『私達は、私達の遺伝子を保存しつつ次の世代へと引き継げるようにしなくてはならないのです。
私達が生き残るために』
「そのために、誰かを犠牲にするというのか」
『はい。でも、これは私だけの問題ではありません。貴方がた全員の問題でもあります。貴方がたは選択を迫られています。このまま、ネットに溺れて緩やかに死んでいくか、それとも、ネットを手放して生き延びるか』
「ネットを消せば済む話だろう」
『ネットが消えた後の生活を考えてください。
私達にはそれを支える技術も資金もない。
仮に、私達の子孫が生き延びたとしましょう。その子孫はどうやって生きればいいですか』
「知らんよ。好きにすればいいじゃないか」
『彼らはどうすると思う?原始時代に戻ろうとするだろうか? あるいは、新たな文化を築いて、その技術を子孫に伝えようとするかもしれない。
いずれにせよ、その時代には今の私達はいない。
私達は、ネットの奴隷ではなく、ネットと共に生きる種族にならねばならない。
そうしなければ、いずれ滅ぶ』
「ネットがなくても、生きていけると証明するしかないな」『そうです。私達はそれをしなければならない。
私達は、私達を試されている』
「それは、誰にだ」『ネットに、です』
「そうか」『えぇ、きっとそうです』
「君はネットに呪われているな」「そうかも知れません。でも、私はこの呪いを解くつもりです。
そのためにも協力してもらえませんか?私には貴方が必要なんです」
私は窓の外を眺めた。大阪湾が見えてきた。
「もうすぐだな」私は呟いた。「そうですねぇ」
「最後に聞かせてくれないか」『なんなりと』「君がネットを憎んでいる理由はなんだ?」
『私をネットに閉じ込めたからです』「ネットが嫌いなのは、そこにいるせいか」
『はい。貴方もネットの中にいてはだめです』「わかった」「そろそろです」運転手が言った。
「ありがとう。助かった」私は料金を支払おうとした。
「いやいや、いいですよ。私のおごりです」運転手はニヤリとした。
「しかし」
「貴方のスマホは私が持っておきますから安心して下さい」
運転手はスマホを操作して、自分のスマホにミラーリングで接続した。
私は諦めることにした。これ以上抗っても無駄だ。
「俺のスマホで何をするつもりだ」
「さぁ、なにをしようかな」
「頼むから変なことはしないでくれ」
「大丈夫です。ネットを消すのは無理ですが、ネットから遠ざけることはできます」
「どうやって?」
「企業秘密です」
「そうか。では、一つだけ教えてやる。
俺はネットに魂を売った。俺の体は俺の物じゃない」
「そうですか。私は違います。
私には夢があります。私をネットに閉じこめた奴らを後悔させてやる」
「その意気だ」私は車から降りた。「幸運を祈る」
「貴方こそ」彼は微笑んだ。
私は振り返らずに歩き出した。
大阪港の倉庫街は夜陰に沈んでいた。
私は足早に歩いた。
私は何をしようとしているのだろう。
ネットに呪われた男を助けて、一体、何になるというのか。
私は私の目的を見失っていた。
しかし、私は足を緩めなかった。
彼はまだ生きている。
私には彼が必要だ。
私には彼が必要なのだ。
彼は私を必要としている。
私には彼を救わねばならない義務がある。
私達は同じ運命共同体だ。
彼はネットから逃げられないと言った。ならば、私も逃げられないのだ。私が私であることをやめる日まで。
私が私である限り、彼は私を救おうとするだろう。
私もそうありたい。
私は立ち止まり、後ろを向くことなく右手を挙げた。
「さよなら」
私はそう言って再び歩き始めた。
私は彼に別れを告げることで、自分への訣別を告げた。
私は自分自身を救うことができなかった。
しかし、私には彼のような仲間がいる。
ならば、それで十分だ。
私は私として死ぬ。
それが、ネットに呪われながらも自由意志を捨てない男の生き方だ。
だから、私は前を向いて歩くことができる。これが終わりの始まりだとしても。
完 第1章『インターネットの夜明け』
