「お前は追放だ!」

 王室へ入ってから一瞬、話す隙も無くそう告げられた。
 俺──『エアル・グロウリア』が十五歳の誕生日を迎えた次の日である。
 まあひどい。

「えぇ……」

 その速さに、思わず声が漏れてしまったほどだ。

「えぇ……ではないわ! お前のせいで私がどれほど苦労したことか!」

 つい先日、前国王であった父上が亡くなり、国王の座は目の前にいる長男──『クリス・グロウリア』に移った。
 それで最初に行う執務が、末弟である俺の追放とは中々のものだ。
 
 俺たちが住む『グロウリア王国』。
 ここはまさに魔法の力で権威を保っている国で、周辺国からも一目置かれる大国である。

 そんな王家の三男である俺は、第三王子だった。
 まあ、今まさにその“王家”が剥奪(はくだつ)されようとしているわけだけど。

 俺は一応なりとも反論してみる。

「そんな! 俺には心当たりは──」
「ないとでも?」
「……うっ」

 そして、すぐに口をつぐむ。
 それもそのはず、俺、エアルの別名は『ヤンチャ王子』。

 自由奔放(ほんぽう)な性格に始まり、この国では奇行を繰り返し(俺はそんなつもりないんだけど)、考え方も王家のそれとは程遠い。
 とても王族とは思えぬ自由な生き方をしているんだよね。

 それから決定打は……おそらく昨日の件(・・・・)

「ふっ。兄上、良いざまですよ」

 ふと口を開いたのは、王家の次男。
 一つ上の兄上である『メンド・グロウリア』だ。

 昨日、俺はいきなりメンドに決闘を申し込まれ、流れで対決をすることに。
 名目は俺の誕生日会の余興ということで、公衆の面前でだ。

 だが結果は……俺の圧勝。

 決闘を申し込んだのは「次席を証明したかった」とか、そういうことだと思う。
 メンドも王族の名に恥じぬ魔法の才覚を持ってはいる。
 でもまさか、五つも年下の俺に負けるとは思っていなかったのだろう。
 
 日々陰口やら嫌がらせを受けてきた俺は、ちょっと本気になってボコすと、メンドはその場で泣いてしまった。
 当然、勝つ予定だったのだろう。

 事前に盛られた腹痛薬は魔法で解毒し、俺を狙った仕掛けなんかも全て回避して、正面から倒した。
 誕生日会はその余興が最後のイベントだったので、なんとも言えない空気のまま終了となったが、昨日の今日で俺の追放が決まったようだ。

「お前というものは、王家の名を汚すようなことばかりしおって!」
「は、はい……」

 他にも思い当たる事は……あるにはある。

 良かれと思って進言したこと。
 俺が独自に研究を進めてきたこと。

 それらは、今のお堅い貴族や王家さん方にはどうもウケがよくなかったんだ。

 まあ、それもそうか。
 俺の発想は、こことは全く違う世界(・・・・・・)のものだしな。

「……」

 俺は転生者。
 元は『ニホン』とかいう国からやってきたんだ。

 “前世の記憶”が蘇ってきたのは、八歳の頃。

 俺は『ニホン』という国で普通の大学を卒業し、地元の企業に就職。
 だけど、その企業がよくなかった。

 そこは、一言で言えばブラック企業。
 今思えば、SNSなんかで投稿すれば大炎上しそうなほど過酷な環境。

 なぜそこを辞めたり、暴露しなかったのか。
 俺は多分、すでに企業の奴隷となっていたんだ。

 無駄に責任感が生まれ、終わる事のない仕事量を(しょう)(すい)しながら死んだ魚のような目でこなす日々。
 貰えるのは当然、低賃金。

 それで気がつけば過労死だ。
 今思えば笑えない冗談だよ。

 そんな記憶の反動で色々と遊んでいたら、追放(こんな風)になっちゃったわけだね。

「幸い、お前なら一人でも生きていけよう。もう二度とこの国に顔を見せるでないわ!」
「わかりました」

 兄上は怒り心頭の声で、俺を振り払うような仕草を見せる。

 兄上が「一人で生きていけよう」と言ったのは、俺が魔法の才能に(あふ)れているから。
 それでも、ほんの力の一端しか見せたことないけど。

「フン、強がるなバカ者め。王家を剥奪されたお前には、前までのように人は寄ってこぬぞ」
「……」
  
 正直、それでもいい。
 なにしろ、俺は国王になる気もさらさらないし、王家の責務なんかはまっぴらごめんだ。
 最近は面倒事もよく回されていたしなぁ。

 野望なんて大層なものは持ち合わせていなくて、ただ魔法が好きだから研究もしてきたし修行をしていただけ。
 幸い、魔法の才能はあったようで、どんどん出来ることが増える感覚は本当に楽しかった。

