「くるみ、君の力が必要なんだポプ!」

 当時小学生だった私の目の前に、ポプリンは突如としてその姿を表した。

「邪悪なイービル達から、この世界を救う力が君にはあるんだポプ!」

 下校中、だったと思う。
 マスコットのようなポプリンの姿はとても可愛かったし、素質がある、なんて言われて気を良くした私は、不思議な妖精の誘いに二つ返事でオーケーして魔法少女になる事を選んだ。
 変身に使うのはポプリン達の世界の女神が作ったという色鮮やかなロリポップだった。
 空色、恋色、勇気色。
 宝石のように彩り輝く沢山のロリポップを、変身する度に一本ずつ消費して、私は「魔法少女みるくりん」になった。
 ポプリン達の世界を脅かした邪悪な存在。イービルは私達の住む街にもその毒牙を伸ばしていた。彼らは日常の裏に潜み、人の心の闇に取り憑く。私は学校生活を続けながら魔法少女としての役目を果たし、発生したイービルを撃退した。イービルは取り憑く相手を選ばない。時には私の家族や、親友であるサオリン、学校の友達も被害に巻き込まれた。その度に私は傷付き、悲しみつつも、負けずにロリポップを掲げた。どんな時も、ポプリンが傍にいたから、私は頑張れた。そんな戦いの日々は、およそ一年間ほどに及んだ。

「もう……お別れなんだポプ」

 私とポプリンの奮闘の甲斐もあってイービル達はこの地を去った。しかし、それは同時にポプリンとの別れを意味していた。

「きっとまた会えるポプ! くるみが、僕の事を忘れないでいてくれる限り……きっと」

 光の粒となって消えていったポプリン。その足元に残されていたのが、今でも私が大切に持ち続けている夢色のロリポップだった。
 あれから十数年が経つ。
 小学生だった私も大人になり、社会に出て働くようになった。
 大人になれば、何でも自分で決められるようになるし、やりたい事だってたくさん叶えられる。子供の頃はそう信じてやまなかった。
 いつだろう。
 いつ頃、気づいてしまったのだろう。
 社会に出て、人間関係や行動範囲が広がるにつれて、私は自らの可能性の限界を思い知らされた。
 必死に勉強して入った東京の大学。アパートでの一人暮らし、生活の為にアルバイトをせざるを得なかった私の成績は、都内の大きな邸宅から通っている内部進学生達にあっという間に抜かされていった。
 卒業論文の作業と並行して始めた就職活動。要領の良い同期生達は既にインターンを終えたりしていて、サークル活動のエピソードなんかも乏しい私は思うような成果を得ることができなかった。
 なんとか内定を得られた会社は長時間労働も当たり前という環境で、日々上司からの叱責を受ける中で私は自分の体力と精神力がみるみると削られていくのを感じていた。
 辛い時、悲しい時、私はいつもバッグの底に忍ばせていた最後のロリポップに触れた。
 そしてポプリンの事を思い出すのだ。魔法の力で空を飛び、風のように駆け、誰かの為に戦うことが出来たあの日々の記憶と共に。
 けれど、現実は私をいつまでも思い出の世界に浸らせてはくれない。

「おい、聞いているのか!」

「は、はい! すみません……」

「何がすみませんなんだ、言ってみろ!」

「え、えっと……あの……」

 オフィス。上司からのいつもの叱責。
 標的になるのはいつも私だ。周りの同僚達は、わかりやすく目を逸らしたり、作業に没頭する様子を見せている。下手に口を出して、上司の怒りが飛んできたら困るのは彼らだ。だからみんな、見て見ぬふりをする。
 ここではみんな、自分一人を守るだけで精一杯だ。誰かを守ろうだなんて、そんな事の為に身を呈する人なんていない。
 ましてや、当たり前にやるべき仕事すら普通にこなせていない私の事なんて、誰も庇わない。

「ほら、言えないだろ。お前のすいません、は口先だけなんだよ。この間だっておんなじ間違いをしていただろう。いい加減、反省している振りをするのはやめろ!」

 違います、違うんです、本当に申し訳なく思っているんです、要領が悪くてみんなと同じ仕事ができない事、人と話している時に目を合わせられない事、簡潔に返事ができない事、全部私が悪いって分かっているんです。

「すみません、すみません、すみま……」

 ふ、と視界の端が紫色に染まった。くぅーっと頭の中が絞られているように感じて、気付けば私は平衡感覚を失っていた。
 ぐらり、と揺れる世界。目の前では上司が呆気に取られたような表情をしていた。視界が暗くなる。私はゆっくりと倒れながら口の中で小さく「すみません」と呟いていた。