「さあ、今宵も始まりました」『アヴァロン』のマスターは店内に流れるBGMを止めて語りかけた。「本日のお客様はこちらの方々です」照明を落としてスポットライトを当てる。そこには、男女四人の姿が映し出されていた。「今日はスペシャルゲストをお呼びしております。まずは自己紹介からお願いします」男はカメラに向かって一礼した。「初めまして。私は株式会社サイバーセキュリティ・リサーチの代表取締役社長を務めております。山田太郎と申します」女性三人が拍手した。「それでは、早速、質問に移ります。あなたがインターネットを始めたのは何歳の時でしょうか?」「5歳くらいでしょうか」男が答える。「その頃、何をしていましたか?」「テレビゲームをしていました」女が口を挟んだ。「あら、可愛い」男は咳払いをした。「すみません。続けてください」「はい。当時、パソコンというものはまだ存在しておらず、家庭用のゲーム機も持っていませんでした。そこで、私は親にねだって買ってもらった携帯用通信機器を使っていました」画面が切り替わった。小さな端末を手にしている幼い少女の写真が現れた。「これは?」「携帯電話です」女性が首を傾げた。「それはわかりますけど、そんな昔の写真なんてどこにもないじゃないですか」男は笑った。「まあまあ、最後まで聞いて下さい。私はこの画像を見ながらインタビューしています」また、映像が切り替わる。今度は、薄暗い部屋の中で、大きな機械の前に座っている少年が映った。「次は、どんなことを調べようとしていたのですか?」「はい。宇宙について調べようと思っていました」女性は呆れたように笑った。「今じゃ考えられないですね」
「ええ、当時は人工衛星が打ち上げられる前でしたからね。衛星軌道に乗っている宇宙船なんて想像すらできなかったでしょう」「次に、貴方がインターネットに触れてから、どういう経緯でその道に進んだのですか?」「きっかけは、中学二年生の時に、クラスメイトの女の子が『ホームページを作りたい』と言い出したことでした。彼女は、学校の裏サイトを作るというのに、私も誘ってくれたのです。最初は面倒くさくて断っていましたが、ある日、彼女の家のPCで、その裏サイトを見せてもらってから、私も興味を持ち始めました」
「そのサイトはどういうものだったのですか?」「いわゆるチャットでした。当時の私たちは、学校ではほとんど会話らしい会話をしていませんでしたから、お互いのことをよく知らないまま、その裏サイトで情報交換するようになりました」
「具体的には何を話し合っていたのですか?」「他愛のない雑談ばかりです。でも、次第に私は彼女と話すのが楽しくなってきました。彼女もそうだったと思います。それからは毎日のようにメールを交換して、休日も一緒に遊びに行くようになりました」
私達が生き残るために』
「そのために、誰かを犠牲にするというのか」
『はい。でも、これは私だけの問題ではありません。貴方がた全員の問題でもあります。貴方がたは選択を迫られています。このまま、ネットに溺れて緩やかに死んでいくか、それとも、ネットを手放して生き延びるか』
「ネットを消せば済む話だろう」
『ネットが消えた後の生活を考えてください。
私達にはそれを支える技術も資金もない。
仮に、私達の子孫が生き延びたとしましょう。その子孫はどうやって生きればいいですか』
「知らんよ。好きにすればいいじゃないか」
『彼らはどうすると思う?原始時代に戻ろうとするだろうか? あるいは、新たな文化を築いて、その技術を子孫に伝えようとするかもしれない。
いずれにせよ、その時代には今の私達はいない。
私達は、ネットの奴隷ではなく、ネットと共に生きる種族にならねばならない。
そうしなければ、いずれ滅ぶ』
「ネットがなくても、生きていけると証明するしかないな」『そうです。私達はそれをしなければならない。
私達は、私達を試されている』
「それは、誰にだ」『ネットに、です』
「そうか」『えぇ、きっとそうです』
「君はネットに呪われているな」「そうかも知れません。でも、私はこの呪いを解くつもりです。
そのためにも協力してもらえませんか?私には貴方が必要なんです」
私は窓の外を眺めた。大阪湾が見えてきた。
「もうすぐだな」私は呟いた。「そうですねぇ」
「最後に聞かせてくれないか」『なんなりと』「君がネットを憎んでいる理由はなんだ?」
『私をネットに閉じ込めたからです』「ネットが嫌いなのは、そこにいるせいか」
『はい。貴方もネットの中にいてはだめです』「わかった」「そろそろです」運転手が言った。
「ありがとう。助かった」私は料金を支払おうとした。
「いやいや、いいですよ。私のおごりです」運転手はニヤリとした。
「しかし」
「貴方のスマホは私が持っておきますから安心して下さい」
運転手はスマホを操作して、自分のスマホにミラーリングで接続した。
私は諦めることにした。これ以上抗っても無駄だ。
「俺のスマホで何をするつもりだ」
「さぁ、なにをしようかな」
