いました!」
「よし。全員行くぞッ! 何としても多くの命を守り切れ!」
「「オオォォォ!」」

 エドワードの号令により騎士団員達の士気が更に高まり、一行はドラゴンが現れたという東の街へ一目散に向かうのであった。

 ♢♦♢

~リューテンブルグ王国・東の街~

 まさに“大厄災”――。

 眼前に広がる景を見たエドワードと騎士団員達は一瞬言葉を失った。大勢の逃げ惑う人々。辺り一帯の建物は破壊され木材や瓦礫が粉々に散らばっていた。何かの原因で点いたであろう火は街中に広がり火の海と化し、焼けた臭いや真っ黒な煤が風に運ばれ街全体に漂っていた。目的のドラゴンはまだ先にいるのか姿が確認出来ない。

「助けてくれぇ……」
「ママー! パパー!」
「ゲホッ……ゲホッ……!」

 エドワード含め、騎士団の者達の視界に入るだけでも相当の数の人が逃げ遅れている。瓦礫の下敷きになり動けない者や夥しい出血をしている者。足が折れて蹲っている者や懸命に人を助けようとしている者から明らかに死んでいる者まで。

 俄に信じ難い現実の中、エドワード達は再び気合いを入れ、我先へと逃げる人々の波を逆いながら急いで人命救助に出た。

「全員、近くにいる者達を助けろッ! 急げ! 1秒でも早く、1人でも多くの人間を救出するんだッ!」

 困難な状況でも冷静な判断と行動で動けるのが騎士団の強み。火を消したり瓦礫を動かしたり怪我人を回復させたりと、一斉に動き出した騎士団員達は各々が得意な魔法で行動に出た。

「ここは頼んだ! 俺は一足先にドラゴンの元へ向かう!」
「分かりました! 気をつけて下さい副団長」
「ああ」

 更なる被害を食い止めるべく、エドワードは破壊された街を辿る様にドラゴンの元へと向かう。魔力を練り上げ猛スピードで突き進むエドワードの視界にふと、街を焼き焦がす火災とは異なる一際輝いた神秘的な光が飛び込んできた。

 その輝きは月光の如し――。

 誰もが目を奪わてしまう程に美しく神々しい。まるで、到底手には届かない遥か遠くの月が直ぐ目の前に訪れているかの様な錯覚。周囲を無残に焼く火とは比べ物にならない洗礼さと気品さを感じさせる輝き。神秘的にも関わらず何処か儚さも伝わってくる。

「あれが幻の……“満月龍”……」

 光り輝くものの正体を見たエドワードはまたしても言葉を失った。度重なる非現実な出来事を理解する事で精一杯。速やかに処理出来ない頭とは逆に、無意識ながらも体は効率の良い動きをしていた。

 古よりこの世界に伝わる幻の龍……ラー・ドゥアン・ファンフィーネ・ルア・ラグナレク。またの名を『満月龍《ラムーンドラゴン》』

 存在自体が幻とされている満月龍であるが、その神秘的な姿は見る者全ての“視線を奪う”と言い伝えられていた。美しさ故に、人々は疎か全生物が本能的に視線を奪われてしまう。そしてこの言い伝えにはもう1つの意味があった。

 満月龍の訪れは“終焉”を生む。

 言葉通り、満月龍は自身の姿で全ての生物の視線を奪い、その終焉の力で全てを破壊する――。


『ヴオ″ォォォォォッ!!』

 この世界でも3本の指に入る大国が1つ、リューテンブルグ王国。そんなリューテンブルグは人間を初め、多岐に渡る種族が大勢暮らしていた。人々の数や文明も栄え、王国の広さや規模もトップクラス。間違っても小さくはないであろう王国の一部が、僅か数分で壊滅状態に陥っていた。

 悲惨な現状。神秘的な見た目とは裏腹に、耳を塞ぎたくなる様なけたたましい雄叫びを上げる満月龍。全長70m以上はあろうかという巨体に禍々しい鉤爪。剣など簡単に弾き返してしまいそうな強固な鱗を全身に纏い、尻尾を一振りしただけで街がまるで玩具の様に破壊された。背中に携える屈強な翼が少し羽ばたけば、たちまち暴風並みの強い風が生じ人々を襲う。

 エドワードが姿を確認してから満月龍が取った行動は……雄叫びを上げる。尻尾を振る。翼を動かす。たったこれだけの事でざっと2桁の人々が死んだのではないだろうか。

 人が立ち向かうには余りに無力。
 情けなくも、エドワードが脳裏に真っ先に浮かんだ言葉はこれだった。

 何処から攻撃すればいいのか、どれ程強力な魔法を放てばいいのか。普段は考えもしない事が一気に頭を駆け巡る。

「助けてー!」
「ヤバい……! ごちゃごちゃ考えてないで動け俺ッ!」

 相も変わらず逃げ惑う人々の群れ。エドワードはそんな中で1人の泣きじゃくる子供に目が留まった。5歳くらいの男の子。か弱い小さな体で自分の背丈の倍以上はある瓦礫を動かそうとしていた。火災の煙と多くの人々で視界が悪かったが、エドワードはその男の子の直ぐ足元で瓦礫の下敷きになっている人の影を確認した。

「大丈夫か⁉」
「ゔゔッ……! おじさん、パパとママがッ……助けて……!」

 下敷きになっていたのは男の子のお父さんとお母さん。2人共体の半分以上が瓦礫に埋もれ、大量の血が流れていた。エドワードが呼び掛けるも全く反応が無い。まさかと思いながら脈を確かめたが時すでに遅し。どちらも既に息絶えていた。

「パパとママ大丈夫だよね? 死んでるの……?」

 不安一杯の表情で問いかける男の子。
 エドワードは「心配するな」とその子を力強く抱きしめた。男の子を……そして自分を落ち着かせ、一刻も早くこの場から立ち去ろうと思った瞬間、満月龍が振るった尻尾が凄まじい速さでエドワード達に迫っていた。

(しまッ……!)

