しかし、ルセック伯爵夫妻はコルネリアを金の道具にして使い、挙句の果てに力を失った彼女を虐げて地下牢に閉じ込めてしまった。
彼女はその瞬間に一度、死んでしまったのだ。
「あなたが力を失ったのは、あなた自身がその力を閉じ込めているから」
「え……?」
「力を出すことを拒んでいるのよ。あなた自身が。きっとあなたの中で何かあったはず。心を閉ざすことになった何かが」
「──っ!!」
その瞬間、コルネリアの頭の中に誰かの声がこだまする。
『お前の力は本当は人を不幸にしている』
(誰……? どうしてそんなことを……)
『お前が治した患者は昨日死んだ』
その声はどんどん大きくなり、やがて彼女自身の脳内であの日の記憶がよみがえった。
ルセック伯爵邸に来た一人の男は、自分の耳元で毎日囁いていくのだ。
毎日。毎日──
来る日も来る日も、治療を受けては耳元で囁き、少女の心を壊していく。
少しずつ、少しずつ。
それはやがて少女の心を完全に打ち砕き、神聖な力を出せなくなるほどに。
(そう、あの人にいつも何か言われて、それで、私は聞かないフリをした)
「怖かった……心が壊されていく感覚が……自分を否定されることが……いらないといわれているような気がして」
当時の記憶がよみがえってくるごとに、コルネリアの息は上がっていく。
苦しくて、どうしようもなく怖くて、身体が震えて来る。
(だから、私はやめた。力を使うことを。もう傷つきたくないから。傷つけたくないから。誰も……)
真実を思い出した彼女は自分の身体を抱えるようにして涙を流す。
「ここにいるわよ。大丈夫」
シスター長の声で安心したのか、少し震えが止まる。
「コルネリア。あなたは今、どうして力が欲しいの?」
(呪いを解くため……)
「あなたはその力で誰を守りたいの?」
(私は……)
「私は、レオンハルト様を守りたい。彼を守る力が欲しいんです。私は、誰かを守るために力を使いたい……!」
シスター長は彼女のいう「守る」が呪いから救うことだとはわかっていない。
だが、それでも何か彼女の中で守るものができ、そのために力を使いたいという思いは伝わってくる。
「コルネリア」
「はい」
「あなたはもう大丈夫。あなたは強くなったわ。あの頃よりも」
「シスター長……」
コルネリアは椅子から立ち上がり、シスター長に深く頭を下げた。
顔をあげた彼女の表情はどこか晴れやかで、そして力強さを宿らせた目で前を見ている。
「ありがとうございます!」
「ええ、いつでも迷った時はいらっしゃい。いつでもあなたの味方ですから」
「はい……!」
コルネリアはもう一度頭を下げて礼拝堂の出口に向かおうとするも、少し立ち止まって振り返る。
「シスター長、私は今幸せです」
「──っ! そう、よかったわ」
そう言って彼女は礼拝堂を後にする。
「覚えていたのね、私の言った言葉」
シスター長は笑って再び祈りを捧げた──
『コルネリア』
『なあに?』
『いつか、あなたは幸せになってちょうだいね』
『ん? しあわせ?』
『そう、あたたかくてあなたのことを大事に想ってくれる人と共に生きるの』
『? うん、わかった! こるねりあ、「しあわせ」になるね』
教会から帰る頃にはすっかり日も暮れかけており、コルネリアは急いでヴァイス邸へと戻った。
テレーゼにどこに行っていたんですか、とかなり心配されて声をかけられたが、言葉を濁して少し買い物にとだけ言っておいた。
夕食を終えた後、コルネリアはレオンハルトの部屋にいた。
「どうかしたのかい、今日も遅くまで街に出ていたから疲れているんじゃないか?」
「レオンハルト様……ベッドに寝ていただけませんか」
「……ふえ?」
あまりにも唐突な彼女の誘いにレオンハルトはこれまでにないほど焦り、声が上ずる。
思考が停止しているのか、その場から全く動けずに目をしばらくパチクリさせては口がポカンと開いている。
すると、自分が何を口にしてそのせいで彼に何を想像させたのかわかったコルネリアは、顔を真っ赤にしてあたふたとしながら前に手を突き出して否定する。
「ち、違うんですっ!! そういう意味じゃなくて、その……! あの……ひとまずベッドに座ってください! 話はそれからですっ!!」
「はいっ!」
よくわからないがあまりの形相ぶりにレオンハルトは大きな声で返事をし、すぐさまベッドに向かう。
そうして座ったのを確認すると、彼女は目の前に立ち、大きく深呼吸する。
「すー」
そうしてコルネリアは息を整えると、レオンハルトに今からすることを説明した。
「レオンハルト様の呪いを私が解きます」
「……え?」
「今日、教会に行ってきました」
その言葉を聞いてレオンハルトは彼女が何を言おうとしているのか悟る。
聖女の力はきっかけは外部的要因ではあるものの、直接的要因は自分自身の中にある。
