思い出すだけで胸の奥が焼けて吐き気がするような話を、なんとか日野に伝えた。日野は、うんうんと頷きながら聞いてくれた。
「そんなことが、あったんだね」
「もう昔の話だけどね」
長時間話し込んでしまったのではないかと不安になり、時計を確認する。昼休みが終わるまで、あと十分くらいだった。
「話してくれてありがとう」
「感謝されるようなことでもないよ」
「いや、その話、八幡さんは絶対他の人に言ってないだろうなと思って」
「それはたしかにそうだけど……」
こんな話、家族にも言う気にならない。日野に言えたのは、日野との関係が深すぎず、でも昨日のことがあって浅いとも言えなくなったからかもしれない。
「でしょ? だから、僕に話してくれてありがとうって意味」
「話したらなんかすっきりしたかも」
「それは良かった」
今までは、話しても解決しないと思って誰にも話してこなかった。言ったところで迷惑にしかならないと思っていた。だから、今、少し胸が暖かくなったのが、妙にくすぐったかった。
「ねえ八幡さん」
「ん?」
「昼休み、もう少しで終わるね」
「そうだね」
遠くを見て相槌を打つ。髪が風で靡いても、私は直さない。
「抜け出そうよ。一緒に」
え、と視線を上げて日野を見た。
抜け出す? って?
「どういうこと?」
「昼休み、伸ばそうよ」
「ど、どうやって」
「外に抜け出すの。校舎の外に」
私の暗すぎる過去を聞いて頭がおかしくなったのだろうか。それとも、天才は時折こうやってネジを外しているのだろうか。真顔で話す日野を見るに、冗談とは思えなかった。
「本気で言ってる?」
「もちろん」
「えっと、たしかあなた首席ですよね」
「うん」
学年で天下一を取った日野。初めて話した際にゲーム好きなのを知ってから薄々気になってはいたが、もしかして日野は結構普通の人間か? テストの点が異常に高いだけで、なんというか、うん、普通に人生を楽しんでいるというか。
「大丈夫なの?」
「なにが?」
「授業」
「後で野洲先生に二人で怒られよう」
「ええ……」
怒られること前提って……ほんとに首席か?
ただ、日野の提案にすぐに反対しない時点で、私がそれを肯定的に捉えているのは事実だった。
「八幡さんはこのまま授業に戻りたい?」
「い、いや……」
そう聞かれると困る。そもそも昼休み後の授業はあまり好きではない。
「僕は、もっと八幡さんのことを知りたいと思ったよ」
「私を?」
日野は無言で首を縦に振った。私を知りたいという人間が目の前にいるという現実に違和感を覚えて仕方がなかったが、それでも日野は本気らしかった。
「まあ、五限は眠くて好きじゃないし、いいよ」
「お、助かる」
私は覚悟を決めて聞く。
「どこに行くの?」
「駅のゲーセンに行こう」
随分と遠出じゃん。というかそっちのゲームも好きなんだ。
ツッコミどころが多くあったけれど、今は言わないことにした。まだまだ私たちの昼休みは終わらなそうだ。
*
平日の昼間だからか、駅は空いていた。でも、私たちが住んでいるところは正体不明の鳥が家の近くでうっうーと鳴いているような田舎だ。最寄りの駅にゲーセンがあるわけがない。
だから、わざわざ電車で片道一時間もかけて、県を出た。
駅は入り組んでおり、どの改札が正しいのかよくわからない。一方、日野は迷うことなく進んでいく。私はただ横に並んでついていくだけだった。
制服姿の人間なんて私たち以外にほとんど居なくて、主婦や大学生らしき若者が集っている。そのせいで、すれ違うときに変な目で見られた。絶対変な勘違いをされている。補導されるのではないかという心配もあったが、幸い警察は見当たらなかった。
背筋が反り気味の私に釣られるように、頑張って猫背を直して歩く日野におかしさを感じながら歩いていると、あっという間にゲーセンに着いた。
「ここだよ」
立ち止まって汗を拭う。教科書が詰められた制カバンが、重たかった。
「ありがとう」
「うん。入ろうか」
「そうね」
店内は白を基調とした光を放っていた。手前から奥に向かってずらーっとクレーンゲームが並んでいる。とにかく明るい。
右側には沢山のガチャガチャがあった。そこで目をきらきらさせる子どもを見ていると、懐かしくなると同時にもう戻れない過去をぼんやりと回想してしまった。こんな私でも、幼稚園や小学校に通っていた頃は、とにかく平和だった。