 僅か一瞬。その反応の遅れが時として命取りとなる。エドワードは反射的に男の子を庇うのが精一杯であった。

 ――ガキィィンッ‼
 終わりだと思った瞬間、エドワード達を捉える寸での所まで迫っていた満月龍の尻尾が、突如“何か”によって大きく弾かれた。

『ギヴァァァ……!』
「――大丈夫かエド」
「“ジン”!」

 エドワードの前に現れたのはジンと呼ばれた1人の男。名は『ジンフリー・ドミナトル』

「助かったぜ」
「とんでもねぇ事になってやがるな……他の奴らは?」
「もう動いている。人命最優先でな」
「そうか。なら俺らは早くアイツ食い止めないと」
「相当厄介だぜコイツ……。おい、この子を頼む!」

 エドワードは近くにいた騎士団員に男の子を預けた。

「エドワード副団長。ご覧の通り、街中大混乱となっております。随所で団員が懸命に避難と救助を行っていますが……直ちにこのドラゴンを何とかしなくては人々どころか王国が……」

 満月龍を見上げるエドワードとジンフリーと騎士団員達。上を見上げながらにしてここまで絶望を感じるのも珍しいだろう。

「任せろ。俺達が何としてでも止めてみせる」
「わ、分かりました。私達は引き続き皆を避難させます! 気を付けて下さいね、エドワード副団長。ジンフリー“大団長”」

 数名の団員達はそう言って引き続き人命の救助に向かった。

「若い団員に心配されるって事は俺らも歳かね」
「まぁ若くはないな決して」
「ハハ。まぁ冗談は抜きにして早く止めるぞコイツ」

 リューテンブルグ王国が誇る精鋭の騎士団員達。13の団に分かれた団員達の総数は200人を超え、その全てを統率するのが彼、ジンフリー・ドミナトル大団長。リューテンブルグ王国最強の剣士である。

 動き出した王国最強のジンフリーとエドワードは遂に満月龍と対峙。




 そしてこの日――。


























 リューテンブルグ王国は終焉を迎えた。





 夥しい出血と、一筋の涙を流すジンフリーと共に――。















「マリア……ミラーナ……ジェイル……パク……」



 ――ゴクッ……ゴクッ……ゴクッ……キュポン……!

「んぁ?  何だ、もう無くなっちまったのか。……しょうがねぇ」

 俺は部屋の床に散らばった金貨を鷲掴みし、酒を買いに行く為仕方なく重い腰を上げた。動くのは面倒だが酒は欲しい。酒は欲しいが動くのは面倒。下らない事が頭をぐるぐる駆け巡っているが、それでも体はちゃんと動き出し、覚束ない足取りで家を出た。

「寒ぃ、冷えるな」

 もうそんな時期か。ったく、いい感じに酔いが回ってたのに一気に醒めるぜこれは。

 辺りは真っ暗。外は街灯が幾つか点いている程度。深夜だから当たり前だな。出たはいいが、こんな時間に店やってんのか? 俺は分かりつつ何時も酒を買っている酒屋を見たが、当然の如く真っ暗で閉まっていた。

 そりゃそうだよな。こんな時間にやってる訳ねぇ。
 ん~、仕方ない。どうせ寝付けないから少し酒でも探しに行くか。
 
 肌寒い真っ暗な街の中、俺は体を温める様に両腕を組みながら背中を丸め、当てもなく街を歩き出した。

 所々部屋に明かりが点いているのが確認出来たが、やはり酒屋どころか小さな店1つとして開いていない。

 いつの間にか城の近くまで来ちまったな……。流石に店も開いてないし販売機にも肝心の酒がねぇ。どうなってんだよこの王国は。
 
 酒だって水と同じぐらい手軽に買える様にしとけよ。無いと余計に欲しくなるぜ。

 全然納得いかないが諦めるしかねぇ。
 俺は仕方なく家に帰ろうと体の向きを変えた瞬間、道の奥に動く明かりを見つけた。

 明かりの正体はトラックのライト。エンジン音と共にゆっくりこちらに近づいてくる。

 日中は全く気にならないが、辺りが静寂に包まれているせいかそのエンジン音がとても響いて聞こえた。

「こんな時間に働いてるとはご苦労なこった……酒積んでねぇかな?」

 そんな事を思いながら歩く俺の横をトラックが通り過ぎて行く。

 ――キキィィ……!
 ん? 何だ?  通り過ぎて行ったかと思ったそのトラックが突如急ブレーキを掛けた様に止まった。すると運転席の窓が開き誰かが俺の方を見てきた。

「……ジンか?」

 辺りが暗くライトも逆光になって顔がよく見えない。
 だが確か聞き覚えがある。久しぶりに聞いたにも関わらず、前と何ら変わらない呼び方と声色で、俺はそれが誰なのか直ぐに察した。

「エド?」
「やっぱりお前か! こんな時間何してるんだ? しかもこんな場所で」

 ドアを開けて降りて来たのはエドワード・ヴォルグ。俺の昔からの友人だ。そして同じ騎士団でもあった。成程。よく見りゃ車体に紋章が付いてる。王国の運搬車だったのか。

「頼むぜエド。酒ぐらい販売機にも入れとけっての」
「相変わらず酒臭いなお前……小汚い格好でふらふら歩いてるから今時ホームレスでもいるのかと思ったぞ。まさか酒探しにここまで彷徨ってたのか?」
「それ以外出る理由がねぇだろ」
「ったく……何しているんだよ。未成年でも買える販売機に酒なんか置く訳ないだろ。子供でも分かるぞ」
「これ酒積んでる?」
「積んでない。これは王国が管理する超機密な貴重品だ」
「へー。ゴミか」

 俺がエドと話していると、トラックから騎士団員の1人が降りて来た。

「エドワード“大団長”。本部からです」
「ああ、ありがとう」

 本部と繋がっているであろう通信機を受け取ったエドは何か話をし始めた。

 大団長か……懐かしい響きだな。それにしても、こんなデカいトラックで本当に酒の1本も積んでねぇのか? よし。まだ話しているみたいだから確認だけしてみよう。俺は静かに後ろの積荷の扉を開けた。

 すると、中にはよく分からないゴツイ大きな機械や装置みたいな物が積まれていた。他にも家具や食料品といった小物が数々。

 何だこれ。マジでどうでもいい物ばっかじゃねぇか。何でわざわざ王国の運搬車で運んでるんだよ。しかもこんな時間に。あ~あ……面白い物でも積んでれば幾らか気晴らしになったのに……って、ん? あの奥にあるの……もしかして“酒”じゃねぇか⁉ おいおい、本命があるじゃねぇかよ! これだよこれ。

 ラッキーな事に酒を見つけた。
 しかもその酒は何やらクリアな箱に入れられ、トラックに載っている大きな機械と繋がれていた。

「冷蔵庫にしてはデカ過ぎるだろこの機械。しかも入ってるのはこの酒1本だし冷えてもない。何に使うんだよこのデカい機械は……まぁ酒見つけたからいっか。 王国の運搬車に載ってこんな厳重に積まれていたとなれば、余程貴重な酒らしいな。こりゃ飲むのが楽しみだ!」

