我々の住んでいる日本では古くから独自の文化が生まれている。
例えば武士や忍者、歌舞伎などの伝統芸能、俳句などの歌、魚の生食などの食文化もそうだ。
計算され尽した美しい木造建築は木が良く育つ日本だからこそ育まれた匠の技。
そんな日本で30年ほど前に生まれたのがヒーロー文化だ。
ヒーローとは正義の名の下に悪を穿つ戦闘集団。
元はテレビで放送されていた特撮の戦隊ヒーローから派生した文化なのだが。
現在では活躍の場を現実にも広げている。
彼らの多くが所属しているのが(株)日本ヒーローズ。
日ヒロ所属のヒーロー達は日々生まれ続ける悪に立ち向かい国民からの信も厚い。
最近では警察よりも支持率を上げていると言うアンケート結果さえある程だ。
対してヒーローとは、正しく対になる存在として生まれた悪役怪人文化。
こちらは戦隊ヒーローの特撮の中に登場する敵役から派生した文化であり。
現実でもヒーローの敵として存在している。
悪役怪人の多くが所属しているのが(株)悪☆秘密結社。
これで読み方は“あくのひみつけっしゃ”と読むのだが、私は悪の秘密結社に所属する戦闘員だ。
名を戦闘員Aと言う。
悪の秘密結社は世間的には違法な犯罪集団と思われがちだが、その実情は違っている。
弊社はあくまでも日ヒロを筆頭としたメジャーヒーロー達の敵役として存在している集団であり。
犯罪歴のある者は書類審査の時点で落とされる程に徹底した社員の管理を行っている。
勿論社員が犯罪行為に手を染めた時の罰則も重い。
日ヒロのヒーロー達は時折不倫疑惑などで週刊誌を賑わせても何食わぬ顔で活動を続けるが。
我々の場合は週刊誌にすっぱ抜かれた時点で退所通告をされるぐらいには厳しく。
品行方正で清廉な者達が殆んどだ。
っとヒーローを貶める様な事を考えてしまったが我々は何もヒーロー達に対して悪感情を抱いていたりはしない。
何故なら弊社と(株)日本ヒーローズは業務提携を結んでいるのだ。
大切な取引先の相手に悪感情を抱くなど言語道断だろう。
そもそも我々悪の秘密結社の仕事が成り立つのはヒーローあってのものなのだから。
感謝こそすれ彼らに嫉妬したりはしない。
我々はヒーローでは無く悪役怪人に憧れてこの会社に就職したのだから。
「A先輩、聞いて下さいよ!また珍金戦隊コバルトンのコバルトブルーが新人アイドルと不倫したらしいっすよ!俺らもアイドルと付き合えないっすかねぇ」
こう言う不埒な輩もいるにはいるのだが我々は望んで(株)悪☆秘密結社に入社したのだ。
私は既に戦闘服に着替えてしまっているので言葉を話す事は出来ない。
ペンとミニホワイトボードを使って後輩の愚痴を聞く事にしよう。
「おはようございます!よろしくお願いします!あ!Aさんお久しぶりです!今日も派手なスタントお願いします!」
「イー!」
無事に後輩の不満を収めて私は今日の現場にやって来た。
近々取り壊されるビルを利用しての撮影で現場には既に撮影隊が入っている。
今挨拶に来てくれたのは良面戦隊サワヤカファイブのサワヤカミント君だ。
流石は最近勢いに乗っているイケメン戦隊だけあってスタッフ達への対応も爽やかである。
「Aさんおはようございます。よろしくお願い致します」
「イー!」
丁寧な言葉遣いできっちり45度頭を下げたのは(株)攫われ子役劇団に所属する卓君5歳だ。
(株)攫われ子役劇団とは悪役怪人に攫われがちな子役を派遣する派遣会社なのだが。
言葉遣いが丁寧過ぎて所属子役達に子供らしさが全く無い。
けれどもこれでカメラが回ると悪役怪人に恐怖する子供を完璧に演じるのだからプロ中のプロだ。
ミニホワイトボードで幾らか遣り取りをしていると本番の準備が整ったので撮影が始まる。
今日の撮影は日ヒロのウェブCM用なので尺は短目なのだが。
クレーンでビルの一部を破壊したり爆発の演出も入るので一発勝負の気合いの入る仕事である。
「よーい!スタート!」
監督の掛け声で撮影が開始され、私が卓君を抱えて走る。
同僚達が私の後に続いて弊社の若手のホープである悪魔怪人デビサタン君のもとへ卓君を届けた。
ビルの中は危険なので場所はビルの外である。
そこへ何処からともなく登場するサワヤカファイブの面々。
「悪役怪人よ少年を離せ!淀んだ悪はミントの香りで浄化する!例え歯磨き粉の匂いじゃんと罵られようとも!サワヤカミント!」
サワヤカファイブの前口上が始まり先程挨拶をしてくれたサワヤカミント君がセンターで格好良いポーズを取った。
私はデビサタン君の右斜め前方に立っているので特等席でヒーローの姿を見られるのも役得だ。
しかしながら。
私は悪役怪人に憧れて(株)悪☆秘密結社に入社した戦闘員Aだ。
戦闘員の代表として戦闘に入るタイミングを逃す訳にはいかない。
「良面戦隊!サワヤカファイブ!」
5人全員の前口上が終わってSの文字を作った。
ここまでがサワヤカファイブの登場シーンなので次はデビサタン君の台詞だ。
「またもや我に歯向かうかサワヤカファイブ!お前達!やっておしまいなさい!」
「「「「「イー!」」」」」
デビサタン君はほんのり時代劇の影響を受けているので時々ちょっと古臭い言葉遣いをするが気にしてはならない。
デビサタン君の言葉を受けて我々戦闘員の出番だ。
まずは切り込み役として私がサワヤカミント君目掛けて駆け出すとB、C、D、E、Fと総勢30名からなる戦闘員が続々とサワヤカファイブに襲い掛かる。
私は真っ先にサワヤカミント君と対峙して右のパンチを繰り出し、サワヤカミント君は左腕で流す。
右腕を引いた私が左ローキックを繰り出すとサワヤカミント君は後ろ宙返りをしながら躱した。
二度三度と攻防を繰り広げて私がやや優勢の雰囲気を出した所で卓君の声が上がる。
「頑張れー!サワヤカミントー!」
「てやぁ!」
卓君の応援を力に変えたサワヤカミント君は力一杯の右ストレートを私に叩き込んだ。
叩き込んだとは言っても実際に叩き込まれているのではない。
リアリティを追及する為にヒーローは全力で攻撃をするが。
そこから先はプロ戦闘員の仕事である。
サワヤカミント君の拳が頬に掠った瞬間、首を捻りながら衝撃を受け流し後方へと飛ぶ。
空中で縦に二回転と二回の捻りを加えた私が得意とするやられ技でもって戦場を離脱した私は。
地面を転がりながらカメラの画角から外に出た。
戦場を離脱した戦闘員は既に仕事が終わっているので後は撮影の見学である。
今日も良い仕事が出来たと自画自賛だ。
撮影は進み戦闘員は全員がサワヤカファイブにやられて退場した。
デビサタン君は捕まえていた卓君を返すふりをしてサワヤカファイブに攻撃を加える。
「ぐあっ!卑怯な!少年は今の内にこの場から離れるんだ!」
サワヤカミント君が卓君を逃がしてデビサタン君との戦いが本格化する。
「我の力を思い知れ!アイアンフィスト!」
デビサタン君がビルを背にしたサワヤカファイブに向けて両拳を振るうとビルで爆発が起こり窓ガラスが割れる。
同時にクレーンの鉄球がビルを叩いて大きく揺れ、瓦礫が上空から降って来た。
今日は本当に大掛かりな撮影だなぁ。
そんな風にのほほんと上を見上げてから地上に視線を戻すと。
降り注ぐ瓦礫の先に卓君がいた。
大人びたプロ子役として活動していても卓君もヒーローに憧れる5歳の少年である。
カメラの画角からは外れながらも良いポジションで撮影を見学したいと考えてビルに近付き過ぎてしまったのかもしれない。
っと今はそれ所じゃない!