「とりあえず座りたいね。あっち行こ」
私は無言で頷いて日野に従う。ちょっと動いただけでこの汗だ。自転車通学はどうやら効果がないらしい。普段から家で冷房の冷たい空気にさらされながら漫画を読んでいる習慣が露呈した。
私たちは店内の左中央に設置された機械のところに来た。メダルを交換出来る機械だ。
「メダルゲームするの?」
財布を探す日野に問いかける。
「メダルゲームだったら座って休憩もできるから」
「そういうことね」
財布を覗くと、運良く五百円玉が入っていたので割り勘をし、私たちはメダルを手に入れた。
日野が奥を指さす。店の最奥にあるらしかった。
「他の場所でも良かったんだけど、ここの方が若干静かだからさ。人も来ないし」
「そっか」
それは某有名ゲームがモチーフになったメダルゲームだった。中にある穴にメダルを落とすことが出来れば、キャラクターがマス目を移動してくれる。キャラクターをゴールまで導くのが最終目標だ。
「やったことある?」
「うん、まあ」
最後にメダルゲームをしたのはいつだっただろう。小学生だった気がしなくもない。何年かぶりに目の前に拡がる光量に、興奮した。
「良かった。じゃあ、メダル入れてこ」
ばらしたメダルを投入していく。日常では聞くことの出来ない独特の効果音が楽しい。入れるところは二つあるから、わざわざそうする必要はないのに、なぜか私たちは交互にメダルを入れていた。
「八幡さんとゲーセンで遊ぶ日が来るなんて思いもしなかったな」
狙いを定めてメダルを入れる隙を窺いながら、日野が言った。
「日野が誘ったんじゃん」
「言われてみれば」
「忘れてたの?」
「それくらい斬新なんだ、僕にとっては」
変なの。自分から誘ったくせに斬新ってどういうことだ?
そんな日野は喋りながらでもどんどんメダルを落としていく。抜群に上手い。
「上手いね」
「ありがとう」
「よく来るの?」
「んー。週に一回とか」
「週一!?」
いや来すぎだろ。いよいよ怪しくなってきた。本当に首席なのか。いや、それでも日野は首席なんだ。
「そんな驚く?」
「てっきり勉強詰めなのかと……」
「テスト前はね。普段からそんなに詰めてたらおかしくなっちゃうよ」
「たしかに息抜きも大切よね」
そのとき不意に日野はこちらを見てきた。機械に戻るタイミングじゃなくて、向かってくるタイミングで入れるんだよ、と教えてくれた。原理を考えればわかる話なんだろう。私はマルチタスクが苦手だ。
店内に人はいるのかなと思い、ふと周囲を見回してみる。けれど、平日の昼間だからか、そこまで人は居ないようだった。誰でも入ってこられる空間なのに、誰も入ってこない。店内で最も奥に位置するここは、やけに静かだった。居心地が良い。平日の昼間のゲーセンってこんな感じなんだ、と謎に感心した。
「さっきの、話なんだけど」
メダルが少しずつ減り始めたとき、日野が口を開いた。
「嘘ついてるのあっちもじゃんって、思った」
「ん?」
「ほら、さっきの話」
「あー」
久しぶりにメダルゲームをして勝手に気分が盛り上がっていたけれど、そういえば私は日野にとてつもなく陰鬱な話を聞かせていたのだった。
「親友さんも、嘘つきだよ」
独り言のように、自分に言い聞かせているかのように、日野は言った。
私は、メダルをごそっと沢山掴んで、狙いなんて定めず適当に入れていく。一気にメダルが、減っていく。
「だって、秘密にするって、約束だったんでしょ?」
視界に、靄がかかった。滲んで、掠れて、身体がじんわりと熱を持ち始める。目を、開けたくなかった。
「あ、八幡さん、そんなつもりじゃ……」
よくわからなかった。日野が味方してくれたことも、自分が思っていたことを日野も思っていたということも、全部。わからない。でも、きっと嬉しい涙なんだ、ってことだけがわかった。
そのとき、背中にぽっと暖かい感触がふれた。じわじわと拡がっていく。夏なのに、その温もりはとても心地よかった。
日野の手だ。
勉強をして、ペンだこが出来ているであろう指。でも少し骨ばった繊細な手。それが、私の背中を撫でてくれていた。
その動作はちょっと不器用で、時折震えるような危うさを保っていたけれど、とても優しい感触がした。
ひっくひっくと声を漏らして泣いてしまって、優しくされるからもっと泣いてしまう。