 俺は酒を懐へと忍ばせ、何事もなかったかの様に積荷の扉をそっと閉めた。エドもタイミング良く話が終わりそうだ。

「――はい、分かりました。それでは」
「忙しそうだな」
「別に大したことはない。それじゃあなジン。荷物を城へ運ばなきゃいけないからもう行くぞ」
「ああ。頑張れよ」
「何だ? 心なしか嬉しそうな顔してないか?」

 やべ。酒を見つけてついつい顔が緩んじまった。

「す、する訳ねぇだろ。疲れてんだよこっちは」
「まぁ何でもいい。お前も早く帰れよな」

 言われなくても早く帰るって。この酒飲みたいからな。

「ジン」
「何だよ。お前もさっさと行けよ」
「待ってるからな……。何時でも戻って来いよ……」

 エドは目を合わせずそう言うと、トラックに乗り走り出して行った。

「なぁにが待ってるだよ。男に言う台詞じゃねぇだろ……」

 分かってる。アイツなりに心配して気を遣ってくれている事ぐらい。ガキの頃からの付き合いだからな……。いかんいかん。年取るとついしんみりしちまう。直ぐ帰って早く酒飲まな……って、別に家まで待つ必要ないだろ。このまま歩きながら飲んで帰ろう。

 ボトルの蓋を開け、俺は待ってましたと言わんばかりに勢いよく飲んだ。

 ゴクッゴクッゴクッゴクッ。

 変わった味だが悪くねぇ。

「ぷはぁ~! 苦労して手に入れた酒はまた格別だな。あんな大袈裟に運んでたからどれ程の物かと思ったが……あまり美味くはないな。それともこれが、王族達のお上品な味ってやつなのかね」

 ――ドクンッ……!

「ん……?」

 何だ? 今一瞬体が熱くなった気がしたけど……。気のせいか? 久々に結構動いたから疲れたかな体が。嫌だね……年取るってのは。早く帰って寝るとしよう。酒も飲んだしよく眠れそうだ。






 そしてその日の夜。

 俺は何時もの如く、“殺された家族”の夢を見た――。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「――パパ……熱いよッ……!」
「助けて……パパ」
「あなた……ッ!」

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ――バッ!
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……!」

 くそッ……“また”か……。何時まで経っても最悪な目覚めだぜ全く……。

 あの日からもう5年……。未だにあの時の光景が頭から離れねぇ。毎夜訪れる悪夢のせいで悲劇がつい昨日の事の様に感じる。何で俺だけ生きてるんだ……。

 マリア……ミラーナ……ジェイル……それにパク……。きっと皆怒ってるし恨んでるよな……。そんな言葉じゃ言い表せないか。無理もねぇ……俺だけのうのうと生きてるんだからよ……。

 目覚めから果てしない虚無感に襲われた俺は、僅かに残った昨日の酒を一気に飲み干した。

「……やっぱり美味くねぇ酒だな」

 既に昨日味わっていたが、改めて飲んでもやっぱり美味くない。まぁ味の好みは人それぞれだけどな。俺は辺りに散らばる金貨を数枚適当に拾いポケットに突っ込んだ。動くのが面倒くさいから買い物はまとめて済ませる。何日分かの食料と無くてはならない大量の酒を買ってそれを消費。そして無くなったらまたまとめて買う。それの繰り返しだ。

 そして今日はそのまとめ買いの日。正確には日付を跨いでいたが、こうして連続で外に出るなんて珍しい。いや、この5年の間にも片手で数えられるくらいだろう。なんの自慢にもならねぇがな。

 微塵の変化もない今日という当たり前の1日。
 毎回面倒だと思いながらも、俺は家の扉を開けて外に出た。

「――おい」
「うわッ⁉」

 久々に大きな声を出した。出したというより思わず出た。だって、まさか扉開けていきなり人が立ってるなんて思わねぇだろ。しかもかなり“圧”を感じたし。そりゃ驚くって。目の前にいる奴がいくら知った顔でもな。

「何してんだよ朝っぱらから……エド」

 連続で人と会って話すのも久しぶりだな。 

「“返せ”よ」
「 は?」
「いいから早く返せ。お前だろ、“犯人”」

 いきなり現れた挙句に何言ってるんだコイツ。

「何の話だよ」
「運搬車の荷台の防犯カメラに映っていたんだよ。“ボトル”を持っていくお前の姿がな、ジン」

 ボトル……。ああ、昨日の酒の事か。思ったよりバレるの早かったな。っていうか防犯カメラなんて付けてたのかあのトラック。

「ボトルってあの“酒”の事か? 何だよ、酒の1本や2本別にいいだろ」
「良くねぇよ!」

 エドにしては珍しく焦った表情をしている。しかも食い気味で言い返してきたし。

「やっぱ高い酒だったのか。それなら金はちゃんと払うからッ……「いいから返せ! しかも言っておくがアレは“酒じゃない”!」

 え……? 酒じゃないの……?
 俺が少し困惑した顔をするとエドは何かを察したのか、突如顔面蒼白の表情で俺の胸ぐらを勢いよく掴んできた。

「おいッ! まさかお前……アレ飲んだ訳じゃないだろうなッ⁉」

 何かヤバそう。俺の直感はこれに尽きた。

 エドとは出会ってから30年以上も経つが、正直こんな焦った顔を見た事がない。初めてだ。それ故に、察しの悪い俺でも何か尋常ではない空気を感じ取っている。
 
 俺はこの時思った。
 多分……アレ飲んじゃいけないやつだったんだ。

 うん。絶対そう。じゃないとこの状況に説明が付かん。

「あー……アレな……俺には酒に見えたけどな……ハハ。そもそも酒じゃねぇとは……へー。


…………だったら何ですか⁇」

 ぎこちなくも何とか絞り出した回答に、遂にエドがキレた。

「馬鹿野郎ォォォォォォォォォォォォッ‼‼」


 ♢♦♢

 
~リューテンブルグ王国・城~

 あれから俺とエドは、王国のど真ん中に聳え立つリューテンブルグ王国の城に来ていた。当たり前だが此処には国王や王族が住んでいる城でもある。だから当然の如く国王もいるし、何なら今俺は城の中で1番広い玉座の間で静かに片膝を付いている。

