「ぴぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! あんのクソ猫! ふざけんなぁぁぁぁ!」
戦場の空白地帯。 光線や轟音が飛び交う荒れ地に、偶然産まれた安全地帯に柏木 智子は放り出された。
塹壕のように砲撃でくり貫かれた浅いクレバスを見つけると、智子はすかさず滑り込むように逃げ込む。
はぁはぁと荒い呼吸を整え、一時の安全を確認すると智子は体育座りで途方に暮れ俯いた。
戦場の真っただ中、それは変わらない。遠いところでは砲撃や銃撃音、そして耳を覆いたくなるような甲高く不気味な鳴き声。
その轟音が響くたびに赤茶けた髪にはぽろぽろと砂粒が降りかかる。
それを払うこともせず、クレバスの隙間から覗く上空に浮かんだ紫色の球体を眺める智子は半泣きだった。
その中で智子はこの戦場の真っただ中に放りだされた元凶に呪詛を呟く。
「死ぬ! 絶対死ぬ! なによこの数! なぁにが相手も追い詰められてるよ! あの大嘘つきの精霊め!」
猫の顔に二本足。その顔に耳まである笑顔を張り付けた、異世界から来た胡散臭い精霊チェシャの顔が脳裏に浮かぶ。
智子はここに連れてこられた経緯を思い出していた。
――「やぁやぁ、トモちゃん。 君、最終決戦だというのに《《まさか》》、逃げられると思ってる?」
黒猫の顔に笑顔の張り付いた気味の悪い二足歩行の男――チェシャはトモと呼ばれた赤髪の女子高生が部屋でがたがたと震えていると急に現れた。
世界は異世界エーレンゼルからの侵攻に対し最終局面を迎えていた。
「ぴぇ、ごべん゛な゛ざい。 でもほんと勘弁してください!」
赤髪の女子高生――トモはその瞳に恐怖を映し、その小柄な体格で全力でノーを表現する。
いやいやと首を振る姿は激しく。その気持ちを雄弁に語っていた。
その姿に黒猫は裂けそうなほど大きな口を更に釣り上げる。
「別に僕はね。お願いにきたわけじゃないんだ。 なぁに簡単なことさ、高度な連携も、作戦もいらない。いつも通り大剣振り回して大暴れしてきてっていうだけさ! なに簡単だろ?」
その顔をトモにぐいっと近づけ黒猫はいう。
簡単だ。そんなの嘘に決まっている。いままで簡単なことなど一度もなかったのだ。半ばいままで押し付けられてきて、痛いのも辛いのも十二分にしてきた。
その経験の中でも特に今回は嫌な予感がしている。
「だって、エーレンゼルの神が降臨するって……。そんなん人が戦うもんじゃないんじゃ?」
「じゃあ、このまま滅びるかい? まぁいいやどうせ君は戦う羽目になる」
そういうとパチン!と指を鳴らすチェシャ。その瞬間トモの世界は一変する。
どんよりとした雲に覆われた荒れ地の上空に彼女は放り出されたのだ。
自由落下を始める体。その不快な感覚と恐怖心、そしてチェシャへの恨み、すべてを込めてトモは叫んだ!
「ぴぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! あんのクソ猫! ふざけんなぁぁぁぁ!」
甲高い心から叫んだ鳴き声を、だれかが聞くこともなかった。
――そして今に至る。
嫌な顔を思い出していると、一際大きな轟音が近くで響いた。 どうやら砲撃がこの近くに着弾したらしい。 クレバス内が激しく揺れる。
ごつごつとした石と硬い砂粒がトモの頭部を襲う。
「あだ! あだ! あだだだっあだ!」
トモは頭部をさすり涙を目に並々と湛えながら、首に掛けた黒い水晶に話しかける。
「ちょっと! クーリガー! なんで防御障壁張ってないの?」
「マイスター。 うるさいです。 潜伏中なんですから静かに。現在は魔力の温存中です。大して使いもしない頭部が多少傷つくぐらいで障壁を張る余裕はありません」
すると、機械の合成音声のような男性的な声が水晶から聞こえる。
その言いざまは辛辣だった。
その水晶の名は魔導生物|《クーリガー》、チェシャが作り与えたトモの相棒。
それは産みの親に負けず劣らず口が悪く陰険であった。
「あんた、主人に対して礼儀がなってないんじゃないの? いっつもいっつもいっつも! 私だって頑張ってるんだから!」
「頑張って、いつもビルを切り落としたり、橋を落としたり、アスファルトを剥がして土を剥き出しにしたりしてますね。 力技がいいとこです。 はぁ」
そういって呆れ果てた様子のクーリガー、表情はわからないが顔があればさぞ落胆した顔を見せていることだろう。
――戦いはそれから三日三晩続いた。ここに無理やりで放り出されて、もう三日だ。
普段着のまま連れてこられて着替えもなく、砂に塗れブロック食料と水だけで三日。
普段はただの女子高生のトモには限界だった。
なぜ私がこんな目に……。 彼女は己の不幸を嘆く。
戦いはまだ始まっても居ないというのにもう心が折れかかっている。
元来トモはそれほど、忍耐強くも我慢強くもない。どちらかといえば飽き性で怠惰だ。
そんな彼女がなぜこの戦場に来る羽目になったかと言えばチェシャと契約し魔法少女になったためだ。
その契約は一方的で、理不尽なものだった。
家の周辺にたまたまエーレンゼルの侵攻兵器が現れ、たまたまトモが巻き込まれ、そして死の間際、チェシャが彼女の前に現れ、命と戦いの天秤を提示したのだ。
そんなもの、選ぶ余地もない。死の間際の強引な契約など認められるわけがない。
しかし、魔法による契約は絶対だ。魔術にクーリングオフや違法契約の概念はないらしい。
「あーもうむかついてきた! あのクソ猫絶対契約破棄させてやる! なんでこんな酷い目に合わなきゃなんないんだ!」
「まぁ、一応は最後の大仕事ですから、チェシャ様も聞き届けてくれるかもしれませんよ? ちゃんと交渉できればですが」
含みをもたせて言うクーリガー、その言い方はどうせトモが言い含められて続ける羽目になるだろうと予想していた。
トモが交わしたのは魔法少女の契約。 異世界の侵略者がこの地球に侵攻を初めて10年、世界防衛の花形は彼女たち魔法少女だった。
各地に唐突に現れる侵略部隊を彼女達通称MMCは、単騎で殲滅する人類の防人だである。
その身軽さもさることながら、軍隊とは違い単騎での戦闘行為が可能という戦闘能力は人々の安寧を守ることに多大な貢献をしていたのだ。
彼女らは時に雄々しく、時に可憐に笑顔でみんなを助ける。そんな愛されるヒロインたちなのであった。
そして先ほどから、砲撃に怯え、みすぼらしく、頭を抱えた少女。