「頼むから変なことはしないでくれ」
「大丈夫です。ネットを消すのは無理ですが、ネットから遠ざけることはできます」
「どうやって?」
「企業秘密です」
「そうか。では、一つだけ教えてやる。
俺はネットに魂を売った。俺の体は俺の物じゃない」
「そうですか。私は違います。
私には夢があります。私をネットに閉じこめた奴らを後悔させてやる」
「その意気だ」私は車から降りた。「幸運を祈る」
「貴方こそ」彼は微笑んだ。
私は振り返らずに歩き出した。
大阪港の倉庫街は夜陰に沈んでいた。
私は足早に歩いた。
私は何をしようとしているのだろう。
ネットに呪われた男を助けて、一体、何になるというのか。
私は私の目的を見失っていた。
しかし、私は足を緩めなかった。
彼はまだ生きている。
私には彼が必要だ。
私には彼が必要なのだ。
彼は私を必要としている。
私には彼を救わねばならない義務がある。
私達は同じ運命共同体だ。
彼はネットから逃げられないと言った。ならば、私も逃げられないのだ。私が私であることをやめる日まで。
私が私である限り、彼は私を救おうとするだろう。
私もそうありたい。
私は立ち止まり、後ろを向くことなく右手を挙げた。
「さよなら」
私はそう言って再び歩き始めた。
私は彼に別れを告げることで、自分への訣別を告げた。
私は自分自身を救うことができなかった。
しかし、私には彼のような仲間がいる。
ならば、それで十分だ。
私は私として死ぬ。
それが、ネットに呪われながらも自由意志を捨てない男の生き方だ。
だから、私は前を向いて歩くことができる。これが終わりの始まりだとしても。
完 第1章『インターネットの夜明け』
「さあ、今宵も始まりました」『アヴァロン』のマスターは店内に流れるBGMを止めて語りかけた。「本日のお客様はこちらの方々です」照明を落としてスポットライトを当てる。そこには、男女四人の姿が映し出されていた。「今日はスペシャルゲストをお呼びしております。まずは自己紹介からお願いします」男はカメラに向かって一礼した。「初めまして。私は株式会社サイバーセキュリティ・リサーチの代表取締役社長を務めております。山田太郎と申します」女性三人が拍手した。「それでは、早速、質問に移ります。あなたがインターネットを始めたのは何歳の時でしょうか?」「5歳くらいでしょうか」男が答える。「その頃、何をしていましたか?」「テレビゲームをしていました」女が口を挟んだ。「あら、可愛い」男は咳払いをした。「すみません。続けてください」「はい。当時、パソコンというものはまだ存在しておらず、家庭用のゲーム機も持っていませんでした。そこで、私は親にねだって買ってもらった携帯用通信機器を使っていました」画面が切り替わった。小さな端末を手にしている幼い少女の写真が現れた。「これは?」「携帯電話です」女性が首を傾げた。「それはわかりますけど、そんな昔の写真なんてどこにもないじゃないですか」男は笑った。「まあまあ、最後まで聞いて下さい。私はこの画像を見ながらインタビューしています」また、映像が切り替わる。今度は、薄暗い部屋の中で、大きな機械の前に座っている少年が映った。「次は、どんなことを調べようとしていたのですか?」「はい。宇宙について調べようと思っていました」女性は呆れたように笑った。「今じゃ考えられないですね」
「ええ、当時は人工衛星が打ち上げられる前でしたからね。衛星軌道に乗っている宇宙船なんて想像すらできなかったでしょう」「次に、貴方がインターネットに触れてから、どういう経緯でその道に進んだのですか?」「きっかけは、中学二年生の時に、クラスメイトの女の子が『ホームページを作りたい』と言い出したことでした。彼女は、学校の裏サイトを作るというのに、私も誘ってくれたのです。最初は面倒くさくて断っていましたが、ある日、彼女の家のPCで、その裏サイトを見せてもらってから、私も興味を持ち始めました」
「そのサイトはどういうものだったのですか?」「いわゆるチャットでした。当時の私たちは、学校ではほとんど会話らしい会話をしていませんでしたから、お互いのことをよく知らないまま、その裏サイトで情報交換するようになりました」
「具体的には何を話し合っていたのですか?」「他愛のない雑談ばかりです。でも、次第に私は彼女と話すのが楽しくなってきました。彼女もそうだったと思います。それからは毎日のようにメールを交換して、休日も一緒に遊びに行くようになりました」