けれど、ゆっくりと背中を撫でられる度、次第に涙も穏やかになり、やがて止まった。
鼻水をたくさん垂らした。そしたら鼻が詰まった。ここまでいったら、もう顔面なんて気にしてられない。
「八幡さん、これ」
日野がティッシュを出して渡してくれた。かろうじて、ありがとう、と言うと自分の声が変わっていた。
「ごめんね。泣かせるつもりじゃなかったんだ。つらい話をまた出してしまった」
ティッシュで目や鼻を拭いながら答える。
「ううん、大丈夫」
日野は私が泣いたところを見たことがないからか、心配そうだった。
「嬉しかったから」
「うん」
友だちって、なんなのだろう。やっぱり、よくわからない。ついさっきまでは仲良しだったのに、自分の都合が悪くなったら嘘をついて、騙し合って。
日野の優しさに甘えて、口数が増えてしまう。
「私、友だちって大事だよね理論が嫌いだった」
無機質な空間に私の声だけが響く。日野は、声に出して相槌を打たずに、無言で聞いてくれた。
「友だちなんて、所詮は他人で、その間にある信頼なんて簡単に崩れちゃうと思ってたから」
でも、多分違うんだと思う。だって、ならこの関係は何なの。私と日野の関係って、何なの。もう友だちなんて出来ないと思っていたけれど、私は日野のことを友だちだ、って──。
それから日野は、多分私の言葉をずっと待っていた。メダルを投げる手は止まっていた。もう私が話すのをやめたと判断したらしく、沈黙を破ってくれる。
「八幡さんらしいね」
驚いて日野を見る。視界はくっきりしていた。
「やっぱりあの小説は八幡さんのだよ」
日野にだけ、読まれている。クラスの中で、日野だけが、知っている。私の、小説のこと。
「うん」
秘密を知っているのが、日野でよかった。そう、思った。
「僕は言わないよ」
「え?」
「僕だけが知ってたいもん」
なんだか気恥ずかしかった。でも、私もそうだ。
「私も、日野にだけ知られてたいよ」
久しぶりにした秘密の共有は、最初こそ焦りを感じていたけれど、今はむしろこれで良いと思えている。
私の発言に戸惑ったのか、日野は手元を狂わせてメダルを落とした。
日野はメダルを拾いながら小さく、そっか、と零した。
気づけばメダルはあと数枚になっていて、ゲームは終盤に近づいていた。目の前のキャラクターの進捗なんて、どうでもよかった。
「そんなことが、あったんだね」
「もう昔の話だけどね」
長時間話し込んでしまったのではないかと不安になり、時計を確認する。昼休みが終わるまで、あと十分くらいだった。
「話してくれてありがとう」
「感謝されるようなことでもないよ」
「いや、その話、八幡さんは絶対他の人に言ってないだろうなと思って」
「それはたしかにそうだけど……」
こんな話、家族にも言う気にならない。日野に言えたのは、日野との関係が深すぎず、でも昨日のことがあって浅いとも言えなくなったからかもしれない。
「でしょ? だから、僕に話してくれてありがとうって意味」
「話したらなんかすっきりしたかも」
「それは良かった」
今までは、話しても解決しないと思って誰にも話してこなかった。言ったところで迷惑にしかならないと思っていた。だから、今、少し胸が暖かくなったのが、妙にくすぐったかった。
「ねえ八幡さん」
「ん?」
「昼休み、もう少しで終わるね」
「そうだね」
遠くを見て相槌を打つ。髪が風で靡いても、私は直さない。
「抜け出そうよ。一緒に」
え、と視線を上げて日野を見た。
抜け出す? って?
「どういうこと?」
「昼休み、伸ばそうよ」
「ど、どうやって」
「外に抜け出すの。校舎の外に」
私の暗すぎる過去を聞いて頭がおかしくなったのだろうか。それとも、天才は時折こうやってネジを外しているのだろうか。真顔で話す日野を見るに、冗談とは思えなかった。
「本気で言ってる?」
「もちろん」
「えっと、たしかあなた首席ですよね」
「うん」
学年で天下一を取った日野。初めて話した際にゲーム好きなのを知ってから薄々気になってはいたが、もしかして日野は結構普通の人間か? テストの点が異常に高いだけで、なんというか、うん、普通に人生を楽しんでいるというか。
「大丈夫なの?」
「なにが?」
「授業」
「後で野洲先生に二人で怒られよう」
「ええ……」
怒られること前提って……ほんとに首席か?
