高校最後の夏休み前、七月十九日。
 付き合って、約一年半。
「別れてくれないか」
 そんな予感はしていた。最近はなかなか会えなくなっていて、彼からの連絡も減っていた。自分に何か問題があったかと考えたこともあるけど、特に何も思いつかなかった。
 放課後に体育館裏に来てほしいと連絡が来た時、一瞬嫌な予感が頭をよぎったけれど、明日のことで話があるんだと自分に言い聞かせた。明日は私の誕生日で、しかも休日だからどこかに行こうと誘ってくれるんだと、淡く期待していた。
 それなのに、飛んできた言葉は、やっぱり嫌な予感の方だった。
 彼はいつも通りの黒髪を風になびかせながら、私が好きな切れ長の目でこちらを見ている。付き合い始めたころと、あまり変わっていない。そう思っても、現実は嫌なくらいに変わっていた。
「……え、なんて?」
 絶望のあまり、聞き返してしまった。あんな言葉、二回も聞きたくないのに。
「香苗のこと好きじゃなくなったから、別れてほしい」
 傷つくことをはっきりと言われ、その場で泣きそうになる。でも、彼に哀れだと思われたくない。惨めな姿を見られたくない。私は可哀そうじゃない、一人でも生きていける。
 心を強く保ち、涙を堪えて笑顔を作った。
「そっか、今までありがとう」
「うん、ごめん」
 謝るくらいなら、別れないでよ。
 その言葉が喉元まで出かかったけれど、心を落ち着かせて飲み込んだ。こんなこと言っても、虚しくなるだけだ。どうせ、この結末は変わらないのだから。
「じゃあね!」
 その場の空気に耐えきれなくなって、私は手を振ってその場を去った。これ以上あそこにいたら、余計なことを言っていたかもしれない。それも言ってしまう前に、自分から離れておいてよかった。
 教室に鞄を取りに行って、速足で学校を出た。
 私の何が、駄目だったんだろう。いつから、私たちは変わってしまったんだろう。永遠と信じて疑っていなかった「愛してる」の言葉は、どこへいってしまったんだろう。
 涙が一筋、頬を伝った。泣くな。自分から惨めになるな。唇を引き結んで、涙を乱暴に拭った。
 そういえば、彼は私が泣いていた時、何も聞かずに涙を拭いてくれたな。誕生日には、私がずっと欲しがっていた鞄をくれて、一年記念日にはお揃いの指輪をくれたな。指につけ合って、似合ってるって笑い合って……。
 洟を啜る音が、辺りに響いた。もう誤魔化しようがないほど、惨めな姿になってしまっていた。愛をくれる人がいなくなった、可哀そうな人。ポニーテールにしているせいで、顔を隠せなくて、顔を下に向けながら歩く。
 涙を地面に落としながら、夕陽を背に一人で帰った。
 一つしか伸びていない影を見て、より一層胸が痛んだ。

 一軒家の家のドアを開けて、一目散に二階の部屋に駆け込む。そんなことをしなくても、誰も私に話しかける人はいないのに。
 お母さんが私とお父さんを捨てて出て行ってから、もう十一年になる。いや、明日で誕生日だから、十二年か。お母さんが出ていった時、私は寂しがっていた気がする。でも、よく考えてみれば、自分を捨てた人を想って寂しがる必要はない。だから今は、何とも思わなくなった。
 それよりも、男手一つで育ててくれているお父さんに、感謝しかない。今も夕方の六時を過ぎているのに、お父さんはまだ帰ってきていない。いつも七時半過ぎくらいに帰ってくる。家を出るのは、五時くらいなのに。
 ただ、今はその状況がありがたかった。こんなぐちゃぐちゃの精神状態で、人とまともに話せる気がしなかったから。
 鞄を机の横にかけて、ふと部屋を見回した。そこには、彼との思い出のものがたくさんあった。
 学校から帰ってきたら、真っ先につけるお揃いの指輪が机の上に置かれている。その横にある本棚には、彼からおすすめされた漫画があり、ベッドには一か月記念日の時にもらった兎のぬいぐるみがある。
 どれも大切なものだった。いや、私にとっては、今でも大切なものだ。でも、もう持っていてもどうしようもないものになってしまった。
