自分の気持ちをまっすぐにぶつけられる、嫌なことをはっきり嫌だと伝えられる、そんな強い人になりたかった。
相手の機嫌を損ねてしまうのではないか、嫌われたらどうしよう。そう思うと、臆病な私はいつも開きかけた口を閉じてしまった。
いつからか、自分の気持ちを素直に言うことが苦手になっていた。誰かと話す時、頭の中はいつだって「嫌われないようにしなきゃ」とか、「どういう反応をすれば喜んでくれるだろうか」とか、そんなことばかりで。
例えば道徳の時間。自分の意見が全くわからない訳ではなかった。ただ、その思いを言葉にするのが苦手で、配られたプリントに書くことが苦手で。
授業中に当てられた時には「否定されたらどうしよう」とか「みんなと同じじゃなかったら」とか、考えれば考えるほど重たい口が開いてくれなくて、数分間もの沈黙をつくってしまったこともある。
他にも行事の役割決め。黒板に書かれた役割一覧を見て、楽しそうだな、というものはあった。手を挙げてみようかな、とは思っていたけど。私を除く希望者の人数がぴったりだった時、「私が手を挙げてしまったら誰かが悲しい思いをするな」と申し訳なくなって挙げかけた手を下ろした。
もちろん私が手を挙げたところでじゃんけんや譲り合いになるだけであって、責められる訳でも露骨に嫌な顔をされる訳でもないことはわかっていた。それでも、やっぱり自分の意見を伝えることはできなかった。
気づいた時からそうなっていた私はやっぱり友達づくりも、コミュニケーションのとり方も苦手だった。
元々クラスではどこか浮き気味だった私に友達といえる人は少なかった。昼休みはみんなと話すわけでもなく、ただ黙々と絵を描いたり本を読んだりしているタイプの人間。それでいいと思っているならそういう過ごし方もありなのかもしれない。
でもきっと、私は誰かと仲良くなりたかったのだと、関わり合いたかったのだと思う。
ただ、自分から声をかけに行くことは何よりも難しかった。「いきなり声をかけてもいいものだろうか」「もし言葉に詰まって気持ち悪いと思われたらどうしよう」と思うとなおさら行動に移すことはできなくて。
だから、そんな私に
「絵描くの好きなの?」と声をかけてくれた時、なんて返せばいいのか混乱したと同時に嬉しくて。戸惑いながらも頷いたことは今でも覚えている。それが今の友達との出会いだった。
その子は、クラスが変わろうともずっと仲良くできた初めての友達だった。なんとか頑張って話せる友達を作っていてもクラスが離れると大体話せなくなってしまう私にとっては大事な友達だった。
共通の趣味は絵を描くことで、よくオリジナルキャラを作っては名前を決めて楽しんでみたり、漫画のキャラクターの模写をしたりして楽しんでいた。その時間は学校生活の何よりも幸せだった、と思う。
中学校に入学する頃にはその子以外の仲のいい友達もできていて4人くらいのグループになっていた。その頃くらいからだった気がする。友達との付き合い方がわからなくなってきたのは。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は本当に大事だと、私は思う。
仲良くなった友達だからこそ大切にしていきたい。
でも、そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。
友達と仲良くなっていくと同時に、今まで見られなかった性格も少しずつ見え始めるようになっていた。
心を許してくれたのか、今まではなかった冗談混じりの「バカじゃないの」「アホくさ」のような言葉もかけられるようになった。
他の子たちの仲の良いグループではこういうことは既にあっていたし、これが友達同士での「当たり前」なのだと、最初の頃は思っていた。だから、もっと仲良くなれたのだと、心を開いてくれたのだと、嬉しかった。
どう返していいのかわからなかったけど、これはきっと「友達」の証拠なのだ、と思っていた私はただ笑っていた。何もおかしくなんかなかったけど。これが正解だと思っていたから。
今思えば、どうしてあの時「そういうのやめて」と本当の思いを言い返さなかったんだろう、と素直に思う。
そうやってヘラヘラしていたから仲良しグループのなかではいわゆる「いじられキャラ」というものになっていて。あの時の自分が本音を言えなかったから、どんどん言葉の強さはエスカレートしていった。友達のなかでは「いじってる」だけであって「暴言を吐いてる」という感覚はきっとなかったのだろうけど。
笑いながら言われていた「バカじゃないの」は、イラついた時に言われる「黙れ喋んな」に。話しかけるときちんと返してくれていた返事はいつのまにか「へー」「ふーん」「あっそう」とどこか適当さと冷たさを感じるものに。