戦闘員の何人かが卓君に気付いているが走って届く様な距離ではない。
寧ろ自分も巻き込まれる可能性があるのだから足が動かなくても仕方が無い。
ここはヒーローも悪役怪人も撮影隊もプロの集まりだ。
当然子役もプロなのだから撮影中に何かが起きたとしても自己責任である。
だがしかし。
そんな事はどうだって良い!
子供が事故に巻き込まれるのを黙って見過ごす大人が何処にいると言うのか!
私も卓君までの距離は遠い。
そして降り注ぐ瓦礫の範囲が広い。
つまり卓君のもとまで間に合ったとしても彼を抱えて瓦礫の範囲を抜けなければならない。
私と同じ事を考えたのか同僚の数人が動き出したが彼らの足では足らない。
ではどうするか。
ここはヒーローの力を借りる事にしよう。
この位置から卓君を救うには速筋戦隊ゼンリョクルスのゼンリョクレッドさんが使う超加速ミラクルダッシュを模倣するしかない。
好都合な事に戦闘員の纏め役である私は同僚達の戦闘訓練の為にヒーローの技を模倣してヒーロー役をやっている。
速筋戦隊ゼンリョクルスとの撮影も何度も経験しているのでかなり高いクオリティで再現出来ている。
私はクラウチングスタートの体勢を取ってから頭の中でスターターピストルの音を鳴らして低い姿勢のままダッシュする。
ゼンリョクレッドさんの超加速ミラクルダッシュは低い姿勢を取って空気抵抗を極限まで排除する事で爆発的なスピードを生み出す技である。
そのスピードは人類史上最速とも言われる程。
私はゼンリョクレッドさん程の速度は出せないが近いスピードで走る事が出来る。
速度を上げて一気に卓君までの距離を詰める。
上から迫る瓦礫に気付いた卓君が腰を抜かしてへたりと地面に座り込んだ。
私は卓君の目前まで迫っているが。
私と卓君の距離と卓君と瓦礫の距離が同じぐらいだ。
つまり私は瓦礫の落下速度を上回る速さで卓君を抱え、瓦礫の範囲を抜けなければならない。
普通の人間であれば不可能であろう。
だが。
今の私はヒーローを模倣した戦闘員だ。
この状況でヒーローが卓君を救出出来ないなんて事が有り得るか?
否、有り得る筈が無い。
私は更に体勢を低くして殆んど四足歩行の動物の様に走る。
短距離走のスタート直後の前傾姿勢を続ける感じで足に猛烈な負荷が掛かるが。
数秒あまりであれば持つだろう。
速度を上げた私はゼンリョクレッドさんが使う超加速ミラクルダッシュからの必殺技。
超速弾道タックルの要領で卓君を抱え上げた。
落下する瓦礫との距離は僅か十数センチ。
間に合え、間に合え、間に合えぇぇぇええ!
ゴンゴンと地面を鳴らす大きな瓦礫の音を背に聞きながら私は卓君を地面に下ろした。
「うわぁぁぁぁぁああ!ごめんなさいぃぃぃ!」
命が危険に及ぶ恐怖心を感じたのか子供の様に泣きじゃくる卓君。
いや、プロと言えども彼は間違いなく子供である。
カットがかかったのかこちらに気付いて。
ヒーローも撮影隊も集まって来た。
これから卓君は注意を受けるのかもしれないが、それも命あっての事である。
兎に角卓君が無事で良かった。
単なる戦闘員でしかない私だが。
日頃の訓練が誰かの役に立って良かったと心の底から感じる瞬間だった。
日ヒロウェブCM用の撮影は無事に(?)終了した。
今回は危険な事も起こったが。
我々の撮影はアクションが激しく特効も火薬や重機を使うので常に危険と隣り合わせではある。
その中で一人の怪我人も出さずに撮影を終えたのは素晴らしい結果だろう。
マネージャーさんから怒られた卓君に懐かれてしまい。
卓君が将来、弊社に入って戦闘員になると目をキラキラさせながら語ったのには焦った。
弊社に入って目指すならば悪役怪人であって。
どう考えても戦闘員は目指すべき場所ではないのだ。
それに卓君ぐらい出来る子であれば将来は素晴らしいヒーローになれるだろう。
ヒーローに対する強い憧れも伝わってくるのだから一時の憧れではなくじっくりと考えて。
その上で自ら進むべき道を選んで欲しい所である。
その後。
サワヤカミント君に日ヒロへ移籍しないかとスカウトされたりしたがやんわりと断って撮影場所を後にした。
撮影が終了すれば後は撮影隊によるバラシ作業となる。
演者は現地解散となって次の仕事に向かう者や会社へと帰社する者とそれぞれである。
我々戦闘員はウェブCMを以て外での仕事は終了となったので、帰社をして訓練場で訓練をする予定になっている。
悪役怪人は個別マネージャーが付いているので車での送迎になるが。
我々戦闘員は訓練も含めてランニング移動である。
マイクロバスで移動する場合もあるが、それは撮影場所が弊社のある区を出る時だけだ。
今回は撮影場所がギリギリ区内だったので十数キロ走って会社に戻る事となる。
我々戦闘員が集団で走っていても擦れ違う人々が警戒をせず。
寧ろにこやかに手を振ってくれたりするのは(株)悪☆秘密結社が地域に根ざした活動を地道に行っているからだ。
区内で行われる街の清掃活動や草むしり。
イベントのボランティアなどには戦闘員が派遣され、地域の方々との触れ合いを通して我々の事を知って貰う。
その甲斐あって区内では(株)悪☆秘密結社に所属する悪役怪人や戦闘員のイメージが非常に良い。
実を言うと弊社のある区内でアンケートを取るとヒーローよりも我々の方が人気が高かったりする。
『ここの信号は渡るのに時間が掛かるでしょう。私が貴女をおんぶして歩道橋を渡りましょう』
「おや、戦闘員さんすまないねぇ。それじゃあお願いしようかねぇ」
戦闘員は多くが入社3年以内の若手ばかりなので十数キロの移動でも大変である。
私は中学卒業と同時に入社した11年目なので、十数キロ程度の移動なら体力的にも精神的にも全然余裕だ。
なので3年目の戦闘員B君に先導を任せて多叉路で信号待ちをしているおばあさんに話掛けた。
話掛けたとは言ってもミニホワイトボードに文字を書いて伝えたのだが。
私はおばあさんの荷物を受け取り。
おばあさんをおんぶして歩道橋を渡った。
普段から体を鍛えている私からしたら大した運動ではないのだが。
おばあさんからは大袈裟に感謝されて飴玉を貰ってしまった。
おばあさんに感謝を伝えると私は会社に向けて走り出す。
こうしたイメージアップ戦略は私達、悪に属する存在にとって非常に重要だ。
それに加えて単純に。
人の役に立つのはとても清々しく、とても嬉しい事である。
会社へ向かう道すがら、主人の手から離れて走り去ろうとする犬を捕まえたり。
車に轢かれそうになっている少年を助けたり。
川で溺れている少女を助けたりしながら。
どうにか同僚達に追い付いて無事会社へと戻った。
ちょっと川に入ってしまったので足下が濡れているが。
水上戦士アメンボスのアメンボブルーさんが使う水上歩行を模倣して水濡れを最低限に留めたので許して欲しい。
会社は10階建てのビルで、形は普通のビルなのだが外壁は黒くて悪の秘密結社感を感じられる素晴らしい外観である。
1階で入場ゲートに社員証を翳して中に入り。
受付で帰社した旨を伝えると私だけ社長室への呼び出しがあった。
恐らくは今日の撮影で起きた事故(未然に防いだので厳密には事故ではないが)について聞き取りが行われるのだろう。
今日の現場は終わっているので戦闘員B君に後の指示を任せて、私は最上階にある社長室へ向かった。
ここでも我々戦闘員は自らを鍛える為に非常階段を使う。
入社した当初はこの階段移動が辛いと感じたりもしたが、今となっては1階を上がるのに2歩なので余裕だ。
30秒と掛からずに10階に上って社長室の重厚なドアをノックする。
すると中から女性の声が聞こえたので「イー!」と返すと社長室へと通された。