 前世からすると『魔法』自体が夢のような感覚。
 加えて才能もあるとなればもうやめられない。

 ただそんな俺は、嫉妬と憎悪に塗り固められた上流社会では特に邪魔な存在だったらしい。
 二人の兄上をはじめ、多くの貴族から相当に嫌われていた。

 俺は真っ直ぐ兄上に目を向ける。

「別に構いませんよ」

 だから、いつかは追放されるとは思っていたし、実際にされて清々もしている。
 返事が軽かったのもこんな思いからだ。

「ならば黙って出ていけ」
「それでは」

 負け惜しみなどではなく、こんなところは微塵も思い入れがない。
 言葉の通り、玉座を後にした。





「でもなあ」
 
 廊下を歩きながら、ぼそっとつぶやいた。
 
 思い入れはないが、後悔といえば一つだけ。
 本当は最後に顔を合わせたかった人が一人だけいる。

 そんなことを考えていると──

「エアル様~!」
「!」

 後ろから呼び掛ける声が聞こえてきた。
 俺は誰か確信を持って振り返った。

「シャーリー!」

 声の主は、今まさに思い浮かべていた人、俺が最後に顔を合わせたかった人だ。

 メイドのシャーリー。
 王家の中では唯一(?)味方してくれる人で、シャーリーがいるおかげで俺は大嫌いな王家の中でも日々を過ごせていた。

 俺に追いついたシャーリーは、息を切らしながらに問いかけてくる。

「追放されたというのは、本当でしょうか……?」
「そうみたいだ。ごめんね」

 ごめんねと言ったのは、彼女にも「この城のメイド」という役職があるから。
 別れを告げる意味を込めている。

「その件なのですが……」
「え、うん」

 だけど、シャーリーは俺の手をとって真っ直ぐに俺を見た。

「私もエアル様についていきます!」
「え……ええええ!」

 まさかの発言に俺はびっくりしてしまう。

「ダメだよ、シャーリー! 君はメイドという役職があるし、それに!」

 俺に付いて来るということは、もれなくシャーリーも無職だ。

 城の中でも間違いなく一番優秀なメイドである彼女。
 探そうと思えばどんな仕事でも見つかるだろうが、責任は持てない。
 
(おっしゃ)りたいことは分かります! ですが!」
「……!」

 そんなシャーリーは、ぐっと顔を近づけてくる

「私はエアル様と、どこまでも共に()くと決めているのです!」
「!」

 顔の近さと、共に鼻に入ってきた甘い匂いにドキドキする。

 シャーリーは優秀なだけではない。
 その美貌を(もっ)て、貴族社会の中でもかなり人気が高い。

 だがその分、同業者(メイド)や女性陣からは反感を買っており、嫌われ者同士というと少々気が引けるが、そんな感じで俺とはすごく仲が良かった。

「でもなあ」
「私にはすでに養う家族もおりません! 私が慕うべきはエアル様のみと決めております!」
「……そ、そっか」

 ここまで素直に告げられると嬉しいな。
 覚悟を持って言ってくれたのを追い返すのも心苦しい。

「わかった」
「……! それでは!」
「うん。付いて来て良し」
「ありがとうございます!」

 シャーリーの顔がぱあっと晴れる。
 でも一つ、先に伝えなければいけないことはある。

「シャーリー」
「なんでしょう」
「僕が行くつもりなのは、あの場所(・・・・)だよ」
「……!」

 それだけで察したようだ。
 だけど、シャーリーは「なーんだ」という表情で笑ってみせた。

「どこへ行こうとも、一番安全なのはエアル様の後ろでしょう」
「……!」
「私も行かせてください」
「ははっ、プレッシャーだなあ」

 そうして、了承を得たシャーリーも連れていくことに。
 
 

「こんなところかな」
「そうですね」

 『収納魔法』が付与された軽めのカバンを背負い、シャーリーと共に城の門を抜ける。
 この魔法によって、カバンには何倍もの容量が詰め込める。

 彼女もいつしか俺が追放された時のためと、お金や最低限旅に必要な物を揃えていたらしい。
 本当に優秀が過ぎるよ。

「う~ん! っと」

 城を出た先、晴天の空の下で思いっきり背伸びをする。
 気分のおかげか、なんだかいつもより心地よいなあ。

「「「エアル様ー!」」」
「ん?」

 そんな時、城の前に集まっていたのは、王城を護る衛兵たちや平民の方々。
 貴族以上の地位を持たない市民だ。

 それも、もはや群衆と呼べる数。

「本当に行ってしまわれるのですね!」
「大変……お世話になりました!」
「エアル様! 寂しいです!」

「お、おお……。どうしたんだよみんな」

 衛兵は勤務中外してはいけない面を外し、みんな涙ぐんで手を振ってくれている。
 そんな光景を前に、シャーリーは微笑みながら口にした。

「エアル様は、それほど平民の方には慕われていたのですよ」
「……そうかな」
「はい。間違いありません」

 その言葉で余計に嬉しくなる。
 
 上流社会の嫌われ者の俺は、平民には慕われていた。
 それは、頭のお堅い貴族連中は聞こうとすらしなかった、『便利道具』や『娯楽』の数々を素直に受け入れてくれたからだ。

