気が付けばもう日が沈みかけている。
夕暮れが消えかかる暗いオレンジ色に相まり、目の間にいるベヒーモスの姿が不気味に演出されていた。
屈強な肉体に焦げ茶の毛。威圧感のある深紅の目がギラリと僕を捉えると、ベヒーモスは威嚇するかの如く更に魔力を高めた。
「それ以上暴れるなベヒーモス! 誰にも手は出させないぞ」
『たかだか人間如きで私に勝てると思っているのか』
ッ……⁉
このベヒーモス、言葉が分かるのか――。
まさかの事態に驚いたが、次の瞬間奴はそんな事どうでもいいと言わんばかりに一切の躊躇なく突撃してきた。
ギガントゴブリンもかなりのスピードだったけどコイツはまた比べものにならない速さだ。なんとか反応出来た僕は横っ飛びで奴の突撃を躱す。だがベヒーモスはすぐさま鋭い鉤爪の付いた脚を僕目掛けて振るってきた。
――ブォン、ブォン!
「ぐッ!」
『ほう。私の攻撃を躱すか』
凄まじい風圧と共に繰り出されたベヒーモスの連撃。上半身を屈め更にバックステップで辛うじて回避に成功した。だけどもし1発でも食らえばこんなの間違いなく即死だぞ。
「ジーク様! 村の方達は皆避難しました! ジーク様も早く!」
「さっさと来いジーク! 幾らお前でもヤバいんよそいつは」
後方から響いてきたレベッカとルルカの声。
よし、ひとまず時間は稼げたみたいだ。ここは一旦僕達も退いた方が……と思った直後、ベヒーモスの悍ましい深紅の瞳がレベッカに向けられた。
『弱き者に興味はない。失せろ』
くそッ、そうはさせるか!
僕は咄嗟に『必中』のスキルを発動させ、走る勢いのままベヒーモスに剣を突き刺した。
攻撃に反応したベヒーモスは巨体に似つかぬスピードで切り返して僕の剣を躱したが、『必中』スキルの効果で僕の剣はそこから軌道を急激に変えて勢いよくベヒーモスの首元を捉えた。
――パキン。
『ヴガァァ⁉』
剣が奴を捉えた瞬間、ギガントゴブリンの時と似た“何か”を砕く手応えを感じた。
攻撃を食らったベヒーモスは激しい雄叫びを上げながら悶絶すると、突如ベヒーモスはその巨体から黒い蒸気の様なものを出しながら地面に倒れ込んだ。
どうだ、倒したか……?
溢れ出す黒い蒸気がどんどんと勢いを増していくと、やがて大きなベヒーモスの体が消えていき、強力な魔力も感じなくなってしまった。
「おぉぉ! とんでもねぇなお前! あのSランクのベヒーモスを倒すなんて有り得ないぞ⁉」
「ジーク様!」
ベヒーモスを倒したのを見て、レベッカとルルカが走って僕の元へ駆け寄って来る。安心した僕も剣を下げてレベッカ達の方へと振り返る。
だがその刹那、ベヒーモスが倒れた場所で一瞬何かが動いた。
「待て、何かいるぞ――!」
大きなベヒーモスの体が消え去った場所。そこへ視線を戻しよく見ると、そこには地面に横たわる人影のような物体があった。僕が
恐る恐る“それ”に近付くと……。
「あら、獣人の姿に戻ってるじゃない――」
「「ッ⁉」」
地面に倒れていた物体が徐に動いたかと思いきや次の瞬間、さも当たり前かの如くその物体は喋り出したのだった。
“彼女”はベヒーモスとよく似た毛並みを体のから生やし、頭には獣耳、そして後ろには尻尾の様なものがあった。
“獣人族”――。
彼女は紛れもなくこの世界でそう呼ばれる種族の者だ。
「「……」」
僕、レベッカ、ルルカの3人は直ぐに彼女が獣人族だと理解した。だって別に珍しい事ではない。獣人族はごく普通にそこら辺にいる。言っちゃえば人間と大して変わらない存在だ。
だから僕達が疑問符を抱いているのはそこじゃない。
そう。
僕が疑問に思っているのは、さっきまでベヒーモスがにいた場所に何故彼女がいるのかだ。
誰ですか貴方は?
僕達が戸惑いの眼差しを見せていると、その視線に気づいた彼女が突如僕に抱きついて来た。
――バフン。
「……!」
「なッ⁉」
「おい、てめぇジーク!」
「よくぞ私を元に戻してくれた! 礼を言うぞ人間よ」
そう言って訳も分からず抱きしめたられた僕の顔は、彼女の豊満な胸に埋められた。
♢♦♢
~クラフト村~
「まぁそういう訳で今に至るって感じかしら。どう、満足?」
「成程。事情は分かった」
あれから無事に事が一段落した僕達は、彼女から詳しく事情を聞いていた。
この子は僕達の予想通りやはり獣人族であり、名前は“ミラーナ”と言うそうだ。歳も僕達と変わらないが、そのスタイルの良い見た目や喋り方が不意に大人びて見える。
僕が彼女の胸に顔を埋めて(不可抗力)からというもの、レベッカからは冷たい視線を向けられている気がするし、ルルカも何故か睨む様に僕に視線を飛ばしていた。
まぁ取り敢えず2人の事は置いておこう……。
なんでもミラーナはとても希少なベヒーモスの獣人族であり、人型からさっきのベヒーモスに変化出来る能力も持っているらしい。当然自分の力だから呼吸をするかの様にコントロールが出来る訳だが、何故かある日から力がコントロール出来ずにずっとベヒーモスの姿から戻れなくなっていたそうだ。
だけどそんな時に僕達と出会って、先の戦いで突如獣人の姿に戻れたという事らしい。
事の経緯を説明し終えたミラーナは最後に「コレが原因かしら」と言いながら、砕かれた赤い結晶を僕達に見せてきた。
「これは……」
僕はミラーナが見せてくれた物に見覚えがあった。
それはクラフト村に来る道中で遭遇した、あのギガントゴブリンと魔鉱石と一緒に出てきた赤い結晶と同じ。
やっぱりこの赤い結晶が何か原因しているのか……?