変わっていっていた。それは明らかだったし、もう「嬉しい」なんていう感情はどこにもなかった。
その友達にはまだ伝えられていないけど、正直なところ毎日そういう態度をとられるのが苦痛だった。
今この時代では「重い」とか「考えすぎ」とか言われるのかもしれないけど、ひとりひとりの友達を大切にしていきたい、と思う私は「私って大切にされてないのかな」と思ってしまった。
もちろんその子の友達は私だけじゃないし、私だけにかまっていてほしいとか、そんなことは思ってない。忙しくて余裕がなかったのかもしれないし、何か用事があって急いでいたのかもしれない。
それでも、嫌なものは嫌だと伝えられるようになりたかった。
気づいた時には本当に取り返しのつかないことになっていて、言葉だけで済んでいた苦痛は行動にも出始めていた。
夏休みに友達四人組で出かけた時。少し遠出になるので私の母が気を利かせて休みをとって一日付き合ってくれていた。
普段、他の友達よりも遊べる頻度の少ない私はとても楽しみにしていたのだけど、だんだんと気持ちは曇っていった。
他の友達とは笑顔で話しているのに、私が会話に入ると明らかに冷たくあしらわれたり。
家庭の用事があるから、と遊ぶ時間は事前に決めていたのに「別に三十分くらいいいじゃん、心狭いね」と言われて時間も守ってくれなかったり。
せっかく母が車を出してくれて行ったところなのに「なんもないじゃん、はー、暇。早く違うとこ行こうよ」と言われたり。
この一日だけで何度心にぐさっと刺さるようなことがあったかわからない。
家まで当然のように「送ってくれるでしょ?」という態度の友達と別れた後、家に帰って少しだけ泣いた。
友達付き合いが得意でもないし、今まで誰かと遊んだりするような経験も少なかったから私にはわからないけど、これは向こうからすると普通なのかもしれない。でも、心の中は真っ黒な気持ちでいっぱいになって、苦しくて仕方なかった。
どうして私ばっかりがこんな言葉をかけられなくちゃいけないのか。本当は誰も私のことなんか友達だと思ってないんじゃないか。今日だって、私じゃなくても車を出してくれてご飯を奢ってくれる大人がいれば誰だってよかったんじゃないか。
そう思わずにはいられなかった。
それから夏休みが終わってもなにかが変わるわけでもなく。今までのようなどこか苦しい生活が始まった。
苦しいとか、辛いとか、こんなことばかり思っているけど、別にその友達を心の中で悪者のようにしたいわけではない。
傷つくところもあるけれど、なにか別に辛いことがあった時に声をかけてくれるのもその子だということは否定できないからだ。
このままではあの子には何も伝わらないと、何も解決できないとわかっているのに自分から行動を起こすことはできなかった。
もし友達じゃなくなったらどうしようと思うと、なかなか伝えられなかった。
伝えられたとしてもいつものように「うるせえ黙れ」と言い返されたらと思うと怖かった。
ただの嫌なクラスメイト、じゃなくて、大切な友達、だったから学校のいじめアンケートに書くなんて絶対できなかった。
自分が我慢していればそれでいいじゃないか、と勝手な結論を出して過ごしていた時、察したように母から「なにかあったのではないか」と声をかけられた。この間、自分が我慢すればいいと思ったばかりなのに、聞かれたことに答えていたら色んな思いが溢れてきて。
母はそれを黙って聞いてくれた。そして「自分から伝えないとその子はわからないんだから何も変わらないよ」と言った。
母がかけてくれた言葉に「私は正直な気持ちを伝えることから逃げていたんじゃないか」と気付かされた。
伝えようと思っていても、言動のエスカレートを理由にして言わないことで逃げていた。
とはいえ自分で伝えるのはまだ怖くて。
母に正直な気持ちを伝えると、一緒になって考えてくれた。そして、いつものグループの中の他の友達を頼ることに決めた。
面倒くさがられたらどうしよう、とか思ってたけど意外にもしっかり話を聞いてくれて、あっさりと承諾してくれた。
ただその友達もずっと仲裁してくれるとも限らない。いつかは自分でなんとかしなければいけないことだし、いつまでも周りに頼ってばかりではいられない。
それはわかっているけど、自分の気持ちを少しだけ話してみて、否定せずに聞いてくれたことに、わかってくれたことに救われた。
今はまだ、周りに頼ってばかりの情けない人間かもしれない。
でも、いつかは。
大切な友達だからこそ、自分の気持ちをまっすぐにぶつけられる、嫌なことははっきり嫌だと伝えられる、そして私のような誰かの気持ちに寄り添ってあげられるような、そんな強くて優しい人に私はなりたい。