ただ、日野の提案にすぐに反対しない時点で、私がそれを肯定的に捉えているのは事実だった。
「八幡さんはこのまま授業に戻りたい?」
「い、いや……」
そう聞かれると困る。そもそも昼休み後の授業はあまり好きではない。
「僕は、もっと八幡さんのことを知りたいと思ったよ」
「私を?」
日野は無言で首を縦に振った。私を知りたいという人間が目の前にいるという現実に違和感を覚えて仕方がなかったが、それでも日野は本気らしかった。
「まあ、五限は眠くて好きじゃないし、いいよ」
「お、助かる」
私は覚悟を決めて聞く。
「どこに行くの?」
「駅のゲーセンに行こう」
随分と遠出じゃん。というかそっちのゲームも好きなんだ。
ツッコミどころが多くあったけれど、今は言わないことにした。まだまだ私たちの昼休みは終わらなそうだ。
*
平日の昼間だからか、駅は空いていた。でも、私たちが住んでいるところは正体不明の鳥が家の近くでうっうーと鳴いているような田舎だ。最寄りの駅にゲーセンがあるわけがない。
だから、わざわざ電車で片道一時間もかけて、県を出た。
駅は入り組んでおり、どの改札が正しいのかよくわからない。一方、日野は迷うことなく進んでいく。私はただ横に並んでついていくだけだった。
制服姿の人間なんて私たち以外にほとんど居なくて、主婦や大学生らしき若者が集っている。そのせいで、すれ違うときに変な目で見られた。絶対変な勘違いをされている。補導されるのではないかという心配もあったが、幸い警察は見当たらなかった。
背筋が反り気味の私に釣られるように、頑張って猫背を直して歩く日野におかしさを感じながら歩いていると、あっという間にゲーセンに着いた。
「ここだよ」
立ち止まって汗を拭う。教科書が詰められた制カバンが、重たかった。
「ありがとう」
「うん。入ろうか」
「そうね」
店内は白を基調とした光を放っていた。手前から奥に向かってずらーっとクレーンゲームが並んでいる。とにかく明るい。
右側には沢山のガチャガチャがあった。そこで目をきらきらさせる子どもを見ていると、懐かしくなると同時にもう戻れない過去をぼんやりと回想してしまった。こんな私でも、幼稚園や小学校に通っていた頃は、とにかく平和だった。
「とりあえず座りたいね。あっち行こ」
私は無言で頷いて日野に従う。ちょっと動いただけでこの汗だ。自転車通学はどうやら効果がないらしい。普段から家で冷房の冷たい空気にさらされながら漫画を読んでいる習慣が露呈した。
私たちは店内の左中央に設置された機械のところに来た。メダルを交換出来る機械だ。
「メダルゲームするの?」
財布を探す日野に問いかける。
「メダルゲームだったら座って休憩もできるから」
「そういうことね」
財布を覗くと、運良く五百円玉が入っていたので割り勘をし、私たちはメダルを手に入れた。
日野が奥を指さす。店の最奥にあるらしかった。
「他の場所でも良かったんだけど、ここの方が若干静かだからさ。人も来ないし」
「そっか」
それは某有名ゲームがモチーフになったメダルゲームだった。中にある穴にメダルを落とすことが出来れば、キャラクターがマス目を移動してくれる。キャラクターをゴールまで導くのが最終目標だ。
「やったことある?」
「うん、まあ」
最後にメダルゲームをしたのはいつだっただろう。小学生だった気がしなくもない。何年かぶりに目の前に拡がる光量に、興奮した。
「良かった。じゃあ、メダル入れてこ」
ばらしたメダルを投入していく。日常では聞くことの出来ない独特の効果音が楽しい。入れるところは二つあるから、わざわざそうする必要はないのに、なぜか私たちは交互にメダルを入れていた。
「八幡さんとゲーセンで遊ぶ日が来るなんて思いもしなかったな」
狙いを定めてメダルを入れる隙を窺いながら、日野が言った。
「日野が誘ったんじゃん」
「言われてみれば」
「忘れてたの?」
「それくらい斬新なんだ、僕にとっては」
変なの。自分から誘ったくせに斬新ってどういうことだ?
