翌週末。私はお母さんと一緒に、桜太くんのお母さんーー裕子さんに会いに行くことになった。お母さんが裕子さんに連絡をとってみたところ、ぜひぜひやよいちゃんと一緒に遊びに来て、と言われたそうだ。
バスに乗り込むと、一応聞いておいた。
「桜太ママは、お母さんの高校の同級生なんだよね?」
「そうだよ。だから、何にも緊張しなくていいからね。あんたが小さいときなんか、よく遊びに行ってたんだから」
私は、曖昧に笑った。どうしても緊張してしまうけど、別に裕子さんに会うことにドキドキしているわけではない。
私はおそらく、桜太の遺影と対面することになるだろう。それが目的ではあるんだけど、怖かった。
心のどこかで、一生目的地に着かなくていいと思っていたバスは、あっという間に私たちを運んで降ろした。バス停から三分ほど歩くと、すぐに桜太の家が現れる。
インターホンを鳴らすと、裕子さんがすぐに出てきた。お母さんと私を見ると、ぱぁっと明るい顔になり、甲高い声を出す。
「ちょっと、久しぶりー!」
「しばらくぶりだもんねえ。元気してら?」
お母さん同士の、想像以上にハイテンションの挨拶に若干戸惑う。ひとしきり再会を喜び合うと、裕子さんは嬉しそうに目を細めて笑った。
「あれ、やよいちゃんも大きくなったねぇ。これだば、一瞬誰だかわかんないわ」
「あはは……」
そりゃ、もう、女子高生だからね。
私は裕子さんのことはほとんど覚えていないのだが、彼女は私のことをよく覚えてくれているらしい。まあ、高校時代の親友の娘で、息子と仲が良かったんだから、覚えててくれて当たり前なのかもしれない。
私たちを玄関に通して早々、裕子さんは言った。
「やよいちゃんが来てくれて、桜太も喜んでるべなぁ。あいさつしてくれる?」
もちろん首を縦に振ったけど、心臓は暴れていた。
案内された仏間。遺影の中の笑顔を見て、私は言葉を失った。
「っ……」
ああ――やっぱり、そうだ。
「やよい、お線香あげよう」
お母さんに言われ、現実味がないまま線香に火をつけて、手を合わせた。
線香を上げ終わった私とお母さんが振り向くと、桜太のお母さんは懐かしそうに言った。
「桜太、やよいちゃんのことが大好きだったからねぇ。いつもべたべたくっついて、ちょっと、鬱陶しかったべ」
「い、いや、そんな」
慌てて首を振るけど、裕子さんの目は私よりももっと遠くを見て、潤んでいた。
裕子さんに教えてもらって、初めて知った。私と別の小学校に進学した桜太は、一年生の夏前にはもう病気が見つかって、ほとんど小学校に通えていなかった。一時は回復したものの、再び病魔に襲われたときには、もう助からない状態だった。
お母さんも裕子さんも涙ぐんでいたけど、私は内心、少しだけ二人のことを責めていた。いくら私が幼かったからって、黙ってるなんてひどい。どうして会わせてくれなかったんだ、って。
だけど裕子さんの言葉に、責める気持ちはすぐに打ち砕かれた。
「本当は、やよいちゃんに会わせてあげたらよかったのかもしれないけど……ごめんね。桜太はやよいちゃんのことが大好きだったから、やよいちゃんには、元気な桜太だけ覚えててほしかったんだ。あの子も、やよいちゃんに元気な姿を見せたくて、頑張ってたし」
裕子さんの頬に、大粒の涙が伝う。お母さんも、大きく鼻をすすった。
亡くなったの、小学五年生でしょ。小五の私は幼稚園の頃のことなんて思い返すこともなく、ただ日々を必死に過ごしていたと思う。それなのに桜太はずっと、幼稚園の頃の友達だった私に会いたがってたの?
震える声で、聞いた。
「桜太……そんなにずっと私のこと思ってたんですか?」
裕子さんは、あはは、と泣きながら笑った。
「『勝手に喋るな』って怒られそうだけど、多分、やよいちゃんに片思いしてたんでねえかな。幼稚園の卒園式のときにやよいちゃんからもらった手紙も、最後までずっと大事にしてたし」
「え……?」
ちょっと待ってて、というと、裕子さんは奥の部屋に消えたいった。
彼女が渡してきたのは、桜色の小さな封筒だった。
「これ、桜太が亡くなったあとに見つけたものなんだけどね」
これが、私が桜太に書いた手紙ーー?
