午前中は狩をし、午後はアダチの授業を受ける。そんな暮らしを五日ほど過ごした夜。勝手に自分達の部屋にしていた都庁跡の一室で、ニコが言い放った。
「ルーメン! 学校はもういい!!」
「そろそろ飽きたと言い出す頃だと思っていたぞ。むしろよく持った方だ」
「わぁは飽きたのではない! 全てを理解したのだ!! もう学校は必要ない!!」
「本当か? では三×五はいくつだ? 確か昨日やっていたぞ」
「ルーメン! 男が過去を振り返ってごちゃごちゃ言うのはかっこ悪いぞ!」
まだしっかりとカタチを保っているミーティングテーブルの上で胡座を組み、スマホのライトに照らされるニコは何故か偉そうだ。
「ニコ、勉強は楽しくないのか?」
「わぁは気付いたのだ! ルーメンが側にいれば、わぁがわざわざ勉強をする必要はないと! 大体のことはルーメンに聞けば分かるからな!!」
なんと雑な理論だ。
「やっぱり面倒臭くなっただけじゃないか!」
「わぁは一つの場所に留まるような才能ではないからな! ルーメン、明日ここを出よう!」
とはいえ、そろそろ潮時というのは事実。視聴者のリアクションも「子供と一緒に勉強してます!」というような教育チャンネルのようなものになってきている。
ルーメンチャンネルのコメント欄は血を血で洗うような応酬が繰り広げられるべきだ。「為になる」なんてのは糞食らえだ。
「分かった。明日アダチに言ってここを出よう。荷物をまとめておけ」
「了解!」
ニコは散らかしていた自分の荷物をリュックに詰め込み始めた。
さて、またしばらくは拠点を転々とする日々が始まる。今晩はゆっくり休むとしよう。
#
再び新宿中央公園跡。アダチはかつて水場のあったところに腰を下ろし、バッタ人間達が狩をする様子を柔らかな表情で見ていた。
「アダチ! わぁは退学するぞ!」
そこに駆け寄ったニコが開口一番、宣言した。
「おぉ、そうか。そろそろとは思っていたんだがな。寂しくなる」
「世話になったな」
「なに。こちらこそ久しぶり人間と話せて楽しかったよ。次は何処にいくつもりだ?」
「特に当てはないんだ。気ままに行くよ」
「それもよかろう」
そう言ってアダチは立ち上がり、こちらに歩み寄って右手を差し出した。
別れの握手か。
普段から酷使しているのか、アダチの手は赤黒い。求めに応えて握り返すとゴツゴツしていた。少々意外だ。
「元気でな」
「アダチこそ、もう歳なんだ。労れよ」
握手を解くと、照れ臭そうにアダチは頭を掻いた。
「ルーメン、行こ!」
もう退屈したのか、ニコは北に向かっている。
「じゃあな」
少し歩いて振り返るとアダチとバッタ人間の姿は見えなくなり、ただ青空に都庁跡があるだけだった。
#
「ルーメン。なんで戻っているんだ?」
休憩の後、俺がまた都庁跡に向かって歩き出すとニコは咎めるように言った。しかし、何かを察したのか、いつもよりは声量を抑えめだ。
すでに陽は落ち、茜色の空は徐々に暗くなっている。
「ニコはアダチのことをどう思った?」
「ジジイ」
「……まぁ、そうだな。奴はジジイだ。それにたぶん、能力者でもある」
「そうなのか? 何も能力を使ってなかったけど」
「奴はバッタ人間から当たり前のようにモンスター化したコオロギの脚を受け取っていただろう。そして後で食べると言った……」
「つまり……変態ってこと?」
ニコが迫真の顔を作る。
「いや、そうじゃない」
「わかった! 昆虫食のライバルが現れたから消しにいくのか。自分以外の昆虫食を認めないその執着心……。怖い。ルーメンが怖い」
ニコの頭を小突くとケタケタと笑う。国語の授業を受けたせいか、妙な言い回しをするようになったな。
「俺の知る限り、普通の人間はモンスター化した虫を食べることが出来ない。たぶん魔素ってやつが含まれているからだ。魔素を多少なりとも体内に取り込めるのは能力者だ」
「わぁはモンスターを食べられるぞ!」
「それはニコがオーガの血を引いているからだろう。前に居た集落でもハイオークの肉を食べられたのは能力者だけだった。魔素が強過ぎたのか、翌日腹を下していたがな……」
「ふーん。それでなんで戻るんだ?」
「俺はバッタ人間に関するアダチの説明が嘘だと思っている」
「トノサマバッタと異世界のモンスターがユウゴーしたってやつ?」
「そうだ。もしそんなことが起きるならそこらじゅうで似たような生き物が生まれている筈だ。あそこにだけいるなんておかしい。……アダチは何かを隠している」
「分かった! 秘密を暴いて配信するってことだな!」
「そういうことだ。俺は配信者だからな」
ニコがアクションカメラに近寄り、「秘密を暴く!」と決め顔をしている。当然伝わらないので、くすねてきた鉛筆でぼろぼろになったビルの壁にこう書いた。
『これからバッタ人間の秘密を暴く! 生温い教育チャンネルの真似事は終了だ!!』
その途端、コメント欄は激流のように流れ始めた。
中野駅の駅ビル跡にある中野集落は度重なるモンスターの襲撃にさらされ、陥落の危機に瀕していた。
集落の長、袴田の身体は日々の戦いの中でとうに限界を超えていた。しかし、袴田は集落で唯一の能力者。彼が戦わなければ集落の被害は甚大なものになる。戦うしかない。
「袴田さんっ!!」
もはやドアさえなくなった袴田の居室に男が飛び込んできた。袴田は堅いベッドの上でみじろぎもせず、目だけを開く。
「……どうした。今日は昼まで寝ていられると思っていたのだが」
「南ゲートの内側に穴を掘られました! バッタ野郎が次々に集落に侵入しています! 奴等また、子供を狙っています!!」
「なんだと!」
袴田は跳ね起き、部屋の外に向かうとするが糸が切れたように膝が落ちる。
「袴田さん……?」
「大丈夫だ。急ごう」
袴田と男はもう動かないエスカレーターを駆け降り、地上へと急ぐ。徐々に悲鳴と怒声が聞こえてきた。
──バリンッ!