 何故かって? 当然だろ。目の前に国王が座ってるんだからよ。常識だ。
 
「――久しぶりであるな。ジンフリー・ドミナトルや」
「ご無沙汰しております。フリーデン様」

 リューテンブルグ王国の国王であるシャロム・フリーデン。俺が物心ついた時からずっと国を平和に保っている。歳ももう90近い筈なのに元気だな。良い事なんだけど。

「先ず、元気そうで何よりじゃ。其方がリューテンブルグ王国誕生以来、最年少で騎士団の大団長になった事も私にとってはつい最近の事の様に感じる。人々が平和に暮らせてこれたのも其方のお陰じゃジンフリーよ。改めて礼を言うぞ」
「国王様にお礼を言われる程の事なんてしていないですよ」
「そう謙遜するでない。……あの時、其方が命を懸けて守ってくれたからこそ、ここまで復興の道を歩む事が出来ておるのじゃ」

 フリーデン様の言葉に、周りにいた家来や護衛の騎士団員達も皆頷いていた。

 一応理解はしてるつもり。5年前、死に物狂いで満月龍を止めたのは確かに事実。でも、それはあくまで結果論。あの時、俺にもっと力があれば……こんな事にはなっていなかった。大勢の人を救ったと称えられるがそうじゃねぇ。救えた筈の何千と言う命を、俺は救えなかった。1番守らなきゃいけない家族でさえも……。

「終焉を生むと言われる幻の満月龍……。多くの命が失ってしまったのもまた事実。しかしそれで其方を責める者など1人もおらぬ。大勢の人々が感謝しているのじゃ。最早ドラゴンは自然災害の1つ。人間の力など自然に比べれば無に等しいのじゃよ。悲しいがな。其方の家族も本当に残念じゃった……」
「自分に実力があれば全てを救えた。それだけの事です」

 自分でも面倒くせぇ奴だなと思う。
 周りからの感謝はこんな俺にもちゃんと伝わってる。気を遣ってるわけでもお世辞を言ってるわけでもない。皆心の底から“ありがとう”と言ってくる。助かったと。感謝してると。どれだけ言われたか分からない。そう思ってくれるのは本当に嬉しいが、自分の気持ちの整理が全く付けられないんだ……。

「私から話し出してしまったとは言え、何時までも自分を責めるでないぞ。そして時にジンフリーよ――」

 静かに一呼吸の間が空いた。
 皆の視線が自然とフリーデン様に集まる。

「わざわざここに足を運んでもらったのは他でもない。既にエドワード大団長から聞いていると思うが、余りに不測の事態に私も少々戸惑っておる……」

 仰る通りです。俺もまさかこんなバツが悪い事態になるとは思っていませんでしたよ。それにしても……。

「その事に付きましては……まぁ何というか……私が言うのも可笑しな話ですが、結論、もう飲んでしまってどうにもこうにも返しようがありません。そしてフリーデン様……。
察しの悪い私でも、何かやらかしてしまったという事は分かっております。一体……私が酒だと思って飲んだアレは何だったのでしょうか……?」

 これが1番の疑問。国王まで動くなんて只事じゃねぇ。

 俺の率直な疑問に、何故かフリーデン様も困ったような表情でこう言った。

「ジンフリーよ。私も何処から説明すればいいのか悩んでおるが……結果から言うとな、其方が口にしたアレな……


“満月龍の血”なんじゃ――」






 ん……?? 
「俺が飲んだのは酒じゃなくて……満月龍《ラムーンドラゴン》の血……?」

 え、どういう事? 血ってあの血だよな? 誰にでも流れてる赤い……。

 余計に頭が混乱してきた。何て言えばいいのかも分からねぇ。

 戸惑う俺を見かねたのか、フリーデン様が再び口を開いた。

「反応に困っておるみたいじゃな。まぁ無理もない。まさかアレを飲んでしまう者が現れるなんて誰も予想していなかったからの。私よりエドワードの方が現時点での詳細を知っておるだろう。説明してくれるか?」
「はい。私で宜しければ」

 そう言って、今度は横にいたエドが俺に事情を話し始めた。

「まさかこんな事になるとはな……ジン」
「全くだ。分かりやすく頼むぜ」
「やれやれ……。いいか? まずお前が飲んだアレは、フリーデン様も仰った様に酒じゃなく満月龍の血だ」
「それは今聞いたけどよ、何でまたそんな物がここに?」
「あの血は5年前、満月龍が去った後に偶然手に入れたものだ。お前が奴に傷を負わせてくれたお陰でな」

 という事は……アレは本当に本物の満月龍の血……。

「オエェェ……ッ!」
「おいおい! こんな所で絶対吐くなよ⁉」

 飲んだ物の正体を改めて認識したら無意識にえづいた。

「マジかよ、急に気持ち悪くなってきた……。俺ドラゴンの血なんか飲んだの? 大丈夫⁉」

 いや、まぁ別に最悪死んでもいいんだけどよ、生きてる目的もねぇし。でも流石にドラゴンの血飲んで死ぬって意味分からな過ぎだろ。

「落ち着けって。多分死ぬ事はないだろうが、どうなるのかも分からん。ぶっちゃけ逆にどう? 何か体の変化とかないか?」
「いい加減だなおい」
「しょうがないだろ。人が飲むなんて想定外過ぎるんだから」
「そんな事言われても……別に大して変わりないぜ? 飲んでから少し経つけどな。っていうか何でそもそも満月龍の血なんかをボトルに入れて運んでたんだよ。何か使い道あるのか?」
「それをずっと調べていたんだ。5年間ずっとな。お前が飲むまでずっとな。そしてやっとその手掛かりを掴んだのに、あろう事かお前が全部飲んじまった」

 凄い棘のある言い方だなぁコイツ。暫く会わないうちに随分器の小さい男になったものだ。まぁ明らかに俺が悪いけどな今回は。

「手掛かりって何だよ」
「ああ、それはな……。ここからはフリーデン様にもご清聴願いたいのですが」
「構わんよ。続けてくれ」
「ありがとうございます。既にご存じかと思いますが、我々騎士団は5年前、偶然にも満月龍の血を手に入れました。初めは当然誰も気に留めていなかったのですが……事が起きたのはあの日の翌日でした。甚大な被害にあった東の街を中心に朝から大勢の人々が動いており、私も数名の団員と共に街を回り、怪我人や生存者の救出にあたっていた時です。

満月龍は、私の隣にいるジンフリーとの壮絶な闘いによりダメージを負っていました。そしてそれがきっかけで血が辺りに流れていたのです。私もこの時は何も思いませんでした。被害が被害なだけに、それ所ではなかったので……。

ですが、何故か私は血の流れたその場所を見てから、その光景が頭を離れす……妙な“違和感”さえ覚えていました」

 エドは記憶を辿る様に、当時の事を鮮明に話している。今この玉座の間にいる人間は俺を含めて17人。国王、エド、そして護衛の騎士団員が10人と城の家来が4人。この家来と騎士団員が何処まで事情を知っているのかは分からない。だが少なくとも反応を見る限り、全く知らない俺とは違って、この満月龍の血の存在は知っている様子だ。

 成程……そう言う事か。

 この場にいる者達は最低限の事情を知っている。それにも関わらず、わざわざ本当に“1から”丁寧に説明するとはな……ハハハ。俺は気付かないうちにそこまでお前に心配かけていたのか。

 これは分かりづらい上にかなり遠回りだが……エド、お前なりの気遣いと受け取っていいんだよな?

