オディールは得意げな笑みを浮かべながら、神秘を纏った解説を始める。彼の声には深い知識と経験に裏付けられた凄みがこもっていた。

「『色即是空、空即是色』お釈迦様のたどり着いた境地なんだけどこれ、『量子力学』の説明なんだよ」

 はぁ?

「お釈迦様は人類で初めて量子効果を発見した人なんだね」

「え……? ちょっと……、何言っているのか分からないんですが」

 いきなり仏教と現代科学の最先端が結びついて頭が追い付いて行かない。

「この世界って『量子』という微小な存在の集合でできてるんだけど、これ、実体がないんだよね」

「あぁ、確か確率でしか存在しないという……」

「そうだね。結局すべては確率分布の波でしかない。つまりこの世界は確率でできているんだな」

 オディールは嬉しそうに両手を大きく開いた。

「実体がなく、確率……? だから色即是空、空即是色?」

「そう、有るように見えて観測したら空っぽ。でも確率次第で真空にもまた量子が沸き上がる。現代科学の最先端で描かれるこの世界の本質とは、まぁ滅茶苦茶な世界だよ」

 オディールは呆れたように肩をすくめる。

 はぁ……。

「で、ここからが本題なんだけど『確率でどうとでもなる』のであれば、逆にそこを使って操作ができちゃうんだよね。つまり自分の都合のいい結果だけ取り出せるんだよ。量子コンピュータみたいにね」

 へ?

「例えば植物は光合成でこれをやっていて、太陽エネルギーを高効率で活用してるね。君が毎日食べているお米やパンは植物の量子操作でできたものさ」

「そ、そうなんですか?」

「だからいまだに人類は植物に勝てる光合成ができず、田んぼや畑にたよってるんだな」

 植物もこの世界の不思議な性質を巧みに使っている、という話に蒼は感じ入る。それだけ量子効果というのは身近な話なのかもしれない。

「植物って凄いんですね」

「何を言ってる、君の方がもっと凄いぞ」

 オディールは、不敵な笑みを唇の端に浮かべつつ、力強く蒼を指差し、鋭い眼差しで射抜いた。

 は?

「言霊だよ。君は『可愛い女の子たちとパーティを組んで、ハーレムで愛を育みながら魔王を倒す』って願ったでしょ? だからムーシュたちと真の魔王であるところのヴェルゼウスを倒したのさ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんな浮かれた高校生の軽口で世界が変わる訳ないじゃないですか!」

「本当にそう思う?」

 オディールはニヤッと笑った。

「いや、だって、僕はただの高校生ですよ? 高校生なんてそれこそ何十万人もいるじゃないですか!」

「そうだね。だからみんながそれぞれ独自の宇宙を持ってるのさ」

「はぁっ!?」

 蒼の唇が震え、言葉が途切れた。

 宇宙は一つ、生まれてからずっと当たり前のように思ってきたが、それが全く違うというオディールの言葉に蒼は混乱する。

「宇宙にしてみたらね、一兆のさらに一兆倍の数の世界があっても気にならないくらい微々たるものなんだよ」

「えっ!? じゃあ、この世界は僕の言霊でできた……世界……?」

「そうみたいだね」

 要は自分が浮かれたことを願い、宇宙がそれを採用したからこんなに壮大な旅になってしまったらしい。しかし、そんな荒唐無稽なこと、どう咀嚼していいのかさっぱりわからなかった。

「じゃあ、オディールさんは僕の世界の中のキャラ……ってことですか?」

「今、この瞬間はそうかもしれないね。でも、僕が『美味しいビールが飲み放題の世界がいいな!』って言って、宇宙がそれを採用した瞬間、そこに僕のビール飲み放題の世界が派生して出来上がるんだ」

「どんどん世界は増えていくってことですか!?」

「そうだよ。世界は想いの数だけ生まれ、成長していくのさ」

 蒼は言葉を失った。誰でも自分の生きている世界は、自分の想いによって出来上がった自分だけの世界なのだ。

「地球の裏側で戦争して多くの人が死んでもそれは君のせいだからね?」

「え? なんで……」

「君の想いが巡り巡ってそこで人を殺しているんだから責任感じなきゃ」

「えぇっ……。そ、そんな……」

「だから呪いだと言ったろ。くふふ……」

 毒を含んだような笑みをたたえるオディールを前に、蒼は大きく息をついて首を振った。

「想うだけで世界が増えていくだなんて反則ですよ」

「でも、宇宙からしたら、想いをもって選んでくれる『観察者』がいるから存在できるわけで、想ってもらえることは死活問題かもしれない」

 オディールは無邪気に楽しそうな笑顔を見せる。

「それだけ想いというのが宇宙にとって価値がある……と。はぁ……」

 蒼はそのコペルニクス的転回に頭がついて行かず、首を振った。

 お釈迦様の言葉と同質な量子力学というへんてこな物理法則、異世界転生の先に作られた自分の世界。そして、宇宙を動かす『想い』。蒼は何とか反論をしようと思ったが、そこには反論できる隙が一つも見つからなかった。

「考えるな、感じろ」

 オディールは碧眼をギラリと光らせ、困惑している蒼に活を入れる。

 へ?

「下手な考え休むに似たり。お前の心の奥底では全て分かっているはずだ。それを感じなさい」

「そ、そうですか? やってみますね……」

 蒼は大きく深呼吸をして静かに瞑想状態へと降りていく。

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

 深層心理で世界を感じると、そこには大いなる宇宙があり、地球があり、焼肉屋があり、みんなの笑顔があった――――。

「この笑顔は自分の願った先にある世界……。そうだよなぁ……」

 と、その時部屋の喧騒が戻ってきた。

 ぎゃははは! ちょっと飲みすぎですよ? 何言ってんだー!

 蒼は、再び息づき始めたこのにぎやかな世界に、ほっと息をつきながら優しい微笑みを浮かべた。

 この世界は自分の作った世界であり、笑顔に囲まれている。なんと素敵な事だろうか……。

 蒼の瞳にはかすかに涙の輝きがにじむ。騒がしい仲間たちの姿を愛おしく眺める蒼の心の中には深い感謝とともに、切なさが渦巻いていた。