「なぁ」
「ひっ」
 急に声を発した男の子にびっくりして、変な声を出す。ばっちり、目が合っていた。
 慌てて目を逸らして後ずさると、彼はもう一度言った。
「なぁって」
 少しずつ、近づいてくる彼。芝生を踏んでいるはずなのに、なんの音もしない。空中に浮いているかのように、滑らかに近づいて来る。
 で、足元を見たら、実際ちょっと浮いていた。
「逃げんなよ。別になんも、悪いことしねぇよ」
 耳馴染みのある、故郷の訛り。訛っている幽霊なんて、聞いたことがない。
 それに透けてはいるけど、ちゃんと肌につやがあるし、真っ黒い髪はさらさらだし、瞳には光がある。幽霊ってもっと青白くて怖い顔なんじゃないの?
 さては、あれだな?
「ど、ドッキリ……ですか?」
「え?」
 彼は、首を傾げた。いや、しらばっくれても無駄だ。そうに決まっている。自分と同じ高校生がいると思って、ドッキリをしかけてるんだ。宙に浮くのとか、どうやってるのか分かんないけど、なんか、サイエンスパワー的ななんかでやってるんだ。
「あ、それとも、あれですか?あっちにある、お化け屋敷の、お化け役ですか?」
 私は、出店が軒を連ねる向こうのエリアを指さした。さくらまつりには、超怖いと評判のお化け屋敷も毎年出店する。だけど、彼は、困ったように笑って首を横に振った。
「ああ。あのお化け屋敷は、俺は出れねぇよ。本物の幽霊は、中に入れねぇし」
 彼の言った言葉の意味を考える。俺は出れない。本物の幽霊は、中に入れない。
 つまり、「俺」は――。
 私は、慌てて近くで呑気にハートの写真を撮っている大学生くらいのカップルに話しかけた。必死で、早口になる。
「あの、あそこに、高校生くらいの男の人いますよね。学ラン着た」
「え……」
「え、いや、あそこ!」
 彼が立っているところを指さすと、二人は小さく首を横に振った後、気味の悪そうな顔をして足早に去っていった。
 私は、恐る恐るもう一度男の子を見る。さっきの笑みを顔に残す彼を見て、私は情けなくも腰を抜かす。ほとんど命乞いみたいな、必死な声が出る。
「ちょ、待って。それ以上、近づかないで。私、お化け苦手なの」
「『お化け』って、人聞き悪ぃな。まあ、実際そうだけど」
 のんびりした口調で言う幽霊くん。体が小刻みに震えている私にお構いなく、聞いて来る。
「霊感とか、あるの?」
「ないない、そんなのない!初めてだって、こんなの……」
「あ、んだのか。霊感ない人に見つかったの、俺も初めて」
 言うと、彼はくすくす笑い出した。
「一回、エセ霊媒師みてぇなやつに見つかったことあって。危うく、強制的に成仏させられるとこだった」
「いや……潔く成仏してよ!」
 大きな声を出したそのとき、近くにいたおじいさんが驚いたような顔で私を見てきた。
 そっか……こいつが見えない他の人たちにとって、私は大きな声で独り言を喋るやばいやつなんだ。
 私が顔を引き攣らせているのにお構いなく、幽霊くんは何かぺらぺら言ってる。
「だって、未練を残したままだばちゃんと成仏できねえじゃん。成仏できないと、次の人生が始まらないんだ」
「み、未練……?」
 今までずっとにこにこしていた幽霊くんの顔に、少しだけ、切ない影が宿った気がした。彼は、まっすぐに前を向いて言った。
「卒業式の日にこの場所で、初恋の人と桜が見たい」
 私は、固まったまま何も言えなくなった。沈黙が続き、耐えきれなくなって、かろうじて震える声を出す。
「え……その初恋の子は、生きてる、人間なの?」
「うん。初恋、っつうか、今でも好きだな」
 私は、幽霊に一方的に片思いされてるその子のことを思って、心の中で合掌した。
 というか、初恋の子が人間なら、あんたの姿、見えないんじゃないの。私以外の人には、幽霊くんの姿、見えてないみたいだし。
 しかも、それ以前にさ。
「あのさ。卒業式って、どこの学校も大概、三月上旬だよ。うちの高校も」
 幽霊くんは、小さな子どもみたいにこくっと頷いた。いや、「うん」じゃなくて。
「このまちの桜は、三月上旬には咲かないよ……?」