「ミラーナちゃんもかなりの美女だから俺はいいけどさ、ベヒーモスの姿から戻れなくなったからって、何でこの村を襲った?」
僕がふとそんな事を思っていると、今度はルルカがミラーナに問いた。それも初めて見る真剣な表情で。
「私は別に危害を加えるつもりなんてなかったのよ。ただベヒーモスの姿でもお腹は空くから、その姿で大きな街に行くより田舎の村の方が幾らか騒ぎが少ないじゃない。だから悩んだ挙句にちょっと畑の野菜を貰ったのよ」
ミラーナはしょうがないと言わんばかりの口調だったけど、何処か申し訳ないという気持ちも伝わってきた。
どうやら彼女にも彼女なりの理由があった様だ。根っからの悪い子ではない。
でも……。
「君にそういう事情があったのはよく分かったよ。結果1人も被害は出ていないしね。だけど村の人達にはちゃんと君からお詫びをしないと。皆の畑を荒らして、怖い思いをさせてしまったんだから」
「わ、分かってるわよ……! 私だって好きでやったんじゃないんだから。仕方なくよ」
強気な口調と裏腹に、自分でもやはり少し負い目を感じているのかミラーナは獣耳と尻尾をもぞもぞと動かしていた。
不思議な子だけど、取り敢えず万事解決かな。本当に悪気もないみたいだからこれ以上責めるのは可哀想な気もする。
「事情はどうあれ村の皆様に謝罪はして下さいね。それから今一度ジーク様にも!」
そう言うレベッカは珍しく強めな態度だ。
どうした? なんか機嫌でも悪いのかな。
「だから分かったって言ってるでしょ。それにジーク? だったかしらね名前。貴方には本当に感謝してるわ。ありがとう。私の呪いを解いてくれた王子様ぁ」
艶っぽい声色と表情でお礼を言ってきたミラーナはまたグッと僕に抱きついてくる。今度は僕の左腕に彼女の胸の弾力が伝わった。そしてそれと同時に再び突き刺さる様な視線を2つ感じる。
「ジーク様! そんな事で鼻の下を伸ばすのは如何なものかと」
「え⁉ い、いや違うって! 僕はそんなつもりじゃ……!」
「ふざけるなジーク! お前ばっかさっきからズルいんよ! 直ちに変われ!」
なんだか急に話がズレ出したぞ。
ルルカは無視しておくとして、何でレベッカまで機嫌が悪くなっているのか分からない。それに結局この赤い結晶の事も分からずじまいだ。
まぁ何はともあれ一旦問題は解決という事で……。
「ちょっと2人共落ち着いてくれ! 今はそれよりも、早く村の人達に安全を知らせてあげようよ」
レベッカとルルカはまだな納得いかない表情であったが、渋々僕の言葉を受け入れてやっと全て収まった様だ。
♢♦♢
~クラフト村~
「ジークさん――!」
「おお、無事であったか!」
村から離れた所に避難していた皆を、レベッカが呼び戻してくれた。心配してくれていたであろうサラさんや村長さんは、僕達を見るなりとても安堵していた。他の村人達も皆お礼を言ってくれている。
「まぁまぁ落ち着けよ皆。兎も角ベヒーモスはこのジークが討伐してくれた! もう襲ってくる不安もねぇから安心していいんよ」
「おおー、なんて事だ! まさかあのベヒーモスを倒しただって⁉」
「信じられん……。Sランクのモンスターなんて倒すどころか遭遇するのも珍しい伝説のモンスター。それを倒してしまうなんて……!」
村の皆は感謝と共に驚きも生まれていた。
まだ皆がざわつく中、村長さんが1歩前に出て僕に話し掛けてくる。
「ジーク君、本当にありがとう! いやはやこれは何とお礼を言ったらいいか」
「そんなの気にしないで下さいよ。皆が無事で僕もホッとしました」
「いやいや、こんなのでは私の気が済みません! 大事なクラフト村を守っていただいたんですから。王都への要請が何の音沙汰も無いので、私はここ数日間ずっと気が気がじゃなかったんですよ」
話す町長さんからこれまでの不安と感謝がこれでもかと伝わってくる。ここまで感謝される事でもないけど、王都の奴らが要請を無視しているのは本当に許せない。
「皆さんに喜んでもらえたなら僕も嬉しいです。自分が出来る事をしたまでなので。それと町長さん……実は1つご報告がありまして」
「はて、何かまだ問題がありましたか?」
「ほらミラーナ。ちゃんと言わないと――」
断りを入れた僕は皆の前に出る様ミラーナを促す。
彼女は恥ずかしそうに不安な顔をしながらもゆっくりと口を開いた。
「ま、まぁ、小さな村にしては野菜が新鮮で美味であったわ……。私の口でも満足出来る物だったわよ」
「それは……ありがとうございます……?」
「こらこら、違うだろミラーナ。言う事はそこじゃない」
ミラーナは「分かってるわよ! もー!」と何故か僕に文句を言った後、町長さんと村の皆に勢いよく頭を垂らした。
「村の畑を荒らして、皆を怖がらせてしまってごめんなさいッ! もう絶対にしないわ。って言うか、私だって好きでやったんじゃないかわよ」
素直じゃないなぁもう。でも反省はしてるから大丈夫だろう。
謝るミラーナを横目に、村の人達や町長さんはキョトンとした表情を浮かべて僕に尋ねてきた。
「あのー、ジーク君。彼女は一体……? どういう事かね?」
「実はですね――」
僕は皆に事の経緯を全て報告した。
ミラーナがベヒーモスだったという事、彼女が畑を荒らしてしまった事、でも彼女に悪気はなく一応事情があったという事。
全てをきちんと伝えると、町長さん達は頷いて納得してくれた。
「凄いですよジークさん! ベヒーモスを討伐するだけでなく仲間にしてしまうなんて!」
「え、いや、そういう訳じゃ……」
なんか受け取り方のニュアンスが若干ズレているサラさんだったが、この一言で完全にそういう事になってしまった。
「ベヒーモスを従えるなんて最早勇者じゃないか!」
「君達はクラフト村のヒーローだ!」
「本当にありがとう! 好きなだけ村に滞在して下さいね!」
「今日は勇者誕生の宴といこうぜ皆ぁ!」
「「おおー!!」」
思った以上に盛り上がりを見せる村の人々。
正直こんな盛り上がりをされてしまうと何と言っていいのか全然分からない。
「ヒャハハ。こりゃ今日はいい酒が飲めるんよ。しかも美女付きで」
「流石ジーク様です」
一件落着……って事でいいのかな、これは。
どう反応していいか分からない僕は「ハハハ」と苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
そして皆が盛り上がる中、僕が徐にブロンズの腕輪に視線を落とすと、今のミラーナとの戦闘のせいか、またも新しいスキルが刻まれていた。
『分解』――。
勿論これがどういった効果は分からない。
新たなスキルの事も然ることながら、村は早くも宴モード。皆が外にテーブルやイスを出し、多くの食べ物や飲み物を持ち寄り始めた。
「さあさあ“勇者御一行様”! 好きなだけ召し上がって下さい! これからまだまだ出しますので、遠慮なくくつろいで下さいよッ!」
「あら、それは嬉しいわね。めでたく元に戻れた事だし、遠慮なく貰うとするわ」
「サラさーん! 俺も酒貰える?」
「しょうがないですね。今日は特別ですよ。ジークさんもレベッカさんもどうぞ!」
どんどん賑わうクラフト村の皆。
相変わらず感謝の言葉を矢継ぎ早に受け取っている上に、こんな厚いおもてなしをされると本当にどうしていいか戸惑っちゃう。
皆が喜んでくれているのは当然嬉しいけど勇者なんて褒め過ぎだし、ルルカは百歩譲って分かるとして、事の発端である君が何故真っ先にご飯を頂いているんだミラーナ……。
「私達も行きましょうかジーク様」
「う、うん。そうだね。なんかもう逆に断れない雰囲気だし」
レベッカに促され、僕達も皆の有り難い好意に甘えさせてもらった。
何はともあれ皆本当に無事で良かったな。
レベッカも楽しそうにしているし。
僕は貰った飲み物をグイっと飲みながら、賑わうクラフト村の人達の笑顔を見てふとある事を思い出した。
あれ。
そう言えば僕……。
ちゃんと冒険者登録してもらったんだっけ――?