中の手紙を、少し震える手で開く。ひらがなを覚えたての頼りない字が、精いっぱい並んでいた。
「おうたへ
あそんでくれてありがとう
はなればなれになっても
しようがっこうの
そつぎようしきは
いっしよにさくらみようね
やよいより」
「……」
唇を噛む私に、裕子さんは言った。
「……桜太、喋ってたの。小学校の卒業式の日までは、生きたいって」
そして、一緒に桜を見るっていうやよいちゃんとの約束を果たしたいって。
涙声でそこまで言って、桜太くんのお母さんは「あっ」と声を出した。
「そう言えば、その封筒の中、絵も入ってるんだ。見てみて」
言われて、もう一度封筒の中に手を入れる。紙を取り出し、描かれていたものを見て、息を飲んだ。
真ん中に大きく描かれているのは、桜の木。その下に、私と彼の笑顔がある。
そして、桜の木の真ん中には、大きなハートマーク。
深く、息を吐く。これを描いたのは、紛れもなく、私なんだ。
「私も、好きだったんだと思います……彼のことが」
言葉にしたら、ボロボロと涙がこぼれた。今目の前にいるお母さんとも、裕子さんとも違う涙。
記憶の奥底で眠っていた桜太との思い出が、水と一緒に溢れてくる。
ごめん。ごめんね、桜太ーー。
バスに乗り込むと、一応聞いておいた。
「桜太ママは、お母さんの高校の同級生なんだよね?」
「そうだよ。だから、何にも緊張しなくていいからね。あんたが小さいときなんか、よく遊びに行ってたんだから」
私は、曖昧に笑った。どうしても緊張してしまうけど、別に裕子さんに会うことにドキドキしているわけではない。
私はおそらく、桜太の遺影と対面することになるだろう。それが目的ではあるんだけど、怖かった。
心のどこかで、一生目的地に着かなくていいと思っていたバスは、あっという間に私たちを運んで降ろした。バス停から三分ほど歩くと、すぐに桜太の家が現れる。
インターホンを鳴らすと、裕子さんがすぐに出てきた。お母さんと私を見ると、ぱぁっと明るい顔になり、甲高い声を出す。
「ちょっと、久しぶりー!」
「しばらくぶりだもんねえ。元気してら?」
お母さん同士の、想像以上にハイテンションの挨拶に若干戸惑う。ひとしきり再会を喜び合うと、裕子さんは嬉しそうに目を細めて笑った。
「あれ、やよいちゃんも大きくなったねぇ。これだば、一瞬誰だかわかんないわ」
「あはは……」
そりゃ、もう、女子高生だからね。
私は裕子さんのことはほとんど覚えていないのだが、彼女は私のことをよく覚えてくれているらしい。まあ、高校時代の親友の娘で、息子と仲が良かったんだから、覚えててくれて当たり前なのかもしれない。
私たちを玄関に通して早々、裕子さんは言った。
「やよいちゃんが来てくれて、桜太も喜んでるべなぁ。あいさつしてくれる?」
もちろん首を縦に振ったけど、心臓は暴れていた。
案内された仏間。遺影の中の笑顔を見て、私は言葉を失った。
「っ……」
ああ――やっぱり、そうだ。
「やよい、お線香あげよう」
お母さんに言われ、現実味がないまま線香に火をつけて、手を合わせた。
線香を上げ終わった私とお母さんが振り向くと、桜太のお母さんは懐かしそうに言った。
「桜太、やよいちゃんのことが大好きだったからねぇ。いつもべたべたくっついて、ちょっと、鬱陶しかったべ」
「い、いや、そんな」
慌てて首を振るけど、裕子さんの目は私よりももっと遠くを見て、潤んでいた。
裕子さんに教えてもらって、初めて知った。私と別の小学校に進学した桜太は、一年生の夏前にはもう病気が見つかって、ほとんど小学校に通えていなかった。一時は回復したものの、再び病魔に襲われたときには、もう助からない状態だった。
お母さんも裕子さんも涙ぐんでいたけど、私は内心、少しだけ二人のことを責めていた。いくら私が幼かったからって、黙ってるなんてひどい。どうして会わせてくれなかったんだ、って。
だけど裕子さんの言葉に、責める気持ちはすぐに打ち砕かれた。
「本当は、やよいちゃんに会わせてあげたらよかったのかもしれないけど……ごめんね。桜太はやよいちゃんのことが大好きだったから、やよいちゃんには、元気な桜太だけ覚えててほしかったんだ。あの子も、やよいちゃんに元気な姿を見せたくて、頑張ってたし」
裕子さんの頬に、大粒の涙が伝う。お母さんも、大きく鼻をすすった。
亡くなったの、小学五年生でしょ。小五の私は幼稚園の頃のことなんて思い返すこともなく、ただ日々を必死に過ごしていたと思う。それなのに桜太はずっと、幼稚園の頃の友達だった私に会いたがってたの?
震える声で、聞いた。
「桜太……そんなにずっと私のこと思ってたんですか?」
裕子さんは、あはは、と泣きながら笑った。
「『勝手に喋るな』って怒られそうだけど、多分、やよいちゃんに片思いしてたんでねえかな。幼稚園の卒園式のときにやよいちゃんからもらった手紙も、最後までずっと大事にしてたし」
「え……?」
ちょっと待ってて、というと、裕子さんは奥の部屋に消えたいった。
彼女が渡してきたのは、桜色の小さな封筒だった。
「これ、桜太が亡くなったあとに見つけたものなんだけどね」
これが、私が桜太に書いた手紙ーー?
中の手紙を、少し震える手で開く。ひらがなを覚えたての頼りない字が、精いっぱい並んでいた。
「おうたへ
あそんでくれてありがとう
はなればなれになっても
しようがっこうの
そつぎようしきは
いっしよにさくらみようね
やよいより」
「……」
唇を噛む私に、裕子さんは言った。
「……桜太、喋ってたの。小学校の卒業式の日までは、生きたいって」
そして、一緒に桜を見るっていうやよいちゃんとの約束を果たしたいって。
涙声でそこまで言って、桜太くんのお母さんは「あっ」と声を出した。
「そう言えば、その封筒の中、絵も入ってるんだ。見てみて」
言われて、もう一度封筒の中に手を入れる。紙を取り出し、描かれていたものを見て、息を飲んだ。
真ん中に大きく描かれているのは、桜の木。その下に、私と彼の笑顔がある。
そして、桜の木の真ん中には、大きなハートマーク。
深く、息を吐く。これを描いたのは、紛れもなく、私なんだ。
「私も、好きだったんだと思います……彼のことが」
言葉にしたら、ボロボロと涙がこぼれた。今目の前にいるお母さんとも、裕子さんとも違う涙。
記憶の奥底で眠っていた桜太との思い出が、水と一緒に溢れてくる。
ごめん。ごめんね、桜太ーー。