ダークトーンの社長室には執務机に両肘を付けて座る社長の剛力怪人ビッグゴリラさんと傍に控える青肌怪人ビジンヒショさん。
社長は弊社のNo.1怪人であり。
その存在感と威圧感は何度会っても格好良いの一言である。
「Aさんお疲れ様です。本日行われた良面戦隊サワヤカファイブとのCM撮影中に事故が起きたと聞いていますが。詳細の説明をお願いします」
今話したのはビジンヒショさんだ。
社長は口数が多い方ではないので私もあまり声を来た事が無い。
強者は余計な口を利かないと言う強い意志を感じて渋い。
ビッグゴリラさんは全戦闘員の憧れのスーパー怪人である。
っとそんな事を考えるよりも今は説明が先だ。
私はミニホワイトボードを使って撮影現場で起きた事を順を追って説明した。
卓君が瓦礫の下敷きになる寸前でどうにか助け出せた所までは詳しく話し。
その後の事は卓君と所属先の(株)攫われ子役劇団の事を考えてぼかしての説明だ。
当然だがサワヤカミント君に日ヒロへスカウトされた話などは言うつもりもない。
「デビサタンさんのマネージャーからの聞き取りと一致しますね。聞き取りについてはこれで結構ですので通常業務にお戻り下さい」
「ご苦労だった」
ビジンヒショさんから指示が出たので社長室を後にしようとした所で、ビッグゴリラさんから一言有難い言葉を頂いた。
憧れのスーパー悪役怪人からの言葉に。
思わず「イー!」と叫びたくなったが、どうにか抑えて深々と礼をするに留め社長室を後にした。
今日はこの後の訓練にもいつも以上に気合いが入りそうである。
私は15秒あまりで1階まで階段を駆け下りて。
前方宙返りと側方宙返りと後方宙返りを組み合わせて陽気に回転しながら。
ビルに併設されている訓練場へと移動したのであった。
―――――――
所変わって戦闘員Aが出て行った後の社長室。
「はぁぁぁああ。緊張した。大丈夫?俺のイメージ崩れてなかった?」
「社長は殆んど喋らなかったですから大丈夫では?そこまで気にしなくても良いと思いますが。Aさんは社長の人柄がどうであれ気にされる様な方ではないでしょう」
気が抜けた様子で机に突っ伏したビッグゴリラにやれやれと目を向けるビジンヒショ。
二人でいる時や悪役怪人が訪れた時には良く見られる。
普段の有りがちな光景である。
「Aは俺に対してキラキラした憧れの眼差しを向けてくれるからイメージを保つのに必死なんだよ。あれ少年がヒーローを見る時の目だぜ?失望させたくないじゃん」
「それについては今に始まった事では無いですからね。それにしてもAさんはまたとんでもない事をやってくれましたね」
ビジンヒショの言葉に身を起こして真面目な顔をするビッグゴリラ。
「ヒーローの技を真似て子役の少年を助けるって最早ヒーローだよな」
「はい。素行面が明らかにヒーローですね。能力面でも通常数ヶ月はかかる戦闘員の実践投入が直ぐに行えるのは。偏にAさんがヒーローの技を殆んど完璧に模倣しているからですし」
「そうなんだよ。Aは誰よりも率先して人助けするだろ?あいつって下手したらヒーローよりヒーローやってるからな。悪役怪人と戦わないだけで」
「撮影現場からの帰りだけで車に轢かれそうな少年と川で溺れていた少女を助けたみたいです。既に動画が上がっています」
「嘘だろ?息を吐く様に人の命救うじゃん。ヒーロー属性の権化じゃん。日ヒロ筆頭に戦闘員なんかやらせてるんだったらうちにくれって申し入れが凄まじい量届いてるんだよな?」
「そうですね。少なくとも週1ペースでオファーが来ます。もう聖人系悪役怪人として昇格させてしまっては如何ですか?」
「それは出来ないだろう。悪役怪人適正が最低ランクのAを昇格させたら、今まで適性の低さで諦めて事務職や営業職に移った者達に示しが付かない」
「だとしたら一生戦闘員Aですか。あれだけの人材を戦闘員で腐らせるのは惜しいと思いますが」
「自分からヒーローに転職してくれたらなぁ。でもAがなりたいのはあくまでも悪役怪人なんだよ。戦闘服に着替えたら絶対にイー!しか言わないのあいつだけだぜ?戦闘員でいる事に対するプロ根性が凄まじいのよ。そんな奴にお前は悪役向いてないからヒーローになれ!なんて言える奴いる?そんなの極悪怪人だぜ?」
「確かに。普段イー!しか言わないから新歓パーティーでAさんが普通に喋っていても全く気付かない人が多いんですよね。あのイケメン誰ですか?Aさんです。えー!?って流れを今までに何度やった事か」
「やっぱあいつヒーローだよ。誰よりもヒーローだよ。そう言えば撮影の救出動画も上がってるんだっけ?」
「そうですね。あ、、、日ヒロの出したヒーロー動画の10倍はバズってますね」
「また大量のオファーが舞い込むのか、、、」
「部下を守るのも上に立つ者の仕事ですよ。頑張って下さい」
「ビジンヒショも少し手伝ってくれませんかね、、、」
ビッグゴリラの予想通り。
当日から(株)日本ヒーローズだけでなくヒーロー系、芸能系、マスコミ系、スポーツ系、ボランティア団体など数多くの団体から戦闘員A移籍オファーが大量に舞い込み。
(株)悪☆秘密結社の社員は何時もの様に移籍オファーの拒否に忙殺される事になったと言う。
これも何時もの光景である。
「次は果獣戦隊メチャシトラスのグリーンライムさんが使う必殺技フレッシュ果汁乱れ突きを実演して貰う!最初の三回は避けて四回目の突きで後ろに刎ね飛ばされるのが理想のやられ方だ!それではAさんお願いします」
「イー!」
訓練場に移動して、同僚である戦闘員を相手に次回撮影の予定があるヒーローの必殺技を模倣する。
フレッシュ果汁乱れ突きとは。
開いた手の指をやや曲げて両手を同じ速度で外、内、外、内と物凄い速度で動かす技である。
残像すら見える速度で動かすので指の残像が柑橘を絞った時に広がる果汁の様に見える。
グリーンライムさんは指の力が物凄いので少し掠っただけでもそれなりの怪我をするだから食らい方には注意が必要だ。
と言っても私は当たりそうになれば当たる瞬間に加減をするので怪我を負う事は無いのだが。
一人ずつ順番に稽古をしていき、合格者がどんどんと列から外れる。
最後の一人まで合格したら次のヒーロー技に変更してまた一人ずつ稽古をする。
これが我々戦闘員の訓練風景だ。
「先輩。自分今日初めて現場に行ったんですけど、Aさんの再現率ヤバいっすね。Aさんとの訓練が無かったら普通に怪我してたと思うっす」
「当たり前だろう。お前うちの会社の動画見てないな?戦闘員Aのヒーロー模写って動画見てみろ。スローモーションにして漸くズレが認識出来るってレベルの再現度だぞ。動画内で検証した結果、模倣の精度は98%だ」
「すげぇ。最早ヒーローじゃないっすか。うちって日ヒロに比べたら給料安いし待遇も良くないのに。どうしてヒーローにならなかったんすかね?」
「Aさんはヒーローよりも悪役怪人に憧れてうちに入ったらしいからな。けどAさんがヒーローになっちゃったら戦闘員の質は確実に下がるからな。会社としても簡単には出せないだろう。Aさんがいつ出て行っても良い様にBさんがヒーロー模写を頑張っているけれども。最新版で再現率63%だ。それでも凄い数字だけどな」
「そうなんすね。いや、普通に訓練なら63%でも充分っすけどね。98%って本人でも毎回再現するの無理じゃないっすか?」
「お前もそう思う?体調次第でもっとブレるよな普通」
そんな風に雑談をしている戦闘員達がいるのだが。
稽古を終えた戦闘員達は訓練をするか休憩をするかは自由なのだから何の問題も無い。
弊社はノビノビとした育成をモットーにしているのだ。
