小ぬか雨の降る中、わたしと有沢由梨は機械的にスコップを動かし、土を掘っていた。
天気予報では、雨は降らないと出ていたが、それは都心部に限られており、山間部では天気の崩れが度々、垣間見られるということだ。
当てが外れたと思ったが、仕方ない。今夜やらなければ、きっと気持ちが萎えるだろう。
即席の懐中電灯を木の枝にかけ、微弱な光の環の中で、黙々とわたしたちは掘削作業を続ける。
時折、雨粒が目に入り、視界を悪くさせる。だからか、掘削はなかなか前進しない。
「ねえ、本当にここでよかったの?」
わたしは苛立って、訊いた。由梨は唇を真一文字に結んで、ひたすらスコップを動かす。
「間違いない、ここよ。桑の実がある木の傍らにタイムカプセルを埋めたんだから」
そう言いながらも、由梨は汗か雨かわからない粒を顔に浮かべている。よく見ると、由梨は泣きそうな顔をしている。
わたしは諦めて、スコップを再び動かす。すると、向こうの方から強い光の環が迫ってくるのが見えた。
掘削に夢中になっていて、光の環に気づかなかった。
「あのときはびっくりしたねえ。まさか、大林先生が見張っていたなんて...」
電話口で由梨が大きな声で話す。
「本当ね。間が悪いってあのことね」
「わたしたち、桑の実を獲ってると思われたなんて、心外だったなあ...」
わたしたちは高校を卒業しても、携帯電話で連絡を取り合っていた。わたしが東京の高校から転校して初めてできた友達が由梨だった。
由梨は初対面から壁を作ることがなかった。東京の高校にいた頃には見られなかったタイプの生徒だった。
「東京ってどんなところ?やっぱり怖い人だとか多いの?」
由梨は自分が勝手に作り上げたイメージを持っている。東京が怖いところというのは、由梨に限らず、校内の誰もが持っている共通事項のようだ。
「怖い人はいないよ。確かに人は無関心かもしれない。でも、生活するにはいいところだよ」
わたしたちは部活はテニス部だった。なぜテニス部かって?顧問が大林先生だったからだ。
由梨もわたしもテニスは初心者だし、さほど興味があったわけではない。ただ、由梨は大林先生が気になり、テニス部に入ることを決めてしまった。それに引っ張られる形で、わたしも入部してしまった。
大林先生はクラスでも人気があった。特に女子生徒からは体育教師らしからぬ、細面の顔から、王子さまと呼ばれた。
ある日、由梨は部活の帰り道でわたしに、こう言った。
「大林先生はわたしに、絶対気がある」
思春期の女子特有の根拠のない自信。ある意味、楽天家でその姿勢は良いのだが、あまり自信を持ち過ぎると、手痛い傷を負うことをわたしは、心配してしまう。
友達が悲しんでいる顔をできれば見たくはなかった。
わたしたちはテニスの技術は素人並みなので、球拾いやコートの整備などをやらされた。
「大林先生は人気がある。やめた方がいいよ。それに、テニス部に入った動機が不純だよ。そろそろ辞めようかなあ」
わたしが帰り道で由梨に言うと、由梨は目を三角にした。
「綾子がそんなこと言うなんて...。でも、わたしは一人になっても辞めない。大林先生を追い続ける」
由梨の決心は固かった。
★ ★ ★
「でもさあ、結局、タイムカプセルの中の手紙は変えることができなかったんだよねえ」
わたしが言うと、由梨は待ってましたとばかりに、くすりと笑った。
「実はさあ、今同棲している拓也と真夜中に出かけて、手紙を交換したんだ。だから、もう大丈夫。タイムカプセルお披露目会の時には、わたしは恥をかかずに済むってわけ」
現在、由梨は山梨で拓也というトラックドライバーと同棲しているらしい。近々、結婚も決まっている。
一度紹介されたことがある。大林先生とはまったく、タイプの違うガテン系で、大林先生はどこ吹く風で、すっかり彼にぞっこんの様子だ。
わたしはというと、特定のカレシもおらず、一人気ままに都内でOLをしている。都内の駅から徒歩、十五分くらいのワンルームマンションに住んでいる。
ペットは飼うことは許されていたが、わたしは犬や猫のような動物の毛のアレルギー体質なので、何も飼ってはいない。
「へえ、じゃあ、十二年前に雨の中、掘り起こしに行ったのは無駄足だったね」
「なに言ってるの?あれはあれでよかったの。わたしたちの友情が深まったんだから」
確かに、わたしはその二か月後、再び東京の高校に転校するのだが、別れ際に由梨に泣かれてしまった。