 全てを失い絶望を得たあの日。俺はあの日から今日まで、抜け殻の様な日々をただただ過ごしてきた。思い返したくもねぇ……。思い返したとしても、酒を飲んでた記憶しか無い。王国の復興が何処まで進んでいるのかも当然分からない。あれから皆がどう過ごしているのかも、人や街の雰囲気さえも分からねぇ。というより何も感じなかったと言った方が正しい。

 だからだろ?
 だからエドはわざわざ“俺だけ”に教えてくれてるんだ。あの日の続きを。別に知った所で何も変わらないけど、少なからず、5年という歳月があの時の俺より幾分がマシになったと思って話してくれているんだよな……。

 相変わらず回りくどい奴だぜ。何も変わってねぇなホントに。

「――その違和感と言うのは?」

 絶対知ってる筈のフリーデン様もエドに付き合い始めたか。って、そんな言い方は失礼だな。フリーデン様も察してくれている。全く……。一体どこの国王が俺みたいな庶民1人にここまで気を掛けてくれるんだよ……。

 ここまでされてやっと分かってきた。俺が思っていた以上に色んな人に迷惑掛けてるって事も、自分がどうしようもなく情けねぇ野郎だって事もな。

 俺はそんな事を思いながら、エドの話に静かに耳を傾けた――。
「はい。私が感じたその違和感はある“魔草《まそう》”の花でした」

 魔草……?あんなのただの雑草だろがよ。

「言うまでもなく魔草など至る所に生えておりますが、そこの雑草と紛れ咲いていた花は、魔力に反応して咲く“マミの花”。誰もが子供の頃に1度は遊んだ経験があるかと思います」

 エドが言ったマミの花。これはそこら辺に生えている誰もが知っている魔草だ。魔草の中には珍しく貴重な物も確かに存在するが、このマミの花にそんな価値は無い。小さい子供の魔力遊びで使われるぐらいの花だからな。

「マミの花か。確かに誰もが遊ぶ、子供の頃の思い出の1つであるな。懐かしいの。しかし何故そんなマミの花に違和感を抱いたのかね? 特に珍しい物でもないであろう」
「確かに……マミの花自体は何も珍しくありません。ただ、ふと目に留まったマミの花の周りに面月龍の血が零れていたのです。勿論、その時は自分でも分からない違和感を覚えましたが、それが氷解したのは直後の事でした。

私達が、被害に遭った人々の救助活動を行っている際に見かけたのです。何十軒という潰れた家の数々……大量の瓦礫や木材が一面に散らばっていた中で、偶然にも、木材から滴り落ちる満月龍の血によってマミの花が咲く瞬間を――。

自分でも一瞬目を疑いました。種族を問わず、命あるもの全てに流れる魔力。それはまた人間もドラゴンも同じ。そしてマミの花はそんな“魔力”に反応する魔草です。しかし、あの時マミの花はしっかりと咲きました。魔力ではなく“血”に反応して……それもたった1滴落ちただけで、なんとそこに纏まって生えていた“数十本全てが満開”に咲いたのです」

 話を進めていくにつれ、エドにも心なしか力が入っている様に伺える。

 俺も少しばかり驚いた。そんな話は今までに聞いた事無い。血液に魔力は含まれていない筈だから、本来であればマミの花が反応する訳ねぇ。まぁ人間以外の聖霊やドラゴンみたいなモンスター達は知らないけどよ。

 それに驚いたのはその後。僅か1滴落ちただけで一画全て満開で咲いただと……? あり得ねぇ。魔力に自信のある大の大人が試したとしても精々2~3本。複数を満開なんて異常だ。

「おいエド。その話マジなんだろうな?」
「俺も目を疑ったさ。だがこれは揺るがない事実だ」
「フッ……終焉を生むとは良く言ったもんだぜ。まさに化け物だ」
「“魔力0”のお前とは正反対だろ。一片も咲かないもんな」
「うるせぇ。代わりに“魂力《こんりょく》”があるからいいんだよ」
「まぁそうだな。兎も角……そんな満月龍の血にはかなり強大な魔力があると目の当たりにした我々は、何とか採取出来た僅かな血を集め調べ続けてきた。奴のその強大な力をどうにか利用出来ないかとね」

 エドはまだ何か言いたそうな目で俺を見てきた。

 成程。そもそもドラゴン自体が珍しい上に、今回手に入れたのはあの満月龍の血。そうとなりゃ間違いなく世界トップクラスの希少品だ。どれぐらいの価値が付くか想像も出来ん……。

 ここまで一切理由が分からないままバタバタしていたが、ようやく全てが繋がったぜ。

「――つまり、その超貴重な満月龍の血を俺が飲んじまったから大問題になっていると。そういう事で間違いねぇな」
「ドヤ顔で言い放ってんじゃねぇ! 何処までアホなんだお前は!」

 エドはそう言いながら俺の脇腹にドンと拳を当ててきた。

「痛って。しょうがねぇだろ。大体な……そんな大事な物をあんな酒みたいなボトルに入れておくお前らが悪ぃんだよエド! どっからどう見ても酒だぞアレは!」
「何で逆ギレしてるんだよ!百歩譲って酒だったとしても、王国の運搬車から積荷盗むなんて前代未聞だ! 言っておくがなジン、本来なら捕まって速攻牢屋行きだぞお前!」
「盗みなんて人聞き悪ぃな! 元騎士団のよしみで酒1本貰っただけだろうが! 小さい事をブツブツ言ってんじゃねぇよ」
「だ・か・らッ! そもそも酒じゃないからこうなってるんだろう! 100%お前が悪いのに反省するどころか何開き直ってんだよこの酔っ払い!」
「だったら分かりやすく“満月龍の血です”って書いとけやッ!」
「何だとこのぉッ……「――静粛に!」