相手の機嫌を損ねてしまうのではないか、嫌われたらどうしよう。そう思うと、臆病な私はいつも開きかけた口を閉じてしまった。
いつからか、自分の気持ちを素直に言うことが苦手になっていた。誰かと話す時、頭の中はいつだって「嫌われないようにしなきゃ」とか、「どういう反応をすれば喜んでくれるだろうか」とか、そんなことばかりで。
例えば道徳の時間。自分の意見が全くわからない訳ではなかった。ただ、その思いを言葉にするのが苦手で、配られたプリントに書くことが苦手で。
授業中に当てられた時には「否定されたらどうしよう」とか「みんなと同じじゃなかったら」とか、考えれば考えるほど重たい口が開いてくれなくて、数分間もの沈黙をつくってしまったこともある。
他にも行事の役割決め。黒板に書かれた役割一覧を見て、楽しそうだな、というものはあった。手を挙げてみようかな、とは思っていたけど。私を除く希望者の人数がぴったりだった時、「私が手を挙げてしまったら誰かが悲しい思いをするな」と申し訳なくなって挙げかけた手を下ろした。
もちろん私が手を挙げたところでじゃんけんや譲り合いになるだけであって、責められる訳でも露骨に嫌な顔をされる訳でもないことはわかっていた。それでも、やっぱり自分の意見を伝えることはできなかった。
気づいた時からそうなっていた私はやっぱり友達づくりも、コミュニケーションのとり方も苦手だった。
元々クラスではどこか浮き気味だった私に友達といえる人は少なかった。昼休みはみんなと話すわけでもなく、ただ黙々と絵を描いたり本を読んだりしているタイプの人間。それでいいと思っているならそういう過ごし方もありなのかもしれない。
でもきっと、私は誰かと仲良くなりたかったのだと、関わり合いたかったのだと思う。
ただ、自分から声をかけに行くことは何よりも難しかった。「いきなり声をかけてもいいものだろうか」「もし言葉に詰まって気持ち悪いと思われたらどうしよう」と思うとなおさら行動に移すことはできなくて。
だから、そんな私に
「絵描くの好きなの?」と声をかけてくれた時、なんて返せばいいのか混乱したと同時に嬉しくて。戸惑いながらも頷いたことは今でも覚えている。それが今の友達との出会いだった。
その子は、クラスが変わろうともずっと仲良くできた初めての友達だった。なんとか頑張って話せる友達を作っていてもクラスが離れると大体話せなくなってしまう私にとっては大事な友達だった。
共通の趣味は絵を描くことで、よくオリジナルキャラを作っては名前を決めて楽しんでみたり、漫画のキャラクターの模写をしたりして楽しんでいた。その時間は学校生活の何よりも幸せだった、と思う。
中学校に入学する頃にはその子以外の仲のいい友達もできていて4人くらいのグループになっていた。その頃くらいからだった気がする。友達との付き合い方がわからなくなってきたのは。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は本当に大事だと、私は思う。
仲良くなった友達だからこそ大切にしていきたい。
でも、そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。
友達と仲良くなっていくと同時に、今まで見られなかった性格も少しずつ見え始めるようになっていた。
心を許してくれたのか、今まではなかった冗談混じりの「バカじゃないの」「アホくさ」のような言葉もかけられるようになった。
他の子たちの仲の良いグループではこういうことは既にあっていたし、これが友達同士での「当たり前」なのだと、最初の頃は思っていた。だから、もっと仲良くなれたのだと、心を開いてくれたのだと、嬉しかった。
どう返していいのかわからなかったけど、これはきっと「友達」の証拠なのだ、と思っていた私はただ笑っていた。何もおかしくなんかなかったけど。これが正解だと思っていたから。
今思えば、どうしてあの時「そういうのやめて」と本当の思いを言い返さなかったんだろう、と素直に思う。
そうやってヘラヘラしていたから仲良しグループのなかではいわゆる「いじられキャラ」というものになっていて。あの時の自分が本音を言えなかったから、どんどん言葉の強さはエスカレートしていった。友達のなかでは「いじってる」だけであって「暴言を吐いてる」という感覚はきっとなかったのだろうけど。
笑いながら言われていた「バカじゃないの」は、イラついた時に言われる「黙れ喋んな」に。話しかけるときちんと返してくれていた返事はいつのまにか「へー」「ふーん」「あっそう」とどこか適当さと冷たさを感じるものに。