わたしが東京に舞い戻っても、連絡は取り合っていた。
大林先生はまだ諦めていないとか、タイムカプセルの目印になっていた桑の樹が伐採されて、地元で活躍した、名前の知らない武将の像ができたといったことなどをメールで知った。
あれから十二年、わたしたちは大人になり、いい歳をした女性になった。
★ ★ ★
「十二年後に向けた友人、自分への手紙を書くように」
ホームルームで担任が生徒に向けて言った。その未来に向けた手紙をタイムカプセルに埋め、十二年後に開いて、皆の前で発表するという。
なんだか楽しそうでもあり、無神経な企画のような気がした。
そもそも未来なんてわからない。クラスの大半は手紙に書かれた内容通りにはいっていないだろう。それらの手紙を発表することで、一体誰が得をするのだろうか。
わたしは不思議だった。由梨はというと、未来への手紙をさっさと書いてしまった。わたしには書くべきことがなかった。
「わたし、もう書けた。というか、十二年後、自分がそうなっていたらいいなあと思うことを書けばいいのよ」
由梨は偉そうに指南した。確かに言われてみれば、そうだ。単に願望を書けばいいではないか。難しく考えることはなかった。
わたしはそのとき、意地悪な発想が浮かんだ。
きっと、由梨は大林先生のことを手紙に書いたに違いない。ならば、わたしも大林先生について書こうと考えた。
★ ★ ★
わたしは大林先生と三年前に再会した。わたしが表参道の地下鉄の駅へ向かうため、地下鉄の入り口に入ろうとしたとき、長身の男性が急ぎ足で登ってきたのだ。わたしも急いでいたこともあり、互いが出会い頭に衝突してしまった。
わたしは大林先生に突き飛ばされる形で尻餅をついて倒れた。
大林先生は顔を真っ赤にして、大丈夫ですか?と訊き、わたしに手を差し伸べた。互いに顔を見合わせた瞬間、あっと声をあげた。
わたしたちは、そのままバーへ直行した。
「三島、あの頃と変わんねえな。だから、顔見て、ピンと来たよ」
大林先生はカウンター席に着くなり言った。
「そういう先生だって全然、お変わりがありませんよ」
「お、嬉しいね。わたしはもう三十六のおっさんだけどね」
「おっさんにはまだ早すぎます。で、大林先生は今は何を?まだ先生してるんですか?」
「ああ。一応、東京の高校に赴任になってな。山梨のY高校には去年までいたよ」
わたしは由梨のことを思い出し、訊いた。
「ああ、有沢か。結局、三島が転校してから半年後に部を辞めたよ。もともと、テニスの才能はなかったしな」
わたしたちはカクテルを注文した。大林先生はわたしのカクテルグラスに自分のカクテルグラスの縁をあて、なんだか不思議だと言った。
「セーラー服着てた女子とこうやって、バーでカクテル飲んでるなんて、なんだか変な気分だな」
「そうですか。やっとわたしも大人の仲間入りができたわけですよね」
わたしは嬉しくなった。
「そういえば、有沢は卒業式の日に、わたしに好きなんですなんて、言ってきてな。いや、部活にいるときから、わたしに好意があるのはわかっていたんだけど、なんていうか、女子生徒はわたしにとっては子どもといっしょだから、恋愛対象には入らないんだ」
由梨は夢破れたわけだ。その腹いせにトラックドライバーとつきあうようになったのだろうか?
「三島は今、フリーなのか?」
わたしは大林先生のストレートな質問に身を固くした。確かに今は、わたしは大林先生を受け答え次第でものにできる。棚からぼた餅ではないが、わたしも大林先生にには気があった。
わたしはほろ酔いかげんになった。元来、お酒には強くはなかった。それに、憧れの大林先生に再会したことで、わけもなく緊張してしまい、酔いが思った以上に早かった。
わたしは気が付いたら、ホテルのベッドの上に寝かされていた。どこかでシャワーを浴びている音がする。
頭はまだ、ぼんやりとしていたが、ここがラブホテルであることくらいはわかった。
上半身裸の大林先生がバスタオルで頭を拭きながら出てきた。わたしは初めて大人の男性というものを感じた。そのままわたしは大林先生に抱かれた。
★ ★ ★
タイムカプセルを埋めた時、クラスの全員が立ち会った。
小さなショベルカーが穴を掘り、クラスのめいめいが書いた手紙をプラスチックケースに収めた。
掘り出された穴は、ショベルカーによって元通りに戻された。こうして十二年後まで、手付かずのまま手紙は地中に眠ることになる。