 前世でいうドライヤーやポット、水回り関連の物。
 ニッチなところでいうと香水、眼鏡なんてものも提供した。
 「おかげで生活が豊かになった」とすごく称賛されたものだ。

 対して、貴族連中はコソコソとその情報を掴み、隠れて使用したりして、哀れだなあと思いながら俺は黙って見てた。

 俺はそんな群衆に手を振り返す。

「みんな、こんな俺をありがとう! またどこかで会う事があったらよろしく!」
「「「わああああ!」」」

 その「エアル様~」だったり「行かないで~」といった声が、一つの声援となって聞こえてくる。

 最後の言葉は本心だ。
 この人たちには、またどこかで会えるといいな。

「いこうか」
「はい。エアル様」

 目指すはグロウリア王国とは関わらないであろう、遠くの地。
 いずれじっくり時間をかけて、遠征しようと思っていた未開の地(・・・・)だ。

 こうして、嫌われ者で慕われ者の、追放された元王子の生活が始まった──。


 グロウリア王国を出発して約二週間。
 馬車を乗り継ぎして、大陸をずっと南下してきた。

「おー、おぉー」

 俺はいつものように、窓から外の景色を堪能(たんのう)する。
 田や畑、森林などが一面に広がり、高い建物・大きな建物はさして見当たらない。

 この世界は一つの大陸でできている。
 その中には二十ほどの国々が存在するが、構図は至って簡単。
 北にいくほど都会、南にいくほど田舎だ。

「グロウリアかあ……」

 あんな王家の『グロウリア王国』も、北端の一部を占める一国。
 昔からの権威もあって、やっぱり大国ではあるんだよね。

 対して、俺たち追放組はずっと南下している。
 もうすぐ南の端なんじゃないの? ってぐらいに。
 目指しているのが南の端だからね。

 ここまであまり目立つこともなく、国を(また)いで南下してきた。
 こっそり知り合いの王たちに挨拶した時には、そりゃびっくりされたけど。

 どの国の王も大抵顔見知りだったこともあり、馬車や宿を用意してくれた。
 本当に助かったよ。

 そして、そんな当の俺たち。
 二週間で年頃の男女が同じ屋根の下、馬車の中。

 ……何もないはずがなく。

「シャーリー」
「なんでしょ……なに?」
「なんでもない」
「……? 意味が分からないけど」

 お気付きだろうか。

 まずは、その口調。
 俺はもう王家なんかじゃないし、シャーリーとは主従関係をなくしたかったので俺から「タメ口で!」と提案した。
 彼女もまだぎこちないながら、頑張ってタメ口で話してくれている。

「外の景色見ないの?」
「もう、見飽きたよ」

 王家に仕えるメイドでも、一番優秀だったシャーリー。
 けどそれは年の功ではなく、彼女の家系が代々メイドの家系であり、幼少からそう育てられたからだ。

 なのでキャリアは長いにしても、実は俺の二つしか上ではない十七歳。
 まだまだ若い。

 それも、

「……」

 ふんわりと広がりながら首元辺りまで伸びた、明るい茶色のショートカット。
 風に(なび)かれて見え隠れする“うなじ”や、たまに髪を耳にかける仕草なんかは俺をイチコロだ。

 小さな顔は美しいというより可愛いタイプで、くりんとした青みがかった瞳が特徴的。
 身長は俺と変わらないぐらいあり、抜群のスタイルを持つ。

 ただでさえ美形が多かったグロウリアでも、シャーリーは一際目立つ容姿をしていた。
 ニホンにシャーリーがいたら、目立ってしょうがないだろうなあ。
 そんなシャーリーとくっついて二人旅。

 俺、この先やっていけるの……?
 とは思いつつも、シャーリーとは離れたくないので俺が頑張って欲を抑えよう。
 もしそうなった時は……流れに身を任せてしまうがな!