柏木 智子もそんな魔法少女の一人なのだ。
ただし、政府非公認の非正規の魔法少女だが……。
彼女が非正規と呼ばれる理由は簡単だ。
彼女が契約した精霊の陣営と、政府が一括で契約している精霊の陣営が異なるのだ。
そんなことは露とも知らず、彼女は精霊チェシャと契約し相棒であるクーリガーを授かった。
その後の彼女は謎の魔法少女として、世界を股に掛け奮戦した。
しかし非正規の魔法少女である彼女は他の魔法少女と折り合いが悪くいつも一人だった。
そしておおざっぱで強い魔力は人々を守るのと同時に、被害も増える。
非正規《イリーガル》となじられ、責められこともあった。
それでも彼女は戦いを重ねるごとにその強大な魔力を開花させこれまで生き残ったのだった。
そして、この最終決戦の地にて、彼女の役割は侵略者の親玉を討滅することだった。どうやらチェシャが上手く?交渉したらしい。
空白地帯の前方では指揮官級の魔人と正規魔法少女《ミリタリーマジカルキャスター》が高速戦闘を行い、後方では大小さまざまな魔獣と混成軍が戦っている。
非正規の彼女が彼らといきなり連携して共闘というのは、無理な話だ。
ならば、相手の最強の戦力に対してぶつける戦力としての役割をトモは与えられたいう訳だ。勝手に。
どうやら政府も面子にこだわるほど余裕がないようだ。
そのため砂に塗れながら、親玉が転移するまで彼女はじっと変身もせず待ち続けたというわけだ。
いつ流れ弾が飛んでくるともわからない危険な戦場で、だ。
「マイスター。 来ます。 マジカルコートの準備を」
精神がくじけるまであともう少し、といったところで相棒のクーリガーから合図があった。
親玉が現れる前兆か、上空に浮かんでいた紫の球体に力が集まるのが感じられた。
やっと来た。来てしまった。意を決すると彼女は変身するための魔法の言葉を紡ぐ。
「魔導生命体、起動開始!」
その言葉と共にクーリガーよりピンクの光があふれだした。
二秒ほどでその光が収まると、先ほどのみすぼらしい格好の女子高生はいなかった。
その光の中から出てきたのは12歳ぐらいの美少女だった。透き通るような肌に、ほんのりとチークが頬に載っている。
ぼさぼさだった赤茶けた髪はピンクの髪に巻いたツーサイドアップに、薄汚れた服はきらきらと光るフリルのついたスカートや身体のラインが出たドレスに、更にシュシュが両手と右足に巻かれている。
そしてそのかわいらしい格好に不釣り合いな身の丈ほどある大剣を右手で地面に突き立てあらわれたのだ。
先ほどとはまったく違う姿。その姿は別人にしか見えないが、
「やっぱり、私一人でやんなきゃだめ? 親玉って神とか言ってるやつでしょ? 勝てるわけないよ。死んじゃうよ!」
この期に及んで情けないことをいうのは紛れもなく柏木 智子その人で間違いなかった。
泣き言を吐きつつも、彼女は理解していた。
ここが、死に場所だ。
いやいややり始めた魔法少女、最初はそんな気持ちだった。
非正規だと、馬鹿にされ、邪険にもされたがこの手で救えた命はたしかに、ある。
ここで命を燃やし尽くすことで救われる命があるなら……。
そう強く願うと、とめどなく力があふれてくる。
この魔法の才能と、土壇場に見せる博愛の精神。
この精神性は紛れもなく魔法少女、人類の守り手。
弱音を吐くこともあるけれど、彼女はこの瞬間、まぎれもなく魔法少女であった。
彼女は大剣の柄を強く握ると、駆け出した。
――これより彼女の記憶は曖昧となる。
神を見つけ、戦い、切り裂いた。
その感触は残っている。
そして暗転する世界。
その世界に光が灯り物語の幕は上がる。
聞き覚えのない言葉が、トモの耳に入ってくる。ぼんやりとした意識に断片的に滑り込むように音が聞こえた。
言葉の意味は解らないが、なにやら焦っていることだけは伝わってくる。
瞼を開けると揺り起こす様に視界が上下するのが感じられた。
視界の端には緑。木々。太陽の光。その色彩が代わる代わる飛び込んでくる。
先ほどまでいた砂地ばかりの景色とは全てが違っていた。
目線を真っすぐに戻すと見慣れぬ四人組。
そのうち一人の女性がトモの肩を掴み揺らしていた。
「……だれ?」
まだはっきりとしない意識の中、絞り出した言葉はその一言だけだった。
まどろみの中に落ちそうになる意識に耐えながら、トモは周りを観察した。
彼女の言葉を聞いた四人組は、何か相談を始めたようだった。
言葉が通じないようで、彼女たち四人組は心配そうな表情を浮かべるだけで意思の疎通を取るのは難しそうだ。
彼女たちから視線を外し、周辺に眼を向けると、やはり木々が生い茂りさきほどの荒野とは全くの違う場所らしい。
トモはここに至るまでの記憶を思い返そうとするが、命を賭した大剣の一振りと切り裂いた感触しか覚えていない。
戦いの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
(確か……異世界エーレンゼルの神をなんとか倒した? 倒したんだっけ? 最後に会話をした気がする……。全然覚えてないけど……それから? っつぅ!)
トモは鋭い痛みに頭を抱えた。
何かに会った気がする。しかし思い出せない。
何か蓋がされたように、思い出せない。その蓋を開けようとすると頭痛がするのだ。 どうしてこの森にいるのか何一つとしてわからない。
しかも、手掛かりは言葉の通じない四人組だけだ。
その四人組は、一人は女性、不思議な雰囲気を纏っており、特徴的な長い耳は人間離れしている。
エルフ? ファンタジーの代名詞のような種族によく似ていた。
残りは男性、二人は皮鎧を着た中世ファンタジー風の洋装を纏っているぐらいで特徴のない人間はなかった。大男と細身の男。
最後の一人は、低い身長にがっちりした体格、それにひげもじゃ、こちらもファンタジー世界でよく知られるドワーフと呼ばれる種族に酷似していた。
トモは見慣れない特徴の人間達に嫌な予感が浮かぶ。
(うーん。 ここってもしかして異世界? だとしたら不味い。 エーレンゼルの世界だったら……)
殺される。
彼らからしてみればトモは侵略対象の世界の兵士だ。
背筋にナイフを押し当てられるような、ぞくりと来る恐怖心がトモの胸に広がっていく。
咄嗟にクーリガーの感触を探し、胸の辺りを探るとはた、と気づいた。
いつも胸元にある球体に反応がないのだ。
(え? 嘘? 壊れた? なんで? なんで?)
