聞き覚えのない言葉が、トモの耳に入ってくる。ぼんやりとした意識に断片的に滑り込むように音が聞こえた。
 言葉の意味は解らないが、なにやら焦っていることだけは伝わってくる。
 瞼を開けると揺り起こす様に視界が上下するのが感じられた。

 視界の端には緑。木々。太陽の光。その色彩が代わる代わる飛び込んでくる。
 先ほどまでいた砂地ばかりの景色とは全てが違っていた。
 目線を真っすぐに戻すと見慣れぬ四人組。
 そのうち一人の女性がトモの肩を掴み揺らしていた。

「……だれ?」

 まだはっきりとしない意識の中、絞り出した言葉はその一言だけだった。

 まどろみの中に落ちそうになる意識に耐えながら、トモは周りを観察した。
 彼女の言葉を聞いた四人組は、何か相談を始めたようだった。
 言葉が通じないようで、彼女たち四人組は心配そうな表情を浮かべるだけで意思の疎通を取るのは難しそうだ。
 彼女たちから視線を外し、周辺に眼を向けると、やはり木々が生い茂りさきほどの荒野とは全くの違う場所らしい。
 トモはここに至るまでの記憶を思い返そうとするが、命を賭した大剣の一振りと切り裂いた感触しか覚えていない。
戦いの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

(確か……異世界エーレンゼルの神をなんとか倒した? 倒したんだっけ? 最後に会話をした気がする……。全然覚えてないけど……それから? っつぅ!)

 トモは鋭い痛みに頭を抱えた。
 何かに会った気がする。しかし思い出せない。
 何か蓋がされたように、思い出せない。その蓋を開けようとすると頭痛がするのだ。 どうしてこの森にいるのか何一つとしてわからない。
 しかも、手掛かりは言葉の通じない四人組だけだ。

 その四人組は、一人は女性、不思議な雰囲気を纏っており、特徴的な長い耳は人間離れしている。
 エルフ? ファンタジーの代名詞のような種族によく似ていた。
 残りは男性、二人は皮鎧を着た中世ファンタジー風の洋装を纏っているぐらいで特徴のない人間はなかった。大男と細身の男。
 最後の一人は、低い身長にがっちりした体格、それにひげもじゃ、こちらもファンタジー世界でよく知られるドワーフと呼ばれる種族に酷似していた。
 トモは見慣れない特徴の人間達に嫌な予感が浮かぶ。 

(うーん。 ここってもしかして異世界? だとしたら不味い。 エーレンゼルの世界だったら……)

 殺される。
 彼らからしてみればトモは侵略対象の世界の兵士だ。
 背筋にナイフを押し当てられるような、ぞくりと来る恐怖心がトモの胸に広がっていく。
 咄嗟にクーリガーの感触を探し、胸の辺りを探るとはた、と気づいた。
 いつも胸元にある球体に反応がないのだ。

(え? 嘘? 壊れた? なんで? なんで?)

 焦ってこんこんと、指でつついてみるもやはり反応がない。

(あるぇぇぇぇぇ? やばくない?)

 壊れた? と焦って指先に魔力を流してみるとぼんやりと明かりがついて胸を撫でおろした。
 流石にこの状況で、一人きりというのは不安がある。せめて相棒がいるだけでも心は大分軽くなるのだった。それが小姑のように口うるさいとしてもだ。

 魔力切れだったのだろう。再起動が始まった。
 トモの周りを四角いウィンドウがいくつも浮かんでは消えていく。
 だがその様子は四人組の警戒心を強めるのには十分な行動だったようだ。

 背の高い男が腰もとに下げた剣を抜き放ち、ずんずんと近づいてくる。
 敵意を持ったその眼光にトモは竦みあがった。
 眼には涙を浮かべ、ただただ震え身を抱き寄せることしかできなかった。

