白く霞む視界は、果てまで一面、灰色の海だった。時化た海の向こうに、なにかが浮いている。
……なにか。
手だった。海面から、白い手が一本、伸びているのだ。苦しげに、必死にこちらへ助けを求めるように。
『来未っ!』
私は叫びながら、手を伸ばす。
けれど、どれだけ手を伸ばしても、私の手が来未の手に届くことはない。
『来未っ! 来未!』
私は潤んだ声で、何度も、何度も来未を呼ぶ。けれど、来未の手はどんどん荒波の向こうに流されていく。
『やだっ……待ってよ、待って!』
ぶくぶくと泡が弾ける音に紛れて、どこからか、苦しいよ、苦しいよと沈痛な声が響き始めた。
『来未! 待って! すぐ! 今すぐ助けるから!』
けれど、私は彼女を救うための道具も、強さも、なにも持っていなくて、ただ手を伸ばすことしかできない。
いくら叫んでも、彼女には届かない。
来未の姿が消え、波が落ち着く。
直後、背後から囁き声が聞こえた。
『――人殺し』
ハッとして目を開けると、私はあたたかなベッドの上にいた。
瞬きを繰り返して、部屋の中を見渡して。息を吐いて、そうしてようやく、私はそれが夢だと気付くのだ。
荒い呼吸を繰り返し、私は額に張り付いた髪の毛を払う。
部屋はしんと静かで、自分の息遣いだけが聞こえる。脱力感がどっと全身に広がっていく。
「……はぁ」
小さく息を吐きながら身を起こして、ベッド横のカーテンを開ける。
窓の向こうには、すべてを呑み込んでしまいそうなほどの暗黒の世界が広がっていた。
星なんてひとつも見えやしない夜空を、しばらくぼんやりと眺める。
ふと、とある言葉が脳裏を過ぎった。
『生きることは、悪いことである』
それは、いつか図書館で見かけた本に載っていた言葉だった。
その一文は、見たその瞬間から、なぜだかずっと私の中でひっかかっていた。
どうしてひっかかっているのか。
それはずっと、私がいじめを受けていたから、みんなに嫌われていたからなのだと思っていた。
けれど、違った。
これは、いじめられっ子だった私へ向けられた言葉ではない。そんななま優しいものではなかった。
『あなたが死ねばよかったのに』
ある人に言われたときに分かった。
あの言葉は、だれかの命を犠牲にして生きている私を指した言葉だったのだと。
私は、ただ生きているだけでだれかを苦しめている。
――こうしている、今も。
だれかの心を追い詰めている。