焦ってこんこんと、指でつついてみるもやはり反応がない。
(あるぇぇぇぇぇ? やばくない?)
壊れた? と焦って指先に魔力を流してみるとぼんやりと明かりがついて胸を撫でおろした。
流石にこの状況で、一人きりというのは不安がある。せめて相棒がいるだけでも心は大分軽くなるのだった。それが小姑のように口うるさいとしてもだ。
魔力切れだったのだろう。再起動が始まった。
トモの周りを四角いウィンドウがいくつも浮かんでは消えていく。
だがその様子は四人組の警戒心を強めるのには十分な行動だったようだ。
背の高い男が腰もとに下げた剣を抜き放ち、ずんずんと近づいてくる。
敵意を持ったその眼光にトモは竦みあがった。
眼には涙を浮かべ、ただただ震え身を抱き寄せることしかできなかった。
「ぴぃぃぃ! べべべ別に、私戦う気なんてないんです! ほんとお願いします!」
もう剣が振り下ろされる! そう感じたその時トモは目を閉じたが、
「&♯☆~!」
女性の声が聞こえた。
その様子を見ていた女性が、大男との間に割って入ってくれたようだ。
すぐに泣きじゃくるトモの頭を優しく撫でつけてくれている。
少し落ち着き、トモが隙間からうかがうと大男はバツが悪そうな表情を浮かべ、動かずにいた。
剣はもう収めている。 とりあえずは危険はないと判断されたようだ。
子供をあやすように女性に背中をぽんぽんと叩かれていると、ウィンドウがすべて消えた。再起動が済んだようだ。
脳内にクーリガーの声が聞こえる。
相変わらず抑揚の少ない淡々とした声だが、今は意味が解るだけとてもうれしく感じられた。
(マイスター、今の状況はわかりますか?)
(どこか異世界に居るのはわかる。 けど……なにも覚えてない。 ここってあなたの生まれた世界か、エーレンゼルじゃないの?)
(マイスター、否定します。 マナの濃度が極めて高すぎます。 我々の世界、アリステラにもここまで濃い場所はありませんし、侵略者の世界ならこれだけマナが豊富ならわざわざほかの世界を侵略しようなどと思うこともないでしょう)
とりあえず喫緊の問題として、魔法少女とばれて殺されるということはなさそうだ。
ならばもう一つの問題、言語が通じないという問題をどうにかしなくてはならない。
(言語の解析を頼める? さっきからこの人たちの言葉がわからないの)
(言語サンプルがすくなすぎますね。 何とかボディランゲージでしゃべることを促してみてください)
(わかった。 やってみる)
10分ほど四人組とやり取りしていると少しずつ言語が翻訳され始めた。
トモの言葉も、ぼんやりと伝わるようになってきたのだった。
「私、ここ、どこか、知らない。 教えて」
「さっきまで、全然何言ってるかわかんなかったのになぁ……、魔法かこれ?」
たどたどしいながらも言葉を理解し始めた智子に興味津々といった様子で大男が女性に問いかけた。
「こーら! あんたは邪魔しない。 ここはシュリンドって街の南にあるトレントの森よ。 知ってる?」
割って入ってくる大男をしかりつけながら、女性が答える。
「ううん。 聞いた、ことない。 シュリンド、知らない」
「そっか。 じゃあお名前教えて? 私はマリー、そこのでかいのがジェイル、髭がゲラルト、そこの細いのがキリアンよ」
「智子。 トモ、でいい。 よろ、しく」
「えらいわねぇ。 礼儀正しい娘じゃない。 さっきの馬鹿が怖がらせてごめんなさいね? トモちゃん」
ちゃん付けは少し恥ずかしいのか、女性は目線をそらす姿にくすくすと笑う。
「さてお着換えしましょうか? 顔も拭いた方がいいわ。 炭で真っ黒だもの」
よく見なくてもひどい有様だった。
変身した時に来ていたマジックコートはところどころ破けているし、炭で真っ黒だ。だがそこでトモは疑問が浮かぶ。
通常これだけ破損すれば自動的に変身が解けるはず、元のただの女子高生に戻るはずだ。
「マリーさん。 鏡、ない?」
それを聞くとマリーはカバンの中から鏡を取り出してくれた。
「大丈夫よ? 顔は汚れてるけど傷はないわ」
トモが鏡をのぞき込むと、そこには変身後の幼い姿があった。
髪は元の赤茶けた色に戻っていたが、顔立ちや背の高さは魔法少女に変身したその時のままだった。
トモはその姿に驚きペタペタと自分の顔を触る。
「はて? なんじゃこりゃ?」
大口を開けて、あほっぽい表情を浮かべた鏡に映る自分の姿、可愛らしいがつらい思い出のある姿から戻らないことにトモは間の抜けた声を上げることしかできなかった。
マリーはトモがあっけに取られている姿を横目に背負ったナップザックから服を取り出した。
流石にぼろぼろの服で連れ回すわけにはいかないだろう。 男性陣は着替えが始まるということですでに周囲に散っている。
マリーはナップザックから取り出すと服を拡げ、まじまじと見た。
そしてトモに視線を移す。
「うーん。サイズは合わなそうねぇ。 紐で縛るしかないか」
マリーは女性にしては背が高く、変身前のトモでも丈があまりそうだった。丈だけではなくほかの部分もトモには全体的にボリュームが足りなそうではあったが。
そんなやり取りのあと、服を脱いでいく。
トモはマジックコートを脱ぐなんていうのは初めてのことだが、継ぎ目やホックがないことにマリーは気付く。
そのおかしな服にマリーは首を傾げた。
「トモちゃんこれ。 どうやって着たの?」
この問いに、正直に答えるわけにもいかず苦笑いで「記憶、ない」と返すほかなかった。
現在変身が解けないこともあって、マリーのナイフで裂いていくことにした。
わき腹の辺りに下からナイフを入れるとすんなりと切れていった。
(やっぱり障壁が機能してないよね。 なんで消えないで残ってたんだろう?)