18時を知らせるチャイムが鳴り。
終業時間となったので訓練を終わらせた。
弊社は基本的に残業不可のホワイト企業なので終業時間になれば全ての社員が一斉に上がる。
ビルの中は管理人さん数人だけが残って真っ暗になるので外壁の黒さも相まって外からだと夜は非常に見辛かったりする。
なので弊社の前は若干街灯が多かったりするのだが。
これは単なる豆知識である。
同僚と食事に行ったり飲み会に行ったりする者が多い中。
私は会社から真っ直ぐに住んでいるアパートへと帰った。
ここは狭い安アパートだが会社から徒歩5分の距離にある好立地なので。
入居してから15年住み続けている。
部屋に入ったら冷蔵庫にある物を使って適当に料理を作り。
食事を摂ってから大画面の液晶モニターを起動した。
今日は日ヒロで新たに生まれた新人ヒーローの紹介動画が公開された筈である。
今から彼らの技を見て模倣の為に研究をしなければならない。
何度も繰り返し見て。
覚えたら体を動かして細かな確認。
部屋の外に出て道路で実践。
習得出来たら部屋に戻り。
続きを見て一つ一つの技を模倣していく。
彼らは新人なのだからこれからどんどん強くなり、技の精度も上がっていく事だろう。
今の状態から将来的に到達するであろう精度までの振り幅で模倣する事によって。
ヒーローの成長に合わせた微調整を行うのが密かに私の得意技である。
技の研究が終わって風呂に入ったら御褒美タイムだ。
御褒美は勿論、憧れである悪役怪人の動画漁りだ。
眠くなるまで動画を見耽って眠くなったら寝る。
朝起きて食事を済ませたらしっかり目に体を動かして出社する。
撮影が入っていない日の戦闘員は案外と忙しい。
午前中は取引先と連絡を取り合ってオンラインで次回の撮影に関する打ち合わせ。
力仕事などの雑務に電話番。
宣伝用の動画撮影などを行って。
午後から訓練とトレーニングを開始する。
我々は華やかなヒーローとは違う。
スポーツに例えるならば彼らはプロスポーツ選手であり、我々戦闘員は社会人のアマチュアスポーツ選手だ。
悪役怪人ともなればプロとして年俸制での契約となるものの。
戦闘員の段階だと月給制で戦闘員以外の仕事も熟さなければならない。
そうは言っても戦闘員の先に悪役怪人になる道があるのだから。
私はいつの日か悪役怪人に昇格出来る様にと日々の職務に邁進していくだけである。
世知辛い話をしておくと悪役怪人になれば給料が年俸制に変わるのだが。
ヒーローと比べるとプロスポーツで言う一部リーグと二部リーグぐらいの差があるとは加えておこう。
私はどちらの給料事情にもちょっとばかり詳しいのだ。
取引先の方々と素顔での打ち合わせを終えたら戦闘服に着替えて全フロアのゴミを集めてゴミ置き場へと運ぶ。
ゴミ捨ては小まめにやっておかなければ悪臭の原因になるので出来るだけ毎日行っておきたい。
あまり人の悪口を言いたくは無いが弊社はその辺ずぼらな人達が多いのだ。
お弁当の残りとかが剥き出しで捨てられていたりするので、私が出張から帰ったら虫が沸いていた事があった。
社屋でコバエが繁殖しているのは環境的にも気分的にもあまりよろしくない。
そう言った状況を放置出来る者達だからこそ、弊社の社員たちは悪の存在でいられるのかもしれない。
残念ながら見習おうとは思わないが。
ゴミ捨てと他の部署の社員達に頼まれた雑務を終えたら訓練場で体を動かす。
今日は昨日のおさらいから始めて。
昨晩動画で研究した新人ヒーローの立ち回り解説、実践を交えた手合わせを退社時間まで行った。
金曜の夜は皆遊びに出るのだが、私は自宅に帰ってしっかりと休む事にしているので牛丼チェーンに寄っておかずを買ってからアパートに帰った。
買ったのは精が付けばと思い鰻の蒲焼きだ。
普段は栄養バランスを考えた薄味の食事を摂っているのだが、金曜日だけは好きな物を食べ事にしている。
土日は仕事ではないのだが色々とやる事があるので金曜のこの時間が私のリラックスタイムだ。
今日はヒーローでは無く好きな悪役怪人の動画を見ながら食事を摂って就寝する事にしよう。
土曜日の朝が来た。
今日はプライベートでヒーローショーへの出演を頼まれている。
朝食を済ませたら直ぐに出掛ける事とする。
ウォーミングアップも兼ねてバスや電車は使わずに一時間走ってデパートに到着。
道中で横断歩道を渡る野良猫が車に轢かれそうになっていたのをどうにか助けるハプニングに見舞われたりもしたのだが。
早めに家を出ておいたのでヒーローショーの時間には余裕で間に合った。
ヒーローショーが行われるのはデパートの屋上だ。
屋上に行くと既にスタッフの皆さんがいたので、台本を貰って楽屋に入った。
今回の出演は残念ながらヒーロー側のスタントである。
私の気持ちとしては悪役怪人をやりたかったのだが。
皆の役に立てるならばどんな役でも真剣に熟すのに変わりは無い。
開園時間間近になるとショーを見に来た親子連れで屋上の客席が埋まった。
子供達はこれから始まる格好良いヒーローショーにキラキラと目を輝かせている。
私も彼ら彼女らの期待に応えなければ立派な悪役怪人になんてなれはしないだろう。
さあ、本気のショーを始めようか。
ちょっと本気でやり過ぎてしまってヒーロー本人が来ていると言われ、騒ぎを起こしてしまった事を謝罪したい。
ヒーローショーは30分の公演を夕方まで続けたが、全ての公演で満員御礼だった。
出演が終わると顔見知りになったスタッフさんを手伝って舞台のバラシをしてから自宅に帰る。
ショーを主催していた代表からうちで働かないかとお誘いを受けたが丁重にお断りをした。
今日は沢山の子供達の声援を浴びて気分が充足している。
送って貰ったショーの動画を見て立ち回りの確認と一人反省会をしてから眠りに就く。
日曜日はボランティアの日だ。
戦闘服に着替えてから区内で行われる清掃活動に顔を出し。
区内をパトロールして困っている人がいたら手助けをする。
随分と気温が上がってきたせいか熱中症で倒れている人を複数見掛けたので処置をしたり。
迷子の犬を捕まえたり。
川で溺れている女の子を助けたりして。
夜になったら自宅へと戻った。
明日は朝が早いので早めの夕食を摂ったら直ぐ眠りに就くとしよう。
さて、明日は忙しくなるぞ。
月曜日。
今週一週間の仕事始めだ。
今日は弊社のプロモーション動画撮影が入っているので朝から予定がびっしりと詰まっている。
(株)悪☆秘密結社では月に一本のペースで所謂ヒーロー視点ではなく。
悪役怪人視点の動画を撮影してWEBサイトで公開している。
これによって我々プロの悪役怪人と戦闘員を身近に感じて貰おうと言う目的がある。
このプロモーション動画を公開し始めてから弊社への就職希望者が増えたのだから。
良い人材を確保する為にも手を抜けない仕事の一つだ。
そもそも手を抜いて良い仕事など一つとして存在しないのだが。
5時に起床して朝食を摂り。
体を動かしてから6時半には出社する。
いつもであれば管理人さんしかいない時間なのだが。
既に数人の社員は出社していてパソコンを触ったり電話をしたりと忙しそうにしている。
私も直ぐに移動しなければならないので更衣室で戦闘服に着替えてから会社を出た。
今から向かうのは(株)攫われ子役劇団、略称攫劇の本社である。
私は滅多に使わない社用車に乗り込んでエンジンをかける。
基本的には走って移動をする我々戦闘員が車を使うのは取引先のヒーローや子役を迎えに行く時ぐらいだ。
今回の場合は攫劇で子役を預かる手続きと、子役の子を撮影スタジオまで運ぶ為に車を使う。