変わっていっていた。それは明らかだったし、もう「嬉しい」なんていう感情はどこにもなかった。
その友達にはまだ伝えられていないけど、正直なところ毎日そういう態度をとられるのが苦痛だった。
今この時代では「重い」とか「考えすぎ」とか言われるのかもしれないけど、ひとりひとりの友達を大切にしていきたい、と思う私は「私って大切にされてないのかな」と思ってしまった。
もちろんその子の友達は私だけじゃないし、私だけにかまっていてほしいとか、そんなことは思ってない。忙しくて余裕がなかったのかもしれないし、何か用事があって急いでいたのかもしれない。
それでも、嫌なものは嫌だと伝えられるようになりたかった。
気づいた時には本当に取り返しのつかないことになっていて、言葉だけで済んでいた苦痛は行動にも出始めていた。
夏休みに友達四人組で出かけた時。少し遠出になるので私の母が気を利かせて休みをとって一日付き合ってくれていた。
普段、他の友達よりも遊べる頻度の少ない私はとても楽しみにしていたのだけど、だんだんと気持ちは曇っていった。
他の友達とは笑顔で話しているのに、私が会話に入ると明らかに冷たくあしらわれたり。
家庭の用事があるから、と遊ぶ時間は事前に決めていたのに「別に三十分くらいいいじゃん、心狭いね」と言われて時間も守ってくれなかったり。
せっかく母が車を出してくれて行ったところなのに「なんもないじゃん、はー、暇。早く違うとこ行こうよ」と言われたり。
この一日だけで何度心にぐさっと刺さるようなことがあったかわからない。
家まで当然のように「送ってくれるでしょ?」という態度の友達と別れた後、家に帰って少しだけ泣いた。
友達付き合いが得意でもないし、今まで誰かと遊んだりするような経験も少なかったから私にはわからないけど、これは向こうからすると普通なのかもしれない。でも、心の中は真っ黒な気持ちでいっぱいになって、苦しくて仕方なかった。
どうして私ばっかりがこんな言葉をかけられなくちゃいけないのか。本当は誰も私のことなんか友達だと思ってないんじゃないか。今日だって、私じゃなくても車を出してくれてご飯を奢ってくれる大人がいれば誰だってよかったんじゃないか。
そう思わずにはいられなかった。
それから夏休みが終わってもなにかが変わるわけでもなく。今までのようなどこか苦しい生活が始まった。
苦しいとか、辛いとか、こんなことばかり思っているけど、別にその友達を心の中で悪者のようにしたいわけではない。
傷つくところもあるけれど、なにか別に辛いことがあった時に声をかけてくれるのもその子だということは否定できないからだ。
このままではあの子には何も伝わらないと、何も解決できないとわかっているのに自分から行動を起こすことはできなかった。
もし友達じゃなくなったらどうしようと思うと、なかなか伝えられなかった。
伝えられたとしてもいつものように「うるせえ黙れ」と言い返されたらと思うと怖かった。
ただの嫌なクラスメイト、じゃなくて、大切な友達、だったから学校のいじめアンケートに書くなんて絶対できなかった。
自分が我慢していればそれでいいじゃないか、と勝手な結論を出して過ごしていた時、察したように母から「なにかあったのではないか」と声をかけられた。この間、自分が我慢すればいいと思ったばかりなのに、聞かれたことに答えていたら色んな思いが溢れてきて。
母はそれを黙って聞いてくれた。そして「自分から伝えないとその子はわからないんだから何も変わらないよ」と言った。
母がかけてくれた言葉に「私は正直な気持ちを伝えることから逃げていたんじゃないか」と気付かされた。
伝えようと思っていても、言動のエスカレートを理由にして言わないことで逃げていた。
とはいえ自分で伝えるのはまだ怖くて。
母に正直な気持ちを伝えると、一緒になって考えてくれた。そして、いつものグループの中の他の友達を頼ることに決めた。
面倒くさがられたらどうしよう、とか思ってたけど意外にもしっかり話を聞いてくれて、あっさりと承諾してくれた。
ただその友達もずっと仲裁してくれるとも限らない。いつかは自分でなんとかしなければいけないことだし、いつまでも周りに頼ってばかりではいられない。
それはわかっているけど、自分の気持ちを少しだけ話してみて、否定せずに聞いてくれたことに、わかってくれたことに救われた。
今はまだ、周りに頼ってばかりの情けない人間かもしれない。
でも、いつかは。
大切な友達だからこそ、自分の気持ちをまっすぐにぶつけられる、嫌なことははっきり嫌だと伝えられる、そして私のような誰かの気持ちに寄り添ってあげられるような、そんな強くて優しい人に私はなりたい。