♢♦♢
時は遡る事数日前。
ジークがレオハルト家を追放された一方で――。
~王都・レオハルト家~
豪華な屋敷の中、キャバル・レオハルトとグレイ・レオハルトはそこにいた。
「グレイ。既に分かっていると思うが、これからこの偉大なレオハルト家を継ぐのはお前だ。その名に恥じぬ力と名声を手にするのだぞ」
「当然でしょう父上。やっと俺の力を認めさせる時が来たのですから」
金色の髪を靡かせ、ゴールドの腕輪を輝かせたグレイ少年は不敵な笑みでそう言った。
(クッハッハッハッ。堪らねぇ、堪らねぇぜおい。俺は“次男”ってだけでこれまでずっと期待されていなかったからな。
どいつもこいつもレオハルト家の跡継ぎはあの落ちこぼれ兄貴だと思い込みやがって……! 生まれたのが少し先だからって鬱陶しいんだよ。全ては実力だろうが――)
グレイは誰よりもジークがレオハルト家から追放された事を喜んでいた。彼にとって実の兄でもあるジークという存在は、物心着いた時から自分の邪魔をする存在でしかなかった。
長兄が1番目の跡継ぎと考えるのはごく自然の事。
しかし、グレイにとってそんな当たり前の事が幼少時から気に食わなかったのだ。
過去はどうであれ、洗礼の儀で見事『勇者』のスキルを引き当てた事により彼の評価は一気に覆った。それが今の全て。兄や弟とい
った立場は関係ない。グレイは結果実力で地位と名誉を勝ち取っていた。
そしてそんなグレイの元には早くも王都内外から多くの“依頼が”――。
「グレイよ、どの依頼を受けるのかは決まったのか?」
父キャバルは徐にそう言いながら、テーブルに乗せられた数多くの依頼の紙に視線を落とした。
「まぁ勇者の俺にとっては依頼なんてどれも簡単ですが、それでもなるべく効率良く名が上がる依頼の方が良いですね」
「一理あるな。身元も知れない田舎の依頼や報酬が少ないはやめておけ。場合によってはレオハルト家の名を落とす下らん依頼が幾つもあるからな」
「そうですね。ただでさえこの間の洗練の儀でアイツに恥をかかされましたから」
「全くだ。思い出しただけでも腸が煮えくり返る」
グレイとキャバルはジークの陰口を叩きながら依頼の紙を精査し始めた。洗練の儀からまだ日が浅いにも関わらず、これだけグレイの元に依頼が届くのはやはり『勇者』のスキルを手にしたからだろう。
「ろくなのがないな」
「これはどうだグレイ。“大型モンスター”の討伐依頼だ」
「大型モンスター? もしかしてSランクレベルですか?」
「フハハハハ! それは有り得ないだろう。Sランクモンスターなどそもそも出会うこと自体稀だからな」
笑いながら紙を渡されたグレイは依頼書に目を通す。
すると彼は依頼書の最後を読んで軽く溜息を吐いた。
「父上、ダメですねこれは。大型モンスターなら確かに俺の実力を見せつけられますが、依頼元が王都から離れた“クラフト村”とかいう田舎です」
「なんだ、そうなのか。なら辞めておけ。そんな田舎の村じゃまともな功績は期待出来ん」
「そうですよ。俺は最短ルートで国王の依頼を受けるまでに登りつめる勇者ですから」
そう。
この王国で最も名誉あるとされているのが“国王直々の依頼”である――。
真の選ばれし者となれば、他とは比べものにならない国王や王家からの依頼を専属で任される様になるのだ。
「そうだな。勇者のスキルを与えられたお前であれば直ぐに国王直属として依頼を受けられる様になるだろう。そうすればレオハルト家の名もたちまち上々だ」
「まぁこの大型モンスターってのが少し気になりますがね」
「出たとしてもギガントゴブリンがいいとこだろう」
「Sランクのドラゴン、ベヒーモス、フェニックスなんて可能性は?」
「フッハッハッハッ! それは絶対に有り得ん! 仮にそうだったとしたら、例え勇者であるお前でも不可能だ!」
豪快に笑い飛ばすキャバル。
だがこれはまさに正論中の正論だった。
(確かに……そもそもこんな田舎村にSランクのモンスターが出る理由が全くない。それに悔しいが父上の言う事が正しい。幾ら俺でもSランクモンスターを倒すなんてパーティを組んでも不可能に近いからな)
グレイもまたSランクモンスターを倒せるなど微塵も思っていなかった。思わず笑ってしまう程に、Sランクモンスターはその存在自体が最早伝説であり。多くの者が何処かお伽話の様に受け取っているのが一般的であった。
「お前は馬鹿ではないから分かっていると思うが、万が一Sランクモンスターと遭遇したら迷わず逃げろ。命が幾つあっても足りん。
まぁSランクどころかBランクのギガントゴブリンでさえサシでは厳しい。パーティを組むのが常識だ」
「クハハハ、そうですね。この依頼ももう数日前ですから、今頃襲われているかもしれません」
「仕方ないさ。力がなければ食われるだけ。結局人間もモンスターもそういう世界なのだ」
グレイとキャバルは笑いながらそう話すと、再び他の依頼にも目を通した。
(やれやれ、それにしても実に気分が良いぜ。やはり俺にとっては兄さんの存在が邪魔でしかなかったみたいだな。昔から気に食わなかった。跡継ぎがアイツを優先されるのは百歩譲って良しとしよう。
だがそれ以上に、アイツや俺は名のある貴族のレオハルト家であるにも関わらず、どこか優等生ぶった偽善まみれのアイツが目障りだったんだ。
あんなへこへこした態度じゃ周りにも舐められる上に、由緒あるレオハルト家の名を汚す事にもなる。俺らは俺らの身分相応に威厳を保たないと示しがつかねぇだろ。しかもアイツは何故か国王や王家と“繋がり”を持とうとしてやがった。今となっては理由も分からないしどうでもいい。
アイツへの不満はまるで尽きないが、昨日入ったばかりの噂だともう王都にすらいないらしいからな。クハハハハ! ざまぁねぇな。
まぁブロンズの腕輪の挙句、よりにもよってあの呪いのスキルなんか引き当てた奴じゃ仕方がないか。死んでないだけラッキーだろ)
グレイはそんな事を思いながら、1番自分に恩恵を感じられる依頼を父と精査し続けるのだった。
そして依頼の山も終盤に差し掛かった頃、父キャバルが徐に口を開いた。
「時にグレイよ。確かに目の前の依頼も大事であるが、お前には王国最大の催しものである“大討伐会”で是が非でも優勝してもらわねばいかん。任せたぞ」
「分かってますよ父上。全ては勇者である俺に任せて下さい」
グレイは不敵な笑みを浮かべながら、クラフト村の依頼書を、大量の不合格依頼書と共にゴミ箱に投げ捨てたのだった――。
♢♦♢
~クラフト村~
大いに盛り上がった翌日――。
「はい、こちらがギガントゴブリンの魔鉱石代になります」
サラさんはまだ驚きを隠しきれないと言った表情のまま、僕に金貨を10枚渡してくれた。
よし、これで当分の間は生活に困らないぞ。良かった。
「うっは、すげぇ金貨! 1枚くれよジーク」
「ダメですよルルカさん。これはジーク様の物です」
「ヒャハハ、冗談だってレベッカちゃん。そんなかしこまらずにもっと気楽にいこうよ」
僕はレベッカとルルカのやり取りを横目に金貨を袋に閉まった。
モンスターから取れた魔鉱石は武器や装備の素材となるからこうして買い取ってもらえる。基本的に魔鉱石はモンスターが強ければ強い程大きさや重量、密度などが上がっていく物だ。
だからギガントゴブリンの魔鉱石もそこそこデカくて重い。レベッカの空間魔法が無かったらと思うと、とてもじゃないが運ぶだけでとても大変。
冒険者ギルドの受付をしているサラさんでもギガントゴブリンレベルの魔鉱石は珍しかったのか、何度も魔鉱石と僕を交互に見て瞼をパチパチさせていた。
兎も角金貨も手に入れ、念願の冒険者登録も遂に完了した。これでこの先もどうにかなるだろう。いや、頑張るしかない。
改めて決心した後、僕はサラさんに聞きたかったもう1つの事を尋ねた。
「あの、サラさん。これって何か分かったりします?」
僕はギガントゴブリンと昨日のミラーナから取れた赤い結晶をカウンターの上に置いた。
まるで正体が分からない未知の物。だけど僕はこれが何かの影響を与えているのではと思っている。
「さぁ……私も見た事ないですね。魔鉱石とはまた違う様にも見えますけど。これが何かあるんですか?」
「いえ、まだ僕も全然分からないんです。ギルドで色々情報を知っていそうなサラさんでも分からないとなるとちょっとお手上げですね」
「ごめんなさい。お役に立てなくて」
「とんでもない! こんなの出した僕が悪いんです」
「あ、ジークさん。もしかして村長なら何か知っているかもしれないですよ。結構物知りですから」
サラさんにそう教えてもらっていると、狙ったと言わんばかりのタイミングで村長さんがギルドの扉を開いて現れた。
「おや、ここにおられましたか。昨日は本当に村を救って頂きありがとうございますジーク君」
「村長さんナイスタイミングです!」
「はて」
開口一番にまたもお礼を言ってくれた村長さん。そんな村長さんはサラさんの言葉にキョトンとする。そしてサラさんは赤い結晶の事を村長さんに聞いてくれた。
「成程、確かに魔鉱石ではありませんね。でも残念ながら私もそれ以上の事は分かりません」
「そうですか……」
「ですがギガントゴブリンとミラーナ君の話を聞くと、この結晶が何かしら影響を与えていると私も思いますよ」
村長さんは暫く眉を顰めると、突如何かを思い出したかのようにパッと顔を上げた。
「そうだジーク君、君は“大賢者イェルメス”と言う人物をご存じかな?」
大賢者イェルメス――。
その名は僕でも勿論知っている。なにせあの魔王を倒した伝説の勇者の仲間の1人だから。
「それは知っていますけど……」
「だったら彼に聞いてみるといい。きっと何か情報を持っている筈です」