 いつの間にか低レベルな言い争いをしていた俺とエドに、フリーデン様が品よく喝を入れた。

「ホッホッホッ。若き日の其方達を見ている様で懐かしいの。だが2人共、少し話を戻そうかね」
「「……失礼致しました」」

 この歳になってまた怒られる日が来るとは……。

「エドワードの話で概ね理解は出来たなジンフリー」
「はい。とても貴重な物に手を出してしまい申し訳ございません。私がこのような事を言える立場ではありませんが……到底返す事も代わりを用意する事も出来ませんので、一体この罪をどう償えば……」
「うむ……。今回の件に関しては前例が無い。当然じゃがな。王国を守ってくれた事は感謝しておるが、たかがお酒1つでも勝手に手を出すことは頂けぬな」
「返す言葉もありません……」
「しかしどうしたものかの……。エドワードよ、この満月龍の血については何処まで調べた結果が出ておるのじゃ?」

 フリーデン様が改めてエドに満月龍の血について聞いた。それは俺も知りたい。話によればこれは5年前の血だからな。専門家達の分析や調査で何かしら結果が出ている筈だ。

「このような不測の事態が無ければ、丁度研究所から新しい分析結果を預かっておりましたので、直ぐに届ける予定でした」

 俺に嫌味っぽい視線を横目に飛ばしながら、エドは懐から1枚の紙を取り出した。

「こちらがその結果になります」
「そうか。良いぞ。そのまま其方から伝えておくれ」
「分かりました。では――」

 エドはそのまま紙に記されているであろう結果を伝え始めた。
「この5年……満月龍の血の効力について調べた結果は、既にフリーデン様もご存じの通り、私達の想定を遥かに上回る程強力な物でした。
満月龍の血に含まれた魔力値は驚異的。驚く事に、あのボトル1本で約……我々人間1000人分に匹敵する程の魔力量でした――」

 たったあれだけで1000人分とは……。最早笑うしかねぇな。

「そしてその驚異的な魔力を何かしらの形で利用できないかと、研究所の専門家達を含む各分野のプロフェッショナルが集まって研究を進めてきました。万が一また満月龍が出現した場合の奇跡的な対抗策になる事を願って――。

ですが、やはりこの力はそう甘くはありませんでした。魔力操作に長けた魔法使いや元から魔力量の多い者。それに騎士団員を含めた数名の実力者に協力してもらいましたが、満月龍の力を利用するどころか全員その魔力に“拒絶”され、触れようと近づいただけで気を失ってしまいました」

 エドが話を進めれば進める程、場に緊張感が張り詰めていくのが分かった。

 無理もない。話の内容が耳を疑う事ばかりだ。それに疑問も残る……。

「おいエド。今お前が嘘を言ってるなんて思わねぇが、あの満月龍の血にそんな力があるなら何故俺も含め、その拒絶とやらが起きない? 近づいただけで気を失うなら、そもそもお前達が血を集めた時点で全員倒れてるだろ」
「ああ、確かにお前の言う通りだジン。だが、我々が拒絶と呼んでいるその現象は無差別で起こっている訳ではなかったんだ。様々な分析や要因を踏まえた結果……恐らくこの力は、魔力が強ければ強い者程拒絶され反発する」

 やべぇ……何だか話が難しくなってきた様な……。

「満月龍の魔力を使おうとするには当然、扱う者も魔力を用いて利用する。しかしその扱おうとする者の魔力が高ければ高い程、奴の魔力に拒絶されてしまう。
逆を言えば、魔力を使おうとしていない通常時ならば、誰が近づいても何も起きない。お前が何事もなく手にした様にな。これは個人が持つ魔力の強い弱いに関係なく、奴の魔力を“使用”した瞬間に起こるんだ」

 ダメだ。眠くなってきたかも。

「その証拠に、初めて奴の魔力を扱おうと試みた時、協力してくれた者達全員が無意識の内に魔力を練り上げてしまっていた。だから近づいただけで拒絶現象が起こってしまったんだ。勿論その後もあらゆる手段は試した。

極限まで魔力を抑え近づいてもダメ。ボトルを手にした後に魔法を発動させてもダメ。人間だけでなく獣人族やエルフと言った他の種族に力を貸してもらったがそれもダメ。“他の魔力”に反発して受け付けないんだ。

それ以上の進展がないまま暫く経ったある日、満月龍の被害で妹を失った1人の協力者が、奴の血を自分の体内に入れてほしいと志願してきた。

当たり前だが専門家達も私も反対したよ。
けれどその子の意志はとても固く、何が何でも自分と同じ様な被害は2度と起きてほしくない……だから研究の役に立つなら自分の体を使ってほしいとせがまれてね……。

だがいくら本人の意志とは言えそれは出来ない。悩んだ末、専門家達が彼を納得させる為にモルモットを使った実験を行う事にした。もしモルモットに異常が起これば諦めてくれるだろうとね。

そしてその実験も失敗に終わった。失敗と言うより……その時には既に、ボトル越しに触れただけでもかなりの拒絶が起こると皆が分かっていたから、血を直接体内に入れる事がどれ程危険なのか説明するまでもない。
強いて言うならば、その実験結果が想像以上に悲惨だったという事……。

満月龍の血を輸血したモルモットは、血や魔力だけではなく体全てが拒絶しているかの如く藻掻き苦しみ、吐血や自傷行為を繰り返した後、最終的には原形をとどめない程の姿形となって死んだと言う結果に至った……。

細胞や遺伝子レベルで拒絶されるのは言うまでもない。これが人間だったらと思うだけでゾッとする。

それなのにも関わらず、彼は諦めるどころか更に懇願してきた。どういう結果になっても構わないから試してくれと……もう自分は生きる気力が無いから実験をさせてくれないのならばこのまま死ぬとまで言い出した。

我々も苦渋の決断であったが、出来る限り最大の厳戒態勢の元、そして命の保証は出来ないと何度も確認した上で、それでも意志の変わらない彼の提案を受ける事にした……。

そして結論から言うと、全員の頭を過っていたであろう最悪の事態は避ける結果となった――。

彼はその実験で左腕を失ったが命は助かった。驚いたよ……モルモットの時と同じ事態を想像していたからな。これを勇気とは呼べないが、彼の強い意志のお陰で滞っていた研究が少し前進した。その結果と専門家達の調べにより、彼とモルモットの研究結果に2つの違いを見つけた。

1つ目は、モルモットの時と違い、血を輸血しても直ぐには拒絶反応が見られなかった。これは今までの調べから、彼に魔力を使うなと予め言っておいた事が要因として考えられている。人間と違って本能で生きている動物達にはそれが出来ない。現時点で分かっている唯一の差はそこになる。

