指輪のお陰で力を取り戻したシルヴィニアス。
 ターニャを抱いたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 そして目を(つむ)り、なにか呪文のようなものを唱え始める。


 突然身体の自由を取り戻した彼に驚いていた賊も、慌てて彼を止めようとするが……それはもう遅過ぎた。

 まばゆい銀光がシルヴィニアスを包み込む。
 同時に、彼の身体の一部がみるみるうちに変わっていく。

 頭部から狼のようなフサフサの耳が生え、口には鋭い犬歯。
 そして後ろには、もふもふの尻尾。

 ――そう、これが本来の彼の姿。
 シルヴィニアスは己を解放し、真の神獣人となった。


「ターニャ、ありがとう……」

 心からの感謝と愛を込めて、ターニャの唇にキスを落とす。
 その瞬間、出血が止まらなかったお腹の傷がシュワシュワと音を立てて塞がっていった。

「さぁ、起きてターニャ。目覚めの時間だよ」
「う、ん……?」

 一瞬で元通りになったターニャは彼の言葉に答えた。
 深い眠りから目覚めるかのように、ゆっくりと目蓋(まぶた)を開いたのだ。

「シルヴィ様……キレ、い……」
「待っていてね、すぐに終わらせるから」

 ぼうっと見つめてくるターニャを優しく床に降ろすと、恐ろしいほどに獰猛(どうもう)な笑みを賊へと向けた。

「さぁ、僕の大事な家族を傷付けた恨み。貴様らの命で晴らさせてもらおうか」



 それから起きたのは、圧倒的強者による蹂躙(じゅうりん)だった。
 賊はリーダーを残して全滅し、そいつも尋問の末に処分した。


「侯爵。僕達はこの国を去ろうと思う」
「国を……去るですと!?」

 昏睡状態から目を覚ました途端、シルヴィニアスは侯爵にそう告げた。
 突然消えると言われても、理解が追いつかない。


「このまま国に残っても、いずれ僕たちは殺されるだろう。だったら僕はターニャと共にどこか辺境の地で静かに暮らすよ。だから、侯爵。義理の息子の最後の願いをどうか聞いて欲しい」
「は……願い、ですか……?」
「そう、これは命令ではなく、あくまでもお願いだ。……僕達はこの事件で死んだことにしてほしい。せめて逃げる時間だけでも稼ぎたい」
「ああ……そう、いうことですか」

 つまりは侯爵家がシルヴィニアスを騙してターニャを押し付けたことは不問にするから、今度は代わりに面倒事を頼まれてくれ、ということなのだろう。
 ミーアも死んだことにすれば本命の相手とも晴れて結ばれるのだから、侯爵家としてもメリットがあるはず。
 というより、侯爵にその願いを断るなんて出来るはずもないのだが。


「分かりました。王家にはそう報告致します」
「頼んだぞ、義父上。ああ、それとこれは忠告なのだが……人とは変わる生き物だ。それは良くも悪くも、な。貴殿の家族への愛が嘘へと変わらぬよう、くれぐれも気を付けよ。……では、お元気で」

 シルヴィニアスは彼にそれだけ伝えると、指笛でヴァイスを呼び寄せた。
 美しい毛並みの白馬にターニャを乗せると、二人は風のように去っていった。




 ――数週間後。

 聖地の先にある、古びた小さな家にターニャとシルヴィニアスの姿があった。
 あの襲撃の後は追手が来ることも無く、こうして初代国王と神獣が暮らした地で平穏に暮らしている。

「どうやら侯爵は約束を守ってくれたようだ。まぁ、彼は嘘を()かなかったから信用していたけど……ターニャは本当に愛されていたんだね」

 彼の鋭い嗅覚や聴覚は、人間の匂いをただ嗅ぎ分けるだけでは無かった。
 悪意があるか、嘘を吐いていないかなどといった感情的な部分も分かるのだ。
 おそらく、発汗や脈拍、フェロモンといった様々な要素から判断できるのだろう。

 それは王子の家族、つまり国王や王子たちしか知らない、シルヴィニアスの秘密。
 だからこそ彼らはシルヴィニアスが王となり、自身の(たくら)みが告発される前に彼を亡き者にしようと襲撃したのだ。


「シルヴィは本当に私が妻で良かったのですか?」
「もう、まだ言っているのかい? 元より僕はキミを妻に迎えるつもりだったと、あれから何度も伝えたじゃないか」

 ベッドの上で布団にくるまった状態の二人はそう囁き合う。
 あの戦いの時にターニャが口にしたシルヴィという名が気に入り、それからはずっと彼女にはそう呼んでもらっている。

「どうして? シルヴィニアス様はミーア姉様に一目惚れしたのでは?」
「あはは、僕がいつ一目惚れしたって? 僕が最初に恋をしたのはターニャ、キミにだ」

 ミーアの件は父である国王の独断だ。
 面白いとは思ったが、好きだなんて思ったことは無い。
 一方で次期国王や神獣人といった肩書きに(とらわ)われず、等身大の自分を見てくれたターニャに本気で惚れていたのだ。

 だから迎えに行った時の覚悟は紛れもなくホンモノだった。
 侯爵が何と言おうと、必ずターニャを妻として連れ帰ると心に決めていたのだから。

 この五年間で、嘘や悪意に染まらず育まれた愛情は。
 人間不信にならず、あの心静かに過ごしたかけがえのない時間は。

 シルヴィニアスにとって、それらは紛れもない、真実の愛だったのだ。


「分かりました。信じます」
「いいの? もしかしたらデタラメな嘘かもしれないよ?」

 シルヴィニアスが意地悪な口調でそう言うが、ターニャは怒ることもなくクスクスと微笑んだ。

「大丈夫です。私は神獣人じゃなくたって、それぐらいは分かりますから」
「……なら、僕がこれからしようとしてることもバレバレかな?」
「もうっ……」

 ターニャが開きかけた口を、シルヴィニアスが強引に塞ぐ。
 この様子では、二人の愛を疑う必要もないだろう。



 ターニャとシルヴィニアスは誰にも邪魔されることなく、ここに自分たちの国を築いた。
 そして少しずつ家族を増やしながら、いつまでもいつまでも楽しく心安らかに暮らしたという。