弊社から攫劇までは車で10分の距離にあるので、あまりにも久しぶりのドライブを楽しんだらあっという間に到着した。
攫劇の社屋は地上5階、地下1階建てのビルになっていて外壁に動物の壁画が描かれている。
所属する子役達の大人びた雰囲気とは真逆の非常に可愛らしくポップな印象で幼稚園や託児所の様だ。
そんな中に戦闘員が入って行くのは普通であったなら通報案件だろうが、弊社のある区では見慣れた光景なので今更誰かが通報したりなどはまず無いだろう。
ビルに入ると朝から冷房がしっかりと効いていてとても涼しい。
私は三ヶ月に一度はここを訪れているので顔見知りの受付嬢さんにホワイトボードで挨拶をしてから滑り台を使って地下に下りた。
こうやって子役達を楽しませる工夫が随所にあると社会人11年目の私でも童心に帰った様な気分になってしまうから不思議である。
子役を預かる手続きは地下で行われる。
地下には幾つかのタブレット端末が置かれていて、その一つを操作して手続きを進める。
今回は既にオファーを済ませているので社名の所をタップして弊社を選択するのとオファーをした時に発行された番号を入力するだけだ。
データを送信したらウサギさんソファーに座ってしばし待つ。
ここにはボールプールがあったりするので本音を言えば遊びたくてウズウズしてしまう。
少しボールプールで遊んで待っていようかなと思った所で子役の子が滑り台を下りてやって来た。
「Aさん、おはようございます!今日もよろしくお願いします!」
元気にはきはきと挨拶をしたのは前回の撮影でもお世話になった卓君だ。
瓦礫の下敷きになりそうな所を助けた為なのか卓君はタッタッタと駆け寄って、立ち上がった私の足に抱き着いた。
やはりあれがあってから懐かれてしまったらしい。
子供に懐かれるのはとても嬉しい事ではあるのだが。
戦闘員である私に憧れの眼差しを向けられると少しばかり居心地が悪くなってしまう。
古株の戦闘員であっても3年もすれば悪役怪人へと昇格する中で、私はもう戦闘員歴が10年になる。
戦闘員と言う仕事に誇りを持ってはいるが、大学院出の新卒社員よりも上の年齢で未だに戦闘員と言うのは異例中の異例なのだ。
だから私では無くて素晴らしき悪役怪人を。
更に言うなら給料の面も含めるとヒーローに憧れて欲しいと大人としては思ってしまう。
勿論子供の夢を強制する権利は私には無いのだが。
そんな事を考えながらも卓君と卓君のマネージャーさん(卓君のお母さん)にホワイトボードを使って挨拶をしてから扉や壁が透明になっているエレベーターに乗って1階へと上がった。
ビルを出た所で卓君のお母さんが忘れ物をしたと言って戻ってしまったので卓君と手を繋いで駐車場まで移動する。
後になって思い返せば、私達はビルの中に戻って卓君のお母さんを待っていれば良かったのかもしれない。
それでもこの時の私は車へと移動する判断をしてしまった。
そして出会いたくない相手と出会う事になってしまったのだ。
「Aさん、あれってヒーローですよね?僕の知らないヒーローです」
卓君がそう言って指差した先にいたのは全身黒の衣装を身に着けた(恐らく)男だった。
甲虫の背の様に黒光りした仮面に尖った二本角。
筋肉の張り出したヒーロースーツに黒のマントを羽織り、エナメルのロングブーツを履いていて。
悪役怪人と言われてもおかしくない様な出で立ちをしている。
跨っている黒塗りのバイクが違法改造された様な見た目なのもそれに拍車をかける。
しかし卓君も言った通り、私の目にもあれはヒーローに見える。
いや、ヒーローにしか見えない。
そしてプロとして会社に所属している全ヒーローを記憶している私にも見覚えが無い事から結論は一つ。
あれは間違いなくインディーズヒーローだ。
私の背中に嫌な汗が流れる。
インディーズヒーローとは会社に属していない謂わばアマチュアのヒーローだ。
彼らは個人やグループ単位で活動をしているので活動内容はそれぞれであり様々。
しかしながらインディーズヒーローの多くにはある一つの共通点がある。
インディーズヒーローは我々悪役怪人や戦闘員を絶対的な“悪”として認識していて、我々を見るや問答無用で襲い掛かって来るのだ。
我々の様な悪役怪人や戦闘員にもインディーズは存在していて、そちらは本当に悪事を働いているのだが。
(株)悪☆秘密結社を筆頭としたプロの悪役集団は前科すら持たない一般市民である。
なので私達に危害を加えれば当然逮捕されるし、大怪我をさせれば懲役刑を食らう。
にも関わらずインディーズヒーローは悪と見るや誰彼構わず襲い。
彼らが“悪”と認識する我々の話には、まず聞く耳を持たない。
特に今の状況は拙い。
フレンドリーに手を繋いでいるとは言え、インディーズヒーローの目には私が幼気な少年を攫っている様にしか見えないだろう。
事実インディーズヒーローは私の姿を確認するとこちらへ向かって猛烈な速度でバイクを飛ばし道を塞ぐようにして横向きに急停車した。
「悪の戦闘員風情がこの俺の目の前で子供を攫おうとは良い度胸だ。お前、死んだぜ」
バイクを下りて私を指差しながらそんな事を言ったインディーズヒーローが私達と向かい合う。
インディーズヒーローを見掛けた瞬間。
私はいつも持ち歩いている単語カードであれがインディーズヒーローである事を卓君に教え、逃げる様にと伝えた。
これも私の判断ミスだったのだろう。
私がするべきは卓君を連れて攫劇のビルに逃げ込む事だったのだ。
だから卓君はこの場に残ってしまった。
そして一歩前に出て話の通じないインディーズヒーロー相手に正論をぶちまけたのだ。
「戦闘員Aさんは株式会社悪☆秘密結社に所属するプロの戦闘員さんですよ。僕は株式会社攫われ子役劇団に所属する子役です。Aさんは悪と見るや誰彼構わず喧嘩を売って傷害行為や窃盗行為に及ぶ貴方達インディーズヒーローと違って人を害する様な事はしません。寧ろボランティア活動や人命救助などで貴方達とは違って社会貢献もされてます。貴方達とは違って!」
卓君はヒーローや悪役集団と関わる事が多い子役なので、インディーズヒーローについての知識も持ち合わせているらしい。
卓君の言う通り、インディーズヒーローは彼らにとっての“悪”を倒して持ち物を持ち去る事で生計を立てている者が殆んどだ。
なので真の意味では傷害犯であり窃盗犯でもあるのだが、その正論はこの場に於いて非常に拙い状況を作り出す気がする。
事実、インディーズヒーローは卓君の正論を受けてふるふると怒りに打ち震えているのだから。
インディーズヒーローは私に向けていた体を卓君の方へと向けた。
「へぇ。お前もそっち側だったって訳だな。お前、死んだぜ。悪を穿ち悪に染まる。暗黒ヒーローブラックロダーク。参る!」
ブラックロダークと名乗ったインディーズヒーローは前口上を述べるといきなり卓君に殴り掛かった。
まさかインディーズヒーローがここまで愚かだと思わず。
一瞬反応が遅れた私は卓君とブラックロダークの間に入って強烈なパンチを背中に受ける。
背中に激痛が走るが受けた衝撃を利用して前方に飛び、卓君を抱えて三回転してから着地した。
これで一旦ブラックロダークとの距離は取れた筈である。
私は恐怖で体を震わせる卓君の背中をポンポンと優しく叩いてからブラックロダークと対峙した。
ここは大人の私に任せなさい。
背中でそう語って私はファイティングポーズを取った。
この戦いはいつも行っているヒーローを引き立てる為の華麗にやられる戦いではない。
粗暴なインディーズヒーローから卓君を守る戦いである。
今まで全てのヒーローに負けて来た単なる戦闘員の一人である私の。
絶対に負けられない戦いだ!