 私ばかりがまだ好きなんだと、どうしようもなくやり場のない気持ちがこみ上げて来た。静かな部屋に一人なのが嫌で、彼からもらったぬいぐるみを持って壁に投げつけた。鈍い音がして、ぬいぐるみが床に落ちる。それを合図とするように、私は色々なものを投げた。彼からもらったものは、何でも壁やベッドに投げつけた。好きという感情を彼にぶつけられない代わりに、怒りを壁やベッドにぶつけた。
「こんなの、もういらない! こんなもの、こんなもの……!」
 そう言いながら写真立てを手にして、しかしそれを投げることは出来なかった。そこに写っていた彼と私は、まるで別れるわけがないと思っているように笑顔だったから。その笑顔が、今の私にはとても眩しかったから。
 もう疲れてしまったから泣きたくないのに、鼻がツンとして涙が溢れる。私はこれからどうすればいいのか、全く分からなかった。
 何でだろう。何が変わってしまったんだろう。何が駄目だったんだろう。
 考えても答えは出てこなくて、疑問ばかりが増えていった。
 考えるのに疲れてきてベッドにうつ伏せになった時、玄関の鍵が開く音がして瞬時に身を起こした。お父さんが帰って来た音だった。
「ただいまー」
 いつも通り、一階から声が聞こえた。しかし、今は声が震えていて、返事をすれば涙声であることはバレてしまうため、私は無言を貫いた。
「香苗ー?」
 お父さんが、私の名前を呼んでいた。私が返事をしなかったため、不審に思っているのだろう。このまま上に様子を見に来られても困る。そう思い、深呼吸をして精一杯何でもないような声を作り、「おかえりー」と返した。
 お父さんは安心したのか、二階には来なかった。
 一息吐いて、もう一度ベッドに横になる。しばらくそうしていると、急に今までの疲れが流れ込んでくるように身体が重くなった。そのまま一時間近くそうしていて、夕食の時間になっても起きる気力がなかった私は、そのまま眠ってしまった。

 次に目が覚めたのは、深夜の三時だった。
 昨日、ベッドに入ってそのまま寝てしまったことを思い出し、まだ重たい身体を持ち上げてお風呂に向かった。
 シャワーだけで手早く入ろうとした時、風呂場にある鏡に自分が映った。
 酷い顔だった。目元には誤魔化しきれないくらい泣いた跡があって、顔全体は自分が思っている以上に落ち込んでいることが分かる暗さだった。こんなことでは、お父さんに心配をかけてしまう。切り替えるためにもお湯で顔を洗ったが、たまにしょっぱさが混じっていた。
 全てを洗い終えて一階にあるリビングに入るころには、朝の四時半になっていた。二度寝しようかと思ったが、一度ソファに座ったら移動する気力がなくなり、そのままテレビを見た。
 テレビを見ていると、彼のことを忘れられた。たまに思い出しても、すぐにテレビが他の世界に私を連れて行ってくれる。こうやって、失恋の痛みは忘れていくのかなと、ぼんやり考えた。
 多分、失恋の痛みは忘れても、愛とは何だろうという疑問だけは忘れないだろうということも、何となく思っていた。

 朝の六時になると、お父さんが起きてきた。寝ていた時のままの少しよれたジャージ姿でリビングに来て、テレビを見ていた私はお父さんの方に目を向ける。
「おはよう、今日は早いな。休日なのに」
「うん、おはよう。昨日早くに寝ちゃったから、早い時間に目が覚めたの。夕飯、食べられなくて、ごめんなさい」
「あぁ、全然いいよ」
 それだけ会話して、お父さんはキッチンに向かった。いつも通り、朝ご飯のパンを食べるのだろう。
「何か食べるか?」
 しかし、私の予想は外れた。お父さんは、私のご飯を用意してくれようとしているらしい。私の心は沈みきっているのに、お父さんはいつも通り優しかった。
「昨日の夕飯の残りもあるぞ」
「じゃあ、それ食べる」
 ご飯を食べたら、その温かさに泣いてしまいそうだと思った。それでも、私のお腹は空腹を訴えていて、食べないわけにはいかない。
 しばらくして私の前には、白飯とピーマンの肉詰め、鮭が置かれた。いつもよりおかずが多いと思ったが、よく考えるとピーマンの肉詰は私の好物、鮭はお母さんの好物だった。お母さんが作ってくれる料理には、二日に一回の頻度で鮭が入っていた。それも様々の形で。だから、自分を捨てた人なのに、好物だけは覚えていた。