(解析中ですが、何らかの外因があったかと推察されます)
トモの疑問にクーリガーは現状は不明と返すのみだった。
ナイフで服を裂いたことで、トモの肢体が露わになった。
傷がないかとマリーは確認するが特に問題ないようだ。
「へーきれいね。 私すぐおなかに肉がついちゃうから羨ましいわ」
どうやらマリーはトモの身体のラインのきれいさが羨ましいらしい。
しかしトモは内心普段の自分の多少だらしないスタイルを思い出し、恥ずかしくなるのだった。
トモはマリーの言葉をごまかすように、身体を見回す。
やはり魔法少女の時の身体だ。ビルを飛び越え、怪力を発揮する身体。
しかし、素肌を見たのは初めてのことだ。
何となくはわかっていたが、とても均整の取れた身体だ。
思わず普段とは違う肉体に見惚れてしまった。
だがトモは変身後とは言え先ほどから身に覚えのない違和感を感じるのだ。
背中の下、お尻の上の辺りが妙にそわそわする違和感。
それは違和感だけではなく服を脱いだことによる解放感というものに近いものだ。
首を回して背中に眼をやる。
それは視界の端に黒い縦線を作っていた。
「なんぞ? これ?」
左手で掴んでみると、触感を背中の辺りに感じる。
そのまま振ってみるとやはり背中に感触が走った。
恐る恐るトモは目線を黒い線の根本の方に移していく。
それは自分の背中から生えていることが確認できたのだった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
予想外の出来事にトモは絶叫した。
「どゆこと! どゆこと! どゆこと! どゆこと! どゆこと! どゆこと! なんじゃこら! なんじゃこら! なんじゃこら! なんじゃこらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
トモはパニックになる。
ハプニングが重なり、とうとう容量に限界を迎えたようだ。
その様子にマリーがびっくりして話かける。
「そんな慌ててどうしたの? かわいらしいしっぽじゃない? ワーラットのしっぽでしょ? ちょっと先端の形が特徴的だけど」
その言葉にぴたりと止まるトモ。
「ワーラット?」
聞きなれない単語にトモは聞き返す。
「亜人の一種ね。 ネズミの獣人。 耳が特徴ある種族だけどあなたはクォーターかしら? ふつうの人間の耳ね」
マリーは特にしっぽに対して気にしていないようだ。
たしかにマリー自体耳に特徴がある。
あまり身体的特徴にはこだわらない世界なのかもしれない。
それでも今までなかったものが急に生えればびっくりするものだが。
トモはまじまじとしっぽを見つめながら考える。
しかし、この尻尾はネズミの亜人というよりもむしろ、
(これ悪魔のしっぽよね)
全体的に細いのは確かにねずみっぽいが、先端に特徴がありすぎた。
ハート型の突起がついているのだ。
冷静になって考えても自分の身体から生えていることを受け入れられそうにない。
その様子にクーリガーが一言。
(非正規どころか闇落ちしましたね)
その容赦のない一言に「はは」と乾いた笑いが漏れ出した。
いつまでも裸でいるわけにいかないとマリーが服を着替えさせてくれた。
煤に汚れた顔は拭ってもらい。薄緑色の狩猟服を上下着させてもらう。丈は袖口を縛ることで調整したが、少々不格好だ。
最後にと言って、マリーが背後に回り小さくズボンに穴をあけてくれた。
しっぽ穴だ。
しっぽがあると認識してからはどうにも外にだしていないと座りが悪いのだ。
「マリーさん? いいの?」
「いいの。 いいの。 どうせ森歩きしたらすぐぼろぼろになっちゃうし」
一通り支度を終えると男性陣が帰ってきた。
「おっ! きれいになったじゃねーか! それで早速でわりーんだが恩寵《ステイタス》の確認がしたい。連れてくにしても戦力がわからんと判断がつかん」
「ステイ、タス? なにそれ?」
「なんじゃ? この嬢ちゃん恩寵《ステイタス》も覚えちょらんのか?」
髭もじゃの男――ゲラルドが初めて口を開く。
「ほんとに記憶というかこの世界の常識が分からないみたいね。 恩寵っていうのは、この争いの絶えない世界で神々が与えた戦いの力の一つなの。 それがあることで魔物や魔族と私たちは戦えるのよ」
「魔物? 魔族? なにそれ? 美味しいの?」
「あー魔物も魔族も解らないか……、あと食べちゃだめよおなか壊すから、とりあえず私たち人間種族とは違う神様の眷属たちと私たちは争いを続けてる。その為の力ってわけね。 それを見たいのだけでいいかしら?」
どうやら魔族や魔物はたべられないらしい。そのやりとりに男性陣は頭を抱えている。トモもアホだが、マリーも大概のようだ。
(クーリガーどう思う? なんかよくわかんないんだけど)
トモは早々に思考放棄してクーリガーに助けを求める。
その問いにクーリガーは呆れながら答えた。
(はぁ……、現状断っても、進展はありません。悪魔のようなしっぽが生えてるだけで魔族って疑われているわけでもないようですし、一旦受けてみるしかないでしょう)
クーリガーの言葉にトモは、マリーに恩寵を見てもらう様にお願いした。
マリーが何やら呟くと、クーリガーが再起動した時に似た四角いウィンドウが宙に浮かぶ。
それにはこのように表示されていた。
POW:0 CON:0 SPD:0
DEX:0 MANA:0 LUC:0
称号:§Θn 神技:§Θn クラス:なし 主神:×××
その内容に、四人組は愕然とする。
「ステータスオール0ってなんだこれ? マリー見たことあるか?」
ジェイルが深刻な表情で話マリーに聞いている。
「ううん。でも、神から見捨てられし者ってのは昔いたってきいたことがある。
でもトモちゃんは……、主神の欄が隠されてるだけで一応加護は与えられているのね……」
「それに称号や神技《スキル》欄にも隠蔽された跡があるぞ?」
痩躯の男キリアンが二人の会話に割って入る。
いままでトモに興味はなさげであったがその恩寵には興味が惹かれたらしい。
「しかし何かあるにしてもオール0じゃ。すぐにおっちぬのがオチじゃぞ?」
トモの華奢な体躯を見て、ゲラルドは心配そうに話す。
どうやらトモは彼らにとって相当にか弱い生き物と認識されたようだ。
庇護の対象として見られている。
いくら怪しいと言っても、か弱い少女である。