「へぇ、やるじゃねぇの。雑魚の癖によぉ!」
威圧的な言葉を吐きながらブラックロダークは一気に間合いを詰めて来た。
技などでは無く単純な肉体のポテンシャルでの移動だが、身体能力は間違いなく高い。
拳を振り上げたブラックロダークの攻撃が始まる。
「ダークネスパンチ!」
「イー!」
ブラックロダークはダークネスパンチと言う普通のパンチを放って来た。
私はそれを腕をクロスさせて受ける。
彼のパンチはインディーズヒーローとは思えない威力で。
私は体を後ろに流された。
日ヒロに所属して真面目に訓練を積めば上位のヒーローにも食い込めるポテンシャルを持っているだろうに。
この男はどうしてインディーズヒーローなどと言う横道に進んでしまったのか。
これだけの力を有している相手では戦闘員Aとして戦っていては不利だろう。
そう考えた私はヒーローの技を模倣して立ち向かう。
「ダークネスパンチ!ダークネスパンチ!ダブルダークネスパンチ!」
ブラックロダークの強烈な連撃が私を襲う。
しかし私は猛獣戦隊ニャンサンカンのニャンニャンイエローさんが使う受け技。
猫柳を使って全ての攻撃を往なす。
ニャンニャンイエローさんは猫柳からカウンターを得意としているのだが。
連撃が早過ぎてカウンターを狙うまでには至らない。
やはりインディーズヒーローとは言え戦闘員とは実力が違う様だ。
「クソが!早く死ねや雑魚が!ダークネスキック!」
恐らくは必殺技だったのであろうパンチを十数発も往なすと。
苛立ったブラックロダークが大振りの蹴りを放つ。
一瞬とは言え隙が出来た。
ここがチャンスだ。
柔拳戦士テンヤワランさんの関節捻じ切り投げを狙う。
説明しよう!関節捻じ切り投げとはとても物騒な名前をしているが。
相手の足を抱え、蹴りの威力を利用して蹴りの力が向く方向へと放り投げる物騒さとはかけ離れた投げ技である!
「甘ぇんだよ!」
ブラックロダークは私が足を抱えに行くのに気付くと蹴りを繰り出していた右足を引き。
引いた反動で勢いを付けた左足で蹴りを繰り出した。
私もどうにか反応して右腕で受けたが。
威力を受け流す為に数メートルも吹き飛ばされる。
やはり普段から戦闘員達と稽古をしているとは言っても本物の実践は全くの別物だ。
この戦い。
最高の結果は私がブラックロダークに打ち勝つ事だが、それより何よりも卓君を守り抜く事が最低条件だ。
なのでブラックロダークの意識が卓君に向かない様に。
私が手を休めている暇は無い。
「イー!」
一気に間合いを詰めて私がパンチを繰り出す。
私はパンチを当てるよりもブラックロダークを掴んで拘束する事を優先する。
顔へのパンチをフェイントにして腕を掴みに掛かるがブラックロダークは腕を引いて軽く往なし右で手刀を繰り出して来た。
左腕で受けるが威力の乗った一撃でガードをしてもかなりの痛みがある。
拘束を優先して戦うのは無理か。
ならば直近で目にしている良面戦隊サワヤカファイブのサワヤカミント君の立ち回りで迎え撃つ。
「死ね雑魚!死ねぇぇぇええ!」
悪役怪人よりもよっぽど悪っぽい雑言を並べて攻撃するブラックロダーク。
幾らヒーロー達の味方になるのか敵になるのかが最後までわからずに子供達をドキドキワクワクさせるダークヒーローを目指しているとしても。
そんな言葉遣いでは子供達からの支持は得られないぞ。
対して私は清涼感抜群の超爽やかヒーロー戦隊でセンターを担うサワヤカミント君の立ち回りである。
ブラックロダークの力任せに近い攻撃に対して武術を基本とした綺麗な型で受け、力の乗った一撃を放つ。
サワヤカファイブの面々は全員が武術の心得があって一本芯の通った戦い方をする。
その中でもサワヤカミント君は学生時代に空手で全国優勝した経歴を持った実力者だ。
彼の動きを模倣する事で喧嘩殺法のブラックロダークに肉薄し、徐々に私が優勢となる。
「Aさん頑張れー!」
卓君のサワヤカミント君に向けるような声援が私に掛かる。
私達戦闘員だって期待をしてくれる子供の声に応えてこそプロだろう。
戦闘時間は然程ではないものの。
短時間戦闘を想定していたブラックロダークの動きは時間を経るごとに鈍くなる。
ダークネスパンチ(普通の右ストレート)を左腕で受けた私の繰り出した爽やか正拳がブラックロダークの腹に決まった。
ブラックロダークは数メートル吹っ飛んでよろりと着地する。
単なる戦闘員から食らった予想外の一撃にブラックロダークは明らかな苛立ちを見せる。
「雑魚の癖にふざけんな!お前みたいなのは俺の一撃で地面に沈む為に存在してるんだよ!もう許さねぇ!俺の必殺技で仕留めてやるよ!」
そう言ったブラックロダークは腰の後ろから何かを取り出して右拳に巻き付けた。
あれは一体なんだ?
日ヒロ所属のヒーローが使う必殺技はあくまでも特効やCGを使った技である。
流石に攻撃で悪役怪人を爆発させたりビームが貫通したりすれば人殺しで逮捕されてしまうのだから。
撃てる撃てないは別にして実際に必殺技を撃つヒーローはいない。
しかしインディーズヒーローはそう言った事情を知らない者もいて。
過去には武器や爆弾を仕込んでいる者もいた。
インディーズヒーローとはそれだけ危険な存在なのだ。
つまり最悪あの巻き付けた何かが周囲にまで影響を及ぼす何か。
最悪の場合は爆弾である可能性がある。
「次の一撃で決めてやるぜ!」
あれが爆弾だとしたら自爆技か?
拳に爆弾を巻き付けて攻撃するような者が果たしているだろうか?