 そんな時、馬車のおじさんの声が前方から聞こえてくる。

「エアル王子、この辺りですよ」
「ありがとう! それと俺はもう……」

 そこまで言って、おじさんが自分の言葉に気づいた。

「こ、これは失礼いたしました! 王子ではない事は分かっているつもりなのですが、やはり功績を考えると……」
「いえいえ、怒っているわけではないですから。ここまでありがとうございました」
「そんな、恐れ多きことでございます。あのエアル様をお運びさせてもらえるなんて。一生の光栄でした!」
「大げさだなあ」

 軽い会話をして、荷物を馬車から降ろす。
 『収納魔法』を使っているので、荷物にコンパクトに収まっている。

 ちなみに、馬車の主や泊まらせてもらった宿の人は大体がこんな反応だった。
 功績って言っても、知り合いの王に「こうすれば?」って助言をして、ちょっと手を貸したぐらいなんだけどな。

 正直、魔法の力に頼っているこの世界と日本があったニホン、文明レベルを比べるとどうしても前世が勝ってしまう。
 まあ、あちらでは魔法なんてものは存在しなかったので、人々は「いかに生活を便利にするか」を何より考えていたからね。

 俺もそういう思考が身に付いたのかもしれない。

「では、ありがとうございました」
「はい! お気を付けてエアル様! エアル様に栄光あれ!」
「ははは……。やっぱり大げさなんだよなあ」

 隣で、シャーリーもにっこりと笑いながら呟く。

「エアル様が慕われている証拠ですよ」
「……」
「しょ、証拠だねっ!」
「良し」

 じろっと見つめると、口調を直してくれた。
 って、いけない。
 ついやってしまったけど、今のやり取りは前世ならパワハラ案件だな。

 俺も気を付けないと。
 まあ対等の関係なら、からかうぐらい良いかな。

「エ、エアル様ああ!」
「ん?」

 そうして馬車を見送っていると、もはや叫び声にすら思える声が聞こえてきた。
 振り返った先には……事前に連絡を取っていた人物。

「これはこれは。サタエル王で間違いないでしょうか」
「そ、そんな恐れ多い! あの(・・)エアル様から名を読んで頂けるなど!」
「あ、あははー……」

 お相手は到着した『トリシェラ国』の王様。
 サタエル王だ。

 そんなこんなで、とりあえずサタエル王に招かれた場所へ足を運ぶのであった。





「ど、どどど、どうぞ」
「あ、ありがとうございます~……」

 妙にプルプルしたサタエル王から、お茶が差し出される。
 初対面なのに、どうしてこんな頭を下げられているのだろう。

 そんなサタエル王が口を開く。

「それで……本当なのですか。あの場所(・・・・)に行かれるというのは」
「本当です」
「左様でございますか」

 少しうつむくような表情を見せるサタエル王。

 それもそのはず、そこは“名前を呼ぶことすらはばかられる”未開の地。
 世界中の人々から畏怖(いふ)の対象となっている場所だ。

 それでも、俺は堂々と宣言した。

「俺たちは、『魔の大森林』に行きます」

 「やはりでございますか……」
「はい」
 
 サタエル王も覚悟はしていたであろうが、俺が実際に名前を出しただけで顔が強張(こわば)る。

 『魔の大森林』。
 それが俺が考えていた目的地であり、この大陸最南端の未開の地(・・・・)