突然、かつての駅ビルの窓ガラスが弾けた。そして、人間の子供の体にトノサマバッタの頭がついたモンスターが飛び込んでくる。
「なっ、飛翔可能な個体!」
男が叫ぶ。
キチキチと羽が擦り合わされる嫌な音が響いた。
「……死ね」
袴田が呟くと、その右手から円錐状の氷の杭が猛烈な勢いで射出される。
アイスバレット。
氷を操る能力者、袴田のメインウェポンだ。鋭く回転しながらバッタのモンスターの額を穿つ。
羽の音は止み、モンスターの体が床に落ちる。黒い血が広がった。二人はそれを忌々しく睨みつけた。
「急ぎましょう」
「……ああ」
袴田は地上までのエスカレーターをやけに長く感じていた。脚が先程までより更に重い。能力を使ったせいだろう。この身体、いつまで持つのか。自分が倒れれば、この集落はどうなってしまうのか。新宿集落のようにバッタどもの手に落ちてしまうのでは? 嫌な考えが脳裏に浮かぶ。
「……酷い」
やっと辿り着いた地上は地獄絵だった。
防壁の内側にバッタのモンスターが百体以上、入り込んでいた。南ゲートのすぐ側にマンホールほどの穴が開き、次々とモンスターが這い出てくる。
「いやぁぁ」
女の悲鳴。二、三歳の子供がモンスターに捕まり、連れて行かれようとしている。集落の男が槍で突こうとするが、背後から何体ものバッタに襲われる。
また悲鳴。老婆が地面に倒れバッタに食い付かれている。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。
「……許さん」
袴田の身体が蒼い光に覆われ、周囲に何十というアイスバレットが形成された。そして、放たれる──。
子供を抱えていたバッタのモンスターは胸に風穴が開き、貫通したアイスバレットは別の個体の脳天を貫いた。一瞬で二十体以上が物言わぬ屍となる。
──鉄の臭いが漂った。
モンスター達から警戒の声が上がる。アイツハ強イゾ。アイツヲヤッツケロ。皆デヤッツケロ。
袴田に向けられた複眼は百を超えていた。紅く光り、人間に対する憎しみを感じる。そして……一斉に動き始めた。
「袴田さんっ!」
圧倒的な物量が袴田に押し寄せる。集落の男達はその様子をただ見ているしかなかった。
蒼い光が見える度にモンスターの死骸が積み重なっていく。しかし、まだまだ数は減らない。いつしか、集落を襲う全てのバッタのモンスターが袴田を取り囲んでいた。
「……はぁはぁ」
袴田を覆う光は弱い。
中空に形成されるアイスバレットは二つだけだ。敵に向かって放たれるも、勢いのないそれは躱され地面に落ちた。百の複眼が喜色に染まった。
バッタのモンスターは袴田を囲む輪を縮める。飛翔可能な個体が宙を舞い始めた。
キチキチキチと絶望の音が鳴り響く。
「……ここまでか。ならば少しでも道連れにしてやる。ォォォオオオオオオオー!!」
俄に膨れ上がる蒼い光。命をくべて燃え上がる。
モンスターの間に動揺が走った。そして──。
──ドガアアァァァン!!
地面が捲れ上がった。集落全体が揺れる。
人間もモンスターも何事かと動きを止めた……。
袴田の視界には舞い上がる土砂とモンスターの姿がある。一体、何があった。まだ何もしていないぞ……。
ボタボタと降ってくるのはバッタのモンスターの黒焦げた体だ。よくよく見ると地面に空いていた穴が広がっている。
マンホール程だった穴は直径十メートルの大穴となり、バッタのモンスターを飲み込む。そして、その穴から何かがやってくる気配がある──。
「わぁはニコだ! 助けに来たぞ!!」
穴から飛び出してきたのは男女二人組だった。長身の男に抱っこされた女の子が無邪気に手を振っている。
袴田はパニックになっていた。自分の命を諦めた瞬間、訳の分からない状況に陥ったのだ。
穴から出て来た男女をモンスターが取り囲んだ。
「……可哀想に」
長身の男が呟く。
「……しかし、これ犠牲者を増やすわけにはいかない」
シンとした空間に声が響いた。それを合図にモンスター達が一斉に男女に飛び掛かる。
──ブンッ! と風を切る音が響く。
長身の男がハンマーを一振りすると何体ものモンスターが飛び散った。
これは破壊の神だ。
袴田は生まれて初めて神の存在を認めた。地下から現れた神が涙を流しながらモンスターを屠っている。何故泣いているのか?
青白い光に包まれた破壊の神は、無言でハンマーを振るい続けた。その度にモンスターの体が飛び散った。
──ドシャッ!
最後の一体が飛び散ると、破壊の神はハンマーを手放して地面に大の字になった。その隣に額に角を生やした女の子がちょこんと座る。
女の子が涙を流す破壊の神の頭を撫でている。この子も神なのだろうか?