 何故今頃、お母さんの好物なんて出すのだろう。そう思ったが、鮭は別に一般的に食卓に並ぶものだと思い直し、「いただきます」と手を合わせた。
 料理は温め直されていた上に、味が染みていてどれも美味しかった。温かさに涙が出そうになったけれど、何とか堪えた。
 お父さんは机の近くにあるクッションに座って、パンを食べながらテレビを見ている。会話は一切なくて、もしかして私が今日誕生日なの忘れてるのかな、と考えていた。
 しばらくしてご飯を食べ終え、食器を洗ってからソファに戻ると、今度はお父さんが立ってリビングを出ていった。私は気にせずそのままテレビを見続けていたけど、しばらくしてお父さんがリビングに戻ってきて、私に声をかけた。
「香苗」
 妙に改まった雰囲気があって、自然と背筋が伸びる。それに、お父さんの手には大きな紙袋がある。誕生日プレゼントかなと考えながら、それにしては大きいと思った。まるで、二人分のプレゼントが入っているみたいだ。
「何?」
 冷静を装って返した。期待すると、後からのダメージが大きいのは、昨日身をもって知ったから。しかし、そんなに身構える必要は無いようだった。
「誕生日おめでとう」
 そう言ったお父さんは、大きな紙袋を私に渡した。私は座りながらそれを受け取り、中を覗いた。プレゼント用に包まれた大きい袋と小さい袋の、二つ入っている。開けようかどうか迷っていると、お父さんは「開けていいぞ」と言ってくれた。
 私は言葉に甘えて、大きい袋から開けた。それは可愛い白いお化けのぬいぐるみで、最近お父さんとでかけた時に私が欲しいと思っていたものだった。
「何が欲しいのか、正直分からなくてな。でも、本人に聞くのもどうかと思って、つい最近香苗が欲しそうに見ていたものにしたんだ」
 お父さんは優しいけど、時々不器用だ。
世間の女の子は十八歳にもなるとコスメが欲しいのかもしれないが、私は断然可愛いぬいぐるみの方が好きだから嬉しい。不器用でも、ちゃんと私の好みを把握していてくれているあたり、本当にいいお父さんだなと思う。
「ありがとう、嬉しい」
 そう言って、私は笑顔でぬいぐるみを抱きしめた。
 そこで、もう一つの小さい袋に目がいった。何で二つもプレゼントを用意しているんだろう。疑問に思いながらも、ぬいぐるみを一旦ソファの上に置いて、袋を開けた。
 袋の中から出てきたのは、小さな白い箱だった。箱にはブランドの名前なのか、英語で何かが書かれている。でも、聞いたことがないため、私にはよく分からない。とりあえず、アクセサリーっぽいなと思ったけど、お父さんがアクセサリーを買うだろうか。
 いよいよ自分の中で答えが出ないまま、お父さんが見守っている中で箱を開けた。
「綺麗……」
 真っ先にそう思った。真っ白な花が目に入ってきて、その白さがこの世で一番美しいように思えた。花がついているそれはネックレスで、ひし形の上に大きな五枚の花びらがあって、そのまた上に小さな花びらが五枚あり、三段構造になっていた。五枚の花びらの真ん中には、部屋の照明を受けて輝くダイヤモンドのような宝石がついていた。
「何で、私にこれを?」
 一番に気になったのは、それだった。今までアクセサリーを欲しいと言ったことはないし、私自身もあまりアクセサリーを付けるタイプの人間ではない。それなのに、お父さんが私にアクセサリーをプレゼントするなんて、考えられないことだった。
 お父さんはしばらく考えて、それから立ったまま目を合わせて話し出した。
「正直どうしてかは、あまりはっきり言えない」
 どういうことだろう。自分でも自分の気持ちがよく分からない、という感じだろうか。それならそれで、お父さんはそんなに文学的なことを言う人だっただろうかと、疑問が湧いてくる。
「それは、何で?」
 気になったことは、何でも聞く性質だった。だから、それほど重要視せずに何でも聞いた。それがいけなかった。
「そのプレゼントは、お父さんからじゃなくて、お母さんからだから」
 すぐには言っている意味が分からなかった。お母さんからって言っても、お母さんは出ていっていていないはずだ。未だに関わりを持っているとも思えない。