さも当たり前かの様に言った村長さん。
でも待ってくれ。勇者や大賢者イェルメスが魔王を倒したのは今からもう80以上は前。
申し訳ないが真っ先に頭に思い浮かんだのは……。
「え? 大賢者イェルメスさんって……まだご存命なんですか?」
「ええ。実は昔、勇者と共にイェルメスさんもこの村に立ち寄った事がありましてな。元々少し変わったお方でしたから、今では人が容易に立ち入る事が出来ない“ビッグマウンテン山”の頂上に住んでいると聞きました。
もしジーク君に行く気があるのでしたら、1度訪ねてみてはどうでしょうか」
♢♦♢
~ビッグマウンテン山~
という事で、僕達は晴れてビッグマウンテン山へと足を運んでいる――。
「おいおいおい、これ何処まで続いてるんよ」
「文句を言わないで下さい。余計に体力が消耗しますから」
「ほんとレベッカの言う通りだわ。黙って登りなさいよ。って言っても、確かにこれは思った以上に疲れるわね」
大賢者イェルメスが住む言うビッグマウンテン山。
この山は標高8,888mという高さに加えて足場が大きな岩ばかりでとても険しく困難な道。今となってはそれでもビッグマウンテン山の中腹部までは辿り着いただろうか。
道中の険しさも然ることながら、加えてこの山に生息するモンスターと何度か戦闘を繰り広げた事によって皆疲労困憊の様子。レベッカの空間魔法で回復薬を沢山所持しているのが唯一の救いだ。
それがなければ今頃きっと……。
「それにしても、こんな山の頂上に暮らしているというその大賢者の方はとても偏屈な方の様ですね」
「そうだね。村長さんから聞いてはいたけど、本当に外部の人間とは接触したくないみたいだな」
まるでこの山が大賢者イェルメスの気持ちを代弁しているかの如き険しさだ。僕1人だったら間違いなく心が折れている。
「もう最悪ねこの山。ほらルルカ、早く貴方の風魔法でさっきみたいに皆を運んでくれるかしら? そうすれば楽なんだけど」
「またお嬢様が我儘言い出したんよ。何度も言ってるけどな、アレは凄い魔力も体力も使う訳。レベッカちゃんの空間魔法で回復薬がなかったらもうとっくに俺ら終わってるからな」
「口はいいから早く手を動かしなさい。貴方の疲れなんて私にはどうでもいいの」
「なんて生意気な嬢ちゃんだ。折角の美女が台無しなんよ。そこまで俺に言うなら自分だってさっきみたいにベヒーモスの姿になって俺達を運んでくれればいいだろ、なぁミラーナちゃん」
「嫌よ! 獣の姿になるの結構体力使うんだからね。それにずっと戻れなかったからまだ怖いの! 貴方ならそんな心配ないじゃない。ただ風出すだけなんだから」
「本っ当に口だけは達者だな」
「それは貴方でしょルルカ!」
後ろから聞こえてくるルルカとミラーナと言い争い。レベッカも呆れた様子で2人を眺めていたけど、僕は不意に自分の視界に映る3人を見て、何だか嬉しくて口元が緩んでいた。
ハハハ、まさか連日こんなに賑やかになるとはな。
レオハルト家を追い出された時はどうなる事かと不安だったけど、今はあの時の状況からは想像も出来ない事になってる。勿論いい意味でね。
僕は恵まれているな――。
「どうしたのですかジーク様」
思わず感傷に浸っていると、レベッカが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「いや、大丈夫大丈夫! 何でもないよ。皆のお陰でもう半分以上登って来られた。このまま頂上まで頑張ろう!」
「ほら、ジークが言ってるんだからさっさと行くぞミラーナちゃん。そんな文句があるなら今から降りてもいいんよ別に」
「ちょっと、何で私が降りないといけないのよ! そもそも何でルルカが付いて来てるの? 貴方が降りればいいじゃない」
「何でだよ。俺の方が先にジークとレベッカちゃんと出会ってるんよ。ミラーナちゃんの方が後でしょ。それに大賢者イェルメスなんて気になる名前出されたら行くしかないでしょ」
「何それ。意味不明だわ」
その後もルルカとミラーナの言い争いは暫く続いたけど、僕達はやっとの思いで遂にビッグマウンテン山の頂上に辿り着いたのだった――。
「着いた――」
日が沈みかけた頃、僕達は遂にビッグマウンテン山の頂上に辿り着いた。
頂上の風景は道中と変わらない大きな岩だらけ。辺りを見渡すと、岩しかない頂上にポツンと1つだけ小さな小屋が建っていた。
あそこに大賢者イェルメスが……。
自然と小屋へと近付く僕達4人。
「本当にこんな所に住んでるのかしら」
「それかないだろ。逆にこんな所に家が建ってるんだからよ」
ルルカとミラーナ、どちらの意見も正しい。
未だにこんな所に住んでいるなんて信じ難い反面、僕達の目の前に家らしき小屋が建っているのもまた事実だ。
明らかにこの小屋の存在だけ異質。
しかも何か気配を感じるのは僕だけだろうか。
「御免下さい。大賢者様いらっしゃいますか――?」
ええッ⁉ いきなり⁉
驚き過ぎて僕は声が出なかった。まさかレベッカが待ったなしで小屋を開けるなんて。もし大賢者イェルメスが小屋に罠でも仕掛けていたらどうすッ……と、僕が危惧した刹那、突如小屋が淡く輝き出した。
「これは魔法陣……⁉」
よく見ると淡い光は小屋からではなく更に下の大地から。僕達の足元には魔法陣と思われる模様が浮かび輝いている。
そしてレベッカが小屋の扉を開けた先。
その奥には暗闇から不気味に瞳を光らせる謎の影があった。
「モンスターだッ!」
「逃げろレベッカ!」
ルルカの声が響いたと同時に僕達は反射的に戦闘態勢に入る。レベッカも咄嗟に走って僕の傍に来た。
『グルルルッ』
暗闇から唸り声を上げて出てきたのは、狼の様な姿をした1体のモンスターだった。そのモンスターの体はユラユラと青い炎に纏われている。
「なんだあのモンスターは……」
「見た事無いモンスターね。もしかするとあれは“召喚獣”かもしれないわ」
「召喚獣だって? だとしたら“術者”がいる筈だ」
そう。
召喚獣はモンスターとはまた違う存在。召喚獣ならそれを発動させている術者が必ずいる。そしてその術者は恐らく――。
「皆、僕に任せて!」
ここまで来られたのは皆のお陰。レベッカが空間魔法で大量の荷物を運び、ルルカとミラーナがここぞという時に皆を運んでくれた。だからこそ僕は頂上まで辿り着けたんだ。疲労が溜まっている皆にこれ以上負担は掛けたくない。
僕は『無効』のスキルを発動させ、横一閃で召喚獣を真っ二つ斬った。
――シュゥゥ……ン。
「よし」
やっぱり『無効』スキルが通じたぞ。
斬られた召喚獣はユラユラと揺らめきながら跡形も無く消えていった。
「やりましたね、ジーク様!」
「他に召喚獣はいないみたいだね」
「大した強さではなかったわね。近くにいるんじゃないかしら」
ミラーナの言葉で僕達はふと辺りを見渡した。
恐らく近くに術者がいる。しかもこんな所にいるなんてきっと――。
そう思っていた次の瞬間、突如大きな岩の陰から声が聞こえてきた。
「ハッハッハッ、まさか本当にここまで来るとはね――」
「「……!」」
声がした方向へと振り向くと、そこには深緑色のローブを纏った白髪の男の人がいた。年齢は60代ぐらいだろうか。白い無精髭も蓄えたその男の人は何とも言えない不思議な雰囲気を醸し出していた。
「あ、あの、もしかして貴方が大賢者イェルメスさん……ですか?」
「如何にも。大賢者なんて呼び名は言い過ぎだがね」
本当にいた。
この人が勇者と共に魔王を倒した伝説の1人。
「凄ぇ……! マジで大賢者イェルメス本人なのかよ。生きてたって言うか何と言うか、思った以上に若い気が」
「そうね。もっと歩くのもやっとの老人をイメージしてたわ私」
確かに。僕も同じ事を思った。なにせ魔王を倒したのはもう80年以上前の話なのに、目の前のイェルメスさんは若々しい。
「失礼ですよ2人共」
「アハハハハ! 構わんよ。ストレスなく余生を生きているお陰かな。まぁどう見られているのかは分からんが、私だって体中にガタがきている一般的な“99歳”の老人と変わらぬよ」
「きゅ、99歳……⁉ その若さで⁉」
見た目と年齢のギャップに僕達は驚く事しか出来ない。だってどう見てもその歳だとは思えないよ。
「私の事などどうでもいい。それよりこんな場所にまで訪れ、わざわざ私に“聞きたい事”とは何かね」
「え、僕達が来た理由を知っているんですか?」
「ああ。君達がクラフト村を出た後に村長から一報があったからね」
なんだ、そうだったのか。村長が連絡してくれていたなんて知らなかった。
ん? でも待てよ。
「あのー、イェルメスさん。お言葉ですが、僕達が来ることを知っていたのなら何故召喚獣なんかを……」
「ああ、それは久々の来客で最近の若者がどのぐらい強いのかふと気になってな。まぁ思いつきだ」
大賢者イェルメスはそう言いながらくしゃりと笑っていた。
「何よそれ。じゃあただ貴方の暇つぶしに付き合わされたって事じゃない」
「こら。相手はあの大賢者イェルメスだぞ」
「関係ないわよ。こっちはここに来るまで苦労してるんだから」
「アハハハ、悪かったね。兎も角話は中で聞こうか。飲み物を入れてあげよう」
僕達はイェルメスさんに促されるまま小屋の中に入り、用意された飲み物を一口飲むと、再びイェルメスさんが口を開いた。
「それで、私に聞きたい事とは何かな?」
落ち着いたトーンでそう言われた僕は袋から赤い結晶を取り出し、ずっと気になっている事を聞いた。
「イェルメスさんにお伺いしたいのはこの結晶の事なんですが……」
僕がテーブルの上に赤い結晶を置いたと同時、イェルメスさんは予想外の方向に反応を示した。
「ジ、ジーク君……! 君のその腕輪――」
腕輪?