「トモを護衛対象として、森を出る。 転ぶだけでも死にかねない貴重品として扱ういいな?」
ジェイルがそういうと、全員が頷き移動を開始した。
どうやらこの世界は恩寵がなければ残機性ゲームの主人公並みにすぐ死ぬ認識のようだ。
木の根が出っ張るところですら、マリーはトモが崖を歩く姿を見るようにはらはらと見つめていた。心配しすぎだとトモは思った。
トモは移動中、自分の恩寵がオール0という事だがマリーたちのステータスはどうなのか気になって聞いてみる。
「私以外の三人のステータスは教えるのはマナー違反だけど、私のは見せてもいいよ? はい」
そういうと、マリーは金色カードを差し出してくる。
トモが「これは?」と聞くと、冒険者カードというもののようだ。
色は階級を表し、自分たちは上から四つめのゴールドランクの冒険者だという。
その頂点は白銀獅子、白銀鷹翼、白銀と続くらしい。
白銀以上は最早英雄の領域なのだという。
そして冒険者カードには偽造防止のために持ち主のステータスが記載されるのだ。
冒険者カードには、
POW:127 CON:160 SPD:148
DEX:178 MANA:257 LUC:195
称号:― 神技:高速詠唱《ラピッドキャスト》、杖術下位、 クラス:魔術師 主神:ケレス
とトモに比べて充実した内容が記載されている。
マリーは上から四番目の冒険者のランクということでそれなりにステータスは高い方なのだろうがそれにしても、三桁と0では大きすぎる差があるようだ。
この世界ではトモはほんとに一般人並みの力もしくはそれ以下の力しかないのかもしれない。
マリーたちはその後、移動の道すがら、いろいろと自分たちの状況を共に教えてくれた。
森で火事があったこと。
自分たちがそれで調査に来た冒険者であること。
そして、火事の原因が二つあると解ったこと。
そして一つ目の原因がトモであること、それで確認のためトモを起こしたそうだ。
トモはこれまでの経緯で、彼ら冒険者にはなにも覚えていない不思議な亜人の少女として見られている。
情報はこれ以上集まらないと判断し、一旦引き上げるついでにトモを保護するとのことだった。
それにもう一つの原因には接触するのも危険だとも思ったようだ。
現状もう一つの原因は森を荒らしまわっており、手が付けられない状況のようだ。
出会わずに森を抜けたい。そう全員が願っていた。
だがその祈りは唐突な轟音で、かき消されることになったのだった
森林火災があったと聞いていたが範囲はそれほど広がってはいなかったようだ。
一時間も歩けば燃えた木々の数は減り、燻された果実の溶けたカラメルのような香りが漂うこともなくなっていた。
マリーたち一行は森を足早に進んでいた。
ここまで特に野生動物に出会うこともなく、鬱蒼とした獣道を切り開きつつ足を進めていく。
森は特に傾斜があるわけではなく平地だったが、警戒しながらの道程のため顔には疲労の色が見え隠れしていた。
木、蔦、土の代り映えのしない景色にトモも感想が浮かぶわけもなく、ただ黙々と歩みを進めていた。
そんな最中、急に水の流れる音が聞こえてくるのが分かった。
その音にマリーの表情は喜色を表した。
「少し休もう」
ジェイルが宣言する。
疲れの色濃いメンバーは全員同意した。
トモは河原で手足を洗うと、汗が引いていくのが感じられた。
思いのほか川の水は冷たく手を入れたときにはしっぽが反応して直立するのが感じられた。
(やっぱり神経通ってるよねこれ……。ほんとなんなんだろこれ)
意識すれば自分の意思で動く。
それなりに自由に動くようで、上げ下げだけではなくぐるぐるとスプリング状に形を作ることすらできた。
だが何か役に立つ雰囲気もなかった。
ぼんやりとそんなことを考えていると、マリーがカップを二つ持ってこちらにやってくるのが見えた。
「やっぱりそのしっぽ気になる?」
「気になる。 こんなの、あった記憶、ない」
「記憶が曖昧だって言ってたわよね。 ほかに何か覚えてることないの?」
「うーん。 やっぱり、覚えて、ない」
マリーはいい人だと解るがまだ、ほかの世界から来たとかそういう話をして下手に警戒をされるより記憶喪失を決め込むとクーリガーと相談して決めていた。
少し罪悪感が湧いたが、危険だと判断され置いて行かれる事態は避けたい。
荒野の後に森の中で一人きりなど精神が死ぬ。
危険な場所で一人というのはそう何度も体験したくはない。
あの轟音と硝煙と砂埃の三日間は相当にトモにトラウマを植え付けたようだ。
思い出すと目頭が熱くなるのを感じられた。
一通りマリーと談笑していると、地図を拡げたジェイルが話しかけてきた。
「夜通し歩いてさっさと森を抜けるか、ここにキャンプを張って早朝に出るか。どうする? おれとしちゃすぐに出発したいが、嬢ちゃんの体力次第だ」
もう陽も傾き始めている。
一応トモの保護を最優先にしてくれているようだが、森に長居したくはないようだ。
トモにしても見た目は華奢な少女にしか見えない。
多少魔法を使えるというのを把握していても森の不安定な道を一晩歩かせるのは酷だと思っているのだろう。
トモは実際のところは、魔法少女として戦い抜いたのは伊達ではなく体力には十二分に余裕があった。
なので彼らが急ぎたいという意向を尊重し、夜通し歩く決断をした。
一休みを終えると陽が傾き更に薄暗くなった森をまたしても黙々と歩いていく。
先頭にいるジェイルとキリアンが道を切り開きながら、真ん中にマリーとトモ、後方にゲラルトの体制だ。
陽が完全に落ち暗闇の中での行軍でもその体制が崩れることもなく軽快な足取りで進むことができていた。
(魔法かな? 多分私よりみんな周りが見えてるよね)
暗視魔法を発動したが、森の中の為足場の悪さで躓くのだ。
赤外線を捉える程度の魔法のため、段差や根っこ何かは判別できない。
だがマリーたちはひょいひょいと避けたり、トモに危ない場所を教えたりとよく見えているのだ。
彼らが居なければ、トモは無様に泥まみれになっていたことだろう。
そんなことを考えていると、唐突に木々がバキバキと音をたて倒れていく音が聞こえ始めた。
その音は正面方向から真っすぐ近づいてくる。
何者かが木々をなぎ倒しながら高速で近づいてくるようだ。
その音にジェイル達の行動は早かった。
ジェイルは腰を落とし背負っていた大盾を構え、キリアンは近くの気に登り弓を引き絞る。
マリーとゲラルトはなにやら魔力を集め詠唱し始めている。