それをコルネリアはどうやって乗り越えようとしているのか、レオンハルトもしっかり聞き届けようとしていた。
「私が聖女の力を失くしたのは、私自身が原因でした。私が心を閉ざしてしまったから」
(そうだ、カリート伯爵の部下によって、じわじわと心を壊されてしまった……)
「私は、私自身で逃げていたんです。力から。そして他人から」
「……うん」
「だから、私は自分で自分の力を封じ込めてしまっていました。使えなかったんじゃない、使わなかったんです」
コルネリアは自身の手を見つめながら話を続ける。
「私は、もう誰も傷つけたくない。だから、この力を使って、取り戻して、お金を儲けようとか、無意味に使って悪用しようとか考えていません」
「なら、どうする? 君は、その力をもう一度手に入れてどうするの?」
「守りたいです。この力で、私の好きな人を、レオンハルト様を守りたい。救いたいっ!」
レオンハルトはベッドから立ち上がって、彼女を厳しい目で見つめながら言った。
「できる保証はあるの? 聖女の力が呪いに通用するとは限らない。それでも君は命をかけて僕を救いたいというの?」
(そう。聖女の力がこの呪いに効果があるかどうか、確実じゃない。一時的に効果を止められたという前回のことがあっただけ。でも……)
コルネリアはレオンハルトに食い下がる。
「私はもう目の前で人が死ぬのを見たくないっ! 可能性を捨てたくないっ!!」
その言葉を聞き、レオンハルトは今度は一転して優しい微笑みを浮かべた後、彼女の頬を撫でる。
「そうか、じゃあ、私も精一杯呪いと闘うと誓う。だから、私を救ってくれるかい? コルネリア」
「はい。必ずもう一度、あなたと笑いあって美味しいご飯を食べる日を、未来を。取り戻します」
「ああ」
そう言ってレオンハルトはベッドに横たわると、その傍らにコルネリアは立つ。
ゆっくり目を閉じたのを確認すると、自身に眠る力を呼び覚まそうと集中した。
(生命の息吹を感じて……息を整えて……)
彼女の精神は研ぎ澄まされ、彼女の呼吸はやがて力に集中するために浅くなっていく。
自らに眠る力に全てを預けるようにして、心を消す。
──彼女の精神が無になっていく瞬間、ふと声が聞こえてくる。
『ダメ』
(え……?)
『そのままじゃいけない。そうじゃない。気づいて』
コルネリアはふっと意識を取り戻すと、レオンハルトの腕の中にいた。
「大丈夫か!?」
「はぁ……はあ……私、どうして……」
「急にベッドに倒れてきたんだ。一瞬呼吸をしていなくて……」
(私、そんな状態に……)
「やめよう、やっぱり。危険すぎる」
「……声が聞こえたんです」
「え……?」
(私は何かを間違っている? これじゃあ聖女の力を使えないということ?)
コルネリアは呼吸を整えながら、聖女の力を呼び起こした時のことを振り返ってみる。
すると、一つコルネリアに思い当たることがあった。
「レオンハルト様っ!」
「なに?」
「もう一度だけ、もう一度だけやらせてくださいっ!」
「君の命の保証がない。僕は嫌だ」
「お願いしますっ!」
何度も何度も頭を下げる様子を見てレオンハルトは一つ息を吐いて、彼女の頭を優しく撫でた。
「これで最後だ。いいね?」
「はい、お願いします」
再びベッドに横になった彼を見つめて心の中でもう一度願う。
(どうか、どうか私に彼を助ける力をください……)
コルネリアは再び目を閉じて、呼吸を整えていく。
呼吸が浅くなる手前でコルネリアは、ふと何か光のようなものが視えることに気づく。
(さっきは視えなかった……形のないあたたかい光。もしかして……)
コルネリアはしっかりと呼吸をすると、その光はぼわっと大きく連動して光る。
呼吸、そして鼓動と共に広がるその光にコルネリアは手を伸ばした。
(これが、私の力……!)
掴みとった彼女の視界は明るく輝き、世界が真っ白になる。
それと同時に向こうのほうに大きく禍々しい黒い渦が見えてきた。
(あれが、呪い……?)
ゆっくりと近づくと、その黒い渦がコルネリアを包み込んで苦しめる。
「んぐっ!!!」
「がっ!!!」
そうしてコルネリアの身体が苦しむと同時に、レオンハルトも同じように苦しむ。
彼女の少し離れた先で同じように渦に蝕まれる人影が見えた。
(レオンハルト様っ!!)
もがき苦しみ、首元を押さえて息苦しそうにする彼に手を伸ばす。
(お願いっ! 届いてっ!!!!!)
コルネリアの腕はもう少しのところで届かずに、渦が鋭く変化したナイフに切りつけられる。
(う……!)
そのナイフは腕に、足に、そして頬にと段々コルネリアの心臓へと届こうとしている。
それでも彼女は腕を伸ばし続けた。
(呪いになんて殺させないっ!)
その叫びが光の刃となって渦を打ち砕いていく。
(もう手を離さないっ!!)
レオンハルトの首元を締めていた闇が消し飛ぶ。
(誰も死なせはしないっ! 大事な人を守るって、決めたからっ!!!)