いや、ブラックロダークはインディーズヒーローの中でも格別にアウトローで話が通じない感じがする。
そしてブラックロダークは右拳を口元に持って行って歯でピンらしき物を引き抜いた。
ああ、最悪だ。
あれは本当に爆弾かもしれない。
このまま爆発させたならば。
私だけでなく卓君が爆発に巻き込まれて街にも大きな影響を及ばすだろう。
最早テロリストに成り下がったブラックロダークは私が何とかしなければならない。
「イー!」
私は先日卓君を危機から救った時と同じ速筋戦隊ゼンリョクルスのゼンリョクレッドさんが使う超加速ミラクルダッシュを使って卓君のもとへ向かい。
卓君を抱き上げて一気にブラックロダークとの距離を取る。
「逃がすかよぉ!」
ブラックロダークが私を追ってくるが元より逃げる気などはない。
充分な距離を取って卓君を下ろすと私はブラックロダークに向かって超加速ミラクルダッシュを使う。
身体能力に優れたインディーズヒーローとヒーローを模倣した戦闘員。
常人たらざる速度で一気に互いの距離が詰まり、私達は交錯する。
「ダークネスボンバー!」
ブラックロダークのダークネスボンバー(普通の右ストレート)が猛烈な速度で私を襲う。
だが私は辛うじて右に避けて腹を叩いた。
ここからはもう模倣ではなく私自身での勝負だ!
くの字に曲がったブラックロダークの体を全力で蹴り上げるとブラックロダークの体は十数メートルも空へと投げ出され。
私はブラックロダーク目掛けて強く地面を蹴った。
体勢を整え辛い空中にありながら私目掛けて拳を振るうブラックロダーク。
その攻撃に私も拳で応える。
私一人の犠牲で卓君が、街が救われるのならば本望だ。
私達の拳と拳がぶつかり合った瞬間に特効でも滅多に見ない強烈な光が放たれて私の意識はそこで途絶えたのであった。
「Aさーん!Aさーん!うわぁぁぁぁぁああ!」
ブラックロダークと言うインディーズヒーローによる自爆テロ事件の現場では子役をしている少年の悲痛な声が響いていた。
日本を震撼させた凄惨な事件でありながら。
それを奇跡と言うべきか、テロ事件の犠牲者となったのはたった一人の戦闘員であった。
事件の犠牲となり。
勇気を持って自爆テロ犯に立ち向かった一人の戦闘員には全国から。
世界中から賞賛の声と深い悲しみの声が届いたと言う。
不思議な事に彼の体は爆発で粉々に吹き飛んだのであろうか。
肉片どころか骨片の一つすらも残っていなかったのだと言う。
ブラックロダークとの戦闘中に気を失ってしまった私は強烈な頭痛を覚えて目を覚ました。
どれだけ気を失っていたのかはわからないが。
戦闘服の手首の内側に埋め込まれた時計を見る限り10分も経っていないのではないかと思われる。
私とブラックロダークの拳がぶつかり合った瞬間。
恐らくは爆発したのだろうと思われる発光があったので死を覚悟したのだが。
頭の痛みはあるものの五体満足で、戦闘スーツだけでなく腰に巻いているバッグすら無事なのは奇跡と言って良いだろう。
それにしてもここは何処なのだろうか?
私とブラックロダークとの戦闘は市中で行われていた筈だ。
故にこんな高木が生えている森林にいるのはおかしいだろう。
都内にも一応森林は存在するのだが。
この様に御神木みたいな木ばかりが生えている森林は有名な観光スポットになっていてもおかしくない筈だ。
となれば今の状況から導き出される結論としてはただ一つ。
私のやられ技が完璧過ぎて都外まで吹き飛ばされてしまったのだろう。
確かに私はこれまで戦闘員として如何に上手くやられるかの研究にも余念がなかった。
だからこそ無意識であっても完璧とも言えるやられっぷりで、まさかの都外まで飛んでしまったのだろう。
一体飛距離が何キロメートルで何回転して何回捻ったのか心底気になる所ではあるが。
都外まで飛んでしまったのだとしたら、無事を伝える為に出来るだけ早く帰らなければならない。
弊社や他の取引先はまだしも。
私の戦闘を目の前で見ていた卓君は私がパンをモチーフにしたキャラクター系ヒーローの必殺パンチで殴り飛ばされる様なやられっぷりを見て心配しているに違いない。
あの子はどれだけ大人びていても5歳の子供であって。
大人びているからこそ普通の子供とは違って余計な事にも頭が回ってしまう。
私に及んだ危険が卓君にとって余計な事とは思わないが。
少なくとも私がブラックロダークと戦ったのは戦闘員として当然の義務であり卓君が気にする事は何一つとして無いのだ。
寧ろ私をこれほど遠くに吹き飛ばした爆発に巻き込まれて卓君が怪我をしていないかと心配で仕方がない。
兎にも角にもここが何処であるのかを把握するのがまず始めにしなければならない事だろう。
そうやって思考を回していたら頭の痛みが随分落ち着いた。
場所を把握するのであればスマートフォンのGPSが使えるだろう。
戦闘服に着替えた私の鞄にはスマートフォンとミニホワイトボードとホワイトボード用のペンぐらいしか入っていないのだが。
スマートフォンがあれば電子決済で交通機関を利用する事が可能なので長距離移動も問題は無い。
明らかに電波の届かない森林の中なので会社への連絡は期待出来ないがGPSで履歴を辿れば私が何処まで吹っ飛ばされたのかある程度は把握する事が可能だろう。
スマートフォンの電源が落ちていて故障が懸念されたが電源ボタンを長押しすると問題無く電源は入った。
電源は入ったがスマートフォンに表示されたものを見て私は驚愕する。
知らぬ間に変なアプリをインストールしちゃったのかもしれない。
画面には戦闘員Aと言う私の名前とSTRとかVITとか何だか良くわからない項目が書かれている。
戦闘服を着た私の姿も写っていて。
スマートフォンに写った私を画面を押しながら左右に動かすとクルクルと回って全身を確認出来る。
私の画像を長押しすると戦闘服などの詳細が出るみたいだ。
何やら謎のアプリが入り込んだ様だがウイルスでない事に期待をして色々と操作をする。
そして私は愕然とする。
私のスマートフォンは完全にウイルスに乗っ取られてしまった。
電波は圏外なので通話は不可能と。
ここまでは確定しているのだが。
私のスマートフォンは今、訳の分からないアプリに連なる操作しか出来なくなっている。
当然ながらGPSの履歴を確認する事も出来なければ、電波が繋がったとて電子決済も不可能だろう。
だって電子決済のアプリが開けないのだから。
何度か電源を入れ直してみても結果は全く変わらない。
これでまず私は都外からの。
文字通り足での移動が確定したのであった。
少しぐらいは現金も持ち歩いておくべきだった。
そう考えたってもう遅い。
トレーニングと思って走って帰るしか方法が無いのだから諦めて走るしか手段は無いだろう。
私がスマートフォンを触りながら頭を抱えたり。
頭を抱えたり。
頭を抱えたりしていると。
前方の茂みがガサガサと音を立てて見た事の無い動物が姿を現した。
体長が1メートルぐらいある卵色の巨大なウサギらしい生き物。
フレミッシュジャイアントと言う世界最大級のウサギだと大きいものでこのサイズまで成長するのかもしれないが。
目の前のウサギは更に鹿の様な二本の角が生えている。
私の知る限り鹿の角が生えたウサギはいないので作り物でなければ日本で初めて発見された新種のウサギかもしれない。
毛並みはもふもふしていてとても触り心地が良さそうなのだが、、、
「シャー!シャー!」
明らかに私を威嚇して獰猛な目を向けているので現状可愛げはあまり無い。
今にも襲い掛からんとして後ろ足に力を入れているのがわかる。
そして謎のウサギが私目掛けてダッシュして私の腹にぶちかましを見舞った瞬間。
私は得意の二回転二回捻りで応える為に後ろ方向に飛び上がった。
と思ったのだが。
うぉぉぉおお!?物凄い高さが出ている!?