イェルメスさんは僕の出した赤い結晶の方ではなく、何故か僕のブロンズの腕輪に食いついてきた。それも目を見開いて明らかに驚いた表情で。
「あの~、この腕輪が何か……」
「アッハッハッハッ! そうかそうか! 遂に“現れた”か」
驚きの表情から一変。イェルメスさんは突如大きな声で笑い出した。全く状況が把握出来ない。
「ジーク君、君は自分のその腕輪について何を知っているかね」
「何を知っているって……モンスターや災いを引寄せてしまう呪いのスキルという事しか……」
それ以上もそれ以下もない。
だってこれは誰もが知っている呪いのスキルだから。
「呪いだって? ハハハハッ、そりゃまたどういう訳でそうなったのかね。私が山で暮らしている間に、随分とややこしい世界になったものだ」
僕だけでなくレベッカ達もきょとんとした表情を浮かべている。イェルメスさんの言っている事に誰もピンときていないんだ。そんな僕達を見たイェルメスさんは「その様子だと本当に何も知らない様だね」と笑いながら言い、話を続けたのだった。
「いいかいジーク君。君のその腕輪は、ありとあらゆるスキルを引寄せる“最強のスキル”なんだよ。かつて魔王を倒した勇者と“同じスキル”である――」
「「ッ……!」」
余りに予想外の展開過ぎて言葉が出ない。
僕のこのスキルが最強……?
あの勇者と同じ……?
考えれば考える程理解が追い付かない。
「勇者と同じスキルって、それヤバくないかジーク!」
「あら、流石私の王子様ね。強いとは分かっていたけどまさか勇者レベルなんて!」
「す、凄いですよジーク様! 決してミラーナさんの王子様ではありませんが、やっぱりジーク様には人を救う使命があるんですよ!」
僕よりも先に皆が盛り上がりを見せた。
だけどそんな事を矢継ぎ早に言われてもまるで実感がない。
「フフフ、呪いのスキルか……成程。確かに力の無い者にその『引寄せ』スキルが与えられたらそうなるか。さっきジーク君が言った様に、引寄せは少なからずモンスターも引寄せてしまうからね。
だがそのスキルは間違いなく本物。呪いどころか、そのスキルは世界を救う真の勇者にしか与えられない代物。
引寄せに選ばれたという事は、ジーク君にはそれ相応の実力と使命……いや、世界を救う勇者としての“運命”に選ばれたのだよ――」
イェルメスさんの言葉を聞いた僕は、何故か心の奥がスッと軽くなった事を覚えた――。
僕の呪いのスキルは呪われていなかったって事……?
皆に軽蔑されて家も追い出されたこのスキルでも、まだ僕はこれから……。
「僕が真の勇者……ですか」
「ああ、そうさ。本来ならゴールドの腕輪が最も強いとされているが、そのゴールドよりも更に稀なのがその『引寄せ』スキルのあるブロンズの腕輪だからね。
いやはや、まさかまたその腕を見る事になるとは。フフフ、懐かしいものだな」
イェルメスさんは優しい目つきでそう呟く。何か遠い日の記憶をを辿っているイェルメスさんの表情はとても穏やかだった。イェルメスさんは徐にブロンズの腕輪が付いている僕の腕を掴むと、腕輪に刻まれたスキルに視線を落とす。
「ほお、君はやはり勇者の運命に選ばれている様だ。既に『必中』、『無効』、『分解』のスキルを習得しているとは中々。ジーク君はかなり強いな」
「い、いえ! 全然そんな事ありませんよ! 毎回必死で戦っていますから」
「君が選ばれた理由が分かる気がするよ」
イェルメスさんはそう言いながら僕に微笑みかけくれた。
この人が纏う空気は不思議だ。優しくて強くて、全てを包み込むような暖かささえ感じる。これが勇者と共に魔王を倒して世界を平和にした人のオーラというものか。
「それはそうよ。何て言ったってジークはベヒーモスの私を一撃で倒して、その上私の命を救った王子様なんだから。私のジークならばそれ相応の実力があっても何も可笑しくないわ」
「何度も言いますが、ジーク様は人を救う勇者に相応しい方であり、決して“貴方のジーク様ではありません”! 私がジーク様にお仕えしているのですから」
「あら嫌だ。もしかして嫉妬かしら? 貴方もやっぱりジークがすきだったのね」
「そ、そういう事じゃありませんミラーナさん……! 私はただジーク様にお仕えしているだけです!」
「あっそ。なら“ただ”仕えるてるだけの貴方では、私とジークの邪魔をする権利は全くないわよレベッカ」
「ッ!」
おいおい、何か話が凄い方向に進んでいるぞ2人共。
「ハッハッハッハッ! モテる勇者は大変だなぁジーク君」
「い、いやッ、そんなのじゃないですってば……!」
「はぁ……そりゃないんよ。俺だってレベッカちゃんもミラーナちゃんも両方好きなのに」
イェルメスさんの言葉によって、何故か僕の方が恥ずかしくなってきた。ルルカも落ち込む意味が分からない。レベッカとミラーナに関しては何処まで本気で言っているのか全く分からないけど、早くこの変な会話の流れを元に戻さないと。
「ちょ、ちょっと待った! それよりもイェルメスさん! この引寄せの力は分かりました。後、この赤い結晶の事について何か知りませんか!」
居ても立っても居られなくなった僕は強引に話を戻す。するとイェルメスさんは少しニヤニヤとした表情を浮かべながらも、僕の気持ちを汲んでくれたのか話題を結晶に移してくれた。
「赤い結晶? どれ、ちょっと見せてくれ」
そう言って僕から赤い結晶を受け取ったイェルメスさんは、暫し無言で結晶を眺めた後、真剣な顔つきに変わって僕に尋ねてきた。
「これを何処で?」
「ギガントゴブリンを倒した時に魔鉱石と一緒に体から出てきました。しかもそのギガントゴブリンは普通の個体とは比べものにならない強さだったんです。それと、こっちの砕けた物はミラーナの体から出てきた物です」
「お嬢ちゃんの体から?」
「そうよ。その結晶が関係しているのかは知らないけど、ある日突然ベヒーモスの姿から戻れなくなったのよ私。でもジークがこれを砕いた瞬間に元に戻る事が出来たの。ね? 間違いなく私の王子様でしょ」
「断じて違います」
こらこら。本当に止めてくれ2人共。こんなのをまともに相手するなんてレベッカらしくないぞ。
僕がそう思っていると、イェルメスさんは何処か気が重そうな空気を漂わせながらそっと赤い結晶をテーブルの上に置いた。
「……成程。確証はないが、ギガントゴブリンの異変らしきものとお嬢ちゃんが戻れなくなったのは、十中八九この結晶が原因だろう」
「やっぱりそうだったのか……。イェルメスさん、この結晶は一体ッ『――ドサッ』
刹那、僕の言葉を遮る様に、ルルカが突如椅子から転げ落ちた。
「ルルカ……⁉」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