臨戦態勢というところだ。
そしてその音に反応したトモは、
「あわわわわわわわわわわ! なんか来た! 来てる! 来てるよ! どうしよ! どうしよ!」
いつも通り慌てふためき、相棒の水晶球はため息を漏らすことになるのだった。
「ライトフォーカス!」
詠唱が終わり、マリーが何か上空に光の玉を放つ。
流石にある程度は見えているようだが、光源がない中の戦いは難しいのだろう。
相手に視認されるリスクより、戦いやすさを重視したようだ。
トモも赤い影が見えるのみだった物が全容を表した。
それは体長1mほどの子熊だった。
それが木々をものともせず、直進してくるのが見えた。
このままこちらに突っ込んでくるつもりのようだ。
だがその思惑はジェイルによって阻まれる。
大盾で突進を抑え込んだのだった。
勢いが止まった子熊の眼に間髪を入れず矢が突き刺さる。
その矢の痛みで子熊は二本脚で立ち上がり咆哮を上げた。
すかさずジェイルが飛びのくとマリーとゲラルトが水の魔法弾と土の魔法弾を浴びせかけた。
その猛攻が終わると、子熊は辛うじて立っていたが朦朧としている姿が見えた。
効いている様子を確認するといつの間にか大盾をしまい剣に持ち替えたジェイルが子熊の首筋に剣を横一文字走らせたのだった。
そして子熊は崩れるように地面に伏せる。
鮮やかな手並みだった。
無駄のない連携。個々の技量。そう言ったものが絡みあった結果だろう。
トモはその瞬時の判断と結果に見惚れていた。
「マッドベアかこれ? 子熊にしちゃ力が強かったが、なんで親熊と離れてこんなとこで暴れてんだ?」
ジェイルは子熊の不自然な動きに疑問を口にした。
「マッドベア? この、動物の、名、前?」
トモはジェイルが不安な様子を見せたため、会話を促すことにした。
その言葉にマリーが続いた。
「マッドベアっていうのは熊のモンスターね。 野生動物には近いけど魔力を内に秘めた魔物。 森の中じゃ強い方の魔物だけどあんな無茶な突進できるほどの魔物じゃないわね」
そう語るマリーの表情には不安や不信感といった表情が浮かんでいる。
異常事態が起きているようだ。トモがその表情を見つめているとマリーは、
「大丈夫よ! もう倒したし! 早く森を抜けましょ」
笑顔をトモに向けたが内心の不安感は拭えなかった。
そして皆が移動しようと進行方向に眼をやった時、その不安は的中したのだった。
切り裂いたはずの首から触手のような物が生えている。
それは四対八本が左右に伸びていた。
倒れ伏していたはずの子熊もまたしても二本脚で立っていた。
矢で穿たれた眼は見えていないようで鼻をひくひくとさせ周りを伺っている。
ジェイルが音を立てない様に口に人差し指を立て移動するように指示をだす。
手に余ると判断したようだ。
ここは一度逃げる選択をした。正体不明の化け物と何の準備もなしに戦うほど彼らは愚かではなかった。
だが、どんなに最善の選択をしたとしても時として最悪は訪れるものだ。
子熊が咆哮を上げると触手が膨れ上がり、それを辺りへ無差別に振りまわしたのだ。
木々はなぎ倒され、岩は砕ける。その暴風が収まった後には、誰一人立ち上がれる者はいなかった。
トモ一人を除いては。
危なかった。
咆哮と共に放たれた無差別な範囲攻撃はジェイル達一行を紙のように巻き上げ、辺り一面を木々の生えていない剝き出しの大地に変えてしまっていた。
トモはその一撃を察知すると広範囲の防御術式を発動したが、トモ本人はまだしもジェイル達を完全に守ることはできなかった。
近くにいたマリーとゲラルトはある程度効果はあったのか腹ばいから少しでも立ち上がろうとしているようだが、少し離れた位置にいたジェイルとキリアンは相当の深手のようでうめき声をあげているが動く様子がない。
(なんとか全員生存してる? どうしててこんな防御術式の効果薄いの? ひどい怪我……)
(マイスター。 申し訳ありません。 大気中のマナの干渉が強く既存の術式では広範囲をカバーしきれません。 現状彼らを守りながらの戦闘は不可能と思われます)
魔法少女として戦う時、周りに被害が出ないように防御術式はかなり強固に組んだはずだが被害の大きさにトモはいらだっていた。
その原因について即座に分析した相棒は暗に進言した。
彼らを見捨てろ。そう言外に伝えたのだった。
その言葉にトモは気づいていたが敢えて無視を決め込む。
(短期決戦でいくよ! 収束魔力砲で焼き尽くす!)
(マイスター。 残念ながらその案は何があっても却下です。周辺一帯が吹き飛びます)
「はぁ? それどうゆうこと?」
酷い被害予想に、思わず日本語が漏れてしまう。
(マナの干渉が強いため、連鎖的に周囲のマナを取り込んで爆発を繰り返して超広範囲に飛び火します。逆に収束を抑えれば霧散することでしょう)
「いやいや……。 じゃあどうすりゃいいのよ! 言っとくけど見捨てて逃げるはなしだからね!」
(はぁ……。まったく、こう土壇場になると引かなくなるのは悪い癖ですね。 現状取れる策は一つだけです。近接で殴りあうだけですね。小手先の魔力弾はおそらく無駄です)
「OK。 ところでマジックコート出せる? ぼろぼろだったけど、修復はしてるんでしょ?」
(以前の物については修復不可でした。これも外部干渉されているようです。 ですが、新しいスーツがすでに作成済みです。これも干渉された形跡がありますが性能的には問題ないかと思われます)
「なーんか引っかかるなぁ。 でも仕方ないからそれだして。 あまり時間もないし」
そういうと、子熊があたりを徘徊し始めていた。
とどめを刺すつもりなのだろう。執念深い。
「さぁいくよ! 魔導生命体、起動開始!」
魔導生物起動開始--
紡がれるのは魔法の言葉。
戦いの合図として何度も紡いできた言葉だった。
しかし今回は普段とは違う感覚が彼女を襲ったのだ。
淡い光ではなく深く赤い霧が立ち込め、その霧が自分に取り込まれていく。
心臓が早鐘を鳴らすようにざわつき、どす黒い感情が自分を塗りつぶすように感じた。
「テキヲコロセ! ナニモノヨリモツヨクアレ! タダクラエオノガタメニ!」
その言葉が何度も頭の中で響いたが、赤い霧が消え去るとともに不快なその言葉は消えていた。
「クーリガーあんたこれ知ってて黙っていたわね」
(なんのことでしょう? 外部干渉があったことはお伝えしたはずですが?)