 私は無言で、もう一度ネックレスを見る。お母さんが何で私にこれをくれたのかも、何で今さらプレゼントをしてくるのかも、何もかもが分からなかった。
「お母さんは、何で私にこれを……?」
 お父さんは何も聞いていないかもしれない。でも、聞かずにはいられなかった。自分とお父さんを捨てて出ていったお母さんが、どんな気持ちでこれを送ってきたのか、どうしても気になってしまった。
「小さかった香苗には話していなかったが、お母さんは別の人を好きになってどこかに行ってしまったんだ。だから、別に香苗のことを嫌いになったわけじゃない。むしろ、今でも好きなんだ。でも、けじめとして会わないことにしたから会わない。その上で、十八歳の誕生日だけはプレゼントを渡すと約束していたんだ」
 何それ、勝手すぎる。自分のことを捨てた母親から誕生日プレゼントをもらって、喜ぶ子どもがいると思っているのだろうか。たとえ好きだと知らされても、今さらすぎるし、捨てられた事実が変わるわけではない。
 私が憤って、拳を握りしめていたら、お父さんは言葉を続けた。
「っていうのは、建前」
 お父さんの言葉の意味をうまく理解できない私は、眉間に皺を寄せてお父さんを見ながら首を傾げた。
「本当は、病気になったから出ていったんだ」
 急すぎて、話についていけない。病気? お母さんが? どういうことなのか、全く分からない。私はきっと、さっきよりも険しい顔になってしまっている。
「どういうこと……?」
 やっとのことで、それだけを言った。
 お父さんは少し顔を伏せてから、私の前を通って移動した。私の右に来て少し空けたところに腰を下ろすと、開いた足に腕を乗せて、繋いだ左右の手を見つめながら話し始めた。
「香苗が六歳の時、お母さんはある病気で余命一年を言い渡された。お父さんはそのまま一緒にいようと言ったんだけど、お母さんは聞かなかった。『香苗を悲しい気持ちにさせるくらいなら私を恨んで生きた方がいい』って言って、すぐに身支度をして出ていってしまったんだ」
 知らなかったとはいえ、お母さんが私のことを捨てたと疑いなく信じていた身としては、信じられない事実だった。信じたくもないのかもしれない。
「お母さんの決心は本物で、でも、やっぱり自分の子どもの成長を見れないのは悲しかったみたいだよ。だから、せめて成長した香苗にプレゼントがしたいと言って、お父さんがそれを渡すことを約束したんだ。渡す時には、さっきの建前を言うことを約束していた」
 そこまで聞いた時、気になることが一瞬で浮かんだ。
「何で私に、本当のことを話したの?」
 今の話を聞いた限り、お父さんはまだお母さんのことが好きなのだろう。ならば、好きな人との約束は守りたいものなんじゃないのだろうか。好きな人との約束を破っていいと思える理由なんて、あるのだろうか。
「お父さんにとって大切なのは、もうお母さんだけじゃない。香苗のことも、同じくらい大切なんだよ。だから、香苗に『大好きなお母さん』を返したかった」
 最初はピンとこなかった。でも、お父さんの申し訳なさそうな顔を見て、だいたいのことを察した。
 お父さんは、私からお母さんという存在をとってしまったと思っているんだ。でも、それは違う。今話を聞いたばかりだけど、お母さんは自分の意志でそうしたんだし、お父さんはその意志を尊重してあげただけだ。申し訳なく思うようなことは、何もしていない。
「お父さんは、私からお母さんを取ってないよ」
 そう言ったけど、お父さんは納得していないようだった。まだ罰が悪そうに、顔を伏せている。
「それだけじゃない。香苗に、お母さんを嫌いにならないでほしい。いくら病気だからといって、お母さんが結果的に香苗を捨てたのは事実だ。でも、香苗のことを誰よりも愛していたのも、事実なんだ」
「愛していた……?」
 私はその言葉だけを繰り返した。
 それは、私がつい最近失ったものだった。「愛」は不確かなもので、簡単に手から零れ落ちていくもの。期待すれば、心を酷く傷つけられるもの。
 それをお母さんは、今でも私にくれているの?