床に倒れたルルカは呼吸が荒く、異常な量の汗を掻いていた。
「え、どうしたんだよルルカ! って熱ッ……!」
僕がルルカの上半身を起こす様にして抱き上げると、大量の汗と共にルルカの体から物凄い熱を感じ取った。
「疲労が溜まって風邪でも引いたのかしら」
「いや、違うぞ。これは“黒魔術”の副作用だ――!」
黒魔術……⁉
「マズいぞ。ひとまずそこに寝かせるてくれ」
場が一瞬にして緊迫の空気に包まれた。
イェルメスさんに言われるがまま、僕達はルルカを直ぐ近くのベッドへと運ぶ。
何だよコレ……! 一体何が起きているんだ。
「イェルメスさん、ルルカに何が⁉」
神妙な面持ちでルルカの状態を確かめたイェルメスさんは確信したかの如く、1度深く頷いてから僕達に口を開いた。
「間違いない。彼は黒魔術の効果によって体が蝕まれている。それも理由が定かではないが急激に効果が強まっている様だ。本来なら黒魔術は徐々にその効果を強めていくものだが……。今は原因よりもまず彼を回復させないと手遅れになってしまう」
「そ、そんな……でもどうやって!」
「黒魔術は質が悪くてな。それ専門のスキルが必須。最悪ヒーラーでもいれば進行を遅らせられるが――」
慌てた様子でイェルメスさんは僕、レベッカ、ミラーナを順に見た。
「残念ながら見た感じ誰もヒーラー系のスキルじゃなさそうだ。私のスキルも使い物にならん。こうなればもう山を下り1番近いクラフト村でヒーラーを探すしかない。だが、クラフト村でも距離があるからそこまで持つかどうか……」
嘘だろ、そんなの……。ルルカが助からないなんて有り得ない……!
「ルルカは絶対に助ける! 急いで山を下ろう!」
「確かにジーク様の言う通りですが、登って来るだけでもかなりの労力でした。それをルルカさんの力も無しでは到底……!」
「そんな事は分かってる! でもだからってこのまま何もしないなんて僕には出来ない!」
大声を上げたところで、レベッカの言っている事が正論だ。登るのに時間が掛かったんだから、降りるのだってそれなりに時間を要する。
「ったく、仕方ないわね。だったら私が変化して一気に山を下ってあげるわ」
「あ、ありがとうミラーナ!」
「でもジーク、知ってると思うけど変化は凄い魔力を消費するから、例え回復薬を連続でがぶ飲みしたところでずっとは使えないわよ」
「それで十分! 任せたぞミラーナ」
「もう、しょうがないわね。ルルカじゃなくてジークの為なんだから」
ミラーナはそう言うと、小屋の外に出るなりあっという間にベヒーモスの姿へと変化した。もう何度か見た姿だけど相変わらず凄い存在感だ。
「ほお、これは凄い。まさか獣人族の中でも超希少なベヒーモスとは驚いた。しかもここまで完璧に変化するとは」
「早く乗って皆!」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「大丈夫か? ルルカ」
「あ、ああ……。一体どうしちゃったんよ……俺の体は……」
「原因は分からないけど、黒魔術が掛けられているらしい。でも絶対に助けるから頑張ってくれ」
ルルカを抱えながら僕とミラーナが背に乗ると、イェルメスさんも「私も付いて行こう」と同行してくれる事になった。
「ミラーナ君と言ったね。私が付与魔法で君をサポートしよう。だから君はベヒーモスの姿を維持したまま一直線に村へ向かってくれ」
「あら、そんな事出来るの?」
「アハハハ、一応元勇者パーティの一員なのでな。本当は黒魔術を解ければいいのだが、生憎そこまで器用なスキルは持っていない。あくまでも老人が手を貸す程度だ」
申し訳なさそうに謙遜したイェルメスさん。だが僕達に言わせればこれ以上ない超強力サポートだ。
イェルメスさんはローブからスッと腕を出すと、そこには綺麗に輝くゴールドの腕輪が付けられていた。そこからイェルメスさんは魔力を高めると、淡い光を纏った手のひらを静かにミラーナの背に当てた。
「これは凄い。力が漲ってくるわ」
ミラーナの魔力が強くなったのを僕達も感じる。
「さぁ、急ごう。クラフト村で早くヒーラーを探さなければいけない。それに――」
イェルメスさんは皆まで言いかけて口を閉じた。
僕は気になってイェルメスさんに問いたが、イェルメスさんは「後にしておこう」と意味深な言葉を残し、会話はそこで終わった。
そしてミラーナの背に乗った僕達は凄まじい速さで山を駆け下りたのだった――。
~クラフト村~
「早ッ! もう着いた」
「ハハハ、ベヒーモスの力は凄まじいな」
「まぁ私にかかればこんなものよ」
ミラーナのベヒーモス変化に加えて強力なイェルメスさんの付与魔法サポートもあり、僕達は険しいビッグマウンテン山を一気に下山する事に成功した。
でもまだこれで終わりじゃない。
早くルルカを助けられる人を探さないと。
皆がそれだけを願ってクラフト村に辿り着くと、僕達の視界に飛び込んできたのは信じられない光景だった――。
「大変ですジーク様、村の方達が……!」
「何で⁉ サラさん、町長さん!」
クラフト村に入ると、そこにはルルカと同様に息を荒くして地面に倒れている多くの村人達の姿があった。
皆苦しそうな表情を浮かべて呻き声を上げている。
町長さんもサラさんも凄い熱だ。
「大丈夫ですか!」
「ジ、ジーク君……それにイェルメス様まで」
何故……? 一体何が起きているんだ。
「やはりそうだったか――」
戸惑う僕を他所に、村を見たイェルメスさんは焦った様にそう言った。
「イ、イェルメスさん! これはどういう事ですか!」
「ああ。ルルカ君の症状を見た時にまさかとは思っていたが、これは
ルルカ君単体を狙ったものではなく“広範囲”を狙った黒魔術だ。
発動条件が分からぬが、恐らくクラフト村の者達全員が同じ状況だろう」
なんだそれは。
幾ら小さなクラフト村と言っても優に100人は超えている筈。ルルカを助けるヒーラーを探すどころじゃない。一刻も早く手を打たなければ村自体が壊滅しかねない。
「ぐッ!」
「しっかりして下さい町長さん、サラさん! 絶対に助けますから! クラフト村にヒーラースキルを持った人はいませんか?」
胸を押さえて苦しむ町長さんとサラさん。
僕の問いに苦しみながらも返答をくれた2人だったが、その答えは無情だった。
「ジークさん……クラフト村にはヒーラーのスキルを持っている人はいないわ……」
「はい……残念ですがサラ君の言う通りです。一体私達に……村に何が起きて……ゔゔッ!」
「町長さんッ!」
くそッ、これは本当にヤバい。一体どうすればいいんだ。
クラフト村の皆は僕が呪いのスキルを持っているにも関わらず、分け隔てなく接してくれたんだ。それどころかこんな僕にありがとうって――。
絶対に死なせない。
何か……何か方法は無いのか……!