──静寂。
集落の誰もが状況を飲み込めないまま時間が過ぎる。
「ありがとうございます!」
誰かが声を上げた。
それを聞いて袴田は気が付いた。この集落が救われたことを。
袴田が男女に近寄る。
「貴方は一体……?」
袴田の問いに男は答えない。それを見かねて女の子が口を開いた。
「こいつはルーメンだ! わぁの夫だ!!」
地面に寝そべる男はいつまでも涙を流し続けていた。
「ルーメン殿の様子は?」
「まだ部屋で休まれているようです」
「あの娘は?」
「集落の中を散策しています。退屈なようで」
集落の男はそう答えながら、運んで来た食事のトレイをベッド横のテーブルに置いた。袴田がベッドから上半身を起こし、トレイを眺める。
勝利を祝う為だろうか。いつもより豪勢な食事だ。
「集落の被害はまとまったか?」
「……はい。死者が28名。重症者は52名。南ゲート内側に開いた穴は新宿方面へ伸びており、おそらくモンスター達の拠点の近くまで続いているかと」
袴田が顔を顰めた。
「俺の力が足りないばかりに……」
「そんなことはありません。袴田さんのおかげで私達は今日も生きています」
「しかし……」
「袴田さん。フォローする方の身にもなってくださいよ。あなたが弱気なことを言うと集落全体に影響するんです。もっとドンと構えてください」
「……わかった」
男はそう言うと、袴田の居室から出て行った。モンスターに襲われた後の集落は忙しい。怪我人の世話に設備の修繕。いつ次の襲撃があるか分からない。五体満足な男がのんびりとしているわけにはいかなかった。
袴田は限界まで能力を使った為に立ち上がれないほどに憔悴していた。食欲もなかったが食べないという選択はない。一日でも早く回復しなければという思いがある。
珍しくゴロゴロと肉の入ったスープを食べ終わったのは食事を始めて一時間が経った頃だった。トレイに皿を戻し水を飲んで口の中を落ち着かせたその時、部屋の外で気配がした。
足音はほとんどしないが、空気が動いている。男が食器を下げに来たのか? しかしそれにしては慎重だ。
袴田が入り口に視線を向けると現れたのは長身の男だった。
「……ルーメン殿」
「あんたがこの集落の長だろ? 名前は……」
「袴田だ。このような格好で済まない。集落を救ってくれたことを感謝している」
「先に言っておくが俺は救世主でもなければお人好しでもない。配信者だ。今も絶賛配信中だ」
ルーメンはそう言いながら、右手で小さな板? を触っている。袴田は初めて見るものだ。
「……配信者とは何のことだ?」
「うん? 配信者はなんというか……そうだな。視聴者の期待に応える者のことだよ」
「視聴者は何処にいる?」
「ここだっ!」
ルーメンが手に持つも長方形の板を袴田に見せた。そこには日本語が次々と表示されては流れていく。
「おぉ、袴田! この時代のイケメンランキングの一位に認定されたぞ。よかったな」
「……よく分からない」
「切なげな表情にキュンキュンします! だそうだ」
「……そうか」
「あっ、でもこれ男のコメントだな。袴田はどっちでも大丈夫か?」
「……」
袴田は困惑していた。目の前にいるのは集落の危機を救った絶大な力を持つ男の筈だ。長柄のハンマーを振るい、バッタのモンスターの集団を全く寄せ付けず、一人で壊滅させた。
袴田が見たことのあるどんな能力者よりも強かった。そんな男が部屋にやってきて飄々と訳の分からない会話を続ける。
「ところで袴田、今回のバッタ騒動だがどこまで知っている?」
「……私はこの中野集落を守っていただけに過ぎない。あのバッタのモンスターに新宿集落が落とされたことは知っているが、それ以上は知らない」
「そうか」
「もし何か知っているなら教えてくれないか? 次の襲撃に備えたい」
袴田の問いルーメンは一瞬目を瞑り、ことわることなく部屋にある革張りのソファーに腰を降ろした。そして口を開く。
「まず、バッタ野郎の襲撃は当分ないだろう」
袴田は起き上がり、ベッドに座ってルーメンと対峙した。
「それは何故だ?」
「俺が穴の中で大半潰した。それに製造者が逃げた」
「製造者? ちょっと待ってくれ……。あれはモンスターでは──」
「半分モンスターだな。そして……もう半分は人間だ」
「……どういうことだ?」
「あれはある能力者によって生み出された生き物だ。モンスター化したトノサマバッタと人間を掛け合わせたものだ。本人はその能力を【融合】と呼んでいたがな」
袴田の顔から血の気が引いていく。あのモンスターの中に、集落から連れ去られた子供がいた可能性に気が付いたからだ。
「何故そんなことを! その能力者はどこに!?」
「奴はバッタの軍勢をこの集落に差し向けると都庁跡から姿を消したよ。もしかしたらその能力者のことを知っているかと思ったんだが、知らないようだな」
「……すまない」
「いや、いいんだ。ヤツが上手だった」
ルーメンがまた目を瞑った。一体何を思い出しているのか。都庁跡で何を見たのか。袴田は聞く気にはなれなかった。
「ルーメン! 起きたか!!」
俄に飛び込んできたの額に角を生やした女の子だった。先程のルーメンの話が袴田の表情を暗くする。
「まさか、この子も……」
「違うし! わぁは天然モノだからな! 父親がオーガで母親が人間だ!!」
「……申し訳ない」
「話の流れ的にそう思っても仕方ない。さて、袴田……」
袴田は身構える。
「救世主でもなければお人好しでもない」とルーメンは言っていた。つまり、何かを求めるつもりだろう。
「今回の戦いで大分消費してしまってな。出来れば集落の民にも協力して欲しいんだ。集めるのを」
唾を呑み込む音が部屋に響く。
「一体、何を集まれば……」
「──虫だ! その他、珍しい生き物も頼む。モンスター化したやつだ!!」
……ルーメンの考えがまるで分からない。冗談を言う風でもなく、本気で虫を集めてくれと言っている。
袴田はまた首を捻ることになった。
コメント:誰かなんか言えよ……。
コメント:いや、今回はきついって。
コメント:ルーメンさん……。
コメント:アカンアカンアカンて! アカンて!!