 このトリシェラ国は最南の国ではあるが、大陸の最南()というわけではない。
 この国より少し南下したところに、その魔の大森林があるからだ。

 魔の大森林は、(さかのぼ)れば三百年ほど放置されている巨大な森。
 軍の派遣を行っていた古き時代の文献によると、恐ろしき『魔獣』がうようよいるらしい。

「魔獣にはどうかお気をつけを」
「ありがとうございます」

 魔獣とは、魔物とはまた違う。
 
 ニホンで言う、食べたりする動物が魔物。
 その魔物が魔力を持った(・・・・・)姿が魔獣だ。

 魔獣はその力で人々を襲うことも多々ある。
 中には凶暴さゆえ、国単位で指定された魔獣もいるほど。
 
 文献の『強力な魔獣』がどんなものかは分からない。
 それでも、わざわざ情報として残すのなら相当なのだろう。

「く、くれぐれも、安全にしてくださいませ」
「はい」
 
 あれほど敬ってくれた王も、魔の大森林という名の前では怯えるしかないか。

 古い文献の記録は、まあひどいものだった。
 やれ超巨大な魔獣に襲われただの、やれ森全体が攻撃してきただの、それはそれは恐ろしい表記の数々。

 だけど、魔の大森林側から魔獣の襲撃があったとか、外から魔獣が見えたという記録は、森から最も近いこの国ですら残っていない。

 それでもこの怯えよう。
 よほど『魔の大森林』が恐ろしい存在なのだろう。

「宿はご用意させていただいておりますので」
「「ありがとうございます」」

 俺とシャーリーはお礼を述べて、サタエル王の部屋を後にする。







 夜、用意してもらった宿にて。

「サタエル王も魔の大森林には怯えてたわね」
「うん。当たり前って言われると当たり前なんだけどね」

 恐れるべき対象──魔の大森林。
 では、どうしてそんな危険な森に俺は自ら行こうとするのか。

「エアル。またそれ?」
「もう一度読んでおきたくて」

 その一つがこれ──『森のけんじゃのたんけんきろく』。
 おとぎ話のような児童向け絵本だ。
 ニホンでいうひらがなのような、幼児向け言葉で書かれている。

 この本には、怖い森に潜む危険の数々と、主人公『賢者』の冒険譚(ぼうけんたん)が書かれている。
 暴れ狂う魔獣、魔獣よりさらに恐ろしく希少とされる『神獣』、地下に潜む秘密基地、精霊の存在、などなど……。

「やっぱり怪しいよなあ」

 だけどこの本、児童向け絵本のていを成しているにもかかわらず、何故か世に全く流通していない。
 たまたま俺の情報網に引っかかった幻の本なんだ。

 その事実を怪しんだ俺は、この本を俯瞰的(ふかんてき)な目で繰り返し読んだ。

 そうして辿り着いた答えが「もし、これが全て事実だったとしたら?」
 一見、面白おかしくコメディ風に書かれているが、大人びた文章に直せば、相当にすごいことが書いてある。

「森……か」

 そして「森」といえば、やはり魔の大森林だ。
 
 仮説は俺の胸の高鳴らせた。
 さらに、早くから自由願望のあった俺にはうってつけでもあった。

 俺はグロウリア王国のような疲れる上流社会ではなく、田舎でひっそりのんびり、辺境スローライフを送りたいと思っていたのだ。

 それも、好きなように開拓できれば何も言うことは無し!

 のんびり……というにはちょ~っとだけ危険かもしれないけど、俺は憧れた。
 魔の大森林という桃源郷(ユートピア)に!
 
 だから、俺は誰になんと言われようと魔の大森林に足を踏み入れるのだ。

 でも、今の俺は一人じゃない。
 最終確認はとっておくべきだ。

「シャーリーは怖くないのか?」
「……そうだね」

 シャーリーは少しうつむく。
 だがそれも一瞬。

「前にも言ったかもしれないけど」
「!」

 そうしてふっと笑顔を見せた。

「世界で一番安全な場所は、エアルの後ろでしょ」
「……!」

 反則急に可愛かった。
 それをされちゃ、男としては頑張る他ない。

「ま、任せろ!」
「ふふっ。エアル様って、本当に王族っぽくないっていうか……子どもだよね」
「なんだよ、悪いのかよー」

 そんな会話をしながら、二人ともゴロンとベッドに寝転がる、
 世界中探しても、魔の大森林を楽しみにしてる人なんて俺たちぐらいだよ。

「じゃあ予定通り、明日には出発するぞ!」
「うん!」

 明日の希望を胸に、シャーリーと一緒に寝た(惜しくも違うベッドで)。

「でっけえー!」 

 馬車の外から、身を乗り出して前方を眺める。

「シャーリーもほら!」
「見てるよ! すごーい!」

 景色については「見飽きた」と言っていたシャーリーも、反対の窓から体を伸ばして食い入るように前方を見ている。
 なんたって俺たちの先にあるのは──

「あれが、魔の大森林!」

 見ているだけで呑まれてしまいそうなほどに、超広大な大森林。

 横は終わりが見えないほどにずっと続き、何十メートルという高さの木々が密集して奥へと無限に続いている。
 こんな光景、この大陸じゃ見つかりっこない。

 だがそんな時、馬車のおじさんが叫ぶと同時に走行を止めた。

「エアル様、そろそろ止まります!」
「うおっと!」

 とんでもない急停止だ。

 まあ、仕方ないか。
 この人も、こんな国境線沿いまで『魔の大森林』に近づいたことがないのだろう。
 特別価格で運転してもらっているとはいえ、この森が恐ろしくて仕方ないのだと思う。