「イェルメスさん! 回復薬では黒魔術に効きませんか?」
「残念だがそれは無理だ。黒魔術は魔法の中でも更に特殊な部類。黒魔術を消す専門のスキルか術者を倒さなければこの力は消えない」
イェルメスさんの苦虫を嚙み潰したような表情が全ての答えを出していた。
この状況では1人として助けられる術がないという“最悪の結末”を。
胸の奥で心臓がドクンと高鳴る。
目の前で倒れ苦しむ村人達。
一刻を争う事態なのに打つ手がない。
唯一の賭けであったヒーラーも断たれた。
どうする。
どうする。
どうする――。
様々な考えが脳裏を駆け巡ったと同時、僕は村長さんを抱える自分の腕輪に目が留まった。
そうだ……もしかして――。
「イ、イェルメスさんッ! 黒魔術って一応魔法なんですよね⁉」
「ああ、確かに黒魔術も魔法だが……」
「だったら僕の『無効』のスキルは使えないでしょうか⁉」
「ッ! そうか、その手があったか」
そう。
もしこれが何かしらのスキルによるものだとしたら、僕のスキルで消せるかもしれない。僕は町長さんをゆっくりと地面に寝かせ剣を握った。そして『無効』スキルを発動させる。
これで皆を助けられるかもしれない。でも失敗したら……。
スキルを発動して剣を構える僕だったが、いざ剣の切っ先を町長さんに向けたら万が一が頭を過り躊躇してしまった。
「ジーク様……!」
「無効スキル確かに全てのスキルを無効化するもの。だが流石の私もこの使い方は試したことがない」
他ならぬイェルメスさんの言葉で更に気持ちが揺らいでしまう。
だって、もしダメだったら間違いなく“死”――。
僕がそんな事を考えて躊躇していると、次の瞬間何かが僕の肩に乗った。
「ハァ……ハァ……何ビビってるんよジーク……」
「ルルカ⁉」
振り返ると、そこには今にも倒れそうに意識を朦朧とさせるルルカの姿があった。
「ジーク……それ、俺で試せ。町長のおっさんよりは……剣向けやすいだろ……ヒャハハ」
ルルカはそう言うと僕の目の前に倒れ込んだ。
「早くするんよ……」
「で、でもッ……! もし失敗したらッ「お前なら大丈夫だ……ジーク。安心しろ……失敗してもただ俺が死ぬだけ……どの道このままだと全員死ぬんよ」
「ルルカ……」
「皆を助けてやってくれジーク……。小さい村だけど、俺が育った大事な場所だ……。お前はもう1度村を救ってる……だから頼むぜ……真の勇者さんよ――」
悪戯に口元を緩ませたルルカの瞳は、力強く真っ直ぐ僕を見ている。
「分かった。やるよ、ルルカ」
まるでさっきまでの迷いが無かったかの様に、僕の気持ちは自然と固まっていた。
それも何故だろう……。
絶対に失敗しない保証なんて無かったのに、今は絶対にルルカを助けられる確信が生まれていた。
「絶対にルルカを、村の皆を助ける――!」
――ストン。
無効のスキルを発動させた剣を、僕はルルカの胸に突き刺した。
すると次の瞬間、剣から何かを砕く手応えを確かに感じた。
そして直後、ルルカや村人達の体から黒い蒸気の様なものが勢いよく溢れ出し、その黒い蒸気は瞬く間に揺らめきながら消え去ってしまった。
「これは……成功だぞジーク君!」
イェルメスさんの勢いある言葉と共に、ルルカや他の皆の苦しみが一斉に止まった。
「ヒャハハ、流石真の勇者ジーク。体の痛みが全く無くなったんよ」
「ほ、本当だ……苦しかった胸の締め付けもない。体が軽くなりました!」
直ぐ側にいた町長さんやサラさん、それに他の村人達も次々に立ち上がっていく。イェルメスさんは直ぐにルルカの状態を確かめた。
「ハハハハ、驚いた。やはり成功しているぞジーク君。黒魔術の効果が完璧に消えている」
「す、凄いですジーク様ッ!」
「本当に……? 皆もう無事なんだよね……? 良かった~!」
全身を襲っていた緊張の糸が切れ、皆が起き上がる中僕は逆にその場に倒れ込んだ。
良かった。
本当に良かった。
ルルカを……皆を助けられて――。
「ヒャハハ、今回は流石に死ぬかと思ったんよ。ありがとなジーク」
そう言って何時もの調子に戻ったルルカは、倒れる僕に手を差し伸べてきた。
僕はそのルルカの手をグッと掴み、2人で笑い合った――。
♢♦♢
「いやいやいや~! さあさあ、どんどん食べてどんどん飲んでどんどんお代わりして下さいね、真の勇者ジーク様!」
「「勇者に乾杯――!!」」
必死の思いで黒魔術を消す事に成功した僕達は、ミラーナの件に続き村を救った勇者御一行として、絶賛凄まじいおもてなしを受けている次第です。はい。
「いやはやジーク様にはもう何と……本当に何とお礼を申し上げ、何度この安い頭を下げれば御恩を返し切れるでしょうか!」
「もうお気持ちは沢山頂いてますから、やめて下さいよ町長さん。皆無事だった。それでいいじゃないですか」
「おお~、流石真の勇者ジーク様! 有り難きお言葉頂戴致します。もう本当に私はもう一生ジーク様の前で頭を上げられません」
感謝してくれているのはもう嫌と言う程伝わっている。
最早こんな言い方はアレだが、大袈裟すぎる町長さんに僕は何て返したらいいのか分かりません。
「町長さん、やり過ぎると却ってジークさんに迷惑ですよ」
「いや、まだまだこんなものでは全然足りぬよサラ君。はて、この御恩をどう返したら良いか……」
町長さんはずっとそんな事を言いながら頭を抱えていると、急に何かを閃いた様に僕の前に勢いよく座ってきた。
「ジーク様! まだご結婚はされていませんよね!」
唐突過ぎる質問と勢いに圧倒されてしまう。
それにいつの間にかジーク君から“様”に変わっているんだよな。
「え、ええ。勿論まだですけど……」
「そうでしたか!でしたら是非“サラ君”はどうでしょうか!」
「えッ⁉」
「ちょ、ちょっと町長さん! 何言い出してるんですか⁉」
まさかの展開に驚いているのは僕だけじゃなくサラさんもだ。そりゃビックリするよ、急にそんな事言われちゃ。
「サラ君は私の可愛い娘同然! 大事な彼女が変な男に捕まるぐらいなら、私はジーク様の様な素晴らしい方と是非結ばれてほしいと思っていた所存です! 余計なお世話でしょうが」
ごもっともです。
……と思わず言い掛けてしまったけど、町長さんには微塵の悪気もないんだよなぁ。それだけ僕に感謝してくれているのは有難いけども。
「ほ、本当ですよ町長さん! そんな事言われたらジークさんが困るじゃないですか!」
「それはそうだがね、サラ君に幸せになってもらいたいと言うのは私の本音。ダメでしょうかジーク様? サラ君はタイプじゃないですか?」
また何を言い出すんだ町長さんは。
「い、いやッ、ダメなんてとんでもない! 寧ろ僕には勿体ないぐらい綺麗でしっかりされてますよサラさんは! 結婚される方が羨ましい限りです。それにそもそもサラさんが僕なんかを相手にしないですってば」
「おお、そうですか! だとすれば後はサラ君どうかね。ジーク様じゃ不服かな?」
「不服なんて言い方失礼ですよ! ジークさんはもう2度も村を救ってくれている勇者様です。皆を守ろうとする姿はとても強くて格好良くて素敵で、私みたいな女が一緒にいたら逆にジークさんの品位を下げてしまいますから……」
謙遜しているがサラさんは素直に綺麗な人だ。スタイルも良ければ性格も良い。僕なんかじゃ釣り合わないよ。
「だからそんな事ないですって! 逆にサラさんは綺麗過ぎて僕には勿体ないッ――」
そこまで言いかけた瞬間、場に妙な空気が流れたのを察知した。ふと周りからの刺さる様な視線を感じ、僕は皆の方へ振り返る。
レベッカとミラーナからは殺意のある視線を。
ルルカからは軽蔑する様な冷たい視線を。
そしてイェルメスさんからは僕を茶化す様な視線を向けられていた。
刹那、僕もハッと状況を気付かされる。
よくよく考えてみればこんな必死でサラさんを褒めていたら、まるで僕がさらさんに好意を抱いているみたいじゃないか……?