コメント:もう泣きそうやん……。
コメント:馬鹿なの? 泣くなら食うなよ!!
コメント:さすがにBANじゃね? 今回は。
コメント:誰か未来に行って止めてきて!!
コメント:これでBANなら動物食った人は全員BANだろ。
コメント:脳内掻き回される気分だわ……。
コメント:分かれよ。供養だよ
コメント:見てるのつらい……。
コメント:食べなかった何か解決するのか?
コメント:食べなかったらそれはそれで後悔。
コメント:命を奪ったんだから食べよう。
コメント:それはもう人間じゃないよ。モンスターだよ。
コメント:てか単純にゲテモノじゃん
コメント:猿の脳みそとなんか違う?
コメント:いや、違うだろ!
コメント欄が真っ二つに割れている。バッタ人間を食する事についてだ。
テーブルの上には大きなトノサマバッタの頭が一つ。複眼に光はない。ここだけ見ればただのモンスター化したトノサマバッタだ。しかし、こいつは元人間でもある……。
どこの誰だかは分からない。しかし、アダチの能力でトノサマバッタと【融合】するまでは人間として生きていた筈だ。それを俺は食おうというのか?
一方でゲテモノなら先ずは口に入れてみるのがルーメンチャンネルのコンセプトでもある。俺が奪った命。ならば糧にしてみせるという気持ちも確かにある。しかし……。
「ルーメン!」
散策から戻ってきたニコが怒ったような声をあげた。
「なんだ」
「わぁのいない間に配信するなんてずるい! それに顔がおかしいよ。今にも死にそう」
俺の様子が伝播したのかニコは眉毛を八の字にしている。
「少し悩んでいてな」
「食べ方で?」
「いや、食べるか否かで」
ニコは俺の顔をじっと見つめる。頭の中を読み取ろうとしているかのように。
「うーん……これは重症」
そう言うとニコはテーブルの上のバッタ人間の頭を掴んだ。
「どうするつもりだ?」
「こうする!」
──ヒュン!! と開けっ放しの窓から飛んでいくバッタ人間の頭。オーガの血が混ざっているのでニコの膂力は人間離れしている。その強肩によって遠くへ投げ飛ばされた。
「……おい。それでは視聴者が納得しないぞ」
「わぁはルーメンが辛そうな顔をしているのは嫌なの! だからその原因をなくした!! それにこれがあれば視聴者は納得するだろ!?」
そう言ってニコがリュックから取り出したのはモンスター化した巨大なカタツムリ。しかし様子がおかしい。触覚の部分が緑と白の縞々になり蠢いている。
「これは寄生虫……。ロイコクロリディウムに寄生されたモンスターカタツムリ!?」
「なんか変なやつがいたから捕まえてきたのだ! 凄いだろ!!」
ニコが胸を反らして得意げにする。
「あぁ。凄い。なかなかお目にかかれないヤツだ。この寄生虫はな、カタツムリの触角に寄生してイモムシのように擬態するんだ。そして鳥などに捕食されるように誘導する」
「何でカタツムリを鳥に狙わせるんだ?」
「カタツムリから鳥に寄生先を変える為だ。この寄生虫の最終目的地は鳥の腹の中なんだよ。そこで成虫となり、卵をたくさん産み、鳥のフンと一緒に拡散される」
「うーん、今回はルーメンのお腹の中に寄生してそこで産卵するってこと? ルーメン、寄生虫の親になるの?」
「ならねーよ! そもそもなんで生でいく前提なんだ! 流石に火は通すぞ!!」
「鳥さんは生で食べるのに? ルーメンは鳥さん以下!?」
クソッ! ニコがコメント欄に影響されている!! 煽り方がアイツ等そっくりだ。コメント欄を見ると──。
コメント:寄生虫きめええぇぇぇ!!
コメント:ニコちゃん、唐突だな!!
コメント:いや、これ生でいくの!? やばい
コメント:ルーメンの目がカタツムリみたいに!?
コメント:まぁ、ルーメンなら余裕っしょ。生
コメント:よく噛めば平気!!