いけしゃあしゃあと宣う相棒に憎々し気な眼を向けるが、喫緊の問題はないと判断したのだろう敢えて伝えず不快感については眼を瞑ったようだ。
その合理的な判断のツケは大体トモが支払うことになっている。
(実際不快感も一時的なものですし、スペックは以前に比べても遜色がないはずです。 いかがですか?)
「いかがですか? じゃないわよ!」
怒りを爆発させ文句を言いたい気分ではあったが、自分の状態を確認することを優先する。
以前に比べてマジックスーツの露出が増え、黒と赤を基調にしたゴシックドレスになっていた。
全体的にスリットが増えたことで恥ずかしさが増していた。
髪は赤毛のツインテール、大胆に空いた背中には蝙蝠のような羽、更には右側頭部には立派な片角が生えていた。
「あ……うん。 完璧にこれ、闇落ちしてない?」
(そもそも闇落ちなんて概念はない筈なんですけどね。 おそらく外部干渉の結果でしょうね)
「さらっといってくれてんじゃなないわよ! ただでさえきらきらした服で戦う恥ずかしい思いしてきたのに、今度はまんま痴女みたいな服ってどういうことよ! デザイン変更しなさいよ!」
(マイスター。 残念ながら、マジックスーツに関しては機能制限がかけられているようです。現状新規作成やデザイン変更ができません。 現状それを使うほか手がありませんね。修復は可能なようですから、問題はないかと)
「はぁ……、っもう! 次から次へと問題ばっか、 せっかくチェシャが干渉してこないってのに……いやこれチェシャがなにかしたの? それと――」
(マイスター! 考えてる暇はありませんきますよ!)
考え込んでいるところにクーリガーが割り込んできた。
はっとして目線を上げると目の前には触手が迫っていた。
「やばっ! 騒ぎ過ぎた!」
子熊の視覚は潰れたままだったが、さすがに声を出し過ぎたようだ。
正確に位置を把握し触手が向かってくる。それを間一髪で避けるとトモは相棒に大剣を出すように指示する。
右手に柄を握る感触を感じると、避けた勢いのまま下から大剣を振り上げる。
筋力強化と斬撃強化された魔法少女の力は容易くその触手を切断した。
どさりと、切り落とされた触手は地面に落ちても生命力を感じさせミミズのように地べたをはい回っていた。
「うわ……、気落ちわる……、やりたくないなぁ……、ってか大剣もなんかデザイン変わってない? なにこの趣味の悪いどくろ……」
マジックスーツだけではなく武器の大剣も全体的にごてごてしたいかつい雰囲気に変わっている。
以前も武骨といった感じで可愛さのかけらもなかったが、今は鍔の部分に大きな髑髏までついている。
「ださい、かわいくない、趣味が悪い!」
(はぁ……、相変わらず無駄口の多い……。 長期戦は避けたいのでしょう。 左わき腹を切り裂いてください。 異常な魔力圧を感じます。 おそらく急所か核かと)
「あっ! そうだった! とりあえず考えるのはあと、あと! さっさと片づけるよ!」
(防御術式は近距離であれば以前と同じように発動可能です。 触手の対処はお任せください)
「おっけ。 任せた!」
相棒からの頼もしい発言に笑みを浮かべると真っすぐにトモは駆け出した。
筋力強化の魔法と、斬撃の強化魔法を全開に弾かれた矢のようにただ真っすぐに突進していく。
その気配に子熊は残り7本の触手を、トモに向けて突き出した。
正面からの猛攻に対して、トモは覚悟を決め大上段の姿勢のまま突っ込んでいく。
硬質な金属がぶつかるような音と共に、両者の勢いが止まった。
防御術式は完全に触手の一撃を遮断していた。
勢いが止まった触手に、トモは振り下ろし一閃! 先ほどの無理な体勢からの軽い一凪とは違う全身全霊の一撃は大地をわり、触手を消し飛ばす。更にその衝撃派は子熊の身体を真っ二つに割った。
追撃のためさらにもう一歩トモは駆け出す。子熊は反応がない。余りに規格外の一撃に反撃の余力さえ奪われたようだ。
トモは子熊の眼前に迫ると、袈裟切りで右肩から左脇腹へ一撃、返す刃で今度は左からの一文字に切り裂いた。
胴から上がごろりと地面に落ちる。
左のわき腹を切り取ったことによるせいだろう。
蠢いていた触手はピクリとも動かなくなった。
べちゃりと左わき腹辺りの肉が落ちた。それは奇妙なことにその部分だけで地面を這って蠢いている。
「ほんと気持ち悪いなぁこれ……。 詳しく解析できる?」
魔力の泡を作り、その肉片を持ち上げつつトモは相棒に解析を依頼する。
(解析結果としては何かはわかりませんが、寄生虫のようなものかと思われます。 寄生した生物に対して、生命力を与えてるようです。 肉片から本体を取り出しますか?)
わざわざ聞いてくることに嫌な予感を感じながらもトモはお願いする。
だがにすぐ後悔することになる。
取り出された寄生虫はアメーバ状で蠢いている。
肉片が蠢くのも大分SAN値が下がる光景だったが。細い触手を伸び縮みさせて蠢く姿は群を抜いて気持ちが悪かった。
「ひぃぃぃぃ! ほっとくわけにもいかないからさっさと隔離して!」
涙目になりながら言う主人に辟易しつつクーリガーは気持ちの悪い物体を位相空間に隔離した。
戦いはあっけなく終わったが、吹き飛ばされたジェイル達は無事だろうか?