「ぴぃぃぃ! べべべ別に、私戦う気なんてないんです! ほんとお願いします!」

もう剣が振り下ろされる! そう感じたその時トモは目を閉じたが、

「&♯☆~!」

 女性の声が聞こえた。
 その様子を見ていた女性が、大男との間に割って入ってくれたようだ。
 すぐに泣きじゃくるトモの頭を優しく撫でつけてくれている。

 少し落ち着き、トモが隙間からうかがうと大男はバツが悪そうな表情を浮かべ、動かずにいた。
 剣はもう収めている。 とりあえずは危険はないと判断されたようだ。

 子供をあやすように女性に背中をぽんぽんと叩かれていると、ウィンドウがすべて消えた。再起動が済んだようだ。
 脳内にクーリガーの声が聞こえる。
 相変わらず抑揚の少ない淡々とした声だが、今は意味が解るだけとてもうれしく感じられた。

(マイスター、今の状況はわかりますか?)

(どこか異世界に居るのはわかる。 けど……なにも覚えてない。 ここってあなたの生まれた世界か、エーレンゼルじゃないの?)

(マイスター、否定します。 マナの濃度が極めて高すぎます。 我々の世界、アリステラにもここまで濃い場所はありませんし、侵略者の世界ならこれだけマナが豊富ならわざわざほかの世界を侵略しようなどと思うこともないでしょう)

 とりあえず喫緊の問題として、魔法少女とばれて殺されるということはなさそうだ。
 ならばもう一つの問題、言語が通じないという問題をどうにかしなくてはならない。

(言語の解析を頼める? さっきからこの人たちの言葉がわからないの)

(言語サンプルがすくなすぎますね。 何とかボディランゲージでしゃべることを促してみてください)

(わかった。 やってみる)

 10分ほど四人組とやり取りしていると少しずつ言語が翻訳され始めた。
 トモの言葉も、ぼんやりと伝わるようになってきたのだった。

「私、ここ、どこか、知らない。 教えて」

「さっきまで、全然何言ってるかわかんなかったのになぁ……、魔法かこれ?」

 たどたどしいながらも言葉を理解し始めた智子に興味津々といった様子で大男が女性に問いかけた。

「こーら! あんたは邪魔しない。 ここはシュリンドって街の南にあるトレントの森よ。 知ってる?」

 割って入ってくる大男をしかりつけながら、女性が答える。

「ううん。 聞いた、ことない。 シュリンド、知らない」

「そっか。 じゃあお名前教えて? 私はマリー、そこのでかいのがジェイル、髭がゲラルト、そこの細いのがキリアンよ」

「智子。 トモ、でいい。 よろ、しく」

「えらいわねぇ。 礼儀正しい娘じゃない。 さっきの馬鹿が怖がらせてごめんなさいね? トモちゃん」

 ちゃん付けは少し恥ずかしいのか、女性は目線をそらす姿にくすくすと笑う。

「さてお着換えしましょうか? 顔も拭いた方がいいわ。 炭で真っ黒だもの」

 よく見なくてもひどい有様だった。
 変身した時に来ていたマジックコートはところどころ破けているし、炭で真っ黒だ。だがそこでトモは疑問が浮かぶ。
 通常これだけ破損すれば自動的に変身が解けるはず、元のただの女子高生に戻るはずだ。

「マリーさん。 鏡、ない?」

 それを聞くとマリーはカバンの中から鏡を取り出してくれた。

「大丈夫よ? 顔は汚れてるけど傷はないわ」

 トモが鏡をのぞき込むと、そこには変身後の幼い姿があった。
 髪は元の赤茶けた色に戻っていたが、顔立ちや背の高さは魔法少女に変身したその時のままだった。
トモはその姿に驚きペタペタと自分の顔を触る。

「はて? なんじゃこりゃ?」

大口を開けて、あほっぽい表情を浮かべた鏡に映る自分の姿、可愛らしいがつらい思い出のある姿から戻らないことにトモは間の抜けた声を上げることしかできなかった。