「そんな訳あるか! ニコ、鍋を借りてきてくれ!!」
「あーぁ、火を通すのかぁ。チャンネル登録者減っちゃうなー」
「うるさい!」
「観客も集めてくるね! 盛り上げないと!!」
悪戯な笑顔を浮かべ、ニコは部屋を出て行った。
#
「ルーメン殿……。これは何の催しですか?」
中野集落の地上部分。俺が大穴を開けた南ゲートの側には人だかりが出来ていた。その騒ぎを聞きつけて中野集落の長、袴田はやってきたらしい。
「俺の故郷では戦いで亡くなった人々の魂を鎮める為に、ゲテモノを食べるんだ」
「集落の民に虫を集めろと言ったのはその為……?」
「そうだ」
んな訳ない。俺が普通に食ってバフを得る為だ。
「ルーメン、鍋が沸騰したよー」
焚き火にかけられた大きな鍋からは大量の湯気が上がっている。その様子を集落の子供達が不思議そうに見ていた。
ニコがリュックから例の巨大なカタツムリを出す。本体はほとんど動かないが、その触覚にいる寄生虫、ロイコクロリディウムが激しく脈動している。その様子に集落の民は悲鳴を上げた。
よし。煽るか。
俺は焚き火の側に立ち大きく息を吸い込んだ。
「先日のモンスターの襲撃でこの中野集落は大きな被害を受けた! 命を落とした者もいる。その家族や友人は深い悲しみを抱えているだろう」
集落に俺の声が響き渡る。
「しかし、我々は前に進まねばならない。生きてゆかねばならない!」
パチパチと薪が弾ける音がする。そろそろだな。
「そこで今日は鎮魂の儀を行う! 俺の故郷では死者の魂の前でゲテモノを食べ、その様子で魂を鎮める!!」
集落に動揺が広がる。この人は何を言っているんだろうと……。
「ニコッ!」
「ほいっ!」
ニコは鍋にカタツムリを放り込んだ。寄生虫のいる触覚が苦しむように激しくうねる。揺れた鍋なら熱湯が溢れ、薪から激しく水蒸気が上がった。
やがてカタツムリは完全に動かなくなった。寄生虫の体は茶色に変色している。
「ニコッ!」
木製のトングでカタツムリは鍋から取り出され、皿に乗せて俺の目の前に差し出される。受け取ると、茹でた貝類のような香がする。これは……美味そうだ。二十センチ程のカタツムリを片手で掴み、頭の部分を噛みちぎる。
──美味いッ!!
「どんな味?」
「上等な貝類だ! 火を通しても適度な硬さで食感も素晴らしい。そして寄生虫部分の旨味も強い。これは……絶品だぞ!!」
俺の食レポを聞いてニコは満足そうにする。自分の採取したゲテモノが評価されたからだろう。
あまりの美味さにあっという間に完食してしまった。鎮魂の儀という建前を一瞬で忘れてしまっていた。マズイな……。どうする? ちょっと尺が足りないぞ。
「これ……」
集落の男の子が俺の側にきて麻袋を差し出した。受け取って中を覗くと、頭を潰された巨大なオケラがいた。この子が採ってきてくれたのだろう。
「ありがとう」
男の子は軽く頷き、人垣に戻る。
「ニコッ!」
「ほいっ!」
モンスター化したオケラが鍋に放り込まれる。その様子を見て、子供達が流れを理解したようだ。俺の前に次々と麻袋が差し出され、山となる。
「ルーメン、出来たよ!」
ニコが茹で上がったオケラの乗った皿を持ってきた。うーん、前脚の部分が硬そうだな。どうやって食べようか……。
「……ルーメン殿。私も」
それまでずっと見ているだけだった袴田が寄ってきた。ある種の覚悟を決めた表情をしている。
「無理はしなくていいぞ」
「いえ。私はこの集落の長です。私も鎮魂を」
そう言って俺の持つ皿からオケラを取り、マイクの用に握る。
「死者の魂よ、安らかに……」
袴田は目を瞑ったままオケラの腹に齧り付いた。その瞳から涙が頬を伝わる。すまん、袴田。色々とすまん。居た堪れなくなってコメント欄を覗くと、視聴者が混乱していた。
コメント:イケメンがオケラを食べるだと!?
コメント:なんだこの展開は!?
コメント:ちょっと解説してくれ
コメント:何で泣いてるんだ! 不味いのか!?
コメント:無理矢理はよくないよ! ルーメン!!
コメント:謎すぎるだろ!!
そうだよなぁ。謎だよなぁ。でも、今更止められない。
その後も俺と袴田は集落の民が集めてきたゲテモノを鎮魂の儀と称して食べ続けた。翌日、袴田が腹を下したのは言うまでもないだろう。
「それは本当か! 袴田」
中野集落に受け入れられた俺達は、復興を手伝いながら気ままに過ごしていた。といっても作業を手伝うのは俺ばかりでニコは遊び呆けていたが……。
南側ゲートの穴を塞ぎ終え、ちょっとした打ち上げを開いていた時のことだ。車座になって酒を飲み、取り止めのない馬鹿話をしている中で、袴田がある存在についてさらりと言った。
「あぁ、エルフならいますよ。女の」
「なに! どっちのタイプだ!?」
俺の声に袴田はビクリと仰け反る。
「……タイプとは?」
「色白で貧乳な方か!? それとも褐色の肌に巨乳の方か!?」
「……褐色で巨乳の方です」
よし! ダークエルフの方だ! これは映えるぞ!!
「素晴らしい! 初めて役に立ったな! 袴田!!」
「そ、そんなぁ……」
不服そうな顔をしているが、無視だ。
「で、どこにいる!? 今すぐ案内してくれ!!」
「……ちょっと待ってください。もう夕方ですよ? 今から行っても夜になってしまいます。せめて明日にしてください。そうすれば集落の者に案内させますから」
「そこをなんとか!」
「……駄目です。危険です。明日の早朝から出かければ昼には着きます」
ちっ。仕方ない。ここは集落の長に従おう。
「分かった。明日早朝から頼むぞ」
「……はい」
俺は渋々了承し、ローストしたこおろぎを咀嚼した。エルフ……待っていろよ!