そして更に重要なのが2つ目。決定的な違いは、一瞬ながらも彼が満月龍の魔力を“扱えた”という事。この事実が全てを変えるきっかけとなった――」

 あ~……危ねぇ……! 内容が難しくなった上に話が長くて意識飛んじまった。
 “近づいただけで拒絶現象が起こってしまった……”辺りから記憶がねぇ。絶対大事な事話していた雰囲気だよな。辛うじてその青年のお陰で何かが変わろうとしている事は理解出来た。

 覚悟を見せた青年の為にも、ここからは今一度集中して聞けよ俺。


 
「――彼に輸血をしてから数十分後。やはり魔力を使わない分には何も拒絶反応が見られなかった。
僅かな可能性を広げると同時に彼の覚悟を汲み取った我々は、遂に魔力を発動させると言う結論に至り行動に移した。

そしてその結果、彼が魔法を発動させようと魔力を練り上げた瞬間、予想通り満月龍の血が拒絶を始めたんだ。

彼の左腕は凄まじい激痛に襲われ、肌も青紫色に変色していった。内部からの拒絶により左腕の血や肉が飛び散り骨も砕け、時間にして僅か数秒にも関わらず、その余りの激痛に彼は自ら左腕を吹き飛ばした。反射的に取った行動だったが結果それが功を奏し、左腕は失ったものの何とか一命は取り留められた。

だがその実験で何より驚いたのが、彼が無意識だったとはいえ満月龍の魔力を使った事――。

彼が自らの腕を自爆させようとした刹那、腕が吹き飛ぶとほぼ同時に魔法が放たれた。それも僅かな魔力量でありながら、実験を行っていた研究室と壁を破壊し、そのまま直ぐ横に広がっていた森林およそ200m以上を消し去る程にな」

 俺の眠気は完全に飛んでいた。
 満月龍の血を調べていた事も、その力が想像以上だった事も、まさに寝耳に水な事態の連続に驚くばかりである。

 話の内容を若干(約8割)聞いていなかったが、流石の俺でも起こっている現状の深刻さを痛感している。余りに危険だが、確かに奴のデタラメな魔力を扱う事が出来れば大勢の人が安心して暮らせるのは事実だ。1度絶望を味わったこのリューテンブルグの人々ならば尚更だろう。そんな事は誰もが願う事だ。

 彼は俺と境遇が似ている。大切な人を失った絶望は計り知れない。この王国にはきっとまだ彼や俺の様な人々が多く存在している。だからこそ、この満月龍の血から見出される僅かな可能性は、そんな人々の大いなる希望にもなり得る。半ば自暴自棄だったとはいえ、結果彼の覚悟は混沌とした暗闇に一筋の光を見出した。
 
 分かってる……。俺はそんな人々の大いなる希望を飲んじまった。
 
 そして、俺は少し前から体中に嫌な汗を掻いている。何故かって?

 話すエドに確かめる様に、俺は恐る恐る口を開いた。

「――ほぉ。幻の満月龍の力ともなると全てが未知であり脅威だな。そして時にエドよ……。
ひょっとして、その未知なる脅威は今俺の体にいるって事だよな……?」
「ああ」

 聞いたのは確かに俺。
 だがエドのその淡々とした態度に、いつの間にか俺はまたキレていた。

「おいおいおいおいッ、どうするんだよ⁉ もれなく死ぬぞ俺!」
「お前が飲んだんだろ。自分で」
「そうだけどそうじゃねぇだろ! 何呑気な顔で俺を見てやがる!」
「落ち着けよ。騒いだところで何も解決しないぞ」
「落ち着けるか! そんな危ない物を俺に飲ませやがって。どうすりゃいいんだよ! このままじゃ俺も死ぬッ……ん……?」

 言いかけた言葉が止まった。

 ちょっと待てよ……そう言えば今の青年も輸血だけじゃ……。
 俺のその様子を見てエドが少し笑いながら言ってきた。

「気が付いたか? だから落ち着けって言ったんだ。安心しろジン。悪運が強いと言うか何というか……。勿論100%とは言い切れないが、魔力が0のお前なら恐らく拒絶の心配は一切無い」
「……!」

 エドの言葉を聞いて確信した。
 そう。
 俺は今の時代にとってはかなり珍しい“魔力0”の体質だった。

「これは安心していいものなのかかなり複雑な心境だけどよ、死ぬ心配はねぇって事でいいんだよな?」
「分からん。何せまだ研究途中だったからな。いつ死んでも可笑しくはない」
「また嫌味な言い方だなぁおい。まぁ別にいいけど。どうせ1度終わってるようなもんだしな。それに俺にとって死は“最後の希望《つまみ》”でもある」
「また訳の分からん事を……。もう少し緊張感を持てジン。全く、何の因果だろうな――」

 俺と話していると調子が狂うのか、エドは小さくそう呟きながら、再び真剣な表情でフリーデン様に言った。

「フリーデン様。肝心の研究所からの最新の分析結果と“今後”については今からとなります。今更ながら随分とお時間を無駄にしてしまった事、心の底からお詫び申し上げます」
「ホッホッホッ。何も謝る事は無いぞ。それに今の時間が無駄になったかどうかは“まだ”分からぬ。エドワードよ、では早速その最新の結果とやらを聞かせてくれるか?」

 フリーデン様は何時でもそうだ。こんな俺達の見苦しいやり取りも優しく見守ってくれている。そう思うと同時に、如何に自分が浅はかな人間だと痛感させられるのもまた事実。

「ありがとうございますフリーデン様。ついでにジン、ここからはお前ももっと集中して聞け」

 意識飛んでたのはバレてなさそうだなギリギリ。

「今回、図らずも私の隣にいるジンフリーが満月龍の血を体に宿しました。幸いなことに、彼はフリーデン様もご存知のとおり魔力0であります。ですが、現代となっては珍しいその生まれつき魔力が0の者達が唯一の鍵になるのではないかと、研究が進められていました。そしてその後の専門家達の分析と知識により、1つの提案が生まれたのです。
それがこの紙に記されている……『無限魔力人造人《アンドロイド》』計画です!」

 アンドロイド?
 俺だけでなく、その場にいた者達全員がピンときていない様子。首を傾げる者や眉を顰める者。皆が訝しい表情を浮かべていたが、エドの説明によりそれが徐々に氷解されていく。
「この計画の実現性や詳細については後日、専門家の者達を含めた話し合いを検討しております。取り急ぎ伝えられた内容を私から説明させて頂きますと、このアンドロイドは世界一とも言われる“科学技術力”で栄えた此処、リューテンブルグ王国だからこそ実現の可能性があるとの事です。