 考えてから、ネックレスに視線を向けた。お母さんはこのネックレスを選ぶとき、何を考えたんだろう。私が元彼の誕生日プレゼントを考えていた時のように、相手が喜ぶ顔を想像しながら選んだんだろうか。私が首につけているところを想像して、似合うと思ってくれたんだろうか。
 愛で私を包んでくれていたんだろうか。
 私はいつの間にか、涙を流していた。洟を啜る音が部屋に響いて、少しだけ気まずく思う。お父さんに心配をかけないように、今まで涙を流さなかった。でも、彼から与えられなくなった愛や、お母さんからずっと与えられていた愛を考えて、色んな感情の涙が入り混じって止まらなかった。
「それともう一つ」
 そこで、お父さんが言葉を発した。
「香苗に、人を愛すること、人に愛されることを、まだ諦めてほしくないんだ。言うべきではないんだろうけど、香苗が恋人に振られたんだろうことは気づいてた。それで落ち込んでいたことも、気づいてたんだ。その上で、なんて声をかけたらいいか分からなくて、お母さんの愛を知ってもらうことにした」
 ネックレスの上に涙が落ちて、錆びてしまうかもしれないと思い、すぐに手で拭った。その時に、ネックレスの裏側が見えた。そこには単純だけど、ストレートに「Love Kanae」と書かれていた。お母さんの愛が、十二年越しに伝わった瞬間だった。
「お父さん、ありがとう」
 愛とは何なのか。
 なぜ人は愛し、愛されることを望むのか。
「私、まだ愛を信じていられそうだよ」
 その疑問には、無数に答えがあるだろう。きっと、確かな正解なんて、存在しない。私は箱に入ったままのネックレスを抱きしめた。少しでも、お母さんに愛が届くように。今まで愛せなかったぶんまで、お母さんを愛せるように。
「よかった。もしこの先、香苗に辛いことがあったとしても、お父さんがいるからな。いつでも支えるよ、家族なんだから」
 私はお父さんの声に耳を傾けて頷きながら、可愛いお化けのぬいぐるみも抱きしめた。二人の愛を感じながら、嬉し涙ばかりが流れていた。
 愛とは何なのか。今の時点では、確実な答えを見つけることはできない。でも、確かに言えることはある。
 愛は、人の心を温めてくれる時もあれば、傷つける時もある。それでも、愛を求めずにはいられない。その温かさが、手放したくないほど安心するから。
 私は愛を信じていたい。たとえ傷ついても、もう一度家族以外に愛せる人を見つけたい。それが、家族への愛情でもあると思うし、自分の幸せにも繋がっていると思う。
 失恋を乗り越えられたわけじゃないけど、家族の愛情に私は救われた。それだけで、十分に私は幸せだった。
「お父さん、お母さんのお墓、あるよね?」
 ネックレスの箱を閉じながら、右隣に座っているお父さんに尋ねた。
「あぁ、あるよ」
 それを聞くと、小さく笑って言った。
「じゃあ、今日はそこに行こう。お母さんにも直接、お誕生日をお祝いしてもらわなきゃ。それに、長年会ってなかったから、久しぶりに挨拶しなきゃね」
 私はお母さんのお墓を見た時、泣くんだろうか。
 悲しいけれど、それでも構わない。
 その涙はきっと、愛の印だから。