#
「重い」
俺に重なって眠るニコを退けてベッドから降りる。窓の外はまだ薄暗い。随分と早く目が覚めてしまった。
「ニコは寝ていろ。一人で行ってくる」
意外と眠りが浅かったのか、ニコは薄目を開けてこちらを見る。
「……駄目。一緒に行く。眠い。寝る」
「どっちだ。寝るのか一緒に行くのか」
「……おんぶ」
よし、置いて行こう。俺は素早く身支度を終え、朝食としてカメムシを齧る。ちょうど菓子パンの感覚。適度な甘味が脳を覚醒させる。
あてがわれた部屋を出ると、人影が見える。こちらに気付いて歩み寄り、男は頭を下げた。どうやら、この男が俺をエルフのところまで連れて案内してくれるようだ。
「ちょっとルーメン! わぁを置いていくつもり!?」
男との会話を聞いて目を覚ましたニコが、寝癖のついた頭で部屋から飛び出してきた。不満げだ。
「どんな危険があるか分からない。いいのか?」
「ルーメン、顔がニヤけてる! いやらしいことを考えているだろ!! 絶対に一人ではいかせないから」
ちっ。鋭いな
#
中野駅跡から北は深い森になっていた。
都市の森林化にはどうやら差があるらしく、この辺りは今まで歩いたどこよりも緑が濃い。樹木に挟まれるようにして崩れた住宅が行手を阻む。
案内を任された男は森歩きに慣れているらしく、スルスルと進んでいき、ニコも後に続く。
「ルーメン! 遅い!」
「いや、お前らはやすぎだ。もう少し手加減しろ」
最近、ボロボロとはいえ舗装された道ばかり歩いていたせいだろう。平らなところのない森の道程は体力を奪う。しかし、この先にはエルフがいる。しかも、ダークエルフ……。
「おっ、どうしたルーメン。急に元気になったな」
「目的を思い出したら活力がわいた」
「あっ、またいやらしい顔をしてる! 駄目だぞ! 絶対に駄目だからな!!」
ニコは拳を握り、グイっと見上げるように抗議する。
「それは誤解だ。エルフといえば森の民。きっと昆虫や森の生き物にも詳しい筈。俺はそれを目的にしている」
「嘘だ! ずっとニヤニヤしている!」
「これは未知なる昆虫へのニヤニヤだ!!」
「……あの、置いて行っちゃいますよ?」
男が腰に手を当て、呆れた様子でこちらを見ていた。
「すまない。急ごう」
森はさらに険しくなる。そして徐々にこの世ならざる雰囲気を帯び始めた。
「なんか変!」
「あぁ。変だな」
たとえば一枚の葉っぱ。よく見ると葉脈とは別のスジが走っている。こんなスジは地球の植物にはない。森の入り口は普通だったが、奥に進むにつれて少しずつ何かがおかしい。
そもそも空気からして違う。マイナスイオンとかそんなものではない。身体に纏わりつくような何か。それが濃く空気に混ざっている。
「……あのー、平気ですか?」
案内役の男が控え目に口を開いた。
「平気? まぁ、違和感があるが……」
「あぁ、よかった。やっぱり能力者さんは魔素に耐性があるんですね。この森、魔素が濃いので普通の人間なら苦しくなったり、痒くなったりしますから」
男は厄介事を抱えずにすんでホッとしているようだ。
「お前は平気なのか!?」
ニコが無遠慮な疑問を投げかける。
「私は魔素に特別強い体質なんですよ。集落でこの森の深くに入って平気なのは袴田さんと私ぐらいです。この森は──」
──ガサッ。
下生えを掻き分けて奇妙な生き物が現れた。二十センチぐらいのゾウムシのような虫。ただ鼻に見える部分が三本に分かれていて、それぞれが忙しく動いている。
そっと近づき、ゾウムシ? をアップでアクションカメラに収める。
コメント:うげええ! きめええええ!!
コメント:なんだこの虫!? 新種!?
コメント:脚の数も多くない?
コメント:これは昆虫じゃないな。
コメント:目が赤い。モンスター化してる。
コメント:これ食べると鼻増える?
うっ……。食べるのやめようかな。鼻が増えるのは困る。
そんな逡巡をしている間に三鼻ゾウムシは意外な素早さで走り去ってしまった。コメント欄には落胆の声が溢れているが、俺は少しホッとしている。
「……地球の虫じゃない?」
「ええ。そうでしょうね。この森は異世界と繋がってるいるみたいなので」
植生の違いはそういうことか。という事は……。
「モンスターが出現するんじゃないのか?」
男はにっこりと笑う。
「それを抑えてくれているのが、エルフさんなんです。もうすぐ見えてきますよ」
そう言って男が指差した先には、大樹と完全に同化した緑の家があった。あそこにエロい身体をしたダークエルフが……。
逸る気持ちを抑え、一歩づつ緑の家に近く。
玄関まであと十歩。
無風だった森の中にビュンと一陣の風が吹く。思わず目を閉じるほどの強さだ。そして目を開けると──。
「かかか! なんじゃお前達。珍妙じゃのぅ」
──豪快に笑う女がいた。暴力的なまでの色香を振り撒く、褐色の肌をした美女。どんなサービス精神なのか、その身に張り付くワンピースは身体のラインを強調している。
「ちょっとポーズをとってもらっていいですか?」
「なんじゃ? なんじゃ?」
「これ、カメラなんで視線はここで」
「だからなんじゃと聞いておるのだ!?」
バチンッ! と頭が叩かれる。
「こらっ! ルーメン!! デレデレするな!!」
うん。ニコは無視だ。俺はカメラの向こうにいる何十、いや何百万人もの男性の夢を背負っている。
「ちょっと胸を寄せるように腕をクロスしてもらってもいいですか?」
「……ルーメンさん。流石にやり過ぎでは……。まだ挨拶もしてないのに」
案内役からも言葉が飛ぶ。しかし俺は配信者。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。とはいえ挨拶は大事だ。
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺はルーメン。近くの中野集落に世話になっているものだ」
「わぁはニコ! ルーメンの配偶者だ!!」
カメラに向かって胸を寄せていたダークエルフが姿勢を戻し、ニコに対抗するように胸を張る。
「ワシはアンスラ! この森を抑えるエルフじゃ!!」
一人だけテンションについて来れない案内人が困った顔をしながらポリポリと頭を掻いていた。
「なるほど。おんし、時滑りをしたのか」