町長さんの勢いにでいつの間にかこんな展開になっていたけど、何なんだこの居心地の悪い空気は。
「成程、よ~く分かりましたよ! つまり、お互いに好意を持っているが、お恥ずかしいという事ですな! ハハハハ。何だ、そういう事だったら早く言ってくれれば良かったのに2人共!」
「いやッ、それはまた違いますって町長さん! ね! そうですよねサラさん!」
「は、はい……。でももしジークさんが本当に宜しければ、私は何時でも――」
なッ、何ぃぃぃッ⁉
ここにきてなんだそのサラさんの奥ゆかしい恥じらいは!
思わず抱きしめたくなって……って、違うだろ僕!
「アーハッハッハッハッ! やはりモテる勇者は大変だなジーク君」
イェルメスさんの何気ない余計な一言によって、レベッカとミラーナから更に強い殺意を感じ取った。
「ちょっと! 私の王子様と勝手に結婚なんて絶対に許さないわよ!」
「初めて気が合いましたねミラーナさん。私もジーク様にお仕えする身として、その結婚は到底認められません! ジーク様の結婚相手は私が認めた方でなければ断じてさせませんよ!」
「何でなんよ! 命を懸けて村を救ったのは俺だぞ村長! 普通俺にサラちゃんを勧めるだろ」
「ルルカは絶対ダメじゃな。論外」
もう止めてくれ……。
「私はジークさんと結婚なんて厚かましい事は考えていませんよ。ただジークさんが私に好意を抱いてくれている様なので、私もきちんと向き合いたいと思っているだけです」
おいおい、サラさん。そんな事を言ったら話がもっとややこしく――。
「あら、何かしらその上から目線の態度は。ジークアンタの事好きだなんて一言も言っていないわよ」
「そうですサラさん。勘違いされては困りますよ」
「確かにまだ好きとは聞いていませんが、今の発言は誰が聞いても“そういう事”だと思いますよ。だから決して勘違いではないと思うけど」
「有り得ない。こうなったら表でやり合うしかない様ね。全員ベヒーモスの力で蹴散らせてあげるわ」
「こらこらこらッ……! 皆そこまで――!」
こうして、何とかクラフト村を救えたのはいいものの、思わぬ修羅場を引寄せた今日という長い1日は幕を下ろした。
この後色んな意味でこの場を鎮めるのが大変だったのは言うまでもないだろう――。
~クラフト村・冒険者ギルド~
「――いやー、最近どうもポーションの入荷が悪いらしい」
「そうみたいだな。なんでもポーションの原料となる“魔草”がめっきり取れなくなっちまったそうだ」
「そりゃ困ったな。ここらの他の冒険者達も手に入れるのに苦労しているらしいし。何で急に魔草が取れなくなったんだ?」
「詳しくは分からない。でも聞いた話によると、今まで魔草が取れていた南の渓谷に“サラマンダー”が住み着いちまったらしくてな。奴の炎の影響で渓谷一帯が干からびてるらしいぞ」
「何ッ、サラマンダーだって⁉ アレは確かSランクモンスターだろ! 本物なのか⁉」
「さぁな、それは俺も分からない――」
昨日の修羅場から一夜明け、クラフト村はすっかり落ち着きを取り戻していた。
起きた事が事なだけに町長さんは村の人達に「ゆっくり休んで下さい」と呼び掛けていたが、皆思った以上に元気であっという間に日常に戻ったんだ。
まぁ色々慌ただしかったけど、僕も晴れて冒険者となった。だからこれから新しい依頼を受けようとサラさんがいる冒険者ギルドに来たのだが、話はここからまた急展開を迎える事になった――。
「ジーク君、君達はこれからどうするんだい?」
僕にそう聞いてきたのはイェルメスさん。
レベッカは当然ながら、もう当たり前の様にルルカとミラーナも隣にいる。
「そうですね……特に決めてはいませんが、これからは冒険者として1つ1つ依頼をこなしていきたいなとは思っています。生活もありますので」
「ハハハ、そうかそうか。ごもっともな意見だね」
「なんか流れでイェルメスさんにも同行させてしまいましたけど、イェルメスさんはもう戻るんですか?」
「本当はそのつもりだったのだがね。んー、どうもジーク君に見せてもらったあの赤い結晶に気になる事があるのでな。少し調べようと思っているんだ」
イェルメスさんは少し険しい顔をしてそう言った。
やっぱりアレは何か特殊な物なんだな。
「そう言えばまだ君にお礼を言っていなかったね。このクラフト村は私も昔に世話になった事がある大事な村だったんだ。町長を始め、村を救ってくれ本当にありがとうジーク君」
「そ、そんな! お礼を言うのは寧ろ僕ですよ! 急に押し掛けたにも関わらず色々教えて助けてもらって、本当にありがとうございました!」
イェルメスさんに感謝してるのは僕の方だ。
皆は村を救ってくれた勇者なんて言ってくれているけど、僕1人の力なんてとても小さい。レベッカ、ルルカ、ミラーナ、そしてイェルメスさんがいたからこそ結果この村を助ける事が出来た。
そもそもミラーナの件も今回の件も、元はと言えば全ては“僕のせい”なのかもしれない。
僕のこの『引寄せ』の力が、少なからず皆を困らせた可能性がある……。
でもイェルメスさんはこの力が世界を救える力だとも言ってくれた。魔王を倒した本物の勇者にはきっと足元にも及ばないだろうけど、それでも僕のこの力で救えるものがあるのなら、僕はこの力を人の為に使いたい――。
「イェルメスさん! 良かったらその調べるの手伝わせてもらえませんか? 僕もずっと気になっていて」
イェルメスさんがそれを調べると言うなら当然僕も力になりたい。大した事は出来ないけど。
「ジーク様、次のご依頼は決まりましたか?」
「ああ。決まったと言うか、イェルメスさんと一緒にこの結晶を調べようと思うんだ。って、いいですかねイェルメスさん?」
「勿論だとも」
「レベッカはどうかな?」
「私はジーク様がお決めになった事なら何処までもお供します」
この異様な赤い結晶の正体を知りたい。
初めて見た時から何となく胸がザワつく“嫌な予感”みたいなものを感じていたんだ。まぁ気のせいならいいんだけど。
と、そんな事を話していた瞬間、突如ギルドの扉が勢いよく開けられた。
――バンッ!
勢いよく開けられたドアが壁にぶつかり、ギルドにいた人達が一斉に入り口へと視線を向ける。するとそこには僕よりも少し幼そうな顔付きをした1人の男の子が立っていた。
「ハァ……ハァ……やっと見つけた! “お姉ちゃん”!」
「あら、“ジャック”じゃない。どうしてこんな所に――?」
男の子がお姉ちゃんと呼んだ視線の先にはミラーナが。
そしてミラーナもまたその男の子をジャックと呼んだ。
この2人にはごく自然な会話なのかもしれない。
だが状況がさっぱり分からない僕は困惑する他なかった。
「お、お姉ちゃん……? もしかしてミラーナの……」
そう。
目の前にいる男の子は普通の男の子ではない。
ミラーナ同様、こげ茶色の毛を靡かせながら獣耳と尾を生やした彼は間違いなく獣人族。
そしてミラーナは僕達の戸惑いを一掃するかの如く、その男の子の肩に手をポンと乗せながら「私の“弟”」と言ったのだった。
「そ、そうだったのか。弟がいたんだねミラーナ」
「ええ。別にそんな驚く事じゃないと思うけど。って、何で貴方がこんな所にいるのよジャック」
弟がいた事にそこまで驚きはない。
寧ろそれよりも気になったのは今ミラーナが言った様に、何故こんな所に来たのだろうという率直な疑問と、何故か弟のジャックという子が息を切らしながらとても不安そうな表情をしている事だ。
「お、お姉ちゃん! 渓谷が……皆が……国が大変なんだッ!」
「「……⁉」」
ジャック君の声がギルド中に響き、場はシンと静まり返った――。