そんな日野は喋りながらでもどんどんメダルを落としていく。抜群に上手い。
「上手いね」
「ありがとう」
「よく来るの?」
「んー。週に一回とか」
「週一!?」
いや来すぎだろ。いよいよ怪しくなってきた。本当に首席なのか。いや、それでも日野は首席なんだ。
「そんな驚く?」
「てっきり勉強詰めなのかと……」
「テスト前はね。普段からそんなに詰めてたらおかしくなっちゃうよ」
「たしかに息抜きも大切よね」
そのとき不意に日野はこちらを見てきた。機械に戻るタイミングじゃなくて、向かってくるタイミングで入れるんだよ、と教えてくれた。原理を考えればわかる話なんだろう。私はマルチタスクが苦手だ。
店内に人はいるのかなと思い、ふと周囲を見回してみる。けれど、平日の昼間だからか、そこまで人は居ないようだった。誰でも入ってこられる空間なのに、誰も入ってこない。店内で最も奥に位置するここは、やけに静かだった。居心地が良い。平日の昼間のゲーセンってこんな感じなんだ、と謎に感心した。
「さっきの、話なんだけど」
メダルが少しずつ減り始めたとき、日野が口を開いた。
「嘘ついてるのあっちもじゃんって、思った」
「ん?」
「ほら、さっきの話」
「あー」
久しぶりにメダルゲームをして勝手に気分が盛り上がっていたけれど、そういえば私は日野にとてつもなく陰鬱な話を聞かせていたのだった。
「親友さんも、嘘つきだよ」
独り言のように、自分に言い聞かせているかのように、日野は言った。
私は、メダルをごそっと沢山掴んで、狙いなんて定めず適当に入れていく。一気にメダルが、減っていく。
「だって、秘密にするって、約束だったんでしょ?」
視界に、靄がかかった。滲んで、掠れて、身体がじんわりと熱を持ち始める。目を、開けたくなかった。
「あ、八幡さん、そんなつもりじゃ……」
よくわからなかった。日野が味方してくれたことも、自分が思っていたことを日野も思っていたということも、全部。わからない。でも、きっと嬉しい涙なんだ、ってことだけがわかった。
そのとき、背中にぽっと暖かい感触がふれた。じわじわと拡がっていく。夏なのに、その温もりはとても心地よかった。
日野の手だ。
勉強をして、ペンだこが出来ているであろう指。でも少し骨ばった繊細な手。それが、私の背中を撫でてくれていた。
その動作はちょっと不器用で、時折震えるような危うさを保っていたけれど、とても優しい感触がした。
ひっくひっくと声を漏らして泣いてしまって、優しくされるからもっと泣いてしまう。
けれど、ゆっくりと背中を撫でられる度、次第に涙も穏やかになり、やがて止まった。
鼻水をたくさん垂らした。そしたら鼻が詰まった。ここまでいったら、もう顔面なんて気にしてられない。
「八幡さん、これ」
日野がティッシュを出して渡してくれた。かろうじて、ありがとう、と言うと自分の声が変わっていた。
「ごめんね。泣かせるつもりじゃなかったんだ。つらい話をまた出してしまった」
ティッシュで目や鼻を拭いながら答える。
「ううん、大丈夫」
日野は私が泣いたところを見たことがないからか、心配そうだった。
「嬉しかったから」
「うん」
友だちって、なんなのだろう。やっぱり、よくわからない。ついさっきまでは仲良しだったのに、自分の都合が悪くなったら嘘をついて、騙し合って。
日野の優しさに甘えて、口数が増えてしまう。
「私、友だちって大事だよね理論が嫌いだった」
無機質な空間に私の声だけが響く。日野は、声に出して相槌を打たずに、無言で聞いてくれた。
「友だちなんて、所詮は他人で、その間にある信頼なんて簡単に崩れちゃうと思ってたから」
でも、多分違うんだと思う。だって、ならこの関係は何なの。私と日野の関係って、何なの。もう友だちなんて出来ないと思っていたけれど、私は日野のことを友だちだ、って──。
それから日野は、多分私の言葉をずっと待っていた。メダルを投げる手は止まっていた。もう私が話すのをやめたと判断したらしく、沈黙を破ってくれる。
「八幡さんらしいね」
驚いて日野を見る。視界はくっきりしていた。
「やっぱりあの小説は八幡さんのだよ」
日野にだけ、読まれている。クラスの中で、日野だけが、知っている。私の、小説のこと。
「うん」
秘密を知っているのが、日野でよかった。そう、思った。
「僕は言わないよ」
「え?」
「僕だけが知ってたいもん」
なんだか気恥ずかしかった。でも、私もそうだ。
「私も、日野にだけ知られてたいよ」
久しぶりにした秘密の共有は、最初こそ焦りを感じていたけれど、今はむしろこれで良いと思えている。
私の発言に戸惑ったのか、日野は手元を狂わせてメダルを落とした。
日野はメダルを拾いながら小さく、そっか、と零した。
気づけばメダルはあと数枚になっていて、ゲームは終盤に近づいていた。目の前のキャラクターの進捗なんて、どうでもよかった。