「シャーリー」
「うん」

 空気を読み、シャーリーと馬車から降りて荷物をまとめ始める。

 周りは何も無い(・・・・)
 ただの荒野だ。

 この辺がトリシェラ国の国境らしい。
 魔の大森林を恐れ、森から余裕を持って線引きしてあるのだ。

 馬車のおじさんは申し訳なさそうに声を上げる。

「すみません、私にはこの辺までしか無理です!」
「いえいえ」
 
 森まではまだ少しかかりそうだが、ここまで送ってくれただけでもかなり助かった。
 
 こんな場所、近寄るのも嫌だろう。
 彼には本当に感謝しかない。
 
「本当にありがとうございました」
「くれぐれもお気を付けて!」

 通常の五倍の金貨を渡すと、おじさんは来た道を颯爽(さっそう)と戻っていく。
 
 帰りはどうするかって?
 もう帰りはしないよ。

「覚悟は出来てる?」
「うん、大丈夫だよ。エアル!」

 シャーリーの覚悟も確認したところで、再び前方に目を向けた。

「さてと」

 今から行くのは、文明の手が一切つけられていない未開の地。
 気合い入れていきますか。




 


 森の大きさがあまりにも圧倒的なので錯覚してしまったけど、思ったよりもずっと距離があった。
 馬車から下ろしてもらってから、一時間ほどでようやく辿り着いたんだ。

「この辺からは森だね」

 徐々に木々が生えている光景を見つめながら、少し観察してみる。

 荒野から突然この森になるんだ。
 一体どこから栄養をもらっているというのか。

「……!」
「エアル?」

 そうして近くの木に触れた瞬間、驚くべきことに気づく。

「なんだこの魔力……」
「え?」
「どんな量を保有してるんだ……?」

 魔力とは、エネルギー。
 それが多ければ多いほど、生命力が高いということになる。

 この世界では、植物も魔力を保有する。
 それは当たり前のことだ。

 俺が驚いたのは、その“保有量の異常さ”。

「通常の木の100本分ぐらいあるぞ、これ」
「100!?」

 今触れている木は、せいぜい2メートル程度。
 これだけの魔力量があって、どうしてこの高さなのかは皆目見当もつかないが、それ以上のヤバイ(・・・)事に気づく。

「奥地の木々なんて、どうなってるんだ……」

 今は茂みに入り確認できないが、外からの景色は壮大なものだった。
 それこそ何十メートルもある木が乱立するほどに。
 2メートルの木でこの魔力量だというのに、それの何十倍なんて。

「というかそんな膨大な魔力、一体どこから来るんだよ……」

 疑問に感じると同時に、自分でもニヤリとした顔を浮かべたことを自覚する。

 こんな未知の世界、来たことが無い。
 開幕からワクワクさせてくれるじゃないか。

「行こう、シャーリー」
「うん……!」

 恐怖と高揚が入り交じり、かつてないほど高鳴る胸の鼓動。
 それを必死に抑えながら、俺たちは木々の間を進んでいく。

『……グルルル』

 すぐに出会う、神秘的な存在がいるとも知らず──。

「これは中々……大変だな、っと」

 周りには腰の高さまで生い茂る草原。
 また、その間を()うかのように、高い木々が立ち並ぶ。

 進むだけでも大変だ。
 でもこれ以上は……。

「うーん」
「いてっ。エアル?」
「あ、ごめん」
 
 急に立ち止まったことで、後ろにぴったりとくっ付いてたシャーリーが俺に頭をぶつける。

「ううん。大丈夫だけど、何かあったの?」
「そうなんだよ。見てくれ」
「んー?」
 
 そんな彼女を隣に来るよう手で招く。
 俺が立ち止まったのは、この先の景色を見てだ。

「うわあ! すっごいね」
「これはますます大変そうだぞ」

 今までは腰ほどまでだった草原。
 それが、この先はすでに俺の身長を超えるほどだ。

 もはや“草原”と言って良いのかすら分からない。
 当然、それに比例するように木々も高くなる。

「どうするの」
「手はある。あるんだけど……」
「?」
「果たして勝手に切り刻んで良いものか……」

 正直、今まで頑張って進んできたエリアも魔法で周囲を刈っていけば、簡単に進んでこれた。
 でも、勝手にそんなことをしていいのかなあ。
 なんて考えて躊躇(ためら)っていた。

 それで、この森の主とかに目を付けられると面倒だしね。

「どうしようか……。――!?」

 そんな時、とっさに感じる巨大な爆弾のようなもの。
 常に張り巡らせている『魔力探知』に引っかかったのだ。

「エアル? 何かあった?」

 シャーリーはまだ感じ取っていない。
『魔力探知』の範囲は鍛え方によって全然範囲が違うからだ。

 それより、これは……巨大な魔力の塊(・・・・)か!?

「冗談だろ、デカすぎるぞ!?」

 莫大な量の魔力。
 まるで「我はここにいるぞ」と言わんばかりの、災害のようなとてつもない魔力の塊だ。

 距離は……まだ遠いか。
 いや、そうでもない?

「……!」
 
 違う!
 動きが速すぎる(・・・・・・・)んだ!
 