後ろ方向に飛び上がった筈の私は縦に10メートル以上も飛んで周囲に生える木々の高さすらも超えてしまった。
人の身体能力を超えた異常なまでの跳躍にブラックロダークとの戦闘での今まで隠されていた能力の覚醒を実感した私は。
縦横に何度も3D回転をしながら地面に着地した。
もう回り過ぎて何回転したかも何回捻ったかもわからないが確実に私の今までの記録は更新したと言い切れる。
それだけの凄まじいやられ技を披露した私だったが一つだけ大きく後悔した事がある。
とんでもない跳躍から調子に乗ってグルグル回転したせいで先程発見した新種のウサギを見失ってしまった。
今の私には早く帰ると言う目的があるのでウサギを探して捕らえている時間は流石に割けない。
私は一つ溜息を吐いて森林の中を闇雲に走り出した。
闇雲とは言ったが10メートル越えの大ジャンプが出来るようになった私は上空から手掛かりを探す。
気分は有名ゲームの主人公である髭の兄弟である。
上空から線路かせめて何かの人工物でも見えないかと思って探すものの。
全くと言って良い程に手掛かりは見付からない。
日が昇り切ってややお腹が空いて来た頃に湖を見付けたので一度休憩をしようとそちらに向かった。
湖は大きくはないがかなり深そうで私が湖面を覗くと。
明らかに外来種としか思えない凶暴そうな魚がバッシャバッシャと寄って来た。
その内の数匹が湖面から飛び出して鋭い歯を向けて来たので歯と明らかに鋭そうな鰭に気を付けて上手い事キャッチ。
それを陸に放り投げる。
魚は50センチ以上ある大物なので二、三匹も食べれば充分お腹が膨れるだろうか?
内臓が食べられるかわからないので多めに五匹確保しておいた。
「アァー!アァー!」
魚の発声器官は浮袋と聞いた事がある気がするのだが。
陸上でビチビチと藻掻きながら喉から出す様な声を出している魚達。
捕まえた魚はどれも同じ種類なのだが、顔はピラニアで体はアロワナみたいな見た事も無い姿をしている。
ピラニアもアロワナも食べられる魚だった筈なので多分いけるだろう。
歯が鋭いので噛まれない様に気を付けながら頭とエラの所を掴んでポキッと折って絞める。
折った頭を外したらズルっと内臓まで外に出て来た。
これは下処理が楽で良い。
身は見た目通りに白身魚っぽく。
骨は太そうなので五匹確保しておいて正解だったかもしれない。
この魚は明らかに外来種なので食べてしまうのは悪い事ではないだろう。
寧ろ在来種を保護する為には積極的に数を減らしていく事が重要だろう。
私はアマゾン川周辺の魚について詳しくは無いが、身に猛毒を持つ観賞魚が輸入されて売られる事は今の時代有り得ないので。
あるとしても弱毒だろうからきっと食べられる!と自分に言い聞かせてみる。
魚を食べるとして。
湖の魚を生で食べるのは危険なので先ずは火熾しをしなければならない。
森に入れば薪になりそうな物は幾らでもあるので、五匹全部を絞めてから森に入った。
入って五分も掛からず良さそうな薪が集まったので湖畔に戻って火熾しに挑戦する。
私は今の状況にあっては、残念な事に煙草を吸わないのでライターを持っていない。
当然火付け用のキャンプ用品なんて物も無いし虫眼鏡も持ってはいない。
なので木を擦るか石を使って火熾しするしかない。
きっと火打石に向いている石とかがあるのだろうが。
私にそんな知識は無いので試しに転がっていた二つの石を全力で打ち付けたら驚くべき事に火花が散った。
但し使った石は砕けてしまったが。
どうやら湖畔に転がっている石はどれも火付けに適した石らしい。
キャンプ好きの同僚から聞きかじった情報を思い出すに。
松ぼっくりの様な燃えやすい物から順番に燃やしていくと良いとの知識は備えている。
そんな俄か所ではない似非キャンパーの私でも松ぼっくり(らしき果実)、樹皮、細い枝と火を点けて。
最終的にはしっかり薪と呼べる様な太い枝に火を点ける事に成功した。
全く以て同僚様様である。
焚火が作れたので魚を焼いていこうと思うのだが、焼く前に少しばかり身を洗いたい。
しかし湖には獰猛な魚達が餌待ちをしている。
今の状況で身を洗ったとしたら。
即食い付かれて一瞬で食べる身がなくなってしまう未来が目に浮かぶ。
ならば囮として餌を与えてやれば良いか。
そう思い立って私は身から外した頭と内臓を少しばかり遠い位置に投げ込み。
湖面から見える魚達の注意を逸らしてササッと湖の水で身を洗った。
投げ込んだ頭と内臓は空中にある時点で複数の魚が飛び付いていて湖面に落ちると一瞬で食いつくされていた。
こんな獰猛過ぎる魚が繁殖して大人しい在来種は生きていられるのだろうか?
水を抜いて数を減らすとかそんな状況は既に余裕で通り過ぎている気がする。
私みたいな戦闘員が環境についてあれこれと考えても仕方が無いので私は考えるのを止めた。
ナイフなんかを持っていれば枝を削って串を作れたのだが。
そんな便利な物は今の私の手元に無いので丁度良い枝に魚の身を刺して遠火で焼く。
普通はこんなに大きな魚を串焼きにはしないのだろうが、道具が無いのだから仕方が無い。
魚の重量に耐えられる様にかなり長めの枝を使い、地面に深く刺して固定しているので枝が折れなければ後は向きを変えるだけで大丈夫だ。
多分大丈夫だ。
きっと大丈夫だ。
片面を十五分焼いて裏返し。
もう片面も十五分ほど焼くと魚の焼ける良い匂いがしてきた。
魚自体が大きいので中までしっかり火が通るにはもう少し時間が掛かるかもしれないが、非常に食欲をそそる香りである。
追加で十分焼いて地面から串を一つ抜く。
この魚は鱗が大きくて硬そうなのでこんがりと焼けてきつね色になった鱗を皮ごと剥すと綺麗でプリンとした白身肉が出て来た。
美味しそうな見た目で思わず唾を飲み込んでガブリと一口齧り付いた。
特徴的な外見をしていたこの魚だったが、味はクセが無くてとてもあっさりとした淡白な白身魚の味わい。
噛むと太い繊維がホロホロと解けて食感としては鰆に近い。
湖の水が澄んでいるからか臭みも一切感じない。
この魚の味を私なりに総評するならばこの言葉が適当だろう。
普通!
これと言って特徴が無く、可もなく不可もない味。
適当に焼いたにも関わらずパサパサしてはいないが、フワフワしてもいない。
そもそもだがこれだけ淡白な味わいだと調味料が必須になるだろうが、私の手元に調味料などと言う素敵アイテムは存在しない。
結果普通!
調理次第で化けるかもしれないので今後に期待としておこう。
しかしながらどれだけあっさりとした味わいであっても、普段から筋を取って茹でただけの鶏ささみを食べている私からすれば薄味に敵無しだ。
これはこれで寧ろ体に良さそうなので望む所だ。
捕った五匹分をしっかりと完食して。
残った皮と骨は湖にいる魚達が一瞬で処理してくれた。
本当にこの湖の魚達はお腹を空かせ過ぎではないだろうか。
焚火をしていて思ったが、今の季節は初夏であるにも関わらず焚火をしていて暑いとはあまり感じなかった。
もしかしたらここは随分と標高が高いのかもしれない。
少しばかり時間を食ってしまったがエネルギーチャージはバッチリ出来たので帰還へ向けてジャンピングダッシュを再開する事にしよう。