そして現段階ではまだ情報も不足しており、あくまで1つの仮定としての案であるそうですが、専門家曰く、まず機械のボディであれば命を失う事が無く、当然魔力による拒絶も起こらない。

そして後は既に使われている“魔生循環装置《ナノループ》”という装置を組み合わせれば、満月龍の魔力を半永久的に扱える無敵のアンドロイドが生まれると」

 何を言っているのかマジで分からん……。だが確実に分かる事と言えば、俺とは違う頭の賢い人達が頭の良い方法で解決策を生み出したという事。それが何処まで実現的なのか俺にはさっぱり分からねぇが。

「成程の……。確かにアンドロイドならば命の心配は無くなる。しかしアンドロイドは当然機械。満月龍の血もナノループという装置も確か魔力がないと反応しない筈じゃ。アンドロイドに血を輸血したとしてどう動かすのじゃ……?」
「私も詳しくは分からないのですが、どうやらその鍵となるのが魔力0の者達らしいのです」

 この瞬間、俺は閃いてしまった。
 きっといつの間にか自分が事の中心にいるから脳が察したのであろう。恐らく俺の人生で最高の閃き。今となっては当たり前の、世界中の人々の暮らしを豊かにした偉人達も、恐らくこの衝撃的な閃きが浮かんだんだ。今の俺の様に――。

「それもしかしてよ、魔力0の俺みたいな人間が1度“器”になって、満月龍の魔力を練り上げてそのアンドロイドに渡せば、後は勝手に動く無敵アンドロイドが完成って事だろ?

魔力0の人間が体に血入れて魔力使えるかどうかは試してねぇもんな。失敗すりゃ勿論死ぬ確率が高いが、最低でも拒絶とやらの反応は起きない。それに腕を失った青年の様に一瞬でも満月龍の魔力を生み出せれば、後は便利な機械でその魔力を貯えればいい。
そうすればその魔力をエネルギーに無敵のアンドロイドが完成する上、上手くいきゃ俺も生きているし、挙句に人生で初めて魔法が使える体になってるかもしれねぇ」
「「……」」

 場が凍りついた。

 アンドロイドという驚くような計画を聞かされたからではない。この場にいた者達の開いた口が塞がらない原因は、まさか俺にここまで完璧な論破をされると思っていなかったからだ――。

 一瞬の静寂に包まれた後、茫然としていたエドが何とか意識を正常に戻した。

「ハ……ッ! お、おい……お前本当にジン……だよな?」
「は? 何言ってんだお前」
「い、いや……確かに馬鹿な事を聞いた」
「ホッホッ。私も一瞬死んだかと思ったわ。まさか其方からそんな知的な発想を聞く日が来るとはの」
「地味に失礼ですよフリーデン様」
「すまぬすまぬ。いや~、久々に驚いたの」
「全くですねフリーデン様。ご無事で何よりです」

 フリーデン様とエドの会話に、段々と周りの者にも笑みが零れてきた。

 場が幾らか和んだのはいいが、如何せん納得出来ねぇ……。まぁこれで俺が血飲んだ事はチャラだな。

「笑ってんじゃねぇ。ここからどうするんだ?」
「ああ、悪い。まさかお前からあんな説得力ある見解を聞かされるとは思わなかったからな」
「笑ってるのは構わねぇが、もう俺は“緊急事態”だから行くぜ――」

 和んだ場を一刀両断するかの如く俺は言った。

 悪いが本当に緊急事態。俺は少し前から体中に嫌な汗を掻いているんだ。

 何故かって……?
 こんな事態にした張本人という事もあり、この期に及んで更に“こんな事”を言い出していいのか、流石の俺でも滅茶苦茶悩んでいたからだ――。

 だがどうやらそれも限界が近づいている……。いや、もう無理だ。

「緊急事態?行くって……何処に行く気だ……?ジン」
「“トイレ”――」

 そう言い残し、俺は早歩きで玉座の間から出ようと歩き出した。

 朝っぱらから城に連れてこられて話も長いんだからこっちはもう限界なんだ。気を効かせて遠慮していれば人を小馬鹿にしやがって。

 いいのか? 俺がさっきから何故ずっと1人で悩んでいたのか分かるか……? 察しのいい奴なら気付いただろう。

 そうだ。
 俺は血を輸血した訳じゃなく“直飲み”だ――。
 
 専門的な知識なんか全くねぇから分からないけど、多分……コレ“出る”よな……?

「……お、おい、ちょっと待てジン……!」

 このタイミングで呼び止めたという事は、恐らくエドも考えている事は同じだろう。インテリぶって散々演説してやがったが、やはり頭の出来は俺と大差ねぇな。

「皆まで言うな。思っている事は俺も同じだ」
「そ、そうだよな……。俺も詳しく分からないが、輸血と直飲みなんて絶対違うよな……影響が」
「まぁそうだろうな。だがエド、俺はもう我慢出来ねぇ。トイレに行く」
「ま、待て待てッ! いや、どうすればいいんだコレ……⁉ “して”いいのか? 1回調べた方が良くないか?」
「悪ぃがそんな事をしてる暇はねぇ!事はもう一刻を争うところまで来ているんだ」

 とても気品ある玉座の間とは思えない下品な会話。確かに内容は下らないが悠長な事は言ってられない。こっちだって事情がある。俺は悪くねぇ。人間なら誰しもが起こる自然な生理現象だからな。

「――全く、何をしておるんだ2人共……。直ぐにジンフリーの体を見ておくれ」

 フリーデン様は呆れた様に呟くと、近くにいた家来1人に声を掛けた。その家来の男は医学に精通しているのか、急ぎ足で俺の所に向かってくるや否や、瞬時に魔法を掛けてきた。

 彼の手から出た魔力が一瞬にして俺の体を覆った。そして何の変化もなく直ぐに消えた。

「 大丈夫ですフリーデン様。理由は分かりませんが、満月龍の血は消化される事なく彼の血液に流れているようです」
「おお、そうか。ご苦労だったの。ジンフリー、一先ず大丈夫な様じゃ。早く行って参れ」

 何したのか分からねぇが取り敢えず調べてくれたって事か。これで安心して行けるぜ。

「直ぐに小便してきます!」
「わざわざ言わなくていい! ガキかお前」

 こうして俺は1つの迫りくるピンチを無事乗り越えたのだった――。