 それに、真っ直ぐこっちに迫ってくる!

「シャーリー! 下がって!」
「え!?」

 横目で確認しながら、シャーリーを下がらせる。

 もう悩んでいる悩んでいる場合じゃない。
 すでに緊急事態だ。

「──風よ」

 両手に宿らせた、小さな台風のようなもの。
 それをかまいたちの要領で展開し、周囲の草原を切り刻む。

「……よし」

 視界は開けた。
 これで、この何か(・・)を迎え撃つ!

「来るなら来い!」

 正直、この膨大な魔力量の持ち主に何か出来るとも思えない。
 けど俺だって、魔法の数や質で言えば自信がある。

「俺はここだ!」
 
 普段は抑えている魔力を一気に放出した。
 居場所を知らせ、あえて挑発するためだ。
 まあ、これは自分を奮い立たせるためでもあるけどね。

 さあ、どう出る?

「……って、消えた?」

 だが途中で、それは『魔力探知』から消える。

 いや違う!
 速すぎて追えなかったんだ!

「上か! くっ……!」
「きゃっ!」

 シャーリーを再び抱え、後方に回避する。
 その次の瞬間、ドガアっと轟音を立てながらそれは現れた。

「な、なんだこいつ……」

 臨戦態勢を取りながら、思わずそんな言葉がこぼれる。
 俺はその存在を見上げながら、固まってしまっていた。
 
「……っ」

 見た目は、狼のように四足歩行で構える獣。
 だが、ただのそれではないのは明らかだ。

 大きな体躯(たいく)を覆うふさふさな白銀の体毛。
 こちらを睨むような鋭い眼光。
 神聖さすら感じる身に(まと)う圧倒的なオーラ。

 頭に浮かんだのは、はるか昔に存在したとされる伝説上の生き物。

「まさか、フェンリルなのか……?」
「……」

 魔物が魔力を持った姿が、魔獣。
 だが、魔獣の中でも一線を画す最上級たる存在を『神獣』と呼ぶ。

 間違いない。
 今目の前にいるのは、そんな神獣が一匹──『フェンリル』。

「……」
「――ッ!」

 フェンリルが一歩前に出ると、俺は一歩下がる。
 
 さっきの速さから推測すれば、今の距離は無いに等しい。
 念のため、周りには三重の魔法防御壁を張っているが、こんなのでは役に立つとは思えない。
 
 そう考えていた時。

『……ン』
「え?」

 ふとどこかから声が聞こえた。
 チラリと後方のシャーリーを見るも、首をぶんぶんと横に振るだけ。
 じゃあ今のは……。

『……ゲン』
「!」

 フェンリルが喋ったのか!