トモは変身を解き、近くにいたマリーのもとに駆け付ける。
やはり変身が解けても、以前の魔法少女の姿と同じ姿だった。この姿に固定されているらしい。
「マリーさん! 大丈、夫?」
慣れない現地の言葉で話しかけてみる。
「大丈夫……。ひどく身体を打ったみたいだけど、なんとか生きてるわ。 あの熊倒してくれたのね……。見てたわ。 トモちゃん強いのね……。 お疲れのところ悪いけど、ゲラルトに私のカバンに入ってる薬飲ませてあげてくれない? 彼回復役だから……」
そういうとマリーは気を失ったようだ。
なんとか最後の力で伝えたかったのだろう。
(気を失っただけのようです。 言われたとおりにしましょう。 回復魔術は専門外ですし)
クーリガーに促され、トモはマリーのカバンから薬を取り出す。
それは触手の一撃を受けても無事なように丁寧に梱包されていた。
生命線なのだろう。それは大事にしまわれていて助かった。
うめき声をあげるゲラルトにその薬を飲ませると彼はみるみる回復していった。
起き上がり周囲を見回すと彼はすぐにジェイルとキリアンのもとに向かうとともに別の薬をトモに渡し、マリーに与えるように指示をだした。
その薬をマリーに飲ませると血の気が引いていた顔に血色が戻っていった。
先ほどの薬ほどではないが流血していた足の傷口は閉じ、そしてすぐ意識を取り戻した。
(へぇ……この薬すごいな。 魔法の薬なんだ。 こんなの見たことない)
それはトモには初めての光景で、回復魔術は見たことはあるがこういった回復アイテムのようなものは記憶にない。
回復していく姿を眺めていると、ゲラルトがジェイルとキリアンを回復させたようだ。
三人の声が耳に入ってきた。
(ほんとにすごい。 こんなすぐに回復させるなんて)
大気のマナが濃いということは、魔術に関して地球よりも無茶が利くということだ。
この世界の魔術にかんして勉強した方がいいとトモは感じていた。
「トモちゃん? みんな無事だったのね……」
まだ少し辛そうだ。
トモはゲラルトにマリーの治療をお願いする。
ゲラルトが何かに祈りを捧げるとマリーは今度ははっきりと回復していくのが分かった。
その姿にトモは安堵の表情を浮かべるのだった。
戦いの痕で切り開かれた森はマリーが放った照明魔法を消しても、月明りが差し込み足元ぐらいまでは見えるようになっていた。
化け物の襲来の後の疲弊した身体で森歩きは危険だということで、一行は焚火を炊いて休むことにした。
赤々と揺らめく焚火の火を見つめていると眠気を催すものだが、死にかけたという事実が心音を速めトモ以外の4人は眼を閉じることができなかった。
「マリーは見てたんだろ? その嬢ちゃんが、あのバケモンを退治するところ」
大口を開けて眠りこけているトモに目線をやりつつ、ジェイルは自分たちの身に起きたことを確認する。
化け物の範囲攻撃で自分たちが壊滅したことは覚えている。そして結果だけを見ると化け物は倒されこの豪快にいびきをかいた少女が自分たちを救ってくれた。それだけはわかった。
だが年端もいかない少女に助けられるなどにわかには信じがたいことだった
自分たちが手も足も出ない化け物相手に、だ。
彼らは街でもそれなりに有名な冒険者だ。金等級冒険者チームーー森の木漏れ日。それが彼らの肩書だった。冒険者としての等級も金等級は中堅の上位には位置している。
それ以上は人外の域だ。英雄たちの領域となる。
少しはプライドもあった。だがそんなことをちっぽけな自尊心を抜きにしても、怪しいが無害そうなこの少女に助けられた事実を否定したくなるのだった。
「すごかったよ。 魔力が圧縮された服に着替えて、髪の色なんかも変わってた。 大きな剣であいつの触手粉々にしててね。 吟遊詩人が語る英雄たちみたいだった。 こんなぽやぽやしてるのにね」
トモの寝顔をつんつんとつつきながら、マリーは語る。
そのだらしのない寝顔にマリー以外の三人は大きくため息をつくのだった。
「しかしマリーよ。 この後はどうするんじゃ? やはりその娘を街に連れていくのか?」
ゲラルトはそれほどの力のある者を街に入れてもいいのかと心配していた。
悪意がないとは思うが万が一それが嘘だった場合大変なことになるのは火を見るより明らかだった。
そもそもそれでなくても厄介ごとなのは目に見えている。
置いていく選択は十二分に考慮するべきだった。
「でも、放っておくわけにもいかんだろう。 トレント達はどちらの問題も森から連れ出してほしいという話だった。 おそらく片方の問題は先ほどの熊で間違いあるまい? なら、この娘を放置して森を拠点にされたら森に更なる災厄を呼び込んだと逆恨みされないか?」
普段無口なキリアンも今回は意見を言った
「確かにすごい力を持ってるけど、私たちを守ってくれたなら大丈夫だと思う。直感だけど。そもそも私たちに選択権なんてないんじゃないかしら、彼女がその気になれば多分私たち一瞬で森の養分になるわよ?」
真剣な表情を浮かべたマリーに一同は黙ってしまった。
実際のところあの化け物を軽々倒すような相手に何ができるはずもないのだ。
ここは、ゆっくり休む方がいいだろう。各々そう判断し眠りに付こうかといったところだった。
「あら……、ごめんなさい。 もう眠ってしまったかしら?」
突然強い気配と共に上品そうな女性の声が聞こえた。
その声に対して咄嗟に森の木漏れ日の面々は傍らの武器を取ったのだった。
「そんな怯えなくてもよろしいですよ。 そちらの方とお話をさせていただきたいだけですので」
武器を構える面々に臆することなくその声は続けた。
どうやら敵対の意思はないようだ。
どこからともなく聞こえる声に警戒していると、緑色の光が彼らのいる地点から数歩先に集まりだす。
それは徐々に輪郭を形作り、一際強く瞬くと一人の女性が現れた。
緑の髪に全身から淡い緑色の光が漏れている。白い肌は透明で、森の先が透けて見えていた。
「ドライアド様! まさかお姿を拝見できるとは! これは失礼いたしました。どうかご勘弁ください!」
マリーは相手の正体に気付き武器を向けた非礼をすかさずに謝罪する。
ドライアド――森の管理者にして最上位者、森を拠点にした活動をしている森の木漏れ日一行でも出会うのは初めての超常の存在だった。
マリーの行動にほかの三人も慌てて武器をしまい平伏する。
「あらあら、ごめんなさい。 そんな怖がらなくていいわ。 ほんとにお話があるだけだから」
四人が頭を下げる姿にドライアドは対応に窮してしまった。
ドライアド自身それほど畏まられることに慣れてはいないらしくどう対応するのが正解かわからずにいた。
そんな最中、トモが起きだし、
「え? なにこれ? って、幽霊? ひ、ひぇぇぇ! ごめんなさい! ごめんなさい! お願い成仏してください。 なんでもしますから!」
騒がしく叫び声をあげるのだった。