アンスラはアクションカメラのレンズを覗き込みながら言う。スマホを見ると、ルーメンチャンネルのコメント欄はずっとお祭り騒ぎだ。様々な言語での書き込みがとめどなく流れている。
「そんで、こっちの娘は人間とオーガの混血とな」
「うん!」
緑の家に通された俺達は、外から見るよりずっと広い室内で寛いでいた。
「ヘンテコな二人組があったもんじゃのう」
カメラをテーブルに置いて面白そうに言う。
「アンスラは何でここに一人でいるんだ? あと、水着配信のリクエストが大量にきている。問題ないよな?」
「ルーメンよ。質問と要望は分けんか」
「ならば、質問には答えなくていい」
案内人がため息をつく。
「……あのー、ルーメンさん。アンスラさんはこの森に空いてる穴を抑えてくれているんです。あまり失礼なことは控えてください」
「まぁよい。ワシも退屈じゃからな。これぐらいで怒ったりはせん。ただ、事情は説明しておいた方がええじゃろ」
そう言ってアンスラが姿勢を正した。
「ルーメンよ。この地球にはモンスターがおるじゃろ? そいつらはどうやって来ると思う? おんしらの言う異世界から」
「……知らん」
「この地球と異世界は管みたいなもんで繋がっとるのじゃ。こいつらは穴と呼んどるがな」
アンスラが案内人を見ると、コクリと頷いた。
「その穴を放っておいたらモンスターは際限なくこの地球にやって来る。何せこっちの生き物は弱いからな。なんぼでも殺して食える。それに、ある程度知性のあるモンスター達にとって、暴力は快楽なんじゃ」
今まで遭遇したモンスター達のことを振り返る。オークにオーガ達。奴等は確かにそうだったかも知れない。
「しかし、異世界人からしたら好都合じゃないのか? モンスターが地球に行った方が」
「勿論、そんな風に考える奴等もおる。そやけど、全員じゃない。申し訳なく思う者もおる」
「アンスラさんのように」
案内人の男が付け加えた。
「まぁ、そういうことじゃ。ワシは穴に結界を張っておるんじゃ。あんまり目の細かい結界じゃないから、ちっこい奴等はやって来るがの」
「それで充分ですよ。小型のモンスターなら我々でも対処出来ますから」
なるほど。アンスラがこの辺りで慕われている理由はわかった。今でもギリギリの中野集落だ。これ以上強力なモンスターが現れれば袴田一人では持たないだろう。
「この森以外にも異世界と繋がった穴はあるのか?」
「至る所にあるぞ。結界で封ぜられた穴もあれば野放しの穴もある。一番有名なのはオンシらも知っとるだろ。富士山じゃ。あそこの穴はでっかいからな。たまにとんでもない大物も抜けて来るぞ」
富士山……。この時代の人々にとって日本の最高峰は世界異変の象徴となっている。富士山から異世界との融合が始まったと。
「事情はわかった。それで水着配信だが……」
「かっかっかっ! ルーメンは本当に懲りない男じゃな。ええじゃろ。オンシがワシの頼みを聞いてくれたら、ワシは水着でも素っ裸でもなってやるぞ」
──バチンッ! と背中が叩かれる。隣を見ると眉間に皺を寄せたニコがいる。
「ニコ。これは視聴者の願いなんだ。俺は配信者。視聴者を喜ばせなければならない。俺がアンスラの水着姿を見たいわけじゃない!」
「本当か!?」
「本当だ!!」
肩を持って真顔で答えると、ニコは仕方なく黙った。よし。まだまだ子供だな……。
「ワシはこの森から動けんでな。ちーとばかしお使いに行ってくれんか?」
そう言って微笑むアンスラの顔は美しく妖しいものだった。
「ルーメン、重くないの?」
「当然重い」
「ははっ! 重いかっ!」
ニコは俺が背負うリュックをパンパン叩きながら、嬉しそうにする。リュックの中には故障した魔道具がいっぱいに詰まっている。
「タマコって遠いの?」
「多摩湖まではかなりある。何泊も野宿することになるだろう」
アンスラのお使いというのは、故障した魔道具を修理に出してきて欲しいというものだった。依頼先は多摩湖にいるというドワーフ。アンスラと同じように異世界と繋がる穴に結界を張っているらしい。全く、ファンタジーで面倒なお使いだ。
しかし、アンスラの水着配信がかかっている。視聴者の期待感はすごい。全世界のファンタジー好きが注目していると言っても過言ではない。俺はお使いを完遂するしかないのだ。
中野の森を抜け、なんとか西武新宿線と思しき線路の跡を見つけた。これを辿っていけば東村山までは行ける筈だ。そこまで行けば多摩湖も近い。
「ルーメン、このセンロってやつは何なの? よく見るけど」
そうか。ニコは電車が動くところを見たことがないのか。年齢を考えると母親も同じく知らなかったのかもしれない。
「この鉄の棒があるだろ? この上をあの電車ってのが走ってたんだ」
「あぁ、あそこに転がってる四角いやつだな。あれは入ったことあるぞ。椅子しかなかった」
ニコは線路脇に横転したまま放置されてなる電車車両をつまらなさそうに見つめる。
「あれは人を運ぶ為のものだからな。余計なものはないんだよ。もしあの電車が動いていたら、多摩湖にだって今日中についた筈だ」
「へええぇ。それは便利。ルーメンのスマホを当てたら動き出すんじゃないのか? あの電車」
「……そんなことはないだろ。ないよな?」
ニコの言葉にハッとした。俺の持つスマホとカメラはこの世界のルールから外れて電気で動いている。しかも常時充電満タン。それを他の電化製品に転用できる? 今までは勝手に出来ないものだと思い込んでいたが……。
「ちょっと試してみよう」
横たわる電車の扉をこじ開け、車内に飛び降りる。ニコはキャーキャー言いながら落ちてきた。楽しいらしい。
中は意外なほどに綺麗で特に荒らされた形跡はなかった。締め切られた空気が生温く、少々息苦しいぐらいだ。
「何するの?」
「まぁ、見とけ」
車輪の照明部分のカバーを外すと、今はもう光ることのない直管LED灯がある。
「少し離れてろ」
「うん」
アクションカメラを下に置いてその上にLED灯の片側をのせる。まだこの時点では反応はない。そしてLED灯のもう一方にスマホを近づけると──。
「光った!!」
強烈なLEDの光が電車内を照らす。近距離で光を浴びたせいで視界が点滅する。
「凄いな! ルーメンのスマホとカメラは!!」
離れていたニコが駆け寄り、俺の背中を叩いて興奮している。興奮するとすぐ人を叩く癖はオーガの血が原因か?