 というか、不思議とこの子……。
 待てよ、もしかして。

「なあ」
「ちょ、エアル!?」

 俺から前に出ると、シャーリーが声を上げる。
 またそんな俺に反応して、フェンリルも前に出た。

『ヴオォォッ!』
「エアルー!」

 その一瞬すら感じない間に、俺の視界は真っ暗になった──。

 「シャーリー、大丈夫だよ」

 俺がシャーリーに声をかけると、彼女は恐る恐る目を開く。

「……え?」

 そして思わず言葉を漏らす。
 そんな反応になるのも仕方ないだろうな。

 なんたって、

「ははっ、なんだよこいつ~」
「クォ~ン」
 
 目の前で俺と、伝説の神獣フェンリルが(たわむ)れてるのだから。
 正確には、フェンリルは俺の顔や体をペロペロ、俺はフェンリルの腹辺りをさすさすしている。

 でも……うん。

「ちょ、ちょっと離れてね」
「クォ~ン」

 俺はぐいぐいとフェンリルを引きはがす。
 体内からミシミシっと音が聞こえた気がしたからだ。

「……ぐっ」

 『強化魔法』を最大限にかけていなかったら、今頃全身の骨が粉々だったかな。 




 それからしばらく。

「このこの~」
「クォンッ!」

 俺とフェンリルがじゃれ合い、

「……」

 それを距離が空いた場所から見守るシャーリー。

 怖いのも無理はないよな。
 なんたってフェンリルは『神獣』。
 魔獣の中でも最上級として称される伝説上の生き物なんだ。

 でも、そんなフェンリルが……

「我をもっと撫でるのだ」
「ははっ。見た目の割に甘えん坊だなあ」

 まさかこんな甘えん坊だとは誰も思わないだろう。

 しかも人語を話せるらしい。

「ニンゲンは久しぶりなのだ!」
「そうかそうか!」

 フェンリルが現れたタイミング。
 あの時、『……ゲン』と何かをボソボソつぶやいていたことに気づいた。
 その言葉は『ニンゲン』だったんだ。
 
「君は最初から戦う気もなかったんだよね」
「うむ」

 それに、感じる魔力の流れから、襲う気が無いのも序盤で気づいた。
 シャーリーの心臓には悪かったかもしれないが、俺は確信を持って近づいたのだ。

「クゥ~ン」

 フェンリルがすーっと下ろしてきた頭部分を、俺も楽しみながら撫でてやる。

「ああ……モフモフ」 

 やばい、癖になりそう。
 そういえば俺も、前世(・・)では猫ちゃんや犬ちゃんをモフモフしていたなあ。

 実に懐かしい感覚だ。

 故郷のグロウリアには、家畜用の魔物しかいなかった。
 つまり『ペット』や『愛玩動物』という概念は存在しなかったんだ。

 そんな俺は、前世ぶりにモフモフと出会い、癒されていた。

「あ~、モフモフモフ~」

 すっかり恐怖心が消えていた俺は、フェンリルの体の上で寝転がり、目一杯それを堪能(たんのう)する。
 だが、それをじーっと見ていたシャーリー。

「も、もふもふ……?」

 癖になりそうなその言葉を繰り返しながら、首を傾げる。
 ペットの概念がないので、当然「モフモフ」の概念も存在しないからね。

「そうだよ、モフモフ」
「も、もふもふ……」

 あまりにも目につかないので思い出すことがなかったが、本来モフモフは至高、人生の(いや)しなのだ。
 長らく忘れていたよ。

「よし」

 とりあえず堪能するのはここまで。
 いつまでもこうしていたいが、聞きたいことも山ほどある。
 後でまたモフらせていただくとして、今状況確認から。

 俺はフェンリルさんに再度向き合った。

「ねえ、君はどこから来たの?」
「我はここよりさらに奥へ行った先に住処(すみか)がある」

 なるほど、やはりこの魔の大森林に()んでいるのか。

「ふーん。じゃあ名前は?」
「そんなものはない。我はフェンリルには変わりないからな』
「……そっか」

 神獣はそう何匹もいるものじゃない。
 だから付ける必要がないと。

「どうして俺のところに? 結構遠くから一直線に来ていたよね」
「ほう。我をそんな遠くから探知していたのか。ニンゲンにもそんなことが出来る者がいるとはな」
「そ、そりゃどうも」

 いきなりのお褒めの言葉に少々照れる。
 だが、質問に答えてもらっていない。

「俺を探して来たんだよね? やっぱり、異物だと思ったから?」
「……それなのだが」
「?」

 しかし、答えてもらうよう促すと、急に歯切れが悪くなったフェンリルさん。
 何か言いにくいことでもあるのかな。

「ねえねえ」
「……」

 でも、俺もタダでは食い下がらないぞ。
 サバイバルにおいて一番重要なのは『情報』だ。
 俺もシャーリーの命を預かっているんだからな。

「ふーん。じゃあ仕方ない」
「エアル?」

 ここまでくれば俺も手段は択ばない。
 両手を横に広げて、俺は演技(・・)を開始した。

「そっかー、そうだよな〜。所詮、俺たちは出会ったばかり」
「?」
「これ以上撫でるのも迷惑そうだし、もう出来ないな~」
「なっ!? そんなことは!」

 お、食いついた。
 だけどもう一押し。

「ないって言うの? 俺の所に来た理由も教えられない関係だって言うのに?」
「ぐっ、それは……」

 どうやらフェンリルは、揺らいでいるようだ。
 よしよし、これならあと一息だ。

「はあ」

 何やってのんよ、という顔でシャーリーがこちらを見るが、もう少し待ってろって。
 俺がなんとしても聞き出してやるから。

 そうして根負けしたのか、フェンリルが口を開く。

「ぐっ……分かった」
「お!」
「では話すとしよう……」
 
 相変わらず歯切れは悪いけど、なんとか話す気になったみたい。
 俺は相づちを打ちながら耳を傾ける。
 
「実は、お主の魔力が少々特別(・・)のようなのだ」
「え、魔力が?」

 そんなことを言われたのは初めてだ。

 けどまあ、何を言われてもおそらく驚きはしない。
 魔力や魔法についてはたくさん学んだつもりだ。

「うむ。お主の魔力が──」
「うんうん」

 だが伝えられたのは、予想の斜め上の答え。

「我をあまりにも魅了する匂いを放っておるのだー!」
「「……」」

 その言葉に、ふとシャーリーと顔を見合わせる。
 聞いた言葉を頭で整理する時間だ。

 そして、次に声を上げたのは全く同じタイミング。

「「えええええーーー!?」」