「あぁ。まさかこんなことが出来るとは。他のものも試したい。ちょっと民家の家電を漁りながら旅をしよう」
「楽しそう! 賛成する!!」
多摩湖への旅は使える家電探しというもう一つの目的を加えて続くことになった。
「ルーメン! これブワーってなる! ブワーって!! 凄い!!」
廃墟となった美容室からニコが見つけてきたものは、業務用のドライヤーだった。保存状態がよかったのか、それとも元の作りが良かったのか。俺のスマホを電源として見事に動いている。
「ふーごーひぃぃぃ」
「喉が乾くぞ。やめておけ」
自分の口に向かってドライヤーの風を当てるニコは楽しそうだ。
「他には無かったのか?」
「なあぁはっはー」
無かったか。
「ふぅ。ルーメン、カデンって面白いな!」
「初めてだと面白いだろうな。俺のいた時代では家電は当たり前だったからニコみたいな感動はなかったけれど」
「ルーメンのいた時代に行ってみたい! 行けるかな?」
ニコの言葉に心臓が跳ねた。配信者の使命としてこの世界のことを伝える! と自分に言い聞かせていたが、果たして俺の人生はそれだけで良いのか? 急に不安になる。
「ルーメン。顔が変になったぞ!」
「少し、考え事だ」
「どしたん? 話聞こうか?」
「ニコ、その言い回しをどこで覚えた?」
「コメント欄!!」
コメント欄の奴等、余計なことを。最近はニコが勝手に単独で配信して、コメント欄がおじさん構文で溢れることがある。新たな視聴者の獲得と割り切って放置していたが、そろそろ引き締める時期かもしれない。ニコの単独配信は有料メンバー限定コンテンツにするか……。
「ルーメン、顔が戻った!」
「……そうか」
「その顔の方がいいよ! 悪巧みしているいつもの顔がいい」
「悪巧みじゃない! ほら、そろそろ行くぞ」
「はーい!」
本来の目的──アンスラのお使い──を忘れて廃墟で宝探しをしていたが、そろそろ進まねばならない。
百年以上放置されてまともに動く電化製品はほとんどなく、戦利品はニコが見つけた業務用ドライヤーと俺が見つけた卓上LEDライトだけだった。
卓上LEDライトは夜の配信時に非常に役に立つ。今までは毎回焚き火の準備で大変だったが、スマホにLEDライトを当てるだけで照明を確保できるのはありがたい。
「まだ遠いの? タマコ」
「あぁ、まだまだだ。多摩湖は。ひたすら線路に沿って歩くぞ」
「へいへーい」
宝探しが楽しかったのか、少し不満そうにしながらもニコは歩き始めた。
まだ田無駅跡だ。先は長い。
#
「ルーメン! キモイのがたくさんいる!」
雨上がりの線路沿いに大量に湧いていたのはモンスター化したナメクジだった。
「ルーメン、スマホ貸して!」
何をするつもりなのか? ニコが俺のズボンのポケットからスマホを奪い取り──。
「カデンの力だ!!」
ニコはお気に入りの業務用ドライヤーを構え、二十センチ以上あるナメクジに熱風を浴びせる。ナメクジは苦しそうにその身を捩る。
「ターボだあぁぁー!!」
ドライヤーを最大出力にするとナメクジはみるみる縮み、小さくカラカラになって動かない。
「勝ったぞー!!」
ニコがドライヤーを高く上げて勝利を宣言する。その様子にたくさんいたナメクジ達が恐れをなして逃げていく。
「待て! 逃げるな!!」
手当たり次第に熱風を浴びせると、ナメクジは面白いように転がる。そして、悲鳴を上げ始めた。ナメクジが声を……。こいつら、本当にナメクジか? 何か違う気がするぞ……。
「どうだ、ルーメン! ニコ様にかかれば気持ちの悪いモンスターだってイチコロだぞ!」
「あぁ、そうだな」
妙な胸騒ぎがする。落ち着かない。身体が揺れるような感覚。いや……実際に揺れている。
「ルーメン?」
「ニコ、何かくるぞ」
線路が激しく揺れる。そしてやってきたのは電車と同じようなサイズのナメクジのモンスターだった。